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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

危険水域に入った大阪の教育① ~歌わせたい教育委員会~

2013-05-31 22:22:19 | 中原教育長下の大阪の教育

昨年の卒業式で、教職員が「君が代」を歌っているかどうか、口元をチェックした和泉高校の中原校長を覚えていらっしゃるでしょうか?彼は橋下現大阪市長の友人であり、今では大阪府教育委員会教育長として橋下教育改革に一翼を担っています。いよいよ大阪の教育は政治による露骨なまでの管理と支配により、危険水域に入ったと言わざるを得ません。

                           

危険水域に入った大阪の教育

「不起立」の次は「不斉唱」

4月16日大阪府教育委員会は、入学式で司会を担当した府立高校の一教諭が「君が代」を歌っていなかったとして「厳重注意」を行ったと公表しました。中原徹新教育長は記者団に対し「職務命令を守る気がなかったと言われても社会通念上、仕方がない。府民をばかにした態度だ」と述べ、9月までに起立と斉唱を確認する客観基準の作成を目指す考えを示したとのことです。

「愛国心」教育

ここには明確かつ隠された意図があります。このニュースを見られた方は、多くの教員が「君が代」を歌い、この「歌っていなかった」教員は特別なのだと思われたのではないでしょうか。そうでなければ、この「歌っていなかった」教員だけが「厳重注意」を受けることはないわけですから。ところが、実際はほとんどの府立高校の教員は歌っていません。入学式や卒業式で「君が代」は歌唱入りのテープが流されるだけで、起立しているにせよ生徒も教員もほとんど歌っていないのです。つまり、大阪府教育委員会は、来春の卒業式に向けて布石を打ったということです。教員が一人残らず起立し斉唱するような形ができれば、たとえそれが虚像であったとしても、次は子どもたちへの強制が始まります。教員の「指導」や子ども間の集団同調傾向によって歌わざるを得なくなるのは明らかです。そうなれば、厳粛な儀式における「君が代」斉唱という全体性を通して個々の生徒の身体と精神には思考停止の「愛国心」が刷り込まれていきます。かつての歴史のように。

対話が失われた後には、

「日の丸」「君が代」問題が顕著になったのは1980代末からでした。昭和天皇が亡くなった1989年1月の始業式、正門には多くの職員の反対を押し切って半旗の日の丸が掲げられました。以来、年々強制は強まっていきましたが、それでも今から考えれば、あの頃の教育委員会にはまだしも対話の余地が残っていました。自由と権利の問題として論議された背景には大阪の人権教育があり、それが歯止めになっていたのです。ところが橋下知事(当時)は「君が代」起立斉唱をルールの問題にすり替え、条例と命令のもと、府立高校の教職員は「立つ」ことを強いられました。そしてそれは、「君が代」問題に限ったことではありませんでした。橋下維新体制は政治主導のトップダウンの教育改革を行うために「君が代」を利用したとも言えます。

教育は権利

教育は、国家のためにあるのではなく、一人ひとりが社会で生きるための権利としてあるはずです。ところが、国家のシンボルである国旗・国歌を学校で強制することを通して逆転が起ころうとしています。ちょうど今、憲法が国家ではなく国民を縛るものに変えられようとしていることと呼応するかのように。大阪の教育は危険水域に突入しました。「君が代」不起立は、それに対するシグナル。それほど今は危ない時代なのです。

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