もう3月になってしまいました。
年が明けてから、いえ、昨年 年末から、私には色々なことがありました。
年末に椅子から転げ落ちて右膝を負傷し、整形外科に通って、
2月半ばにやっと、医師から「治療の終了」をいただきました。
まだ、時々痛いことはありますが、完全に元に戻ることはないそうです。
ケガをするということはそういうことなんだそうです。
膝に水が溜まっていることはないので、痛みがあるときは注意をしながら
過ごすしかないようで「無理をしないで生活してください」とのこと。
膝をつけるようになっただけ、ましです。
そして、1月に入って娘が救急救命センターに運び込まれ、
そののち、手術をして、療養のために我が家に引き取り、
万全ではないにしても、病院で検査の日が近づいたので結婚先に送り出しました。
我が家で療養中は、原因不明の高熱を出して親として何ができるのか・・心配の極致でしたが、
ある日突然、熱が下がり、元気を回復していきました。
そのへんの原因は、明後日の検査を待つばかりです。
熱が下がってから、笑顔を見せるようになり、ムコの迎えが来る日は
久しぶりで娘が父親に軽口をたたくのを見て「もう大丈夫かな」と安心しました。
今日は、1日置いて、買い物や炊事を手伝うために娘宅へ行ってきましたが、
お腹を押さえながらも、元気な顔色でいました。
この花は私のジム友(スポーツジムのお友達)が娘に送ってくれたお見舞いの花の写真です。
娘は結婚する前にジムに通っていましたから、この私のジム友とも顔見知りです。
「お嬢さんに」と言っても、看病のために ずっとジムを休んでいる私に対する心遣いでもあると思えて、
感謝に堪えません。
こういう優しい気持ちを娘にも持てるようになってほしいと思っています。
そして
娘の思いもかけない病気で考えさせられたことがあります。
独立する子供を、俗に「息子は遠くに、娘は近くに」と言うそうです。
これは、共に『娘というものは親の近くに』ということでしょう。
親にも娘にも、何かあったときに近い方がいい、息子はアテにならない(笑)・・でしょうか。
我が家の息子は嫁の実家の近くに家を建てました。嫁とその親はツー&カーの距離です。
ひるがえって娘はムコの実家の近くに住んでいます。
娘が今回のように病気になって、義母に遠慮があり、母である私に頼りたくても、遠いです。
顔を見ただけで何を考えているのか、瞬き一つでどうしてほしいのか分かってしまう私なのに・・・
結婚するときに、親の近くに住むことは、本人たちのためにも賛成できないと言いましたが、
人間、いつでも元気なわけではありません。
こういうことが起こると、現実には 距離があることが、どれだけ不便なことか、よくわかりました。
私自身は親から賛成してもらえない結婚をしましたから、一切の助けを受けたことはありません。
出産のときも、子供一人が病気で入院した時、もう一人の子供の世話など、大変なことはありましたが、
何とかなるものです。
「親から独立したのだから、甘えてなるものか!」みたいな強がりもありました。
でも、今回、娘が困難に向かっている時に、助けてやれることを喜びに思いました。
「こんな時なんだから、どんなに甘えてもいいのよ」などと言いながら、
私の母はどう思っていたんだろう?と思わずにはいられません。
また、こんな私の姿を、夫はどんな気持ちで見ているんだろう?とも考えます。
弱音を吐いたことがない私を「強い人だ」と夫は言ってきました。
自分の事では突っ張らかっていたけど、娘には甘いんじゃないかと思っているんだろうな。
でも、いいのです。
親は子供に甘くしてやれるならば やればいい、子供は親に甘えられるならば 甘えればいい。
そんな単純なことでいいのだ と思っている今日このごろです。
PC開けることが間遠になりまして、コメントいただいていることに気づきませんでした。
お蔭さまで、娘は元気を取り戻しているようで、
お炊事の手助けに参りましても、元気な様子です。
私の不用意なひとことが娘さんがいない親御さんの
お気持ちを傷付けてしまったかもしれないと
反省しています。
自己主義の感覚で書いてはいけませんね。すみません。
うちは息子が二人で、娘はいません。ですから、将来は「姑」にしかなれません。お嫁さんが来てくれたとして、やはり頼りにされるのはご実家のお母様でしょう…。寂しくないと言えば嘘になります。せめて嫌われない姑になりたいものだと思います(^^;
子供の世話にならないと、私も思っていますが
こればっかりは、何が起こるか分かりませんからね。
先のことは先のことです。
と、この呑気さが私の良さでもあり、悪いところでもあります(笑)
春の声が聞こえるようになって、杏子さんも始動ですね。
娘が救急救命センターに運ばれたことを書いたときに
杏子さんから「お母さんの出番はこれからが本番ですよ」
とコメントをいただき、納得していました。
私も娘も、お互いあっての間柄だと思いますので、
これからもぼちぼちです。
じっくり考えてみる時間があったほうがいいかもしれませんね。
病気になりながら、その時間は神様からいただいた時間かもしれません。
今はお元気にしていらっしゃるんですから、
これからもお体は大切になさってください。
私も、自分のように何でもしていく人間は、自分だけではないと
思っていました。
思い返せば、いろんなことがあったなぁと思い出します。
それなりに楽しんできたかもしれません。
娘には、平凡なシアワセがあればいいなぁと思っているのですが・・・
ホントに、何があるのか分からないということですね。
どうぞお大事になさってください。
歳をとっても子供のことは心にいつもあります。
息子は家庭も持っているので、今さらどうということもありませんが、
後の望みは、健康でいてほしいです。
親より先に死ぬのは許さん!と常々申し聞かせています。
みっく・じゃがさんは一人で親御さんの手を借りずに乗り越えていらっしゃったのですね。えらいです。
私は息子3人で長男は名古屋、次男は北海道にいます。3男が近くに住んでます。
女の子がいたらなーとよく思いましたが仕方がありませんね。(*^_^*)
友人たちは子供の世話にはならないとよく言いますが、人間老いるとなかなかそうはいかないと思います。
私も子供に手をかけないようにと健康管理には気を配ってはますが…
私はお互い頼れる時はお互い頼っていけたらと思っています。だから人間関係だけはよくしようと思って付き合っています。お嫁さんも自分の娘と思っていこうと思っています。
誰にでもよくしておけば自分の所にも返って
くると思ってお付き合いをしています
みっく・じゃがさんの今回の友人からのお花もその一つではないでしょうか。
みっく・じゃがさんは私よりはずっとお若いようですが、私はもういつ何が起きてもおかしくない歳なので一日一日を大切にとは考えていますが、それは思いだけでいい加減な毎日を送っています。
日本の四季のうつろいはこころなごみます。
ごぶさたしていましたが、みっく・じゃがさんには
大変なこと連続でしたね。
お見舞い申し上げます。
人生いろいろ考えさせられることおおし、おたがいに思いはよく似ているなとおもいました。
人生何が幸いするか分からない、
何が不幸の原因なのかも分からない。
と思い直して、ぼちぼち歩きはじめていきましょうよね。
うちは息子2人だけで娘はいませんので、
将来なにかあったら、お嫁さんの世話になるしかありません。
そうならないよう、健康に気を付けていきたいのですが、
どんなに気をつけても、病気などなるときにななるものだと、
去年の入院で考えさせられました。
私も出産の時は、両親もいませんでしたので、
退院後はそのまま自宅に戻り、全て自分でしました。
買い物は近所のママともがしてくれましたし、
動けない時は主人に弁当を買って来てもらったりしましたが、
特に辛いと思う事も無く、子供も手がかからなかったように記憶してます。
この歳になると、考えることが多くなりますね。
その時思ったのですが 病気は いろいろ考えさせられるきっかけになりますね。
自分自身を振り返ったり これからのことを思いやったり・・・
これを機に それぞれの家に合う最良の生活スタイルや人間関係を
どうやっていけばいいか考える チャンスだと思います。
親は頼られると嬉しいものですね。
但し、借金の尻拭いは嫌ですけど、幸いにして今の処は無いですけどね。
年はとってもいつまでも子供のことは心配ですね。
悪い事って重なるものですね。歯車がひとつ狂うと次から次と、
昨年から我が家、身辺でずっと災難続きです。
先日は女房が転んで頭を打つ事故が二回続けて起きました。
MRとCT撮ったら脳内出血をしているのが確認されました。
大事には至らなく済んだので良かったですが、
外を歩くにも気を付けなければいけない年齢になってしまいましたね。
みっく・じゃがさんもご主人さまも十分ご自愛してくださいね。