9月1日、今日は9月最初の教室でした。
もう夏も終わりかな・・・と物思いにふけりながら電車に乗ってカルチャースクールへ。
毎回のことですが、私はこの時間が嫌いです。
教えることが嫌いなのです。困ったものです。
私が弟子だったとき、ちょっとでも間違っていたら、正確にできるまで何度でもやり直しを命じられました。
それは当たり前のことで、何の疑問も感じることなくやり直していました。
「だから、今の自分がある」という自負があります。
ところが、今、教室で私がそれを命じたらどうなるでしょうか。
生徒さんは一人もいなくなるような気がします。
私が弟子だったころ、「師匠から指導される」と思っていましたが、
今は生徒さんは(〝さん”と言ってるくらいだから)、お客さんです。
お金を払っていただいて習いに来てくださるお客さんなのです。
ひどい織り方でも 厳しく言えず、「これはこれで・・・」などと
ごまかしている自分が嫌でたまりません。
今朝、誰も来ていない教室で写真を撮りました。(iPhoneで)
誰も座っていないデスクと椅子だけですが、iPhoneから自宅のPCへ送りましたが、
定位置で映したのにもかかわらず、ブログにアップロードしようとしたら、横にしか映りません。
転回しようにもウンともスンともなりません。
まるで今の私の心の中を表しているようです。
思います。昔は師に教えを乞い 厳しくとも教わろう
石の上にも三年の考えが当たり前でしたが 今は金を
払っているからこっちがお客さんだよ という考えが主を
占めている感がします。 教える側も生徒に辞められたら
困る 生徒側から苦情が出たら上から叱られるという
意識があるのでしょうね。 昔は先生に対して敬うという
考えが当たり前でしたが 生徒の父兄からして
モンスターペアレンツなる言葉がまかり通る世の中に
なりました。私の息子も教える側の人間ですが教師に
なりたての22歳の頃は みっく・じゃがさんと同じような
ことを言っていました。今は慣れたのか?言わなくなりました。
その代り私立進学校の教師は大学合格で父兄の評価が
決まるという厳しい立場でもあります。
教える立場と習う側の意識が変わってきたのでしょうね
学校現場が一番先に狂ってきたように思います
習っている生徒さんの作品にもよっこらしょと持ち上げなければ去っていく。
月謝を頂く側のつらさ。時として言葉を半分にして
流しながら教えていく昨今になってきているのでしょうね
厳しくされるのは認めてくれているから、などと思っていました。
今、カルチャースクールとなれば、事務局で『楽しい手織り』などと名付けて、
「楽しい時間を作ってください」などと言われています。
見学の人から「好きな糸を持ってきて、好きなものを織りたいけどいいか」と言われたことがありました。
ひと口に糸と言っても、太いものから細いものまで、種類も違います。
つまり、それに合わせて私に特別「テキストを作れ」って言うことです。
こうなると、すでにカルチャースクールの域を脱していると思います。
他の人との兼ね合いもあるので断わりましたが、事務局からは苦情を言われました。
ただただため息をつくのみです。
昔のことを言うと「時代が違う」と一蹴されますが、どうなんでしょうか。
今の子どもたちは先生と、最初からタメ口です。それからして後は推して知るべし、ですね。
人生の一時期「だれかと敬語で接し、おそれ敬うこと」、を経験するのはとても重要なことだと思います。
写真が転回できないのはなぜでしょう。たまにほかのブログでも見かけます。
いつまで経っても、割り切れなくて愚痴ばかりこぼしています。
自宅の教室では、かなり言いたいことを言っていますが、
雇われているとそうはいかないものです。
写真の転回ができないのは、私の技術不足だけでしょうが、(フォルダの中でひっくり返してもここではダメ)
そのなんともできない状況が、まるで私の心の中のようで
「そうだ、そのまま載せよう!」と、もうヤケクソですね(笑)