2018.3.26大阪地裁内藤裕之裁判長による不当判決の後、私たち7名の原告は、すぐさま控訴してたたかいを続行することを決意した。私たちはたたかいを続けることになんのぶれもない。なぜなら、大阪「君が代」条例は、政治による教育への不当な介入に他ならないと確信するからである。教育で子どもたちに一方的な価値を注入することはあってはならない。教育による子どもたちの差別は許されない。そう信じるからである。
声 明
本日、大阪地裁民事5部(内藤裕之裁判長)は、「『君が代』不起立・戒告処分取消し」共同訴訟(2015年7月9日提訴)に対して、原告側請求のすべてを棄却する不当判決を行った。本件訴訟は、2012年度から2014年度の大阪府立学校における卒業式・入学式における「君が代」斉唱時の不起立は地方公務員法第32条に規定する「上司の職務上の命令に従う義務に違反する」ものとされ、大阪府教育委員会から戒告処分を受けた原告7名が共同して処分の取消しを求めたものである。
判決理由の大部分は、被告・大阪府の主張をそのまま引き写しただけである。しかも、あきれ果てたことに、内藤裁判長は、被告・大阪府さえ主張していない「原告らによる本件職務命令違反行為は、・・・自己の教育上の信念等を優先させて、あえて式典の秩序に反する特異な行動に及んだもので、厳しい非難に値するものであるいうべきである」と断じ、裁判官個人の独断と偏見に基づいて被告側主張を補った。重要な争点として原告側が立証してきた諸点について、少しでもまともに検討したと思える部分はどこにもない。はじめから結論ありきの判決である。
また、尾之上校長による原告井前に対する職務命令の有無についても、尾之上校長自身が証人尋問において「職務命令」という文言を使わなかったことをはっきりと認め、裁判所もその事実を認定しているにもかかわらず、それは尾之上校長の「誤解」だと勝手に解釈し、事実をねじ曲げて、無理に無理を重ねて「職務命令」の成立をこじつけた。
最高裁は、東京における「君が代訴訟」の一連の判決において、東京都が行った10・23通達に基づく「職務命令」の態様と「懲戒処分」の実態の具体に即して、戒告を超える懲戒処分は違憲・違法であるとして処分の取り消しを命じた。ただし、10・23通達及び戒告以下の処分については、適法であるとした。私たちは、「国旗国歌条例」「職員基本条例」は、きわめて特異な教育への政治的強制力が働いている状況であり、本件事案が一連の最高裁判決の射程外にあることを立証してきた。
「国旗国歌条例」は、大阪府議会における当時の「大阪維新の会」一強支配の下で、強行可決されたきわめて政治的な条例である。その内容は、「教職員が『日の丸・君が代』に敬意を示す姿を生徒に見せることによって、子どもたちに『我が国と郷土を愛する意識』を高揚させる。」という教育目的を学校行事の内容にまで踏み込んで強制するものである。「職員基本条例」は、同一の職務命令に3回違反した場合の「標準的な懲戒基準を免職」とすると規定し、事実上、「君が代」斉唱に反対する教職員の学校からの排除を目的にしたものである。
しかし、本件判決は、それらをなんら吟味することなく原告側の請求をすべて退け、被告・大阪府の主張を全面的に採用し、最高裁判決が戒告以下の処分を容認したことをそのまま逃げ道として利用し大阪の状況に基づいて判断することを完全に拒否したのである。
私たちは、自分の考えを持つこと、正しいと思うことを表明し行動すること、他者を尊重すること、そういった市民社会においてまた市民社会でその一員として生きて行くにあたり大切な価値観があることを子どもたちに伝え、また教員自らがそれを実践していくことは、大切な教育上の営みであり、教員としての責務の履行に他ならないと確信する。しかし、「教育への不当な介入」であると考える教員でさえも、「懲戒処分」(3回で「免職」という究極の選択を迫る脅しを含め)を回避するために、実際の行動では「政治の多数」に従わなければならない、これが今の大阪府の教育の現実である。本件訴訟は、このような現実を押し返すための闘いである。
私たちは、本件地裁判決に強く抗議し、控訴して闘いを継続することを宣言する。
2018年3月26日
「『君が代』不起立・戒告処分取消し」共同訴訟原告団
声 明
本日、大阪地裁民事5部(内藤裕之裁判長)は、「『君が代』不起立・戒告処分取消し」共同訴訟(2015年7月9日提訴)に対して、原告側請求のすべてを棄却する不当判決を行った。本件訴訟は、2012年度から2014年度の大阪府立学校における卒業式・入学式における「君が代」斉唱時の不起立は地方公務員法第32条に規定する「上司の職務上の命令に従う義務に違反する」ものとされ、大阪府教育委員会から戒告処分を受けた原告7名が共同して処分の取消しを求めたものである。
判決理由の大部分は、被告・大阪府の主張をそのまま引き写しただけである。しかも、あきれ果てたことに、内藤裁判長は、被告・大阪府さえ主張していない「原告らによる本件職務命令違反行為は、・・・自己の教育上の信念等を優先させて、あえて式典の秩序に反する特異な行動に及んだもので、厳しい非難に値するものであるいうべきである」と断じ、裁判官個人の独断と偏見に基づいて被告側主張を補った。重要な争点として原告側が立証してきた諸点について、少しでもまともに検討したと思える部分はどこにもない。はじめから結論ありきの判決である。
また、尾之上校長による原告井前に対する職務命令の有無についても、尾之上校長自身が証人尋問において「職務命令」という文言を使わなかったことをはっきりと認め、裁判所もその事実を認定しているにもかかわらず、それは尾之上校長の「誤解」だと勝手に解釈し、事実をねじ曲げて、無理に無理を重ねて「職務命令」の成立をこじつけた。
最高裁は、東京における「君が代訴訟」の一連の判決において、東京都が行った10・23通達に基づく「職務命令」の態様と「懲戒処分」の実態の具体に即して、戒告を超える懲戒処分は違憲・違法であるとして処分の取り消しを命じた。ただし、10・23通達及び戒告以下の処分については、適法であるとした。私たちは、「国旗国歌条例」「職員基本条例」は、きわめて特異な教育への政治的強制力が働いている状況であり、本件事案が一連の最高裁判決の射程外にあることを立証してきた。
「国旗国歌条例」は、大阪府議会における当時の「大阪維新の会」一強支配の下で、強行可決されたきわめて政治的な条例である。その内容は、「教職員が『日の丸・君が代』に敬意を示す姿を生徒に見せることによって、子どもたちに『我が国と郷土を愛する意識』を高揚させる。」という教育目的を学校行事の内容にまで踏み込んで強制するものである。「職員基本条例」は、同一の職務命令に3回違反した場合の「標準的な懲戒基準を免職」とすると規定し、事実上、「君が代」斉唱に反対する教職員の学校からの排除を目的にしたものである。
しかし、本件判決は、それらをなんら吟味することなく原告側の請求をすべて退け、被告・大阪府の主張を全面的に採用し、最高裁判決が戒告以下の処分を容認したことをそのまま逃げ道として利用し大阪の状況に基づいて判断することを完全に拒否したのである。
私たちは、自分の考えを持つこと、正しいと思うことを表明し行動すること、他者を尊重すること、そういった市民社会においてまた市民社会でその一員として生きて行くにあたり大切な価値観があることを子どもたちに伝え、また教員自らがそれを実践していくことは、大切な教育上の営みであり、教員としての責務の履行に他ならないと確信する。しかし、「教育への不当な介入」であると考える教員でさえも、「懲戒処分」(3回で「免職」という究極の選択を迫る脅しを含め)を回避するために、実際の行動では「政治の多数」に従わなければならない、これが今の大阪府の教育の現実である。本件訴訟は、このような現実を押し返すための闘いである。
私たちは、本件地裁判決に強く抗議し、控訴して闘いを継続することを宣言する。
2018年3月26日
「『君が代』不起立・戒告処分取消し」共同訴訟原告団