ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山梨県上野原市、秋山「秋山の民話33峰山の火事と34十二神様とどろぼう」です!!

2024-02-11 20:11:13 | ドライブ
 秋山地区(旧南都留郡秋山村)には民話が残っています
 
 相模原市や道志村と接する上野原市秋山は自然豊かな山間地で、民話の素材が豊富な地域です。

 民話は南都留郡秋山村当時の昭和49年(1974)村出身の地元教員約10人で「秋山村の民話を採集する会」をつくって発掘、取材し、78年に「秋山の民話」として刊行しました。

 平成29年(2017)には公民館と文化協会が41作の全文を、ゆかりの地と周辺に看板で掲示して普及を図っています。 


 そんな看板が「浜沢の大ケヤキ」のある薬師堂(熊野神社)境内にありました

  秋山の民 33 「峰山の火事」
 浜沢部落の北側に、「おやくしさま」と呼ばれている薬師如来を祀ったケヤキ造りの立派な社があります。
 この社は、その昔、”甲斐の三薬師”の一つに数えられ、近郷近在から参拝者で賑わったそうですが、今は、お祭りの時、氏子の人々が集まるくらいで、普段は訪れる人もほとんど無く、緑の木立の中に静かにたたずんでいます。
 ある時、社の裏手にある峰山から火の手が上がりました。
 折からの強い風にあおられて、山肌をすべるように下って来た火に村人たちは青くなり、必死の消火活動を続けましたが、木の枝や鍬でする作業には、あまりにも火の勢いが強すぎます。
 火は、みんなの努力の甲斐も無く、とうとう薬師様に燃え移ってしまいました。次は、もう人家です。
 人々は、これ以上消火続けても無理だとさとると、それぞれの家から持ち出せる物を持ち出し始めました。
 その間にも火の勢いは一段と強くなったようです。もう人家まで火が回るのは時間の問題です。
 人々の頭の中に、焼け跡に呆然とたたずむ自分たちの姿が浮かんできました。
 ところがどうでしょう。火は薬師堂を焦がすと次第に下火になり、消えてまいりました。
 焼けた御堂の中から運び出されたお薬師様は黒焦げになっていました。
 これを目の当たりに見た村人たちは「こりゃあ、お薬師様が火をけしてくれたあだ。」「自分を犠牲にして村を護ってくれたあだ。」と口々に喜びました。
 村人たちはすぐにお堂を建て替えると、お薬師様を手厚く祀った、ということです。

  秋山の民話 34 「十二神様とどろぼう」
 浜沢のお薬師様には、正面の薬師如来の脇に、左右6体ずつ、ほぼ等身大の木彫の神々の像が祀られており、村人たちは、これを「十二神様」と呼んでいます。
 ある夜、このお薬師様に、一人の泥棒が入りました。「何か金目の物はないか。」と、御堂の中を物色していますと、台の上にずらりと並んだ十二神様が目に止まりました。
 「よし、これを担いで行って、一儲けしてやろう。」そう決心した泥棒は、その内の一体を担ぎ出しました。人目に付かないように物陰から物陰を歩いて穴路峠の登り口に差し掛かりました。
 「やれやらこれで一安心。峠さえ越えてしまえばこっちのものだ。」泥棒はもう「いくらで売れるのかな」などと、胸算用を始めました。
 あまりに上手く仕事が運びましたので、一人でに笑いが込み上げてくるのを抑えることが出来ませんでした。
 ところが、峠を越える頃になると、いやに背中の十二神様が重くなって来たのに気付きました。泥棒は、何か魔法にでも掛かったような気がしてきました。
 見れば何の事は無いただの木像です。どうしてこんなに重くなって来たのか、訳が分かりません。休んでは歩き、休んでは歩きますが、歩く距離は次第に短くなって来ました。
 「こりゃあ、きっと、神様が怒っているんだ。」そう考えると、泥棒は、急に怖くなってきました。背負っていた十二神様を道端の草叢に下ろすと、一目散に逃げていってしまいました。その数日後、十二神様は、近所の人に見附けられ、浜沢に知らされました。
 浜沢では、村中総出で受け取りに行き、元の場所に納める事が出来た。ということです。
      上野原市教育委員会・秋山公民館

 *秋山の民話は「あきやまチャンネル」というYouTubeチャンネルで聞くことが出来ますよ
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新潟県阿賀野市、水原「今年初めての瓢湖へ」です!!

2024-01-11 17:49:22 | ドライブ
 今年も雪をかき分けるようにして、2024年1月8日に大雪警報の出ている瓢湖に行こうと出かけて見ました

 群馬県渋川市「日陰虚空蔵の大杉」を見てから、関越道はチェーンと50km速度規制です・・・

 で、月夜野インターで関越高速に乗って、湯沢インターからは下道で約140kmです、ゆっくり行きます

 雪は止んでいましたし、道路の路面に雪は有りませんでした

 この日は、2023年に出来たばかりの「道の駅あがの」で車中泊です


 雪の上がった、日の出時間の瓢湖です

 間も無く、五頭山系に朝日が昇りました


 多くの白鳥が、瓢湖白鳥観察舎販売組合のそばの島に集まっています

 餌やりを始めた担当の方の話では、昨日の大雪で、周辺の田圃に食事に出た白鳥が出かけたまま帰っていないそうです

 白鳥の他には、鼻の所の白いオオバンや頭の赤いヒドリガモ・目の金色のキンクロハジロなど

 オナガガモ(雌)かな

 グレーの幼鳥も見られます


 白鳥が瓢湖の底の蓮を食べているのでしょうか




 オナガガモも多数見られました 

 そろそろ周辺に出かけようとしているのでしょうか、羽ばたくハクチョウです

 上空を飛び始めました

 ミコアイサに会えなかったのが、心残りでしたが又にしましょう
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新潟県新潟市北区、新鼻 「福島潟・北限のオニバス」再訪です!!

2023-08-28 06:31:14 | ドライブ
 2023年8月15日訪問です

 北区新鼻地区は、 新潟市役所の東約19kmのところ

 新潟市北区役所の東約1kmのところに福島潟があります

 福島潟は大きな遊水地です、潟の南端に北限のオニバスの池があります


 オニバスの池です

 遠くにビュー福島潟の建物が見えます

 沢山のオニバスの花が咲いています

 葉の整理作業も行われていません

 スイレン科に属する一年生水草です

 ハスの花と違って小さい刺だらけの花です

 葉の両面や葉柄にもトゲが生えていることから「オニ」の名がついてます

 しかし、ハスはハス科、オニバスはスイレン科なので全くの別物です

 毎年訪れていますが、昨年はほとんど花を見れませんでしたのでラッキーです

 2021年9月13日のこのブログで詳しく紹介させて頂いております

 この時期紫色や赤紫色の花を水上に出します

 自分の葉を突き破って咲いている花も多くあります

 しかし水中には花を開かない「閉鎖花」もたくさんあるそうです

 多くのオニバスの花を見る事が出来ましたよ

 ホテアオイも一つの池を埋め尽くしています

 薄紫の花を付けています

 おや白鷺かな

 いましたね~

 では、次へ行きましょう
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富山県入善町、吉原「杉沢の沢スギ」(国指定)です!!

2023-06-01 12:29:46 | ドライブ
 ここからは2023年5月3日、ゴールデンウイーク後半初日の取材です

 2023年5月3日、前回(4月21日)の富山県取材の時に行けなかった所の取材のために再度富山県へ行ってみました

 まずは、時間切れのため行けなかった所(施設)に行きましたよ

 吉原地区は、入善町役場の北西約3kmのところ

 入善町役場前から国道8号線を南西へ、約2.4kmで青木東信号を斜め右(北西)へ県道114号線です

 約900mであいの風とやま鉄道の踏切です

 間も無く「1.2km⇑杉沢の沢スギ」の案内板です


 道成りに右カーブを過ぎると左手の田圃の先に特異な建物が見えました
 
 北東側の駐車場に入りました、10台ほどの車が止まっていて家族連れが散策しています

 駐車場北側に杉沢の沢スギのモニュメントです

 後ろの林が沢スギと呼ばれる場所です

 駐車場の入善町案内図です


 更にもう一枚は杉沢の沢スギの案内図です、古くなってしまっていますが何とか読めますね
 沢スギ自然館 
  朝9時00分~午後5時00分  午後4時30分までにご入館ください
 林内の見どころ
  ①多様な植物  暖地性、山地性植物の分布が見られる。
  ②伏条更新   沢スギの伏条更新の代表例が見られる。
  ③林内の環境  展望デッキに上がって林内の環境を観察してみよう。
  ④湧水地点   湧水(わき水)が見られる。
  ⑤かたち    1本の親木から伏条更新した沢スギのかたちを観察してみよう。
  ⑥人による管理 人の手を加えて沢スギを育成してきた例を見てみよう。
 

 では、建物(沢スギ自然館)に行ってみましょう、高い塔は展望デッキです

 沢スギ自然館は無料の施設です

 早速、展望デッキに上って見ました西側

 北側です

 杉の木にフジが満開に咲いていました

 東側です

 では、沢スギ自然館から北西側への出入り口から見て行くことにしました

 木道が敷かれています

 快適に進みます

 説明版を見て行きましょう
  生活の森・人による管理
 かつての沢スギは林は、「生活の森」として利用されていました。
 スギの幹は、家の柱などの建築用材やはさ木などに、樹皮は、屋根の葺き板に、葉(スパン)や小枝は、燃料に利用されていました。沢スギは人々にとって、生活をしていく上でかかせないものだったのです。
 そのため、人々は、枝払いや下草刈りなどを行い、枝や刈草も利用しながら、スギを育てて来ました。
 ●枝払い
 根の張りが浅く狭いので、風雪による倒木を防ぐため、枝を払うなどの手入れをしました。
 ●下草刈り
 雑木の若木や、幹に巻きつくつる草などを刈り取ってスギの若木の生育を助けました。

 中央付近から左(西)に入ると杉の木が倒れています

 倒れたスギの根株が露わになって、根には丸い河原石が入っています、手前の説明版にあったような手入れが行こなわれないと、このようになってしまうようです

 来た木道を戻って北側に進みます、沢スギの利用跡でしょうか、切株が多く見られます
 
 木道が杉の木を避けて造られていますね

 また中央部分から左(西側)へ進みます

 全国名水百選の標柱です

 湧水説明版です
  湧水(わき水)地点
 気温と湧水の水温とを比べてみましょう。
 水中温度計が、湧水の中に立ててあります。
 ●湧水(わき水)の特徴
 黒部川扇状地の扇頂ふきんで伏流して地下を流れてきた湧水は、1年を通して水温の差が小さいので、夏は冷たく冬は温かく、感じられます。
 夏は気温より湧水の温度が低いので、昔はこの湧水でスイカを冷やして食べたものです。
 冬は、気温に比べて、湧水の温度が高いので、寒い朝などは、水面から水蒸気が立ちのぼり、もやがかかって見えることがあります。


 綺麗な水が湧いているようですが、木道の下が湧水点になっているようで見る事が出来ませんでした

 北側から湧水点の説明版を見ました

 伏条更新が見られます

 奥には木道の敷かれていない部分が在ります、丸石が多く転がっています

 林の中では大きな杉の木です

 東側の木道に出ました

伏条更新で利用された杉の切株です

 伏条更新の説明版です
  伏条更新
 地下水位が高く水分の多すぎる土地、また表土が浅く砂や小石まじりで養分の少ない土地に生育する「沢スギ」は、親木の根元から枝が出て横に張り、地表についたところから根を出すという伏条更新の性質を持っています。
 しかし、林内外の環境の変化から、新たな伏条更新が見られなくなってきています。そのため、天然記念物に指定された当時の林内環境に近づけるよう、長期間にわたり整備を進めているところです。

 ガクアジサイですね

 これは

 テンナンショウ属の花です

 林内の多用に動植物の説明版です
 【動物】海岸近くの平地では珍しいナミウズムシ、トビケラ類、湧水に棲むトミヨや本来は渓流に生息するシマアメンボなど約120種類が知られています。
 【植物】暖地性のイノデ、オオキジノオシダ、キジノオシダ、ベニシダ、や山地性のヤマドリゼンマイなどのシダ類が多く見られます。
 このほか、タブノキやカラタチバナ、オモト、ユズリハなどの暖温帯の植物が見られる一方、黒部川の洪水の際に流されてきたと考えられるショウジョウバカマやノリウツギなどの山地性の植物も見る事ができます。
 また、沢スギの林内で発見された自生の菊咲き性のサクラが、新品種であることが明らかとなり、「入善乙女キクザクラ」と命名されています。

 沢スギ自然館の北側出入口へ戻って来ました、なんだか逆コースで回ってきた感じになってしまいました

 田植えの準備の進む田圃越しに、黒部の山々を見ました

 では、次へ行きましょう
 
 2023年5月3日午後1時15分訪問です
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愛知県豊田市、坂上町向下「B-29墜落地とB29友好碑」です!!

2023-04-04 06:30:00 | ドライブ
坂上町宮下地区は、豊田市役所の東約10kmのところ

 豊田市役所前から国道153号線を東へ、挙母町1丁目信号からは国道301号線となって更に東へ

 約6km道成りに進んで、松平橋東信号を左(北東)へ県道39号線です

 道成りに2.4kmの妙昌寺龍門園地迂回路⇒を入って坂を登り、約1.5kmで標高差150mを上ります

 左手に神明社のクスノキを見て行きます 
  

 神明社社殿北側の境内社脇の壁に「米軍機B29墜落跡」の文字が有りました

 では、B29墜落地へ行ってみましょう

 少し東へ進むと道路脇に社殿脇の境内社に掲げられていたB29墜落地です

 この上に平和を願って2010年11月14日に建立除幕式を行った「Bー29友好碑」が有ります
    B-29墜落地点
 この友好碑は、りーディングレディーの搭乗員のご冥福と日米親善・世界平和を願い建立する。
1、墜落機 B-29:第2次世界大戦で日本本土を爆撃した米国の重爆撃機
  所属部隊 第20航空軍、第21爆撃兵団、第73爆撃航空団、第500爆撃航空隊、第882爆撃飛行隊
  機体番号 42-24766 (製造番号4428) ニックネーム リーディングレディー号
  識別記号 Z🔲22(500爆撃隊22番機)
2、搭乗員 Wilbur E Hulrbutt機長以下12名、11名戦死、1名捕虜帰国(個人名、階級は英文参照)
3、墜落経緯
  昭和20年1月3日午後3時15分(1945年) 名古屋ドック(軍事施設) 爆撃の帰路豊田市西方上空で、97機編隊の隊長機に、日本軍の小牧第55戦隊所属の代田実中尉(保見村大字篠原に落下傘で降下翌日死亡)操縦の三式戦飛燕戦闘機が体当りし、編隊離脱し当地に墜落炎上した。
4、墜落地 愛知県豊田市坂上町空田12番地 (当時地名=松平村大字そだめ)
  Abauto B-29Friendship Stone Monument
This Monument is dedicated to those aboard the "Leading Lady" who were Killed in action May those who perished rest in peaca and this monument serve to buildo a closer rilationship between japan and the Unaited States in aneverlating wish to achieve world peace.
1,Crashede machine
Belonging force: 882BS, 500BG, 73WB, 21BC, 20AF, USA
Machine No.42-24766, Nickname "The Leading Lady" Force Identification Sgn Z▢22
2,Crew
Crew postion Name in full Rank Serial Number At that time
Pilot Wilbur. E. Hurlbutt Major 0-1699361 MTA Death
Co-pilot Felix P.Omilian 2nd Lt 0-685171 MTA Death
Bombardier Glendon M.Aitken 1st Lt 0-741439 MTA Death
Navigator Edward H.Stoehr 1st Lt 0-738741 MTA Death
Flight Engineer Glen C.Truesdell 1st Lt 0-859714 MTA Death
  Radio Operator Joseph P.Nighan Sgt 33623699 MTA Death
Radio Operator Paul E.Dreyer S/Sgt 13137567 MTA Death
Gunner Karl Hunt Sgt 11067825 MTA Death
Gunner Harold T.Hedges Sgt 38400804 MTA Pow
Gunner Frank J.Yanik Sgt 33829896 MTA Death
Gunner Richard P.Steinberg Cpl 12101125 MTA Death
Passenger Marcds A.muHen Lt Coi 0-22829 MTA Death

         平和を祈って合掌

 新聞記事です

 目撃者の記憶です、曲がってしまっています

 *詳しくはネットで「B-29の追憶」の記事をご覧ください

 では、次へ行きましょう
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秋田県大仙市、太田町永代「オブ山の大杉」(森の巨人たち100選)下見です!!

2022-10-12 12:28:00 | ドライブ
 太田町永代地区は、大仙市役所の東北東約18km

 大仙市太田支所の東南東約6kmのところです

 大仙市太田氏余の南側道路を東へ進みます、突き当りのT字路を右(南)へ県道50号大曲田沢湖線です

 南へ約kmで道路左に川口温泉奥羽山荘2.3kmの案内板が出ていますので左(東)へ進みます 

 永大地区の北側川口温泉奥羽山荘に南側に出ます、「新奥の細道、真木・川口渓谷鹿恋のみち」の案内図です

 南側の道路脇には「オブ山の大杉、直進1.5km」の案内板が有ります

 案内板を過ぎると道路は砂利道になります

 砂利道を進むこと約1.5kmで、道路に遮断機が有り、広い駐車場になっています

 川口渓谷案内マップです「オブ山の大杉入口」まで1km、13分、更に30分でオブ山の大杉です、奥羽山荘そばの案内板はここ駐車場までの案内板でした

 歩いていきましょう

 杉崎権現神社です

 炭焼沢の橋を渡ります

 左手の岩場から滝のように水が落ちています

 砂防ダムの堰堤が見えます

 オブ山の大杉入口が見えて来ました

 オブ山の大杉入口です、「森の巨人たち100選」の説明版が有ります
  No18「オブ山の大杉」秋田県大仙市太田町
  ■ 樹種/スギ
  ■ 推定樹齢/1000年以上
  ■ 樹高/34m
  ■ 幹周/12.4m

 入口から川原への坂道を覗いて見ましたが、踏み跡が有りません

 オブ山の大杉は対岸の山の中へ30分のところに在るようです

 川を砂防堰堤で越えて行くようですが、今回は下見だけとしました

 少し上流側へ行ってみました、大きな岩が崩れています


 次の砂防堰堤が見下ろせるところで戻ることにしました

 では、次へ行きましょう

 
 
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新潟県阿賀野市、「国指定瓢湖鳥獣保護区の子供達」です!!

2022-07-28 18:35:12 | ドライブ
 2022年7月16日取材分です、秋田県への途中で寄ってみました

 「瓢湖」は阿賀野市役所の東北東約1kmのところにある湖です

 「国指定瓢湖鳥獣保護区・ラムサール条約湿地」に訪れるのは久し振りです

 冬場に白鳥を見に行ったり、春の桜のシーズンのこともありました

 夏はやはり蓮の花の時期です、まだ早いかなと思ってましたが、咲いていましたよ

 瓢湖白鳥会館です、駐車場は西側にあります

 白鳥のオブジェの歓迎門です

 瓢湖です、冬と違ってカモも少ないですね





 蓮の花が咲いています



 蓮は朝一番に咲きますので、少し遅い時間でしたが綺麗な花を見ることが出来ました


 カルガモの家族です、小さなヒナ達が頑張って追っています

 天然記念物 水原ハクチョウ渡来地の標柱です



 羽などの怪我で帰れない白鳥が湖の北西岸に集まっていました

 蓮の葉の上を歩くバンです





 バンの親子が仲良く泳いでいました

 東側の湖の岸辺でも白鳥が休んでいました

 あやめ園は花が終わって手入れ待ちです

 では、秋田県を目指して出発しましょう
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新潟県佐渡市、中興「大佐渡スカイライン・白雲台」です!!

2022-07-28 07:25:50 | ドライブ
 今回の佐渡旅行最後になりました

 大佐渡スカイライン・白雲台は、佐渡市役所の北北西約7kmのところ

 国道350号線を北へ、新保八幡神社前にスカイライン入口信号があります

 ここを左(北西)へ、新保ダムやゆずろ公園をすぎるまでは緩く登ります

 航空自衛隊佐渡分屯基地を過ぎると急に坂がきつくなります

 航空自衛隊佐渡分屯基地から大佐渡スカイライン・白雲台までの

 大佐渡スカイライン東側は航空自衛隊の管理道路ですので注意しましょう

 (西側の佐渡金山から白雲台までは、良い道ではないようなので止めました)

 きつい登りを進んで来ました、道路左の駐車場広場に入ります


佐渡の地図です、白雲台の位置です

各観光地までの距離が表示されています


 白雲台周辺マップです

 金北山までは航空自衛隊の許可が必要ですが1時間半の距離です

 妙見山のレーダーサイトです

 徒歩約30分で行ける距離です



 交流センター白雲台です

 ソフトクリームを買って、国中平野の眺めを楽しみました


 両津湾方面です、今日も弥彦山は見えません

 両津港をアップで

 加茂湖と佐渡空港滑走路です

 佐渡クリーンセンターの煙突と佐和田中学校です

真野湾にそそぐ国府川下流部です、県道194号線の落合橋と生コン工場や国際佐渡観光ホテル八幡館がみえました


 真野湾方面です

 では、両津港へ戻ることにしましょう

 両津港です、本日最終便に乗ります、今回は「おけさ丸」です

 (前の時間の便(ときわ丸)は、数日前から予約で一杯でした)

 乗船受付を済ませて、待ち時間に、ターミナルビル「シータウン佐渡」で早めの夕食にしました
 
 おおきな「トビッキー」です、これは動きません(トキの森公園保護センターではうごいていましたが・・・)

 佐渡の観光地ですが・・・半分もいっていませんでした

 ターミナルビルから日が傾いてきた金北山です
 
 そろそろ車に戻って、おけさ丸の到着を待ちました

 

 おけさ丸が入港です

 前のゲートが開いて、乗用車・普通トラック・大型バス・大型トラックなど出て来ます、満載だったようです

 乗り込みましょう、新潟港から埼玉まで帰るため、2等客室で寝て行きましょう

 では、佐渡の旅はお仕舞いです、また、近いうちに行ってみたいと思います
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新潟県佐渡市、相川「国指定佐渡金銀山遺跡・宗太夫抗」です!!

2022-07-27 19:40:39 | ドライブ
 相川地区は、佐渡市役所の西約10kmのところ

 国道350号線から県道31号線へと西へ進んで

 中山トンネルを貫けると相川の街です

 街の手前で県道31号線は右(北)へ坂道を登って行きます

 短い道遊トンネルを貫けて右へ上って行きます

 道遊の割戸が見えて来ます

かつての鉱石運搬のトロッコのトンネルのようです

 道遊の割戸が大きくなってきます


 大切山抗跡です(ガイドツアーで入れるようです)

 観光施設となった佐渡金山の坑道入口前駐車場は、観光バスや観光客のレンタカーが沢山止まっています


 国指定史跡 宗太夫抗説明版です
   宗太夫抗
 宗太夫抗は、坑口の高さが約3m、幅2m、坑道の断面が大きい江戸初期に開抗された大型坑道である。
 鉱石の運搬機能と採掘技術発達した1690年代(元禄時代・初頭)頃の主力間歩(まぶ/坑道)の一つであった。
 部分的に残る「将棋の駒形」の小坑道、探鉱用の小さい狸穴、天井に抜ける空気抗、「釜の口」と呼ばれる坑口とその飾りなど、江戸期の旧抗の諸条件を完備していて、大型の斜坑はゆるやかな傾斜で海面下まで延びている。
 脈幅・走行延長とも、この鉱山の最高最大とされる青盤脈の西端に当たる「割間歩(われまぶ)」抗の一鉱区として開発された。
 平成6年(1994年)5月24日、国の史跡に指定された。


 今回は、一番短い(約30分)コース、右の宗太夫抗へ入ります、他には約40分の道遊抗(明治期の展示)やガイドツアーの無名異抗や大切山抗への山師ツアーなどもあります


 天井に丸太が組まれた階段を下りると



 説明版が並んでいます

 更に下ると・・・

 水上輪による水の汲み上げの様子です

 下側からも上げています、水上輪は、江戸時代前期の承応2年(1653)に佐渡金山にもたらされた坑内排水(揚水)ポンプです。紀元一世紀頃ギリシャの哲学者・物理学者のアルキメデスの弘安したアルキメデスポンプが祖形とされ、これを佐渡金山に伝えたのは、京都(一説には大阪)の水学宗甫と言う人だそうです。

山留大工の仕事は、落盤防止です、佐渡鉱山は固い岩盤で出来ていますが、断層や軟弱な所には、栗や楢の木材で補強していたそうです

穿子たちの出入りあらためです、坑道の出入り口には検問があって、鉱石や物資の持ち出しを監視するとともに、出入りを記録して給与支払いの管理をしていたそうです

ここから上りです

 掛樋(坑内で湧き出した水は、桶で横持ちし、斜面は水上輪を、垂直にはツルベを使い、水平ではこのように樋を使って抗外に運び出した。
 風送り堀子は、気絶(酸欠)を防ぐため、敷(採掘現場)に風を送る唐箕(送風機)を使う様子です


 休息所です、作業は4時間交代で行われ、金穿大工は他の坑内労働者と違って、技術者として処遇されていたので、食事や休憩時間がとれ、蓆の上で横になることもできた



 坑道が深くなると出水量が増えて、ツルベや手桶で湧水をかい出す重労働をしたのが水替人足です、江戸時代後期には江戸や大阪から無宿人が僅か(約90年間で1874人)ではあるが送られてきたようです


 さらに上へいきます

 狸穴は、細い鉱脈をたどりながら、やっと潜れるくらいに掘り進んだ坑道です


 下に見えるのは、鉱脈を掘るための鏨(タガネ)を贈る桶を金穿大工に届けるところです

 坑内の測量風景です

 探鉱抗道の跡です、緑色の凝灰岩の間に白い石英質の部分をタガネやツチで掘り進んで鉱脈を探していました


 金銀山大盛りを願った幕府の役人が行った儀式の様子です、金穿大工が竪に走る鉱脈にタガネを打ち込んでいます

 まもなく出口です

 地上への出口を出ました、正面のお土産屋さんが出口の通路です

 さて、少し奥へ行ってみましょう


 この先は大佐渡スカイラインです




 大立竪(国重要文化財)の保存工事が行われています
  *竪抗(立抗)とは、地下の鉱脈を掘るための垂直坑道(地中エレベータ)。
 日本初の洋式竪抗。明治10(1877)年ドイツ人技師レーの指導で完成。
 当初の深度は165m、地下には50m毎に3段の水平坑道がありました。
  動力:馬力⇒蒸気(1880)⇒電気(1908)
 現在の立抗櫓は昭和15(1940)年完成。平成元(1989)年の休山まで使用。最終深度は352m。
 岩盤をくり抜いた巻揚機室には巻揚機と空気圧縮機が操業当時のまま保存されています。(内部は一般非公開)


 道遊の割戸の裏側が見えました

 では、大佐渡スカイラインの反対側入口へ行きましょう
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新潟県佐渡市、相川「国指定佐渡金銀山遺跡・北沢浮遊選鉱場跡」です!!

2022-07-26 06:30:11 | ドライブ
 相川地区は、佐渡市役所の西約10kmのところ

 国道350号線から県道31号線へと西へ進んで

 中山トンネルを貫けると相川の街です

 街の手前相川中学校入口信号で県道31号線は右(北)へ坂道を登って行きます

 短い道遊トンネルを貫けて左へ下ります

 佐渡奉行所前を下った右手に北沢浮遊選鉱場跡があります

 駐車場に車を止めて、まずは左手の濁川を橋で渡って西側(右岸)から見て行きましょう

 佐渡相川史跡マップです、左下側に相川技能伝承展示館と北沢選鉱場が記載されていて、左が北になっています、

 
 相川技能伝承展示館と濁川の間の通路を通って


 北沢地区施設群です、右が西です
   北沢地区施設群
 北沢地区は、明治期に入り佐渡鉱山の本部組織である御料旭佐渡支庁が置かれて、佐渡鉱山全体の一大拠点となった。
 また、北沢地区では、明治から昭和にかけて、当時最先端の選鉱、製錬技術が実用化されていった。
 このため、北沢地区には濁川両岸の斜面地を利用して、金銀生産ラインの最終工程を受け持つ製錬所や選鉱場などの施設が次々とつくられた。
 特に、昭和12年(1937)以降、佐渡鉱山は国策による増産体制を整えるために、北沢地区にある施設の大改修を行い、昭和27年(1952)までこの施設を使って操業を続けた。
 北沢地区に残る主な施設には、明治期に建設された佐渡鉱山の本部建物(旧御料庁佐渡支庁、後の旧鉱山事務所)や旧北沢青化、浮選鉱所などがある。また昭和初期の増産体制のもと建設された主要施設として、東西約115m、南北約80mの規模を有す北沢浮遊選鉱場、直径50mのシックナーなど巨大な施設がある。
 このほか急斜面の物資運搬をおこなう装置であるインクラインや、各施設に電力を供給したレンガ造の火力発電所、機械部品類の製作・修理を担当した工場跡など、佐渡鉱山の生産システムを支えていた一連の施設群も残っている。



 対岸の選鉱場跡です、右端には発電所跡です


 左側から鉱石を右へと送っていたようです




 左側の廃墟は佐渡金銀山で使用した工具類をつくった鋳造工場跡です
   北沢地区工作工場群
 北沢地区工作工場群は、濁川を挟んだ北沢浮遊選鉱場の対岸に位置し、佐渡鉱山の各施設で使用する機械部品の製造や修理のためにつくられた施設です
 この場所には、明治20年代には、すでに選鉱、製錬施設のほかに、機器製作場や鍛冶場などが設置されていた。
 さらに昭和10年代の大増産時代になると、木工工場や鋳造工場、仕上工場、製缶工場、分析所など複数棟の施設がつくられ、昭和27年(1952)まで稼働したが、時間の経過とともに数多くの施設が撤去された。
 平成20年、明治以降の施設全容を確かめるために発掘調査がおこなわれ、当時の建物の基礎部分が残っていることが判明した。現在の広場は、昭和の大増産時代の建物配置に基づいたものである。




 北側には50mシックナーです
   製材及雑作業場跡・50mシックナー
 手前の製材及作業場跡では、機械部品の原型となる木型用材を製材加工。発掘調査によって、コンクリート製の壁や床、機械の台座などが確認された。
 奥に見えるシックナーは、昭和15年(1940)に完成した直径50mの泥鉱濃縮装置である。濁川上流にある間ノ山搗鉱場から排水された泥状の金銀を含んだ鉱石は、この装置で水分を分離する工程を経たのち、対岸へと送られた。対岸の北沢浮遊選鉱場では、他の金銀原料と一緒に処理されて精鉱が生産された。

 では、左岸側へ行きます、駐車場まで戻って発電所跡前から広場へ行きます



 火力発電所跡です
  北沢石炭火力発電所跡
 この建物は、明治40(1907)年に佐渡で初めて建設された石炭火力発電所跡です。
 500キロワットのスチームタービン1基が設置され、その運転開始により精錬所の蒸気機関が廃止され、電動機に替わりました。
 日中戦争の開戦に伴い、昭和13(1938)年から国を挙げて行われた金の大増産期に1800キロワットに増強されましたが、昭和15(1940)年に大間石炭火力発電所(9800キロワット)が完成したことにより、その役割を終えました。




 選鉱場跡です
   金銀鉱浮遊選鉱場跡
 コンクリート製の基礎は、粉砕した鉱石から金銀鉱物を回収する工場跡です。
 日中戦争開戦に伴い、昭和13(1938)年から国策により始まった金の大増産期に建設され、昭和15(1940)年から稼働しました。
 浮遊選鉱とは、粉砕した鉱石を特殊な薬品加えた水槽の中で浮遊させ、泡に付着させて回収する選鉱方法です。
 この選鉱場は、金銀鉱石に対する浮遊選鉱法を実用化させた施設で、技術史上、世界的にも画期的なものでした。
 その規模は東洋一を誇り、この施設の操業開始により月間7万トンの鉱石処理が可能になりました。
 当時、鉱山での出鉱量は月間約5万トンでしたので、不足分の約2万トンは、相川の海岸に堆積した「浜石」(長年の浸食作用で海岸に流れ着いた鉱石)を採取した補いました。
 鉱石と浜石はトロッコと立坑(垂直坑道)で浮遊選鉱場へ運ばれ、まとめて選鉱にかけられました。
 選鉱場は、昭和27(1952)年、佐渡鉱山の大縮小によって解体されました。


対岸の鋳造工場跡と50mシックナーがよく見えました

*夜にはライトアップされてインスタ映えポイントになるらしいですが~

でhあ、次へ行きましょう

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新潟県佐渡市、真野「真野宮と佐渡歴史伝説館」です!!

2022-07-25 18:29:01 | ドライブ
  今回は、佐渡の歴史を学びに「佐渡歴史伝説館」に来ました

  先日、石抱きの梅」と「真野御陵」に来た時に前を通りました

  では、

  
 「佐渡歴史伝説館」の駐車場へ入りました

 佐渡歴史伝説館への入り口です

 案内図です、まずは西側の「真野宮」へ行きましょう

 真野宮の社號標です

 前の道路から真野宮参道を見ました

 参道の橋を渡ります

 案内板です
  真野宮・順徳天皇行在所遺跡 入口
 真野宮は順徳天皇を奉祀し、菅原道真・日野資朝を配祀してある。
 天皇は在島22年、仁治3年45歳で真野宮(真輪寺)で崩御された。
 大正9年現社殿造営、昭和17年の七百年祭に神域を拡張した。


 手水舎です

 山門です

 拝殿です

 本殿です


 境内の松です、皇太子殿下(現・上皇様)御参拝記念樹です

 北西側から

 本殿北東側に順徳天皇行在所跡があります、職員の方々が草刈り作業をされていました

 文化財の一石五輪塔です、平たい形の五輪塔は珍しいですね~

 右下には、古墳の石室があります

 説明版です
   真野町三貫目沢西古墳(えぞ塚)
 佐渡の古墳は真野町大須付近に25基ある。
 近年の開発で多く破壊されるのを恐れ、真野宮境内に一基を移築したものである。
 佐渡の古墳は横穴式石室の円墳である。
 出土器は、人骨、直刀、鉄・、土器などがある。
 6世紀なかば「えぞ」と呼ばれた人達がこの地に渡来し築かれたという。

 では、「佐渡歴史伝説館」へ行きましょう


 佐渡歴史伝説館への通路にケヤキの大木です

 南側から見ました


 西側が入口です

 右手に広い池があります

 池際に棒高跳び?をする人形です・・・阿新丸(くまわかまる)です
 今から660年程前、阿新丸の父日野資朝は北条高時を討とうとして失敗、佐渡に流され、本間山城兵尉奉宣に監禁された。
 13歳の阿新丸は京都より佐渡を尋ね父への対面を頼んだが叶わず、返事は変わり果てた父の首であった。
 ある霧の晩、父の仇と本間山城守の寝所に忍び、一刀のもとに切りすてたが、それは父の仇ではなく、直接父を切った本間三郎であった。
 城内は大騒ぎとなったが、阿新丸は竹の反動を利用して堀を飛び越えやっと京都に帰ることが出来た。
 後に後村上天皇につかえて中納言にに出世したという。

 入口では、コロナ対策です

 まずは、順徳上皇の第一皇女「慶子女王」です、館内をアンドロイドが、順番に場所を変えながら説明していきます

 上皇が出て来ますよ
 
 黒木御所の時の情報からすると、この様な綺麗な姿だったかわかりませんね~

 次は日蓮処刑の場面です、雷が起こって処刑が中止になったとか

 日蓮の塚原問答の場面です

 次は観世元清(世阿弥)の能を舞うシーンです


 次は、おじいさんとおばあさんが囲炉裏端で話をします、前に子供が聞き入っていますが・・・人形でした

 話に合わせて、右手の紙芝居のようなステージが場面場面で表現されていました

 間にまだまだ場面が隠れていますよ

 佐々木象堂の工芸展示があります、昭和天皇在位60年記念切手の図案にもなった「瑞鳥」です

 お昼時になって、レストランで昼食「ブリカツ丼」にしました

 観光バスで、大勢の観光客が集まって来ましたので、早々に退却しました

 では、次へ行きましょう
 
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新潟県佐渡市、西三川「西三川ゴールドパーク」です!!

2022-07-25 06:36:01 | ドライブ
 西三川地区は佐渡市役所の南南西約15kmのところ

 国道350号線を南西へ真野湾沿いを進みます
  
 西三川に入って国道350号線から県道432号線へ

 間も無く「西三川ゴールドパーク」です

 砂金取りをする為にやってきました

 先日、下黒山地区の稲荷神社へ行った時に前を通りましたね

 道路北側に乗用車用の広い駐車場があります


 横断歩道を渡って・・・

 砂金取り施設「佐渡西三川ゴールドパーク」です

 入場に際しては、手指の消毒と検温、コロナ対策はしなくてはいけませんね~

 入場料を払って、まずは、資料館を回ってみました


 大判小判、延べ棒、工芸品など豊富な陳列や、西三川砂金山の説明などがあります


 中学校の遠足の人達が居なくなるのを待って、砂金取り会場へ

 
 二十人ずつ体験が出来るプールがズラリと並んでいます

 案内されて、先に来ていた男性陣5名と同じプールで砂金取り体験をさせていただきました

 係の女性がまず実演しながらお皿の使い方、砂の分け方などを教えてくれます

 暑い日だったので冷たい水が気持ちよかったです

 さ、実際にやってみましょう

 一回目・・・3粒とれました

 二回目からは、一粒あったりなかったりで・・・

 男性陣が終了時間になり、案内の女性に「そろそろ時間ですよ」と

 最終的には12粒採取することが出来ましたよ

 では、次へ行きましょう
 
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新潟県佐渡市、新穂長畝「トキの森公園」です!!

2022-07-22 18:45:17 | ドライブ
 新穂長畝地区は、佐渡市役所の東約5kmのところ

 何度も通ていますが、市役所そばの県道181号から県道237号線を東へ、

 日吉神社前信号を過ぎたら県道65号です、次の横町信号で左(北)へ県道81号線です

 道なりに進みます、新穂長畝地区に入ってトキの森公園に案内版が有りますので右(東)へ

 三叉路を左へ進むと「トキの森公園」入口です

 右手の乗用車用駐車場へ入りました


 インスタ映えで話題のポストが入口に有ります

 公園案内図です

 券売機で入場券を買って、受付に書類を提出して、パンフレットをもらって、まずは「トキ資料展示館」へ行きましょう


 やはり佐渡百選ですね

宮柊二の歌碑が有ります・・・(宮柊二・みやしゅうじ・は、大正元年生まれの昭和を代表する歌人です)
   朱鷺幻想・・・しずかなる年の旦にはりかなる空想をなす
 国の秀を離れし島に、人の香を恐れて遠く、茂山のまほらの真木に、巣をなして産める卵。
 蒼緑の殻の地肌に、黒褐のしるき斑紋、ひっそりと転がれる二個。
 よるべなく此は孤独、トキの此は寂しき思想。

 嘴伸のして白く羽張り、脚ひきて高く翔びゆく。
 洋の日の差し明りつつ、しき波の寄せ崩れ敷く、寂しかる島の荒磯を、見おろしに沖を指すトキ。
 運命の島にはあれど、たまきはる命かなしみ、青渦の上も一瞬。

 さわさわと羽搏く翼、しわしわと真白き総身。
 ただ腋羽風切羽、虹のごと光靡けり。
 わだつみの最中の島に、絶えゆかむ命をつなぎ、種の持続僅かに残す、nipponia nippon 、幻の島その悲しみのごと。

 しずかなる年の旦に、うつくしき島を憶へり。
 しずかなる年の旦は、吉き日の智識のごとし。
 また、若き日の勤しみにも似る。
 跡無くもなりし智識の、ほの光り甦るごと、傾けし恋の心の、疼きつつ立ち返るごと、変若かへれ 白き鳥智慧の鳥、幻の鳥、トキの命も。
   
   返歌
 あきらけく島山明けて空に鳴く声こそはすれ朱鷺渡るらし
 たちかへる年のあしたに鳥のごと甦りくる智識に遊ぶ

解説の石碑です


日本産最後のトキ「キン」の石碑です

ここで曲がってまっすぐに行きます

道端の小石にはトキの顔が描かれています


正面のケージ1には赤いトキがいます

南米北部に生息する「ショウジョウトキ」だそうです 、綺麗ですね

手指を消毒し体温を測って、資料館に入ります

「ミドリ」のはく製です

「キン」のはく製です

色々な展示で勉強になりました


観察回廊からケージCの中に、婚姻色のグレーになったトキを見ることが出来ました
(グレーの色は体からの分泌物を嘴で体に塗り付けることによってグレーになるそうです)


飼育ケージ2には、色々な種類のトキが居ました

頭の黒い「クロトキ」、オーストラリア産の「ムギワラトキ」、アフリカ産の「ハダダトキ」などが一緒に暮らしていました

公園南側のトキふれあい館へ行きましょう







 婚姻色のトキのつがいがいました、係の方の話では「今年はまだ卵を産んでいない」とのことでした

 繁殖の時期は6月一杯までだとか・・・


太ったトキの着ぐるみ「サドッキー」がうろうろしていましたよ

では、次へ行きましょう
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新潟県佐渡市、徳和「戦道騎馬武者の像」です!!

2022-07-15 07:29:37 | ドライブ
 昔々、戦国のころ、佐渡国は独立した国(佐渡国)で、守護の大佛氏の守護代として佐渡に入った本間氏が雑太城(さわたじょう)を本拠地として、雑太本間氏となった。
 以後本間家は島内各所に一族を置き勢力を固める。羽茂・河原田・沢根・久知・潟上・新穂の本間氏と呼ばれる郷地頭である。
 その後本間惣領家の雑太本間氏の力が弱まったことから、北の河原田と南の羽茂が台頭、内紛が激しくなっていた。
 そんな本間格家は、越後を治めていた上杉景勝に従おうとせずにいた。越後の平定が終わった上杉軍が佐渡に攻めて来ます。
 出雲崎より300艘余りの舟を仕立てて佐渡へ押し寄せた。軍奉行を務めた直江山城守兼続は戦いを避け降伏するよう各地の本間一族に通達した。その結果沢根城主本間左馬之助の協力が得られ、景勝自ら千余艘の舟を率いた佐渡へ、沢根に上陸して河原田城を攻めた。激戦が繰り広げられたが、城は落ち城主本間佐渡守高統は自刃した。
 次いで、抵抗を続ける羽茂城へ向かったて攻めた、羽茂城主本間高茂は、弟の赤泊城主高頼ら家臣とともに城を脱出し、船で逃亡を図ったが、越後で捕縛され、佐渡へ送られ国府川で処刑され、四百年に及ぶ佐渡での羽茂本間家は滅んだ。

では、
 徳和地区は、佐渡市役所の南約28kmのところ

 下羽茂から県道65号線を赤泊方面へ

 坂道を上りきると徳和地区です、 


駐車場に佐渡の地図です、左下の方山の中です


道路右手に大きな騎馬武者像があります


左の騎馬武者は、羽茂勢の本間三河守高頼です

右の騎馬武者は、越後勢の黒鉄安芸守尚信です



説明版です
  戦道騎馬武者の像
 今から四百年余り前の戦国時代末期、天正17年(1589)6月、越後守護春日山城主上杉景勝の軍が佐渡へ攻めてくるという大事件があった。
 それに先立つ数年前まで、上杉謙信は川中島で甲斐の武田信玄と戦をくり返していた。しかし急逝すると、その養子景勝と景虎の間で跡目相続の争い、つまり「御館の乱」が起きた。
 両軍の誘いに加勢せず、事のなりゆきを傍観していた佐渡は、結局勝ち残った景勝に成敗されることとなる。
 当時、河原田と羽茂は、佐渡の二大勢力だった。前者は領内に鶴子銀山を有し、後者は西三河砂金山を支配していたので裕福だった。
 沢根から上陸した上杉軍は、まず河原田城を落とし、羽茂に向かった。羽茂城主本間高貞の義弟で出城でもあった三川の腰細城主本間三河守高頼は、羽茂に援軍を送るべく出立した。しかし、これをいち早く予知した上杉勢は、黒鉄安芸守尚信の率いる一軍を川茂街道に回して、行く手を阻止した。そのためこの街道が戦場となり、後に戦道(たたかいどう)と呼ばれるようになった。
 多勢に無勢、百戦錬磨の越後勢を相手にして勝てる見込みはなかった。武士の義を尊ぶ三河守は妻子に離縁状を渡し、討ちてし止まんの決意で、槍を手挟んで鞍に跨った。
 その時、敵軍の中より進み出た一騎、刀を抜いた安芸守は、馬上より名乗りを上げた。これに応えて三河守が名乗ると、両軍は鐙を蹴って刃を合わせた。かくて合戦の火蓋は切って落とされた。時に6月15日巳の刻。空は日本晴れだったという。
 向かって右側、刀をかざしている方が黒鉄安芸守尚信。左側、槍を手挟んだ方が本間三河守高頼。
    平成8年3月  佐渡市


石田英雄顕彰碑です、佐渡郡町村会長を務め、一島一市の実現に尽力した人だそうです

では、次へ行きましょう
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静岡県松崎町、岩地「諸石神社のイチョウ」のその後です!!

2022-02-24 06:28:40 | ドライブ
 岩地地区は松崎町役場の南西約2kmのところ

 国道136号彫刻ラインで一山越えて行きます

 岩地地区入口の先に地区の避難所になっている広い駐車場が有ります

 車を置いて急な石段を下りて集落の中へ

 漁協の販売店を右へ海岸沿いの道路に出ました


岩地の浜沿いの道路(駐車禁止)の、ここに諸石神社の参道入口です

先へ進んで

左に曲ると

鳥居が見えて来ました

手水舎です


拝殿の右手には若いイチョウの木です

左側にかつて目通り6.9mのイチョウの巨木が在った場所には二代目のイチョウが育っています
*先代は2009年2月16日に伐採されました

石段の先に本殿が見えます


狛犬です

石段中段のイスノキです

では、次へ行きましょう

川津桜が咲き始めていました
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