ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県神栖市、波崎「波崎の大タブ」(県指定)です!!

2019-01-31 06:48:59 | 巨樹・大木
波崎地区は、神栖市役所の南東約16kmのところ

県道117号線の西側に参道を東に開く神善寺があります

山門前に駐車スペースがあります


参道の山門です

真言宗智山派益田山神善寺です

山門脇に文化財の案内版があります、でも・・・

山門を入ると参道左側に目的のタブの木が在ります

北側から見ました

説明版です
  県指定天然記念物
     波崎の大タブ
      指定年月日 昭和35年12月13日
      所在地   波崎町3355番地
      管理者   神善寺
1、形状  樹齢   約千年余
      周囲   8m10m
      樹高  15m
2、解説   一名をイヌグスと云い、常緑の樹木で葉は長楕円形、
      革質で羽状脈をもち、裏は白っぽい。春、枝端に円錐花
      序を出して、淡黄緑色の花を開く。枝は四方に延び、そ
      の景観は他を圧し、大なる歳月の流を感じさせる。また
      別名「火状の樹」とも云われている。江戸時代野火が押
      し寄せ、この樹によって難を免がれたと云い伝えられ、
      それより火伏の護摩をたき、家内安全の祈願をする習し
      となっている。
                     平成2年7月8日
                     神栖市教育委員会
認定証の画像が表示されています     


離れて見ました

参道北西側から見ました

本堂前左手には市指定文化財の釈迦堂です

本堂です

本堂前右側のソテツの大木です

本堂前左手には弘法大師様です

本堂前からタブを見ました

波崎のタブの北側道路脇にもタブの大木が在ります

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群馬県太田市、堀口「浄蔵寺のイチョウ」(市指定)です!!

2019-01-30 07:02:06 | 巨樹・大木
堀口地区は、太田市役所の南西約6kmのところ

国道407号線から354号線を西へ

県道276号線を南へ進むと左(東)側に浄蔵寺が在ります

南側山門前に駐車場が有ります

二度目の訪問です、前回(2015年6月2日投稿分)は、

緑の柱状態で幹じたいを見ることが出来ませんでしたので、

葉の落ちた冬に訪問しました


大きな案内版があります

参道からの入り口は駐車場になっています

山門です

説明版です
  浄蔵寺
    所在地 太田市堀口町223番地
 浄蔵寺は、駒形山宝珠院といい、高野山真言宗に属し本尊は地蔵菩薩
である。寺の創建は、鎌倉時代新田氏の開基と伝えられるが詳らかでな
い。開山(中興)を慶順といい、寺地4町9反余を有する密教寺院とし
て檀徒の信仰を集め、法灯、堂舎がよく護持されてきた。
 明治7年本堂を利用して「惟勤学校」が開設され、学制初期の地域初
等教育に貢献した。本堂は、棟札に「宝暦5年(1755)当寺11世
専秀隆勝が、8世弘賢以来四十有余年にわたる先住の遺志を継承し、檀
家の協賛を得て、堂宇の建立を果たした」とあり、建築は、当村中村平
右衛門朝久、安養寺村橋本半右衛門相久らが携わっている。以後、安政
3年(1856)16世漂栄のとき、茅葺を本瓦に葺替え、明治38年
(1906)19世義隋祐範の代に、屋根葺替が行なわれ、その後小修
理が加えられ現在にいたっている。
 当村鎮守賀茂宮の南に、新田の一族堀口氏の館跡があり、美濃守貞満
の建立と伝える真言宗正覚寺があったが、早川治水の築堤によりその寺
域っを失ない、昭和43年浄蔵寺と合併、当寺に墓所を写し不動堂を建
立した。
 浄蔵寺の西方一帯低地を「字ザラメキ」といい、かつて利根川の流路
であった。ここから鎌倉時代中期の板碑が出土しており、そのうち文永
11年(1274)の銘文に、大檀那沙弥西願をはじめ、源・藤原・菅
原・高麗姓などの結衆の名が見られ、浄蔵寺および新田・堀口氏にかか
わる史料として重視されたが、現存せず拓本を残すのみである。
 寺伝に、元弘3年(1333)5月、新田義貞鎌倉攻めのとき、利根
川渡河をまえにして、義貞の軍隊が当寺に兵馬を休め、戦勝を祈願した
ことから、駒形山を称するようになったという。
 境内に聳える大銀杏は、樹齢400年といわれ、駒形山の森を偲ばせ
るとともに、浄蔵寺の変遷を物語っているかのようである。
 浄蔵寺の文化財
  五智堂
本尊  大日如来(享保9年寄進名あり)
建立  天明5年
願主  新島太郎右衛門
修復  明治27年本瓦葺替
    昭和60年
  不動堂(旧正覚寺)
本尊  不動明王
建立  昭和43年
  鐘楼堂
建立  明治34年11月
棟梁  武州妻沼村 林門作斉部正啓
修復  昭和60年
  山門
建立  安政6年
願主  新島治左衛門
棟梁  尾島宿 長浜庄八
修復  昭和50年

平成元年3月   太田市教育委員会


山門を入ると右手に鐘楼です


左手に不動堂です

五智堂です

正面に本堂です

本堂前から目的のイチョウを見ました

東側から見上げました

天然記念物表示版です、旧尾島町での指定です

説明版です
 太田市指定天然記念物
   浄蔵寺の大イチョウ
    指定年月日 昭和53年3月10日
    所在地   太田市堀口町223番地
 駒形山宝珠院浄蔵寺は古儀真言宗に属し、鎌倉時代の創建といわれる

 この大イチョウは雄株で、根元周囲14m、目通り周囲12m、樹高
28m、枝張り18mほどである。樹齢は400年ほどと推定される。
 落雷により主幹が折れ傷められたため、幹が多くに分かれているが、
樹勢はきわめて旺盛である。
 イチョウは落葉高木樹で成長は比較的早いが、このような大木は尾島
町はもちろん県内でもめずらしく、貴重なものである。
 このイチョウは、枝にその形からちち(乳)といわれる呼吸根(気根
)が垂下している。乳の出ない産婦がこれを取って呑むと、乳が多く出
るようになるという伝承がある。
 イチョウは雌雄異株の裸子植物で、今から1億5千万年ほど前の中世
代白亜紀には世界中に繁茂していた。
 その後絶滅したと思われていたが、中国の浙江省に野生しているのが
発見され、日本にもたらされたもので、生きた化石といわれている。
  昭和53年3月          太田市教育委員会


南側から

北側から

西側から

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群馬県太田市、新田下江田「矢抜神社の山椿」(市指定)です!!

2019-01-29 06:27:23 | 巨樹・大木
新田下江田地区は、太田市役所の南南西約7kmのところ

国道17号線上武道路尾島第二工業団地入口信号の北側に矢抜神社が鎮座します

鳥居前路地に車を止めさせて頂きました



参道入口鳥居です

矢抜神社です

拝殿です

本殿覆い屋です

説明版です
 矢抜神社傳導板
1、立地由来
   万治1年(1658年)中江田、下江田に分社
  され、太田市新田下江田町本郷甲500番地に鎮
  座する。
2、祭神 輕津主命(フツヌシノミコト)
3、鎮座する祈願神
 1本殿
 2お手長様(火伏の神)
 3伊佐須美様(稲作の神)
 4おしら様(養蚕の神)
 5諏訪様(当地開拓の神)
 6秋葉様(防火、火難除けの神)



平成27年7月吉日


ツバキは細いですよね

新田町指定天然記念物 矢抜神社の山椿の標柱です

説明版です
  新田町指定天然記念物 
    矢抜神社の山椿
      指 定 平成12年4月6日
      所在地 新田町下江田甲500
 この山椿は、樹齢300~400年位と推定される
古木です。1号樹は目通り151cm、2号樹は13
3mで、樹高は周辺の樹木に比べて高く伸びています
。昔から自生してきた品種で、赤色の一重の花弁で、
花芯が大きく5弁の花びらを持っています。花実がで
き、秋になると3片に割れ2・3個の種子が落下して
自然繁殖していく椿の原種です。今は山村地帯でしか
見られない貴重なものです。なお、1号樹は、平成1
3年1月に風雪のため幹の中ほどから折れてしまいま
した。




南側から

太い幹が枯れてトタンの笠が乗っています

太い椿は切られてしまったようです

残念ながら天然記念物に指定されたヤブツバキはなくなってしまったようです


境内社が点在します

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群馬県太田市、上田中「太奈荷神社の松」(市指定)です!!

2019-01-28 07:04:06 | 巨樹・大木
上田中地区は、太田市役所の西約10kmのところ

県道2号線を西へ、もうすぐ伊勢崎市というところです

県道2号線を南に入った所に太奈荷神社が鎮座します

境内の2本のマツが文化財指定されています

境内東側道路脇に車を止めさせて頂きました



南側から見ました

村社 太奈荷神社です

鳥居です

社殿と東側の松です目通り幹囲3,82mです

説明版です
  新田町指定天然記念物
    太奈荷神社の松(たなかじんじゃのまつ)
      指定  平成5年9月9日
      所在地 新田町大字上田中1077-1
 太奈荷神社拝殿前の松を1号樹、社殿西にある松を
2号樹として指定しました。
 1号樹は、目通り幹囲3,82m、根元幹囲5,3
9m、株周り9,8m、樹高26,5mを計ります。

 2号樹は、目通り幹囲3,8m、根元幹囲5,2m
、株周り7,5m、樹高27,0mを計ります。

 この2本の松はクロマツで、樹齢は300年~35
0年と推定されます。新田町では、このような古木、
大木はほとんどありません。また、群馬県内でも樹齢
が300年に及ぶクロマツは少なく貴重な樹木です。
  平成6年11月    新田町教育委員会




西側の松です

南側から西側の松を見ました目通り幹囲3,8mです

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群馬県桐生市、新里鏑木「鏑木のアラカシ」(市指定)です!!

2019-01-27 07:21:15 | 巨樹・大木
鏑木地区は、桐生市役所の西約8kmのところ

県352号線を西へ進み、県道73号線との交差点のすぐ先

左手の青いトタン塀の中に目的のアラカシの樹冠が見えて来ます

北側に入った道路脇に車を止めさせ手頂きました


道路西側から見ました

トタン塀の間から中側に入る事が出来ました

村(市)指定天然記念物 鏑木のアラカシの標柱です

南側から見上げました、目通り幹囲5,2mの巨木です

では、次へ行きましょう
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群馬県桐生市、新里町関「龍興寺のカヤ」(市指定)です!!

2019-01-26 06:49:59 | 巨樹・大木
新里町関地区は、桐生市役所の西北西約7kmのところ

国道353号線がみどり市を抜けてまた桐生市に入った所です

国道の関信号を南に下るように進むと左手に龍興寺が有ります

山門前道路脇に車を止めさせて頂きました

参道入り口です

真言宗 龍興寺です

山門の手前左手に目的のカヤです

東側から


市指定重要文化財 龍興寺の石像虚空蔵菩薩座像・龍興寺のカヤの石碑です




石造虚空蔵菩薩座像です

鐘楼です

山門は四脚門です

境内参道から

本堂です

本堂前から見ました

北西側道路から

南西側道路から、道路にはみ出した枝は切られてしまったようです

では、次へ行きましょ
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群馬県桐生市、新里町板橋「板橋のヤエツバキ」(市指定)です!!

2019-01-25 07:02:25 | 巨樹・大木
新里町板橋地区は、桐生市役所の北北西約12kmのところ

国道353号線を西へ、板橋信号を南に入ります

間も無く左手の墓地の中に目的のヤエツバキが在ります

前の道路脇に車を止めさせて頂きました


道路から見下ろすように見ました

天然記念物の標柱です


旧新里村時代に建てられたものです

南西側から

南側から

南東側から、ちらほら花が残っていました

では、次へ行きましょう
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群馬県前橋市、苗ヶ島金剛寺は市指定文化時の宝庫です!!

2019-01-24 06:27:20 | 文化財・寺社
苗ヶ島地区は、前橋市役所の北東13kmのところ

県道102号線沿い右手に金剛寺があります

参道の周り各所に駐車場が有ります

参道入り口です、西側の県道に面しています

山門を入ると左に「おびんづる様」です

案内板です




石殿です

文化財標柱です



参道は石塔にぶつかって左に曲がっています

長く伸びています

前橋市苗ヶ島町の七つ石の一つで「蚕種石」です

すぐ先の左手に



前橋市指定重要文化財 金剛寺の六地蔵の石幢です

文化財説明版です
 前橋市指定重要文化財 金剛寺の石幢
   指定年月日 昭和53年4月1日
  石幢は石塔の一種で、6角または8角の幢身に屋蓋・請花・宝珠を
 のせた形をしており、幢身と屋蓋の間に龕部を置いた石灯籠に似た形
 状を持つものもあります。本石幢は安山岩製で、双輪を欠損するもの
 の、龕部には六地蔵が刻まれています。角柱型の幢身には輪廻車孔を
 もち、「奉建立六道能化逆修寶清禅定也 永正参年丙寅3月18日敬
 白」(1506年)と刻まれています。六地蔵石幢は室町期から戦国
 期にかけて多く作られました。これは戦乱の世にあって、人々の苦悩
 を救うとされる地蔵信仰の高まりとともに、輪廻車を廻して来世の極
 楽浄土を願う人々の祈りを映したものと言えるでしょう。 





 前橋市指定重要文化財 石殿(開山円義上人の墓)
    指定年月日 昭和54年4月1日
  石殿とは、家屋などの形状をとる石造物で、木造の建造物を模して
 作られました。初期の石殿は身部を刳り抜かないものが多く、粕川町
 月田の近戸神社の六地蔵石殿に類例があります。その後内部を刳り抜
 いたものが作られるようになり、内部に石仏や神札を納めるようにな
 りました。16世紀に入ると石祠や墓石などとして石殿の造立が隆盛
 を迎えて以降、江戸時代にかけて造立され、その形状も神社建築を模
 したものや家型のものなど様々です。「開山円義上人の墓」は、現在
 の場所に金剛寺を建立したとされる「権大僧都法印円義上人」の名が
 刻まれ、元和9年(1623)の年号が記されています。また、「お
 びんづる様」は、除病の功徳があるとされる、おびんづる様の像が安
 置されていた場所に建てられていたことから、この名が付けられまし
 た。  
 


間もなく本堂です

右手に鐘楼です

鐘楼の足元には、前橋市指定重要文化財 金剛寺の赤城塔です
    指定年月日 昭和53年4月1日
 双輪を欠損するものの、保存状態のよい宝塔です。室町時代の作と考え
られます。像高1m  ・像幅56cmです。


左手に前橋市指定重要文化財 金剛寺の石像五層塔
    指定年月日 昭和60年2月12日
 二階建て以上の仏塔を多層塔と呼び、桐生市山上の多層塔は、県内の石
造多層塔として最も古い例です。鎌倉時代以降広く造られましたが、保存
状態が良好なものは少なく、本例は貴重な資料と考えられます。


前橋市指定重要文化財 金剛寺の宝篋印塔です
    指定年月日 昭和60年2月12日
 宝篋印塔は墓や供養のための石塔の一種で、もともとは「宝篋印陀羅巳
経」を納めるための塔です。本例は享保11年(1726年)のもので、
丁寧なつくりの宝篋印塔です。


本堂前の文化財説明版です







此処にも石殿があります

本堂西側の駐車場の所にも石殿があります


本堂東側に前橋市指定天然記念物 金剛寺のナツメです(南側の道路から)
    指定年月日 平成13年3月21日
 ナツメは中国原産の落葉高木で、指定時の樹高は9,4m、目通り
周囲130mです。推定樹齢は200~300年と考えられます。

近付けないので望遠レンズで撮りました

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群馬県前橋市、苗ヶ島「苗島神社の御神木スギ」です!!

2019-01-23 06:55:03 | 巨樹・大木
苗ケ島地区は、前橋市役所の東北東約13kmのところ

県道102号線を南から北へ、赤城山の南面を上って行きます

上毛電鉄の踏切りを超え、県道333号線との交差点を過ぎると

田圃の先に苗ケ島の集落が見えて来ます

集落の入り口左手に苗島神社が鎮座します

手前の交差点の左手に車を止める事が出来ました



参道入り口鳥居です

村社 苗島神社です

二の鳥居です

手水舎です

拝殿です

本殿です

拝殿の右手にご神木の杉が在ります


東側の県道から見ました








社殿の周りには境内社の祠が並びます

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群馬県伊勢崎市、本関 「上植木のサカキ」です!!

2019-01-22 06:58:46 | 巨樹・大木
本関地区は、伊勢崎市役所の北北東約4kmのところ

JR両毛線、東武伊勢崎線いささき駅前から県道 号線を北東へ

JR両毛線の踏切を渡って約1km信号を左へ、左手に墓地が見えてきたらまた左へ

左側の住宅のブロック塀の内側に目的のサカキが在ります

墓地の前に車を止めさせていただきました

北側から近づきました


ブロック塀の中にあります

説明版です
  伊勢崎市指定天然記念物
    上植木のサカキ
      昭和42年2月15日 指定
 サカキは、日本の中部以南に自生する常緑の亜喬木です。
栄える木ということでサカキと呼び、神前に備えることから
漢字(国字)では、榊と書かれています。
 サカキは、育ちの悪い樹木で、このように大きくなるのは
大変めずらしいものです。
 樹齢    約300年
 樹高    10m
 目通り周  0,8m
 目元周   3m
 学名    クレイラ・オクナセア
 和名    サカキ つばき科
  昭和51年2月10日
             伊勢崎市教育委員会




ブロック塀の上にはイラスト付きの案内板です



北側のブロック塀の切れ間からのぞいてみました、根元から多くの幹が立ち上がっています

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埼玉県美里町、広木「伝大伴部真足女の遺跡」です!!

2019-01-21 06:32:24 | 城跡・館跡・陣屋跡
広木地区は、美里町役場の西南西約3kmのところ

国道254号線の南側、本庄市との境近くに

伝大伴部真足女の遺跡が在ります

道路脇に車を止めさせて頂きました

案内版です

石碑があります

正面から



説明版です
 万葉遺跡
   伝大伴部真足女の遺跡
  県指定旧跡(昭和36年9月1日)
 ここ一帯は大字広木字御所の内と呼ばれています。
 堀形の田畑に囲まれた90m四方の遺跡が、防人檜前舎人石前
(さきもりひのくまのとねりいわさき)の館跡といわれています

 真足女は、檜前舎人石前の妻で、防人に赴くことになった夫に
、この悲しい別れに臨んで、惜別の情を詠じたのが、防人の歌と
して、万葉集巻10に載せられています。
 「枕太刀腰に取り佩きまかなしき背ろがまき来む月のしらなく」
 この歌は夫を思慕する妻の真情を、遺憾なく吐露したもので、
1200余年後の今日でも、なお切々として、人の心を打ってや
まないものです。           美里町教育委員会




防人檜前舎人石前之館跡の石碑です

歌碑です

左の石碑は読めませんでした

この平面が館跡でしょうか

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埼玉県本庄市、児玉町小平「石上神社のケヤキとスギ」です!!

2019-01-20 06:19:05 | 巨樹・大木
児玉町小平地区は、本庄市役所の南西約10 kmのところ

かつての児玉町役場の南約 3kmです

県道287号線から小平集落への道を南下

百観音の先を左に入ると

T字路にぶつかります

地区の案内板があります、ここを右へ道なりに進むと

右手に石上神社が鎮座します

鳥居前過ぎたところから車で境内へ入ることが出来ます

その入り口のところに車を止めさせて頂きました


入り口鳥居です

村社 石神神社です

手水舎です

境内左に神楽殿です

拝殿です

本殿です

説明版です
  第62回伊勢神宮式年遷宮記念
    石神(いしじん)神社 御由緒
            本庄市児玉町小平1
御縁起(歴史)
  口碑によれば、小平の開発は天正のころ(1573~92)
 に越後国から来住した根岸家3軒により行われ、この3軒は
 兄弟で、長男の家が後に名主職を務めたという。
  当社は小平の鎮守とされ、野鳥の森として知られる静かな
 山林の一角に祀られている。その創建には草分けの根岸家の
 かかわりが考えられるが、明らかでない。
 「明細帳」には「天正19年(1591)社地を開き慶長元
 年(1596)9月29日創立」とあり、「児玉郡誌」には
 「天正19年里人当地を開拓し、同時に社殿を建設して二柱
  大神を官人せりと云ふ、御内陣に大なる石器二基を安置し
 (中略)其後地頭安藤家の崇敬厚く、神田若干を寄附せり。
 神階は明和5年(1768)に正一位を授けられ、神霊を御
 陣内に奉安す」とある。現在本殿には、石棒三体(全長82
 cm・92cm・110cm)と明和5年に神祇管領吉田兼
 雄より受けた「石神大明神幣帛」が奉安される。
  「風土記稿」小平村の項には「石神社二宇 共に村の鎮守
 にて村民持」と二柱の石神社が記され、この内の一社が当社
 であり、明治5年に村社となった。もう一社の石神社は無格
 社とされ、明治7年に神武神社(現日本神社)に合祀された
 。江戸時代の祭祀状況については明らかでないが、明治期の
 祀職は吉野萬次が務め、その後を旧名主で戸長を務めた根岸
 周平が継ぎ、更に根岸虎平-根岸俊雄と襲っている。
御祭神と御神徳
 石神大明神・・・国土守護・五穀豊穣
御祭日
 元旦祭(1月1日)     祈年祭(3月3日)
 八坂祭(7月15日)    例大祭(10月17日)
 新嘗祭(11月23日)


社殿の右手に目的のケヤキです

ケヤキの右の祠は天神社です

文化財標柱です
   本庄市指定文化財
  石神神社のケヤキとスギ
 石神神社は慶長元年(1596年)創立と伝える古社であり。
 社殿の右側のケヤキは目通しで5mあり、御神木とされている
 。また、社殿左側のスギは目通し4,6mを測り、ともに近隣
 では希な巨木である。

拝殿の軒下から見上げました

本殿裏側から

本殿裏側からの杉です

本殿脇から見上げました

本殿西側の合祀社です、鳥居には石神社の文字が在ります

左から雷電神社

山神神社

愛宕神社

東照宮

琴平宮

天手長男命

ちょっと大きな稲荷神社

八坂神社

熊野神社です

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埼玉県本庄市、児玉町 長沖 「飯玉神社のケヤキ」です!!

2019-01-19 06:46:59 | 巨樹・大木
長沖地区は、本庄市役所の南西約9kmのところ

県道287号線沿い西側に飯玉神社が鎮座します

南側鳥居脇に駐車スペースがあります



社務所です



参道入り口の鳥居です

村社 飯玉神社です

説明版です
 第62回伊勢神宮式年遷宮記念
   飯玉神社 御由緒
      本庄市児玉町長沖331
御縁起(歴史) 
  当地は塚(古墳)が多く、「風土記稿」長沖村の項に、
 地内の恵日寺の境内から「目鼻そなはり人の形をなし」た
 人物埴輪の出土が記されている。また、当社附近からは、
 二階造家型埴輪が出土している。
  飯玉は、飯が稲であり玉が魂の意であるから、一般には
 稲霊と解釈されるほか、飯には斎火の意もあり、斎火の飯
 の神、つまり御饌の神を祀ったものとも考えられる。とこ
 ろが飯玉神社が鎮座する地内から古遺物が出土する例が多
 く、江南町千代では古墳群と窯跡、寄居町末野の末野神社
 も元は飯玉神社で、地内に国分寺瓦を焼いた奈良時代の窯
 跡があり、地名も須恵器にちなむとされる。吉見町の横見
 神社は元飯玉氷川神社で古墳群に鎮座し、地内には須恵器
 窯跡が無数にある。群馬県多野郡吉井町岩井も古墳群の地
 で縄文土器・須恵器・土師器が出土、新田郡新田町上田中
 も古墳群があり縄文遺物と兵庫塚古墳からは埴輪馬具が出
 土した。群馬県内の鎮座地には、飯塚・出塚(尾島町の飯
 霊神社)など塚の附く地名が多く、古墳との関連も考えら
 れる。
  当社は、「風土記稿」に「飯玉明神社、村の鎮守にて、
 神主を山中能登と云」とある。また、「児玉郡誌」には、
 享保年中(1716~36)に山中兵庫が京都の吉田家の
 配下となり、同家が明治維新まで数代にわたり奉仕したこ
 とや、社殿は享保年間に再興されたことなどが記されてい
 る。
御祭神と御神徳
 宇迦之御魂命・・・五穀豊穣・商売繁盛
御祭日
 祈年祭(3月15日)大祓式(6月)例大祭(10月15日)
 新嘗祭(11月29日)大祓式(12月)




二の鳥居は赤鳥居です



参道右手にケヤキの大木があります

西側から


東側から

手水舎です

手前の狐の狛犬が特徴的です、御祭神が宇迦之御魂命(稲荷社)の神だからと思われます

社殿です

遥拝所の石碑です






境内には社殿裏側を中心に多くの境内社や石塔が並んでいます

ケヤキの東側にも赤い鳥居があります


正面の祠です

では、次へ行きましょう

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埼玉県本庄市、児玉町保木野「飛龍之榧」です!!

2019-01-18 07:08:00 | 巨樹・大木
保木野地区は、本庄市役所の南西約8kmのところ

旧児玉町役場の北西約1kmになります

JR八高線線路の南側、地区の北端に清龍寺が有ります

塙保己一生家のすぐ北側です

清龍寺の南側保己一公園の駐車スペースを利用しました


参道入り口は東側になります

六地蔵さまです

参道の角から目的のカヤを見ました

本堂です

弘法大師様です

本堂前から見ました


説明版です
   児玉町指定文化財 飛龍之榧
 児玉三十三霊場二十七番札所真言宗豊山派不動院東方山龍清寺は
その歴史は古く約600年前の開山と伝えられ今尚応永年間の石碑
が残存する。
 宝永の年暴風雨で倒壊正徳年間当時中興の祖袋算和尚が再建させ
るもその後火災に遭い寺史寺宝ことごとく焼失し今はその手掛かり
はない、現在の伽藍は文政13年檀信徒の厚き御法尊崇の念により
再建百五十有余年の星霜をへたり。
 今から300年前、上野国新田郡笠懸在に不動寺との寺があり、
この寺の修行僧せあった袋算はいつしか夢の中で龍神に乗り、毎夜
極楽世界を飛び交い楽しんで居たが二十三夜を境に地獄世界の悪夢
と変わり恐怖の毎夜となり修行も疎かになった、その袋算を見て師
僧は「夢は誠にあら寸真の真は己の心修行なくして聖人になれぬ、
是より西南に向い旅に出よ、己が住む聖地がある、その地に留まり
この榧の実を余の形見と思い蒔けよ霊木となりてその地を救わん」
と訓され旅に出る羊甲の方向えと師僧の教えの通り悪い道をたどり
ながら七日目の夕刻紫の靄の低くたれた山里のはずれにお堂らしき
ものが眼に入る、たどりついて見ると荒れはてた不動堂、とりあえ
ず一夜を明かす、あくる日薬師様を清め御堂を掃除して村人に堂守
を乞う、可くして袋算はこの地を修行の地と定め苦行を重ねること
幾星霜、形見の榧も見る見るうちに大木になり多量の実を付け、灯
油や薬種となり村人を潤し、村も不思議と栄えて本堂も再建、学の
道も教えたりして村人と仲良く暮らしたと言う。
 年老いた袋算亭々とそびえる榧にかつての己が夢見た龍神の姿を
思いおこし飛龍の榧と名付けたと言う。
              文 29世高木正弘
  平成2年虎午孟秋下院   




石碑です

文化財標柱です
  本庄市指定天然記念物 榧の木
 樹齢約200~300年と推定される榧の木であり、
その姿から別名「飛龍の榧」とも呼ばれている


南側から見上げました

南側の墓地の中から見ました



南側の道路から見ました、手前のお堂の後ろにカヤの樹冠が見えました


保己一公園です

では、次へ行きましょう
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埼玉県行田市、桜町「長久寺の公孫樹」(市指定)です!!

2019-01-17 04:47:40 | 巨樹・大木
桜町地区は行田市役所の北東約1kmのところ

秩父鉄道ぎょうだし駅のすぐ北側に長久寺があります

参道を東側踏切り脇に開いています

参道を入った境内に駐車スペースが在ります


参道です

説明版です
  長久寺          所在地 行田市桜町
 長久寺は、新義真言宗の寺で應珠山擁護院長久寺と称し、本尊は胎蔵
界大日如来である
 創立は文明年間(1469~1487)で、開基は成田氏14代下総
守顕泰、開山は僧通傳である。顕泰は忍城を築くにあたって、鬼門鎮護
の道場を建立して、武運長久を祈り、寺名も長久寺としたという。長久
寺の古記録に応永年間(1394~1427)成田五郎家時建立とあり
大檀那顕泰となっている。この古記録は宝暦12年(1762)9月に
記されたものである。これから察すると、成田家中興の英主であった祖
父家時に開基の功徳を譲って、顕泰は大檀那となったと思われる。
 長久寺の本堂は、天正18年(1590)石田三成忍城水攻めの時、
兵火によって焼けたのを始めとして、再建、焼失をくり返し、現在の堂
宇は弘化5年(1848)に建立したもので、明治28年に瓦葺に改め
た。
 なお、本寺には市指定絵画の「絹本着色両界曼荼羅・紙本着色十二天
画像」、市指定書籍の「大般若経」、市指定の天然記念物の「菩提樹・
公孫樹」等がある。          昭和57年3月



山門です

山門の額です

山門の説明版です
  行田市指定文化財
    長久寺山門(付扁額)
      平成21年7月30日指定
 この山門は、長久寺の境内南側に位置し、東面を正面としています。
本瓦葺、切妻造りの四脚門で、本柱桁行寸法3,38m、側柱梁間寸法
2,53m、両端に昭和60年に改修された脇塀が付属しています。
 山門の建立年代を記す棟札などは発見されていませんが、桃山時代の
特色を引継ぐ建物装飾が見られることや古文書等の記録などから、江戸
時代初期の建造と推測できます。
 長久寺は、天正18年(1590)の石田三成らの軍勢による忍城攻
めの際に兵火を受けていて、この山門はその復興の際に建てられた可能
性も考えられています。
 山門の正面には後付と思われますが、本山智積院第7世能化であった
運敞筆の扁額が掲げられています。運敞は延宝4年(1676)に長久
寺に立ち寄っていることから、その折りにこの扁額は書かれたものと思
われます。
 この山門は、江戸時代初期の北関東における寺院建築を知る上で貴重
な建造物であり、一体となっている扁額からも長久寺の格式と本山との
関係がうかがえる歴史資料であると言えます。
  平成23年              行田市教育委員会




山門前左に六地蔵様です

山門を入ると右手に鐘楼です

参道の奥に目的のイチョウが見えて来ます

南側から

説明版です
  行田市指定文化財
     長久寺の公孫樹
       昭和39年1月31日指定
 長久寺は文明年間(1469~1478)に忍城主成田顕泰が、
忍城の鬼門鎮護のために武運長久を祈願して建立した寺院である。
その長久寺本堂前庭にあるこの巨木は、樹齢300年以上と推定さ
れる公孫樹の雄木です。
 樹高28m、目通り幹周4,4m、根回り7,6mを計ります。
 幹がまっすぐに伸びる損傷のない見事な巨木で、樹勢も旺盛で枝
は傘状に四方に広がっています。
 行田市内有数の巨木として貴重な天然記念物であると言えます。
   平成23年             行田市教育委員会



本堂側(北北東)から逆光を利用して見ました


本堂です

文化財説明版です

では、次へ行きましょう
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