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グループZAZA

「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

大阪府教育委員会 人として、これは許されることではありません。

2013-03-16 21:06:59 | 当該から

2月19日、再任用「否」の結果を校長から聞きましたが、納得いかず翌20日に大阪府教委を訪れました。応対した教職員室教職人事吉岡参事からは、「勤務実績、勤労意欲、心身の状況等から総合的に判断した」と説明を受けましたが、到底納得できませんでした。志水(辻谷)博子

再任用にあたって、校長は府教委に内申書を提出します。内申書は大きく分けて4つの要素で構成されています。<人事評価>、<懲戒処分の履歴>、<病気休暇・休職の履歴><勤務実績等>の4つです。

吉岡参事が再任用「否」の理由としてあげたのは、校長が記載した内申書の4つ目の項目つまり<勤務実績等>でした。

しかし、校長は日頃から私の「仕事」について評価していると言っていましたので、校長がマイナス評価を記載したとは思えませんでしたが、しばらくは疑心暗鬼にとらわれました。

2月28日再任用審査会議事録のうち私の個人情報に関する部分の開示請求を行いました。

3月14日下記内容が開示されました。これを見て愕然としました。

平成25年度再任用教職員採用審査会議事録 

平成25年1月29日(火)開催

◆出席者:教育監(会長)、教育次長(副会長)、教職員室長(委員)、教育振興室長(委員)、市町村教育室長(委員)

案件⑦志水博子

(審査結果)

平成24年度入学式における国歌斉唱時の不起立により、平成24年4月25日戒告処分。この件にかかる研修終了後の意向確認において、今後上司の職務命令に従う意思を示さず、意向確認書の文言を『教育公務員として、日本国憲法を遵守し、その精神に則り、今後も精進を続けていきます。また「子どもの権利条約」をはじめとする国際条約に鑑み、自らの人権、子どもの人権が侵害されることのないように努めます』と修正して提出。

上司の職務命令や組織の規範に従う意識が希薄であり、教育公務員としての適格性が欠如しており、勤務実績が良好であったとみなせない

以上により総合的に判断して、再任用選考結果を「否」とする。 

 

 

「意向確認書」初めて聞く言葉でした。しかし、それが、あの折の怪文書を指すのだとピンと来ました。

2012年4月25日、大阪府教育委員会は入学式不起立であったことで、戒告処分をくだしました。その処分伝達が終わり、20分ほどの研修を受け、校長ともども、別室に案内され、そこで奇妙な文書が差し出されました。

A4版1枚の次のような記載内容のペーパーでした。

今後、入学式が卒業式等における国歌斉唱時の起立斉唱を含む上司の職務命令には従います。

 

平成    年    月    日

所属

職・氏名                             印

 

そして、担当官吏は間違いなくこう言ったのです。

「これは提出しても提出しなくても、また文言を変えて提出してもかまいません。どうされますか。」と。

宛先すら記載のない、誠に奇妙は文書であり、そして奇妙なやり取りでした。

次の日から旅行に出る予定をしていた私は、とりあえず持ち帰ることにしました。

そして、旅行から帰ってしばらくして、出すか出さないかの確認がありました。

たとえ職務命令であったとしても国歌斉唱時の起立斉唱をここで誓うことはできません。

しかし、研修を受け、府教委になんらかの態度表明が必要とあらばと、それに文言は変えてもよいと聞かされていましたので、次のように書き校長に提出しました。校長はそれを受け取り府教委に提出しました。

教育公務員として、日本国憲法を遵守し、その精神に則り、今後も精進を続けていきます。また「子どもの権利条約」をはじめとする国際条約に鑑み、自らの人権、子どもの人権が侵害されることのないように努めます

提出後、校長からも府教委からも指導や書き直しを指示されるようなことは一切ありませんでした。

ところが、その1枚の文書が再任用「否」の理由になっていたのです。

率直な気持ちを言えば、これはだまし討ちです。ペテンと言ってもいいでしょう。詐欺と言っても構わないかもしれません。初めから巧みに仕組まれた罠だったのです。こんなことが許されていいものでしょうか。

まず、「意向確認書」とは銘打っていませんでした。おそらく府教委はそれを記載すれば、何の意向を確認するのか?と質問されることを恐れたのでしょう。

そして、出しても出さなくても文言を変えて出してもよいと任意であることを強調しました。これには二つの理由が考えられます。一つは、これを強制すれば「思想改造」を迫る、つまり憲法に違反が後々問題になることを避けたかったのではないでしょうか。もう一つは、それはあまりにも倫理に反することなので考えたくはありませんが、下世話な言葉で言えば「はめる」為に任意であることを強調し出させないように仕向けたとも考えられます。

私は文言を変更しただけで「職務命令は組織の規範の従う意識が希薄」と判断されたわけですが、提出自由と言いながら提出しなければ、同じように判断されたと思われます。つまり、任意と言いながら、不提出や文言を変えた場合の結論は、再任用「否」等予め用意されていたわけです。

こんな詐欺まがいの行為を、苟も大阪の教育行政をつかさどる教育委員会がするなどとは、信じられない思いでいっぱいですが、あまりにも情けない行為だと言わざるを得ません。私たちに必要なのは「対話」なのです。「命令」や「強制」の行く着く先にはこのようなことが起こるのです。

3月19日、再度大阪府教育委員会教職員室教職人事吉岡参事のもとを訪れ、真意を問いたいと思います

 

 

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君が代不起立減給処分伝達「警告書」の不思議?!

2013-03-13 23:31:23 | 当該から
3月12日、大阪府教育委員会教職員室教職員人事課中野伸一課長は、「減給」の辞令を渡した後、「警告書」という文書を私に差し出しました。この文書は何のために?誰に対してなされた「警告」であるのか?不思議なものです。
 
 
「警告書」の不思議

一昨日(3月12日)、大阪府教育委員会から「減給」の辞令を受けた際、「警告書」なるものを渡されました。そこには三つの項目が記載されていました。

1 昨年の入学式、あなたは、「君が代」斉唱時不起立により「戒告」の懲戒処分を受けた。

2 今年の卒業式、あなたは、「君が代」斉唱時不起立により「減給」の懲戒処分を受けた。

そして、それに続けてこうありました。、ここは原文通りに記載しておきます。

3 このことから、職員基本条例第29条第2項の規定に基づき、今後、あなたが同一の職務命令に違反する行為を繰り返した場合、地方公務員法第28条第1項第3号の規定により免職することがあることを警告します。

ちょっと、待ってほしい。私は3月末で定年退職。しかも府教委は私の再任用を拒否している。ということは、私が入学式や卒業式で「君が代」起立斉唱の職務命令を受ける機会など金輪際ありはしないのだ。それがわかっていながら、わざわざ、今後職務命令に違反すれば免職することがあると警告がなされる。なんとも不思議な警告書ではないか。

しかし、このトンチンカンの「警告書」には府教委の意図がある。つまり、対象は私ではないのだ。私をだしにして、多くの教員に「君が代」不起立は免職までいくと敢えて公言し職員基本条例を誰かの印籠のごとく掲げてみせるのだ。なんとも時代がかった遣り方ではないか。

こういう遣り方も本来は禁じ手であるはずだ。処分伝達が個人についてなされた以上、もしも、「警告書」を出そうというなら、個人に対して有効なものでなければならないはずだ。ところが、これは私個人に対して全く無効な警告である。これは大阪府立学校全教員に対する「脅し」として発出されているとしか考えようがない。
 
明らかにこれは、表現の自由を奪おうという「脅し」なのだ。府教委はすでに教育行政として倫理を失ってしまっている。あなた方が、そうやって多くの教員から表現の自由を奪って大阪の教育はよくなるだろうか。恐怖政治さながらのそんな手法を駆使してまで、一体なんのために「君が代」を歌わせたいのだ。

問題は「君が代強制条例」なり「職員基本条例」にある。そもそも違憲の条例に従えば恫喝をもってしか対応できなくなるのだ。「君が代」を使い教員を絶対服従させようとする狙いは子どもたちからも表現の自由を奪おうというところにあるのではないか。

かつて、三浦朱門が斉藤貴男にインタビューに答えて言った「でけんものはでけんままでけっこう。従順な心さえ(学校で)養ってくれれば」--その「実践」が教員に課せられることになっていく。

「君が代」l強制はたんに「君が代」だけの問題ではない。「君が代」という装置が何を学校にもたらすのか、教員と市民がされに対話していく必要がある。

 

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教員が教え子の卒業式に参列するのはあたりまえのこと

2013-03-12 22:33:03 | 当該から

教員が、教え子の卒業式に参列することが、なぜ「悪質」と言われなければならないのでしょうか。

卒業式答辞「○○高校で過ごした3年間、無駄なことなど何一つなかった」という言葉を聞き、彼彼女たちは巣立ってくのだと実感しました。

「君が代」不起立を咎められ、校長に出した顛末書をどうかお読みください。

顛 末 書

瞬く間に、定年までの最後の1年が過ぎ去りました。

およそ1年前、私にとって最後となる新入生を迎え○○高校第9回入学式に参列しました。国歌斉唱時、私は立ちませんでした。そしてそのことにより戒告処分を受けました。また、再任用を希望していたにもかかわらず、「否」とされました。国歌とりわけ“君が代”の恐ろしさを目の当たりに見た思いがしています。つくづく恐ろしい時代がやって来たと痛感しました。なぜ、立てなかったのか、そのことについては昨年提出しました顛末書ならびに顛末書追加資料に記載した通りです。弁明が認められず、結果、私は昨年4月25日戒告処分を受けました。しかし、決して後悔はしていません。私は、たとえ処分を受けることになっても入学式に参列することができてよかったと思っています。入学式の折、私は私なりに新入生が一堂に会したありさまと向かい合い、残されたあと1年の教員生活をスタートする心の拠り所とすることができました。学校と言う場において、4月とはそういう意味合いを持っているのです。

さて、2013年2月25日、校長は職員会議において昨年通り役割分担表を示し、式場内勤務の教員に、国歌斉唱時に起立し斉唱するように職務命令を発出しました。

私は、「これは異常なことだ。様々な考えを持つ教職員全員に、国歌斉唱時に『立て、歌え』という職務命令を出すなど極めて異常な事態である。次に来るのが、生徒への起立斉唱の強制であることは目に見えている。全教職員が内心はどうあれ起立斉唱すれば、後は、教員の「指導」によって生徒は難なく立ち、歌うだろう。学校でナショナリズムが身体を通して植え込まれていくとき、少数者の存在を許さない極めて危険な時代を生み出すことになる。再び学校が子どもたちを戦争に駆り立てていく時代が目に見えて近づいてきているのではないか」と意見を述べました。本当に、こんな時代が来るなんて正直今でも信じられない気がしています。

話を戻します。3月1日の○○高校卒業式、(余談ですが、いつから『卒業式』が『卒業証書授与式』になったのでしょう。「卒業式」の果たす役割は、私が府立高校教員として在籍したこの38年間で実に大きく変遷していますが、時間がないゆえ、ここではそのことに触れません)第7期生卒業式において、私は国歌斉唱時に起立をしませんでした。事の顛末をできるだけご理解いただけるようお話したいと思います。

そもそも、私は、○○高校第7期生入学時担任を希望していました。では、なぜ希望通り担任ができなかったか、少し長くなりますが、前任校●●高校で起こったことから、○○高校で起こったことをかいつまんでお話ししたいと思います。

2003年、●●高校で100周年記念行事が執り行われました。式次第には「国歌斉唱」が入れられることになりました。当時、私は●●高校第57期2年生の担任をしておりました。また、東京都では教員に対し君が代起立斉唱を職務命令でやらせよと言う、いわゆる「10.23通達」が問題となり、学校における国歌国旗の強制は社会問題ともなっていました。人権教育係として私に何ができるだろうと考え、かかわる2年生に対し、憲法で保障されているところの「立つ・立たない、歌う・歌わない」の選択の自由を記載したプリントを配布しました。生徒たちは自らの選択で起立・不起立を選んだようでした。ところが、私はこのことによって、●●校長(当時の●●高校長)から、呼び出され、強い叱責を受けることとなりました。校長は厳しい口調でえ「これは自分に対する人権侵害である。こんなことをしてもらったのでは、本校で勤めてもらうことはできない」と私を責めました。私も私の思いを述べましたが、残念ながら理解していただけませんでした。校長の言葉に恐怖感を持ち、私はその後大阪教育合同労働組合に加入しました。

2005年春、担任する●●高校第57期卒業式を前にしたある日、私は担任するひとりの生徒から相談を受けました。「自分は卒業式予行の折、校長に、国歌斉唱時座ってもよいか質問をしたいと思っている。先生、サポートをしてほしい」と。内容のいかんにかかわらず、意見表明の重要性は国語の授業や人権学習を通して私自身が述べてきたことです。私はふたつ返事で引き受けました。そして、予行当日、彼女の質問になかなか答えない校長に対し、「どうか、彼女の質問に答えてあげてください」と発言しました。他回答を求めた卒業生もおり校長は、すわる自由があると答えました。本番の卒業式において、式は滞りなく進みました。国歌斉唱時には、たしか、担任席では半数の教員が、そして卒業生席では、数ははっきりわかりませんが、かなりの生徒(1~2割ぐらいの生徒でしたでしょうか)が、いわゆる「不起立」(国歌斉唱時に立たないこと)でした。

ところが、年度末思いもよらないことが起こりました。「評価・育成システム」の開示面談において、●●校長から、「あなたの能力評価はCとした。理由は、卒業式における君が代のことだ」と告げられました。納得がいかず、評価について苦情申出を行いましたが、結果は、校長評価は妥当である、とのものでした。「不起立」の教員は他にもおりましたが、C評価は●●高校で唯一私だけでした。卒業式国歌斉唱について質問した生徒に答えてあげてほしいと発言しただけで極めて低い評価がつけられ、苦情審査においてもその不当性を認めてもらえない。それが“君が代”のなせる業なのでしょうか。私はこのとき職業倫理すら失った教育行政のあり方に、改めて“君が代”の恐ろしさを感じました。

多くの方々からお知恵を拝借し、私は大阪弁護士会に人権救済の申立を行いました。同僚や保護者からも支援をいただきました。なにより嬉しかったのは、C評価は不当なことと声をあげる教え子たちがいたことです。正直、教育行政のあり方に幻滅を感じていたときだけに、応援してくれる教え子たちの存在に私は何よりも励まされました。

2008年秋、大阪弁護士会が大阪府教育委員会と●●高校校長に対して、「C評価は、申立人の思想・良心の自由を侵害するものであるから撤回せよ」と勧告を行いました。私は学校内外で、この弁護士会勧告を知らしめました。そして、勧告の実施を大阪府教育委員会と校長に迫りました。ところが、撤回はせず、大阪府教委委員会は当時2年生担任であり、次年度は引き続き3年担任への持ち上がりを希望していたにもかかわらず、突如、私を○○高校に異動の辞令を出しました。勧告を事実上葬り去り、そして3年担任として私が●●高校62期卒業式に参列することを阻止するための人事異動だとしか思えませんでした。納得はできませんでした。このような形で人事異動が行われること自体が許せませんでした。人事委員会に不服申立をしたものの俎上にさえあげられませんでした。

2009年4月、私は○○高校に赴任しました。2年目には通例にしたがって担任を希望しました。国語科でも、第7期生の担任として入試業務なども担当することになりました。ところが、任命制人事のもと、当時の△△校長は私を人権教育委員長に任命し、またしても、私は担任から外されました。話は戻りますが、赴任したその日に△△校長は前任校の●●高校▲▲校長から私のことは聞いている旨の話がありましたので、担任から外されたとき、すぐわかりました。入学式・卒業式で国歌斉唱時に不起立であることが予想される私を排除したかったのです。“君が代”とは一体何なのでしょうか。卒業式や入学式で国歌斉唱時に「不起立」であることはそんなにいけないことなのでしょうか。

2010年4月、私は人権教育の係として、新入生に人権とは何かについて話をしました。7期生とは、そういった人権学習を通して関わり続けて来ました。また教科担当としては、1年次は7クラス中6クラス「現代文」や「古典」を通してかかわって来ました。2年次は、副担もはずれましたので「基礎国語」2講座だけになり、3年次では、わずか「現代文探求」1講座だけになってしまいました。それでも、定年を前にして3年間かかわって来た○○高校第7期生は私にとって忘れがたい生徒たちです。

昨年4月、入学式国歌斉唱時不起立で戒告処分を受けましたが、到底納得できるものではありませんでした。たとえ条例ができ職務命令が発出されたとは言え、それに従うことは絶対的なことなのでしょうか。その条例や職務命令が違憲・違法の可能性をもったものであったとしても従わなければならないのでしょうか。自らの良心に照らし合わせて

(この場合の「良心」とは道徳的かつ一般的常識的なものではありません。人一人ひとりが生きていくときにこれだけはどうしても譲ることのできないといういわば「背骨」のようなものです)従うことができない場合でも、自分の良心を捨てて、つまり自分の精神を自ら殺してでも従わなければならないものなのでしょうか。

人権教育において、差別を許さない取り組みの中から生まれた「近畿統一応募用紙」の精神を活かす取り組みは、広く大阪の人権教育のなかで行われて来ました。違反質問があったとき、何と答えればいいか多くの高校生は悩みます。質問に答える方が有利ではないだろうかと。それに対して、「自分は被差別出身ではないからと答えることは、差別を許すことにつながっていく。できれば学校から答えなくてよい、と指導されています」答えては、等の指導をします。おかしなことに対して声をあげていくことは難しいけれど、差別や偏見を許せばそれに加担することにひいてはつながっていくことを様々な事例や教材を通して私は話し続けて来ました。それだけを考えても、学校に国歌国旗が強制されることの危険性を母の話や自分自身の高校生時代の体験を通して人一倍認識している私は、国歌斉唱時に内心と切り離して立ち歌うことなど到底できることではありません。それをすれば、私は、私自身の精神を自ら殺すことになります。

では、参列しなければよいのでしょうか。それも私にはとても奇妙なことに思えるのです。予め、国歌斉唱時には起立するとの確認できた教員しか参列できないとすれば、一体卒業式とは何なのでしょうか。つい数年前までは、「お手すきの先生方はできるだけ卒業式に参列し卒業を祝ってやってください」と言われていたのに、今では、厳しい思想検閲を受け、それを突破したものだけが卒業式に参列できるなど、どう考えてもおかしな事態です。

昨年処分を受け、ただいま、人事委員会に不服申立を行っていますが、私はできれば君が代強制の問題をはじめ様々な課題を、生徒と直接日々かかわっているから現場の教職員と話し合いたいと思って来ました。しかし、教員管理が年々徹底していく中では、自由な論議は望めません。まして“君が代”問題で処分を受けたとなると、どうしても「見ざる聞かざる言わざる」という形で他の同僚たちが身を守ろうとするのは仕方がないことだと思います。強制異動や人事査定でどのような報復措置を受けるかわからないような現場の有様です。私はこのことに対しても強い怒りを禁じ得ません。   

私は、3年間、いろんな形でかかわってきた第7期生の卒業式に参列したいと考えました。本来なら、校長を説得する必要があったかもしれません。誰かに役割分担を変更してもらう道もあったかもしれません。しかし、役割分担と起立斉唱の職務命令が出ている以上は、私は、できるだけ他の現場の教員に被害が及ばない形で参列したいと考えました。

そして自らの意思で卒業式に参列しました。3年生答辞のなかに「○○高校で過ごした3年間、無駄なことなど一つもなかった」とありました。そう第7期生一人ひとりにいろんな出来事があったと考えます。彼彼女らは、それを糧に生きていくでしょう。この言葉を聞くことができただけでも、たとえ、処分されるようなことになろうとも、私は卒業式に参列できて本当に良かったと思います。

縷々述べて来ましたが、申し述べたいことはまだまだあります。

なぜ、大阪がこのような事態に陥ったのか、“君が代”をそこまでして徹底させようとする狙いは何なのか、今後も考え続けていきたいと思います。

なお、取り急ぎしたためました文章ですので、誤字脱字等ありましてもご容赦をお願いします。

2013年3月7日

辻 谷 (志 水) 博 子

 

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大阪府教委、最高裁判決も無視!立たないというだけで減給処分を強行

2013-03-12 22:18:04 | 当該から

大阪府教育委員会はついに一線を越える過ちを犯しました。あの悪名高き東京都教委の累積加重処分にストップをかけた最高裁判決をも無視して、入学式に引き続き卒業式に参列し「君が代」斉唱時に立たなかったというだけで減給1か月の処分をくだしました。

 

「君が代」不起立減給処分 当該からの報告:辻谷博子

本日は大阪府立高校後期入試採点日、全教員総出で採点、点検にあたるひじょうに大事な日です。大阪府教委は、よりにもよって、そんな日に、卒業式「君が代」不起立第1次処分を強行しました。

3月4日府教委が公表した7校9名への処分伝達と研修が、仰々しくも、またある意味茶番的な様相を呈するなか、官吏たちの手によって営まれました。

処分伝達は、それぞれ個別に、校長同席のもと、実に恭しく行われましたが、そこには一切「対話」はなし、まさに権力的な一方通行のベクトルの磁場のみが作用する場が用意されていました。周囲には何と多くの府教委官吏たちが配置されていることか!

そして、私に下された処分は減給10分の1、1ヶ月処分。

どうやら府教委は私を血祭りにあげ多くの現場教員への見せしめに使うつもりのようです。

本日3月12日は、大阪府教委が東京都教委を超えて人権侵害を行うことを宣言した日として記憶してください。

彼らはどうやら本気のようです。ならば、こちらも本気で闘いましょう。

何が何でもなりふり構わず「君が代」不起立教員を排除しようとする府教委の有様は見苦しくもあり、滑稽ですらあります。しかし、これをこのままにしておくことはできません。

私は、処分辞令交付役府教委人事課中野課長に質問の希望を伝えるも、それすら認めてはもらえませんでした。

さて、あとの方々の戒告処分については追って報告を待ちます。

処分伝達が終わった後は20分にも満たない形式的な研修、しかも、一切の質問を認めないと宣言までする始末。思わず、その理由を問うも答えることもできない有様に、研修はあなた達がまず受けてはと言いたかったところですが、彼らに恥をかかせることは忍びないと思いこらえました。

どう考えたって許せません。府教委はあらゆる手を駆使して私を見せしめ的血祭りにあげようとするでしょうが、皆様の支援がある限り私は真っ向勝負で闘います。

府庁別館前には多数の支援者に駆けつけていただきありがとうございました。今後とも応援してください。

取り急ぎの報告でした。

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東京都立学校卒業式チラシまき報告記:根津公子

2013-03-10 04:29:52 | 東京の根津公子さんからのメール

根津公子さんから届いた東京都立高校卒業式でのビラまき報告記です。根津さんらは、卒業生や保護者の方々と卒業式の「日の丸」・「君が代」問題を共有しようと毎年されています。

報告記を読むと、校長や教頭の対応、子どもたちのようす、保護者のようす、学校や地域のようす等、「時代」が浮き彫りにされています。「時代」にそのまま流されないためも、私たちは声をあげ続けようようと思います。


都立学校チラシまき 報告3 根津公子

(報告1,2は解雇をさせない会のHPにも掲載されています)

2月25日(月)
 今朝のチラシ配りは第5商業高校。
昨日、町田教組前委員長の菊岡さんから「一緒に配るよ」とのうれしい申し出があり、2人で配った。

配り始めて15分経った頃、出勤してきた男性がチラシを受け取りながら、「何時頃から撒いているのですか」という。
 「なぜ、そんなことを聞かれるのですか」と聞き返すと「私はここの校長です」。
そして続けて、「あなたはどなた?」というので、チラシに書いた会と私の連絡先を指して、「私はここに書いた根津といいます」と自己紹介した。
さらに校長は私たちに簡単な注意を告げたので、「常識はわきまえていますので、ご心配なく」と答えると、了承したという感じで中に入って行った。

 さらに10分経った頃、今度は校舎から男性が出てきて、「私は副校長のSといいます。
いろいろあると思いますが、敷地には入いらないよう気をつけてください」と告げた。
「ご心配には及びません。私たちは、生徒たちに『日の丸・君が代』を尊重せよと押しつけることを問題だと思い、チラシを配っています。副校長さん、そうではないですか」と返すと、副校長は一瞬困った表情をしたので、「立場上、答えることはできないと思いますが、学校が生徒たちを犠牲にしてはいけないと思います」と、副校長が返事をしなくていいように配慮した。

 ここの校長も副校長も、都教委のマニュアルを200%読み上げるような恥ずかしい対応はしなかった。他の校長同様、都教委の指示に従って「部外者」に「忠告」を発したのだけれど、心を残していた。この方がよほど、効果的な「忠告」になる。

 ここでは教員の8割がたが受け取ってくれた。「ありがとうございます」と返事を返してくれる人も何人かいた。

中に、一人だけ「(ここで)何をしているのか」と菊岡さんに食いかかってきた男性がいた。男性は、「私も組合の人間だけど、生徒に(も配ってんの)」と凄むように詰問し、しかしなぜか答えを聞こうともせず、チラシの受け取りも拒んで入っていった。
受け手の教員たちに私たちが何者であるかを示すために、「強制反対 日の丸・君が代」と記したゼッケンを私のカバンに控えめに着せた、その表示だけを見て、その男性は言いがかりをつけてきたのだろう。

 批判をするなら、せめてチラシを読んだうえでしてほしいものだ。その度量はないのだろうか。
「偏見で物ごとを見るな」「異なる意見にも耳を傾けよう」なんて言葉を、この教員は生徒たちに投げかけることはないんだろうな。

 今朝も2人だったから、気持ちは軽やか。「最大級の寒波」だというのに寒さを感じなかった。


都立学校チラシまき 報告4 根津公子

2月28日(木)
 7時10分、A高の正門前で教職員の出勤を待った。
10分ほどしてようやく一人が出勤し、チラシを手渡した。
さらに10分ほどして、2人目の教職員がやってきた。声をかけて手渡そうとしたが、手は差し出さず、中に入って行った。この頃から生徒の登校が始まったが、教職員は私の前を通らない。
別の入り口に回ったり、正門前に来たりしたが、せいぜい10人くらいの教職員の姿しか、見えなかった。

始業時刻と思われる頃、明らかに60代と思われる人が7~8人出勤してきて、その大方がチラシを受け取った。非常勤教員だった。
一人の女性は、「やっぱり、この(「日の丸・君が代」)問題のね。そうかなと思いながら、来たわ」と受け取られた。私が名前を名乗ると、「やっぱり、根津さんだったんだ。」「申し訳ないです、座れなくて。生活がかかっているもので」とおっしゃる。私の集会にも参加されたことがあるとも。そして、ご自宅で採れたという菜っ葉をたくさん下さった。

 八王子北高校もそうだったけれど、ここも7時前に出勤する教職員の方が多いようだ。
 「君が代」不起立を続けている教員がいるなんてことを、教職員のほとんどは知らない。職場で話題になればいいなと思いながら、今朝もチラシを手渡した。


3月1日(金)
 7時10分から八王子東高校で教職員にチラシまき。
昨年の卒業式の朝、「ご卒業おめでとうございます」と大きな字で見出しをつけた包囲ネットのチラシを撒いた時、生徒(卒業生)の受け取りの悪さに驚いたことを思い出しつつ、生徒にも挨拶のことばを掛けたが、多くの生徒は無視して通り過ぎて行った。

 7時47分、出勤してきた男性が、「通行の邪魔にならないでください。ここは小学生も通りますので」と言う。
「私は常識も良識も持っていますので、その心配はご無用です。でも、あなたが今おっしゃったことは、私にその常識・良識がないと思われてのことですね」――「いや、そういうつもりは…(ない)」
「あなたは、どなたですか」――「私はここの学校関係者です」
「学校関係者?校長ですか」――無言
校長であることを隠す必要はないだろうに、返事をしないで、校長職にあるものとして言うべきと思わされていることを言うと、中に入っていった。
きょうも私から2メートルほど離れたところで、2人の進学塾関係の宣伝マンだろう人が生徒にチラシを配っていた。
その2人は、人一人が通れる広さを残して歩道の両側に真向いに立っていたのだ。それは明らかに通行の邪魔になった。
そう思いながら、私は2人を見ていたのだった。しかし、校長らしき男性は、その2人には何も言わずにそこを通り過ぎてきたのだった。

8時頃、「あそこに非国民がいるじゃないか。日本国民の恥だ」という声がした。見ると3階の教室の窓を開けて、私の方を見ている男子生徒が3人いた。たちまちほかの窓も開けられ、数えてみると9人がこちらをみている。うち、女子が1人。

しばらくして教員がチラシを受け取ると、「あいつも非国民だ」と言った。

また、友だちなのか、登校中の生徒に、「『日の丸・君が代』強制反対のチラシをもらってきてよ」と、何度か声をかけていたが、私に「ください」と言ってくる生徒はいなかった。自分でもらいに来れば、何枚でもあげたのに。

8時半、始業時刻になったので私は引き揚げた。
1,2歩歩き出すと、また、その集団から「帰っていく-」の声。
それまで30分もの間、教室の窓はほぼ全開だった。他の生徒は、文句を言わなかったのだろうか。

教職員の受け取りも悪かった。1時間半でチラシは14枚しかはけなかった。一人だけ、「よく頑張ってくれて!」と言ってくれた教員がいた。
10・23通達が出た最初の卒業式では、この学校の教職員は、「君が代」の時は入場していなくて、「君が代」が終わってから皆一斉に入場したのだそうな。

教員が「日の丸・君が代」について口を閉ざし、起立斉唱の職務命令に従ってきた中で、生徒たちは「非国民」ということばを使うまでになった。若者の右傾化が言われるけれど、それを許してきたのは、大人たち。とりわけ、教員たちであることを問わねばならないと思う。
明日からは卒業式当日のチラシまきに移る。

都立高校チラシまき報告5 根津公子

佐々木さん、鳥居さん、レス、ありがとうございました。
お久しぶりの方にも現況報告として、送らせていただきます。

3月2日(土)
 第五商業高校の卒業式に参列する卒業生と保護者、教員に向け、「ご卒業おめでとうございます」とのタイトルがぱっと目につくチラシを手渡した。私たちは2人。

 7時半から始め10分ほど経った頃、副校長がやってきて、挨拶に続けて「よろしくお願いします」と言った。「よろしく、とおっしゃるのは、どうよろしく、ですか」と訊くと、「生徒の迷惑にならないようにということです」と副校長。「もちろん、心がけています」と返すと、副校長は頭をやや下げ、戻っていった。

 さらに10分経った頃、校長が出勤してきた。「また、いらっしゃいましたね。生徒によろしくお願いします」とおっしゃる。私はまた、同じことを聞くことになった。「どう、よろしく、ですか」。
 校長は、「晴れの門出ですので、生徒に動揺を与えないよう、配布はしないでください」と言った。
「生徒に動揺を与えるというならば、それをしているのは都教委です。今朝は、生徒に手渡すために来ています。チラシで動揺はしません。」と答えると、それ以上は言わずに、中に入って行った。

 ここでは昨年も今年も、生徒、保護者とも受け取りがいい。私たちは生徒たちには、卒業おめでとうございます」の他に、「『日の丸・君が代』の強制に反対しています。読んでみてね」などと声をかけながら、手渡した。

6人でおしゃべりしながらやってきた生徒たちに声をかけると、「私たちの先生も反対しています。(「日の丸・君が代」のこと)授業で習いました」と一人が返してくれた。

そこで、「私も教員をしていたの。私も授業で話してきたわ。この学校で、授業で話されたのは、誰かな」と投げ返すと、「○○先生」。他の生徒も、「うんうん」と。
「やっぱり。だと思ったわ」と私たちは答え、「私は「君が代」起立をしなくて、何年も学校に来るな、給料やらない、という処分を受け続けたの」と言うと、皆目を丸くして、「そんなのひどい!」。

調子に乗ってか何だか、「私が『日の丸・君が代』の強制に反対するのはね」とひとしきり立ち話をした。「授業を聞いたみたい」と生徒。その後、写真を撮ってあげて、見送った。

髪の毛を整えた男子生徒たちも、「ありがとうございます」とことばに出して受け取って行った。

250枚くらい用意していったが、式の始まる30分前にはチラシはなくなってしまった(卒業生は190人ということだった)。
差し出すチラシが風にあおられるほど風が強く、寒かったけれど、心を温かくしてもらえたチラシ配りだった。

「日の丸・君が代」及びその強制が何なのか、私はどう考えるかを、生徒たちに話し、投げかける教員が学校に一人でもいれば、生徒は考えようとすることが、ここでも証明された。

戦前・戦中と同じように、子どもたちが国家の色に染まるのは第一に教員たちの沈黙によることを、教員には厳しく問うてもらいたい。
「沈黙は加担すること。いじめに沈黙することはいじめに加担すること」と、教員たちは生徒に言ってきたはずなのに、どうして自身のことになると、見えないのだろうか。真摯にご自身と向き合おうよ。

 チラシまき報告5 番外編 根津公子

2年前に定年退職した都立あきる野学園の校長に、卒業式に参列したい旨、先ほど電
話で申し出ました。
「高等部を卒業する生徒は授業で教え、中学部を卒業する生徒は私が担任した生徒た
ちなので、21,22日ともに出席したいです。何時に伺えばいいですか」と言うと、
「旧職員は今年度は招待しない」。
「どういう理由で、誰の判断でそれは決めたのか」と訊くと、「校長判断」だと。
「招待状が届かなくても参加したいので伺います」というと、「だめだ」。
「行っても入れないということですか」と訊くと、「そうだ」。
「高等部の卒業生には、『卒業式にお祝いに行くからね』と約束しているのですが」
と言うと、「勝手にしたことで、私とは関係ない」。
そして、話の途中で校長は電話を切りました。

昨年度は別の校長でしたが、その校長も「旧職員は招待しない」と私には言いなが
ら、小学部の元教員を招待しました。本当に卑劣です。今年も、他の旧職員は招待
し、あるいは来たら参列させるのでしょうか。
何をおそれるのでしょう。

途中で電話を切るようなことをしたので、当日私は卒業式に行きます。
生徒や保護者にこの事実を広くきちんと伝えます。

都立高校チラシまき報告6 根津公子

3月7日(木)
 きょうのチラシ配りは八王子拓真高校、福嶋常光さん(元高校教員・不起立停職1ヶ月被処分者)と2人で。3部制の高校なので、7:30~8:30に教職員を対象に、11:30~14:00に卒業生・保護者を対象に配った。

 正門は閉め、そこには3本の「2020年オリンピック 日本で!」の旗と「日の丸」、そして、「卒業証書授与式会場」の縦看板が立てられていた。
オリンピック招致の旗は毎日立てっ放しのよう。縦に長いこの3本の旗の中に「日の丸」が一段も二段も低く立てられている。「日の丸・君が代」で頭がパンクするほどの校長たちが、このことに違和感はないのか、不思議だ。

 それにしても、正門は旗のためにあり、人間は正門横の通用門を通る。変だとは誰も思わないのだろうか。晴れの卒業式くらい、正門を通らせよう、そういう声も上がらないのだろうか。

 7時50分、副校長を名乗る男性がやってきて、「敷地に入らないでください。通行の妨害にならないように」と、マニュアル通りに言った。こちらは、「ご心配なく」「心得ています」。副校長は都教委から指示された「仕事」を終えて去って行った。
 8時、今度は出勤してきた男性が、副校長を名乗り、前の副校長と同じことを言って、やはり仕事を終えたとばかりに中に入って行った。

 教員たちは、総じて若い人が多く、受け取りはかなり悪かった。50代と思われる男性が「ご苦労様です」と言ってくれ、60代の男性が福島さんとお知り合いだったほかには、2~3人が会釈を返してくれただけ。

 11時半、再び。出入り口(「在校生入り口」と表示された)が他にもあることに気付き、福嶋さんはそちらに回った。副校長は、そちらの入り口にもやってきて、注意を発したそうだ。
 保護者も生徒も、まあまあの受け取り。今日写真撮影を依頼した卒業生は1組、2人。

 途中、副校長の一人がやってきて、「公的行事なので、チラシを撒かれては迷惑です。お引き取りください」と言った。

その時ちょうど私たちのところにカメラを持った人が来ていて、その方がその状況をカメラに収めたところ、「個人情報に引っかかります」と副校長。「公務員は対象外です」とこちらが答えると、中に入って行ったが、次に、その副校長は男性を伴ってやってきた。
 男性は「写真を消しなさい」。私たちが先ほどと同じように、「公務員は仕事の中では、撮影は個人情報の漏えいに当たりません。肖像権もありません。」と言うと、その男性、「警察を呼ぶ。警察に相談したんだ」と声を荒げた。私たち、「どうぞ」。

副校長は横にいるだけで一言も発しないので、上下関係が明らか。「あなたは校長ですか」と聞いたけれど、返事はなく、中に引き返して行った。

 その後40分くらい私たちはそこにいたけれど、警察は来なかった。当然だけれど。校長らしき人物は、口から出まかせを言ったんだろう。こういう校長がかなり多い。
 明朝は、「敷地に入るな」と言った際、歩道を「内務省、旧内務省のもの」と言った校長のいる学校に行く。

 大阪の「君が代」不起立の状況や精力的なチラシ配りの報に接し、勇気をいただいています。 



都立高校チラシまき報告7 根津公子

3月8日(金)
 今朝のチラシ配りは八王子北高校。解雇をさせない会の佐藤さんと二人で7時過ぎから配った。

8時、50歳くらいの男性が出てきて、「チラシをくれ」とばかりに手を出し、佐藤さんがそれに応じた。その瞬間、先月半ばにもここにチラシ配りに来ていた私には、見覚えのある顔と分かった。訊くと、「副校長だ」と言い、「ここで配るな。(式を)妨害するな」と怒鳴った。

ちょうど登校してきた生徒10人ほどが、その様子を横目で見ながら通る時、副校長はすぐ横を通り過ぎようとした生徒の手からチラシを奪い取った。別の生徒は、もらったチラシを副校長に差し出した。

「没収などしていいわけがないでしょ」と、私たちが少し大きい声で言うと、副校長はそこでやめはしたが、しかし、都教委に反対するものについては何をしてもいい、私は権力、という感覚になっていると思った。

さらにしつこく私たちに言ってきた。「私はこの学校を守っているのだ。何でうちの学校に(あなたたちは)来るのか」。そして、「敷地に入るな」と。私が、「ここは公道でしょ」と返事をすると、「違う。旧内務省の土地だ」と副校長。
半月前にここでチラシを配った時に、校長は副校長と連れ立ってきて、歩道を「内務省、旧内務省の土地です」と言ったのだった(報告1)。
校長の出まかせを、この副校長は真に受けたんだろうか?有り得ないことだけれど。

 教職員は7時以降、50人ほどが通ったが、チラシを受け取った教職員はたったの4人。そのうちの一人は、先の副校長であったことが、あとでわかったから、実質受け取った人は3人。
 都教委と異なった意見には耳を塞ぎ、目を閉ざす教員が、生徒に何を語るのだろうか。どんな助言をするのだろうか。
教員が自ら進んで国家のエージェントになっている中、異なる意見があることを生徒たちに積極的に示していくことをしたい、しなければと考えている。
コメント
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