不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Nelle sue ossa la traccia del mercurio

2010-06-22 13:03:20 | アート・文化

トスカーナのPorto Ercole(ポルト・エルコレ)の
共同墓地から掘り出されて
Ravenna(ラヴェンナ)で
分析調査が進められているカラヴァッジョの遺骨。
7月18日の命日(400年祭)を目前にした先日、
カラヴァッジョの遺骨と思われるものが
ほぼ確定されたと報道されました。
約一年をかけて埋葬先の選定から古文書解析、
遺骨の科学分析までの
一連の調査がほぼ終了に近づいているようです。

ポルト・エルコレのカラヴァッジョが埋葬されたといわれる
Cimitero di San Sebastiano
(サン・セバスティアーノ墓地)は
カラヴァッジョが埋葬されたときとは大きく様変わりしており
1929年には無縁仏の多くが
地下深くの共同埋葬地に埋められてしまい、
さらに1956年にはその一部が完全に埋没しています。
不運なことに
カラヴァッジョの遺骨もその中に含まれていました。
従い、発掘作業から難題が多かった調査なのです。
その後、カラヴァッジョ村の司祭であったといわれる
彼の叔父や兄弟の遺骨を探し出し、
DNA鑑定をする予定が
該当の遺骨自体が確定できず、
妹の系列から途切れることなく続いた
家系の末裔の捜索も行われています。
そうした調査の中で、
数多くの古文書の中に書かれていることから
カラヴァッジョは比較的頑強な体格で
背も高かったということをベースに
共同墓地から掘り出した遺骨を一つづつ検証。
身長170センチ以上の男性の遺骨のみを残して
そこから化学分析を行ったそうです。

決め手となったのは
骨に残されたPiombo(鉛)とMercurio(水銀)。
400年前の画家が使っていた画材には
多く含まれていたのだそうです。
これによってほぼ85%の確立で
サンプル5がカラヴァッジョであると確定。

ポルト・エルコレ周辺は当時漁業が盛んで
周辺で暮らす男性のほとんどは漁師で
プロの画家はほとんどいなかったため
他の遺骨からは
鉛や水銀はそれほど検出されていないそうです。
描きかけの作品の上で食事をとったり、
いつも絵の具で汚れていたりといった
カラヴァッジョの生活習慣や画材とのかかわり方が
骨内に蓄積される鉛や水銀濃度を高めているようですね。