昨日の6・28「コロナ危機と卒入学式」における大阪ネット黒田伊彦代表をのまとめを掲載します。
追記:一部事実関係に誤りがありましたで訂正しました。(7月30日14:33)
1 情報統制 思考停止 指示待ちのファシズムの萌芽状況-グローバル化とナショナリズム
ヒト・モノ・金が国境を越えて往来するグローバル化の中で、世界的に蔓延した新型コロナウィルスの感染の対応に、国家権力の専断的強化が策されてきた。安倍政権下では
①情報統制管理のため、個人は思考停止、判断停止が余儀なくさせられ、上(公権力)からの指示待ち状況が生まれた。
②三密回避や営業や経済活動の自粛要請に従わない者へ「自粛警察」と自称する国家的権威を背にして、投石や暴力的抑圧を加えるかつての関東大震災時の自警団的行為が横行した。
これらの状況を憲法に緊急事態条項を加え、政府に立法権を与え、移動や集会、言論の自由を制限し、人権抑圧を合法化する憲法改正の突破口にしようとする策動も行われてきた。マイナンバーと結び付けた銀行口座の申請の義務化、アプリによるコロナ感染者との接触通知。これらは監視と密告のファアシズムを受け入れる心情の形成である。
2 緊急事態宣言が解除され、6月15日から学校は一定の制限の下、通学授業が再開され、日常性が戻りつつあるが、新しい日常性の創造へ
新型コロナウイルス感染のパンデミック(世界的大流行)により、学校教育現場で日常的に押し込められている意識が顕在化し、子どもや親たちの心を把えはじめている。それは新しい日常を切拓く力になる可能性を秘めている。
人の命より「君が代」を強制する公権力を撃つ!
①コロナウイルスは飛沫感染するため、口をあけて唱うことを避けねばならない。しかも三密(密閉・密集・密接)を避け、卒業式を短時間で終わらせる必要がある。「君が代」(国歌)斉唱を削除しよう。不要不急だとの意見が盛り上がった。府教委に問い合わせると「不可」だという。止むを得ずT高では教室に分散し、「君が代」を斉唱したという。I特別支援学校は「君が代」を削除し、生徒の歌をハミングしたという。教職のみ斉唱した学校もある。
東京都教委も当初は「国歌斉唱を省略しても本年に限り不適切状況として扱わない」と通知しながら、直後に「国歌斉唱を行う方針に変更はない」と訂正した。(吉川衆議院議員の報告によれば、文科省も「君が代の吹奏は省略は困難」と答えていたとのこと)
入学式で大阪市教委は、CDで歌詞つき「君が代」を流させた。大阪府教委は「国歌については斉唱するもの」とした。命より国歌なのである。なぜこんな時にまで「君が代」斉唱なのか。生徒にも教師にも押し殺したような怒りが漂う。
②「君が代」は天皇の治世の永遠を願う歌である。「日本国の象徴たる天皇を敬愛することは、その実体たる日本国を敬愛することに通じるからである。」「国家を正しく愛することが国家に対する忠誠である。」とする1966年の中教審の「期待される人間像」の論理が貫かれている。国家への忠誠とは国家権力の命令に絶対服従、従わぬ者は「非国民」とする排除の論理でもある。
戦時中教育勅語体制の中で、「君が代」と「天皇陛下」との声を聞けば、咄嗟に直立不動をしたように、国家への忠誠表明の身体化というべき感情と意志の奴隷化としての『教化』に他ならない。『天皇教』への拝跪である。今後も、オリ・パラ教育を口実に天皇奉迎の小旗振りに子どもたちを動員することに、地域住民と共に拒否の闘いが要請されている。
アメリカの連邦最高裁ラグラス判事が「教育とは『囚われの聴衆』にあてたガバメントスピーチGovernment Speechに対する政府が冠した美称である。」と述べたが、正に至言である。
「唄わない自由も尊重されるべき」との大阪高裁判決の再確認!
③それ故2009年の大阪高裁の確定判決を再確認するべきである。曰く「国歌がになってきた戦前からの歴史的役割に対する認識や歌詞の内容から、君が代に対し負のイデオロギーないし抵抗を持つ者が、その斉唱を強要されることを思想・信条の自由に対する侵害であると考えることには一理ある。とりわけ『唱う』という行為は個人にとって情感を伴わざるを得ない積極的身体的行為であるから、これを強制されることは、内心の自由に対する侵害になる危険性が高い。したがって君が代を斉唱しない自由も尊重されるべきである。」と判示している。
④大阪府の国旗国歌条例の違憲性を問う「戒告処分撤回合同訴訟」の上告を、最高裁は棄却した。
1976年の旭川学テ判決では「政党政治に下で多数決原理によってなされる国政上の意志決定はさまざまな政治的要因によって左右されるものであるから…教育内容に対する…国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請される。」と断じている。大阪維新の会の多数決によってつくられた条例の違憲性は裁かれるべきなのだ。大阪府の国旗国歌条例撤回を!
国際規範で日本政府を糾弾!
⑤国連自由権委員会は「旗およびシンボルに対して敬意を払わないことも表現の自由である。」とし、また「公共の福祉というあいまいな概念で思想・良心・宗教の自由や意見・表現の自由を制約してはならない」としている。この自由権委員会に、今秋提訴する文書を整えている。
ILOとユネスコの「セアートCEART勧告」は、「消極的で、混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で教員団体との対話する機会を設けるように」との勧告を行っている。が日本は各教育委員会に和訳文書も渡していない。3月にセアートの委員会に意見具申をした。同委員会は2021年10月に結論を出したいので、早急に日本政府に見解を求めると回答されている。
3 服務規律違反から「踏絵」による思想弾圧への闘いへ
「日の丸・君が代」への起立斉唱は「慣例上の儀礼的所作」で皆がやっている事だから、やらないのが非常識だという服務規律であるとする論理は、処分が取り消されても再任用しない。「職務命令に従う」と意向確認書に書いても「信用できない」として再任用しないという事実のように、思想差別へエスカレートしてきた。憲法19条の「思想・良心の自由の保障は、公権力に内心を推知せしめない「沈黙の自由」の人権保障なのだ。
個別案件の焦点をめぐって
S さん…体調不良による不起立を罰する。即ち起立斉唱を強要することは、校長の職場における職員の健康管理の不履行であり、奴隷的苦役の強要という憲法違反行為といえる。
Msさん…教育長通達は、「日本人の自覚の育成」を外国籍の生徒にも強要している。現代版皇民化教育・同化教育である。しかも入学手続説明会の時手渡す文書には「本名を名乗れる環境作りに努める。」とあり、真逆の方針が公にされている。この二重基準の矛盾の追及が必要である。
U さん…「卒・入学式での君が代の起立斉唱の職務命令に従います。」との文言を削除させ、意向確認書が「思想差別」であることを明らかにしてきた。教員以外の公務員の再任用には意向確認書を取っていない。弁護士会の人権勧告の実践点検による意向確認書の撤廃から国旗国歌条例の撤廃へ。
Mtさん…大阪市の人事委員会審議にむけて、処分決定過程の情報開示要求とセアートへの要請後スイスからの帰国時、政府の欧米からの帰国者はコロナ感染予防のため、2週間の自宅待機要請があるのに、校長の自宅研修承認を市教委は撤回させ、8日間の欠勤扱いとし、給料の払い戻しをさせた件の糾弾の闘い。
O さん…障がい児の介助のため、不起立で着席するのは「合理的配慮」の行為である。連続3回の職務命令違反は免職との警告書を撤回させる。
4 新しい意識変化を運動へ
コロナ危機による学校閉鎖の3か月余の中で、子ども・保護者・社会も、学校をめぐる意識が変化してきている。この意識変化に依拠し、運動をつくり出し、具現化していくべきである。
①子ども自身が学校へ行って教育を受けることを、義務や強制と捉えていたことから、権利としてとらえるようになった。学習の権利保障のため、学力世界一のフィンランドの1学級20人定員のように、少人数学級の実現のため、教員の増員や施設増設・統廃合阻止も課題となる。
②学校における教育が、ペーパーテストで点数化される学力の習得だけでなく、「友達と話したい、遊びたい」という子どもたちの声があるように、人間同士の接触、集団の教育力で培われる人格力への期待が広まり深まっている。
全国学力テストや中三生のチャレンジテストは、今年度は中止になったが、廃止させ差別と選別の競争の市場原理を学校から追い出そう。
③オンラインによる学習は、その条件が整えられる家庭環境によって学力格差が助長されている。それを解消し、広く教育の機会均等の保障の原則の実現が、新しい課題となってきている。対面授業を重視し、教師の多忙な長時間労働をしなくてもよいようにし、文科省が自ら提唱している「対話的で主体的な深い学び」の、アクティブラーニングが行える条件づくりをさせることが必要である。
④これらの諸課題について、7月24日の第10回「日の丸・君が代問題等全国学習・交流会-コロナ危機で明らかになった教育の大分岐ICT・オンラインでええのん?-今こそ子どもと向き合う学校を!!-」の講演とパネルディスカッションで、その解決のための運動化の方策を明らかにしようではありせんか。