不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

La testa di Berta

2006-10-10 00:27:08 | アート・文化

フィレンツェの中央駅からドゥオーモに伸びる
バス通りの喧騒の中に建つ教会が
Santa Maria Maggiore(サンタ・マリア・マッジョーレ教会)。
フィレンツェの最も古い教会のひとつとしても挙げられる
由緒正しい教会で
8世紀のロンゴバルドの支配の時代には
既に存在していたといわれ
931年の古文書にも登記が残されています。

当時の城壁に囲まれたフィレンツェは非常に小さく、
城壁の北限が現在のバス通りである
Via de' Cerretani(チェッレターニ通り)で
教会はその城壁の内側ぎりぎりのところに建てられていました。
13世紀に改装が行われ、一部ゴシック様式に変えられましたが
ロマネスク様式の鐘楼はその姿をとどめています。

この鐘楼の上部ににょっきりと突き出ている頭像があります。
茶色いレンガの壁面に
白い大理石の物体が突き出しているのは異様な感じ。
これは女性の頭部で「ベルタの頭」と呼ばれるもの。

Berta_01
日の当たっていない側面にニョキっと。
おまけに角の部分にはERTAという文字も確認できます。
きっとBERTAと書かれていたのでしょう(Bがないのですけど)

この不思議な頭像については諸説あり、
そのひとつは
彼女が教会の下を通り過ぎる犯罪者をからかったため
その呪いがかかり石化された彼女の頭だという説。
怖いし信憑性にかける気がします。

実際もっともらしく語り継がれているのはこちらの説。
1200年代を生きた庶民で、
キャベツを主に生産する農婦だった女性が
城壁の外にある畑からキャベツをはじめとする野菜を売りに
毎日この教会の鐘楼の辺りまでやってきていました。
この地区一帯の住民にとても好かれていたこの女性は
働き者の熱心なカトリック信者だったのだそうです。
仕事に一生懸命なあまりか、生涯結婚相手を見つけることもなく
そしてもちろん子孫も残すことがなかったので
自分が働いて稼いだわずかな財産を
あるときこの教会に寄付することに決めました。
「このわずかな資金で是非鐘を鋳造してください」
彼女の望みは教会の鐘楼の鐘を作ることでした。

当時のフィレンツェは城壁に囲まれていて、
防備のために早朝は日の出とともに城壁の扉を開け
日暮れとともに扉を閉める慣わしでした。
この日々の扉の開閉を知らせるために
教会の鐘が利用されていました。
田畑での仕事に没頭しすぎて帰り時刻を間違えたりすると
城壁が閉ざされてしまい、
一晩城壁の外で危険に晒されながら過ごさなくてはなりません。


そんな時代には城壁の最北限にあった
サンタ・マリア・マッジョーレ教会の鐘は
城壁の外の田畑で働く農民にとっては
夕刻の帰宅時刻を知らせる大事な存在だったわけです。

この時を告げる鐘を作るようにと寄付をした彼女を称えて
彼女の頭像が鐘楼の一部に取り付けられたのです。

こっちの説を信じて語り継いでいくほうが幸せでしょ?

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ちなみに城壁の扉が閉まる時間に
ぎりぎり間に合うかどうかという人は
大きな石を扉に向かって投げて
扉の向こうにいる警備兵に知らせて
閉じる時間を少し遅らせてもらったのだとか。
完全に閉まってからでは打つ手はなかったわけですが、
閉まりかけなら何とかしてもらえたということ。
なんともその頃から
そういうイタリア人的な感覚があったわけですね。

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