ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛知県設楽町、田峯鍛冶沢「田峯観音高勝寺の鳥居杉」です!!

2023-01-31 18:59:41 | 巨樹・大木
 田峯鍛冶沢地区は、設楽町役場の南西約7kmのところ

 国道257号線を南に道成りに進みます「道の駅したら」前を過ぎて約800mで

 清峰トンネルを貫けた豊川の新清嶺橋を渡て直ぐ右の道に入ります(田峯観音高勝寺や田峯十一面観音の案内板が有ります)

 道成りに標高を上げて行くと西に向いたところに田峯観音の参道入口です

 少し先から戻る様にして、田峯観音の広い駐車場に入りました、休憩舎や売店、飲食店もあります

 駐車場から観音堂への参道を見上げました

 大きな手水舎です

 谷高山 高勝寺 田峯観音です


 南東向き参道石段の上部に目的の鳥居杉が見えます

 石段を上がって来ました

 左側の杉です

 北東側石段上から、目通り幹囲5.5mの巨木です



 右側の杉です

 南西側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 境内に上がって二本を北側から見ました、二本を注連縄が結んでいます

 本堂前参道から見ました


 境内北西側の杉の大木です


 正面に観音堂です

 参道左手に鐘楼です

 右側には狂言舞台です

 愛知県指定無形民俗文化財 田峯の地狂言舞台の標柱です、文面は・・・農村の代表的な娯楽として、江戸時代後期に盛行した地狂言(地芝居)の舞台で、しかも今もって、ここで上演(毎年2月12日)されているのは価値が高い。(1863年建築)

 説明版です
   田峯観音奉納歌舞伎の由来
 文明4年(1472)荒廃する真言宗日向寺を、田峯城主、菅沼定信(三郎左衛門・貞吉・信濃守)が再興、曹洞宗に改め日向寺を菅沼の菩提寺とした。
 正保3年(1646)9月14日、この寺は炎上し、またたく間に焼失してしまった。村民大いに落胆すれども容易に再興ならず、8年を費やしてようやく承應3年(1654)4月に再建した。
 この再建資材を調達したのが段戸山のとうずい(地名)であることから幕府の直轄林盗伐の疑いがかけられた。このことに関連して地元には次のような田峯観音霊験伝説が今に残る。
 これによると盗伐の疑いにより、代官鳥山牛之助が実地検分に来ることになった。途方にくれた村人は、もはや田峯観音のお力にすがるより他無しとし「もし災難を救ってくれたならたとい村が三軒になるまで歌舞伎を奉納します。」と三日三晩観音堂にこもり村中祈願した。その満願の日代官は手代を連れて検分にやって来た。6月土用の暑い日だったが、いざ山に入ろうとするや一天俄にかき曇り雪がこんこんと降りだした。一行は「カヤノタワ」という所まで登ったら積雪尺を越すほどになりこれ以上進むことは困難である。「この場で検分致すぞ」と眺めたがあたりは、積る雪で真白である。その為に罪をかせられた切株の跡は発見することができず代官は「この件については証拠不充分の為無かったことにする。」と言い残し赤坂の代官所へ帰った。
 村人は、観音様のおかげとその年歌舞伎を奉納して以来現在に至るもなお歌舞伎は続けられている。
        設楽町

 観音堂右手には、200年の古木の切株から再生した「夫婦椿」です

 では、次へ行きましょう
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愛知県設楽町、田峯鍛治沢「田峯観音参道の鹿子の木(カゴノキ)」です!!

2023-01-31 06:29:03 | 巨樹・大木
 現在の設楽町は、1956年(昭和31年)9月30日 北設楽郡田口町、段嶺村、名倉村、振草村の一部が合併して〈旧〉設楽町が発足し。上津具村、下津具村が合併して津具村が発足しました。そして2005年(平成17年)10月1日 〈旧〉設楽町と津具村が合併し、〈新〉設楽町が発足しました。

 田峯鍛治沢地区はかつての段嶺村に所属していました、設楽町役場の南西約7kmのところ(段嶺町民センターの北西約2km)です

 町役場前から国道257号線を南に道成りに進みます、「道の駅したら」前を過ぎて約800mで

 清峰トンネルを貫けた豊川の新清嶺橋を渡て直ぐ右の道に入ります(田峯観音高勝寺や田峯十一面観音の案内板が有ります)

 道成りに標高を上げて行くと西に向いたところで、右手に田峯観音の参道入口です

 すぐ先を折り返すように右へ坂道を登って田峯観音の駐車場へ入りました

 参道石段を一度下まで下ります

 石段の右手にカゴノキの樹冠が見えます

 石段を登り返します

 右手に目的のカゴノキの太い幹が見えました

 南西側から、目通り幹囲6.5mの巨木です

 南側から

 石祠が有ります

 南東側から

 東側から

 参道石段を登って上側から見下ろしました

 駐車場へ戻りました、田峯観音高勝寺を見ました

 駐車場の飲食店と売店(特産物直売所)です

 休憩舎の展望台に包囲盤が有ります

 北東から東の眺めです、田内城址、岩小屋城址、天神山砦方面です

 東から南東側の眺めです、天神山砦から田ノ口砦や一本杉砦方面です

 休憩舎の中には、NHK大河ドラマ「どうする家康」のポスターです

 奥三河 観光情報マップで確認しました、図の中央左が現在地(田峯特産物直売所)です

 近くの田峯城跡は、城跡が復元されて観光施設になっているようです

 では、田峯観音 高勝寺へお参りしましょう
 
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愛知県新城市、作手愛郷「桑原白鳥神社のイチイガシ」です!!

2023-01-30 18:30:15 | 巨樹・大木
 作手愛郷地は、新城市役所作手総合支所の、北東約14kmのところ

 国道301号線を南へ、作手運輸の先の信号を左(東)へ、県道436号線です

 間も無く古宮白鳥神社が左手に鎮座します、ここから約16.0km進みます

 長い下り坂を下って行くと、県道左手に桑原白鳥神社が南東向きに鎮座します

 すぐ先の道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側に境内入口です


 バス停が有ります、午前に2便、午後は一部ルートが変わって2便が通ります

 鳥居です

 鳥居前から見上げると目的のイチイガシの樹冠が見えました

 珍し瓢箪型の手水鉢です

 拝殿です、社務所と一体になっています

 本殿覆い屋です

 西側の大岩の上には稲荷社の石祠のようです

 石灯籠です

 道路から見上げました

 本殿とイチイガシです

 南から見上げち斜面を登り始めて見ましたが、踏み跡が無いので諦めました

 目通り幹囲6.2mの巨木ですので側まで行けなかったのは残念です

 では、次へ行きましょう
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愛知県新城市、作手善夫「善夫のヒイラギ」(市指定)です!!

2023-01-30 06:29:04 | 文化財・樹木
 作手善夫地区は、新城市役所作手総合支所の北北東約6kmのところ

 国道301号線を北へ、田原信号で国道は左へ行ってしまいますが、直進して県道35号線です

 巴川を渡ると県道左手に善夫の集落です、家々は県道の北西側に点在します


 県道363号線の交差点のすぐ先100mの県道沿いに「ヒイラギ(名木)新城市文化財」の立札が有ります

 左側住宅の裏山にヒイラギが見えます

 県道脇に車を止めさせて頂きました

 山の斜面を登って根元に行ってみましょう

 周辺には鹿の糞が見られます、獣害が心配です

 「ヒイラギ 市指定天然記念物(昭和58年8月1日指定)」新城市教育委員会の案内板です


 北東側から

 北西側から、目通り幹囲2.4mのヒイラギとしては大木です

 西側から


 幹の大枝に付く葉は全て丸葉です

 根元のヒコバエの枝には鋸葉が見られました


 山の斜面上の方に大きなスギが在ります、目通り幹囲約4m(目測)の大木です

 では、次へ行きましょう
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愛知県新城市、作手清武「文殊山城跡のブナ」(市保護樹)です!!

2023-01-29 18:41:45 | 巨樹・大木
 作手清武の文殊山城址は、新城市役所作手総合支所の西南西側の比高約110mの山の上です

 新城市役所作手総合支所の南側の通りを西へ

 保健センター前に文殊山城跡への案内板が有ります

 城跡の公園化工事?で使用されたと思われる道路(舗装路)を登り詰め、車を止めることが出来ました

 すぐ上に、文殊山山頂の城跡に建つ展望台が見えました

 帯郭のようになっています、シャクナゲの木が沢山あります

 「徳川家康公ゆかりの地」の幟がにぎやかです 

 本丸へ上がりましょう

 文殊堂です

 南側に下から見えた展望台です


 説明版です
   文殊山城跡
●所在地 愛知県新城市作手清武
●内容 この城跡は、亀山城主の奥平氏の砦城で、元亀年間(1570~72)に武田氏との和睦の証として、塞之神城とともに築く筈であったが、延引したため武田氏より強談に合い奥平氏が一夜にしてこれを築いたので一夜城とも言われる。
 中央の文殊菩薩は、江戸時代に地元有志により奉納された石像で、台石には「西須山村東市場村」と刻まれており当時村界であったことが分かる。
 また、宝篋印塔左手に足助町有志が奉納した笠付の円柱石塔があり、この山は近世から近代にかけた信仰の山であったことを示している。
 この文殊堂は善福寺の奥之院で文殊菩薩は知恵の文殊とも言われ卯年生まれの守護仏で縁日は毎月25日である。
 唱え真言「おん・あらはしゃ・のう」合掌
     新城市教育委員会

 東側には宝篋印塔です

 本丸跡北側には土塁が廻っています

 東側に目的のブナです

 南東側から

 「保護樹 ブナ」の標柱です


 北側の土塁上から、目通り幹囲4.9mの大木です

 東側の帯郭から見上げました

 塞之神城跡は左(東)の尾根続きに、善福寺は南西下のボダイジュのところに降りて行くようです

 では、次へ行きましょう
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愛知県新城市、作手高里「西ノ内十二所神社のスギ」です!!

2023-01-29 06:33:08 | 巨樹・大木
 作手高里西ノ内地区は、新城市役所作手総合支所の直ぐ北側です

 国道301号線の西側に南向きに十二所神社が鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました


 参道入口です

 村社 十二所神社の社號標です

 鳥居です

 境内の参道を進みます

 参道の左手に注連縄の巻かれた太い幹が見えて来ます

 南東側から、目的のスギです

 東側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

 北東側(拝殿前)から

 狛犬です、相寺白山神社のものに本体は似ていますが、台の部分が凝っていますね~

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 北側(拝殿脇)から

 北西側から、こちら面はすっかり枯れが進んでいました

 赤い鳥居の境内社は稲荷社のようです

 では、次へ行きましょう
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愛知県新城市、作手鴨ヶ谷「甘泉寺のコウヤマキ」(国指定)です!!

2023-01-28 18:30:14 | 巨樹・大木
 作手鴨ヶ谷地区は、新城市役所作手総合支所の東約2kmのところ
 
 国道301号線を南へ、作手運輸の先の信号を左(東)へ県道436号線です

 間も無く左手に白鳥神社前を過ぎ、約1.1kmで甘楽寺の案内板が有りますので左(北)へ入ります
 

 案内板です

 参道脇の駐車場に車を止めて、参道を進みます

 臨済宗永源寺派 翔龍山 甘泉寺です

 門を潜って参道を進みます

 谷沿いに付けられた参道です

 六地蔵様です

 手水です、綺麗な水が出ています

 緩く登って行きます

 参道をスギの大木が覆います

 一番奥のスギが一番太いものです、目通り幹4.5m(目測)の大木です

 境内端に立つ目的のコウヤマキを見上げました


 山門です、入口は城の小口のように曲がっています


 鐘楼です

 本堂です

 説明版です
   翔龍山 甘泉寺
  所在地 作手村大字鴨ケ谷字門前
  宗派  臨済宗(永源寺派)
  本尊  釈迦如来
由来 当山は、応安3年(1370年)に臨済正宗20世弥天永釈大和尚により開山された。
 時の将軍足利義満公の帰依もあり、御朱印高48石、山林境内20余町歩の寄進があった。
 和尚の死後、応永22年(1316年)称光天皇より「見性悟心禅師」の謚号を賜る。
 その後、第42世朴宗和尚が一堂を建て、開山禅師の遺像をを安置し開山堂とした。
 境内には、織田信長が葬ったといわれる長篠合戦の勲功者、鳥居強右衛門勝商の墓碑があり、寺内には位牌が祭られている。
[指定文化財]
 ●コウヤマキ (国天然記念物)
 ●涅槃図 (県文化財)
         作手村
*作手村は、2005年(平成17年)10月1日、(旧)新城市、南設楽郡鳳来町と合併し、改めて新城市が発足しました。現在旧村域は全て「新城市作手xx」と呼称して旧村名を残しており、旧村域全体で新城市の作手地域自治区を構成しています。

 本堂前からコウヤマキです

 説明版です
   国指定天然記念物  1972年3月30日指定
    コウヤマキ Sciadopitys vertcillata SIEB et ZUCC
 一科一族一種の日本特産の常緑高木である。ただヨーロッパの古い地層(第三紀層)から化石として産することから、その時代には広く分布していたものと思われる。
 生きている時は水を多く含み火に強いが、枯れると水湿に耐える世界の珍木である。花は4月上旬に咲き、雌花と雄花をつけ、10月頃雌花に毬果をつける。
 甘泉寺のコウヤマキは長い樹令を重ね、優れた美観と偉容をそなえ世界的にも類をみない名木である。
 樹令 推定600年、樹高 27m、目通幹囲 6m30cm、根廻り 8m55cm

*木の頂部分が枯れてしまって、樹高がかなり低くなってしまっていました、台風による被害を受けてしまったようです。


 東側から
 
 北東側から

 北西側から

 西側から見上げました

 鳥居強右衛門勝商と婦人の墓所です

 説明版です
   鳥居強右衛門勝商の墓
 甲州の騎馬軍団1万5千は、武田勝頼を総代大将として三河に侵攻し、長篠城を包囲した。時に天正3年(1575)4月であった。
 この時長篠場内500の兵を率いて防戦したのは、作手 亀山城主 奥平美作守貞能の嫡男貞昌(後の信昌)で、時に21才であった。攻防20余日、5月14日城中の食糧は尽きてきた。危急に際して援軍懇議の使者となって、岡崎の家康のもとへ走ったのが、強右衛門である。
 彼は深夜敵の包囲網を破り豊川の急流を泳いで脱出し、岡崎に至りその使命を果たして帰城途中、篠場野で捕えられた。16日の夜磔けの上で数本の槍に刺され、壮絶な最後を遂げた。
 戦国乱世には味方をを救うためみずからを犠牲にして、その死にざまを大功にした。興亡流転の著しい騒乱の世の武将の理想とする壮烈な死であった。
 時に強右衛門36才豊川市市田の出身である。因に、妻は作手村市場の生まれである。
 辞世「吾が君の 命にかわる 玉の緒を 何に厭いけん 武士の道」
 

 観光案内図で確認しました、右端の⑦の部分です

 では、次へ行きましょ
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愛知県新城市、作手清岳「宮山白鳥神社の大ヒノキ」(市指定)です!!

2023-01-28 06:29:23 | 巨樹・大木
 作手清岳宮山地区は、新城市役所作手総合支所の南東約500mのところ

 国道301号線を南へ、作手運輸の先の信号を左(東)へ県道436号線です

 間も無く左手に白鳥神社が南向きに鎮座します

 少し先に進むと古宮城跡見学者用の駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

 城廻道標です

 神社入口です

 村社 白鳥神社の社號標です


 新城市指定文化財(史跡)古宮城跡の説明版です
 (城跡散策ではないので文面はそのままにさせて頂きました、拡大して読めたら良いのですが・・・)    


 鳥居脇境内に大きな幹が見えました

 鳥居です

 鳥居下から石段右手のヒノキのです

 西側から、実測すると目通り幹囲5.1mの巨木ですが、目的のヒノキではありません


 狛犬です、左の狛犬さんは、相寺白鳥神社の狛犬さんにそっくりですが、右の狛犬さんはオオカミの様です

 拝殿です

 境内南西端の社務所前のスギの巨木です

 北東側から

 東側から

 南西側から、実測してみました、目通り幹囲5.9mの巨木です

 拝殿の東側のも大きな幹が見えます

 城跡への入り口です

 本殿です

 先にお参りしましょう

 本殿東側の境内社です

 スギの根元にも石祠です

 南西側から見上げました

 根元の立札には「大ヒノキ」はこの先に在るようです

 この杉も目通り幹囲4.5m程(目測)の大木です

 城跡の枡形小口の土塁の上に目的の大ヒノキです

 南側から

 南西側から、目通り幹囲5.9mの巨木です

 西側から

 北側から


 東地区主郭跡です

 では、次へ行きましょう
 
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愛知県新城市、作手清岳中ノ坊「善福寺の仁王像とボダイジュ」(市指定)です!!

2023-01-27 18:31:18 | 文化財・樹木
 作手清岳中ノ坊地区は、新城市役所の北北西km、新城市作手総合支所の南西約2kmのところ

 新城市作手総合支所前から南へ国道301号線を進みます

 間も無く左手に「道の駅つくりで手作り村」が有ります


 地域の観光案内板です、周辺には小さな城跡が数多くあります、案内板の左端③のところに善福寺が見えます

 道の駅つくりで手作り村の直ぐ先交差点を右(北西)へ県道37号線です、約400mで右に

 善福寺参道入口です

 北へ入ってまっすぐに進むと、右手に県指定天然記念物の「イヌツゲ」と「仏頭岩と雲龍ガシ」を見て直ぐ先です

 道路左側に文殊山城址見学者用の駐車場が有ります
(文殊山城址には少し後で行きますのでご期待ください)


 山門の仁王門が見えます

 金輪山 善福寺です

 説明版です
   金輪山善福寺の由来
  本尊 十一面観世音菩薩
  宗派 真言宗御室派(京都市総本山仁和寺末)
 当山は推古天皇御代「田源山善福寺」の勅号を賜った。
 中興開基は、真言宗2世真済、天長元年伽藍を建て、山号を「金輪山」に改める。
 当時は七坊(大坊・岩本坊・池ノ坊・松本坊・中ノ坊・下ノ坊・杉本坊)あり、それぞれの名は現在も字名として残っている。真済僧正が仏像の手を修理されたことから「作手」の名が村についたとも伝えられる。
 村上天皇御代、天徳2年勅願所となり、以後200有余年全盛を極めるが、久安3年伽藍、宝物の大半を野火により焼失する。
 後、開山は建久6年東大寺再興に尽力のあった俊乗坊重源上人が伽藍を造営するが、天正元年8月勝頼の兵火にてまたも焼失する。
 乱後、領主奥平美作守貞能が現在の観音堂を建立し、徳川家の帰依もあり仁王門、鐘楼堂と共に現在の伽藍となる。
 奥の院・文殊堂の参道は八十八ケ所の石仏が明治期に奉納された。
    巴川その水上はあさくとも 寿ゑは大悲の福衆海なり

 参道石段の上に仁王門です

 阿形像です

 吽形像です

 説明版です
   新城市指定文化財
●種別・名称(彫刻)善福寺の仁王像(金剛力士像)
       平成9年5月1日指定
●所在地 新城市作手清武中ノ坊29
●由来 金輪山善福寺の参道に鎮座する仁王尊は、阿吽両像からなる木造寄木造りである。
 比較的損傷も少なく、やや誇張的ではあるが写実的で力感と重量感を漂わせている。
 両像の顔面部分は、目に水晶が使われるなど、材質・造りとも首から下の部分と異なり、鎌倉時代の作(一説には運慶作と伝えられる)と思われる。
 作者・製作年とも不詳だが、仁王門の創建は文録4年(1595年)で久安3年(1147年)の野火や天正元年(1573年)の戦火により寺が焼失した際も、仏具類は難を逃れたと伝えられる。
●大きさ 身の丈2m80cm
         新城市教育委員会
  
 防獣網を開けて、参道石段を進みます

 石段途中にはお不動様です

 参道西側の広場です、伽藍が有った所の様です

 目立た樹木はボダイジュかもしれませんが、目的のものではないようです

 石段最上段の両側にスギの大木が並びます


 境内右手には鐘楼です

 本堂です

 本堂前から二本のスギを見ました

 石仏が並びます

 本堂左手の文殊山城址への登城口

 目的のボダイジュです

 珍しい単幹です

 南西側から

 天然記念物の立札です

 北側から見上げました

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愛知県新城市、作手清岳岩本「仏頭岩の雲龍ガシ」(市指定)です!!

2023-01-27 06:40:37 | 文化財・樹木
 作手清岳岩本 地区は、新城市役所の北北西km、新城市作手総合支所の南西約2kmのところ

 新城市作手総合支所前から南へ国道301号線を進みます

 間も無く左手に「道の駅つくりで手作り村」が有ります


 地域の観光案内板です、周辺には小さな城跡が数多くあります、案内板の左端③の直ぐ右下に「仏頭岩と雲龍ガシ」の文字が見えます

 道の駅つくりで手作り村の直ぐ先交差点を右(北西)へ県道37号線です、約400mで右に

 善福寺参道入口です

 北へ入ってまっすぐに進むと、右手に県指定天然記念物の「イヌツゲ」を見て直ぐ先です

 道路左側に車を止めさせて頂きました

 仏頭岩と雲龍ガシへの入り口です

 東へ入ります

 向かいの山裾に大岩が見えて来ます

 左に曲がって近付ます

 丸い大岩が仏頭岩です

 その上部に雲龍ガシです

 南東側から、雲龍ガシの太さは目測ですが4m程と思われます

 天然記念物標柱です

 説明版です
   仏頭岩と雲龍ガシ
 巨大な岩をみつめていると、やさしい仏の顔に見えてくることから、この岩のことを仏頭岩と呼び、その仏頭岩を守るかのごとく力強い根張りをしたアカガシは金剛力士像を彷彿させることから雲龍ガシと命名しました。
   平成7年10月吉日   作手村教育委員会



 雲龍ガシをアップで見ましたが、遠かったですね~

 離れて見上げました

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愛知県新城市、作手清岳松本「須山のイヌツゲ」(県指定)です!!

2023-01-26 18:33:00 | 文化財・樹木
 作手清岳松本 地区は、新城市役所の北北西km、新城市作手総合支所の南西約2kmのところ

 新城市作手総合支所前から南へ国道301号線を進みます

 間も無く左手に「道の駅つくりで手作り村」が有ります


 地域の観光案内板です、周辺には小さな城跡が数多くあります、イヌツゲは案内板の左端③の下に出ています

 戦国ロマンを胸に”歴史の小径”へいざ出陣!
   作手の風土と戦国武将
 作手(つくで)地区は、周囲を600~700m級の丘状の山々に囲まれた高原の地域です。豊かな森林資源と肥沃な土地に恵まれ、作手地区の中央部には水田地帯が広がります。また、「三河国」地名発祥の地ともいわれる巴山(白髭神社)より発する矢作川水系巴川・豊川水系巴川をはじめ各河川は、所々で滝をつくり、両岸の絶壁には新緑や紅葉など四季折々の見事な渓谷美を見ることができます。 
 かつて、この地から八方へと延びた山越えの道には、人々や牛馬が往来し、中世に至っては天然の要害たる地形と豊かな自然風土は、作手地区内に40か所もの城砦を誕生させ、作手奥平氏をはじめとする領主とその家臣や領民たちの生活を満たしていたと推測されます。
 今も残る城砦跡は、戦国時代末期の築城技術を終結した堅固な構造と規模を持ち、特に宮古城址、文殊山城址、塞之神城址、亀山城址、石橋城址、川尻城址などは作手の中央部にあり、南北3km、東西約1.5kmの狭い範囲の山々に築かれています。
 当時の面影を残しながら、作手の各所に眠る歴史の遺跡と素朴な風土を巡る”歴史の小径”。さあ、戦国の世に思いを馳せ、いざ出陣!
   令和2年度 観光施設整備事業(歴史の小径)新城市 観光課

 道の駅つくりで手作り村の直ぐ先交差点を右(北西)へ県道37号線です、約400mで右に

 善福寺参道入口です

 北へ入ってまっすぐに進むと、右手に目的のイヌツゲです

 道路左側の路地に車を止めさせて頂きました

 西側から

 太い幹を見上げました

 イヌツゲ 県指定天然記念物の立札です

 南西側から

 南側から

 東側から

 根元には石仏が並びます

 では、次へ行きましょう
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愛知県新城市、作手高松「赤羽根天神社のアカガシとスギ」です!!

2023-01-26 06:29:42 | 巨樹・大木
 作手高松地区は、新城市役所の北北西約15km、新城市作手総合支所の南東約4kmのところ

 新城市作手総合支所前から国道301号線を南へ、約1、1kmで左(南東)へ県道437号線です

 約1.5kmで左手に「白鳥神社」を過ぎて道成りに進みます

 約2.5kmの峠を越えて下った集落の右カーブの手前左上に「赤羽根のヤマナシ」を見上げて直ぐ先の交差点を左(東)へ

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 道路から境内の樹叢を見上げました

 ここが参道への入口です

 参道を進みます

 鳥居です

 天神社社殿です

 社殿西側の、アカガシの古木です

 南側から、根元は半分以上が空洞になっています



 すぐ北側の崖下の走路が見える所に目的のアカガシです

 南東側から、こちらのアカガシも根元がすっかり空洞になっています

 北東側から見ました、目通り幹囲約5mの巨木と紹介されています(ネットの人里の巨木たちで)

 社殿裏側から社殿西側のアカガシの古木を見おろす様に見ました

 社殿裏側の土盛りに上に、もう一つの目的のスギです

 西側から、目通り幹囲6.5mの巨木です

 東側から

 南東側から、下枝の少ない綺麗な幹です


 境内北側に先ほどの「赤羽根のヤマナシ」が見えました、天神社の裏参道になっているようです

 では、次へ行きましょう
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愛知県新城市、作手高松「赤羽根のイヌナシ」(市指定)です!!

2023-01-25 18:30:28 | 文化財・樹木
 作手高松地区は、新城市役所の北北西約15km、新城市作手総合支所の南東約4kmのところ

 新城市作手総合支所前から国道301号線を南へ、約1、1kmで左(南東)へ県道437号線です

 約1.5kmで左手に「白鳥神社」を過ぎて道成りに進みます

 約2.5kmの峠を越えて下った集落の右カーブの手前左上に

 目的のナシの木が在ります

 県道脇に車を止めさせて頂きました

 手前の坂道を登ります

 南西側から見上げます

 南側から、目通り幹囲2.7mのイヌナシの大木です(イヌナシとしては日本一ではないでしょうか)

 市指定天然記念物の立札です
*樹種としてはマメナシです。
 マメナシ(豆梨)は、バラ科ナシ亜科ナシ属に分類される落葉高木。別名がイヌナシと呼ばれています。
 三重県桑名市「多度のイヌナシ自生地」・四日市市 「東阿倉川イヌナシ自生地」が国の天然記念物、愛知県小牧市の「大草のマメナシ自生地」は県の天然記念物に指定されています。
 
 東側から、推定樹齢270年以上だそうです

 北東側から

 石仏が並びます

 臨済宗 永源寺派 日在寺本堂です

 では、次は直ぐ東側の天神社へ行きます
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愛知県新城市、作手白鳥宮下「相寺白鳥神社のスギ」(市指定)です!!

2023-01-25 06:31:31 | 巨樹・大木
 作手保永東当地区は、新城市役所の北北西約15km、新城市作手総合支所の南南東約2.5kmのところ

 新城市作手総合支所前から国道301号線を南へ、約1、1kmで左(南東)へ県道437号線です

 約1.5kmで左手に神社が見えて来ます


 白鳥神社が南西向きに鎮座しています

 前の道路脇の駐車スペースに車を止めさせて頂きました

 郷社 白鳥神社の社號標です

 手水には綺麗な水が出ていました

 鳥居です

 参道石段の上両側に太い幹が見えています

 参道右手のスギに天然記念物の立て札が有ります


 北西側から、目通り幹囲7.3m(実測)の巨木です

 北東側から

 東側から

 南東側から

 南側から


 参道左側のスギの巨木です


 北側から、目通り幹囲6.4mの(実測)の巨木です

 北東側から

 北西側から

 南西側から


 拝殿です

 拝殿前の狛犬は、かなり古いもののようです


 本殿です

 本殿西側には立派な彫刻の有る境内社ですがお名前が解かりませんでした

 では、次へ行きましょう
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愛知県新城市、作手保永東当「見代(けんだい)のオハツキイチョウ」(市指定)です!!

2023-01-24 18:34:44 | 巨樹・大木
 作手保永東当地区は、新城市役所の北西約8km、新城市役所作手総合支所の南南東約6kmのところ

 新城市役所作手総合支所から、国道301号線を南へ約7km進みます

 新城警察署戸津呂警察官派出所の手前を左(北東)へ、県道435号線です

 道成りに約900mで「貴舩神社」前を通って約1.9km道路左に

 イチョウの大木が見えます

 手前を左に入った広場(元小学校跡)入口に車を止めさせて頂きました

 南側県道から見上げました

 説明版です
  新城市指定文化財
●種別・名勝(天然記念物)
    見代のオハツキイチョウ
平成22年8月26日指定
●所在地 新城市作手保永字東当
●説明 大きさ等:樹高約30m、幹周3.5m、樹齢約160年(推定)、雄株
 オハツキイチョウの雄株は、全国で2株が確認されており、3例目の確認となるこのオハツキイチョウは全国的にも希少価値が高く学術的に貴重である。
         新城市教育委員会

*氷河期を生き抜いてきた数少ない植物であるイチョウ。イチョウの原産地は中国。日本には平安時代に入ってきました。
 オハツキイチョウは全国で28本が知られているようです、イチョウの変種で、雌株は葉の上に実を結び、「雄株ならば葉の上に葯(やく:雄しべの先端の花粉を包む器官)」をつけます。
 愛知県にもオハツキイチョウの雌株が2本と雄株が1本あります。県内唯一の雄株ということです。
 のこる2本は「薬王寺のオハツキイチョウ」 山梨県西八代郡市川三郷町上野県指定天然記念物
       「八木沢のオハツキイチョウ」山梨県南巨摩郡身延町八木沢国指定天然記念物、(ネットの投稿の一部抜粋)


 南東側から


 北側から

 東側から


 石碑です
   旭学校跡
 明治28年3月
  南設楽郡杉平村外5ヶ村立旭尋常小学校この地に移転
 明治39年5月
  合併により作手村誕生・作手村立旭尋常小学校と改称
 明治41年4月
  義務教育6ヶ年となり、翌41年校舎増築
 大正3年5月
  村条例により保永・杉平を以って旭学区と制定
 昭和2年3月
  高等科を併置、旭尋常高等小学校と改称
 昭和16年3月
  国民学校令施行により、作手村立旭国民学校と改称、同年同月学区制廃止
 昭和22年4月
  学校教育法施行により作手村立旭小学校と改称
 昭和36年4月
  作手南部3小学校統合、作手村立協和小学校設立に伴い閉校、11月5日閉校式
 昭和55年8月
  元旭学区、旭学校同窓会、母校への思慕切々、永遠の記念に之を建てる


 まだまだ冬芽はまだまだ固いようです

 では、次へ行きましょう
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