ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

群馬県高崎市、豊岡一里塚のエノキです!!

2016-05-31 09:13:03 | 巨樹・大木
豊岡の一里塚は、高崎市役所の西約4kmのところ、元々一里塚ですので

高崎城祉にある市役所の周りに高崎宿があったことを考えると

国道18号線(中山道)の上豊岡信号の直ぐ西側に在ります

手前に駐車スペースがあります

一里塚のエノキです


一里塚の石碑です

説明版が有ります

群馬県指定史跡
   一里塚の概要
    一里塚とは、江戸時代の街道の両側に一里(約4km)ごとに築いた塚で、距離を知る道標とも言える
   土盛のことです。徳川家康は慶長9(1604)年、子秀忠に命じて江戸日本橋を起点とする東海道と中
   山道、さらに北陸道の3街道に一里塚を築かせ、全国に広めさせました。
    一里塚は、5間(約9m)四方の盛土をし、中央に榎を植えるのが一般的でした。街道を往来する旅人
   にとっては、行程の目安になるとともに、夏には木陰のあるよき休憩所にもなりました。
    ここにある一里塚は、中山道に設けられたもので江戸から28里(約112km)の距離にあります。
   南側のものは旧状をよくとどめ、塚の上にある推定樹齢200年を越えると思われる榎の大樹が歴史の重
   みを伝えています。北側のものは、道路拡幅により原位置を移動していますが、中山道では唯一、両側の
   塚が残るものとして全国的にもたいへん貴重なものです。
(北側の一里塚は、神社の祠が乗った石造りに成っています・画像無し)
    

   中山道
    中山道は、江戸時代の五街道の一つで江戸と京都を結ぶ幹線道路でした。江戸日本橋を起点とし、現在
   の埼玉県、群馬県、長野県、岐阜県を経由し、滋賀県で東海道と合流し、京都三条大橋に至りました。
    宿場数は69宿(うち2宿は東海道と重複)、その距離は132里(約528km)におよび、江戸・
   京都間の所要日数は通常16日前後でした。
    群馬県内には、新町、倉賀野、高崎、板鼻、安中、松井田、坂本の7宿が置かれていました、今も中山
   道の沿線には、この一里塚をはじめ当時を偲ばせる貴重な文化財が多く残っています。



二本のエノキが立っています

目通り幹回り6.9mとのことですが、二本合わせた大きさの様です

では、次へ行きましょう
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埼玉県飯能市、子ノ権現天龍寺へお参り!!

2016-05-30 08:01:51 | Weblog
子ノ権現は、飯能市役所の西北西13kmのところ

国道299号線を秩父方面に向かい

西武鉄道にしあがの駅を過ぎて、南へ入ります

案内板にしたがって林道を進むと、駐車場が有ります

(足腰の健康に霊験新高であるということでお参りにやって来ました、2014年4月以来になります)

関東ふれあいの道の案内板です、土曜日でもあらハイキングや自転車で登ってくる人々が大勢いました

二本杉です

石碑が有ります


二本杉には、焼け跡が残ります


北側の一本は枯れてしまっているようです

売店の間を抜けて子の権現へ向かいましょう

黒門です

子ノ権現天龍寺です

説明版です
    足腰守護の神  子ノ権現天龍寺
      由緒
   当山は、延喜11年(911)に子ノ聖が天龍寺を創建されたことに始まります。
   子ノ聖は、天長9年(832)、子ノ年子ノ月子ノ日子ノ刻に紀伊の国でお生まれになりました。幼い頃
  より聡明にして仏教に通じ、相となっては諸国をまわり修行を積まれました。特に出羽三山において修行を
  かさね、ある日、月山の頂上に登り、年来読誦する般若心経を取だし「南無三世仏母般若妙典、願わくば、
  われ、永く跡を垂るべき地を示し給え。」と空高く投げました。すると、そのお経は南へとんで、当山の奥
  の院(経ヶ峰)に降りたち光を発しました。この光を目当てに当山山麓まで来られ、山を開こうとした聖は
  悪鬼どもに襲われ火を放たれました、しかし、十一面観音が天龍の姿となって現れ、大雨を降らしその火を
  消してしまいました、その後、当山で修行教化に励まれた聖は、長和元年(1012)「我、すでに化縁つ
  きぬれば、寂光土に帰る。然れども、この山に跡を垂れて、永く衆生を守らん、我、魔火のために腰から下
  に傷を負い悩めることあり、よって、腰より下に病ある者、誠の心で我を念ずれば、必ず霊験を授けん。能
  除一切苦。」という御誓願を遺し、齢百八十一才で化寂されました。
   それ以後、子ノ聖の尊像をお祀りして、足腰守護の神様として広く信仰されることとなりました。尚「子

  」には、物事の始まり、全てのものを生み出し育む大本の意味があります。  
   
   


仁王様です

心水です

庫裏の建物です藁葺きの屋根が趣が有ります


斜面を登って、本堂へ向かいましょう

本堂です


境内の様子です

では、次へ行きましょう
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群馬県沼田市、老神武尊神社の大ケヤキです!!

2016-05-29 07:04:03 | 巨樹・大木
武尊神社は、沼田市役所の東約15kmのところ

老神温泉の北側1km程のところにあたります

国道120号線を東へ、椎坂峠にトンネルが出来て、便利になりましたね

老神温泉入口信号を過ぎ長い下り坂を下り切った所から老神温泉に向かって東の道を戻ります

まもなく右上に上がって行く道を進むと右側の崖際に神社が有ります


南側駐車場から境内です

手水です

諏訪宮です

鳥居と拝殿です

本殿覆い屋です




神社北側のケヤキの大木です


御神木の杉です



境内の杉です、御神木より太いかもしれません





境内の北東隅に有るのが、大ケヤキです

幹に痛みが目立ち、大きさを感じませんが、目通り幹回り7mの巨木です

では、次へ行きましょう
(取材日、3月25日)
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群馬県沼田市、高平の書院と書院の五葉松です!!

2016-05-28 06:45:01 | 文化財・寺社
高平の書院は、県指定重要文化財です、沼田市役所の東北東約8kmのところ

国道120号線沿いの北側に有ります、手前には白沢小学校や地酒の左大臣の蔵元があります

書院脇の駐車スペースに止めさせて頂きました


五葉松えす、五葉松の後ろに建つのが書院です

説明版です
    県指定重要文化財   高平の書院
      指定年月日   昭和59年7月3日
      所 在 地   沼田市白沢町高平1306
   慶安2年(1649)沼田城主真田信政が、新田開発・宿割等を行なったおりに設置され、その後は城主
  の沼田領内見回りや鷹狩の際の休憩所として利用された。その当時、敷地内には7棟の建物が配置され、書
  院はその一部と伝えられている。木造平屋造(151m2)、県内の書院図造りとして貴重なものです。
   床及び脇床、平書院を備える8畳の主室と間口2間の床を備える8畳の次の間を中心とし、二方に1間幅
  の畳縁をめぐらし、次の間の奥に2階をもつ4畳半ならびに6畳の2室を設けている。主室の床柱に丸柱を
  用い、長押、天井棹縁に面皮材を用い、格式ある数寄屋風書院の様式を呈している。襖絵、脇床、天袋子襖
  絵、釘隠の意匠は見るべきものがある。
    県指定天然木念物   書院の五葉マツ
      指定年月日   昭和44年5月5日
      所 在 地   沼田市白沢町高平1306
   推定樹齢約400年、高さ約18m、目通り2,5m。慶安2年(1649)高平の宿割の際、沼田城主
  の書院の庭木として植樹されたものと伝えられている。五葉マツとしては、この地方まれにみる巨樹で、樹
  勢も旺盛である。品種は南方系(四国系)に属し、この地方にあることは珍しいことである。
                                     沼田市教育委員会




高平の書院です



背の高い五葉松は目通りがちょうど細く成っています、巨木とは言えないのが残念です

では、次へ行きましょう
(取材日、3月25日)
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群馬県沼田市、荘田神社の大イチョウです!!

2016-05-27 07:29:17 | 巨樹・大木
荘田神社は、沼田市役所の北西約3kmの所

利根川本流左岸の河岸段丘上にあります

沼田市街地からJR上越線ぬまた駅のある段丘下面に降ります

JR上越線の西側を走る国道291号線(旧17号線)を北上します

天狗の面で有名な迦葉山弥勒寺への入口の先

東に曲がって上越線の踏切りを越えて、自動車販売店の先を北へ入ります

道なりに進むと、右側に案内板あ有りました

東側の段丘斜面を登って上面に上がります

住宅の間を南へ、畑の東側に、神社があります

畑道の脇に車を置かせてもらいました


山際に大きなイチョウが見えて来ました




参道を進み近づきます

鳥居です

拝殿です

懸額です

本殿です

境内社です




東側から

群馬県指定天然記念物 荘田神社の大イチョウの標柱です

   沼田の名木百選
  荘田神社の大イチョウ
    目通周囲 9.07m  樹高 25.85m
   県指定天然記念物。地元では「諏訪の乳イチョウ」と呼ばれ親しまれている。天慶3年(940)に
  豪族の利根平八が荘田に館を建て、荘田神社を館の守り神とした。その頃に植えられたといわれてる。
                           平成8年月        沼田市教育委員会




北側から

東から見ますが、入りきりませんね

では、次へ行きましょう
(取材日、4月4日)

    
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群馬県沼田市、正覚寺のコウヤマキと小松姫の墓です!!

2016-05-26 07:14:46 | 文化財・寺社
正覚寺は、沼田市役所の南約1kmのところ

県道269号線から西へ入った所に有ります

県道沿いに案内板が有りますので、迷うことは有りません

山門を入った所に駐車スペースが有ります


正覚寺山門です

説明版があります
    沼田市指定重要文化財  正覚寺山門
      指定日  平成13年10月1日
      所在地  沼田市鍛治町938番地1
      管理者  正覚寺
   本山門は、入母屋造平入、銅瓦葺きの一間一戸の四脚門で、平面規模は正面3.373m、
  側面3.370mである、正面に千鳥破風を付け、正面を向唐破風とする。柱は円柱とし、出
  組を置く。軒は二軒繁垂木、妻飾は虹梁彫刻充填とする。
   万延元年(1860)建造と伝えられ、建物全体が欅の素木造で、虹梁の唐草絵様・木鼻・
  台輪や虹梁上部・妻飾などに見事な彫刻が施されている。彫師は新田郡山之神村(現新田郡薮
  塚本町山之神)の豊琳斎(岸亦八)である。
   建築技法や彫刻に、江戸時代後期の特徴を良くとどめている。
   平成13年12月                      沼田市教育委員会



コウヤマキです


市指定天然記念物 正覚寺のコウヤマキの標柱です

説明版です
    市指定天然記念物   正覚寺のコウヤマキ
      指定年月日  昭和51年3月30日
      所 在 地  沼田市鍛治町938番地
      所 有 者  正覚寺
   根元周囲7.33m、目通り周囲3.59m、樹高21m、枝張り東西10.7m、南北10
  .3m、樹齢不明
   コウヤマキは一属一種の二本特産の針葉樹である。天然には福島県以西の太平洋岸、四国、九
  州東部に分布する。名の由来地である高野山には特に多く野生する。材は特に水湿に耐えるので
  風呂桶、流し板などに賞用される。また寺院によく植栽され、仏花として用いられる。
   指定物件は植栽木であるが、この地方では希な巨木である。若干枝折れの跡が見られるが、大
  きな損傷もなく、樹勢良好である。
   平成18年3月                       沼田市教育委員会
  





太さの割に、立派なたたずまいです


久米民之助翁の墓所です

説明版です、沼田市名誉市民で沼田城跡の荒廃を憂いて公園化に尽力された方のようです
     


本堂です

鐘楼です

大蓮院殿の墓です

沼田市重要文化財の標柱です

説明版です
    沼田市指定重要文化財   大連院殿の墓
      指定年月日  昭和51年3月30日
      所 在 地  沼田市鍛治町938番地
      所 有 者  正覚寺
   真田初代沼田藩主信幸(之)の夫人である大連院殿は、徳川家の重臣本多忠勝の娘で小松姫と
  呼ばれていた。家康は小松姫を養女として天正17年(1589)に信幸に嫁がせた。翌年7月
  信幸は沼田城主となり、慶長5年(1600)の関ヶ原の役において徳川方に従い、東軍に付く
  ことになった。敵味方に分かれた信幸と父昌幸、弟信繁(幸村)が佐野犬伏から上田に帰る途次
  に沼田城を訪れた際、入城を拒んだ大連院殿は女丈夫とうたわれた。元和6年(1620)に病
  み、二月に療養のため江戸から草津へ来る途中の同月24日に武蔵野国鴻巣で没した。享年48
  歳、同所で火葬、分骨して、同所正願寺、沼田の正覚寺、上田の芳泉寺にそれぞれ葬られた。
  法名は大連院殿英誉皓月大禅定尼。
   この墓は総丈271cmの宝篋印塔。塔身に、「阿弥陀三尊(梵字)大連院殿 英誉皓月 元
  和六年庚申二月二四日 施主敬白」の刻銘がある。相輪の蓮華が細かく屋蓋の彫は強く、塔身・
  基礎は荘重な形で、江戸時代初期の宝篋印塔の特徴を良く表している。
     平成22年3月                        沼田市教育委員会
  小松姫の人気は、大河ドラマ真田丸(吉田羊さん演じる稲)と共に大きく成りますね


では、次へ行きましょう
(取材日、4月4日)
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群馬県沼田市、沼田公園のケンポナシです!!

2016-05-25 06:57:59 | 巨樹・大木
沼田公園の南東側隅に有るのが、ケンポナシの巨木です

桜の季節には、沼田公園東側の陸上競技場や野球場が臨時駐車場に成っています

南側のソメイヨシノの並木も桜が咲き始めれば見事でしょうがまだ早いのです


ケンポナシです、競技場の土手の上に見えます




これから芽吹きを迎えないと、樹種の確認も難しいです




南側から

では、次へ行きましょう
(取材日、4月4日)
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群馬県沼田市、沼田城跡の御殿桜です!!

2016-05-24 07:45:27 | 
御殿桜は、沼田市役所の直ぐ北西側、沼田公園(沼田城跡)の中にあります

関越高速道路沼田インターチェンジから沼田市内(西)へ国道120号を進むみ

町並みの西の端、沼田公園入口を北へ

公園入口の冠木門、手前左側に駐車場があります

市内の文化財案内板がありました

沼田市指定史跡 沼田城跡の標柱です

説明版があります
(沼田城に関しては、このブログの2012年6月16日をご覧いただければ幸いです)


NHK大河ドラマ「真田丸」の幟が翻ります

沼田城跡の鐘楼です

真田氏時代沼田蔵内城絵図です

御殿桜です

説明版です
   沼田城跡御殿桜  (推定樹齢400余年)
  沼田城の天守閣が、5層の雄姿を誇ったところに植えられ、今に残っている沼田城形見の名木
 である。
  沼田城跡は初め蔵内城と称した。沼田氏12代沼田万鬼斎顕泰が、3ヵ年かかって天文元年
 (1532年)4月完成させ、柳町の幕岩城から引移った。
  顕泰は三男朝憲に13代城主を譲り、川場村天神城に隠居したが、後妻の子4男平八郎景義を
 城主にせんと企て、永禄12年(1569年)正月、朝憲を謀殺、ために沼田氏は築城後37年
 間にて亡びた。
  以来沼田城は上杉謙信・北条氏政・武田勝頼・織田信長・真田昌幸・北条氏直の支配時代を経
 て、天正18年(1590年)真田信幸が城主となった。信幸の夫人は、徳川家康の曾孫=養女
 =小松姫である。
  信幸は関ヶ原戦に徳川方につき、戦功により父昌幸の所領上田城主を兼ねたが、慶長9年(1
 604年)この御殿桜の処に3階建の隅櫓(水の手曲輪門)を築造。ついで慶長12年(160
 7年)今の利根英霊殿の処に5層の天守閣を築造(間口10間奥行9間)本丸の外槨に土塀を築
 くなど、名城を完成させた。
  それから77年後天和元年(1681年)11月、5代城主信直が徳川幕府に沼田領3万石を
 没収され、城郭は跡形もなく取壊された。
  名城は姿を消したが、この御殿桜は400年の風雪に耐え、根は古塁の石垣をしっかり抱き、
 春ごとに寂寥の色をたたえた花を開き、興亡の歴史を語りつづけている。
                                   (岸 大洞 文選)


小松姫の案内板が有ります
  孫の顔を見たいと言う昌幸の申し出を断って、城に入れなかった話は有名ですね 





南側石垣の下から見上げました

東側から

大きさは、目通り幹回り3.6mのエドヒガンザクラです

公園を散策して、次へ行きましょう
(取材日、4月4日)

 
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群馬県みなかみ町、武尊神社のモミの木です!!

2016-05-23 07:20:44 | 巨樹・大木
武尊神社は、みなかみ町役場の北約7kmのところ

国道291号線沿い、関越自動車道水上インターチェンジの直ぐ南側にあたります

神社脇の道路幅の広い所に車を止めさせていただきます



南側の鳥居です


北側の境内入口にも鳥居が立ます

武尊神社社殿です

十二山神です

日本武尊の石像があります

こちらの御祭神は何でしょうか

一番大きなのは社務所の建物です


神楽殿の裏側には、大きなモミの木があります



南西側から



南側から




西側から




南側の石塔のまえから見上げました、目通り幹回り5.2mの巨木です

では、次へ行きましょう
(取材日、4月4日)
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群馬県みなかみ町、小松八幡宮の大杉です!!

2016-05-22 06:10:11 | 巨樹・大木
小松八幡宮は、みなかみ町役場の南西約4kmの所

国道17号線の、名胡桃城跡前を西に入ると1km足らずで左側の沢を渡る橋が見えて来ます

此の橋を渡って道を進むと、右側の丘の麓にあります

駐車スペースは社殿の西側に在ります



鳥居前から社殿の右側に大杉は有ります

拝殿です

本殿です

神楽殿です


南から、注連縄の掛かった幹が、スーッと伸びています

町指定天然記念物の標柱です





東側から見上げます


離れてみました

説明版です
  みなかみ町指定重要無形文化財 小松八幡宮の太々神楽
  みなかみ町指定天然記念物   小松八幡宮の大杉
  下津地区にある「小松八幡具の太々神楽」は、江戸時代末期から明治の初期に
 上津地区の村主八幡宮から伝わったとされている。この太々神楽は、この地区で
 は故生方嶋蔵氏が始めたとされており、使用する衣装および道具類は、村主八幡
 宮からその都度借り受けていたが、近年になって新たにそれらを買いそろえた。
  昭和59年(1984)の神楽殿修復を境に、それ以前は地区の祝い事・記念
 行事等にあわせて、不定期に太々神楽が奉納されていたが、翌年から4月の第一
 日曜日の「春季例大祭」に、神楽殿において五穀豊穣・家内安全を祈願して太々
 神楽が奉納されている。
  神楽の座は現在12座(住吉の舞・浮橋の舞・五行の舞・神明の舞・追込の舞
 おかめの舞・岩戸の舞・苗代の舞・種蒔きの舞・鏡研ぎの舞・天狗の舞・天狗の
 舞・鯛釣りの舞・土蜘蛛退治の舞)である。
  このほか月夜野地区においては上津の村主八幡神社、月夜野の月夜野神社、小
 川の小川神社においても太々神楽が奉納されている。
  また、境内にある神社の御神木となっている「小松八幡宮の大杉」は樹齢約3
 50年と伝えらえており、現在は樹高約36m、目通り約5.2m、樹勢は良好
 で、地域の人々から親しまれている。
                        みなかみ町教育委員会
  

では、次へ行きましょう
(取材日、4月4日)
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群馬県みなかみ町、上津の姥桜です!!

2016-05-21 06:10:45 | 
上津の姥桜は、みなかみ町役場の南西約3kmの所、国道17号線沿いの「名胡桃城跡」の西約1kmです

名胡桃城跡の直ぐ北側から西へ、県道36号線を進むと、左側に有ります

(2016年4月4日の取材です)

県道脇に車を置かせていただいて、桜を見に行きます

中部北陸自然歩道入口の標柱です、後ろに姥桜が見えます、まだ3分咲きくらいでしょうか

東側から




北側から見上げます

県指定天然記念物上津の姥桜の石碑です

説明の石碑が有ります
姥桜と伝説
室町時代中期の頃、沼田氏一族の沼田上野介景繁の三男、沼田景冬初めて名胡桃の郷に居城を構え
名胡桃桃三郎景冬が城主となる時に、景冬に姉あり、如意姫と称する姫は絶世の美人にして、才知
万人に勝れ和歌に秀でて居った、その才能京に達し、召されて都に上り右大臣平信宗の養女となり
采女として宮仕えした、帝の寵愛厚く懐胎し郷土に帰り、村主神社の西隣に居を構え皇子を生む、
この地を現在に於いても寺屋敷と呼んでいる、姫が都より齎らし記念に植えたものが、この姥櫻で
ある
    名胡桃の姥の桜は咲きにおり  子持の山にかかるしら雲      詠人知らず

道標です

南から

満開まで一週間ほどですね

では、次へ行きましょう
(取材日、4月4日)

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久しぶりの投稿再開です!!

2016-05-20 14:04:15 | Weblog
ビーズうさぎのハナちゃんのブログを投稿している

お父さんが、会社で仕事中に足の踵を骨折

ブログ投稿を休ませていただいておりましたが

本日、無事退院できましたので

ブログの投稿を再開させていただきます

(投稿できなかった一月半にも、このブログを検索頂きまして、誠にありがとうございました<(_ _)>)

今日から、このブログを再開するに関しまして

お父さんの、事故や入院生活についても、日時を遡って投稿させていただきたいと考えておりますので

これからも、よろしくお願いいたします

(巨木巨樹で、4月6日以降に予定していたブログは明日から再開致します)
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5月20日金曜日、いよいよ退院です!!

2016-05-20 14:00:20 | Weblog
いよいよ、今日退院です

朝食には、退院祝いの赤飯が付きました、病院(栄養士さん)の心使いに感謝です

(ちなみに、長期入院の方に出されるようです、向かいの網膜剥離の方は

糖尿病の関係もあるのか、本日退院ですが、赤飯は無かったようです

午前中に、退院手続きが終わり、ナースステイションの方々に挨拶をして

入退院受付で入院費の清算を行い、9万円近くが戻ってきました

(実際に掛かったのは、診断書と松葉杖の貸し出し費用でした)

迎えに来た妹と、電車で帰ることにしました、最寄りの駅まで松葉杖で進みます

エレベーターを利用してホームへ、久しぶりの電車は、いつもの雰囲気です

乗り換えをして、アパートの最寄の駅へ

乗り換えの時、同じ車両に乗った車椅子の青年も一緒に乗り換えします

しかし、一緒にエレベーターから降りたのに、駅員さんの機敏な車椅子操作で、

アッと言う間に見えなくなってしまいました、向かい側のホームに車椅子の青年を見つけました

駅員さんの、車両から降りるときの、車両とホームの隙間を埋める板を設置したり除いたり

行動が機敏で、エレベーターの中での会話で、乗り換え時間にも細かく気を使うなど大変です

自分が、松葉杖や車椅子を経験し、今日も松葉杖で歩いている事が

意識的に車椅子の青年や駅員の駆動に目が行っているのだと思います

自宅アパートまでは、最寄駅からタクシーを利用しました(820円)

自宅到着です、しばらくの間自宅療養になります

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5月19日木曜日、手術後35日目!!

2016-05-19 20:00:00 | Weblog
今日も朝から良い天気です、雲一つ見当たりませんが

富士山は霞の中、顔を見せてくれていません

遅いお昼ご飯を食べているところで、主治医が顔を出しました

「明日退院できますがどうします」って

すかさず「お願いします」と答えました・・・・で、退院が決まりました

細かいことは、明日になるでしょうが、ひとまず安心です

兄・妹へはメールで、弟・会社・保険屋へ、電話で連絡しました
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5月18日水曜日、手術後34日目!!

2016-05-18 20:00:00 | Weblog
久しぶりにシャワーを浴びることが出来ました、手術前日以来です

足の裏の古い皮膚を中心に落しました(垢です

足の裏の角質は蒸しタオルでは、何度も挑戦していましたが無理でした

洗面器にお湯を張って、体を洗っているうち浸けておきます

爪を立てるようにして擦ると、面白いように角質が落ちました

シャワーの後には、傷口の処置をします

スプレーをして軟膏を塗って、昨日までの半分のカット拌を貼って終わりです

看護師さんに、退院の話題を振るものの「そろそろ良いよね~」なんて

はぐらかされてしまいました
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