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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

首長に教育権限を集中させる教育委員会制度「改悪」を考える

2013-11-02 20:26:58 | 集会案内
子どもに「教育への権利」を!大阪教育研究会の伊賀さんから例会のご案内をいただきました。以下、掲載します。どなたでも参加できるとのことですので、戦後教育がここまで瓦解されようとされている現状に声をあげる為にも是非とも多くの方々にご参加いただき、ともに知恵を出し合いましょう。

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子どもに「教育への権利」を!大阪教育研究会 例会のご案内

□日時 
2013年11月9日(土)18:00~21:00 
□場所 
アベノ市民学習センター 特別会議室
(地下鉄谷町線「阿倍野」下車、阿倍野ベルタ3階)
 
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▼例会案内

首長に教育権限を集中させる教育委員会制度「改悪」を考える

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 文部科学省の諮問機関「中央教育審議会」は、教育委員会制度を抜本的に
変更する「中間まとめ」を発表し「改革」案を2つ示しました。A案では、首長を教育行政の執行機関とし、教育長は首長の補助機関となり、教育委員会は首長や教育長から諮問を受けて答申を出す「諮問機関」となります。事実上、教育行政の権限は首長に集中し、現在の教育委員会は「解体」に等しい状態となります。B案では、首長が任命・罷免する教育長にこれまでの教育委員会の権限の大部分を委任し、教育委員会は教育長の事務執行について「日常的な指揮監督を行わない」としています。教育長の権限は絶大なものとなります。どちらも教育委員会の自立性と独立性を根本的に奪うことでは同じです。

教育委員会「改革」は、「大津いじめ」事件や「桜宮体罰」事件などで教育委員会へ の批判が高まったことを背景にして、自民党が一気に教育委員会の「独立性」を剥奪しようとして進められたものでした。政府の教育再生実行会議で「提言」されたのが B案に近いものでしたが、今回の「中間まとめ」は教育の「独立性」を究極の形で剥奪 するA案を強く推しだしています。
 
現在の教育委員会制度は、戦前の国家統制下にあった反省から、国家権力の政治介入の排除、一般行政からの教育行政の独立性、教育の地方分権と住民統制を原則として発足しました。戦後直後、教育委員会制度は教育基本法の具現化として重視されていましたが、自民党政権は1956年に教育委員会法を廃止し、「地方教育行政 法」を成立させ、教委育委員会制度を形骸化させていきました。現在の教育委員会
制度の問題点は、発足当時の原則に照らして総括されなければなりません。

今回の例会では、現在「中教審」で進められている教育委員会制度「改悪」はどのような内容なのか、「改悪」によって教育の「独立性」はどうなっていくのか、戦後教育の歴史的流れの中に位置づけて検討していきたいと考えています。
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山本太郎議員と天皇制

2013-11-02 05:41:38 | 渡部通信
古くて新しいものな~んだ?それは天皇制!皆さんはどう考えますか?渡部秀清さんの論考です。


昨日(10月31日)、山本太郎参議院議員(無所属)が秋の園遊会で天皇に手紙(原発事故に関する)を渡したことが大きな問題になっている。

特に、自民党の下村氏や維新の橋下氏などの右翼的な政治家が大きな声で「天皇の政治利用」とか「議員辞職ものだ」などと言って騒いでいる。

彼らはなぜこれほど騒ぐのか。ここに問題の本質がある。

一つは、山本議員の行動が彼らにとって非常に痛いものだったからである。
もう一つは、彼らにとっては天皇は一般国民に対しては戦前同様「不可侵」の存在にしておきたいからである。

そもそも天皇の政治利用は自民党が一番やってきたことである。
最近ではオリンピック招致に皇室を利用したことにもよく現れている。
そして何より、自民党を初め多くの国会議員が「日の丸・君が代」を「国旗・国歌」に法制化(1999年)したことに典型的に現れている。

国民主権の国で、天皇主権の歌を「国歌」にするなどあってはならないことである。これこそ「天皇の政治利用」の最たるものではないか。賛成した国会議員は、決して国民の代表とは言えない。「天皇の政治利用」「議員辞職ものだ」というなら、彼らこそ国会議員を辞職すべきなのである。

また、何人かの評論家も山本議員を批判している。その言い分は「象徴天皇制」を分かっていないというのが多い。しかし、その言い分は結局、下村氏などの発言と同じことになっていいく。なぜなら、下村らは「象徴天皇制」と言いながら、天皇を「不可侵」のものにしておきたいからである。

つまり、「象徴天皇制」の枠内での批判は現体制を擁護するものとなるのであり、結局のところ天皇を一般国民は「不可侵」のものとして崇めなければならないようなことになる。

しかし、現実は支配者らは堂々と天皇を利用している。そのことは、かつての園遊会で当の天皇が「強制はよくない」、と言ったにもかかわらず、「君が代」を強制しているところにも
よく現れている。

山本議員は自ら「保守ど真ん中」と言っており、「天皇に迷惑をかけた」などと言っているようなので、
天皇制をどう考えているかはよくわからない。しかし、今回の彼の行為は、やむにやまれぬものであり、
まさに田中正造の現代版であり、
原発事故に苦しむ人々の声を代弁したものであり、日本の子どもたちの未来を心配しての行動であったことは確かである。その点では山本議員にはそのことを前面に出して頑張ってもらいたい。また、私たちもそのことを前面に出して彼を支援すべきであろう。

評論家の中には、彼の行動は天皇制を強化することになる、と批判している人もいる。しかし、それはあたっていない。すでに天皇制は「日の丸・君が代」の法制化で強化されている。
そして、天皇「元首化」の方向に進んでいる。

今回の事の本質は、第一には、原発事故が起きても、事故などなかったかの如く「再稼働」を認めつつある国会、
被災者らを置き去りにして2020年東京オリンピックに与野党が賛成するような国会に対する痛烈な批判となったことである。だから国会議員の多くは山本議員を批判している。

また、第二には、「象徴天皇制」を
(結果的に)人民の立場から利用したことに対し、支配者側が慌て、危機感を抱き、天皇は「不可侵」のものであるという世論を作り上げようとしていることである。

「象徴天皇制」の枠内では闘えないところまで世の中が動きつつあるのであろう。
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