ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県南相馬市鹿島区、南袖木下大神宮のヒイラギです!!

2018-07-31 11:57:05 | 巨樹・大木
南袖木地区は、南相馬市役所の北約10kmのところ

国道6号線から東に入ったところ

林の中に南袖木公会堂があります

津波の一時避難所に成っています

南袖木公会堂の駐車場に車を止めさせて頂きました


南袖木公会堂駐車場は津波一時避難所です

公会堂です

下大神宮参道が公会堂駐車場です

左右に天照皇大神と伊勢大御神の石碑が建っています

天然記念物標柱です鹿島町指定天然記念物 下大神宮のヒイラギとなっています

参道右手に目的のヒイラギです

注連縄が巻かれた御神木ですね

参道からみました目通り幹周り3,8mの大木です

斜めに伸びた大枝が特徴てきです

社殿に行って見ましょう

拝殿です

懸額は伊勢大御神となっています

本殿です

では、次へ行って見ましょう
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福島県新地町、駒ヶ嶺白幡のイチョウです!!

2018-07-31 06:36:59 | 巨樹・大木
駒ヶ嶺地区は、新地町役場の南南西約4kmのところ

国道113号線の北側の台地上に大きな樹冠が見えます

東側から回り込んで、農道を登って来ました

車を途中に止めさせて頂きました

耕地の先にイチョウが見えて来ました

耕地はソバ畑でしょうか

紅い鳥居が有ります

白幡八幡神社の祠です

町指定天然記念物の標柱です

平成3年に指定されています(町指定)

白幡のいちょう(さかさいちょう)となっています

高周囲12m、直径3,8m

樹高23m、推定樹齢約230年


説明版です、黄葉したイチョウの写真が有ります
 みちのく潮風トレイル
    白幡のいちょう
 樹齢約240年で、伊達正宗が持っていた、
いちょうのむちを逆さにさしたものであるとい
う伝説から「さかさいちょう」とも呼ばれてい
ます。平成9年(1997)には福島県の天然
記念物にしていされました。



北側から


南東側から

南側から


南西側から

では、次へ行きましょう

国道113号線側から見る事ができます
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福島県相馬市、黒木諏訪神社の杉とイチョウです!!

2018-07-30 06:05:12 | 巨樹・大木
黒木地区は、相馬市役所の北西約3kmのところ

県道228号線を進むと右側に社叢が見えて来ます

境内に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました


案内板です

大きな杉の樹幹です

杉ですでも目的のスギではありません

鳥居です

イチョウです

大銀杏の案内板です
 樹齢523年 太さ5,4m 高さ25mで
福島県みどりの文化財に指定されています

相馬市指定天然記念物 諏訪神社の大イチョウの票柱です

道路脇に鳥居の隣です

石碑です

手水舎です

由緒碑です
  諏訪神社由来
 諏訪神社御祭神 
    武御名方神 八重事代主神
 御神徳
    家内安全 商売繁盛
    五穀豊穣 心身堅固
 奥相志に神護景3年(769)信濃の
諏訪より宇多郡尾浜村十二所に勧進した
が今から450年前天文7年(1538)
4月19日黒木に遷座した。
 棟札に藤原朝臣若狭守守胤房(黒木彈
正)神官民部卿(桃井)棟上4月7日大
工内匠頭8人総番匠350人とある。尾
浜上陸後の塚町諏訪田の遺跡も遷座の際
の御旅所であったという。
古歌
 陸奥の宇多の尾浜の浪風の
  音だに声(恋)の百永(桃井)の松
 桃井左近啓網は京都の偉大なる修験者
で御分霊を奉斎して参った、勧進せしと
き基標の松を桃井の松と名づけて詠じた、
その後、黒木彈正に召され宮司となり以
来24代をかぞえる、相馬利胤中村に築
城するや四方守護の一社として尊崇せら
れ、正月には藩主参拝の例を開いた、社
料1石2斗年々加増となり社田も認めら
れ、6月10日は神田のお田植で大字内
は植えられなかった。
 例祭は春秋二回、正月27日は流鏑馬、
7月27日は町からの出店が並び、盆踊
など近郷近在の人々が集り夜を徹し踊り
賑わったという。
 この古い歴史こそ境内の大杉だけが知
るだろう。
 末社 八坂神社 御祭神 素戔嗚尊 
             稲田姫
 小社 稲荷神社 秋葉神社 御水神社
    国玉神社
 諏訪神社450年にあたり御神威益々
の弥栄と氏子各位の御繁栄を祈念しここ
に建立する。  浄書 宮司可生
  昭和60年元旦
 奉納並びに碑文 相馬市黒木字町70
         番地 遠藤正心
 奉納古稀記念     遠藤タツイ
 賛助者 相馬市文化財保護調査委員会
            松本敬信


    




絵馬殿です

拝殿は石段の上ですが、祭祀が行われていたので撮影は遠慮しました

境内社です

こちらも境内社です

では、次へ行きましょう
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福島県相馬市、中村中村神社の親子スギです!!

2018-07-29 12:09:19 | 巨樹・大木
中村地区は、相馬市役所のすぐ西側の地区です

相馬高校と相馬神社との間に中村神社が鎮座します

南側の駐車場を利用させて頂きました

案内板には国指定重要文化財 妙見 相馬中村神社です

参道入り口です

狛犬ならぬ狛馬です、さすがは相馬です



説明版です
  相馬中村神社の歴史
 当神社は、相馬地方の旧藩主・相馬家と
深いつながりのある神社でありまして、社
伝によると承平年間(931~937)に
奥州相馬氏の先祖・平将門が下総(現在の
千葉県)に妙見宮を創建したことにはじま
ります。奥州相馬氏初代師常公は先祖にな
らい下総国相馬郡に妙見宮を祀り、「平泉
の役」の戦功により本領のほか陸奥国行方
郡を与えられました。
 6代重胤公の時代、元亨3年(1323)
になり相馬氏は一族郎党83騎を従え、そ
らまでの本拠地・鎌倉下総の国流山からは
じめて行方郡に移ってまいりました。この
時、神社の祠官・田代左衛門大夫信盛も鎮
守妙見の神輿に遷従し、重胤に同行したの
です。
 妙見信仰の崇拝者でありました相馬氏は、
はじめての居住地であった太田(福島県原
町市)から建武3年(1336)に小高城
(福島県相馬郡小高町)に居城を移した際
も、またその後、17代利胤公が慶長16
年(1611)に中村城に移り住んだ際も、
その城内に妙見宮をお祀りしました。この
中村城内に祀られました妙見宮が現在の相
馬中村神社でして、中村城域(別名馬陵城)
は現在県指定の史跡となっております。
 このように当神社は相馬家代々の氏神と
して崇敬とくに厚かったばかりでなく、そ
の信仰は相馬地方に広がり、今日にいたっ
ております。

立派な狛犬もあります

目的の親子スギです

南西側から見上げました

案内板です
 天然記念物指定
   昭和53年9月21日
 福島県緑の文化財指定
   第29号
  所在地 相馬市中村字北町
  管理人 相馬中村神社


神楽殿です

天神宮です

境内は、祭礼の為多くの人々で賑わっています

社殿やそのほかの建築物の撮影は遠慮しました

では、次へ行きましょう
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福島県相馬市、中野正西寺の大イチョウです!!

2018-07-28 07:05:14 | 巨樹・大木
中野地区は、相馬市役所の南東約1kmのところ

宇多川の右岸、県道121号線に東向き参道を開いています

山門の手前北側に参拝者用駐車場が有りますので利用させて頂きました



参道です

真宗 大谷派 八幡山 正西寺山門です

(この山門は。相馬中村城の高麗門だったそうです)

鐘楼です

本堂です

本堂裏手に目的の大イチョウです

北側から

北西側から

元々は、今より倍くらいの高さが在ったが

10年ほど前に幹を半分くらいに途中から

切ってしまったそうです。

その後、上野方の枝が伸びてきて、徐々に

良い樹形を取り戻しつつ有るようです

では、次へ行きましょう
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福島県相馬市、坪田涼ヶ岡八幡神社です!!

2018-07-27 05:42:10 | 文化財・寺社
坪田地区は、相馬市役所の南南西約3kmのところ

県道34号線に面して東向きの参道の赤鳥居が目印です

駐車場が有りますので利用させて頂きました




境内案内板です

県道からの赤鳥居です

文化財標柱です

太鼓橋の両側には睡蓮の池が広がります

参道が直角に曲がって随身門です

説明版です
 国指定重要文化財
   随身門
 元禄8年(1695)、相馬中村藩
5代藩主(相馬家21代)相馬昌胤が
建立した神門です。
 随身とは、随神、門守、矢大臣とも
いう門戸を守護する神です。
 ご神像は冠を戴き袍を着し剣を佩き
弓矢を帯し、古い時代の左大臣と右大
臣のお姿を現します。
 軸部、組物など、木部は建立当時の
部材がよく残っています。

手水舎です

狛犬です

拝殿です

説明版です
 福島県指定重要文化財
  涼ヶ岡八幡神社本殿及び拝殿・幣殿
   昭和59年3月23日指定
   所在地 相馬市坪田字涼ヶ岡51番地
   所有者 八幡神社
   形状 本殿 桁行3間 梁行2間 切妻造 向拝付
      拝殿 桁行7間 梁行3間 入母屋造
      幣殿 桁行3間 梁行3間
 涼ヶ岡八幡神社は、正面三間三戸で、
その全面に向拝屋根をおろした流造風の
本殿と、入母屋造で正面に千鳥破風を飾
った拝殿とを幣殿でつなぐいわゆる権現
造の形態をもつ社殿です。
 本殿は、内外とも和様を基調としてお
り、向拝には透かし彫りを施した蟇股を
付けるなど、全般に入念な手法によって
います。板壁外面や脇障子などの文様彫
刻や、内・外陣の板壁内側や天井の鮮や
かな絵画は少し後の時代のものと思われ
ます。
 「奥相志」には、元禄8年(1695)
相馬昌胤によって勧進されたという記述
見られますが、現在の建物の部材に刻ま
れた絵模様の手法などから見て、元禄8
年といわれる建立年代は誤りないものと
考えられます。
 なお、屋根は杮葺きから茅葺きを経て
昭和初年頃からは銅板葺きの変更されて
います。
  福島県教育委員会




神楽殿です

若宮八幡宮です

御神体が三柱祀られています

説明版です
 国指定重要文化財
  若宮八幡宮
  宮殿3基
  祭神 若宮 (仁徳天皇)
     上甲良(武内宿侑祢)
     下甲良(高良玉垂命)
 本神社の中で最も古い大同年間(806
~809)の創建です。建武年間に結城宗
広が八幡宮を創建したことにより摂社とな
りました。
 元禄8年(1695)に、藩主相馬昌胤
が現社殿を建立しました。
 扁額「若宮」「上甲良」「下甲良」は、
江戸時代の書家「佐々木玄龍」書です。
 各構成木材、内部の塗装、飾金具など、
ほぼ建立当時の状態を遺存しており、同時
代建築の典型として位置づけられています





體興霊神です


国指定重要文化財の住吉・粟島・貴不根神社です


富士神社です


国指定重要文化財 亀齢社です


矢旗塚です

本殿です

案内板です



本殿側面と裏面の彫刻が見事です

社殿の東側です


国指定重要文化財の多賀神社と足尾神社です



国指定重要文化財の稲荷神社です

絵馬殿には絵馬がたくさん

では、次へ行きましょう


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福島県相馬市、坪田八幡神社の夫婦杉と縁結びのカヤです!!

2018-07-26 05:57:13 | 巨樹・大木
坪田地区は、相馬市役所の南南西約3kmのところ

南北に走る県道34号線沿いに東向き参道が有ります

大きな鳥居が目印になります

駐車場が有りますので利用させて頂きました


境内案内版です

県道34号線から東向きの鳥居です


朱塗りの太古橋を渡ります

参道を進むと右手にスギの樹冠が見えて来ました

南向きの入口随身門の上に杉の樹冠です

夫婦杉です

案内板です
 夫婦杉
市指定天然記念物
御神木 鎌倉期の植栽で推定樹齢800年
二本並んでいましたが、平成14年秋の大
風で西側が倒壊しました、跡地は白藤棚

もう一本の在ったところには白藤の棚が設置されています

境内参道から見上げました


拝殿前から




拝殿前のイチョウです


拝殿の西側に縁結びのカヤです

案内板です
  縁結びのカヤ(連理の榧)
 二本の木の枝が、途中でつながって
いる(連理といいます)珍しいカヤで
す。
 このため、良縁が得られる、夫婦円
満の象徴としてお参りされています。
 「仲直りの木」
アグネス・チャン命名 平成26年11月



北西側から、枝の繋がりが分かります

なぜこんな上の方の枝が繋がっているのでしょうか

では、次は国指定重要文化財の涼ヶ岡八幡神社を詳しく見て行きましょう
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福島県飯館村、大倉木戸木のトチノキです!!

2018-07-25 06:20:38 | 巨樹・大木
大倉地区は、飯館村役場の北東約8kmのところ

県道268号線で、真野ダムのはやま湖へ向かいます

草野側から峠を越えると大倉側になります

県道はつづれ折りの下り道となります

最後のカーブの2つ手前の所に

目的のトチノキが沢側に在ります

丁度夫婦連れの方がトチノキの写真を撮っていました

県道脇に車を止めさせて頂きました

トチノキです

根元には、飯舘村指定天然記念物 木戸木の栃標柱です

説明版です
 飯舘村指定天然記念物
  木戸木の栃
 平成元年5月25日指定
 栃は、トチノキ科に属し、北海道・
本州・四国・九州に分布し、山地の沢
沿いに自生する。ヨーロッパ原産のマ
ロニエもこの仲間として知られている

 6月ごろ、枝先に15cmほどの白
色の花を多数つける。果実は球状で熟
すると三裂し、栗の実に似ている。
 本樹は、「木戸木の栃の木」として
親しまれている大木で、みごとな樹容
を誇り樹勢も良い。
No1、樹齢 400年(推定)
    樹高  25,0m
    胸高周囲 5,5m
No2、樹齢 200年(推定)
    樹高  30,0m
    胸高周囲 3,4m
 平成3年3月
   飯舘村教育委員会



真横から

下流側から

NO1から少し下流側に下った所にNo2が在ります

では、次へ行きましょう

下のカーブのところにNo2の案内板が有ります
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福島県飯館村、草野白山神社の欅とモミの木です!!

2018-07-24 06:46:12 | 巨樹・大木
草野地区は、飯館村役場の北東約4kmのところ

県道12号線と県道268号線の交差点の北東側

丘の上に白山神社が鎮座します

県道から入って道路脇に車を止めさせて頂きました


案内板です

読めなく成ってしまっていますが白山神社の標柱です

ここを入って行きます

やはり参拝する人が少ないのか草が伸びていますね~

ここまで登ってくると間もなくです

社殿前の急な石段の上に社殿です

村社白山神社です

獅子舞の由来記です

本殿です

社殿の裏側に目的の欅です

社殿の反対側から

説明版です
 飯館村指定天然記念物
  白山神社のケヤキ
 昭和47年11月27日指定
 欅(ケヤキ)はニレ科に属し、本州
四国・九州・朝鮮・中国に自生する落
葉高木である。樹皮は灰褐色で老木で
は大きな鱗片となってはげ、小枝は細
い。
 毎年4~5月ごろ新葉とともに葉の
つけ根に淡黄緑色の小花をつける。
 材質は堅くて美しく、建材・家具製
作の用材として用いられる。
 本樹は樅(モミ)とともに神社のシ
ンボルとして保存され、その樹容を誇
っている。
 樹齢 300年(推定)
 樹高  34,0m
 胸高周囲 4,5m
また、福島県緑の文化財としても指定
されています。(第438号) 
  平成3年3月
   飯館村教育委員会

白山神社のけやきの標柱です

ケヤキの少し西側にモミの木が在ります

南側から

説明版です
 飯館村指定天然記念物
  白山神社のモミ
 昭和47年11月27日指定
 樅(モミ)はマツ科に属し、岩手・
秋田両県以南・四国・九州屋久島まで
自生する日本特産の常緑高木である。
樹皮は暗灰色で、鱗片状をなし、枝は
太く雌雄同株。
 花は5月ごろに開花し、球果は円柱
形で、10月ごろ熟して灰褐緑色に変
わる。
 白山神社は、天文10年(1541
)勧進その後元文4年(1739)に
再建されたと伝えられる。本樹はケヤ
キとともの神社のシンボルとして保存
され、その樹容を誇っている。
 樹齢 300年(推定)
 樹高  33,0m
 胸高周囲 4,7m
また、福島県緑の文化財としても指定
されています。(第439号)
 平成3年3月
  飯館村教育委員会

白山神社のもみの標柱です

では、次へ行きましょう
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福島県飯館村、比曽 田神社の神杉です!!

2018-07-23 05:51:00 | 巨樹・大木
2011年3月11日の東日本大震災

そして福島第一原発の爆発事故で

立入の制限されていた飯館村の一部制限解除で

飯舘村へ入る事が出来ましたが人がいない

無人の地域が広がっています

比曽地区は、飯館村役場の南西約8kmのところ

川俣町の国道114号線(富岡街道)山木屋から

県道62号線を東へ疣石山(標高793m)の南側峠を越え

飯館村に入り人家の中に案内板が有ります

ここを南に進むと田神社の林が見えて来ます

道路脇に車を止めさせて頂きましたが

神社の南側には、除染作業で出た大量の土砂の

保管施設が延々と続いています





地区の十字路に田神社神杉の案内板です

大きな樹冠が見えて来ました


除去土壌保存施設です、訪問1週間前の空間線量は0,38シーベルトです

境内入口です

崩れかかった鳥居と社殿です

社殿の左手に目的の杉が在ります

田神社の神杉の石碑です

北西側から

北側から

東側から

南東側から、目通り幹周り6,1mの巨木です

では、次へ行きましょう

南へ続く道路沿いにも沢山の除染土壌が積まれています

県道62号線を南へ進むと

約3kmで道路が仕切られて帰宅困難地区になりました
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福島県川俣町、宮前春日神社の大ケヤキです!!

2018-07-22 11:11:20 | 巨樹・大木
春日神社は、川俣町役場のすぐ北側の山の南斜面に鎮座します

南側から参道を進むと、小学校のプールの脇で車道が終わります

道路脇に車を止めさせて頂きました



参道入口の鳥居です

郷社 春日神社です

参道の車道が突き当りになる所に鳥居が見えて来ました

手水舎です


参道左手に2本のケヤキが見えます

右側の一本です、こちらが目的のケヤキです

説明版が有ります
 川俣町指定天然記念物
  川俣春日神社の大ケヤキ
   川俣町字宮前37番地
   昭和54年11月5日指定第12号
 このケヤキは小手郷総社春日神社の神木の
一つで、大小二本が相接してそびえており、
東側は樹高約34m、目通り幹囲5,2m、
根回り6,9mで、西側は樹高約29m、目
通り幹囲4,4m、根回り6,6mである。
 春日神社境内の社叢は巨木が多いが、それ
らを代表する大木である。
 ニレ科の落葉高木で山地に自生する。屋敷
林としても植えられたが最近は少なくなった

 樹皮は褐灰色で老樹はりん片状にはげ落ち
る。
 材は極めて優良で社寺などの建築、家具、
彫刻、橋、船舶等に広く利用される。
  昭和54年12月
   川俣町教育委員会
   川俣町文化財保護審議会




南西側から見ました

拝殿前の参道から見ました

拝殿です

拝殿の絵馬です

狛犬です

急な石段の先に本殿が有ります

参道車道から見た本殿です

説明版です
 川俣町指定重要文化財
  春日神社 拝殿 本殿
   川俣町字宮前37番地
   昭和41年5月18日指定第6号
 春日神社は小手郷26ヵ村の総社といわれ、
祭神は、天児屋根命・武甕槌命・齎主命・姫大
神の四柱である。9世紀中ごろの創立と伝えら
れている。
 現在の社殿は入母屋造り唐破風つきの三間社
で、享保16年(1731)から元文5年(1
740)まで、10年の歳月を要して造営され
たものである。彩色された彫刻が美しい豪壮な
建物で、江戸時代中期の寺社建築の姿を知るこ
とができる。造営に当たったのは、三春町の棟
梁山崎甚内である。
 内陣に安置される宮殿は、中央の本殿が春日
四所宮、左右の相殿は右が天照大神、左が八幡
武大神を祭る。いずれも優美な流造である。
享保18年(1733)神田白銀町4丁目土手
前(現在の神田紺屋町1丁目)宮大工高島四郎
兵衛作の記録がある。
 御供殿は、本社の石段の下にある簡素な入母
屋造りの割り拝殿で長床といわれ、神仏習合の
遺風を残している。
 昭和53年10月
   川俣町教育委員会
   川俣町文化財保護審議会
 


本殿です

左右から

懸け額には春日宮の文字があります

支柱の根元には亀がいます

境内のケヤキの大木です


本殿から東側の参道を下った所に杉の巨木が在りました

枯れてしまっています

幹が途中で無くなっていました

では、次へ行きましょう
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福島県伊達市、月舘町糠田堂ノ脇の乳銀杏です!!

2018-07-21 05:10:08 | 巨樹・大木
糠田地区は、伊達市役所の南南東約12kmのところ

国道349号線を南へ、月舘の中心部を過ぎて

県道269号線へ入って間もなく右手に案内板が有ります

右手の坂道を登るとイチョウの前です

道路脇に車を止めさせて頂きました

県道沿いの案内板です

案内板に従って登って行くと大きなイチョウの樹冠が見えて来ます

道路脇にイチョウの巨木ですが、幹が見えません

北東側から、株立ちの目通り幹周り10,5mの巨木です

説明版です
 糠田・堂ノ脇の乳銀杏
 この銀杏は、根廻り9,7m、目通
り10.5m、樹高およそ30,0m
樹影の面積は300㎡の巨木で、樹齢
450余年の歳月が経っていると推定
される。
 乳銀杏の名のとおり、枝から多数の
気根(乳)が垂れ下がり、乳を授ける
神木として崇められ、そのご加護を求
めて気根が切り取られてきたという。
 この地は、嘉禎年間(1236年・
鎌倉時代)まで、月花山中福寺の建立
跡とされ、その境内に生じたものと言
い伝えも残っている。
 近郷希に見る高木でであり、当所が
月舘町最古の僧坊として、仏教伝播の
先駆となっていたことと併せて、昭和
44年7月、町重要文化財(天然記念
物)としての指定を受ける。
 永くその保護を期するものである。
平成17年10月
  月舘町教育委員会

枝から垂れ下がる乳(気根)です

南側から見上げました

北東側に離れて見ました

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福島県伊達市、霊山町泉原お経塚の欅です!!

2018-07-20 06:10:05 | 巨樹・大木
霊山町泉原地区は、伊達市役所の東約6kmのところ

県道31号線(浪江国見線)の東側に泉原小学校が有ります

小学校入口の北側に小さな川があり

ここを西に入った広瀬川との合流点に

お経塚の欅が在ります

車を県道の広い所に止めさせて頂いて歩いて行きました

県道の万事橋の北側を西へ入ります

個人宅の入り口のような所の先に、ケヤキの巨木が見えて来ます

伊達市指定文化財 天然記念物の標柱です

お経塚の由来の石碑です
 お経塚の由来碑
 広瀬川と法霊川に面する一角に生茂る
老大樹は昨年天然記念物に指定された、
この大樹の前の道は昔隣村に通ずる道路
であった、この老木の許にある供養塔は
泉原住民の祖先が信仰した法華経を自分
の手で納めたお経塚に建てたものである。
 その由来は、今より240余年前の享
保10年に隣村まで疱瘡が流行してきた、
そこで、蓮昌寺18代重善院日感は悪病
を退散せしむべく村民の協力を求め、法
華経の経文の数ほどの小石を(69384)
集め之を洗清めて一石に一字づつ経文を
拜写し、この法華経を隣村に通ずるこの
場所に納めて題目塔を建立し、七日七夜
大衆と俱に祈願を籠めたこの功徳により
悪病は退散し、村内は安全を得たのであ
る。
 その後、村民は毎年お経塚の祭禮を行
い、村内の安全を祈願して今日に至る、
時なるかな今回當村在住の事業家八島長
治氏の特志により、此処に此の由来碑を
建立された。
 茲にお経塚の由来をしるすと俱に八島
氏の不滅の業績を併記して深く感謝の意
を表す。
 昭和50年3月21日



東から、目通り幹周り5,3mの巨木です


お経塚の石碑が根元に並びます

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福島県伊達市、梁川興国寺臥龍のケヤキです!!

2018-07-19 06:15:30 | 巨樹・大木
梁川は伊達市役所の北東約6kmのところ

称名寺の大イチョウから北へ500m程のところに

興国寺が有ります

境内入口に駐車場が有りますので利用させて頂きました





参道から山門です

臥龍山興国寺です

参道奥に本堂です

参道左手には、露姫様墓所です

本堂前左側に浄慶廟です

梁川城主須田長義の墓です

地蔵堂のようです

更に御堂が有ります

次も入口に立派な彫刻のある御堂です

手水舎です

参道右手には、新井石禅禅師の銅像です

説明の石碑です

家粗堂です

鐘楼です

本堂西側の墓地の縁に目的のケヤキが在ります

右側のケヤキです

近付いて見上げました、目通り幹周り6,3mの巨木です

では、次へ行きましょう
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福島県伊達市、梁川称名寺の大イチョウです!!

2018-07-18 05:59:22 | 巨樹・大木
梁川は伊達市役所の北東約6kmのところ

阿武隈川の支流の広瀬川に掛かる「ひろせはし」の北東側に

称名寺が有ります

橋の上からも境内の大イチョウが良く見えます

境内に駐車スペースが有ります



橋の上から大イチョウが見えました

広瀬川の土手より下から立ちあがっています

ひろせはし北詰から見ました

土手脇の道路から見下ろすように見ました

浄土宗 不遠山 称名寺です

本堂です

階段途中(東側)から

本堂前から見ました、目通り幹周り5,2mの巨木です

説明版です
 梁川町指定文化財第7号
  昭和50年10月3日指定
1、名称  称名寺の大イチョウ
2、所在地 梁川町字右城地内
3、由来




毘沙門堂です

説明版です
 松平氏梁川藩縁の毘沙門堂



観音像です

毘沙門堂前から見上げました

本堂わきから

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