立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

休日の大型スーパー

2007年11月05日 | Zenblog
 たくさんの人を見ようと思えば、休日の大型スーパーへ行けばいいですね。ごった返す人並みを避けた暮らしをしていると、たまにたくさんの人を見たくなります。「何を贅沢言ってるんだ!」と叱らないでください。でも、そう思って出かけたのです。

 大型スーパーも経営方針によっては違うでしょうが、ここは数年前滑川の田んぼの中に突然出現しました。グランドより大きな駐車場を備え、倉庫のような建物の中には天井まで届くような棚が並んで、従業員の数もかなり切りつめたような、実に経営効率の良さそうな大型店です。

 自分が「お客」だということを忘れてしまいそうです。少し動きにくい大きなカートを引っぱった「動く買い物機械」になったような気がします。富山市内からも、もっと遠くからもどんどん自動車に乗って押しかけます。大型カートに山盛りに買い物を乗せて、黙々とレジに並び無表情に金を払い、レジ袋に黙々と買い物を詰め込んで、カートを押して流れるように自動車に向かって行きます。
 まるで流れ作業のベルトに乗って部品・製品が流れていくように見えました。

 たくさんの人に出会ったという気持ちが、全然起こりませんでした。何か怖ろしい流れを見ている錯覚にとらわれました。

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殷墟の婦好墓(4)・・・JingShang君、殷墟に行く(20)

2007年11月05日 | JingShang君からの上海レポート
 数層に分かれた墓の最底部は、発掘時水に浸かっており、棺は腐敗して見つからなかったものの、棺があったと思われる部分は朱色で、水銀ではないかと思われているようです。

 これは墓の最底部です。棺がおかれていた場所が朱色になっています。この朱色の部分の写真上に盛り上がったところが見えると思いますが、これは貝です。貝は、海南島、広東、台湾から運ばれたと言われています。写真右の上段と写真上の上段に骸骨がありますが、殉葬者です。切断されています。写真上の骸骨の更に右手上にも骸骨があります。写真の縁ぎりぎりで見えにくいでしょうが、そこに子供の殉葬者の骸骨があります。

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殷墟の婦好墓(3)・・・JingShang君、殷墟に行く(19)

2007年11月05日 | JingShang君からの上海レポート
 象牙製品です。婦好墓で撮影した埋蔵品展示品です。当時安陽付近は今よりは暖かく、象がいたとのことです。河南省の簡称を「豫」といいます。豫は、喜ぶとか楽しいという意味のようですが、文字の旁(つくり)が象であるのは、古代河南に象がいたことと関係あるのだとガイドさんから聞きました。

 殷があった商朝のことですが、起源ははっきりしませんが、終わりは紂王(傑王と共に暴君として有名です)周の武王に敗死した時で、紀元前1046年だそうです。商朝は、山東省から河南省安陽の殷に移転し、殷の都で200年程度、山東省時代を合わせて全体で600年程度といわれるので、ごく大雑把に言えば、紀元前1650年頃に山東省に興り、紀元前1250年頃に殷に移り、紀元前1046年に滅亡したということになります。

 殷は上記のように商朝後代の首都名で、それの廃墟なので、殷墟と呼ばれます。


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殷墟の婦好墓(2)・・・JingShang君、殷墟に行く(18)

2007年11月05日 | JingShang君からの上海レポート
 数層に分かれた墓のなかから、銅器、玉石器、象牙器等2000近くの副葬品が出土しました。そのうち銅器は468件で、そのうち105件には「婦好」或いは「好」の文字が刻まれていたとのことです。

 これも発掘された青銅器の一つです。下半分に水を入れ、下から火を焚いて、上半分に入れた食物を蒸すのだと思います。これも墓の中で展示されていました。インターネットから採取しました。

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