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48歳の中年オヤジ 柔道を始める

48歳の中年が柔道に挑戦!怪我をして一時期柔道をやめようと思いましたが、やはり続けることにしました。いつまで続くかな?

松川先生・杉山先生はアジアチャンピオン!

2016年01月14日 00時12分57秒 | 柔道の練習日記
1月12日 柔道の稽古始め

待ちに待った柔道の稽古始めです・・・が腰の爆弾・左ふくらはぎの爆弾は、頼むから爆発してくれるなよなあ。
と自分の体に言い聞かせて練習に行きました(笑)。
ちょうど少年部が終わる時間でして、最後の挨拶の時に松川先生が前に立って、昨年末に杉山先生と出場された、タイバンコクでの第5回柔道の形アジア大会の報告をされました。
じゃーん!優勝です!
凄いです。固めの形部門出場で、、多分優勝だろうと思っていたのですが、それでも凄い。
優勝カップと金メダルを持ってこられておりましたので、子供達と記念撮影をしております。その後はメダルを見ようと子供達がわんさか集まってました。
もう一丁写真を載せちゃう。
私のブログでは、個人のプライバシー保護の為に、写真の顔をボカし名前はイニシャルにするという、不特定多数の方にはわからないよう(←関係者にはわかる)ある程度の配慮はしております。が松川先生・杉山先生の場合は、全柔連のホームページに強化選手の項目にデカデカと名前と勤務先が載ってるくらいの有名人ですし、ウィキペディアにも写真が掲載されてますので、今回は素のまま(笑)。
何人かの子供は、松川先生とのツーショットを撮っていました。ああ俺もツーショットの写真を・・・と思ってたら練習が始まったので泣く泣く断念。

さて1ヵ月ぶりの練習です。幸いにして走り込みと筋トレは欠かさずしてきましたので、基礎体力は維持できております・・・が柔道を忘れてるかも(笑)。
試験期間中なのか、中学生は2名のみ。一般の参加者も7名のみ。小学生の延長組が3名ぐらいの、本日は少人数の練習でした。

準備運動中の出来事。
怪我防止のために毎日20分やってるストレッチの成果が出てきました。開脚前屈で、頭の毛が床に着くようになりました。あと4センチで額が床に着くようになります。30代の時の状態に近くなっております。
ここで焦って無理矢理やると、バキッ!となって筋を痛めるので(昔やった事がある)、ゆっくりとゆっくりと。
前年の反省として「怪我が多かった」というものを痛感しております。腰は何度も痛くなるし、股の間の筋は肉離れで歩けなくなるし、大腿二頭筋は爆弾になっていつドカンと来るかわかりません。一つには自分の体の硬さも原因ではないかと思いました。
で「柔道・空手の練習の前にストレッチをする(つまり週3回)」から、「毎日15~20分必ずストレッチをする」にメニューを変えております。
毎日って、会社の昼休みにやっております。はい。

寝技乱取りで、T下先生に腕ひしぎの際の、クラッチの切り方を教えていただきました。先生が亀の状態から、腕をからませてひっくり返って股の間に挟んで・・・この状態でT先生は伸ばされないようがっっちりとクラッチを固めております。それから切ろうとするけど切れない。
「先生、がっちりクラッチされた場合、どうすればいいんですか?」と質問すると、
「簡単です。足で蹴って切ります(笑)」
なるほどー!それはわかりやすい方法です。で先生相手にやってみると、いとも簡単に出来ました。

きゃめるさんとの寝技時には、私が亀になって受けていました。
亀になった私の上の乗られ、帯を両手で引き揚げられて両足でガッチリとカニばさみになり、背中から前襟を持たれ、その状態でクルリと引っくり返されて送り襟締めを食らいました。おお!入ってる入ってる!
「きゃめるさん、先生たちのやってるのとかで見た事があるんですが、やった事が無いので教えてください」
と頼んで、詳しく解説していただきました。今度中学生相手に試してみよう・・・って中学生に絞め技はアカンがなあ!

久しぶりの乱取りは、途中でばててしまいました。休憩を挟んでもヘロヘロです。
アジアチャンピオンの松川先生に相手していただきましたが、いい所を全然持たせてくれません。3度ほど奥襟を取ったのですが、その度に顎と頭と肩で挟まれ、釣り手を完全に殺されてしまった。殺されて挟まれて動かない状態で投げられます。
バカの一つ覚えのように、挟まれた釣り手を力づくで何とかしようとするのですが、力では何ともなりません。乱取りが終わった時には、右手がプルプルと痙攣状態でした。

K谷師匠とは2度お相手をしていただきました。さすが師匠は曲者(笑)。得意の足払いで来る来ると見せかけて、大外が来た!完璧に決められました。受身も満足に取れなかったので、後頭部を打ちそうになった。
「足払いだけで参段まで取った」という伝説がある師匠で、いつもは100キロの中学生を足払いでコロンコロン転がせております。私も師匠の切れのある足払いで何度天井の蛍光灯を見た事か。当然いつものように警戒しておったのですが、大外で来たかあー!
乱取りの途中で気が付いて、お聞きしてみたのですが、師匠の掌の分厚さは凄いです。私と遜色ありません。70代の御老人(失礼!)とは思えないほどの握力。
前にお聞きしたのですが、ハンドグリップを車に常備して、運転中も握って握力を鍛えてるそうです。だから釣り手引手が切れんのか。
何度か投げられているうちに楽しくなり、ニコニコ笑ってたら、
「T岡さんいいねえ、柔道を楽しんでるねえ」

という訳で、最後はバテバテになりながらも、先生相手に3本、中学生2本、休憩2回でした。腰の爆弾と、左足ふくらはぎの爆弾は不発でした。ちょっとほっとしました。

更衣室で着替えておりますと、松川先生とY井先生が、練習後のこの後も、スポーツクラブに行ってトレーニングをする話をしておりました。うーむ、今からですかー!
Y井先生は毎日必ず走られてるとの事です。
「走るのって自分との闘いじゃないですかー。気持ち良いですよねえ」
松川先生もY井先生も熱い、熱すぎるぞ。
こういう人達を間近で見ると、単純で影響を受けやすい私は、
「よし!私も今から走ろう」
と考えて、11時半に岡崎に行く用事があったのですが、それまでの空き時間を使って、西尾市内を走りました。9時半から10時45分まで約11キロの、深夜ロードワーク。
この記事を翌日書いておるのですが、明らかにオーバーワークで、現在全身筋肉痛です(笑)。
単細胞バカとは俺の事だあ。

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ランニングステーションを初体験する

2016年01月13日 07時30分02秒 | ジョギング
1月11日 ランニングステーション初体験!

ランナーズとかの雑誌を読むと、東京では皇居も周りにランニングステーションとかいうものが、タケノコのように出来ているそうな。
直訳すると「走る駅」
実際に駅は走りませんが(笑)、会社の帰りにそこに行って着替えて荷物を預け、皇居や都心を走って来て、シャワーを浴びて着替えて帰るとの事である。
スポーツジムと何が違うんだろう?
スポーツジムと違って、ロッカーとシャワー(もしくは風呂)があれば出来る施設なのか。
確かリンクさせていただいてる「仮装婦は見た」のYOU様も、東京に出張に行かれた時に使われていた。
でも愛知県の三河の田舎では、そんなもん無いだろうし、一生縁が無いだろうなあ。
なんて思ってたら、何と三河の田舎、西尾市にランステがあるという。そんなものがあったのかあ!
うちの家から4キロほど離れた所に、プールとスーパー銭湯「6.3の湯(ろくてんさんのゆ)」という施設があり、そこがランステを始めたとの事である。ホームページを見ると確かに書いております。
それは是非行ってみなければいけない。
仕事を途中で終えて、車を飛ばして西尾の6.3の湯に行くと、スイミングクラブと重なっているのか、駐車場はいっぱいであった。お風呂は来た事があるので、入ってすぐに券売機で大人1枚630円券を買い、カウンターに出して、
「あのー、ランステ利用したいんですけど、初めてなんです」
と言うと、
「すいませんが、カードを作りますので、申込用紙を書いていただけますか?」
書き終わると、
「入ってロッカーをお使いください。出る時はカウンターにロッカーの鍵を預けて下さい」
お風呂のロッカーを使って着替えて鍵を預けると、下の写真にあるリストバンドをくれました。番号は1番です・・・という事は、本日の利用は私一人???
「これを着けて外出して下さい。3時間を越えるようなら連絡してください」
いえいえ3時間も走りませんから・・・って春とか秋はロング走するかもしれん。
風が全く無かったので、西尾市の岡崎碧南バイパスを使って、西に向かって走ってみました。
途中蒲郡からのバイパスと合流する地点では、歩道も路肩も無いので非常に危険です。そこは田んぼ道を迂回。上矢田から寺津までは街中を走り、その後は矢作川大橋を渡って碧南市に入ってUターンしてきました。
約2時間16キロをえっちらおっちら走って、スーパー銭湯に帰ります。
入口でリストバンドを渡すと、カードをいただきました。
「次回からロッカーの鍵とこのカードを出してください」
走った後のお風呂は気持ち良かったですよー!

家に帰ってからスーパー銭湯6.3の湯のホームページを見ていたら、何と6.3の湯にはアイドルがいるらしい。
OFR48と言う名前だそうだ。よくわからんが、全国の銭湯で働いてるかわいい子を集めたそうである。うーむそこまでやるかあー。
本日のジョギングは、16キロ約2時間であった。湯に浸かってほっこり(笑)。

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国民年金は払ったら負け(ジョギング編)

2016年01月11日 20時04分32秒 | ジョギング
1月10日 西尾市横断ラン

昨日日は仕事でしたので(泣)、本日日曜は憂さ晴らし昼間走ってきました。いつもと違うとこに行きたかったので、西尾市の東側にある自宅から、市内を横断してみました。
世間は3連休。私は日曜だけ休み・・・とほほほ。
贅沢は言っておれませぬ。小売りやサービス業の人達は、休んでおられないのですから、我儘を言ってはいけませぬ。
自宅から3km行くと、市内の繁華街を横切りますが、やはり連休だけあって100円寿司や外食レストランは盛況です。道も混みあっております。市内を離れると西尾市の西側を走って行きますが、いつも私が通う柔道場のある平坂中学校まで来てしまいました。
夜しか見た事が無いので、ちょっと新鮮です。
ああ柔道したい。早く稽古始めの火曜日来ないかなー。体がうずうずします。
下手糞なので投げられるばかりですが、待ち遠しいです。

帰りは同じ道を走りました。普段は田んぼ道ばかりなのですが、時には街中を走るのも気分転換に良いです。でも確実に知り合いに見られてると思います(笑)。
私が走った道沿いにも、最近また新しい回転すし屋が出来ました。これで、かっぱ寿司・くら寿司・魚魚丸・はま寿司・スシロー・大漁亭と6軒に増えました。明らかに供給オーバーです。
別名、「西尾市回転すし大戦争!」(笑)。
西尾市の人口は18万人。隣に岡崎市という人口30万を越える三河地方の中核都市があるので、買い物も岡崎市に行く事があります。当然飲食店も岡崎が多く、忘年会などは西尾ではなく岡崎でする事もあります。外食産業は大変です。

もう一つ気が付いたのですが、すし店にかかわらず、どこの外食屋さんも、「アルバイト募集」の紙が貼ってあった事です。現在の求人難はやはり凄いものがありますね。
新聞では「中国経済の減速で株価が下がった」とか、「デフレの脱却はまだである」とか、色々と書かれておりますが、それでもアベノミクスが始まる前に比べたら、各段に良くなっております。
何よりも若い人達が就職できるようになった事が凄いです。
私は1990年に大学を出て就職しましたが、その時はバブルの絶頂期でした。就職口は引く手あまたでした。3年後の土地取引の総量規制をきっかけにバブルは崩壊し、94~95年頃からの大不況で若い人達の働き口が全然無くなってしまいました。
当時小売店の店長をしていたのですが、国立名古屋大学大学院卒の人がバイトに来てました(笑)。就職口が無いので仕方なくバイト生活でフリーター。私とたった5年の違いでこの差はいったい何なんだ?
大学を出て就職できれば何とかなるのですが、就職できずにフリーターになると、そこから抜け出すのは至難の業です。正社員と違って経験が積めないので、就職が益々しにくくなります。
例えば就職している私は、一応ながら小売業で店長として管理業務を含めて経験してきております。ある程度のスキルは積んできている。そんな大不況時で会社が左前になって辞めた時も、いくつか転職口はありました。
私立大学卒の私が難なく転職したのに、国立名古屋大学大学院卒のバイト君は、ことごとく就職試験を落ちてました。私より頭が良くて年齢がほとんど同じだったのですが・・・。
若い人達は可哀そうだったなあ。

就職出来ずにバイトで生活 → 結婚できない → 少子化
当たり前の図式だと思います。
「若い人は極貧の生活」「年寄は年金で旅行三昧」という大きな図式がありますね(注:例外もある)。
親(年寄)のすねかじりのフリーターはまだ良いのですが、すねかじりが出来ない若い人はネットカフェで寝泊まり・・・うーむ浮浪者と同じではないか。
「何言ってんだ、年寄りでも貧しい人はいるんだぞ」と言われる人がいるかもしれません。うちのオフクロがそうです。うちのオフクロは月5万円の国民年金で生活しております。資産は中古の家しかない。でもホント少数です。
日本の個人資産の8割を、70歳以上の人が持っております。この年代格差というものは、ホント何とかせなアカンと思ってます。
15年ほど前に営業であちこちの老夫婦の家に行ったことがあるのですが、
「私達は年金暮らしだから」
と言ってる人達が20~25万貰ってるんですよ。現役の当時の私の手取りが23万円(泣)。しくしく。
そんな所がいっぱいある。
我々の世代(40~50代)は、15年ぐらい前から、「年金を払っても返って来ない」と言われてました。当然国民年金の払いが悪くなるのは当たり前。返って来ない金を誰が払うねん。何で25万を貰ってる夫婦の年金を、ワシらが払わなあかんねん。皆さん、国民年金は払わないでおきましょう。保険会社がやってる積立年金の方が遙かに良いです。
資産を持っていない現役世代や若い人が、資産を持ってる人の年金の原資を払うのはおかしいと思います。
親のすねをかじるフリーターの間で、「就職したら負け」という台詞が有りまして(笑)。要はこの世代間格差は、それぐらい若い人達の生活意欲をそぐ原因となっております。

話が外れてしまった。
とにかく若い人達が就職できるようになって良かった良かった。失われた15年でずっとフリーターをしていた人達も、この好況を機会に安定した正社員になって下さい。
で年金は払わない(笑)。
などと考えながら走ってたら、自宅近くになるとちょうど日没でした。急に冷え込んできました。
本日のランは、16km約2時間。

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2016年空手の初稽古は、顔面を想定したのパンチ練習であった

2016年01月10日 11時13分23秒 | 空手
1月7日 空手の初練習

今日が空手の初練習・稽古始めである。久しぶりの空手で体は鈍ってるかな?
今年は年末年始で結構走っておりますので、毎年のように休み期間中にぶくぶく肥ったって事は無いです。矢作川でも怪我の影響も少なく走りきれました。
でも使う筋肉が違うので、久しぶりの空手はちょっと慎重に慎重に。

本日の出席者は、代表・K藤さん・A山さん・K井さん・私の5名。
「今日は顔面パンチの練習をしましょう」
という代表の指示でした。初稽古は顔面ありの練習(笑)。
顔面有りのパンチ練習と言っても、直接当てたりはしません。例えヘッドギアつけて12オンスの練習グローブでしたとしても、直接当てるのは翌日の意仕事に響くし、何よりの脳が心配。プロではないしおっさんばかりなので、あくまでもマススパーです。安全に配慮しておりますのでご安心を。プロボクサーでも、普段スパーはあまりしませんもんね。
距離を取って片方がワンツー、受け側がブロック・パーリング・スウェーの約束稽古。
最初は数を決めてぐるぐる相手を替えてやりましたが、途中から1分間の連続稽古に切り替わりました。
この稽古がしんどい。パンチだけの稽古なのですが、ステップを使ってバックステップやヘッドスリップを入れると、全身運動になるので汗だくです。
K藤さんが私の右ストレートに合わせて、ヘッドスリップでサイドに回り込む動きをされておりました。凄いなあ。
その真似をしましたが、オッサンはワンテンポ遅れる(笑)。
写真は代表とK井さん。K井さんはスウェーを多用しております。代表はパーリングした後すぐに踏み込んで距離を潰してきました。カウンター狙いなんでしょうか。人によって顔面へのパンチの避け方も、千差万別であります。

次は交互の顔面攻撃と受けの約束組手。もうこの時点で汗が止まらなくなりました。

最後は顔面有パンチのマススパー。どうも距離が慣れません。接近してくっ付いた時に、いかにしてスムースにフックアッパーで、その距離を制する事が出来るか・・・。これが難しいです。
K藤さんとゼロ距離のガチャガチャに距離になる場面が何度かあったのですが、そこからショットアッパーが・・・打てません(笑)。柔道になってしまいました(笑)。ダメじゃん。
対してK藤さんは下から良いのを何発か打ってきております。俺ってフック打てないなあ(笑)。今後の課題です。
と一回りして本日の稽古は終了です。
忘年会でもk先生が仰ってましたが、
「顔面を想定した稽古は、少しでもいいからやっておいた方が良い」
というアドバイスには納得させられました。
確かに「経験する・経験してない」の差はとてつもなく大きいと思います。
ちょっとでも経験しておけば、遠い間合い・顔面ガードの重要性というものがいかに必要であるかを、身に染みてわかります。
なんて偉そうに言っておりますが、顎から鼻・目にかけてのガードが、よく下がってしまうんだよなあ。この癖何とかせなアカンです。まだまだ修行が足りません。
もう一つの課題は、k先生に教えていただいた「顎を肩で隠す」という基本動作。これが中々の曲者です。意識しないと出来ん。こういう基本的な動作を染み込ませないといけません。
オヤジ、課題多し!

本日は朝練が出来なかったので、道場の帰りに公園に車を停めて1時間10キロほど走りました。
左足のふくらはぎは、道場の稽古では痛かったのですが、走ってる時は何ともないです。
何で???
走る時の筋肉ではなく、空手の時の筋肉(ステップの筋肉)なんだと思います。
どう考えても、走ってる時の方が足を酷使してるんだが・・・もうよくわからん(笑)。

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国立三重大学を走る

2016年01月09日 23時51分56秒 | 伊勢湾一周ラン
1月4日 三重大学ラン

もう1本、旅ランの記録です。
4日の日は午前中に実家のある志摩市波切の汗かき地蔵・思案地蔵を巡るジョギングでしたが、お昼に三重県の津市で用事があったので、その後津市内を走ってみました。
国道23号線で津市内を北上し、銭湯のある巨大な郊外店が固まってるショッピングセンターに、車を停めました。ここで着替えて海岸を目指します。

私は三重県の生まれで、親の仕事の関係で小学生の途中まで三重県に在住。その後は大阪に住んでました。就職してから愛知県に移り住み、途中一時的に三重県に戻りますが、ほとんどを愛知県ですごしてます。
三重県ではトータルで10年ほど住んでおります。住んでいたのは伊勢志摩なので、それ以外の所は通り過ぎただけで、あまりよく知りません。愛知県からだと桑名四日市は日帰りで行けるますが、それ以外はちょっとしんどいですね。こういう実家に帰る機会でないと、なかなかジョギング出来ません。
前回は鈴鹿市の白子海岸を走りましたので、今回は隣町の津市の伊勢湾を走ってみようかなと思いました。
ショッピングセンターから東へ向かい、近鉄名古屋線を越えて、近鉄白塚駅に足を延ばしました。ここをぐるっと回って、白塚の海岸を目指します。
田舎の閑静な住宅地です。
その中で「樋口友好ミュージアム」という看板を見つけました。時間が無かったので寄れませんでしたが、愛知万博の時の展示物とかを集めている美術関係のミュージアムみたいです。看板の連絡先には、地元の歯医者さんの電話番号と名前が記入されておりましたので、歯医者さんが個人的に経営してるミュージアムみたいですね。
私の母校大学の向かいに、堂本美術館というのがありまして、堂本画伯が個人的に建てた巨大な美術館でした。こういうお上の力を借りない個人経営の美術館博物館というのは、非常に興味があります。
マラソン大会でも自治体主催の大きな大会も良いのですが、自治体の力を借りないランニングクラブ主催の小さな大会は何倍も好きです。
悪名高い「知多半島一周ウルトラ遠足」に、とんでもない目に会いながらも毎年出てるのは、小さな大会が好きだからでしょうね。
リンクさせて頂いてる幸田のおとうさんも、「碧南自己申告マラソン」という小さな大会で出ておられますし、うちの嫁も「名古屋ウィメンズ」にはまるで興味は無く、地元の小さな大会がメインであります。
話が外れてしまった。
白塚漁港です。まだ正月休みなので、散歩の家族づれ以外は誰もいませんでした。ここから漁師小屋が軒を連ねる海沿いの道を走ります。
漁師小屋にはこういう手すりというかポールが有りました。これはいったい何をするもんだろうか?網を干す時の手すり?
途中から砂浜に出てみました。今日は春みたいな日で、走ってると汗が拭き出してきました。カモメが沢山いて、近づいても中々飛び立たなかったです。
波もほとんどありません。本当に4月の陽気。
波打ち際には貝殻が多量に打ち上げられております。しかもこの白い貝殻の道が延々と続いておるのです。
「バキ!ボキボキ!」
と踏み潰しながら3キロほど砂浜を走りました。破壊する楽しみ・・・って言うんでしょうか。凄く面白い!ストレス発散にはちょうどいいです。
浜を南下していくと三重大学のビルが数錬見えてきました。その先の浜道は工事中の看板が立っており、行く事が出来なくなったので、岸に上がって大学の横道を走って行った。
おお!古びた下宿とこんな看板が(笑)。
私の学生の頃はこんなアパートが主だったんだけど、今時の学生はこんなとこには住まんだろうなあ。
共同便所・共同風呂で1万2千円とは安い!
三重大の周りをぐるりと走って、志登茂川で折り返し。写真は三重大の正面です。
正月だけど学生さん達はちらほらおります。何というか、こういう雰囲気は自分の学生時代を思い出して懐かしい気分。
帰りは国道沿いを帰ろうかと思いましたが、途中で昔の伊勢街道を見つけ、その道を通って帰りました。この道を江戸時代の人達は、「おかげ参り」と称して歩いたんでしょうね。

大きな神社に出くわしましたので参拝。後で調べた所、千王神社と言って、天照大神を祀ってあるそうです。独特の踊りが有り、ユーチューブでも拝見できます。
ここで大枚500円を入れて家内安全祈願!500円なんて久しぶりだ(笑)。

街道をどんどん進んで近鉄名古屋線を渡って車に戻りました。近鉄を越える高架橋から撮影した三重の山々です。もう夕方近くになりました。
事前にある程度地図で調べますが、知らない道を行くのって楽しいですね。ボバフェットさんみたいに、私もマラニックに嵌りつつあります。
次回はどこを走ろうか?

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うちの先祖は海賊(和寇)だったらしい

2016年01月08日 20時14分41秒 | 旅ラン
1月4日 実家の近くを走る

1月3日の新春矢作川マラソンを終わったその日、夕方から三重県志摩市の実家に帰りました。混雑を予想してたのですが、伊勢湾岸・東名阪自動車道・伊勢自動車道を避けて、節約も兼ねて伊勢湾をぐるりと囲む23号線で帰りました。休憩しながらだったのですが、4時間半で帰れました。
途中で四日市のコンビナートを通過するのですが、工場地帯は物凄い灯りでして、映画「ブレードランナー」の世界。このコンビナートはいづれは旅ランしてみたいなと思ってます。

さて翌日8時から、近くの海岸を走ってきました。いつもなら絶景ポイントがいくつもある熊野灘に面した太平洋側を走るのですが、今日は愛知県の渥美半島知多半島を眺める、伊良子水道側を走りました。

実家から国道を北上し、島茶屋(しまじゃや)という、昔から続いてる丘の上の茶屋から海岸を目指していきます。ちょうどここらへんが、旧阿児町と旧大王町との境になります。
現在ではお茶屋さんではなく、小さな駄菓子屋さんが有り、アイスとジュースを販売してます。夏場は結構皆さん足を止めておりますね。古くて風情があるので、近くのコンビニよりアイスは売れてるかもしれません。
畔名(あぜな)から海岸に向かう。ここは死んだ親父の在所です。ホントに小さな漁村。いつもなら北側に渥美半島が見えるのですが、本日は霞みがかって見えませんでした。
昨日以上にポカポカ陽気です。春みたいな気温なので、汗がダラダラです。
さて志摩の海岸線には、「近畿自然歩道」という自然路があるのですが、場所によっては表示が不確かで、土地勘の無い方は道に迷う事必定です。畔名から次の名田(なた)までは、小山の中を通るトレイルがあるのですが、表示が不確かなので行けませんでした。私も昔何度か通った事のがあるのですが、思い出せませんでした。

場所によっては手すりや階段が崩壊してる箇所もあります。作りっぱなしで手入れをあまりされてないようですね。もちろん使う人間もほとんどいません。だから文句も出ない(笑)。
えっ?私が言えばいいって?
元々自然路なんて「余程の所で無い限り、手すりなんぞいらん。階段なんぞいらん!」と普段から言ってる人間ですから(笑)。夏場に草刈りだけしてくれればよろしい。

隣の名田です。ここもホントに小さな集落。
浜まで出て漁師小屋から写真を撮ってると、おばちゃんに話しかけられた。
「観光のひとかえ?」
「波切から走って来たんやわ」
「なんや地元の人かいな。波切からって遠いやろう。よく走ってこれたなあ」
「正月は食い過ぎたんで、痩せんといかんやわ」
方言丸出しの会話である。基本的に三重県の南勢・伊勢志摩・中勢地方は、イントネーションは関西弁に近いです。単語がかなり独特なものがあります。
「あんたもテレビでやってる箱根みたいな走る選手かいなー」
・・・いえ(汗)・・・まあマラソンなんて知らん年寄からしたら、箱根の選手もマラソン大会でバカやってる人間も同じようなもんだろうなあ。
「テレビに映るようなのは知らんけど、田舎の小さなのには時々出とる。ほれ、春にスペイン村でマラソンやっとるやろう。昔出た事があるんやわ」
「ほおー、お兄さんも選手なんかあ。凄いわなあ」
この年寄りの頭の中は、「目の前にいるT岡=箱根のランナーと同じ」という図式に違いない。向うは日本でも上から数えて500人千人の人達。私は全国1千万をこえるランナーの下から数えた方が早い人間です。箱根のランナーとの間には、999万人がおります(笑)。
年寄の夢を壊すといけないので(説明するのがめんどくさいので)黙っておりました。
断崖絶壁の上に建つ大きな建物は、バブル期に建てられたリゾートマンションです。多分ガラガラだと思う。
再び海岸線から離れて丘を走り、最終の目的地・波切漁港を目指します。適度なアップダウンがあるので、汗が止まりません。正月なのでほとんど人もいません。
波切漁港をぐるりと回ってから、地元のお地蔵さんを参って来ました。有名な汗かき地蔵です。
江戸時代に漁師が海で網を引き揚げると、何とお地蔵さまが引き上がったそうです。
このお地蔵さんが白い汗をかくとめでたい事が起こり、黒い汗をかくと悪い事が起こるという言い伝えがあります。
波切に小学生時代に住んでおったのですが、毎年2月の終りに「地蔵祭り」が開催されて、街のメイン通りには出店がわんさか出ていたのを覚えております。
その隣の思案地蔵さまが祀られております。思案地蔵は江戸時代末に起きた「波切騒動」で亡くなった人々を供養するため,当時の仙遊寺の住職によって発意されたものです。
天保元年(1830)幕府直轄地の代官所への納入米を積んだ船が大王島沖で難破した。沖を漂流中の難破船を漁民が発見、船中の大量の「濡れ米」を持ち帰る。
翌年、役人が夜更けに覆面をして波切に取り調べに出張。里人は強盗と間違え役人一人を殺してしまいました。庄屋以下14人が江戸送りとなり、牢死し、475名の村民が罰せられた・・・。

というのが「波切騒動」という事件です。これは表向き。
「えー!難破船の米を持ちかえっただけで、14名の死罪って!」
と思いますが、これには裏がありまして・・・。
・・・・・・
漂到物を拾う習慣が古くから見られていたが、天保元年(1830)大きな問題を起こしたことがあった。
その年の10月、中国の御城米300石を1300石積の船に積み込み江戸へ下る途中、波切の村人達が、その米を奪い取り、船には石を積んで沈め、難破船の如く見せかけたのである。
鳥羽の郡奉行も印形をおして書類を大阪の奉行へ回し、船頭はさらに大阪で取調べをうけたのだが、はしなくも船頭の口から偽装難船であることが暴露された。それまで波切では毎年5、60艘の難破船があるのだが、本当の難破船というのはほんの5、6艘に過ぎず、後は船頭と馴れ合いの上の擬装難船であった。もしこれを船頭が承知しないときは残らず殺してしまったということである。
ところがそれまでの擬装難船は民間の荷を積んでいるものに限られていたので、荷主のほうもそういう不正をかぎわけることは難しかった。それが今度は御城米を取ろうというのである。庄屋の久右衛門は今まで公儀のものをとった例が無い。したがって危険も多い。もし露見でもすると命を失うような事になるから、今回は思いとどまった方がよかろうと村人を制止した。
しかし年寄りをはじめ村一統の者はこういうことをするのに公儀だからといって恐れるところはないではないかとて、久右衛門の制止を押し切ってことを決行したのである。ところが、村の中がよく結束していてこそ悪事も外へもれないが、村が二つに割れては、秘蜜がいつまで秘密のままでおれるはずは無い。伊勢の悪党どもがこれを聞いて10人ほどで党を作り、武士に化けて波切へ乗り込み吟味を始めた。島中の者はいろいろ陳弁したが許さず、江戸表へ召し捕ってゆこうとおどした。それをやっと100両ほど出して内密に許してもらったが、この役人は偽役人であり、事件は納まったわけではない。
悪党どもはこれに味を占めて、今度は顔ぶれを変えて乗り込み、住民達が、すでに吟味もあってことは住んでいるというのを『この方より外に公儀から役人を使わした事は無い。それはきっと偽者であろう。きっと吟味を遂げて、そのものどもを召し取るであろう』とまことしやかにだまして、又金を取って立ち去った。
こうたびたび金を取られてはさすがに村中も困り、骨折りも空しくなって何の益も無い事になるから、この後はたとえ公儀の役人でも、ことごとく打ち殺して海へ投げ込もうではないか、と申し合わせた。
そういうこととは知らず、代官所多羅尾の手代村上は足軽2人と2人を連れて波切へ乗り込んできたのであるが、ちょうど夜に入ってのことで、土地の様子のわからぬままに、民家の戸をたたいて庄屋の家へ案内を請うたが、知らぬと答えてろくに返事もしない。2、3軒をたずねたが皆同様なので、手代はおこってに家の男を叩かせると、家の男は『人殺しだ、助けてくれ』と大声で怒鳴った。すると村中は申し合わせのしてある事とて、太鼓鉦をならして集まってきて、足軽とを1人ずつたたき殺してしまった。手代は刀を抜いて大勢を相手に切り結んでいたが、力尽きて頭に2箇所、股に2箇所、その他にも傷を受けて、ほうほうの態で逃れて浜にうち倒れていた。そこへ村人がまた押しかけてきて海へ投げ入れようとしたが、手代は気丈の者で『お前達を城米を盗み、狼藉をしつつなお身をまっとうしようと思うのか。私は公儀から吟味に来たもので、元来米を盗み取ったのだから、米が別状なければ命にかかわる事はあるまい。頭取の者2、3人は罪はのがれがたいから遠島くらいにはなるだろう。しかし今私を殺してしまえば、皆死罪になってしまうであろう。私はいまさらいのちを惜しいとは思わないが、よくよく考えてみよ』といった。しかしいきり立っている者にはその言葉も耳に入らず、撃ち殺して海へ入れようとわめきたてるところを、年寄りのものが『露見したうえは頭取の流罪はやむを得まい、命にはかえられぬから助けてやれ』といって差し止めた。今一人生き残った足軽も村人に取り巻かれて命が危うくなったが、『罪を重ねて命を失うような事をするのは自業自得だ。はやく私を殺して罪を重くするがいい』と大声で叫んだので、皆ひるんで手を加える事ができなかった。
このことが鳥羽へ注進され、さらに藤堂家にも出陣を促し、3000人の武士が波切村を取り巻き、住民700人を召し取って取り調べのうえ関係のうすい300人は許し、残り400人は一応牢屋へつながれたのである。
こうしてそれぞれ罪名も決まり、多くの犠牲者を出して事件は落着するのであるが、これが偶然の出来事ではなく、慣習化された略奪のほんの露頭の一部に過ぎなかったことは、事件の進行の途中におけるいろいろの出来事でも察せられる。
「日本残酷物語第1部 貧しき人々のむれ」(平凡社)より
・・・・・・
とこれが真相(笑)。村全体で強奪と殺人を犯しておったらしい。うちの先祖様は略奪強盗犯だったのかあー!
元々が九鬼義隆という戦国時代の和寇(海賊)をしていた地域なので、江戸時代になっても同じような事を繰り返してらしい。うちの先祖様は人間のクズだったんだー。
200年前の事です。

ここから延々と続く緩い坂道を登り、実家に帰りました。ひいい、暑かったあ!
と約10キロ、1時間半の歴史の旅であった。

午後は別の所を旅ランしましたので、それは別記事で(笑)。

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新春矢作川ハーフマラソンで、自転車軍団に完敗!

2016年01月07日 07時28分56秒 | 仮装マラソン大会
1月3日 新春矢作川ハーフマラソンで、自転車軍団に完敗!

折り返しを過ぎると、多少は向かい風・・・と言っても顔を撫でるぐらいしか吹いておりません。体の熱気を取り去る力は無い。
ああ、暑い暑い。こりゃあ熱中症でバタバタ倒れてるんでは・・・。
普通のハーフマラソンの大会だったら、歩いてる人が続出してもおかしくはありません。でもこの大会の参加者は物好きなベテランが多いので、歩いてる方はほとんどおられません。橋の高架をくぐる時の坂道でも、全員走っております。やはり参加者のレベルが高い。
レベルの低いのは私だけかあー!
暑さには結構強い方なので、マイペースで走っております。私とほぼ同じペースで前を走っておられる美人さんです。
再び先程の給水所です。やはり暑さでボラの方の給水が間に合っていないようです。ボラの人に悪いので、給水をせずペットボトルで咽喉を湿らせました。
間もなく堤防から降りようとする所で、ほぼ同じグループで走っていた人達を写しました。若いご夫婦らしい人は、手を振ってポーズを決めてくださいました。ありがとうございます。

堤防を降りて私もスピードアップ。先ほどポーズを決めてくださいました若いご夫婦に引っ張られる格好で、少しずつ他のランナーを抜いて行きます。多分残り4~5kmでしょう。この時点でも歩いてるランナーはほとんどいません。
広大な畑の農道から集落に入ると、目の前には目の不自由な方のランナーと伴走者が走っておられました。
ところが様子がおかしい。伴走者の方が引きずられるようにして後ろを走っておられるのです。
あー伴走者さん、脱水か熱中症かもしれません。非常に辛そうです。大丈夫かな。ちょっと心配。頑張れ!伴走者さん!

残り3kmでもう一度スピードアップ。すいません、走るのが気持ち良くてこの辺り写真を撮っておりません。
さすがは矢作川ですね。一色でも他のとこでも、ラストのスパートで結構抜かせれるんですが、矢作は多くの方がスパートしております(笑)。ほとんど抜けませんでした。
先程のブラインドランナーさんは、伴走者が変わって速くなり、私はあっという間に抜かされてしまいました。お見事!
街中から公園に戻り、ゲートをくぐってゴール!
ひいはあひいはあ、計測チップを渡して完走証をいただくと、記録は2時間18分。まあこんなもんでしょう。
足のふくらはぎは、違和感と少し痛みがありますが、ブレーキがかかるほどではありません。どうやら「走る」筋肉とは違う所みたいですね。ペットボトルを持って走ったので、足が攣る事もありませんでした。
とここで「まるいち」軍団がお揃いだったので写真を撮らせていただきました。金髪兄ちゃん以外は抜けませんでした(笑)。皆さん速い!完敗です!
公園の隅で着替え嫁さん達と合流。嫁さんと嫁妹は2時間ジャストだそうである。近くの農協へ行くと豚汁サービスがありました。お椀いっぱいの汁をいただいてから帰りました。
矢作川は毎年寒さで凍えながら走っているのですが、
撮った写真は87枚。次は3週間後の地元一色マラソンです。どんな仮装で出ようかな。

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新春矢作川マラソン、まるいち自転車軍団登場す!

2016年01月06日 21時58分00秒 | 仮装マラソン大会
1月3日 新春矢作川マラソン、まるいち軍団さん登場!
何しろ参加者が1500人くらいの小さな大会なので、号砲が鳴ってからスタート地点を通過するまでは1分もかからなかった。袋井メロンで8分かかったのに比べて、何てすっきりしてる大会だ(笑)。
この大会の特徴は、自治体やスポンサーが付かないこじんまりとした大会という事は、前回書きました。もう一つの特徴を上げると、1月3日の開催のため、「正月でも走りたい」という人達(別名ランバカ)が集まってくるのです。ですから普通のハーフマラソンに比べてレベルが高い人やベテランが多いのだ。その為仮装率も低い。
そりゃあそうだわなあ。正月休みをマラソン大会って、家族にしたら「お父さん何考えてんの!」になります。うちみたいに「夫婦そろって」ならともかく(笑)。
もちろん私は最後尾からのスタート。
田舎の田んぼと堤防を走るので観客が少ない。ほとんどいないと言ってもいいくらいである。田んぼの中にある所々の集落を通る時に、地元の爺ちゃん婆ちゃんが手を振ってくれるぐらいなのだ。
たまに交通整理をする安城桜井の消防団の兄ちゃんたちが、
「おお!ネギやんけ!凄い凄い!」
と声援をかけてくれるのがうれしい!
実はこの矢作川マラソンのコースは、私が自転車通勤するコースとほぼ重なっておりまして、土地勘道勘はバッチシなのである。桜井の街の中に消防団の建物があり、よく夜遅く消防団のメンバーが訓練しているのを見ます。
ありがとう消防団!君たちは安城桜井町の星である!(ちょっと褒めすぎか)
などと考えながら走ってると、前の方に見覚えのあるTシャツ軍団がいた。西尾にある自転車専門店の「まるいち」の皆さんである。
私も時々買い物をさせていただいております。チューブとかチェーンとか安い買い物しかしてません。ごめんなさい!将来出世してお金持ちになったらチタンフレームを(笑)。
昨年一色マラソンでまるいちの社長さんと途中一緒に走ったのではありますが、今年は矢作川に参加されてるので挨拶。
「今年は一色は出場されますか?」
「ええ出る予定です」
4~5名の参加者らしいのですが、「まるいちの参加者はアスリートばかりなので速い」という噂を聞いた事があります。
案の定私をぶっちぎってどんどん前に走ってかれました。
集落の中を駆け抜けて行きます。普段自転車で通る道なんですが、両サイドにお年寄りがワラワラと出ておりました。
「おやまあ、あのお兄さん、ネギを持って走ってるよ」
背中に「農家」とプリントしてあるので、それを見て笑ってる。
「ネギ農家さんだね」
少ないけれど声援はしっかりいただきました!ありがとうございます。
第一エイドに到着。見ての通りスポーツドリンクなんですが、机が3つだけの小さなエイドです。気温が高いので皆さん足を止められて給水されておりました。少ないボランティアさん達がてんてこまいしておりました。
実はこの頃から年末の29日に痛めた左足ふくらはぎの痛みがぶり返してきました。ストライドを広く後ろに伸ばすと、筋が痛いです。痛みで走れないとまでは行きませんので、幅を短めにして走っております。ストライド短めだと痛みは無く、違和感ぐらいで治まっております。
集落を抜けて農道に入ると、お猿の着ぐるみさんの応援を受けました。ネギでタッチ!
この方は帰りも別の所で応援をして下さいました。ありがとうございます!
畑の農道を延々と進んで、途中から矢作川の堤防に上がって行きます。堤防の上のランナーを見て、
「見ろ、まるで人がゴミのようだ」by ムスカ大佐 
という宮崎アニメギャグを飛ばしながら走り続けました。

堤防上で白髪のお爺さんランナーと並走してたら挨拶されました。やはり仮装してると話しかけ易いみたいです。
「その格好は何でしょう?」
百姓です。今日は気温が高くて暑くて仕方がありません。
「私もこの大会をずっと出てますけど、こんな春みたいな日は初めてです。強風で有名なこの堤防コースが、全然風がありません。正直驚いてますわ」
ここで宮崎アニメギャグ、
「風が止まった・・・」by ナウシカ
すいません、滑りました。
この大会はエイドの間が広いので、私はペットボトルのスポーツドリンクを、少しずつ飲んでおりました。これで何とか脱水にはならんかった。
8キロか9キロ付近だと思いますが、新幹線の鉄橋付近に「まるいち」軍団の応援団がおられました。会社全体で参加されてるみたいです。
しばらく行くとバイクが先導する先頭ランナーとすれ違いました。気温のせいでしょうか。皆さん汗が噴き出ております。写真は2位3位の人達です。
ワンポイント仮装3人美女です。今日の大会で一番かわいい人達だと思います!写真の時にポーズをとって下さいました。ありがとう!
3人娘を追い越して第二エイドに到着。暑さで給水される人が増えたので、ボラの人達は半分パニックになっておりました。ボラの皆さん、すまんのう。

段々すれ違う人が多くなってきております。いかに私が遅いランナーであるかの証拠です。
折り返しの志貴野橋約1.5~2km手前で、朝に
「ブログ見てますよ」
と挨拶していただいた春日井のランナーさんとすれ違いました。速い!
半分で3~4km先行って事は、ゴールされた時に私は6~8km離されてるということかー!
俺の足が遅いんだあ!
と訳の分からん事ブツブツ言いながら走っておった(笑)。
その後、折り返しの手前500m~1キロぐらいで、嫁さん&嫁妹とすれ違う。嫁にしてはペースが遅い。やはり暑いのだろうか。

まるいちTシャツを着た金髪兄ちゃんに追いつきました。
まるいちの社長さんは、前ですか?
「もうすぐすれ違うと思います」
社長さんは速いですねえ。
「あの体型で速いんです。うちの社長」
おいおい、でも私もそう思う(笑)。
金髪のお兄さん、暑さで苦しそうである。
「自転車なら200キロ300キロ平気で走れるんですが、マラソンはやっぱしんどいですわー」
悲鳴とも思える台詞であったが、笑ってしまいました。すまん。
この日は3月中旬の暖かさであったそうである。お兄さんが悲鳴を上げるのも当然です。
さて折り返し地点では、思いっきり消防団に人達に受けました。気持ちいいです。
後半戦はどうなりますやら。
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新春矢作川マラソンは、ぽかぽか陽気であった

2016年01月05日 21時55分24秒 | 仮装マラソン大会
1月3日 矢作川ハーフマラソンは春であった

すぐに更新すればいいものを、実家に帰って遊んでたT岡です。2日経ってようやく記事が書けます(笑)。
元旦は親戚一同が集まりどんちゃん騒ぎ。もっぱら嫁が騒いでおりました。私は大人しかったですよ。
2日は朝から西尾の小京都の湯というスパに、子供と行ってきました。家を出ると車の中で猛烈なクシャミが出始めた。
「すわ!風邪を引いたか?」
家に帰ってもクシャミは止まらず。その日は薬を飲んで早目に寝た。あー明日はマラソン大会なのにどうしよう?

3日は晴れ。5時に起床、しかも暖かい。クシャミも止まりました。アレルギーだったみたいです。
朝飯を食い嫁さんと6時50分に出発。7時5分に嫁さんの妹の家に着き、駐車場には7時20分着。近いと便利だなあ。
嫁さんと妹は日焼け止めの化粧などしており、車を出て歩き始めた。シャトルバスはありますが、会場まで1.5kmなので歩くのとそんなに変わりません。かなりの人達が歩いておりました。
「暖かいね」
「日焼けしそうだわ」
「脱水で足攣るかもしれん」
歩きながらの3人の会話です。何年もこの大会は出ておりますが、数年前に吹雪いている中を走った事が想像できん。
8時頃会場に到着すると、もう既に皆さん公園で荷物を広げております。いつもなら寒さ対策の為にテントがいっぱいあるのですが、今日はほとんど無い。
あ、そうそう。私既に家で仮装して来ております(笑)。ゼッケンも家から着けているので、時々振り向かれておりました。
自治体主催の大会ではありません。一般の団体が主催する大会なので、開会式もこじんまりとしております。もちろんパンフも無し。エイドも給水のみ。
安いから仕方が無いのだ。
ランネットなんかでよく大会主催者に文句を言ってる人がおります。確かに安全にかかわる事は仕方が無いと思いますが、
「食い物が無い」持って走れよ
「水しかない」ジャリ銭持って自販機で買え
「賞状がペラペラ」そんな大層な記録でもないだろう
「km表示が無い」GPS買え
「賞品がしょぼい」豪華な高い参加料の大会に行け
まあ何と現代人の我儘な事よ(笑)。高い参加料を払ってる場合は仕方がありませんが、安い所に文句を言ったらダメ。
一色マラソンで数年前にゴール近くで人が倒れて、救急車で運ばれた事件がありまして、その後ランネットには、
「コースの要所要所に医者を待機さすべき」
「主催者側は地震や津波警報が発令されたときの想定はしてあるのだろうか?」(←ホントに書いてる)
津波が来たら自己責任で死ぬしかないだろ。海沿いの堤防なんだから防ぎようがないのは当たり前。心臓麻痺を起して死ぬのも自己責任だから、何でそこまでせんとあかんのだ。
昔昔の小さな大会で、エイドでわめいてる兄ちゃんを見た。
「収容車は来ないんですか?」
怪我してるのならともかく、どうも単なる風邪気味で早期リタイヤしたとのことである。
「路線バス走ってるから、それ乗れ、あほう」
と言ってやりたかったなあ。
こういう甘ったれた人間はもうどうしようもないですねえ。
などという会話を嫁さん達としておりました。矢作川マラソンは超貧乏な大会なので、多少の事で文句を言ったらバチが当たります。
マクドナルドに高級品を求めてはいかんのだ。マクドに健康志向を求めるのはアホのする事である。体に悪い食べ物で、大した味じゃない、100円玉1個で食える安い食い物がマクドなのだ(←褒めてるのか貶してるのかわからん)。
私はマクドが大好きです(笑)。
話が脱線してしまった。30分前になり、荷物を公園のシートに放り出して、スタート地点の道路の最後尾に並ぶ。
仮装ランナーは・・・ほとんどいません。
おお!ようやくおりました。「超高速ふなっしー」さんと呼ばせて頂きます。むちゃ速そうな人でした。気前よくポーズをとって下さいました。ありがとうございます。
「ブログ拝見しておりますよ」
と声を掛けてくださいました方です。春日井から来られたそうです。いやホント、凄く恐縮してしまいました。このブログを読んで下さる事自体に感謝感謝!
「ブログとても面白いですよ」
どわー!恥ずかしい恥ずかしい・・・穴があったら入りたいくらい恥ずかしいです。
この人は無茶速かったです。
美女を探してると、私の持ってるのと同じTシャツの方がおられました。おそらく昨年一緒に知多半島に出られた方なのでしょう。おお同志よ!
仮装ランナーの方は、魔女の宅急便のキキの仮装の方が1名、着ぐるみの方1名、他は頭の飾り物ワンポイント仮装が何名かおられました。写真撮れなくてすんません。
アナウンスも無くいきなり号砲が鳴る。
「ええ!スタートなの?」
という声があちこちで起こりました。仕方がありません、アナウンスなどの設備が無い大会なのです(笑)。自分で時計を見てスタートを予測するしかないのです。
こういう大会って大好きです。よく言えば「手作りの温かみのある大会」、悪く言えば「貧乏臭い大会」わははは。
この大会は給水所も少ないので(笑)、ウエストポーチにハーフサイズのペットボトルを仕込んであります。後ほどこれが大変役に立ちました。
さてどうなりますやら。

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今年もよろしくお願いします

2016年01月02日 15時21分13秒 | オッサンの日記
1月2日 遅れましておめでとうございます。

すいません。大晦日は仕事でして、家に帰った後は酒飲んで、2日間延々と酒飲んでおりました。起きたら酒、寝る前に酒、ちびりちびりとやってました。更新が1日遅れた。
普段でしたら大晦日も走るんですが、ふくらはぎに違和感があるので、3日の矢作川ハーフマラソンが終わるまでは足休め。飲んで食って・・・いかん、太ってきた。
年賀状も元旦に作成し、本日2日に出しました(笑)。
という訳でして、今年もよろしくお願いします。
明日の3日は安城市の桜井で「新春矢作川ハーフマラソン」に、嫁さん・嫁さんの妹さんと出ます。もちろん仮装で、百姓の格好で出ます!
その晩は三重県の実家に1泊2日で帰りますので、久しぶりにプチ旅ランが出来ると思います。
そろそろエンジンを始動しないといかんなあ。

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