不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Mentalita' troppo ristretta

2010-07-28 18:35:21 | 日記・エッセイ・コラム

イタリア人の友人がまもなく日本へ3週間の旅行に出ます。
彼女はこの日本行きをすごく楽しみにしていて
それを見ている私もうきうきしてくる感じです。

今回の彼女たちの旅行の手配をもろもろお手伝いしていて
なんとなく最後の関門で残ってしまったのが
京都の宿坊体験。

せっかくだから宿坊に泊まってみたらと提案したのは
他でもない私だったのですが、
もちろん当てがあったから提案したのです。

仕事でもよく尋ねられるので、
いろいろ個人的に興味もわいて調べていて
外国人でも受け入れてくれるところがあると
口コミサイトなどでも記載があったし
実際に何組かのお客様は送客したこともあったので
あまり心配はしていなかったのです。

しかし、
今回8月だということもあったのかもしれませんが、
軒並み宿泊を断られ、
宿坊体験できない可能性も出てきました。

ただ、問い合わせをしているうちに
だんだんいやな気分になってきちゃったのです。

電話をかけて最初のうちは和やかなのに
宿泊するのはイタリア人2名、
二人とも日本語は話せませんが英語はできます
とこちらが言った瞬間に
明らかに態度が変わるのです。
その態度の変わりように嫌気がさしてきたのね、私。

何件目かにちょっと私も意地悪な気分になって
まず空室状況を聞いて、空室を確認してから
宿泊者はイタリア人だってことを告げてみようと思ったのです。
すると・・・。
そう、空室あるのに、
日本語できないイタリア人だと泊めてもらえないのですよ!

そりゃぁね、
外国人は日本人と違って
体もでかいでしょう(多分)
態度もでかいでしょう(多分)
お行儀も悪いでしょう(多分)
声もでかいでしょう(多分)
日本語通じなかったら
いろいろお作法も説明できないでしょう(多分)
何かあったとき困るでしょう(多分)

でもだからといって宿泊断らなくても。
日本語できなくても意思の疎通はできますよ。
イタリア人だって中には心得のある人もいますよ。

だいたい日本に行こうと思う人は
日本人よりも神社仏閣に興味持っている人も多いし、
そんなに無碍に扱わなくてもいいじゃない。

なんか各宿坊の担当者の
態度の変化とかを見ていたら
「なんて了見の狭いやつらじゃ」と思ってしまった。

しかも宿坊ですよ。
禅の教えやら仏教の教えに従えば
もっと寛大な心で
万人を迎えるのが普通だと思ってました、勝手に。
それは私の思い込みだったのですか?

なんかね、すごくがっかりしました。
日本の小ささを垣間見た気分にもなり
すごく残念。

と、これを読んで
「よっしゃうちで泊めてやる!」
という宿坊があれば救いもあるかと思ってみたり。
まぁ、無理でしょうね。