ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県茅野市、米沢「北大塩十五社のケヤキ」です!!

2020-07-31 06:22:00 | 巨樹・大木
米沢北大塩地区は、茅野市役所の北東約7kmのところ

国道152号線の御座石信号から県道192号線ビーナスラインを北へ

上川の右岸沿いを進みま、北大塩口信号を左へはいります

次の交差点は米沢郵便局前を右へ、道なりに進み県道424号線に出た所に

北大塩の十五社神社が南向きに鎮座します

前の道路脇に車を止めさせて頂きました

十五社前バス停があります

参道入口です

ニノ鳥居です

社殿への石段の左手に目的のケヤキが在ります

南西側から見上げました

石段脇(東側)から見上げました


石段の上に拝殿です

本殿は覆屋の中です

拝殿前(北側)から見ました

北東側から、目通り幹囲5,0mの巨木です、まだまだ若そうなので更に成長してくれるでしょう


本殿西側の境内社です

本殿東側の境内社の祠です

石段上拝殿前から参道を見下ろしました

では、次へ行きましょう
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長野県諏訪市、中洲「諏訪神社上社本宮宮の脇のカヤとフネ古墳址」(市指定)です!!

2020-07-30 06:14:00 | 巨樹・大木
中洲地区は、諏訪市役所の南約5kmのところ

諏訪神社上社本宮の西側、社務所裏口に

公民館が有ります


公民館前に車を止めさせて頂きました

社務所との間の道を登って行きます

石塔等が並んでいます

大国主命社です

宮脇のカヤです

説明版です
 宮脇のカヤ
  諏訪市天然記念物
樹名 カヤ(イチイ科)
推定樹齢 東のもの 370年(平成7年現在)
     西のもの 170年(平成7年現在)
大きさ  東のもの 目通り幹周4m87cm
     西のもの 目通り幹周2m67cm
 カヤは常緑高木で雌雄異株、
雌花は雄株の小枝の先に群がり
つき、成熟して2cmほどの楕
円体の果実となる。実は食用、
採油の原料となり、材は碁盤や
将棋盤の優秀材として珍重され
る。
 ここ大国主命社は古木ととも
に古来、「カヤノキサマ」と呼
ばれてきた。この二本はいずれ
も雌株で、市内で最も大きい。
 指定 昭和54年2月25日
    諏訪市教育委員会




手前の太い方のカヤです

社殿前から

奥の木々の間に細い方のカヤです

大国主命社の裏手(南東側)のケヤキの大木です

大国主命社の南側の社です

木段を登ってみました、墓地が見えて来ます

墓地前の案内板に従って登りましょう

更に上に登っていきます

右に畑が有ります

更に登ります

説明版が有ります
  フネ古墳
 フネ古墳の墳丘に相当する部
分は、東西15m南北25mの
狭い平坦部であるが、盛土はす
でにない。
 昭和34年(1959)には
、藤森栄一らにより発掘調査が
実施され、長軸が南北方向の並
列二基の竪穴式の主体部が発見
された。主体部の形式・出土品
などから5世紀代の築造と考え
られる。
 小古墳ながら副葬品は鉄製品
などが非常に豊富で、しかも特
徴的なものが多く、武具のほか
に農工具が多いことは注目され
る。また、全国的にも発見例が
少ない蛇行剣2本、大型の素環
頭太刀などは貴重である。加え
て青銅製の変形獣文鏡などの装
身具も多い。
 これらの出土品は、伊藤倭男
、藤森みち子より諏訪市へ寄贈
され、平成2年、県宝に指定さ
れた。(文中敬称略)
   諏訪市教育委員会




墳丘がなくなってしまっていますので

諏訪湖を見下ろしました

では、次へ行きましょう
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長野県諏訪市、豊田有賀「江音寺のシダレヤナギ」(市指定)です!!

2020-07-29 06:39:00 | 巨樹・大木
豊田有賀地区は、諏訪市役所の南西約5kmのところ

県道16号線の豊田有賀信号から県道50号線へ西に入ります

坂道を登って行くと左手に江音寺は有ります

次のカーブの手前の駐車場入口から入ります

県道50号線に面して参道入口です

臨済宗 妙心寺派 江音禅寺です

参道を進むと楼門が見えて来ます

楼門の左手に目的のシダレヤナギの樹冠が見えています、幹は境内ですね

楼門の前に説明版です
  江音寺のシダレヤナギ
諏訪市天然記念物
 種名 シダレヤナギ(ヤナギ科)
 推定樹齢 150~160年(平成7年現在)・・・と言うことは2020年現在170~190年でしょうか

楼門を入ると本堂です

右手には鐘楼です


左手にシダレヤナギの幹が見えました

本堂前から

お堂の前から

境内端から見ました


境内東端の薬師堂です

では、次へ行きましょう
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長野県箕輪町、東箕輪「長岡神社宮脇のハリギリ(県指定)は切られてしまいました」です!!

2020-07-28 06:20:00 | 巨樹・大木
東箕輪宮脇地区は、箕輪町役場の東北東約3kmのところ

国道153号線野松島信号から東へ天竜川を十沢橋で越えて

長岡入口信号はそのまま道なりに県道19号線の坂道を登ります

坂道を登って右側2本目の路地を東へ登って行きます

長岡辰巳集会所を過ぎて長松寺の手前に

西向き参道で長岡神社が鎮座します

鳥居前道路脇に車を止めさせて頂きました

参道入口です

鳥居です、八幡神社の額が懸ります

社叢が保存樹木指定です


鳥居脇の杉の巨木です

南側道路から見上げました、実測はしていませんが目通り幹囲6mを越えているようです

手水舎です

掲載西端には若い杉の巨木です、こちらも実測はしていませんが目通り幹囲5mはありそうです

狛犬です

拝殿です

本殿です


文化財説明版です

拝殿前右側にハリギリの大きな切株が有ります

老木になって二年前の2000年に切られてしまったそうです

説明石碑が残っています
 長野県天然記念物
  宮脇のハリギリ
 文化財保護条例(昭和33年
長野県条例第43号)
  規定により昭和37年7月12日指定
ウコギ科)なを別名をセンノキ、地方によってはイヌ
 らなどと呼ばれ、全国いたるところに見られるごく普通
  、古来祭祀のなおらいのとき、その席にさかななどを盛る
   しかしこのような老大木はごくまれである
   ほとんど枯れ、今では・・・・

殆んど読めませんでした

拝殿脇から鳥居脇の杉の巨木を見ました

本殿右手の大六天の石碑などが有ります


では、次へ行きましょう



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長野県辰野町、小野「シダレ栗自生地」(国指定)です!!

2020-07-27 10:51:00 | 巨樹・大木
小野シダレ栗自生地は、辰野町役場の北約8kmのところ

国道153号線のしだれ栗入口信号を東へ入ります

道なりに高度を上げて行くと、辰野町と塩尻市・岡谷市との境近くに

塩嶺王城県立公園「枝垂栗自生地」がありキャンプ場などがあります

案内板です

公園案内図です

公園の一番手前に説明石碑が有ります
天然記念物
 小野村シダレグリ自生地
  大正9年7月17日指定
説明
 シダレグリは、普通のクリ
(Castaneasatira)が突然変異
によってシダレ性をあらわし
ためづらしいもので、日本特
産の変種です。
 長野県内には数か所の自生
地がありますが、このように
60本以上もの林になり  
古木も多いところは他にはあ
りません、枝ぶりや木ぶりの
奇態は落葉後の冬に最もよく
見ることができます。
注意
 1、枝を折ったり幹を傷つ
  けたりしないこと。
 2、その他シダレグリの生
  育に影響を及ぼす行為を
  しないこと。
昭和31年11月25日
  文化財保護委員会
  長野県教育委員会
  小野村

標柱の文字は読めなくなっています





道路から斜面のシダレ栗を見ました


公園管理棟の総合案内所です

入り口脇にもシダレグリがありました

では、つぎへ行きましょう
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長野県辰野町、辰野「日本中心の標と展望台」です!!

2020-07-26 06:17:57 | ドライブ
辰野地区は、辰野町役場のすぐ東側の地区ですが

日本中心の標が有るのは山の上です

JR中央本線たつの駅の西側から

県道187号線の上辰野信号を北へ道なりに入って行きます

やがて道は細くなり、ところどころ砂利道になり

日本中心ゼロポイント案内板です

大城山駐車場への道は木が倒れかかっていて通れませんでした

更に進むと、シダレ栗公園から来た林道に合流しました

ここを西へ進むと直ぐ

丘の上の木々の陰に

「日本中心の標」が有ります

他には何もありませんね~


もう少し先には展望台です

登ってみましょう

東側

南側

天竜川沿い伊那盆地です

西側

小野の街並み

北側

塩尻市が見えました

では、次へ行きましょう
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長野県辰野町、小野「飯沼熊野諏訪神社のトチノキ社叢」(町指定)です!!

2020-07-25 06:25:00 | 巨樹・大木
小野飯沼地区は辰野町役場の北西約7kmのところ

国道153号線の小野下町信号を西へ県道254号線を進みます

県道は、塩尻市へは抜けられなくなっているようです

飯沼集落に入って飯沼コミュニティーセンターが有ります

入り口に天然記念物標柱が立っています


コミュニティーセンター前から飯沼川対岸(南側)に熊野諏訪神社樹叢をみました

コミュニティーセンターから飯沼川上流に300m程先を左(南)に農道を入ります

少し進んで、左へ山側の道路(舗装道路)を進んで

熊野諏訪神社の二段上の道路脇に車を止めさせて頂きました、飯沼川対岸に先ほどのコミュニティーセンタが見えます

畑の畔を伝って下ります、一段下の道路に出て更に下ります

飯沼川に架かる橋が見えました、公民館からも降りてくることが出来た様です

川沿いを進むと

幟支柱の建つ熊野諏訪神社入口です

鳥居と拝殿です

諏訪神社と熊野神社の額が並んでいます

本殿覆い屋です



説明版です
 熊野諏訪神社のトチノキ社叢
  昭和48年4月1日指定
 この社叢の位置は、飯沼宮ノ
平の飯沼川右岸で、南の本峠の
窪の沢尻にあたる。この窪には
かつてトチノキが群生し、その
天然林の一部が社叢として残存
してきたものと考えられる。社
叢には、樅の巨木をはじめオオ
モミジ・ヒノキ・エノキなども
林立するが、その中に風雪に耐
えてわずかに残った5本のトチ
ノキの大木が散在し、大きいも
のは目通り幹囲5,15m、高
さ26,0mもあり、樹皮には
オシャグジデンダなどが寄生し
ているが、樹勢も衰えず見事で
ある。
 トチの実は、そのままでは食
べられないが、昔はトチ餅など
にして食用に供せられた。今は
実を拾う人もなく、樹下には実
生の若木がいっぱいに生え、ト
チノキの植生地として好個の社
叢といえよう。
  平成3年3月
     辰野町教育委員会
本殿は覆屋の中です

社殿右手(南側)にトチノキの巨木が2本あります

手前の一本です

奥側の一本です、こちらが説明版に載っていたトチノキの巨木のようです

東側に大きく傾いています

本殿北側の一本です

西側から見上げました

拝殿北側境内端の一本です

西側から見ました

境内西端のモミノキの大木です

拝殿前のヒノキです

では、次へ行きましょう
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長野県辰野町、小野「矢彦神社の御神木杉」(県指定)です!!

2020-07-24 06:24:00 | 巨樹・大木
矢彦神社が在るのは、塩尻市北小野の小野神社のすぐ南側ですが

この地は、辰野町の飛び地になっていますので、住所表示は辰野町小野になるようです

小野神社を見て回ってから矢彦神社を見て回りましょう

車は小野神社北側の駐車場に置いたままです



南東側の入り口参道です

手水舎です

ふるさとのみず20選です

天然記念物標柱です

説明版です
  小野・矢彦 神社社叢 
 昭和35年2月11日指定
 小野神社は塩尻市、矢彦神社
は辰野町に属するが、共に信濃
国二の宮として由緒ある神社で
ありその名が高い。この神社境
内を覆う社叢は、針葉樹と落葉
広葉樹が大部分を占めており、
これらの老木がうっそうと茂っ
た典型的な混交林であって、灌
木類や草本類も多く、樹木と合
わせ150種類にも及んでいる

 我が国中部地方の植生は、古
い時代にはこうした混交林で覆
われていたであろうが、近時人
工が加わってその姿は一変した
様相を呈している。
 従ってこの社叢は、当地方の
天然林の遺物ともいうべきもの
であり、古い時代の平地林の様
子をそのまま見ることができ、
しかもその面積が36326㎡
にも及んでいることは貴重であ
る。
   長野県教育委員会


県宝 五棟 矢彦神社です

説明版です
 信濃国二之宮 矢彦神社
  御祭神
 正殿   大己貴命
      事代主命
 副殿   建御名方命
      八坂刀売命
 南殿   天香語山命
      熟穂屋姫命
 北殿   神倭磐余彦天皇
      誉田別天皇
 明治宮  明治天皇
   御由緒
 当神社は、信濃国ニ之宮であ
り、上伊那郡五十四か村の総鎮
守であります。
 遠い神代の昔、大己貴命の国
造りの神業にいそしまれました
折、御子事代主命・建御名方命
をしたがえて、この地にお立寄
りになったと伝えられておりま
す。
 古くから、皇室の御崇敬が厚
く、勅使の御差遣もしばしばあ
りました。
 欽明天皇の御代、大巳貴命と
事代主命を正殿に、建御名方命
と八坂刀売命を副殿におまつり
し、矢彦神社としてのかたちが
ととのいました。そして例祭日
を毎年、八遡(旧8月遡日)と
定め田ノ実祭(憑祭)といわれ
ました。
 天武天皇の御代に勅使を下向
、新宮を造営し、正遷宮祭と御
柱祭とが七年毎の式年祭と定め
られました。
白鳳2年(674年)のことで
あります。
 安徳天皇の御代、木曽義仲が
宮材を木曽山林より伐り出し社
殿を造営し、以後約七百年にわ
たって宮材を木曽山林から出材
されることになりました。
 以来、鎌倉から徳川時代に至
るまで、武田晴信(信玄)、勝
頼をはじめ、徳川幕府の崇敬厚
く、再三社殿を造営されました
。とくに、慶安2年(1649
年)、徳川家光より、神領とし
て、高十石、及び付属山林諸役
免除の公文御朱印状を献納され
ました。
 明治天皇の御代、明治5年(
1872年)社格が郷社となり
、明治14年(1881年)有
栖川宮熾仁親王殿下より神号の
額字を賜わりました。
 明治27年(1894年)1
0月1日明治遥拝殿を創建。明
治天皇の生祠明治宮は、わが国
でもはじめてのものであります

 明治33年(1900年)社
格が県社に昇格。御造営材の御
下賜は昭和7年(1932年)
まで続き、「天賜材式年造営神
社」と称されるにいたりました

 昭和11年(1936年)5
月7日、巣山沢御料地を御造営
材供給の備林として24町歩余
の山林御下賜の天恩をうけまし
た。
例大祭 9月朔日
(現在は10月第1日曜日)
式年御柱大祭 毎卯酉年五月



東側の参道入口の赤鳥居です、額には矢彦社とあります

正面には神楽殿です

神楽殿の県宝標柱です

神楽殿の前に目的のスギです

神楽殿前(南側)から

北側から、目通り幹囲5,1mの巨木です

西側から見上げました


勅使殿です

狛犬です

拝殿です

左廻廊です

右廻廊です

拝殿・廻廊の県宝標柱です

本殿玉垣の中には沢山の建物が有るようでう、まず一列目に三つの屋根が見えます

二列目は二つ

三列目も三つの屋根が見えました

本殿玉垣北側のカツラの大木です

西側から見上げました

更に北側にトタンをかぶせた大きな切株が有ります

一之御柱です

ニ之御柱です

三之御柱です

四之御柱です

では、次へ行きましょう
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長野県塩尻市、北小野「小野(矢彦)神社社叢(カツラ、ケヤキ、サワラ)」(県指定)です!!

2020-07-23 06:18:00 | 巨樹・大木
北小野地区は、塩尻市役所の南約7kmのところ

国道153号線で善知鳥峠(うとうとうげ)を越え南へ進むと

国道に面して東向き参道で小野神社が鎮座します

小野神社と隣(南側)の矢彦神社(辰野町飛地)は信濃二之宮とされています

小野神社北側道路沿いの駐車スペースを利用させて頂きました


小野神社参道入口です


天然記念物標柱です

説明版です
 長野県天然記念物
  小野・矢彦 神社社叢 
昭和35年2月11日指定
 小野神社は塩尻市、矢彦神社
は辰野町に属するが、共に信濃
国二の宮として由緒ある神社で
ありその名が高い。この神社境
内を覆う社叢は、針葉樹と落葉
広葉樹が大部分を占めており、
これらの老木がうっそうと茂っ
た典型的な混交林であって、灌
木類や草本類も多く、樹木と合
わせ150種類にも及んでいる

 我が国中部地方の植生は、古
い時代にはこうした混交林で覆
われていたであろうが、近時人
工が加わってその姿は一変した
様相を呈している。
 従ってこの社叢は、当地方の
天然林の遺物ともいうべきもの
であり、古い時代の平地林の様
子をそのまま見ることができ、
しかもその面積が36326㎡
にも及んでいることは貴重であ
る。
   長野県教育委員会
 



拝殿前境内参道左手に夫婦樹(杉)です

拝殿側から


拝殿前右のモミの大木を拝殿前から見ました


神楽殿の右(北側)にカツラの大木ですが、境内にはカツラノ巨木が在るはずです

北東側から

神楽殿北側のケヤキの大木です、赤色のテープが巻かれているのは伐採予定なのでしょうか

池の向かい側(西)に大きな幹が見えます、行って見ましょう

境内北側のサワラの巨木です、丁度車を止めた駐車場への出入り口の側です

南側から

南西側から見上げました


サワラから本殿へ向かうと本殿脇(北側)に大きなカツラが在るようです

東側からカツラノ巨木です

四之御柱のすぐ隣りです

南西側から、目通り幹囲13,2mの巨木です


本殿南側にはモミの大木が斜に並んでいます

では、次は矢彦神社です
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長野県塩尻市、北小野「小野神社」(県宝)です!!

2020-07-22 06:21:00 | 文化財・寺社
北小野地区は、塩尻市役所の南約7kmのところ

国道153号線で善知鳥峠(うとうとうげ)を越え南へ進むと

国道に面して東向き参道で小野神社が鎮座します

小野神社と隣(南側)の矢彦神社(辰野町飛地)は信濃二之宮とされています

小野神社北側道路沿いの駐車スペースを利用させて頂きました

駐車場のフェンスに境内見取り図が有ります、確認してお参りしましょう

*駐車場脇から境内に入ると直ぐ右手にサワラの巨木が在ることは、境内を見て回って解かりました


国道153号線に面して参道入口鳥居です

信濃國 二之宮 縣社 小野神社です

国道沿いに手水舎です

県宝 標柱です

県宝説明版です
 長野県宝 小野神社 四棟 
本殿二棟・八幡宮本殿・勅使殿
  平成4年9月10日指定
 小野神社の本殿二棟・八幡宮
本殿・勅使殿などは、寛文12
年(1672)4月に類火によ
って焼失し、松本藩主水野忠直
によって同年9月までに再建さ
れた。この造営は松本藩が直接
実施したもので、小野大祝の「
御宮萬覚帳」と棟札「重興小野
大社記」によって明らかである
。本殿二社と八幡宮本殿は、南
から三棟が横に並立し、勅使殿
はこの前方中央に位置している
。本殿二社(御柱の年御遷替の
社)は、同形式、同規模の一間
社流造の見世棚造、勅使殿は切
妻造の四脚門で、共に銅板葺(
もとは杮葺)である。
 これらの建築には、寛文期に
共通する形式と、この建物に特
有の形式がある。本殿にみられ
る全体の形が直材に近い海老虹
梁、勅使殿の上下から渦がつく
上向きの拳鼻などは、県内にあ
る寛文期の建築に共通する様式
である。一方これらの造営は、
水野家大工頭中村四郎右衛門ら
によるもので、本殿の木鼻は扁
平な象鼻であるが、目頭に当た
る部分にも突起をつける独特の
形をしており、本殿向拝にある
蟇股内部に水野家の家紋である
花沢潟(おもだか)の彫刻がつ
けられている。
   長野県教育委員会
   塩尻市教育委員会

  



長野県宝の銅像千手観音坐像御正体残闕標柱と説明版です



無形文化財ねじりん棒祭の説明版です


梵鐘の説明版です



社務所前に鐘楼のようです


小野神社庭園です

小野神社庭園の説明版です、庭園は大正期のもののようです


境内右手(北)に一之御柱です、境内の御柱はアカマツで作られています
*諏訪大社の御柱はモミノ木で作られるようです


境内左(南)にニ之御柱です


ニ之御柱の前には立派な相撲土俵が有ります


石段を上がって拝殿へ向かいます

狛犬です

右手に神楽殿です

正面には大きな注連縄と小野神社の額が懸ります


拝殿前参道左手(南)に境内社が並びます、左から天神社・宗像社・子安社・稲荷社です

拝殿です

左廻廊です

右の廻廊です

中を窓越しに見ましたが・・・よく解りませんね

県宝説明です
 県宝・社殿拝観場所
八幡宮本殿(右)
  一間社流れ造り
 寛文12年(1672)造営
本殿(中央) 同右
副本殿(左) 同右
勅使殿(手前)御門造営 同右
 右四社殿は、松本藩主・水野
忠直公の寄進
 社叢全体が県天然記念物指定
・御垣内は、禁足地・一木一草
、神様の御意志の現われとして
崇拝されています。
   小野神社社務所




現在、南側の板塀が取り払われて工事が行なわれていて各本殿を見る事が出来ました

勅使殿です

本殿と副本殿の間から勅使殿を見ました

本殿左(南)には三之御柱です


北側からは板塀越しに各本殿の屋根が見えました

では、小野神社社叢を見てまいりましょう
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長野県辰野町、辰野「三輪神社のニセアカシア(ハリエンジュ)樹叢」です!!

2020-07-21 06:26:00 | 巨樹・大木
辰野地区は、辰野町役場のすぐ東側の地区です

JR中央本線たつの駅の北東側に

参道を西向きで三輪神社が鎮座します

たつの駅前を通って東側の踏切りを北側へ渡ると直ぐ右

神社前参道の道路脇に車を止めさせて頂きました

参道から神社境内です、鳥居には茅の輪が設置されています

向って左の境内にケヤキの大木が二本見えます

三輪神社です

水盤です

参道の右手にイチョウの大木です

拝殿です

幣殿のようです、建築様式には色々あるようです

本殿覆い屋です

本殿を覗くことが出来ます、三枚の額が掲げられています、中央が三輪大明神となっています

文化財標柱です

説明版です
 三輪神社本殿
  昭和51年9月1日指定
 元禄3年(1690)の検
地帳に「社地弐反九畝拾歩 
大明神 宮建有之 神主丹波
」とある。社歴は詳かでない
が、大己貴命、建御名方命、
少彦名命を祭神とする。
 本殿階段の柱の銅製擬宝珠
に明和5年(1768)の銘
があるが、類焼後の再建で、
棟札によれば文政11年(1
828)に諏訪郡高木村の小
口直四郎代昌によって建てら
れたものである。直四郎は立
川和四郎二代富昌の弟子であ
る。この社殿は一間社隅木入
春日造、こけら葺の総欅造で
、各部に題材も豊かに彫刻が
施されていてにぎやかく、江
戸時代末に盛行した建築彫刻
の特色がよくわかり、また、
直四郎が得意とした各種仙人
の彫刻もいくつか見られ彼の
代表作とされている。なお、
彼はこれより先の文政8年に
、北大出の明光寺の山門を建
立している。
 平成3年3月
    辰野町教育委員会
*立川和四郎は諏訪大社関係の建築にたずさわった一族ですね


本殿左手に目的のニセアカシア(ハリエンジュ)です

案内板です、辰野町保存樹木にしていされています、7本有るようですが・・・

手前の一本です

北側(本殿脇)から見ました

幣殿と本殿覆い屋の間玉垣の外側にニセアカシアが見えました

拝殿左手の鳥居の有る境内社は稲荷社のようです

境内社が三社並んでいます


本殿右手の境内社です

小宮でしょうか、御柱の札だけが置かれています

本殿裏手に境内社が並びます

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長野県辰野町、平出「法性神社樹叢(ケヤキとサワラ)」です!!

2020-07-20 07:34:00 | 巨樹・大木
平出地区は、辰野町役場の南東約1kmから2kmのところ

県道19号伊那辰野停車場線の平出信号と東小学校前信号の間を東へ入った所に

西向きに法性神社が鎮座します

境内北側道路沿いに駐車スペースがありますので利用させて頂きました


参道の鳥居です

手水舎です

法性神社です

辰野町保存樹林に指定されています、楓や欅、樅、椹、杉などの大木が見られます

由緒書の石碑です
 法性神社御由緒
御祭神は
 建御名方命
 誉田別命
 御産守命
 天照大御神
の四柱である。
 古老の伝説によれば、
五十代桓武天皇の御代、
勅命により坂上田村麻呂
東征の途路、延暦12年
戦勝祈願のため当社を造
営せりと言われ、古来よ
り武門武将の崇敬篤く、
明治41年4月9日政令
により、上平出の八幡社
を合併し社号を法性神社
に改称す。
 



境内参道左に目的のケヤキの巨木です

南側から、目通り幹囲5,9mの巨木だそうです

社殿側(東)から

境内参道右手(社務所前)のケヤキの大木です

境内には相撲の土俵が有ります

石橋の先に社殿が見えています

石橋の左手(境内北端)にサワラの巨木です

北側から、目通り幹囲5、0mの巨木だそうです

東側から

参道の狛犬です

社殿前の杉(左)の大木です

右側の大木です、左右で門杉の形になっています

拝殿前の大木です

南側から

北側から見上げました



本殿です


本殿裏側(北東)のケヤキの大木です

社殿南側のサワラの大木です

本殿脇から見ました

本殿南側に境内社が並びます

境内南端のサワラの大木です

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長野県辰野町、平出「御陵塚のサワラ」(町指定)です!!

2020-07-19 06:35:00 | 巨樹・大木
平出地区は、辰野町役場の南東約1kmから2kmのところ

県道19号伊那辰野停車場線の平出信号を

東へ県道50号諏訪辰野線に入って間もなく

平出コミュニティーセンターの先で右手に目立つ大木が見えます

「御陵塚のサワラ」です、前の道路脇に車を止めさせて頂きました


北東側から見た御陵塚のサワラです、幹には大きな傷を補修した跡が見られます

説明版です
 御陵塚とサワラ
  昭和48年4月1日指定
 御陵ヶ塚古墳は、古墳時代
後期(7~8世紀頃)に築か
れた氏族墓的な性格の強い群
集墳のうちの一基である。こ
の古墳の遺物は確認されてい
ないが、石室内には長刀があ
ったという話もある。
 平出地区に多数存在してい
たと思われる古墳は、御陵ヶ
塚古墳をのぞきすべて開墾な
どにより破壊され、現存して
いない。この古墳が残ったの
は、墳丘に祀られた中村性の
祝殿とその神木であるサワラ
の巨樹のおかげと考えられる

 祝殿の御神木であるサワラ
は、目通り幹囲約6,6m、
樹高42m余、枝張りも10
m程で、かなりの古木である
。幹の下部は根もとから9m
くらいの高さまで内部が空洞
となっているが、樹勢はよい
。サワラは湿気の多い肥沃地
や渓流沿いに多く成育してい
るが、平地にこれほどの巨木
があるのは珍しい。
  平成6年3月
   辰野町教育委員会

北側から

西側から、説明版に有った中村性の祝殿と立派な石鳥居です

南西側からみました

古墳を守って、まだまだ長生きしてもらいたいものです

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長野県辰野町、平出「辰野中学校校門前の古城のケヤキ」(町指定)です!!

2020-07-18 06:28:56 | 巨樹・大木
新型コロナウイルスの二次流行が始まったような

東京都内の感染者数やGO TOキャンペーンで

東京都を排除など、混迷が続いていますが・・・

では、長野県辰野町です

平出地区は、辰野町役場の南東約1kmから2kmのところ

この平出地区に3か所の巨木が在りますので順に紹介いたします

まずへ「古城のケヤキ」です

国道153号線の宮木泉水信号を東へフラワーロードを進みます

天竜川を超えると直ぐ右手(南側)に辰野町立辰野中学校が有ります

避難地に指定されています

校門の前に二俣の形が特徴的な「古城のケヤキ」が在ります

道路北側のパン屋さんの駐車場に車を止めさせて頂きました

駐車場手前のパン屋さん店舗前から見ました

北側から

道路を渡って北西側から

西側には祠が有ります、諏訪地方特有の御柱も建っています

南側から

天然記念物標柱です

説明版です
 古城のケヤキ
   昭和48年4月1日 
     町天然記念物指定
 ケヤキのそびえる天竜川の
ほとりは、城跡があったとい
う伝説を残し「古城」と呼ば
れているが、今はその面影は
なく、古木が往時を偲ばせる
のみである。
 この木は根本から二本に分
かれており、目通りの幹囲は
、北側が3,84m、南側が
4,19mで、樹高はともに
30m余におよんでいる。春
の芽吹きの時期が異なること
から、成長に伴って二本の木
の根本が癒着したものかと考
えられる。

東側から見ました

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長野県岡谷市、岸西二丁目「毘沙門堂のスギ」(市指定)です!!

2020-07-17 06:16:00 | 巨樹・大木
岸西二丁目地区は、岡谷市役所の南西約5kmのところ

諏訪湖を源流とする天竜川とJR中央本線に沿って

県道14号線を南西に進みます

右岸を通っていた県道が左岸側に変わると間も無く

JR中央本線かわぎし駅が右したに見えます

先の信号が川岸駒沢信号です

信号を右へ入って踏切りを越え天竜川の橋を渡ります

道なりに登って行くと

道路脇に案内板が出ています、細い道を西へ入ります

T字路にも案内板が出ています
南へ進むと
毘沙門堂の入り口に出ました

前の道路脇に車を止めさせて頂きました

参道脇には石仏や石塔が並びます

急な石段を登り切ると毘沙門堂です

左手に目的のスギが在ります

天然記念物標柱です

説明版です
  岡谷市天然記念物
   毘沙門堂のスギ(杉)
    昭和59年12月6日指定
  樹齢   二百年以上と推定
  胸高の太さ 6、68m
  高さ  約24、00m
 スギ科の常緑針葉樹で日本の特産種
である。 
 日本各地に野生種があり、また、広
く植栽されている。
 スギの名は幹がまっすぐに立つ木の
意で、直(ス)木(キ)がその語源で
あろうといわれている。
 このスギは、枝張り・樹冠ともスギ
本来の姿をしており、岡谷市内で生育
しているスギの中では最大の巨樹であ
る。
     岡谷市教育委員会



毘沙門堂の前(北西側)から見ました

西側から


南南西側から


境内の石塔です

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