ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福岡県福岡市、東区香椎「香椎宮古宮跡と報恩寺の菩提樹」です!!

2020-11-30 06:39:43 | 文化財・寺社
東区香椎地区は、福岡市役所の北東約9kmのところ

JR香椎線香椎神宮駅から北へ、西南西向の参道を入ります

鳥居を入り、楼門を潜り拝殿へ


不老水への案内図で古宮を確認しましょう

北東側の境内出口裏参道鳥居です

向かい側に古宮入口です

参道を進みます

古宮跡でしょうか

説明版です




古宮跡には一本の木が植えられています、棺掛椎です

更に奥へ行きます

仲哀天皇大本営跡の碑です

古宮はこちらのようです、説明版が有ります

もう一枚の説明版には仲哀天皇の偉業などが書かれています

古宮入口へ戻ります

入口前を東へ

住宅地の中を進み左にまがると

報恩寺です


保存樹のイチョウとエノキです

境内側から見ました


保存樹表示版です、東94号と95号です

臨済宗の祖栄西禅師縁の寺だそうです

石碑が有ります

御堂が有ります

本堂のようです

本堂前に日本最初の菩提樹です

不老水に行って見ましょう


不老水案内板です

この先が武内館のようです

敷地内にクスノキが在ります

すぐ先の道路を左へ入ります

細い道路を進みます

鳥居が有ります

不老水ですが、時間制限が有る様で鍵がかけられていました

案内板です

武内宿禰が仲哀天皇に不老水を献上する絵があります

左手の斜面のクスノキです

では、戻りましょう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡県福岡市、東区香椎「香椎宮」です!!

2020-11-29 07:08:29 | 巨樹・大木
香椎宮を見て行きます

東区香椎地区は、福岡市役所の北東約9kmのところ

JR香椎線香椎神宮前駅で降りて北側に進むとすぐに香椎宮参道が西南西向きに開いています

香椎神宮前駅です

境内入口に大きな「愛つなぐ、香椎宮」の説明版が有ります



参道は西鉄香椎宮前駅まで続いています、境内入口鳥居です

祭神案内板です

参道を進みます

参道勅使道の説明版です

左手の池には弁財天です

境内案内板で確認しましょう

楼門前の鳥居です

楼門です

香椎宮説明版です
 祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、住吉大神。3世紀ごろ、仲哀天皇は国内外を平定されるため、神功皇后とともにこの地に橿日宮を営まれました。当宮は、この地で没した仲哀天皇の霊を、神功皇后が祭られたのが起源とされており、古くは「香椎廟」と称され、朝廷や人々の崇敬を受けてきました。また、享和元年(1802年)に再建された本殿は「香椎造」と呼ばれ、その優れた建築様式は国の重要文化財に指定されています。


手水舎です

更に石段を上がります


香椎宮由緒略記です
御祭神 主神 仲哀天皇 神功皇后 配神 応神天皇 住吉大神
御由緒 香椎宮は世紀200年神功皇后躬て仲哀天皇の御神霊を祀り給う他のが起源です。
 次いで神功皇后の宮は元正天皇の養老7年(723)に皇后の御神託により朝廷が九州に詔して社殿の造営を始め聖武天皇の神亀元年(724)に竣工したものでこの両宮を併せて香椎廟と称した。
 明治以後官幣大社香椎宮戦後は香椎宮と称している。香椎宮は伊勢大廟(伊勢神宮)と共に廟号を以って他の神社と異なる特別な御崇敬を捧げられ、国家の大事に際しては必ず奉幣の勅使を差遣せられ国家の安泰を祈願された。現在10年毎に勅使の参向があり、全国17社の勅祭社の内、九州であは當営と宇佐神宮の二社のみが勅祭社と定められている。
 仲哀天皇は非常に御英邁(ごえいまい)にあらせられ早くから海外発展を策され、この香椎の都を遷され、その準備中に崩御になられたので、神功皇后は天皇の御意志を体し御女性の身を以て御自から三韓御渡航の雄図を果たされ、初めて国際国家としての日本の地位を確立されたといえましょう。これによって大陸文化が晴々と導入され、日本文化は急速に向上発展を見るに至ったのであります。
 この御壮挙は当時としては並々ならぬ御苦労があられたものと察せられます。
 応神天皇は御子様であり、御孫様当られる仁徳天皇の御代には国民生活安定し彼の「民のかまどは賑いけり」の御歌となって現れ、その御徳は日本一の壮大堅固な仁徳陵として現存している。その見事な土木技術を始め、建築、繊維、工芸、美術等のあらゆる文化の基礎を開かれたのも當宮御祭神の勝れた御神徳を受けられ、やがて絢爛たる奈良平安の文化の花が開かれていったのであります。
本殿 重要文化財香椎造と称し我国唯一の建築様式で現在の御本殿は、享和元年(1801)筑前藩主黒田長順公の遵式縮小の再建であります。
綾杉 神功皇后三韓より御帰還の節、三種の神宝を埋めてその標(しるし)に杉の小枝を挿し神霊をこの杉に留め給ひ仲哀天皇の御側近く永仕祈られ大和にお帰りになられた。昔からこの杉の葉に守り札と不老水を添えて朝廷に奉っている。この杉は普通の杉と異なり葉は海松の如く大小の葉恰も(あたかも)綾の如く交互に出ているので綾杉と称し、樹齢千八百年根の直径5m若芽根より生じ、古来植継ぐことなしと伝わる。
参拝標石 この標石は恐らく奈良朝以前のものと推定される五箇の石で、勅使館前「御休憩所」中門階段下左右に「御手水所」「御祓所」中門内左右に「御脱剣所」「衛士居所」と高さ60cmの標石が立っている。これは勅使又は太宰師(大宰府長)が参拝の時昇殿までの順序を指示した石で、香椎宮にのみ有る貴重な文化財です。


東側の境内社です

鶏の狛犬ならぬ狛鶏でしょうか

鶏石神社です

香椎宮社殿へ行きましょう、社殿は南向きに建っています

神門を入るとすぐに拝殿です

額です

神楽殿です

本殿です、三方に入口が有ります

東側から

重要文化財(建造物)香椎宮本殿説明版です
 元亀元(724)年に創建された香椎宮は、仲哀天皇とその后・神功皇后を祀り、古くから香椎廟とも称されました。その後、記録によると、永暦元年をはじめとした幾度もの火災により焼失し、現在の本殿は享和元(1801)年福岡藩10代藩主・黒田斉清が再建したものです。この時の棟札が残されており、建立にたずさわった関係者の名前や作業の内容が記されています。
 桁行三間、梁間三間の正面両側に獅子間と呼ばれる一間が附属し、さらに車寄がつきます。入母屋造の屋根には獅子間の切妻が連結されます。正面中央は千鳥破風で飾られ、向拝が設けられています。このような複雑な外観で、国内にほかに類を見ない特異なことから「香椎造」といわれます。
 また、檜皮葺の屋根の頂部は黒漆で塗られた胴板製の箱棟で覆われ、両端には菊の御紋をあしらった鬼板がつきます。外観は朱漆を主体としますが、蔀戸には緑青塗り、車寄の木階には黒漆が塗られるなど、華やかな色彩も特徴の一つです。
 以上のように、貴重な神社建築であることから、大正11(1922)年に国の重要文化財に指定されています。



武内神社です

本殿部分です


説明版です


東側境内出口です

すぐに巻尾神社です

説明版です

では、古宮跡へ行きましょう


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡県福岡市、東区香椎「香椎言宮の綾杉」です!!

2020-11-28 06:29:18 | 巨樹・大木
東区香椎地区は、福岡市役所の北東約9kmのところ

JR香椎線香椎神宮前駅で降りて北側に進むとすぐに香椎宮参道が西南西向きに開いています

香椎神宮前駅です

境内入口に大きな「愛つなぐ、香椎宮」の説明版が有ります
 むかしむかしのお話。英雄ヤマトタケルの子、仲哀天皇は、強く美しい神功皇后と夫婦になり、香椎でひとときを過ごすことになりました。
 ある日、仲哀天皇は神の怒りに触れ亡くなってしまいます。神功皇后は悲しみをこらえて、天皇のかわりに男装をして海を行き交い、そして愛する夫のために香椎にほこらを建てました。
 その後、ご夫婦に男の子が生まれます。生まれつき弓の名手であったこの男の子は、おじいさんとお母さんの血を受け継いでたくさんの勝負に勝ち、お父さんの意志を引き継いで応神天皇となりました。
 武芸にすぐれ、日本文化の基礎を築いたこの天皇は、いつしか八幡神と呼ばれ、全国の八幡宮という神社の神様になります。
 そして時は流れ、愛する夫のそばにいたいと願った神功皇后のお宮も、香椎の地に築かれました。
 こうして夫婦は再びご一緒になり、この地は香椎宮と呼ばれるようになりました。愛つなぐ香椎宮。あなたも大事な人々の幸せを祈って、愛をつないでください。・・・と書かれています


参道は西鉄香椎宮前駅まで続いています、境内入口鳥居です

参道を進みます

参道勅使道の説明版です
 香椎宮参道は頓宮から香椎宮へ約1kmの参道です。
 香椎宮は天皇の名代として勅使が派遣され、神前に御幣物を奉納して御祭文を奏上します。そのとき、厳粛、盛大に執り行われるのが「勅祭」です。大正14年(1925年)からは10年毎に行われてます。
 香椎宮参道は、大正14年(1925年)の勅使の参向を機に大改修を行い「勅使道」と名付けられました。
 2年に1度開催される春季氏子大祭の御神幸行列は、本宮での「御発輦祭」にて踏歌や獅子楽が奉納され、頓宮までの楠並木の参道では三基の御神輿を中心に、稚児、鎧兜行列など華やかに「お下り」神事が執り行われ、御神輿は頓宮に一泊され翌日「お上り」の神事の御神幸が執り行われます。
 大正15年(1926年)、福岡県の各団体により165本の楠の楠木祭が行なわれ、今では見事な緑の大木となり道行く人を和ませてくれています。
 参道は福岡市のアメニティ百選にも指定されています。
 

境内案内板で確認しましょう、綾杉は社殿前に在るようです

香椎緑地保全地区標識板です

境内には多くの福岡市保存樹があるようです

楼門です



綾杉です

社殿前北側から見ました

案内板です
 神功皇后が「とこしえに本朝を鎮め護るべし」と祈りをこめられてお植えになった杉で、紀元860年(西暦200)のことであります。
御神木 綾杉
 ちはやふる香椎の宮のあや杉は 神のみそきにたてる成りけり 読人不知 新古今和歌集
 秋立つや千早ぶる世の杉ありて 夏目漱石

綾杉 神功皇后三韓より御帰還の節、三種の神宝を埋めてその標(しるし)に杉の小枝を挿し神霊をこの杉に留め給ひ仲哀天皇の御側近く永仕祈られ大和にお帰りになられた。昔からこの杉の葉に守り札と不老水を添えて朝廷に奉っている。この杉は普通の杉と異なり葉は海松の如く大小の葉恰も(あたかも)綾の如く交互に出ているので綾杉と称し、樹齢千八百年根の直径5m若芽根より生じ、古来植継ぐことなしと伝わる。
(香椎宮御由緒略記の一部です)

南側から

特徴的な西側に飛び出した大枝です

6本ほどの幹が玉垣の中に立ちあがっています、植えられて1800年ということですが何代目かなのでしょうか



鶏石神社です

鶏石神社前のケヤキです、多いな傷は雷に打たれたのでしょうか


香椎宮社殿へ行きましょう、社殿は南向きに建っています

境内左手の杉です

右手にも杉の大木です

本殿北側のクスノキの大木です
.
神楽殿脇のケヤキです

では、香椎宮を見て行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡県福岡市、城南区田島「田島八幡神社の大クスとイチョウ」です!!

2020-11-26 06:25:00 | 巨樹・大木
田島地区は、福岡市役所の南西約6kmのところ

西鉄天神大牟田線の薬院駅から地下鉄七隈線薬院駅前駅へ乗り換えて茶山駅へ


地下鉄七隈線茶山駅1番出口から出て右後ろへ一方通行道路を進みます

尾根通しの道路に上がって来ました東へ進みます

お寺の屋根が見えて来ます、神社はもう少し先です

信号の先、神社の樹冠が見えて来ます

神社入口が見えました

境内北側の入口です

田島八幡神社です

鳥居は西向きです

手水舎です

拝殿です

本殿です

説明版です
 田島八幡神社の沿革
祭神 応神天皇
年中行事 元始祭1月1日
     夏祭り 7月第2土曜日
     秋祭り10月第3土曜日
1、八幡神社の創立年は定かでないが田島沿革史によれば元徳2年(1330)の地図に初めて田島の地名が記されている。また田島が開かれた時から毎年6月1日に神楽が奉納され八幡神社を落合(現友泉亭)に奉杞する。
1、文亀3年(1503)落合に奉杞していた八幡神社を現在地に遷座奉祀する。
1、天文14年(1546)八幡神社の再建をする。
1、文政13年(1830)天満宮を末社とし神域に祭祀する。
1、明治3年(1870)保食大神を神域に祭り分神を社白山(現田島3丁目)に祭っていたが昭和初期に祭祀する。
1、明治5年(1872)八幡神社が村社に指定される。
1、明治11年(1878)明治10年の火災による八幡神社焼失のため再建する。
1、明治15年(1882)山神を末社として神域に祭祀する。
1、大正11年(1922)八幡神社が共進社に指定される。
1、昭和20年(1945)米軍の空爆による火災のため八幡神社の器物、文書等を疎開先で焼失する。
1、昭和28年(1953)八幡神社が宗教法人として認定される。
1、平成5年(1983)八幡神社が福岡アメニティー百選に選定される。
1、平成10年(1998)田島神楽が伝統芸能として福岡市無形民俗文化財に指定される。
1、平成13年(2001)社務所及び御神庫の建て替え工事を施工する。
1、平成14年(2002)社殿及び祝詞殿・神楽殿の修改築工事を施工する。
1、神域には古樹老木が多く、樟、銀杏、樫等樹齢数百年に及ぶ巨木があり福岡市の保存樹として12本が指定されている。
  平成14年7月吉日

御祭神の案内板です
 田島八幡神社
  御祭神
応神天皇 八幡大神・文化の神
神宮皇后 安産育児・子安の神
玉依姫命 母子神・縁結びの神
住吉三柱神 海の神・航海の神
 若八幡宮(相殿神)
  御祭神
仁徳天皇 開運・招福・厄除災難除けの神

拝殿前から目的の大クスです

北西側から、大枝の折れた痕があります

西側から

保存樹番号城1です


南側から、目通り幹囲11.3mの巨木ですが天然記念物指定は有りません

拝殿と社務所の間に、主幹を枯らしてしまったイチョウです

御神木の石柱が建ちます、保存樹番号城112です


境内北側に境内社の菅原神社です

保食大神の石碑は稲荷神社です

本殿北側の大山祗神社です

境内の保存樹案内板です

境内入口のムクノキです

保存樹番号城4です

サクラです

保存樹番号城111です

オガタマノキです、保存樹番号城3です

保存樹のウルシです

保存樹番号城63です

保存樹のアラカシです

保存樹番号城65です

境内入口のスギは保存樹番号21です、隣の猿田彦大神の石碑が道中守護・交通安全の神です

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡県福岡市、南区柏原「柏原羽黒神社のクスノキとタブノキ」です!!

2020-11-25 06:37:00 | 巨樹・大木
南区柏原地区は、福岡市役所の南約8kmのところ

西鉄天神大牟田線高宮駅南の県道602号線野間四角バス停から西鉄バス柏原営業所行きに乗ります

運転免許試験場を過ぎて柏原小学校前バス停で降りました

小学校は、バス停から北西側に入った所にあります、小学校前の橋を渡らずに樋井川沿いを西へ

すぐに羽黒神社の参道の橋が有ります


野間四角バス停です

柏原小学校前バス停でバスを降りました

.柏陵高校入口交差点を左へ


柏原小学校です

橋の手前を左に入ると

熊野神社参道です

鳥居です

水盤です

参道石段の脇に目的のクスノキです

石段を上がって来ました

南100号保存樹標識です


参道石段上側から、目通り幹囲5.6mの巨木です


石段中程のタブノキです

南102号保存樹標識です




社殿に参拝しましょう


参道の中ほどに神殿跡が有ります、祠が有ったのでしょうか

参道を見下ろしました


境内に上がって来ました、手水舎です


拝殿です

本殿は覆屋の中です

由来碑です
  羽黒神社由来碑
名称 羽黒神社
祭神 大巳貴命(おおなむちのみこと)
祭礼日 正月三ヶ日 4月15日 9月15日 11月15日
  由来 
 創建の時代は明らかではないが、「筑前国続風土記拾遺」に天正14年(1586年)の当社に関する文書の存在を示す起債があり中世のころ出羽羽黒山の修験者によって勧請されたと考えられる。
 江戸時代には福岡藩主の深い信仰を受け、その武運長久、家内繁栄、無病息災と五穀豊穣の祈祷所でもあった。社殿等の新改築はその寄進による、特に神殿は荘厳な桃山造りで文化財に相当するものであった、また明治の初めまでは付近の集落の産土神であった。
 昭和20年6月19日福岡空襲によって社殿は焼失したが、昭和21年氏子によって再建され現在の社殿は、昭和55年に再建されたものである。
 現存する鳥居・燈籠等の石造は江戸時代に建造されたものが大部分であり当社の歴史を示す文化財である。
 なを、文化・文政期における福岡藩主の信仰を示す文書も現存している。
平成元年5月吉日
 福岡県文化会館資料による



本殿左右の境内社です

参道石段を戻ります

川沿い東に入るとモッコクです

南104号保存樹標識があります

見あげました

帰りに川の向かい側から見ました

では、次へ行きましょう、バスに乗って高宮駅に戻ります
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡県福岡市、南区清水「八大龍王社の大楠」です!!

2020-11-24 06:06:00 | 巨樹・大木
南区清水地区は福岡市役所の南東約4kmのところ

今回は電車移動です




西鉄天神大牟田線天神駅で、この日電車が13分遅れで運行していました

西鉄大牟田線高宮駅東口から

清水町信号ですもう少し東へ進みます

ここを南へ

南に入ると突き当りの左に清水郵便局があります


郵便局前から東側道路の先に大クスが見えました

近付きます、神社は見えませんね~

南西側から、八大龍王社の祠は南向きに鎮座して大クスに隠れていました

西側から

保存樹標識です



八大龍王社の祠です

足元には水盤です

説明版です
   楠の木屋敷
  楠の木 樹齢 壱千年(樹医山野忠彦氏)
 筑前国続風土記附録の清水村の項に・此村に楠の木屋しきと云う有り・大なる楠立り。古しへ藤左近・藤右近とて菅公の御跡を慕い、筑紫に下りし者の住居の所と云う。
 と記録あり。
 江戸時代参勤交代の帰路、名島橋から此の大楠が見え、お城も近いと喜んだという。当時の樹高は約30m・幹廻りは大人8人で手を廻す大木であった。
 昭和20年6月19日の大空襲により焼失したかに見えたが蘇生す。
   八大龍王社
 妙法蓮華経 序品第一 法華経説法の座に列した八種の龍王を祭る。
 このうち裟羯羅龍王が海や雨をつかさどることから、航海の守護神や雨乞いの本尊とする。
 もと住吉神社境内に在ったものを、同神社宮司の依頼により、当屋敷内に移し祭ったという。


北西側から

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡県福岡市、南区清水「塞神社のクロガネモチ」です!!

2020-11-23 06:22:00 | 巨樹・大木
南区清水地区は福岡市役所の南東約4kmのところ

今回は電車移動です


西鉄天神大牟田線天神駅で、この日電車が13分遅れで運行していました

西鉄大牟田線高宮駅東口から

清水町信号ですもう少し東へ進みます

ここを南へ

突き当りに塞神社が北向きに鎮座します


鳥居です

水盤です

北向きに祠です

保存樹のクロガネモチです

南62号の保存樹標識です



西側から、目通り幹囲は4m程でしょうか


南側から



西北西側から

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡県福岡市、東区箱崎「筥崎宮の大楠」です!!

2020-11-23 00:45:07 | 巨樹・大木
東区箱崎地区は、福岡市役所の北東約5kmのところ

福岡県庁の北北東約1km、東区役所の有る地区です

筥崎宮へは福岡市地下鉄箱崎線箱崎宮前駅1番出入り口から筥崎宮参道へ出ました

箱崎宮前駅1番出入り口です

駅前の観光案内板です、大楠の位置を確認します、一之鳥居のすぐ右です、でもニ之鳥居が先で大鳥居は更に西に在るのが不思議です

参道の西側です、信号の先に赤い鳥居が見えています、すぐ先は海ですね

筥崎宮へ向かいましょう

二之鳥居です

一之鳥居が見えて来ました

一之鳥居(一ノ鳥居)です

大社 筥崎宮です

説明版です
 日本三大八幡
   筥崎宮
祭神/応神天応(八幡大神)
   神功皇后・玉依姫命
例大祭/9月15日
 筥崎宮は醍醐天皇の延長元年(923年)に創建され、延喜式神名帳に八幡大菩薩筥崎宮一座名神大社とある。宇佐・石清水両宮と共に日本三大八幡として朝野の崇敬あつく、特に鎌倉時代以降は武神として武家の信仰をあつめた。
 なお、「敵国降伏」の宸翰を掲げる楼門は伏敵門として有名である。
国指定重要文化財
1、本殿・拝殿  天文15年(1546年)大宰大弐 大内義隆再建
1、楼門     文禄 3年(1594年)筑前名島城主 小早川隆景造営
1、石造一ノ鳥居 慶長14年(1609年)黒田藩主 黒田長政建立
1、石灯篭一基  観応 元年(1350年)在銘
         天正15年(1587年)千利休寄進
特殊神事
玉取祭 (玉せせり・・・・1月3日)
社日祭 (お潮井とり・・春秋二季の社日)
中秋大祭(放生会・・・・・9月12日~18日)
御胞衣祭(なまこ餅つき・12月31日)

説明版がもう一つ

手水舎です

お潮井です

パワースポット湧出石です

七五三の方々が集まっています

楼門です

説明書きです
 敵国降伏のいわれ
 筥崎宮楼門に掲げられる敵国降伏とは、鎌倉期に亀山上皇が納められた御宸筆(天皇の自筆)を模写拡大したものです。
 その意味は、武力で敵国を降伏させる(覇道)ではなく、徳の力をもって導き、相手が自ら靡(なび)き降伏するという王道である我が国のあり方を説いています。

敵国降伏の額です

元寇の説明版です

元寇の様子です

北側の通路から拝殿を覗くことが出来ます

南側通路からも七五三の御祓いの様子が覗けました

一之鳥居の南側に境内に大楠です

東側から


南東側から、目通り幹囲11.4mの巨木です

保存樹案内板が有ります、境内の多くの木々が市の保存樹に指定されています

石灯篭右側の塔が唐船塔です


説明版です

手前に夫婦石です

蒙古軍船の碇石です

説明版です

元寇歌曲碑です

説明版です

さざれ石です


筆塚です

亀山上皇像です

説明版です

本殿南東側の西末社です

西末社社殿です

案内板です

本殿の北東側の東末社です左に稲荷社です

東末社社殿です


案内板です、西末社と重なる神様も祭られています


池島殿わらじ信仰の説明版です


東側裏参道から出ました

裏参道にも立派な鳥居が有ります

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群馬県太田市、細谷「冠稲荷神社のクスノキとボケ(県指定)」です!!

2020-11-22 06:23:18 | 巨樹・大木
細谷地区は太田市役所の南西約4kmのところ

国道354号線(新道)のすぐ南側に南向き参道で冠稲荷神社が鎮座します

神社の北側、東側、そして南側に駐車場が有ります

一般の方々は、東側の広い駐車場(社殿に一番近い)を利用する様です

参道南側の赤鳥居脇の第一駐車場を利用しました(私の他に止めている車は有りませんでした)

では、冠稲荷神社の木々を見て行きましょう

横文字の案内板です、ここの境内の木々の紹介が載っています

イチョウにクスノキ、キンモクセイ、マツです

ボケ(県指定)です


まずは参道左手匕福神殿前にイチョウです

北東側から

参道(南東側)からクスノキです

イチョウの前(南側)からクスノキです

西側から

拝殿前から見上げました、目通り幹囲5,0mの巨木です


社務所前の鳳凰の松です

説明版です
 高山彦九郎 寵愛の青松
   鳳凰の松
 鳳凰は、古代中国で麟・亀・龍とともに四瑞の一つとして尊ばれて瑞鳥で聖人が世に現われる前兆として飛来するといわれる。枝張りが力強くまた美しく樹冠が、さながら翼を広げた鳳凰をおもわせるところから名付けられたという。
 高山彦九郎の書斎の前にあった自然の松で、彦九郎がこよなく愛惜した賢木である。樹齢200年をこえるものと推定される。
 高山彦九郎書斎は、当神社の境外旧所有地のあったが、彦九郎没後、境内に移築し社務所(昭和39年解体)として用いられた。その時に、鳳凰の松も移植された。松は豊穣の神、大年神のよりくる(宿る)神木である。
 高山彦九郎は、のちに、林子平、蒲生君平とともに寛政の三傑といわれた思想家である。
 延享4年(1747)新田郡細谷村の生まれた。遠祖は、新田義貞公統幕の軍に従った精鋭16騎党の一人、高山遠江守重栄である。18歳の頃から、国政の乱れ道義の退廃を憂い、北は青森、南は鹿児島まで歴訪し、閉鎮された幕藩体制を打破しようとした。明治維新思想の形成、実践の大先達と讃えられる。寛政5年(1793)6月、九州久留米で謎の自刃により果てた。時に、47歳である。
 明治2年、政府太政官は、「勤王の大義を唱え、その気節深く」と追賞して、子孫に三人扶持を下賜した。
 京都三条大橋のたもとには、御所を遥拝する高山彦九郎坐像が現存する。
  祈る心すくなる道をとめくれば 行末ながく神やまもらん  彦九郎


県指定天然記念物のボケです

説明版です
 群馬県指定天然記念物 冠稲荷のボケ
1、名称及び員数
 群馬県指定天然記念物 冠稲荷のボケ 一株
2、指定年月日
 昭和30年1月14日
3、所在
 太田市大字細谷字稲荷1番地
4、指定理由
 ●群馬県文化財保護条例38条の規定による。
 ●指定等の基準第6の3の(2)のアによる。
 ●園芸種の緋ボケでは県内でも古く株も大きい。
5、説明事項
 ●樹齢 300~400年(推定)
 ●樹高 約3.5m
 ●周囲 根本約3m
 ●枝張り 約9m四方
 ●500本程の樹が分岐し半円形状に簇生し、一株を形成している。3月下旬~4月上旬頃開花し、秋に結実する。
 ●由来
 境内にある聖天宮が創建されたと伝えられる永禄年間(戦国時代)の頃、子供のない婦人が子宝を授け給えと毎朝日参していた。ある朝、宮の前にいた老修験者に祈願の理由を問われた。すると、修験者は「ボケ」の実を採ってこれをきざみせんじて飲めば効験があるだろうと教え、どこかえ立ち去った。
 婦人は相変わらず日参怠らず修験者の教えを守り実行した。そのうち効験が現われ、夫婦相和し、数多くの子をもうけることができ、その家も富に栄えるようになり、夫婦は大願成就のお礼に神苑に「ボケ」の木を植えた、この「ボケ」がその時植えられたものと伝えられる。以来、この「ボケ」は、里人たちにより、、縁結びの子宝祈願・子育て等にと厚く信仰されている。
 昭和61年3月31日
  群馬県教育委員会
  太田市教育委員会




キンモクセイは、お札販売所の中央になってしまっています


南東側参道わきの縁結びのサクラです

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群馬県太田市、細谷「冠稲荷神社」です!!

2020-11-21 06:25:00 | 文化財・寺社
細谷地区は太田市役所の南西約4kmのところ

国道354号線(新道)のすぐ南側に南向き参道で冠稲荷神社が鎮座します

神社の北側、東側、そして南側に駐車場が有ります

一般の方々は、東側の広い駐車場(社殿に一番近い)を利用する様です

参道南側の赤鳥居脇の第一駐車場を利用しました(私の他に止めている車は有りませんでした)

冠稲荷神社南側参道鳥居です

鳥居の懸額です

説明版です
  冠稲荷 南鳥居
 この鳥居の神額は岸野美術漆工業様よりご奉納いただきました。平成27年12月放送NHK藩組「ブラタモリ」にてその一部をタモリ氏が漆塗りされた額です。
  前宮司 大塚祐康 




手水舎です

石鳥居です


参道右側の実咲社は縁結び安産・健康の神様です

参道左側に七福神殿です

八坂社や諏訪社が納められた神楽殿です


拝殿前の祠です

狛犬です、やはり狐の狛犬(狛狐)ですね

拝殿です

本殿です

観望台から見ました



彫刻が見事ですね

本殿西側の祠です

境内参拝順路の案内板です


菅原社です

厳島神社です

白狐社と菅原社の説明版です


白狐社の鳥居です


多くの白狐様が並びます

北側の戌亥鳥居です

数々の石碑や祠が並びます

南東側の鳥居です

月夜見宮です

それでは、冠稲荷神社の木々を見て行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県上越市、柿崎区柿崎「浄善寺のケヤキ」です!!

2020-11-20 06:22:00 | 巨樹・大木
柿崎区柿崎地区は、上越市役所の北西約20kmのところ

柿崎区総合事務所の北側に浄善寺が北西向参道で在ります

参道入口石段脇に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

参道から本堂への通路です、境内には沢山のケヤキが在ります

川越山 浄善寺です

日本の寺の建築では珍しい本堂です(国の登録文化財)

がんばろう柿崎キャンペーン04番です

参道左手に目的のケヤキです

境内側参道から

本堂前から見ました

鐘楼です

鐘楼前境内から

鐘楼前石段を上がりました、目通り幹囲6.3mの巨木です

鐘楼脇墓地のなかから見上げました


参道右手のケヤキです

境内側参道から見ました

鐘楼の東側のケヤキです

本堂西側墓地の中のケヤキです

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県上越市、吉川区東寺「東寺諏訪神社のスギ」です

2020-11-19 06:53:00 | 巨樹・大木
吉川区東寺地区は、上越市役所の東北東約21kmのところ

国道8号線吉川町入口信号から県道78号大潟高柳線を東へ

原之町信号をすぎて、平等寺川沿いの県道78号線を道なりに進むと

東寺地区の入口に諏訪神社が鎮座します(社殿は有りません、石の祠が有るだけになっています)


神社の樹叢が見えて来ます

神社前の道路脇に車を止めさせて頂きました

参道入口です

諏訪神社の祠です

祠の後側に目的のスギです

南西側から、合体木ですね

東側から、目通り幹囲6.8mの巨木です

北東側から

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県上越市、吉川区道之下「天神大杉」です!!

2020-11-18 06:34:00 | 巨樹・大木
吉川区道之下地区は、上越市役所の東北東約16kmのところ

国道253号線を東へ、ほくほく線うらかわら駅の手前で県道61号柿崎牧線を北へ峠を越えて

日本海にそそぐ吉川と南側の長坂地区から流れてくる支流の合流点の南側

県道の東側尾根の先端部に西向き参道で天神社が鎮座します

道路脇に車を止めさせて頂きました


天神社参道入口が見えて来ました、神社の幟の支柱はコンクリート電柱製です

長い石段の参道です

一の鳥居です

ニノ鳥居です

天神大杉が見えて来ました

参道石段脇に説明版です
  天神大杉由来
 戦国の昔、道之下の天神社の神は、社の下を通りかかる鎧や兜を身に付けた武将でさえ、乗っている馬から転げ落ちるほどの荒ぶる神だと伝えられています。
 その境内で育った杉の木は当初5本、時と時代を経て、その中の1本が天に届く大杉へと成長しました。村人達はその木の下で祭礼し、集会をし、盆踊りをして親しんできました。
 大杉に特別の名前はありませんでしたが、平成14年村中に名前を募集し「天神大杉」と命名。環境意識の高揚とともに尊敬の念をもって大杉を守っていくことにしています。
  高さ36m、幹回り6,5m、樹齢推定500年(林業事務所調べ)
平成16年 道之下集落
*名前が付いてまだ16年程なのですね~


境内面まで上がって来ました、まずは水盤です

正面奥に社殿が見えます

目的の天神大杉です

南側から、目通り幹囲6.5mの巨木です

拝殿前(東)から

北東側から

拝殿です

本殿覆い屋です

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県上越市、浦川原区中猪子田「中猪子田日吉神社のスギ」です!!

2020-11-17 10:13:00 | 巨樹・大木
浦川原区中猪子田地区は、上越市役所の東約20kmのところ

国道253号線を東(十日町市方面)へ向かいます

虫川を過ぎて蛇行する保倉川を三回渡って猪子田郵便局の前を北に入ります

坂道を登って行くと中猪子田集会所と日吉神社参道石段が見えて来ます

集会所前に車を止めさせて頂きました


中猪子田集会所です

参道石段です

境内へ上がりましょう

拝殿です

本殿覆い屋です

本殿西側には石の祠が並びます

境内南東隅に目的のスギです

北西側から

北側(社殿脇)から、目通り幹囲5.2mの巨木です


目的のスギを集会所裏(南東)から見上げました

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県上越市、浦川原区虫川「虫川太子堂のカツラ」です

2020-11-16 11:58:00 | 巨樹・大木
虫川地区は、上越市役所の東約19kmのところ

国道253号線を東(十日町市)方面へ、虫川信号を南に入り県道503号坊金虫川線です

ほくほく線のガードを潜り、ほくほく線むしかわおおすぎ駅入口を過ぎてすぐに左へ県道503号線を進みます

細野川を渡ると間も無く県道右手に白山神社が西向きに鎮座します「虫川の大杉」(国指定)が見えています

境内前に整備されて駐車場がありますので利用させて頂きました

太子堂へは、歩いて行くことにしました

少し戻って細野川を渡ると右手(北側)太子堂の樹叢が見えて来ます




太子堂の樹叢です

近付くと太子堂の赤い屋根とカツラの太い幹が見えて来ました

東側からカツラと太子堂です

太子堂です

北側から見ました

太子堂前(西側)から、目通り幹囲7.0mの巨木です

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする