大阪ネット事務局の恩地庸之さんからうれしいメールが届きました。地域の市民団体が小・中学校での「君が代」斉唱をやめるよう、子どもに強制しないよう市教委に請願書を提出した報告でした。
子どもたちへ「指導」とういう名で事実上「君が代」斉唱が強制される実態が進んでいます。「君が代」強制はいよいよ最終ステージに入りつつあります。つまり、教員にこれほどまでの強制が行われる、その最終の目的は子どもに、それこそ一人を残すことなく日本のすべての子どもに「君が代」を斉唱させることにあります。
その先にあるものを考えるとき、これは教員だけの問題ではなく市民の問題でもあります。あぶネットのように、様々な地域で市民から教委へ働かきかけてはどうでしょうか。下記に恩地さんからのメールを請願書とともに掲載します。
「教育があぶない!北摂市民ネット」(あぶネット)では、1月22日、箕面市教委に下記の内容を求める請願書を出しました。
1.箕面市立小・中学校での子どもたちの「君が代」斉唱をやめること
2.少なくとも、現在行なわれている下記の行為をやめること
1)「指導」の名の下でなされている生徒に対する「君が代」斉唱の強制
2)卒業式および入学式において、子どもたちがきちんと「君が代」を斉唱しているか否かについて貴教育委員会が行なっている調査・点検行為
この「1」は、市は”国の「学習指導要領」に従う”として”門前払い”の可能性があることについて会内で検討しましたが、やはり私たちの思い、原則は打ち出そうということで、入れました。
審議は、2月10日(月)の市教委2月定例会です。開始時間は2時30分です。通常は、遅くとも4時半頃には終わるそうです。不確定ですが、請願の議案は早いうちに入りそうです。
箕面市議会は維新は無論、民主も含めて君が代斉唱、教育への政治介入に熱心です。教育委員も昨年、任期を残して(ほとんどが多分、市長、市長派の”お友だち”委員に)全員変わりました。
ご都合のよい方の傍聴をお願いできるようでしたらありがたいです。
請 願 書
箕面市教育委員会 様
教育があぶない!北摂市民ネットワーク
平素のご公務、ご苦労様に存じます。
以下の請願をいたしますので、よろしくお願い申し上げます。
【請願内容】
1.箕面市立小・中学校での子どもたちの「君が代」斉唱をやめること
2.少なくとも、現在行なわれている下記の行為をやめること
1)「指導」の名の下でなされている生徒に対する「君が代」斉唱の強制
2)卒業式および入学式において、子どもたちがきちんと「君が代」を斉唱しているか否かについて貴教育委員会が行なっている調査・点検行為
【請願理由】
1.「日の丸・君が代」は、わが国が大陸・アジア諸国への侵略戦争を進めるシンボルとして永きに亘って
掲げられ利用されてきたものです。この侵略行為は、それらの国々の一般民衆への殺戮、強奪、強姦、人間性の破壊・冒涜等凄惨を極めたものでした。この被害国ではない、また現在の一番の友好国でもある米国からでさえ「残虐性と規模において前例のない20世紀最大規模」と言われるものでありました(日本軍「慰安婦」問題に関する2007年7月米国下院決議)。この侵略戦争への反省から、これらの象徴物を敬う行為に対する反対、嫌悪感と、強制に対する強い批判が巻き起こって久しい年月が経ちます。
これらの象徴物にはこうした歴史と、それを推進してきた思想が抜き去りがたく込められています。このことを真剣に思慮するなら、このような象徴物を敬う行為は直ちに止めるべきであり、そして、本来的にはこれらは廃棄をするという決断をすべき事柄であります。そうではなく逆に、これを敬う政治、制度を進めるに至っては、これは単なる時代錯誤では済まない、戦争の反省の上に立ってつくられた思想及び良心の自由、表現の自由など各種精神的自由権を保障したわが国最高法規範としての憲法(19条)の内実を国民から奪い、国民を思考停止させ権力に盲従させようとする、民主主義と逆行するシステム構築に向かう大きな危険を孕んだものといえます。また、かつて巨大な犠牲をもたらした被植民地各国をはじめとした人たちの怖れと悲憤を再び呼び、警戒を招いて日本自らの国際的孤立を招くものでもあります。このように、それは暗黒政治の復活の始まりに至る由々しき事態であると考えられ、反対意見は、こうした大きな危惧によって広く存在し、また起こり続けています。
また、千代に八千代に・・苔のむすまで」との「君が代」の歌詞は、かつて国定教科書で教えてきたよう
に、「天皇陛下のお治めになる世の中がずっと続きますように」との意味であるとしか考えられません。民主主義の時代に、なぜ、こんな歌を歌わされなければならないのでしょうか!?「君が代とは・・天皇を象徴とするわが国のこと」云々との( 時代の概念を表す言葉を「国」という概念におきかえる)政府の説明は、どう考えても詭弁と言わざるを得ません。このような説明を子どもたちにすれば、科学的思考を養うべき教育の使命とは真逆に、子どもたちに「大人の社会ではこじつけが『正論』として通るのだ」と教えてしまうことにもなろうと思います。
以上のように、教育の場で、これらの象徴物を敬うよう教えるなどもってのほかの行為であり、こうした学校での「教育」行為を直ちにやめることを要請いたします。
2.しかし箕面市では、貴教育委員会の説明では例年、卒業式・入学式において教師のみでなく子どもたちが「君が代」をきちんと歌っているかどうかを、貴教育委員会 (事務局職員)が市立全校に出向いて調査、点検をするということまで行なわれています。
上述のように「君が代」斉唱は個人の思想及び良心の自由にかかわる問題であります。
学校では、宗教上の問題や在日外国人家庭である場合等の諸事情や個人の思いによって、「歌いたくない」子どもたちがいることが当然推察されます。貴教育委員会は「そのような場合には当然配慮する」と説明されますが、子どもたちが自由に意見や希望を述べられる条件、雰囲気を作るための方策、また、そのような意見、希望が子どもたちから出された場合の対応について、その「配慮」の具体的中身の説明は全くありません。ただ「指導する」との繰り返しの説明であります。これは、やはり(貴教育委員会や学校現場での意図は仮に別としても)、これらの子どもたちへも強制がなされているとしかいえない状況であろうと思われます。
自治体は、その教育施政は国の方針に沿うとの姿勢を示しますが、国歌・国旗に関する法律は、これが「日の丸」「君が代」であることを定義したに過ぎず、この掲揚や斉唱を義務づけたものでは全くありません。同法の制定時にも、総理大臣が「新たに義務を課すものではない」との談話を発表(1999年8月)していることは周知のとおりです。
また判例においても、学習指導要領には「教師に対し一方的な一定の理論ないしは観念を生徒に教え込むことを強制するような点は全く含まれていない」とし、教師の「起立斉唱の有無を管理職が確認する体制」は、この要領の「大綱的基準」を越える教育に対する「不当な支配」であり、これを違憲としています(旭川学テ最高裁判決、1976年)。また東豊中高校での不起立教師への処分をめぐる2009年大阪高裁判決では「・・とりわけ『唄う』という行為は、個々人にとって情感を伴わざるを得ない積極的行為であるから、これを強要されることは、内心の自由に対する侵害となる危険性が高い。従って、『君が代』斉唱しない自由も尊重されるべきである」としています(これは確定判決です)。教師に対する強制においてさえかかる司法判断があるのに、「職務命令」には関わりのない子どもたちへの強制については何をかいわんやでありましょう。
国連でも、自由権規約委員会において2011年7月、「旗やシンボルに敬意を払わないこと」を理由に人権を制約することは許されないとの意見書を採択しています(当時、こうした強制が社会問題化している国は他にないことから、これは日本の「日の丸・君が代」強制を念頭に置いたものと解釈するしかないものです)。
箕面市も、関連法規や「君が代」斉唱の条例を設けた大阪府の方針を尊重するとのことでありますが、いうまでもなく、法的規範としては憲法が最高規範であり、また箕面市が「人権のまち推進基本方針」を遂行するにあたって「基本」の一つとしている「児童の権利に関する条約」=国際条約も同様に規範力の高いものであります。規範性は以下、法律-条例と順に低くなり、したがって法律や条例が憲法に違反していれば、その実効性は本来持たないものと解釈されるべきであります。
私たちは、法的な面においても箕面市がこうした基本的考え方、姿勢に立って市政を実行されることを強く望みます。「箕面市子ども条例」では「市と市民は、子どもの成長に応じて、表現の自由と意見を表明する権利を尊重する」(第8条)と謳っています。いうまでもなく「表現の自由」の尊重は、「表現することを強制されない」自由の尊重でもあろうと思われます。
「君が代」斉唱は、教育の場において強制されるべきでない、いや、教育の場であるからこそ、これは「人間の思想、内心にかかわる問題であり、各々がこの問題について考えてみよう」と教えるべき事柄であろうと考えます。
以上、学校での「君が代」斉唱の「指導」は実際上は強制となっており、こうした強制は直ちに止めることを求めます。
また、貴教育委員会による各学校への調査・点検は、斉唱が不十分な学校には「指導」を重ねる方針だとされており、この「歌うまで指導」するというのも、やはり「指導」という名の強制でしかなく、こうした点検行為を直ちにやめるよう求めます。しかも、教育現場への教育委員会による監視としか見えない、こうした直接的な関与は威圧感を伴うことは避けられず、卒業式・入学式の場を国家儀式まがいの重苦しい場にすることになお拍車をかけるものと考えます。卒業式・入学式を、子どもたちや地域の主体性を尊重し、めでたく送りだし、また迎えるという本来の主旨の場にするよう貴教育委員会が務めていただくことを要請いたします。
以上
2014年1月22日