不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

La memoria di un certo Ugolino

2006-10-17 02:17:37 | アート・文化

最近の世界史ではどのように教えているのか定かではありませんが
私の高校時代には「免罪符」と訳されていた、
カトリック教会の権威によって罪が軽減されるという「贖宥状」。
世界史的に有名なのは宗教改革を引き起こした16世紀の
レオ10世がサン・ピエトロ寺院建築のために発行したものですが
それよりも以前からカトリック教会は頻繁に贖宥を行ってきました。

もともとはイスラム教徒から聖地を奪回する名目で
出陣した十字軍への参加者の労をねぎらうためにはじめられ、
従軍できない人も寄進を行うことで贖宥状を入手でき
それによって犯した罪の償いが軽減されると形を変えたもの。
1294年から教皇の座に着いた
Bonifacio VIII(ボニファティウス8世)の時代に
聖年システムが導入され、ローマへの巡礼を促し、
この時にサン・ピエトロ寺院(Basilica di San Pietro)と
サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ
(Chiesa di San Paolo Fuori le Mura)を巡礼することによって、
罪の償いが軽減されるとしたのです。

このカトリック教会初の「聖年」は広く宣伝され、
ヨーロッパ各地からローマに赴いた人が多く、
もちろんフィレンツェからも数多くの人が
この類まれなる機会に罪の軽減を願って
ローマへ出かけていきました。

この世紀の大イベントを記録した石碑が
フィレンツェの裏路地に今でも掲げられています。

サンタ・クローチェ教会(Chiesa di Santa Croce)の広場と
ギベッリーナ通り(Via Ghibellina)を結ぶ
ジョヴァンニ・ダ・ヴェッラッツァーノ通り(Via G.da Verrazzano)には
かつてUgolino(ウゴリーノ)さんが住んでいた屋敷があり
その自分の屋敷の壁に
この聖年に自分がローマへ赴いたことを記録する碑をつけたのです。
碑文はほとんどの部分はラテン語で
「1300年に全能の神はカトリック教徒に偉大なる許しを与えられた。
この年教皇ボニファティウスはローマへ巡礼するすべてのものに
その罪の許しを認めた。」という内容が刻まれています。
そして最後の数語だけが当時のイタリア俗語で書かれていて
「ウゴリーノは妻を連れて行ってきたぞ」と記しています。
その当時フィレンツェからローマまでの旅費は
相当高くついたでしょうし
妻を連れてローマまで行く旅費を捻出し
さらにそこで贖宥を受けたことを
みんなに自慢したかったのでしょうね。

Ugolino

そんな遠い一人のフィレンツェ市民の記憶が
今まだ残っているのです。

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