みっく・じゃがの「ひとりごと日記」

日々思うこと、考えること、時には写真も

被害者意識

2020-05-08 10:36:21 | 日記

いつの間にか5月になり、気温も25℃近い日が続き、すでに初夏です。

夏が近くなってくると、我が家は掛物を替えます。

今回は夏が近いので『ひまわり畑』の絵織りです。(78×57)

明野(現在は北杜市になってしまった)のひまわり畑を写真で観て

絵織りにしたもので、2度目の個展に織ったものです。

素材は京都嵯峨野の手染め和紙を裂いて織りました。

この染め屋さんにはずいぶん通いました。

竹林を抜けたところにある小さなお店で、たくさんの色があるのです。

この絵織りは「観ると落ち着く」などと言われたりしました。

買取の申し出が何件かありましたが、夫が好きなので非売品とさせていただきました。

 

もうひとつはイタリアで観た景色を絵織りにしたものです。これも個展作品です。

ナポリのホテルの庭から眺めたヴェスヴィオ山です。

遠くに霞んで、今まさに雨が降りそうな右側の黒い雲、それでも陽の光が

微かに明るさを残している、印象的な風景でした。

『ナポリからヴェスヴィオ山を望む』(53×41)

どちらも「個展をやっていたのだなぁ」という時間の移ろいを感じる作品です。

 


 

4月6日まで緊急事態宣言であったのが、予想通り5月末までと延長になり、

政府は「事態が改善すれば5月中旬にも解除する」と言いますが、

それはどうでしょうか?

6月も安全とは言えない日々が続くと思っているところです。

 

なぜそう思うかと言うと、「外出を控えて」と言われながら、街には

人が溢れかえり、”自粛”とは言えない状況を呈しているからです。

私は自分の体の心配をしているのと、加えて”常識”を持っているから

スーパーへ週一で出かける以外は家に閉じこもっています。

たいして料理のレパートリーのない私でも、計画的に買い物をすれば

1週間ぐらいは籠れるものです。

 

スーパーに行くと、果物ひとつにも顔を寄せ合って相談しながら買い物を

している夫婦や、床を転げ回ったり走り回っている子供連れの夫婦など、

どうして日本はこんな大人ばかりいるようになったのでしょう。

 

また、テレビを観ると、人が少なくなった街を写し、

「こんなに人が居ない」とか商店の嘆きを「気の毒だ」という口調の

テレビ報道には苛立を覚えます。

政府が『緊急事態宣言』をして、外出しないように”要望”しているのですから

人が居なくて当たり前なのに、「寂しくなった街並み」のような報道は

おかしいでしょう。

また商店の「もう終わりだ」みたいな声に耳を貸すのもおかしいです。

辛いのはみんな同じで、それを耐えるのが今の事態でしょう。

だいたい、「借料も払えない」とか仰いますが、今までの儲けは?

自転車操業の毎日だったのでしょうか?

誰もが「いい時は当たり前」で、この状況を政治の悪さみたいに言うのは

厳しい例えですが”甘え”ではないでしょうか。

農業も商業もサービス業もいい時もあれば、悪い時もある、それを凌いで

頑張っていくのがそれぞれの”誇り”じゃないでしょうか?

なんでも保証金がもらえて、解決しようとするのは情けないです。

被害者意識ばかりが横行して、それを誰も言わない。

旅館業も中国御一行様に頼っていて、良い時はバンザイ!で、こうなることを

考えていなかったことは、国の責任ではなく、自身の考えの甘さだと思うのです。

 

酷い暴言ばかりかもしれませんが、こんな状況が情けなくて、もうこの国には

住んで居たくなくなります。

この先、どれだけ生きるのか寿命は知りませんが、短くて結構です。

あまり生きてはいたくないです。

コメント (6)
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