不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Ho avuto una predica

2004-06-20 18:54:01 | 日記・エッセイ・コラム
6月20日は母の誕生日。
こんな日でも元気に母は父と共に
カクテルバーの営業に出て毒舌をふるっている様子。

私が電話をしたのは日本時間の20時ちょっと前。
お店が忙しくなる前にと思って。

誕生日おめでとうと伝えると
あ、ありがとう。
どうやら、その口ぶりから
私が先週贈ったプレゼントはまだ届いていないらしい。
まぁ、イタリア郵便局に託したわけですから
焦っても仕方ない。そのうち届くでしょ。

それからとりとめもない世間話をしていくうちに
うちのビリーさんが
「ポックンもお祝いする」とばかりに
受話器のそばにやってきてバウバウ。くーんくーん。
その声を聞いて母がひとこと。

「そういえば、あんた、ネコも飼っているの?」

そうだった、ネコを飼っていることは母には内緒だったのだ。
母はなぜか昔からネコが嫌い。
その理由は聞いたことがなかったんだけど。
うちのチッチーノは当初はただの居候猫のはずだったのが
ある日、行き先を失ったので
私がその後もずっと手元に置いてから早1年ちょっと。
その間、母にはどうしても言い出せなくて、結局内緒にしてきた。
でも私のHPにはちゃんとチッチーノのコーナーもあり
いくら実家の両親がコンピューターを使わないとはいったって
お店のお客さんや私の友人などから
情報が漏洩する(ってほどたいしたことじゃない)のは
時間の問題だったのだけど。

親戚の法事に行ったときにそういう話になったのだそうだ。
「イタリアでイヌの次にはネコも飼い始めたんだってね。」
母にしてみれば寝耳に水のお話。

で、説教されました。
親にとってみればいくつになっても子供は子供ですし、
私も至らないところばかりですからね。
説教自体はありがたく。いただきました。

「人が好いのも、いい加減にしなさいよ。」
「動物なんだから、大変なのよ。」
「お人好しも、度を過ぎれば短所なのよ。」
「ビリーだって、いらいらしているんじゃないの?」
「まったくあんたはいつも誰かの犠牲になるばっかりで。」

母の言いたいことはよくわかってます。
それに、この自分の性格も十分わかってます。
先日鑑定したツキアイゲノムにも
ちゃんとそういう結果が出てました(爆)。

しかし、世の中にはそれぞれの役割がやっぱりあるのでしょうね。
私に与えられたのはこういう役回りなのでしょう。
誰かのために己を捧げる。
(そんなすごい聖人みたいなものではないが・・・。)
自分にできることはそういうことだけだと思っている面もあるし。
私のこの人生は
実はカルマ落としだと最近思うようになりました。
前世できっといろんな人に迷惑をかけた、
その償いを今世でしているのですよ。

だから母に説教されても、
こればっかりは仕方ないなぁと思うばかり。

ただもうちょっと若かった頃には
こういう母の説教に対して、
怒り狂っていた自分もいたのです。
「何もわかっていない」と
楯突いていた自分がいたのです。

私もオトナになったのかなぁ。

22時過ぎから友人が集まってお祝いしてくれるのよと
最後はまたいつも通りの母の口調で
そして最後の最後に
「自分の人生や生活もきちんと考えなさいよ。」

厳しいけどありがたい言葉だな。


Il cielo dalla finestra

2004-06-20 15:46:45 | 日記・エッセイ・コラム
cielo_20062004.JPG

自宅の中庭に面した窓から望む空。
いつも変わりなくそこにあるのに
やっぱり時々はボーっと眺めてしまうこの景色。

「くらぶアミーゴblog」~空と雲っ!
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太古の昔から
人は空を見上げて果てしない夢を抱き。
いろんなことに思いを馳せるためにも空を仰ぎ。
涙をこらえるために無理して上を向いたことだって。

時に厳しく時にやさしく。
穏やかな日ばかりじゃないけれど
晴れた日の空って
何でも受け止めてくれそうな気がしませんか。

The day after tomorrow
(イタリア語タイトルはL'alba del giorno dopo)
先日観てきました。
映画自体は「アメリカのばかやろう」と叫びたくなる類の
ハリウッド的「世界はアメリカ人が救う」ストーリーで
いささか???でしたが、
その中で刻々と様変わりする空の様子には
息を呑んでしまいました。
もしあんなことが現実になったら・・・。

でも最後は
「これまでに見たこともないような青空が広がる」のですよ。
アメリカ的だ!

空はやっぱり青いほうがいい!


I tombini

2004-06-20 03:07:41 | まち歩き
micioさんのDiario
面白いエントリがあって
前から気になっていたので、ようやくトラックバック。

マンホールフェチなのだそうです。
このエントリに対して
色々と全国各地から寄せられているマンホールは
とても手の込んだ、センスのいいものがたくさん。
人間ってこんな日陰の存在の部分にも
ちゃんとアートを求めていたんですね。
こういうものをデザインしている人だっているんですよねぇ。

フィレンツェの街のマンホールはどうかしら。
あんまり個性的なものがなかったのですが、
水道のマンホールを2種類ゲット。
tombino01.JPG

tombino02.JPG


フィレンツェの街は実にワンコの落し物が多いので
これまでも不注意に歩くと大変な目に遭うのが明らかで
足元に気を遣っていたのですが、
これからはなんだか
もっと違った意味で、芸術的な意味も含めて
足元に気を遣って歩けそうな感じ。


Dove sono finiti i centesimi?

2004-06-20 02:14:01 | 日記・エッセイ・コラム
ヨーロッパの通貨統合に伴って
色々解消したことと新たに持ち上がった問題。

もちろん通貨が統合されたというだけで
ヨーロッパ周遊旅行がどれだけ楽になったか、
それは言うまでもありません。

そして、巷で騒がれ、
生活実感としても毎日感じざるを得ないユーロ便乗値上げ。
フィレンツェは元々物価が高いのに、
ユーロになって街の中は一気に価格が上がってしまいました。

で、もう一つの問題はセント硬貨の紛失。
ユーロ通貨では硬貨だけでも
2ユーロ硬貨、1ユーロ硬貨、
50セント硬貨、20セント硬貨、10セント硬貨
5セント硬貨、2セント硬貨、1セント硬貨と種類豊富。
このうちの1,2,5セント硬貨の流通枚数が減っているというのです。

イタリアを例に挙げれば
元々リラ表記だったものをユーロ導入に伴い
1ユーロ=1936.27リラで換算していたので
細かい硬貨も絶対に必要だったのです。
その頃の問題はなんだったかというと
お財布がやたらに小銭で膨らみ始めたってこと。
小銭を確認しながら支払うので、
レジもいつにも増して長蛇の列になりイライラ度が高まったことも。

それが導入から2年半。
何が変わったかといえば
やはり便乗値上げと端数切捨ての簡略化で
こんどは小銭が必要じゃなくなる。
(これはあってはいけないことなんだけど、本当は)
実際の支払いで必要ではなくなったし、
お財布の中に入れておくとかさばって格好悪いので、
ということで1,2,5セント硬貨はあえなく、
おうちの貯金箱や箱の中に溜め込まれるという結果に。
こうして溜め込むので、流通しなくなったわけですね。

かくいう私もかなり小銭を溜め込んでます、家に。
でも2ユーロ硬貨も溜め込んでいるので、私の場合・・・。

こうした状況が続くと更に
端数切捨てによる値上げが増えていくので実は悪循環。

ようやくそれに気づいたのはドイツ。
さて、どんな手を打つのでしょうね。
イタリアは、独自の解決策など見つける気はさらさらなさそうで
もちろん言われたとおりに動くだけなんでしょう。