ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県胎内市、富岡「白山神社のアベマキ」は切られてしまっていました!!

2020-08-31 07:30:00 | 巨樹・大木
富岡地区は、胎内市役所の北北西約5kmのところ

県道314号線を西へ道有に進み日本海東北自動車道をくぐり

県道3号新発田村上線を北へ、胎内川を渡ると間も無く

ゆるい左カーブの右手に白山神社が東向きに鎮座します

向かの富岡農業改善センターの駐車場を利用させて頂きました

境内入口です

拝殿です
.
本殿覆い屋です


拝殿の左手に大きな切株が残っていますが、そろそろ確認できなくなりそうです

県指定の石碑が残っています

伐採後の説明版です
  富岡のあべまき(阿部槙)
 あべまきは、ナラやクヌギの仲間です。
暖かい地方の植物で、樹皮が厚く弾力があるので
、コルクの代わりに利用されました。
 このあべまきは、県下でも珍しい推定
樹齢400年(安土桃山時代頃)の老木で
、樹高20m、幹の太さが6mの巨木でした。
 1964(昭和39)年新潟県の天然記念物に
指定されましたが、衰退が激しく、2007(平成19)年
に伐採して切株が現在残ります。
   胎内市教育委員会

13年前の2007年に切られてしまってました


道路側には石碑が並びます

では、次へ行きましょう
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長野県高森町、上市田「松岡古城跡の一本杉(夫婦杉)」(町指定)です!!

2020-08-30 06:29:00 | 巨樹・大木
上市田地区は、高森町役場の南西約2kmのところ

役場前の道を西へ登って行きます

大丸山公園東信号を左(南西)へ進みます

道なりにのぼって行き、上市田東信号をまた左(南)へ

間ヶ沢大橋を渡った先のコンビニの前に松岡城の案内板が有ります

松岡城は左(南下)ですがここを右(北上)に進むと

道路右手に杉の巨木が見えて来ます

南西側道路脇に車を止めさせて頂きました

南西側道路から見ました

南側から


南西側の入り口から見上げました

高森町史跡 松岡古城跡の文化財標柱です

説明版です
  高森町史跡松岡古城跡
   平成27年3月9日指定
時代 平安時代末期~鎌倉時代末期
指定面積 1332㎡
所有者 上市田区・松源寺
 松岡氏が市田郷に定着し、市
田郷を管理するようになったと
推定される平安末期から、鎌倉
時代を経て建武年間に東方の要
害の地に松岡城を築き、これに
移った頃までの約250年間の
居館の跡地であると考えられて
いる。
 また、松源寺の管理する「お
家塚」と呼ばれる地には、松源
寺開基の松岡貞正公の奥方の供
養塔が祀られていることも松岡
氏との関係性を大いに示すもの
である。
 北東側は間ヶ沢の浸食谷によ
る自然要害とし、南東側には新
井堤の上下に連なる堀跡が残さ
れており、この堀と間ヶ沢の間
の台地上が古城と呼ばれている

 近辺にはコウジ・横大道・ク
ネ添・堀など城下町に関連する
地名も残っている。
  高森町天然記念物
    一本杉(夫婦杉)
   平成27年3月9日指定
種類 スギ
樹齢 約600年(成長錐による試料採取結果)
樹高 25m
幹周 6、0m
所有・管理 上市田区
 地元の住民の間では、一本杉
とも夫婦杉とも呼ばれている。
古くから平地に高く聳える姿は
、遙か遠方からもそれと分かる
ので、座光寺の如来寺(現善光
寺)参りの人々の目印として誰
知らぬ人のない名木であったと
いわれている。
 平成23年3月には、高森町
自然愛護会によって将来に保存
すべき巨樹・名木として選定さ
れている。
 地域に残る名木であり、地域
の宝として次代へ伝えるための
重要な文化財である。
  高森町教育委員会

高森町の巨樹・古木・名木No26の標識です

南西側から

西側から

北西側から

では、次へ行きましょう
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長野県高森町、牛牧「牛牧神社の大杉」(登録文化財)です!!

2020-08-29 06:16:19 | 巨樹・大木
牛牧地区は、高森町役場の西約3kmのところ

県道227号線を西へ坂道を登って行きます

上市田県道15号飯島飯田線に出て左(南西)へ進みます

次の信号が牛牧信号です、ここを右(北西)へ

間も無く中央自動車道の高架を潜ります

正面に牛牧神社が南東向に鎮座します

鳥居前に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

牛牧神社です、目的のスギが鳥居の後に控えています

鳥居です

牛牧神社です

説明版です
  牛牧神社案内
創始祭神
  永享12年(1440)次
 郎城主牛牧氏は信濃守護小笠
 原政康に従い下総国結城城攻
 略の戦役に従軍のおり武人の
 守護神たる八幡宮を祭祀した
 、その後何時の世か諏訪明神
 を合祀し今日に至っている。
沿革
 本殿再建元禄3年(1690)
 葺替再建寬保2年(1742)
    宝暦8寅年(1758)
    安永4未年(1775)
    寛政元酉年(1789)
    明治2巳年(1869)
 明治6年深沢山神合祀
 明治13年(1880)村社
八幡宮を牛牧神社に改称される。
幟旗
 「赫威誅横邪」「鴻恩福正直」
 のお旗は明治12年西川春洞
 の筆になるものである。
例祭 春は4月、秋は10月。
獅子舞
  春の例祭には獅子舞を奉納す
 る。獅子舞の盂聞国の王は中国
 新疆省ホータン地方盂聞国の王
 でこの警護役に三国志の関羽と
 張飛を配し悪魔祓いの物語りに
 仕組み獅子舞神楽として奉納す
 る。
大杉
  高さ40m、樹周6m、枝下
 20m、樹齢約600年と推定
 され樹姿の綺麗なこと無比の名
 木である。
石灯篭
  嘉永元年(1848)戌申仲冬吉辰 二基建立
大鳥居
  高さ4,5m 明神鳥居 大正13年建立
社標
  宇佐神宮宮司宇佐公熙筆 大正13年建立
社前石灯篭
  左 享保11年丙午11月吉日(1726)
  右 宝暦5年区乙亥8月(1755)
忠魂碑 大正7年 福島安正筆
狛犬  平成元年奉納
瑞垣  明治44年奉献
義士踊 忠臣蔵四十七̪士の義士踊大正4年創演。招待公演 7年毎御柱祭に奉納
 平成11年10月3日(1999年)牛牧区

鳥居下から見上げました

高森町登録文化財 第6号です

南側から

南側の道路から見ました

北側から

社殿へお参りしましょう

石段を登り始めて振り返りました

下の境内から見下ろしました

拝殿はもう一段上です

狛犬です

本殿は更に上の覆屋の中ですね

案内に有った御柱です

境内社が並びます

甲子の石碑です

では、次へ行きましょう



     








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長野県高森町、山吹「泰山神社のスギ」です!!

2020-08-28 06:20:21 | 巨樹・大木
山吹地区は、高森町役場の北北東約4kmのところ

国道153号線の上吹下信号を北西側に入ります

坂道をどんどん登って、高森町福祉施設デイサービスセンター前の交差点を南へ

間も無く右手に泰山神社が東向きに鎮座します

この日神社境内は草刈作業が行なわれていましたので

草刈の済んだ場所に車を止めさせて頂きました


参道入口はずっと南です

長い参道の右手にヤマザクラです

高森町の巨樹・古木・名木NO36です

境内入口鳥居です

泰山神社です

鳥居の先に左右にスギの大木が在ります、左のスギが目的の目通り幹囲5,2mの巨木です


社殿側から

右側の杉も大木です

社殿側から見ました

社殿へ向かいましょう

手水です

社殿です

草刈の邪魔になりそうなので、ここでお詣りさせて頂きました

では、次へ行きましょう
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長野県松川町、元大島「大洲七椙神社の七本杉」(町指定)です!!

2020-08-27 06:12:00 | 巨樹・大木
元大島地区は、松川町役場のある地区です

町役場の東約1kmの河岸段丘の下段から二段目にかけてのところ

国道153号線の上新井信号を県道59号線で片桐松川へ更に一段下ります

下った左手に大洲七椙神社が東向参道で鎮座します

鳥居の北側に駐車場が有ります

*七椙神社(ななすぎじんじゃ)の名前の通り七本の大スギが在ります

東側の一の鳥居です

大洲七椙神社です

説明石碑です
 大洲七椙神社
   八幡宮
 松川町元大島字禰宜平に鎮座
し、旧新井村の産土神で祭神は
誉田別尊(応神天皇)(八幡神
)建御名方命(諏訪大社)天照
大神として上新井区の鎮守であ
る。
 天養年間(1145年)片切
氏の分流大島氏が大島の地に居
館をかまえ大島領の鎮守として
平治年間(1160年)に鶴岡
八幡宮より奉祀されたものであ
る八幡大菩薩を御神体とし、こ
れに日天子、月天子の両小像を
配してある。この神像の光背に
正安元年10月25日(129
9年)と書銘が記され、日天子
は大日如来を表し、月天子は阿
弥陀如来をかたどったものであ
り、両像とも彩色が豊かな立派
なものである。
 本社の神域は老樹をもって囲
まれ、殊に老杉の七本は近郷に
比類のないもので、樹齢一千年
を越えるものである。
 又、社前左右一対の石灯籠は
明治24年の建造で郡下随一と
いわれ「七椙の森」として近郷
にしられている。


境内に入ると七本の杉が数段の境内地に並んでいます


説明石碑に有った巨大な台座の石燈籠です

お守りの掲示板ですが、七本杉の位置が表示されています

石灯篭の面から少し上がって一番下の段には三本のスギが並びます、すぐ左側は六の杉です、目通り幹囲6,6mの巨木です

右側には五の杉です

五の杉の先には手水舎です

更に先には四の杉です

参道二の鳥居です、右に半分見えているのが三の杉・左の石灯籠の後側に二の杉です

狛犬です

もう半分上の段の右側に三の杉です

段が上がった左手には手水鉢と二の杉です

一の杉は、二の杉の南側境内端に在ります

南側から見上げました、一から六までどのスギも遜色無い巨木です

参道石段に戻ります

甲子の石碑です

説明書きです
  甲子碑
 甲子碑は(きのえね)あるいは
(こうし)とも言う。
 御祭神は大国主命(大黒天)で
、甲子とは十干(甲・乙・丙・・
癸までの十)と十二支(子・丑・
寅・・亥までの十二)の一番目で
60日あるいは60年に一度しか
ない。そこで甲子講として福の神
を祀り幸せを願った。
 この甲子碑はもともと、宮坂神
社境内にあったが昭和40年8月
この地に安置した。


間も無く社殿の立つ段です


社殿のすぐ下参道左手に七の杉です、七本の中では一番細い若い杉です

拝殿の懸け額です

社殿の左側(南)に境内社が並びます

天満宮です

説明書きです

蚕玉社です

新宝音羽両稲荷社です

説明書きです

境内社が集められています、左から津島社・秋葉大神、天満天神、白山比売大神、八意思兼大神、神日本磐余彦尊の合殿・神明宮・八幡大神・稲荷大神が並んで祀られています

国道153号線へ行って見ましょう

石段の中段から本殿の屋根を見る事が出来ました

国道側からの入口鳥居です

国道沿いの神社標柱です

文化財標柱です

鳥居下から参道を覗いてみました

この神社の七本の杉は、山梨県富士河口湖町河口浅間神社の七本杉に次いでおすすめです

では、次へ行きましょう
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長野県駒ケ根市、赤穂南割「大御食神社の御蔭杉」です!!

2020-08-26 07:39:00 | 巨樹・大木
赤穂南割地区は、駒ケ根市役所の南西約2kmのところ

国道153号線下市場信号を東へ市場大通りを下って行きます

宮の前信号を過ぎると間も無く左手に大御食神社が南向きに鎮座します

参道入口の前に参拝者用駐車場が有りますので利用させて頂きました

参道入口です
大御食神社です

左側には美女ヶ森の石碑が建ちます

説明版です
  美女ヶ森 大御食(おおみけ)神社の由来
 本神社は、社暦の古くして由
緒正しき故をもって、明治5年
郷社に昇格され更に昭和42年
から神社本庁より、献幣使参向
指定神社となりました。
 祭神(御三神)
●日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
 景行天皇58年(129)神
殿をここに建て尊の霊を鎮祭し
て、大御食神社と称す。
●宮簀姫(ミヤスヒメ)または五郎姫(イツイラツメヒメ)
 応神天皇8年(278)尾張
の国よりここにお迎えして合祀
しここを美女ヶ森と称す。
●誉田別命(ホムダワケノミコト)または八幡大神
 陽成天皇元慶3年(879)
山城の国より分霊を御迎えして
合祀す。
 本神社には明治天皇の天覧の
光栄に浴した社宝「神代文字社
伝記」がある。
 景行天皇41年(112)日
本武尊が赤須の里に駐輦遊ばさ
れた、を発端とし村上天皇の天
暦5年(951)に至る、およ
そ840年間の本神社の社歴お
よび関連事項が記録されている
日本唯一の神代文字社伝記であ
る。
(祭神の読み方は社伝記による)

手水舎です、目的のスギが後ろにあるのですが・・・


一段上がった右側境内に目的の御蔭杉です

景行天皇41年日本武尊御蔭杉其先・・・の石碑です

日本武尊御手推石・・・の石碑です

説明版です
  御神木 御蔭杉の由来
 御神木御蔭杉は、上古建御名
方命御国巡りの時、奇杉なりと
愛で給い。景行天皇41年(1
12)日本武尊東征の帰路、赤
須彦がこの杉の大樹の元に仮宮
を設けて、尊を迎え酒饌を饗せ
し時、尊大いに悦ばれ、この杉
の樹蔭清々しく弥栄えて丈高く
奇杉なりと愛で給いぬ、以後こ
の杉を御蔭杉と称せしと、神代
文字社殿記に記してある。
1、神功皇后4年の春、杉枯れ
 たので、翌5年の春中枝の大
 虚に生育った実生の杉の植継
を行いたり。
2、文徳天皇斉衡3年(856
 )5月御蔭杉枯れたりしため
 、同天皇天安2年(858)
 春上下伊那郡よりの氏子百数
 十人により杉の植継行なわれ
 、七日七夜歌い舞の宴を張り
 大祭を行いしと伝えられる。
 現在の御神木御蔭杉は、その
時植えられたもので、樹齢千百
余年を経ている。

南東側から見上げました

東側から

北側から

西側から、目通り幹囲5,8mの巨木です

狛犬です

拝殿です


本殿です

説明版です
駒ケ根市指定有形文化財
 大御食神社本殿
(平成23年12月27日指定)
 当本殿は、間口4,2mの規
模の三間社流造、銅板葺(元こ
けら葺)の社殿で、軒唐破風を
付ける。見所は、正面の彫刻と
繋ぎの龍彫刻で、立川流の彫刻
技法が見事に発揮されている。
 建築年代を示す資料として、
2枚の棟札がある。一枚は、文
久3年(1863)9月の斧始
めのもの、もう一枚は、翌年の
元治元年(1864)4月の地
鎮祭のものである。これから、
本殿造営の木材加工の着工が文
久3年で、翌年に地鎮祭、上棟
が行なわれたことがわかる。
 また、文久3年の棟札に「大
工キソ斉藤常吉、彫工スワ立木
音四郎」とあり、大工棟梁は立
川和四郎冨昌の一番弟子斉藤常
吉、彫工は同じく立川弟子の立
木音四郎であったことがわかり
、立川流の大規模な社殿として
位置づけられる。
   駒ケ根市教育委員会

神楽殿です

末社殿です

神社名が書かれています

一木社です

新田工作物の説明版です

帰り際に鳥居の南側に変わった杉を見つけました

幅の広い杉の葉です

一般の杉の葉はこんな感じですね

説明書きです
 日本名 広葉杉(スギ科)
原産地 中国・台湾
    徳川時代渡来
 中国名 沙木(サーム)
特徴 
 葉は硬くかま状、針形
先端は尖りやや羽状、花は雌雄
同株で春開花、材は白蟻の害を
受けない。
 一名:オラダモミ・リュウキュウスギ・カントンスギ

回りに数本あるようです

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長野県駒ケ根市、赤穂北割「光前寺の三本杉」です!!

2020-08-25 06:24:00 | 巨樹・大木
赤穂北割地区は、駒ケ根市役所の西約4kmのところ

国道153号線北町信号から県道75号線を西へ

中央自動車道駒ケ根インタチェンジ入口を過ぎて

間も無く左へ入る道が有ります(光前寺への案内板が有ります)

道なりに進むと参道入口の周りに駐車場が点在します

(新型コロナウイルス対応で自粛のなか訪問時には観光客が沢山いました、わたしもですが


参道入口です

長い参道を進みます

苑内の案内板(自然探勝園案内図)です

本坊への通路脇のスギです

右手のスギです

左手の杉です

本坊入口です



長い参道はスギの巨木の並木です

参道で一番太いスギかも知れません

左手に鐘楼です

三門です


本堂手前の右手に目的のスギです

三本杉です樹齢700年の霊木です

経蔵側から、目通り幹囲6,3mだそうですが三本ともほぼ同じふとさの様です

一切経蔵です

説明書きです
 文化元年再建のこの経蔵内に
は六百年前遠州見付の天満宮よ
り奉納された大般若経六百巻ほ
か多数の宝物が秘蔵されている


弁天堂です、後ろに三本杉が写っています

参道の左手には三重塔です

見上げました

北西側から見下ろしました

参道に戻り本堂です

手水舎です

本堂前庭の宝篋印塔です

本堂前面です、本尊は不動明王と八大童子だそうです

本堂南側(左手)にカツラの大木です


上穂十一騎之碑です
 大阪冬の陣と夏の陣で豊臣方
の真田幸村の配下として戦い、
散った郷土駒ケ根市西側一帯に
広がる上穂郷で、武芸に秀でた
農家の次男や三男の十一人。
 夏の陣では伊達正宗軍などと
戦い、徳川方本陣にあと一歩ま
で迫りながら全員討死にした。

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長野県伊那市、東春近「春近神社のケヤキ群」です!!

2020-08-24 06:23:00 | 巨樹・大木
東春近地区は、伊那市役所の南約2kmのところ

国道153号線の春近大橋西信号を東へ

天竜川を渡ると県道209号線を道なりに進み

県道488号線との交差点を南に入って直ぐ左に

西向き参道で春近神社が鎮座します

日曜日でしたので向かい側の郵便局の駐車場を利用させて頂きました

参道入口です

春近神社です

鳥居です

水盤です

境内の参道はケヤキ並木となっています

参道右手2番目のケヤキです

参道右手の一本です

参道左手の一本です

境内で一番太いケヤキです


拝殿側から見ました、目通り幹囲5,2mの巨木です

境内で二番目に太いケヤキです


拝殿です

本殿覆い屋です


春近社本殿の文化財標柱です

説明版です
  春近社本殿
指定 伊那市有形文化財建造物
 平成15年10月23日指定
所在地 伊那市大字東春近7393番地
所有者 宗教法人 春近社
 登記簿では「春近社」と記さ
れているが、地元の人々は「春
近神社」と呼んでいる。
 創立沿革は不詳であるが、「
伊那市神社誌」によれば当地の
中殿島にあった五社宮及び諏訪
を中核として、明治43年(1
910)4月、集落に散在して
いた村社・無格社を合併して現
在の「春近社」となる。
 本殿は、覆殿の中に建つ間口
柱間5,2m規模の五間社入母
屋造の大きな社殿で、向拝は3
間とし、軒唐破風を付ける。柱
などにかなりの風触があり、文
久2年(1862)までは覆殿
はなかったようである。縁板の
裏側に「宝暦拾年 信濃国伊那
 月日」の墨書が発見された。
これは棟札の下書きと推定され
、建築様式からもこの宝暦十年
(1760)が本殿の造営年代
と考えられる。入母屋造の社殿
は日光東照宮や北野天満宮が著
名であるが、信州で現存する社
殿としては春近社が最も古いも
のの一つであり、宝暦13年の
熱田神社本殿(重要文化財 長
谷村)がこれに続いている。
 向拝の両端にのみ木鼻が付く
。虹梁の上の板蟇股には向かっ
て左から、兎、海馬、亀の薄肉
彫り彫刻を、それらの蟇股背面
には牡丹・大和松・桐の薄肉彫
り彫刻を施している。
 母屋柱は円柱で、縁長押・内
法長押を打ち、頭貫を通し、台
輪を置く。蟇股の彫刻は、正面
左から雲に龍・這松にオコジョ
・つがい鳩、左側正面から、梅
・菊、右側面左から、菊・橘に
鳳凰、扉口上左から、水に紅葉
・宝相華・菊水を入れる。切目
縁で擬宝珠高欄を付ける。軒は
二重繁垂木である。


本殿北側には境内社の祠と神武天皇・妙見尊神と天満宮の石塔が建っています

拝殿前からケヤキの並木を見ました


拝殿と本殿覆い屋の間、南側にはスギの大木が生育しています


境内北西隅に神楽殿です

北隅には社務所です

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長野県伊那市、狐島「神明社荒神社合殿(狐島神社)のケヤキ群」(市指定)です

2020-08-23 06:23:36 | 巨樹・大木
狐島地区は、伊那市役所の北東約3kmのところ

国道153号線の西町信号を東へ毛見橋で天竜川左岸へ

道なりに進んで右に墓地の有る交差点を左に入ります

細い道を進むと左手に大きな樹冠が見えて来ます

狐島第二公民館のところに東向き参道で神明社荒神社合殿が鎮座します

神社の北側に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

参道入口です

村社 神明社荒神社相殿です

手水舎です

鳥居です、すぐ後ろ側にケヤキの幹が何本も見えています

まほら伊那説明版です
   狐島神社
 ここ狐島神社は「犬房丸」が
開いた神社とされています。犬
房丸とは鎌倉時代に伊那市一帯
を治めた工藤祐時という武士の
子供のころの名前です。
 鎌倉幕府を開いた翌年の建久
6年(1193)将軍源頼朝は
富士の裾野で大がかりな巻狩り
を行いました。その時、これを
好機と陣内に忍びこみ、父の仇
工藤祐経を討ったのが有名な「
曽我兄弟の仇討」です。兄、十
郎は斬り死にし、弟、五郎は捕
らえられ頼朝の前に引き出され
ました。この時祐経の子「犬房
丸」はまだ9歳、父を討たれ悲
しみのあまり曽我五郎の顔を扇
子で打ってしまいます。縛られ
ている者を打つとは武士の法を
知らない者と頼朝に咎められ、
犬房丸は伊那の地に流刑となっ
たのです。
 彼ははじめ狐島に住んだと言
われ、天竜川西の領地の毛見(
検見が転じた言葉、収穫高検査
のこと)をするために渡った橋
が今でも「毛見橋」と呼ばれて
います。その後、犬房丸は西春
近小出に住むこととなり、村人
がそれを嘆くと配流のとき背負
ってきた木像の荒神様を「自分
がいなくなってもこの神を祀れ
ば安心だ」と言い残しこの地を
あとにしました。そして、その
荒神様を祀ったのがこの狐島神
社の始まりで、正式名は神明社
・荒神社合殿と言います。
 境内の大欅7本は、天竜川・
三峰川の氾濫から村人を守って
くれたと伝えられ、今でも狐島
地区の大切な鎮守の森となって
います。
 犬房丸がここに来た頃、伊那
市はどのような所だったのでし
ょうか・・・

天然記念物標柱です

説明版です
  神明社荒神社合殿のケヤキ
指定 伊那市天然記念物 植物
指定年月日 平成17年11月22日
名称 神明社荒神社合殿のケヤキ
員数 7本
所在地 伊那市狐島4030番地
樹高  最大のもの 約30m
直径  最大の物 1,85m
推定樹齢 300年
 境内に7本のケヤキが生育し
ています。いずれも樹勢が良く
、枝ぶり、根の張り具合等が素
晴らしく、また左右の枝の分岐
もバランスがとれ、ケヤキ本来
の樹形を保っています。河川が
運搬する砕屑物が堆積した「氾
濫原」に、これだけの巨木がま
とまって成育しているのは、珍
しいといわれます。
 数本が直線的に配置され、河
川の出水を防ぐとともに、風除
けの役割も果たしてきたと考え
られます。明治元年(1868
)ころまで、時々の洪水で天竜
川・三峰川が氾濫して多大な水
難をこうむった際も、この神社
の森によって荒れ狂う水を防ぐ
ことができたと伝えられていま
す。
 遠くから望むことができるこ
のケヤキの森は、7本のケヤキ
が枝を十分に張ることのできる
貴重な空間といえます。
参考文献「伊那市神社誌」
    「伊那市の巨樹・老樹とその保護対策」
   伊那市教育委員会




まずは二本の巨木です、右側が一番太いケヤキです

目通り幹囲5,3mのケヤキの巨木です


拝殿です

本殿覆い屋です

説明版です
 神明社荒神社合殿 御由緒
創立年月日 不詳 境内面積1285㎡
祭神 天照皇大神 神明社
   素戔嗚尊  荒神社
   天児屋命  春日社
   建御名方命 諏訪社
 狐島の里の氏神様として祀る
御祭神の由緒は、神明社は不詳
である。荒神社は口碑によると
三宝荒神像といわれており、右
大臣源頼朝公の幕下にして伊豆
の太守工藤祐経の子犬房丸と称
する者が、頼朝公の命によりこ
の狐島の地へ配流されたとき、
護身の神として荒神の木像を笈
の中に入れて来たものと伝えら
れている。
 本殿は覆殿の中に建つ間口1
、6mの一間社流造、こけら葺
の建物である。享保20年(1
735)の造営を示す棟札があ
り、建物の様式からみて現社殿
はこのときの建立と考えられる
。また棟札から造営の大工棟梁
は川合善八東春であったことが
わかる。この時期の建築として
は彫刻が多く、また彫刻に独創
的な物が多い。本殿の各所に、
様々な彫りに胡粉・朱・緑青等
で色彩が施され、向拝木鼻の向
き合っている唐獅子の彫刻は独
創的で躍動感がある。
 明治年間になって神社が国家
管理になり、神社の基盤整備の
名の下に統合令が出されたが、
当社はどこの神社とも合併しな
かった。そのため、貴重な欅の
森と江戸時代中期の文化財が残
されている。
春日社と諏訪社は大正8年に合祀



拝殿前から太い二本を見ました


拝殿前から一番太いケヤキです

拝殿前から二番目に太いケヤキです


拝殿に向って左側に並ぶケヤキ5本です


石塔が並びます

では、次へ行きましょう
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長野県伊那市、山寺区上村町「山寺の白山社八幡社合殿のケヤキ」(市指定)です!!

2020-08-22 06:33:00 | 巨樹・大木
山寺区上村町は、伊那市役所の北約3kmのところ

国道153号線を北へ、山寺信号を北西側へ入ります

JR飯田線いなきた駅の南側の踏切りを越えて道なりに進みます

河岸段丘の坂道を登り始めて間もなくを右(北)へ細い道を入ります

県立伊那北高等学校の下の段です、道なりに進むと




神社の幟の支柱が見えて来ました

山寺の白山社八幡社相殿が南東向の参道で鎮座します

社務所前に車を止めさせて頂きました

参道入口です

白山社八幡社相殿です

水盤です

鳥居です

まほら伊那説明版です
  やきもち踊り
 「やきもち踊り」とは、ここ
山寺区上村、白山社八幡社合殿
の例祭で行なわれる踊りの通称
です。しかし、今ではこの神社
のお祭りの呼び名が「やきもち
踊り」として有名になってしま
いました。江戸時代の中頃、お
伊勢参りに行った人たちが習い
覚えてきて、踊ったのが始まり
とされています。昔は4月15
日に行われましたが、現在は4
月15日に一番近い日曜日に行
われます。
 祭りは例祭の八日前の「しめ
縄作り」から始まり、続いて翌
日に「当屋祭」が行なわれます
。当屋祭は濁酒の仕込みを行い
、肴の「カジカ(今はイワナ)
」を焼き、煙草に火をつける火
縄を用意したりします。昔は当
屋になる家に諸条件がありまし
たが今では山寺区7町が交代で
受け、町総代が当屋をつとめま
す。「例祭」当日は、境内にゴ
ザを広げて羽織り、袴、白足袋
姿の男衆が座り、しきたりにの
っとり今年の当屋に提灯が渡さ
れる「引継式」をまず行います
。続いて前踊、中踊、後踊と足
を振り上げユーモラスに踊が行
なわれます。その三段の踊の間
は、酒盛りをしたり煙草を呑ん
だり艶話をしたりとのんびりし
ていますが、後踊が終わった途
端、先を争ってその場から逃げ
出します。逃げ遅れると疫病に
かかるとの言い伝えがあるため
で男衆の表情は真剣そのもの、
それがまた笑いを誘います。
 「やきもち踊り」の通称は謡
の一番「焼餅がはらんで・・」
から来た、また遅れた人が「厄
を持つ」から来たと言われます

 このお祭りは長野県無形文化
財民族資料に指定されています


正面石段の上に拝殿です


本殿覆い屋です

本殿左手には境内社の祠がマンションの様に並んでいます

石段右手に目的のケヤキの巨木です

文化財標柱です

説明版です
 山寺の白山社八幡社合殿のケヤキ
指定 伊那市 天然記念物 植物
 平成12年3月15日指定
所在地 伊那市山寺区上村町2017番地
所有者 白山社八幡社合殿
 推定樹齢800年、樹高22
m、目通り幹囲9,80m。
 長野県天然記念物の「木下の
ケヤキ」に次ぐ巨樹で、特に幹
に大きな瘤が沢山あり他に比類
のない樹形を持っています。
 このケヤキは、当神社の中心
神木であり、長野県無形民俗文
化財である「やきもち踊り」は
この樹の下で、250年間も長
く、大切に継承されてきました
。地域の人々にとっては、歴史
性のある、また心のふるさとと
なる愛着の深い樹です。
 明治10年頃の報告資料に基
づく「長野県町村誌」の当神社
の項に、「社地中に槻の老樹あ
り、周二丈二尺、高さ凡そ二十
五間許、遙に雲表に秀づ一樹な
り」とあり、早くから注目され
ていた貴重な樹木です。
 この樹は昭和27年の居久根
館の火災、昭和57年頃の台風
、さらに落雷、花火などで損傷
しましたが、樹勢が復活してき
ています。
 樹の洞穴には、フクロウの産
卵があり、貴重な存在でもあり
ます。




南側から

北側から

北西側から見ました


本殿北側の境内社です

本殿裏側(西側)にも大きな樹冠が見えているので見に行きましょう


社務所右手道路から裏山への入り口です


二本の若いケヤキの大木です

まだまだ大きく成りそうですね

では、次へ行きましょう
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長野県伊那市、西箕輪羽広「仲仙寺の相生杉」です!!

2020-08-21 06:50:00 | 巨樹・大木
西箕輪羽広地区は、伊那市役所の北西約8kmのところ

国道153号線の水神橋西信号から

県道87号線を中央自動車道伊那IC方面へ

ICを過ぎてそのまま県道476号線になります

道なりに進み羽廣観音仲仙寺入口左と先の右側

そして資料館前に駐車場が有ります

順に車で取材しながら移動しましょう

参道入口です


まずは参道口の左右にある門杉(富山県ではこんな呼び方をします)の様です

天台宗 羽廣山 仲仙寺です

参道左側の大木です

内側から

左右の杉を繋ぐ綱に板がぶら下がっています

仁王門を過ぎて

本坊と閻魔堂の前を通り

本堂観音堂へ



石段を上がった左手本堂前境内端に目的の相生杉です

根元から見上げました

本堂前から

西側から、目通り幹囲7,7mの巨木です

南西側から

南側参道から

南側参道脇の大木です、合体木の様です

では、次へ行きましょう
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長野県伊那市、西箕輪羽広「羽広観音仲仙寺」です!!

2020-08-20 06:16:00 | 文化財・寺社
西箕輪羽広地区は、伊那市役所の北西約8kmのところ

国道153号線の水神橋西信号から

県道87号線を中央自動車道伊那IC方面へ

ICを過ぎてそのまま県道476号線になります

道なりに進み羽廣観音仲仙寺入口左と先の右側

そして資料館前に駐車場が有ります

順に車で取材しながら移動しましょう

参道入口です、門杉の様に参道の左右に杉の大木が在ります


参道を進むと山門の仁王門が見えて来ます

右手には石塔が並びます

山門側にはお地蔵様です

信濃三十三観音・伊那諏訪八十八ヶ所第一番札所です

仁王様です

説明版です



さらに進むと

六地蔵様です

説明版です



右に本坊入り口

左は閻魔堂です

笑ったような御不動様です

観音様です

説明版です
  巣立ち観音
 私たちは、伊那小学校で三年
生から六年生までの四年間、春
日幸雄先生と一緒にポニーの「
クリッカ―」を飼育してきまし
た。
 この間、銀杏を売って資金を
作り、産小屋を建てたり、待望
の子馬を出産させるなど、様々
な体験をしてきました。
 私たちの期待に応え、十九歳
という超高齢出産が体力を急速
に衰えさせてしまい、1991
年5月遂に死んでしまいました

 しかしこの四年間に私たちが
クリッカ―から教えられたこと
は、心の底にしっかりと刻みこ
まれています。
 「人を思いやる心」「夢をも
ってつきすすみやりとげた時の
喜びと自信」「毎日毎日世話す
ることの大切さ」等は、決して
忘れることはないと思います。
 また、この四年間の活動は、
大勢のみなさんの協力に支えら
れたものでした。
 特に、静岡県御殿場市富士牧
場公園のみなさんには、私たち
の活動を陰になり日向になって
一貫して支えて頂きました。
 わたしたちは、今ここに「あ
りがとうクリッカ―」の思いを
こめ、多くのみなさんのご恩に
報いるために、高校受験期の夏
休みにこの馬頭観音造りに取り
組み、完成させることができま
した。
 私たちは、クリッカ―が身を
以て教えてくれた「生命誕生の
敬虔さ」「倒れても起ちあがっ
て歩いて見せてくれたあの生へ
の執着のすごさ」「眠るような
死」と悟されたように感じまし
た。
 私たちは今中学三年生、クリ
ッカ―に力強く励まされながら
、これから羽ばたき、夫々の目
標に向って、今巣立とうとして
います。この気持をこめて、こ
の馬頭観世音に愛称「巣立ち観
音」と命名しました。
  平成5年10月吉日
伊那小学校順組一同
(平成・年度卒業生)


参道右側の手水舎です

急な石段の上に楼門です



本堂観音堂です


鰐口です

鰐口の説明版です

仏像説明版です



境内右に鐘楼です

自然観察林の説明版です



丁石です

説明版です
  はびろ道「丁石 丁観音」
 はびろ道は、伊那の中心を南
北に通る伊那街道坂下の辻から
羽広山仲仙寺に至る五十四丁の
信仰の道である。
 仲仙寺は秘仏の十一面観音菩
薩を本尊とする、千二百年の歴
史ある信濃観音霊場の第二十二
番札所、伊那諏訪第一番札所の
古刹である。
 伊那街道の起点の辻には、い
くつかの道標と石仏が安置され
ている。そのなかに、「南ぜん
可うし道 左はび路道」と刻ま
れた古い石柱と、基点を示す馬
頭観音像がある。
 江戸時代中期から大東亜戦争
のころまで、馬が農耕と交通の
主役であり、大切な一家の一員
であった時代、馬の安全祈願の
ため人と馬が共に、仲仙寺へ参
拝する信仰の道であった。一丁
(約109m)毎に道標となる
観世音石仏が寄進奉納され、数
多の参詣者でにぎわったという
。馬の観音様として親しまれ、
千人余の人が力を合わせて奉納
した千疋馬絵馬(伊那市指定有
形文化財)と呼ばれる巨大な絵
馬がいくつかある。
 最近、この古い歴史の道が伊
那市と伊那観光協会によって整
備され、再び注目されている。
       伊那市





境内北側の祠です

では、神仙寺の巨木達を見て行きましょう
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長野県伊那市、西箕輪羽広「羽広神社のスギ」です!!

2020-08-19 06:20:00 | 巨樹・大木
西箕輪羽広地区は、伊那市役所の北西約8kmのところ

国道153号線の水神橋西信号から

県道87号線を中央自動車道伊那IC方面へ

ICを過ぎてそのまま県道476号線になります

道なりに進み羽廣観音神仙寺入口を右へ進むと

参道入口の鳥居が左に有ります

長い参道は車で行くことが無理そうなので

北側の道路を回って神社境内前まで入りました

地区の墓地入口に車を止めさせて頂きました

北側の道路を迂回して境内手前参道から見上げました


参道を見下ろしました

参道から境内です



参道の南側に目的のスギの巨木が在ります

北側から見ました

石段上から見ました、目通り幹囲5,8mの巨木です

境内入口鳥居です

拝殿です

本殿を見る事が出来ました

本殿に並んで境内社ですが、立派な社殿が納められています


志碑です
 紀元2600年を記念し
西箕輪村羽廣男女青年会員
百余名が 金と勤労奉仕に
より「八絋一宇」の石碑を
昭和16年にここに建立し
た。
 昭和20年終戦となり、
当時GHQの指示により台
座より降ろされ刻字も潰さ
れ土中に埋められた。
 昭和48年この空いてい
た台座に天満宮を羽廣区で
祀った。(「羽廣の移り変
わり」より抜粋)
 終戦後五十余年の歳月を
経て先輩たちの遺業を惜し
む者達が全世界の平和を願
って台石をここに再建する
。  平成11年4月

天満天神宮です


では、次へ行きましょう
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長野県伊那市、西箕輪吹上「吹上神社の前平のサワラ」(県指定)です!!

2020-08-18 06:17:00 | 巨樹・大木
西箕輪吹上地区は、伊那市役所の北北西約9kmのところ

伊那市の北の端に当たります

国道153号線の南箕輪村大泉入口信号から西へ

経ヶ岳(標高2296m)東面の県道428号線を登って行きます

県道203号線を超えます

神社の幟の支柱が有ります

突き当りを右に入り参道入口に車を止めました

参道入口です一の鳥居は木の鳥居です

吹上神社です


手水鉢です

ニノ鳥居は石鳥居です

狛犬です

境内左手に目的のサワラの巨木です

天然記念物標柱です

説明版です
長野県天然記念物
 文化財保護条例第2条の規定
により左記の通り指定する
    記
1、種別  長野県天然記念物
1、名稱  前平のサワラ
1、所在地 伊那市西箕輪前平
1、指定地域 吹上神社社地
1、指定年月日 昭和37年7月12日
1、指定理由
 サワラは、我国において、北は
福島県より南は九州までの間に生
じ特に本県にては木曽の五木の一
つとされている。
 樹質は柔軟で裂きやすく、又水
湿等にもよく堪えるのでその用途
は極めて多い、このサワラは県内
第一の巨木でありこれを天然記念
物に指定して永く保存すべきであ
る。
 推定樹齢およそ1000年
 太さ目通り直径2,5m
    長野県教育委員会


西側から

南側から

幹に太いフジの蔓が懸っています


こちら側にも説明版が有ります
長野県天然記念物
 文化財保護条例第2条の規定
により左記の通り指定する
    記
1、種別  長野県天然記念物
1、名稱  前平の「サワラ」
1、所在地 伊那市西箕輪前平1030
1、指定地域 吹上神社社地
1、指定年月日 昭和37年7月12日
1、指定理由
 「サワラ」は、我国においては
北は福島県より南は九州までの間
に生じ、特に本県にては木曽の五
木の一つとされている。
 樹質は柔軟で裂き易く、水濕等
にもよく堪えるので其の用途は極
めて多い、この「サワラ」は県内
第一の巨木であり、これを天然記
念物に指定して永く保存すべきで
ある。
 推定樹齢凡そ壱千年
 太さ目通り直径2,5m
昭和39年3月31日
    長野県教育委員会

*ほぼ同じものですね

社殿へお参りしましょう

拝殿の額です

本殿は覆屋の中です

由緒書きです
  吹上神社由緒
1、祭神  誉田別尊
      建御名方命
1、神社名 吹上神社
1、由緒
 当地には其の昔鷹持、吹上の
二つの邑があり、鷹持邑には誉
田別尊を祭神とする若宮大権現
を氏神とし、吹上邑には建御名
方命を祭神とする二ノ宮社を氏
神としていた。
 延宝年間(1680年代)此
の二つの邑が合併して吹上村と
稱するようになったが、氏神の
みは依然として二社それぞれの
氏子に分れ、後各々拝殿を新築
して、村社の社格を有するに致
った。
 以来二百有余年幾度かの両社
合併の議も容易に実現の運びに
到らなかったが、茲に機熟して
昭和36年5月1日両社を現在
位置に合併厳かに鎮座の典を挙
行し、次で仝7月27日神社本
庁より許可指令を受け、社名を
吹上神社と改め氏子の尊崇する
ところとなった。
  昭和39年5月1日
    吹上神社


本殿左手の境内社です


三峰大権現や秋葉神社などの石塔が並びます

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長野県南箕輪村、大泉「大和泉神社のケヤキ」です!!

2020-08-17 06:46:00 | 巨樹・大木
大泉地区は、南箕輪村役場の西北西約2kmのところ

役場前の道を西へ高度を上げて行きます

県道88号伊那箕輪線を超えると

先の道路手前右手に大和泉(おいずみ)神社が西向き参道で鎮座します

前の道路脇に車を止めさせて頂きました


大和泉神社前まっくんバス停です

向かい側には地区の方々が手入れされている神南の花壇が綺麗です

南側から見た大和泉神社入口です

道路から境内の鳥居と拝殿を見ました

水盤です

注連縄の巻かれた御神木のケヤキです、目通り幹囲は5mに満たないようです

すぐ東側のまだ若い感じの一本です

拝殿です

本殿は覆屋の中です

説明版です
 大和泉神社本殿
 瘡守稲荷社本殿
   村指定文化財
昭和56年1月13日
南箕輪村2462番地所在
 大和泉神社本殿は、文政12年
諏訪高木村の宮大工小口直四郎に
よって建替えられたものである。
精巧な木組みと見事な彫刻で造ら
れ、立川流の特徴をよく表してい
る。特に七賢人の彫刻はすばらし
い。
 瘡守稲荷神社本殿は、年代は不
明だが原直八の建立と伝えられて
いる。唐破風に千鳥破風の手のこ
んだ本格的な組物を持つ精巧な社
殿である。
   南箕輪村教育委員会



境内北側のケヤキです、目通り幹囲5mほどでしょうか

根元の土が無くなって太い根が特徴的なケヤキです

瘡守稲荷の前から見ました

本殿北側には蚕玉社の祠です

その北側には瘡守稲荷(かさもりいなり)の鳥居と社です


境内北側にはケヤキの太い根の上に大師堂です

本殿南側には天満宮です

天満宮の後ろに在った幹囲6,6mのケヤキの巨木は切株を残すのみとなっています

残念です

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