ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

埼玉県ときがわ町、慈光寺観音堂です!!

2016-02-29 07:21:58 | 文化財・寺社
慈光寺は、ときがわ町役場の西約6kmのところ

県道172号線を西へ都幾川沿いを進みます

案内板が各所に有ります

小川町境の山の上です

慈光寺本堂の西側の尾根上に観音堂は有ります

坂東九番観音堂です

坂東九番霊場の石碑です

長い急な階段を上がります

観音堂です

説明版です
   都幾川村指定文化財    慈光寺観音堂    一棟
                             江戸時代・淳和三年(1803)
                             平成元年四月十一日指定
                             平成九年四月十二日修復
     坂東三十三観音霊場第九番札所都幾山慈光寺観音堂の本尊は木造千手観音立像です。寺伝によれば、
    天武天皇二年(673)に僧慈訓によって創建されたといわれている。
     現在の観音堂は、淳和三年(1803)に九十七世義然が再建したものですが、歳月の中で老朽化は
    進み将来への継承が心配されていました。そのため修復事業に着手し、村内外からの寄付金、県・村な
    どの補助金と慈光寺により平成五年度から四か年をかけ、本尊の解体修理や茅葺から銅板葺きへの改修
    堂内外の修復と周辺整備を行いました。
     観音堂は、入母屋造・銅板葺の屋根、軒は二重繁垂木とし、本尊を安置する内陣の柱は円柱で三間(
    約5.4m)四面です。前方に十二尺三寸(約3,7m)出して礼拝の間(外陣)を設け、その前方に
    は一間の軒唐破風付きの向拝を出しています。外陣は吹き放しで、履物のまま昇殿できる様式は礼拝所
    建築の特徴でもあります。さらに細部をみると、柱ごとに彫刻木鼻をつけ、虹梁に細かい文様の地彫ま
    たは彫刻を施し、その上は彫刻欄間で飾っています。内陣は格天井とし紋尽くしの文様を画き、来迎柱
    には極彩色がほどこされています。なお、外陣に千手観音の眷属である風神・雷神をはじめ二十八部衆
    の欄間彫刻があることは特徴でもあります。
     本尊千手観音立像は秘仏ですが、毎年四月第二日曜日と十七日に厨子が開かれ拝観することができま
    す。この御開帳日には多くの信者が登山し、盛大に護摩法要が行われ賑わいます。また、季節を通じて
    全国から多くの巡礼者の参詣が絶えません。
     堂内には廃絶した山内諸堂から木造十一面観音立像・木造毘沙門天立像が合祀され、外陣には賓頭盧
    尊者座像、その天井には伝説の「夜荒らしの名馬」が安置されています。
     埼玉県指定文化財
     本尊 木造千手観音立像
     像高 270cm
     頭部 室町時代・天文十八年(1549)製作
     体部 江戸時代・享和 二年(1802)製作
   平成十二年十二月                    都幾川村教育委員会


観音堂全景です

心水

石塔が並んでいます

宝篋印塔です

この石碑は何でしょうか・・・

風神

雷神




二十八部衆です

では、慈光寺へ行きましょう
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神奈川県山北町、河村城趾公園の続きです!!

2016-02-28 20:00:37 | 城跡・館跡・陣屋跡
では,初めさせていただきます

河村城址は、河村氏の居城であった様ですが、戦に敗れて

その後は、城主は変わって行った様です






説明版が有ります、枚数が多いので御許しください


本城郭の南端の標柱です





大きなケヤキの木が有ります

堀切の案内です

堀を渡る木橋です

本当は、こんな感じです

蔵郭の案内です

蔵郭です

城跡案内図です

発掘調査の写真が有りました

近藤郭です

案内板です

大場郭です

案内板です

南側の眺めです

大手口の堀切を渡る仮設の橋が架かっています

橋の東側には、ミカン畑が広がっていました

では、次へ行きましょう
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神奈川県山北町、河村城址公園です!!

2016-02-27 21:02:54 | 城跡・館跡・陣屋跡
窯村城跡は、山北町役場の南西約1kmのところ

浅間山の西側尾根上に広がった山城です

国道246号線の南側に公園入口があります

寺が目印です


河村城址入口の石碑です、石碑の脇を登って行くと駐車場が有ります

河村城址歴史公園案内図です

本城郭へ向かいましょう

沢沿いの登城路をすすみます

山北町水源森林づくりの説明版です

茶臼郭側に進みます(階段を上ると本城郭下に出ます)



モミの巨木が有ります

茶臼郭と本城郭との分岐点です

階段を上がると

茶臼郭です

茶臼郭
  本城郭から北に伸びる尾根は二本の堀切によって小郭と茶臼郭に区切られている、北側に位置する茶臼郭は
 本城郭より約10m低く東西約20m南北約80mを計る緩やかな斜面で、東西両側に帯郭が見られる、絵図
 によっては、小郭を茶臼郭としているものもあるが、新編相模国風土記稿の河村城古図では、小郭の北側に茶
 臼郭を配している。                              山北町

帯郭でしょうか

小郭越しに本城郭です

小郭との間の堀底です

戻って本城郭へ向かいます

茶臼郭と小郭の間の畝掘りです

堀底の池は「お姫井戸」です

お姫井戸
  小郭と茶臼郭の間の堀切では、畝掘りが確認されており、東端の畝間には出水がある。新編相模国風土記稿 
 の絵図にはこの位置に井戸の記載があり、往時は井戸として使用していたと考えられるが、発掘調査では井戸
 の遺構は確認できなかった。しかし、河村城落城の時に城主の姫が井戸に身を投じたという衣話が今でも伝え
 られている。                                 山北町

振り返って、茶臼郭と井戸の関係が分かります

本城郭と小郭の間の畝掘りです

本城郭への上りです

本城郭虎口です

本城郭入口です、柵が造られています

本城郭です

北側に神社が有ります

大きな河村城址碑が有ります

裏面です
   保延中大住波多野郷に鎮守府将軍藤原秀郷の後裔に出でたる波多野遠義というものあり、其の子孫州内に
  繁行して予執しも等姓なりそして其の支奮の足柄上郡に居る者に河村松田大友菖蒲沼田栢山柳川等の諸氏あ
  り、就中河村氏最も  る世にこの諸氏を構して河村党という元弘の役新田義貞の北条氏を討する 河村党
  は相率井新田氏の軍に参加して功あり河村党と新田氏との関係あるは寶に之に本づく正平弐年春新田義興同
  義治の武蔵に於いて再擧あるや河村党又之に参加せしが戦破るるに及び義興義治を迎えて河村城に居らしむ
  柳此河村城は河村氏累代の居城にして南は酒匂川に臨み北は皆瀬川を続うし加之地執高爽にして四願扉と指
  掌すべく極めて要勝の堅城たり河村氏の二将を此城に迎ふるや義数を糾合して鋭意以て賊軍に當りしかば賊
  軍は策の施すべきなく空しく手を拱きて持久の講するに至りぬ然るに不幸南風競はず籠城一年有半にして二
  将は城を去るに及び城兵も 尋て退散せしものの如し惜哉之  けて其の消息を知るを得ず又の後大森氏の
  属城たりしも明應中北條氏の有に帰し幾もなく廣城となり今は油々として  茂りをみるの 願みるる河村
  党が新田氏を擁して此城に在掾りしより星霜 に五百四十餘年当時忠臣烈士の義旗に にたる名蹟も久しく
  世人に忘れられて之を訪ふ者 希なりき川村青年団は御即位奉祝の祈念事業として村内有志と相謀り吏に保
  勝会を組織して碑を城趾に樹て之を世に不朽をせんとし友人長坂郵太郎君を介して余に文を徴せらる今や世
    李龡惟利これ争う此時にあたり川村青年団員諸君の此挙ある洵に世道人心を襅益するもの からずと謂
  うべし余深く之を感じ乃不文を以て敢て辞せず に此文を草す
     昭和4年4月

神社の祠です

本城郭から、三角形の小郭と茶臼郭を見下ろします

畝掘りの様子です

長くなりましたので、続きは又明日
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神奈川県山北町、高杉のウラジロガシです!!

2016-02-26 20:58:18 | 巨樹・大木
高杉のウラジロガシは、山北町役場の北北西約4kmのところ

県道725号線を北へ進みます

約4km進んだところで、西側の林道へ入ります

急なでも舗装の林道を進むと山の上は茶畑がひろがります

砂利道になって更に進むと

大きなカシの木が見えて来ます


大きなウラジロガシです


神奈川県指定天然記念物 高杉のウラジロガシの標柱です

かながわの名木100選の石碑です

更に林道を進むと





駐車場の脇に大きな欅の木です

神明社です

手水舎です

この石碑は何の石碑か解りません




大きなケヤキの木が有ります

では、次へ行きましょう

延々と来た道を戻りました

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神奈川県山北町、頼政神社のトチノキです!!

2016-02-25 07:56:28 | 巨樹・大木
頼政神社は、山北町役場の北西約5kmのところ

国道246号線清水橋信号から北へ県道76号線を進み

道の駅山北の先にダム広場へ向かう道が有ります

ダム広場に入るみちの途中から左へ降りる道が有ります


施設が有ります、右側に頼政神社が有ります

鳥居前から

石碑です
   神奈川県  県指定天然記念物   昭和39年12月15日指定
     頼政(よりまさ)神社のトチノキ
       和名:トチノキ(トチノキ科)
         県内では珍しい樹種で、堂々とした巨木である。飢きんの際には、この実が人々の命を救っ
        たということが今でも語り継がれている。
         昭和59年12月には「かながわの名木100選」に選定されている。
           樹  高   25m
           胸高周囲   5.3m
           樹  齢   約350年(推定)
       トチノキは、北海道から九州の山地に生える落葉高木で、種子はそのままでは食べられないが、
      あく抜き処理の後、トチモチとして食べられる。
       樹高35m、胸高周囲6m、樹齢約800年に達するものもあると言われています。         


社殿です、大きな木が社殿の裏側に見えます

説明版です
    トチノキはトチノキ科に属する落葉高木で、一般に夏緑広葉樹林域の沢沿いの排水のよい適潤地を好ん
   で生育するが、しばしば街路樹としても植栽される。フランスでマロニエと呼ばれる樹は、この近縁な仲
   間である。
    葉は対生、手を広げた形を呈する。五月に円錐状の花序を上向きに伸ばし、数十花をつける。花は四枚
   の花びらをもち、白色で紅色をおびたぼかしがみられる。実は渋味があって食用には適さず、ネズミに与
   えると三日で死ぬという。その種肉は石けんの代用に使われてこともあり、また百日ゼキの薬効もあると
   いわれるが、これは渋味のもとであるサポニンを含むからである。
    頼政神社のトチノキは、幹回り4.7m、樹高約25m、枝下8m四枝を高く伸ばしている。古木にな   
   ってなお樹勢は旺盛であり、郷土の貴重な天然記念物として、指定し保護するものである。
            昭和五八年三月              神奈川県教育委員会
石碑の記載より幹回りで0,6mもの違いが有ります、何年でこれだけ成長したのでしょうか



社殿裏側から



土手上に登って見上げます

では、次へ行きましょう
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神奈川県山北町、中川の箒杉です!!

2016-02-23 07:30:36 | 巨樹・大木
箒杉は、山北町役場の北北西約12kmの所ですが

国道246号線を西へ約5km

清水橋信号から県道76号線を北へ進みます

箒杉の案内板は各所に有ります

丹沢湖を過ぎて奥へ進むと

道路左側の丘の中腹に箒杉が見えて来ます

県道沿いに駐車場が有ります、箒杉公園案内図を確認しましょう


坂道を上がると箒杉が見えました

熊野神社の御神木のようです

かながわの名木100選 中川のほうきスギの碑です


社殿前から

国指定天然記念物 箒スギの標柱です

説明版です
    国指定天然記念物 箒スギ   昭和九年三月二十六日指定
      この地域は昔、禁令により杉・檜・欅・樅・樛・榧の六種はみだりに伐ることが禁じられ宝木沢と
     いわれていた、兄弟杉として同じ位の杉一株や、小さいものが一株あったが、明治41年秋、ともに
     伐採された。
      この箒スギの名の由来はこの地域の宝木沢という集落名から取ったとも、樹形が箒に似ているとこ
     ろから取ったとも言われている。
      昭和47年に、この地方に甚大な被害をもたらした丹沢集中豪雨の際には、土砂崩れをくいとめ、
     箒沢の集落を崩壊から救った。
      この箒スギは、県下の巨木として有数のものである、胸高周囲12m、高さ45mの大きさで、推
     定樹齢も県下最高齢の約2000年とされている。昭和九年三月二十六日、国の天然記念物に指定さ
     れた、樹下の小祠は、大室社、熊野社の合祀、地区の守護神であり、この杉も昔は社木であった。
         平成4年9月    神奈川県教育委員会  山北町教育委員会




 
上側から


展望台下の茶畑から



下側から見上げました

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神奈川県南足柄市、自得寺のナギの木です!!

2016-02-22 07:06:58 | 巨樹・大木
自得寺は、南足柄市役所の北北西約1、2kmのところ

県道74号線切通信号から足柄高校の前を進むと



臨済宗 亀原山自得禅寺です


参道ですが

道路を進んだ所にあります

ゲートボール場の横の住宅脇にあります

市指定文化財 ナギの木の標柱です




ナギとしては大木の様です

説明版です
    ナギの木(自得寺)   
      暖地の山中に自生するマキ科の常緑高木で、大木では樹高20m、幹の直径1mになる。樹皮は茶
     褐色で鱗片状に薄くはがれ、そのあとは黄赤色になる。葉は針葉樹として珍しく楕円状卵型で、質は
     厚く、主脈のない多数の平行脈がある。五月から六月頃開花し、果実は1cmから1,5cmの球状
     で、種子は十一月頃成熟する。
      ナギの木は熊野信仰と結びつく霊木として、神社や寺に植えられることが多いが、関東南部以南で
     は庭木や街路樹として植えられている。この自得寺の物は均整のとれた美しい樹形をもつ古木で、大
     きさは県内最大といわれる。樹勢も旺盛で、県の名木100選に選定されている。
         樹  高    20m
         胸高周囲     3m
         樹  齢    推定300年以上
            昭和63年12月        南足柄市教育委員会
 


かながわの名木百選  自得寺のナギです

根元に丸い木の実が沢山落ちていました

では、次へ行きましょう
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神奈川県南足柄市、範茂史跡公園です!!

2016-02-21 06:31:10 | 遺跡・史跡
範茂史跡公園は、南足柄市役所の北北東約800mの丘の上です

県道74号線の切通信号から西へ上がります

足柄高等学校の手前に公園入口が有ります

整備された公園の駐車場が有ります


北東側の眺めです

範茂史跡公園です

公園の中

中央部に

宝篋印塔です

市指定文化財 藤原範茂卿の墓です

隣には五輪塔が並んでいます

説明版です
  藤原範茂(のりもち)の墓
    鎌倉時代、北條義時が幕府の執権(将軍を助けて幕府の政治を行う最高の職)の時に、後鳥羽上皇は
   政権を朝廷(天皇が政治をとり行う所)側に取りもどそうとして、公卿(朝廷に仕える人々)の人たち
   を集めて兵をあげましたが、幕府に敗れて上皇(天皇がその位を譲ったのちの称号)をはじめ多くの人
   がとらえられました。これが承久三年(1221年)の承久の乱です。
    その時、上皇側の公卿で参議(官職・公的な地位のこと)藤原範茂卿はとらえられて京都から鎌倉に
   送られる途中、足柄峠を越えて関本に至りました。明日はいよいよ鎌倉です、つくと、そこで首を切ら
   れてしまいます。
    この頃、仏教の考え方では、首と胴が離れてしまった者は極楽に行けないと言うのです。
    範茂卿は役人に頼んで近くの清川(今の貝沢川といわれている)で死なせてもらうことにしました。
   着物のたもとや、ふところに石を入れ、清川を堰き止めて入水し最期をとげました。役人達もあわれに
   思って高台に葬りました。それがこの宝篋印塔の有る所です。
     辞世の歌に
       思いきや苔の下水せきとめて 月ならぬ身のやどるべきとは
                               と残されています。

では、次へ行きましょう
   に
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神奈川県南足柄市、大雄山最乗寺の相生杉と寺叢です!!

2016-02-20 08:26:32 | 文化財・寺社
大雄山最乗寺は南足柄市役所の南東約2kmのところ

県道723号線の坂道を登って行きます

伊豆箱根鉄道大雄山線だいゆうざん駅前から南東へ

杉並木の参道を縫うように進むと

山門下の石段です、駐車場は右の車道を上った所に有ります

左の橋を渡ると


相生杉が有ります、山内で注連縄の掛けられたのはこのスギだけでした

県指定文化財 大雄山杉林です




二本の幹が伸びています、合体木かもしれません



山内には、4mを越える杉が林立しています

山門です

ようやく案内板が有りました


沢の反対側に御開山座禅石です

参道の周りに杉の大木が並びます

本堂までもう少しです



石段脇にも杉の大木が有ります

瑠璃門を入ると境内です

正面には書院です

光明亭です

本堂です


金剛水堂です

開山堂です

鐘楼です

梵鐘です


松平大和守直基の墓です

多宝塔です

橋をわたります

決心の滝をみます

関東三十六不動尊霊場第二番です

手水舎です

石段はまだまだ続きます


妙覚宝殿です

大きな下駄が有ります

奥の院へ向かいます

長い石段です

途中に祠が有ります

奥ノ院です

林道を戻りましょう




途中に有った杉の巨木です


山鳩が林道を塞いでいました

では、次へ行きましょう
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神奈川県南足柄市、御嶽神社の社叢林・鳥居杉です!!

2016-02-19 02:37:12 | 巨樹・大木
御嶽神社は、南足柄市役所の南南東約4kmのところ

箱根登山鉄道大雄山線つかはら駅前から西へいきます

岩原城跡の前を通って先の神郷を左へ

道なりに、次の信号を右へ、道なりに左へ左へ山道を進むと

鳥居眼への広場に出ます、目の前に鳥居杉が立っています




鳥居の前から

市指定文化財 鳥居杉の標柱です



南西側から

鳥居杉説明版です



神社の御神木です

かながわの名木100選です


お神水の由来です

手水舎です

神奈川県指定天然記念物 御嶽神社の社叢林説明版です

標柱です

急な石段を上がりましょう

拝殿です

本殿覆い屋です



拝殿西側にスダジイの大木が有ります

南足柄の巨木・名木・ゆかりの木です




西側から






木肌が特徴的なバクチの木です

では、つぎへ行きましょう
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神奈川県南足柄市、沼田城趾です!!

2016-02-18 21:16:08 | 城跡・館跡・陣屋跡
沼田城跡は、南足柄市役所の南東約4kmのところ

伊豆箱根鉄度大雄山線さがみぬまた駅の西約1kmのところです


道路脇に、またも小さな案内板が有ります

前の道路は腰廓の様です

道路脇のフェンスの中には土塁跡のようなものが見えます

城跡への登り口です

右手に堀跡でしょうか

郭跡のようです

土塁のように見えます

真直ぐに登って行くと、沼田城跡の標柱が有ります

沼田城山農道改良記念碑です

石碑の後ろ側の郭跡でしょうか

南東側の郭跡の様です

南西側です

西側は尾根が伸びています

では、次へ行きましょう
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神奈川県南足柄市、岩原城跡です!!

2016-02-17 08:04:27 | 城跡・館跡・陣屋跡
岩原城跡は、南足柄市役所の南東約3kmのところ

伊豆箱根鉄道大雄山線いわはら駅の西500mの所にあります

いわはら駅の直ぐ北側つかはら駅前から坂道を登って行きます

おかもと福祉寮・南足柄消防署岡本分署前のT字路を右へ

道路脇の小さな看板を見落とさないように

ここを入ると

城跡です(西物見郭)

市指定文化財 岩原城址の標柱です 

説明版です
   岩原城跡想定図
     岩原城跡
       室町時代、箱根外輪山明神岳から東方に延び、足柄平野を望む標高60mの丘陵の南斜面に大森
      氏によって築城されました。
       東西250m、南北150mの範囲に、本城郭・ニノ郭・三ノ郭・西郭などの複数の郭(平場)
      を区画するように空堀が掘られ、上流約2kmの矢佐芝川からの取水堰(沢水)を城内に引き込ん
      だ平山城であったと想定されます。
                                南足柄市教育委員会


大きな南無阿弥陀仏の石塔です

木の根元には五輪塔が並びます

東側には大きな段差が有ります

尾根上側の西郭跡は畑に

本城郭は、住宅敷地になっています

消防文書前の道路は堀跡だったようです

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栃木県栃木市、大平神社の御神木千年杉です!!

2016-02-16 21:57:01 | 巨樹・大木
太平山神社は、栃木市役所の南西約3kmのところ

東へ延びた参道の途中に千年杉はあります

県道269号線を進むと

参道の入口に駐車場が有ります

太平山ハイキングマップです

あじさい坂を上ります

左手に六角堂が有ります

神社まで石段が続きます

あじさい坂途中の右手の鳥居をくぐると

太平山弁財天です、洞窟の中には水がたまっていて、銭洗い弁天様です

更に登ると

右手の山が崩れています、昨年の大雨による被害です

銅の鳥居の所で、参道は右手にそれます

参道は神橋につながっています、痛みがめだちます

手水舎です



御神木の千年杉です、目通り幹回り5.7mの巨木です



参道上側から見ます

間もなく随身門です

随身門です

栃木市指定有形文化財 太平山神社の随身門の案内板です




随身門の前にも杉の大木があります

更に急になった石段を上がります

随身門を見下ろします

神社入口です

手水舎です

拝殿です

御神石です


拝殿の前の燈籠のハートマークが恋愛成就につながるようです


本殿です

境内の案内板です







境内社が並びます



境内端に杉の大木が有ります

直ぐ北側の切株の年輪は約240年ありました

関東ふれあいの道、太平山神社の案内板です

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栃木県栃木市、大中寺の杉と七不思議です!!

2016-02-15 06:17:02 | 巨樹・大木
大中寺は、栃木市役所の南西4kmのところ

県道11号線を南へ、JR両毛線おおひらした駅の手前を

大平山南面のグレープロードへ、1kmほどの所を北に入った所です

山門西側に駐車場が有ります



太平山南麓観光案内図です

参道です、杉林のように成っています

栃木の景勝百選です

山門前の石段です



山門前の大杉です、石段脇には同程度の太さの杉が並びます

山門の柱に「上杉の家紋の雀」です

大中寺の案内板です
     この寺は八百余年前、真言宗の寺として開創されたと言われています。延徳元年(西暦1489年)
    快庵妙慶禅師が曹洞宗大中寺として再興されそれよりのち、小山家、越後の上杉家に守られ、また徳川
    幕府からは曹洞宗天下大僧録という高い位を与えられた由緒ある寺です。
     上田秋成作の「雨月物語」の青頭巾の話にあります七不思議の伝説でも知られています。


本堂は更に上です


地蔵堂の様です、大平町指定文化財の木造地蔵菩薩半跏像が収められているようです


白梅


紅梅が見ごろを迎えています


七不思議の一つ、「油坂」です、直接本堂へは上がれません

大杉が境内東端に見えます

本堂軒下です、こちらにも七不思議の一つ「枕返し」が有ります

「大中禅寺」の額です

大中寺の由来です




本堂前の椛の大木です、幹回り4mもあるようです

開山堂です

七不思議の案内図です


大杉です、目通り幹回り5mの巨木ですが、上の方が更に太く見えます




大杉の根元には、七不思議の一つ「馬首の井戸」が有ります

井戸の南側には「不開の雪隠」です

では、次へ行きましょう
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栃木県佐野市、米山古墳と「真田父子犬伏の別れ」の会談場です!!

2016-02-14 20:20:30 | 文化財・寺社
米山古墳は、佐野市役所の東北東約3kmのところ

県道75号線が、米山古墳を避けるように迂回しています

薬師堂の北側に駐車場があります、他にも臨時駐車場が用意されています

NHK大河ドラマ真田丸にも出てくる「犬伏の別れ」で出て来ます



米山古墳の西側裾野の薬師堂です

西側から見た米山古墳です

史蹟 米山古墳の石碑です

米山古墳の説明版です
栃木県指定史跡      昭和33年4月25日指定
    犬伏新町の東端にある丘陵を利用して築造したもので、採土の必要がなかったためか、周囲に濠跡がな
   い、北関東最大の前方後円墳であるといわれ、前方部の巾120m、高さ14m後円部の巾234,5m
   高さ31,8m東西の全長336,33mである。後円部の頂上数か所に円筒埴輪が埋蔵され、東方山腹
   には、人物埴輪等の破片がある。人工によって盛上げられたと思われるところは松林になっている、頂上
   の石室はすでに盗掘され、主体が露出している。        佐野ライオンズクラブ
  

米山薬師堂です

「真田親子 犬伏の別れ」の地の説明版です
    慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の合戦を目前に控えた7月21日、徳川家康について会津
   の上杉家討伐に向かった真田昌幸、信幸(信之)、信繁(幸村)親子は下野国犬伏(現在の佐野市)に到
   着しました。そこで陣を張っていた父子の元へ石田三成から密書が届き、豊臣方に味方するよう書かれて
   いました。この書状を受けて父子三人で話し合い、どちらが勝っても真田の家が残るよう、信幸が徳川方
   昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断したとされています。
    その話し合いの場がこの薬師堂であったといわれており、すぐそばを流れていた川に架かっていた橋は
   真田父子の別れ橋としてこの地に語り継がれています。
                 平成23年9月      犬伏町町会
     その他のお奨め歴史スポット
        薬師堂から西に進み、2つ目の信号を北に曲がって2km程進むと唐沢山に突き当ります。
       山頂の唐沢山神社には、ムカデ退治や将門を討ったことで名が知られる藤原秀郷公が祀られて
       います。
        また神社の周辺には、戦国時代に上杉謙信、北条氏康らの進攻に度々耐え、関東の七名城の
       ひとつに数えられる唐沢山城の高石垣など多く残っています。

十九夜の石碑です

お地蔵様です

米山古墳へ登ります

もう少しで頂上です

四等三角点が有ります

祠が4つあります

八幡宮の石碑です

木間越しに唐沢山城趾を望みます

西側犬伏から佐野の街並みです

六紋銭の幟が有りました

では、次へ行きましょう
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