ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県常陸太田市、金砂山城跡です!!

2014-12-31 06:59:34 | 城跡・館跡・陣屋跡
今年も今日でおしまい、大晦日です

2014年最後の投稿は、金砂山城跡です

金砂山城跡は、常陸太田市役所の北北西約16kmの金砂山に有りました

常陸大宮市の山方城跡から県道29号線を東へ、峠を越えると常陸太田市に入ります

約2kmで日帰り温泉施設「金砂の湯」が有ります、ここを北上します

西金砂神社の参道に成っています、鳥居を過ぎると山道に成ります

金砂の湯から、鳥居の間にはいろいろな石像が並びます、こちらは天狗でしょうか

登り切ると、西金砂神社鳥居前です、直ぐ先の道路脇が駐車場に成っています

道路脇の台地が金砂山城の本丸跡です

説明版が有ります、金砂城址と成っています

西金砂山は、「頼朝の金砂攻め」として名高い金砂城址である
もっとも城とはいえ城郭を構えたものでなく、天険の山そのものが城であった
治承四年(1180)11月4日、頼朝の佐竹氏討伐に、三代佐竹秀義は太田の本城を捨てて西金砂山に籠城・応戦
要害険阻なこの山に籠った秀義軍は、数千の強兵を相手に一歩も退くことなく奮戦
攻め手の頼朝軍勢は雨霰れと降りかかる矢・石のうたれ苦戦、狭小絶壁の道なき道に身体ならず
放つ矢は敵に届かず、空しく矢をつがえて機を待つばかり、兵法に迷う激しい攻防の二日後
味方のスパイ行為によってついに落城した。
尚この西金砂山は南北朝争乱期に南朝方と激戦を交えた時の籠城の地となり、
さらに応永十年から100年余りにわたって繰り広げられた支族山入氏義との内紛の折り
佐竹義舜が籠城して死力を尽くした地であり、佐竹家初代昌義が尊信するようになってから
佐竹が西金砂山に籠城の都度戦いが有利に展開したので、金砂山は佐竹開運の山として崇敬された山であり神社でああった。
                                        常陸太田市教育委員会


台地の上は広場だけです、遺構は有りません

金砂山の案内図が有ります


県指定天然記念物のサワラです、幹回り9.5m樹齢740年の大木です


同じくイチョウです、幹回り10.5m樹齢740年です、ほかにも杉のきが有ったそうですが無くなってしまったとのことです

西金砂神社の説明版です

県指定無形文化財の神楽の説明版です

手水舎です

拝殿へ向かいましょう

縣社 西金砂神社の石碑です

世界平和塔です



参道脇に祠が並びます

拝殿です


拝殿の床下には、古い獅子が並んでいました

拝殿左手の階段をの簿って本殿へ行きましょう

木の根を越えていきます




尾根筋にも祠が並びます

こちらにも祠が並びます

最後の階段です

岩山の頂上に本殿が建っています

本殿です

本殿背面です

本殿脇の大釜は防火水槽でしょうか



本殿西側からの眺めです




本殿東側の山頂部にも祠が並びます

では、次へ行きましょう

これから、実家へ帰ります、今年も一年このブログをご覧いただきありがとうございます

(2014年は327回の更新でした)

皆様、良いお歳を



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茨城県常陸大宮市、山方城跡(御城展望台)です!!

2014-12-30 06:51:31 | 城跡・館跡・陣屋跡
山方城跡は、常陸大宮市役所から北へ約10km、国道118号線を北上します

県道29号線殿交差点が岩井橋です、この左手上に御城展望台の天守櫓が有ります




東側の久慈川に掛かる岩井橋左岸から天守櫓を模した展望台が見えます

県道29号線に入ってJR水郡線の高架を潜ると直ぐ右に案内版が有ります

又、案内版に従って登って行きます

登城路です、朝早い時間だったので車を道路に止めて、見學させていただきます


道路脇の窪地が空堀跡です

御城展望台です

展望台は有料ですが、時間が早すぎました

階段の処から久慈川のながれが見下ろせます

北側の展望台です

展望台の西側に広がる一の郭です


二の郭との間の大堀切です

こちら側が二の郭です、霜で真っ白になっていました

では、次へ行きましょう
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埼玉県久喜市、栗橋関所址です!!

2014-12-29 05:03:26 | 遺跡・史跡
栗橋関所址は、国道4号線が利根川を渡る所に有りました

石碑は利根川橋南詰信号の西側土手斜面に有りますが

嘗ての関所は、現在の利根川河川敷内に有ったようです




栗橋関所址の石碑です

そばに説明版が有ります

石碑には、
江戸幕府は、交通統制と治安維持の為に主要な街道が国境の山地や大河川を越す要地に関所を設け
、特に「入り鉄砲と出女」を取り締まりました。
栗橋関所は、日光街道が利根川を越す要地に「利根川通り定船場」から発展した関所の一つで
「房川渡中田・関所」と呼ばれました。東海道の箱根、中山道の碓氷と並んで重要な関所であったといいます。
関所の位置は、堤防の外側で利根川の河畔にあり、寛永年中に関東代官頭の伊奈備前守が番士4人を置きました。
以後、番士は明治2年の関所廃止まで約250年間、代々世襲で勤めました。
大正13年には、旧番士3家・本陣・宿名主の発起で町内と近在の有志により、徳川家達の揮毫で、
旧堤上に関所跡の記念碑が建碑され、その後数度の堤改修により移設されています。

船を並べて橋として、将軍家一行が日光参詣に向かいます

現在の橋との位置関係が解ります、問屋場と本陣の間に石碑が有ります

現在発掘調査が行われているのは、本陣跡の様です

では、帰りましょう(2014年12月21日・日曜日)
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茨城県古河市、小堤城跡です!!

2014-12-28 20:42:51 | 城跡・館跡・陣屋跡
小堤城跡は、国道125号線の小堤信号のすぐ北東側に有る円満寺が城址です

古河市役所の北約4kmの所です



国道沿いの円満寺入口です

山門です

鐘楼です

大きなイチョウの木が有ります

薬師堂です

敷地の西と北側の竹藪の中に土塁と水堀が残ります

土塁です

堀跡と土塁です

釣り堀が北西側に有ります、西の堀跡の水堀跡には水が有ります

竹藪の中にはまだまだ遺構が残っています

土塁の末端です

では、次へ行きましょう
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茨城県古河市、幸嶋氏館跡です!!

2014-12-28 07:04:46 | 城跡・館跡・陣屋跡
幸嶋氏館跡は、柳橋城跡の北東約2kmの所に有る吉祥寺の辺りに有ったようです

新和田地区の北の端で、大和田小学校の南約600mです


南側に入口が有ります

本堂前に宝篋印塔です

本堂です

鰐口と無量寿山の額です


本堂の西側に古い石塔が並びます

館跡に繋がる表示等は見つかりませんでしたが、鎌倉時代には館が有ったようです、消えてしまっていたも仕方ありませんね

では、次へ行きましょう
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茨城県古河市、柳橋城跡です!!

2014-12-27 17:16:28 | 城跡・館跡・陣屋跡
柳橋城跡は、古河市役所の東約3km新4号国道の直ぐ東側の愛宕神社のあたりに有ったようでwす

県道56号線の新4号国道の柳橋の高架から東へ約300mで北へ入ります

そのまま進むと右側に壱の鳥居が見えてきます

行った日には、正月向けの精米や幟を配る日のようで、ぞくぞく車で氏子さんたちがやってきていました

一の鳥居です


神楽の説明版です


二の鳥居は木製です


手水の隣には手押しポンプの付いた井戸です


拝殿です


正一位の額です


御神木です


神楽殿です、古河市指定無形民俗文化財の柳橋磐戸神楽が舞われます

本殿です



本殿裏側に稲荷様が祀られています

神社の周りにも、土塁や堀と言った城郭遺構は見る事が出来ませんでした

では、次へ行きましょう
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茨城県境町、長井戸城跡です!!

2014-12-26 00:35:50 | 城跡・館跡・陣屋跡
長井戸城跡は、水海城跡から国道354号線を東へ

静小学校の前から県道を東へ、県道17号線の交差点が長井戸ですが

手前を北に入って1kmに有る香取神社の敷地が、長井戸城跡です

南側から香取神社一の鳥居です

長井戸香取神社と一の鳥居の改築記念碑に、長井戸城の記載が有ります

長井戸香取神社は口伝によれば、古は元香取の地に鎮座し住民の尊敬の念篤く村の繁栄と農業の発展所願成就の祈願等
祭神の神徳を尊び集落住民こぞって崇拝し護持されて来た
祭神は経津主之命・誉田別之命である
神社の創立は不詳成れども約三百年前、宝永三年の指出帳に香取神社免、別当華蔵院、牧野備後守様云々と長野文書に
記録がのこるが元香取の地より現在の九九一番地長井戸城跡に移築祭祀されたのは史料記録共になく不明なり
社殿は長い年月風雨に晒され著しく老朽化が進み危険な状態となり困苦した結果氏子中に諮り重々協議の上建設委員会
を作り大字氏子の為を以って其の尊厳を守り維持崇敬せんと決し拝殿、本殿の完成を祝い平成四年二月二十三日氏子中
により奉祝祭を行う、亦第一鳥居は二条余りの高さを誇る近住稀なる大きな木造であったが境町の道路拡張計画により
移築を要望される、建立后長年の風雨に耐えてきたが基礎部分の腐敗が酷く移築不可能を確認し永久材の御影石を使用
し、平成二年十月十六日新しく建立したものなり
依って平成七年十一月十五日秋季例祭に当たり茲に香取神社の拝殿、本殿並びに第一鳥居の建設記念碑を建立し氏子住
民の崇敬の念を広め其の意を永く子孫に伝えるものである



二の鳥居と社殿の間に土塁が有ります、長井戸城趾の看板が有ります

土塁と堀跡ですが西側は先の遺構は無くなってしまっています

東側の堀と土塁には折れが有ります



土塁の上から東と、南に続く堀跡です

拝殿です

額には香取神宮と有ります

本殿です


おおきなカヤの木が有ります

東側の堀跡から社殿前に続く堀と土塁です

北側の堀跡です


東側土塁の南端です

嘗ての長井戸城はもっと広いものだったようです

では、次へ行きましょう
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茨城県古河市、水海城跡です!!

2014-12-25 08:13:38 | 城跡・館跡・陣屋跡
メリークリスマス

12月25日はクリスマスです

では

五霞町から新4号国道で利根川を越えます

新利根川橋を渡って直ぐに、国道354号線を西へ

水海城跡は、現在、水海小学校周辺の地域に成っています

水海小学校の西に三島神社が有ります

三島神社の石碑です

参道から鳥居です


個性的な狛犬(狛獅子)が有ります

拝殿です

拝殿の額です

本殿です

三島神社再建記念碑が有ります、碑文には水海城の文面もありました

町水海の鎮守である当社は伊豆三島神社と分祀したものと古くから伝えられている
室町時代の関白近衛房嗣公第三子天台宗寺門派大本山聖護院門跡道興准后の廻国雑記に
道興准后が当社の坊に逗留したことが記されている
 口碑によれば古河公方の権臣で当地の領主梁田氏はここ水海を本拠として城郭を構えた
ために住民も集まり住宅は増し社寺も数多く建てられた
梁田氏は当社を篤く崇敬し当社は当地方における著名な神社となった
境内は東西百間南北約六十間約六千坪でその最東端が現時の当社境内である
その西北に明治六年(1873)夏焼失して廃寺となった別当満蔵院の跡がある
梁田氏は天正末期に衰亡し水海は「内分」と「町分」の二つに分離して次第に衰微し
當社も荒廃して江戸時代を迎え
徳川三代将軍家光公は慶安元年(1648)八月二十四日神領五石を寄進
それより社中竹木御免許の霊社として明治維新に至った
 明治四年(1871)五月社格を村社と定められた
大正二年(1913)水海字香取耕地無格社八幡神社
水海字天神東天満宮を朝日の宮に。水海字日下部無格社浅間神社、
同境内神社水神宮を夕日の宮に合祀す。
 昭和二十七年(1952)十二月一日宗教法人設立し
昭和五十九年(1984)八月九日落雷により本殿拝殿焼失する
昭和六十一年(1986)十一月十五日社殿再建する
本年秋祭の佳日を卜し社殿再建記念碑を建設する

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茨城県五霞町、山王山城趾です!!

2014-12-24 22:07:15 | 城跡・館跡・陣屋跡
山王山城址は、穴薬師古墳から県道268号線をさらに進み、

新国道4号線を越えて先の東小学校の手前を東へ入った所に有る、大きな寺院東昌寺です

南側の墓地公園の駐車場を利用しました


東昌寺山門です

東昌寺の説明版ですが、かなり薄くなってしまっています


楼門です、手前には土塁が残ります

楼門の説明版です、関宿城主牧野氏関連の山門です

西側に土塁が伸びています

山王権現です

山王権現の説明版です、当山初代住職の伝説が書かれています

境内からの楼門です

鐘楼です

本堂です、本堂前には、スイレンなどの水生植物の鉢には金魚が泳いでいました

本堂西側の薬師堂です

茨城県指定文化財の梵鐘です

梵鐘の説明版です、なで肩の形に特徴が有るようです、栃木県佐野市に残る天明鋳物の作だそうです

本堂裏側にも土塁が残っているようですが、見忘れてしまいました


東昌寺から西に行くと日吉神社が有ります、山王権現の説明版に有った神社です

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茨城県五霞町、穴薬師古墳です!!

2014-12-23 20:59:17 | 遺跡・史跡
穴薬師古墳は、川妻一色神社の東約1kmの県道268号線の南側に有ります

利根川の直ぐ南側に古墳なんて珍しいっていうか、利根川の氾濫が何度も有っただろう地区に

古墳が残っているのは、感動ものです

県道沿いに大きな案内版が有ります

直ぐ隣にはお不動様がいらっしゃいました

お寺様の入口に宝篋印塔が有ります

浄雲寺本堂です、このお寺様には墓地が見当たりません

古い石塔が並んでいるだけです

お寺様の直ぐ南側に穴薬師古墳が有ります

穴薬師古墳です

穴薬師古墳の説明板です、直径30m墳高4mの円墳です、石室の造りに特徴が有って関東地区ではほかに類のないものです

石室入口です

お寺様前の大きな銀杏の木が葉を落して孤高に聳えていました

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茨城県五霞町、川妻一色神社と墓化館です!!

2014-12-22 16:14:34 | 城跡・館跡・陣屋跡
一色神社は、利根川の土手沿いに有ります

国道4号線が東北新幹線の高架の下で県道268号線を東へ

信号機の手前左側に神社が有ります

神社の前に駐車スペースが有ります

一色神社です

東側に鳥居が有ります

拝殿です

質素な懸額です

本殿は立派です


川妻一色神社の由来です

大きな記念碑が有ります

由来記によると

一色氏幸手城は関宿城に攻め落とされてしまった、幸手城主の二男は、その怨みを晴らそうと、名前を変えて川妻に隠れ住んだ

翌年、利根川が氾濫して作物が取れなくなって、村人は困り果てた、川を下る関宿藩の御用船を奪って、村人を救ったのです

関宿城主は怒って、犯人を捕らえるように命じましたが、なかなかつかまりません、栗橋宿に遊びに行ったときに通報されて

つかまってしまいました、利根川で処刑されて川へ流されましたが、川妻を離れることなく流れて行かず留まっていたそうです

村人は、一色神社として祀ったそうです

西側の一帯に墓化館は有ったようです

では、次へ行きましょう
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茨城県五霞町、栗橋城跡です!!

2014-12-21 20:13:16 | 城跡・館跡・陣屋跡
栗橋城跡は、桜の名所「権現堂堤」の直ぐ北側、権現堂川沿いに有ります

五霞町は茨城県なのに。利根川の南側にあります

国道4号線から船渡橋を渡って五霞町へ入り、信号の次の交差点を北へ

車は法宣寺前の駐車場をお借りしました


古くなってしまって所々読めなく成ってしまっていますが、説明版が有ります

西へ入ると本丸跡ですが、個人宅に成っています


本丸手前の堀跡です

直ぐ北側の法宣寺です山門です

鐘楼です

本堂です



本堂の南側墓地脇に本丸との境の降りと土塁が残ります、こちら側の方が見やすく成っています

更に北側に香取神社が有ります

一の鳥居です

二の鳥居です

拝殿です

本殿です

神社の直ぐ北側から東側には水掘りが残っている様です

本殿裏側に大きな杉の木の切株の様な物が有りました、内部が焼けています

神社北側

東側です

本丸跡を西側から望みます

権現堂川は、カヌーの競技場に成っているようです


栗橋城は大きな城だったようですが、遺構はあまり残っていないようでした

次へ行きましょう
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埼玉から、富士山・浅間山・日光連山を見る!!

2014-12-19 14:39:24 | Weblog
昨日の北風が弱まって、穏やかな天気に成りました

新潟県津南町では、約2mで平年の5倍もの積雪量に成っていて

秋山郷は国道405号線が土砂崩れのため陸の孤島に成っているようです

埼玉県桜区と志木市の間の国道463号線羽根倉橋西詰めから

関東の山々が良く見る事が出来ました(9:00)


南西の富士山が裾野を伸ばします


北西には浅間山が真っ白に見えます

北北西の赤城山も地蔵岳が白く見えます

北には日光連山が望めます

男体山です

足尾山地の山々です

北東側にはさいたま新都心のビル群です、ビルの陰に筑波山が見ることが出来ました

では、又ね
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埼玉県鴻巣市、C11型蒸気機関車です!!

2014-12-11 06:42:14 | 機関車、列車車輌
C11型322号機関車が有るのは

鴻巣駅から東へ向かい国道17号線を越えて

埼玉県免許センターの手前南側に有ります

鴻巣市文化センターの前に展示されています


後ろ側です

右側から

前側

左前から


左側面です

案内版です、群馬・栃木のローカル線で使用されていたとのこと、両毛線を走っていたのでしょうか

では、次へ行きます
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12月6日土曜日!!

2014-12-06 08:18:24 | Weblog
寒くなりましたね

埼玉も朝の気温が零下に下がって、朝起きるのがつらくなりました

新潟県では、初雪が大雪に成っている様です

今年多く巡った新潟の城跡も雪の中に埋まってしまっているでしょう

来春までは、新潟や山間部の城跡めぐりはオアズケです

千葉や茨城・栃木の城跡を冬の間に廻ることにしましょう

では、又ねー

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