不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Tra la mente e il cuore 25.11.2012

2012-11-25 17:13:22 | Tra la mente e il cuore
昨日、少し早めの忘年会。
友人の運営する文化協会で
彼女の一時帰国の前に集合ということで
イタリア人と日本人総勢20名ほど。

20時から始まり、
持ち寄りの夕食パーティを楽しみ、
5周年を迎える文化協会のお祝いで
メンバーお手製のくす玉を割り
徐々に解散。

しかし、いつものメンバーで居残り、
ついつい遅くまで反原発やら政治の話で
こっそり盛り上がり、帰宅したのは夜中3時前でした。

しかし、いつもながら勉強になる話も多く、
こういう機会が身近にあることがとてもありがたい。

居残り組の中に、
夜中に焙じ茶を飲んで
饒舌になった(笑)友人のパートナーがおり、
彼が話してくれた廃墟の話。
実は私が彼とこの話をするのはこれで3回目。

最初この話を聞いた時には
私はトルクメニスタンの砂漠で燃え続ける
「地獄の入り口」の話だと思っていたんだけど、
ちゃんと彼の話を聞いていたら、
アメリカの話で違う場所だってことに気づいた。
トルクメニスタンの砂漠はこちら。

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YouTube: Darvaza, Karakum Desert, Turkmenistan 01 - Gas Crater



彼が言っているのは
アメリカのペンシルヴァニアにある
Centraliaという街の話だったのね。
調べていたら2007年の古い記事を見つけた。
こちら(イタリア語)
1962年から地下で燃え続ける石炭。
どんなにお金をつぎ込んでも人類の手には負えない自然の驚異。

そして記事を読めば、
世界中に似たようなところがいくつもあることがわかるし
どこも我々の手には負えず、
ただ燃え尽きるのを待っているだけ。

彼と原子力発電の話をしていると
最近は必ずこのCentraliaの話に行き着く。
彼の中では繋がる部分があるんだろう。
それは発電という現実的な実用化の話であったり、
人類には手に負えないモノであるという点で
共通だと思っているからなのかもしれない。

昨日の話では、
彼はこの燃え続ける火の力を利用して
発電したらいいのにということも言っていたし、
確かにそれができたら、
きっともうとっくにしているんだろうけど、
多分不可能なんだろうね。
あれだけの火力に耐えうる設備を
その火の上に建設することが
そして、それに伴う危険性がどれほどなのかは
きっとアメリカ政府だって調査&計算したんだろうし。

調べていたら世界のゴーストタウンをまとめた記事にも出会った。
こちら(イタリア語)
これを読んでいて、日本のコーナーで
なんとも身近な伊豆スポーツ・ワールドが
日本を代表する廃墟の一つとして挙げられていて
なんだか奇妙な感傷に襲われた。
私は大学生の夏休みにあそこでよくアルバイトしたんだよね。
確かに廃墟になっているのは知っていたけど、
伊豆の国市はあれをどうするつもりなんだろう。
もう今ある設備は使い物にはならないけど、
あの敷地を有効活用するために何か動いているのかな。
おそらく資金難で、なにも手を付けていないんだろうなぁ。
これも面白いサイト(英語)だった

世界にはそんな無駄なものが山ほどあるってことだよね。
そして日々を生きて行くために
片付けることもせず、
見て見ぬ振りをしてやり過ごしていることが
なんて多いことかってつくづく思う。
それは我が家の冷蔵庫の上の埃から
核燃料の最終処理場まで分野も規模も問わず。
実に様々なものが「臭いものに蓋」の扱いになっていて
蓋しても何も変わりはしないんだよねってことを
日曜日の午後に
自分の目の前の埃を見つめながら思ったりするわけです。

このCentraliaの話も
もうちょっと調べたら色々おもしそうだなぁと思って
饒舌だった彼に感謝。