ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県佐渡市、新穂潟上「牛尾神社の安産杉」(市指定)です!!

2022-06-30 20:17:42 | 巨樹・大木
 佐渡の見どころとしては、トキ(鴇)を見たいと思っていました

 数が増えて簡単に見られるのかと思っていましたが~

 野生では、臆病な性格のトキは、日中木の影などで休んでいるそうです

では、

 新穂潟上地区は、佐渡市役所の東約8kmのところ

 県道181号線を東へ、途中から県道237号線となって更に東へ

 日吉神社前信号から県道65号線となって道なりに両津方向(北)へ進みます

 潟上温泉入り口の北側に牛尾神社参道が北向きに開いています

 牛尾神社は南向きに鎮座します、宮司宅前参道わきの駐車スペースに車を止めさせて頂きました

 県道65号線沿いの参道入り口です

 牛尾神社です

 説明版です
  牛尾神社の文化財
 能面翁(白色尉・黒色尉)県指定文化財
  室町時代末期の作と推定され、一名を「春日の面」、または「雨乞いの面」といいます。
  木造彩色の老相、椋毛眉があり、額や頬、口辺に皺をたたみ、口ひげと顎ひげをあらわした切り額です。
 牛尾神社拝殿彫刻 市指定文化財
  焼失した拝殿の再建に伴い、明治35年(1902)から5年間かけて施されたもので、制作には拝殿再建の棟梁をはじめとし潟上の関口文造や三条の半藤逸我、新潟の長谷川吉蔵、川原田の伊藤治作など、当時の名工が多数参加したといいます。立体的にくり彫された鯉、龍、物語などの細工の数々は芸術性に富んでおり、重厚な三方唐破風造りの拝殿を豪華に飾っています。
 牛尾神社の安産杉 市指定文化財
  樹齢約1000年、樹高30m、胸高幹周6.7mを計測する天然杉の御神木です。古来より、子宝と安産がかなう霊木として信仰を集め,別名「孕み杉」とも呼ばれています。
 佐渡牛尾神社能舞台 県指定文化財
  明治34年(1901)に再建されました。舞台は瓦葺、正面入母屋造の背面寄棟造で、本舞台と後座で構成され、鏡板に松と竹の絵、天井には鐘穴があります。地謡座と鏡の間(兼社務所)が常設されており、橋掛かりは複式で裏通路が附属しています。毎年6月12日に例祭宵宮薪能が行われます。
   平成25年2月 佐渡市教育委員会

 鳥居です

 参道をゆるく上って行きます

 参道突き当りには山本修之の歌碑です、ここで参道は折り返します

 参道を進みます

 狛犬です

 三本の大杉が見えて来ます

 参道左手のスギの大木です

 北東側から

 すぐ先の大杉にもしめ縄が巻かれています

 二本のスギの間の御堂です

 参道右手のスギが「安産杉」です


 西側から

 案内板です
 安産杉
  文化財佐渡市指定 天然記念物
   樹齢約1000年
   根回り 9.1m
   目通り 6.7m
   樹高約30.0m
 一名「孕み杉」ともいう
 むかしから子供が恵まれたり、安産がかなえたりで有名である。
 神やどる天王大杉神さびてはらみ杉とは世にも稀なり

 北側から

 手水舎です

 拝殿です


 見事な彫刻を見ることが出来ました


 本殿です


 能舞台です

 拝殿前から安産杉を見ました 


 境内社です

では、次へ行きましょう
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新潟県佐渡市、新穂田野沢「菩薩寺のしだれ杉」(市指定)です!!

2022-06-30 06:27:32 | 巨樹・大木
 ここからは、2022年6月19日取材分です

 まずは、佐渡の予備知識です(20年前に新潟に10年間住んでいた時には訪島していませんでした)

 佐渡は、金山で有名ですね、世界遺産の候補にもなっています

 日本で二番目に大きな島〔一番は沖縄本島)です

 北側に大佐渡山地、南側の小佐渡山地、間に国中平野が広がります

 2004年10月旧10市町村が合併して佐渡市となりました、人口は約5万人です

 佐渡市役所は、地図の真ん中左(旧金井町)です

 *地図の右側の凹んだところが両津港です、昨夜10時過ぎに両津港に到着し、コンビニでビールを買い込み、ネットやユーチューブで選んだ「新穂ダムキャンプ場(無料)」地図の真ん中少し下で車中泊しました

 では、始めます

 新穂田野沢地区は、佐渡市役所の東約7kmのところ

 県道181号線を東へ、途中から県道237号線となって更に東へ

 日吉神社前信号から県道65号線となって道なりに両津方向(北)へ進みます

 佐渡市立行谷小学校の手前を右(東)へ、ゆるく坂道を登って行きます

 道なりにほぼ真っ直ぐに東へ、南北に走る広域農道?に出て左(北)へ

 間もなく左に大きな樹冠?が見えて来ます

 道路脇に車を止めさせて頂きました


 北東側から、複数のスギが並んで大きな樹冠になっています

 天然記念物標柱です

 説明版です
  佐渡市指定天然記念物
   菩薩寺のしだれ杉
 

 右側のスギは、二本の幹が並んでいます

 左側のスギです

 南側から、しだれた枝が地上に付いています

 菩薩寺参道です

 真言宗 智山派 宝智山 菩薩寺です


 本堂です

 本堂前から見ました


 境内から出て北側道路から


 北側から

 北西側から


二本並んだ右側が目通り幹囲5.0mの巨木です


では、次へ行きましょう
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新潟県新潟市、西蒲区松野尾「仙城院のスダジイ」(市指定)です!!

2022-06-29 19:22:52 | 巨樹・大木
 松野せつ尾地区は、新潟市役所の南西約20kmのところ

 西蒲区役所の西北西約4kmになります

 県道296号横山巻線を西へ、竹野町信号を右へ県道2号新潟寺泊線を北へ進みます

 上堰潟公園入口を左に、間もなく笹祝酒造の手前を右(東)へ入り道なりに進みます

 左側で10個目の道路を左(北)へ突き当りに仙城寺が有ります

 山門左手の墓地側に駐車スペースが有ります

 
 参道です

 境内入り口の左に目的のスダジイです

 真言宗 智山派 医王山 仙城院です

 説明版です
   北国街道散策
  真言宗智山派医王山仙城院
 仙城院は、宝永6年(1709)に現在の地に堂宇を建立したと言われており、本堂は当時の建物として残っています。
 この寺院には、江戸時代後期の書家である亀田鵬齊や、良寛和尚などが当流逗留しており、なかでも良寛和尚は托鉢の途中で仙城院によく泊まったと言われ、その際詠んだ和歌や漢詩が残されています。
 また境内には、新潟市指定天然記念物である「スダジイ」と呼ばれる推定200年以上の椎の巨木や、明治13年に南無阿弥陀仏の念仏を百万遍完昌した記念に建立された「百万遍念仏供養塔」もあります。


 入り口から、目通り幹囲4.9mの大木です



 境内に入って東側から


 説明版です
   天然記念物
  スダジイ(しいの木)
 ブナ科、くりかし属の常緑喬木で、ツブラジイの変種である。本州日本海側の天然林としては石地・佐渡が北限である。庭樹として優れており、県内各地の庭木として用いられている。
 郡内では数少ない樹種で、旧巻町におけるシイの木の中で最も大きく、根廻り6.5m、目通り幹囲4m、樹高11mの巨木で樹勢は旺盛、推定樹齢200年以上と考えられる。
  昭和51年3月9日指定
  新潟市教育委員会
*天然記念物指定から約45年で90cmほど大きくなっているようですが・・・?


 北東側から


 北側から

 参道左に石塔が並びます

 良寛様の石碑です

 参道右手にお地蔵様です

 宝篋印塔です

 本堂です

 本堂前から見ました

 弘法大師様です

 西側墓地から見ました

 では、次へ行きましょ

 ということで、新潟港佐渡汽船乗り場(車)です

 車(車両航送)で佐渡へ、新潟港から両津港まで約2時間半(高速船で約70分人のみ)だそうです

 2022年6月18日の最終便午後7時半出発です、佐渡両津港到着は午後10時になります



 間も無く新潟港に両津港から到着する「ときわ丸」です

 佐渡汽船は、「ときわ丸」と「おけさ丸」の二船のカーフェリーで一日5往復(10便)が運行されています

 次回から佐渡の巨木をメインに紹介いたしますね
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新潟県新潟市、西蒲区稲島「角田山登山道のケヤキと大杉」です!!

2022-06-29 06:49:21 | 巨樹・大木
 *2022年6月18日の取材分です

 稲島地区は、新潟市役所の南西約24kmのところ

 西蒲区役所の北西約4kmのところです

 区役所から県道296号線を西へ

 竹野町信号からは県道562号角田山麓公園線となって更に西へ

 県道562号線が北に向きを変えたところで左(西)へ

 案内板が有ります

 水道施設の大きなタンクの側に駐車場と登山口です



 稲島登山口が有ります、向陽観音参詣道でもあります

佐渡弥彦米山国定公園です

ゆっくり登りましょう

間も無く舗装が切れて砂利道に成ります

ほどなく「稲島の大杉」が見えて来ます

東側から

薬師堂です

説明版です
  天然記念物 稲島の大杉
 (昭和44年3月15日指定 西蒲区稲島)
 ここ稲島の薬師堂境内に生育する大杉は、樹高22m、枝下約4m、目通りの幹周6m、根廻り11.5m、枝の広がり約10m四方で、境内いっぱいに広がる根張りは特に素晴らしい。
 樹齢はおよそ1000年と推定される。50年前頃に落雷があったとあったと伝えられているが、その時受けたと思われる垂直に走る傷跡痕が幹の上部に観察される。
 この大杉は、今も樹勢は旺盛で堂々とそそり立つ樹形は見事であるである。
   新潟市教育委員会
*大杉には再訪でした、前回は雨の日でした

薬師堂側から


薬師堂脇から




祠です



距離表示です

説明版です
  天然記念物 稲島の椿谷自然林
  (昭和44年3月15日指定 西蒲区稲島)
 角田山は標高約200m付近から平野にかけて常緑広葉樹林域〔ヤブツバキクラス域)に属し、山腹から稜線部にかけては落葉広葉樹林域(ブナクラス域)に属すると考えられている。
 ここ椿谷は、標高200mの地点に位置し、登山路の北側にあたる谷間の急斜面に常緑広葉樹林の自然林が成立している。自然林の高木層は樹高20mに達する大きなケヤキが主体をなしているが、亜高木層はヤブツバキのみである。そのため林床は暗く、周囲の落葉樹林中に見られる低木や草本はほとんど見られず、ヤブツバキ群落の標微種であるヤブツバキ・キスタ・ジャノヒゲ・ヤブコウジが生えているにすぎない。このヤブツバキ群落は極相的な群落と考えられ、角田山の自然にとって貴重な存在である。
 また、この椿谷の谷底には不動滝と呼ばれる小さな滝があり、その下には不動堂がある。幕末安政5(1858)年コロリ病(コレラ)が流行した際、巻文殊院正徳寺別当がここに護摩を焚き、加持祈祷したと伝えられている。
   新潟市教育委員会

木々が沢伝いに見られます


また距離表示です

大きな樹冠です


登山道右手に目的のケヤキが見えて来ました

丁度登山道の分かれ道の所です


目通り幹いい5.1mの巨木です

奥側から

では、次へ行きましょう
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新潟県長岡市、中之島「大竹邸記念館の欅」です!!

2022-06-28 18:52:54 | 巨樹・大木
 中之島地区は長岡市役所の東北東約13kmのところ

 2001年4月1日に長岡市に編入合併した中之島町の中心部です

 国道8号線を北へ、北陸自動車道中之島見附インターチェンジ入り口を過ぎて斜め左へ
 
 県道498号線になり、すぐの中之島流通団地信号を右(北)へ

 道なりに進むと、右手に大竹邸記念館が有ります

 正門前向かい側道路南に駐車場が有りますので利用させていただきました

 大竹邸記念館です

 大竹貫一氏の銅像です

説明版です
  国士大竹貫一先生小伝
 大竹貫一先生は万延元年(1860)、当時の新発田藩大庄屋大竹英治氏の六男として生まれました。
 少年時代は、若月元輔、斎藤三郎、鈴木惕軒、亀谷省軒などに師事して漢字を学んだ後、新潟英語学校に進み土木工学を専攻しました。
 明治13年(1880)、村会議員に当選し政治家としての道を歩き始め、その後県会議員を経て、明治27年(1894)衆議院議員に当選。以来、回を重ねること16回、在任実に34年10ヵ月を記録しています。この間、刈谷田川改修、大堰の完成、大河津分水の実現等、郷土河川の用排水事業に尽力されたほか、北海道に大農場を興すなど殖産興業にも範を示されました。
 明治37年(1904)~38年(1905)、日露戦争の講和条約締結に際しては、尾崎行雄氏等と共に対露強硬論を主張、国民大会を日比谷で開いて、遂に焼討事件を引き起こしました。また、護憲運動や普通選挙の獲得など、常に国民大衆の先頭に立って活躍されたことは有名です。
 昭和15年(1940)、旭日重光章を賜りましたが、この時、先生の位階は、正五位勲二等でした。
 昭和19年(1944)9月、85歳で、この地中之島の自宅で逝去、特旨を以って、従四位を追贈されています。
     大竹邸保存会
  大竹邸保存会について
 大竹邸保存会は、昭和19年(1944)に逝去した大竹貫一の相続人から、昭和27(1952)に遺産を地元に寄付したい旨の申し出があったことに伴い、刈谷田川大堰から農業用水を取水し直接恩恵を受けている刈谷田川大堰土地改良区(現在の刈谷田川土地改良区)と中之島村(のちの中之島町)で協議した結果、両団体の共有財産とし、その管理運営するために発足した。同保存会の構成は、委員長に中之島村長、副委員長に刈谷田川大堰土地改良区理事長が就任し、中之島村議会議員七名と刈谷田川大堰土地改良区総代議員七名が委員であった。
 平成17年(2005)に中之島町(旧中之島村)が長岡市と合併したのを契機に刈谷田川土地改良区から遺産の持ち分を平成18年(2006)4月1日付けで長岡市へ寄付するとの申し出があり、長岡市が受け入れたことにより同年3月31日をもって解散した。
   令和3年(2021)中之島観光ガイドの会

 敷地南西端の社です、すぐ左に目的の欅です

 東側から


 南側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

 西側から

 北西側から

 西側道路から

 では、次へ行きましょう
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新潟県長岡市、山古志種芋原「中野愛宕庵のスギ」です!!

2022-06-28 06:37:18 | 巨樹・大木
 山古志種芋原地区は、長岡市役所の南約16kmのところ

 国道17号線を南へ、信濃川に架かる越の大橋の手前堤信号を左(南)へ

 信濃川右岸に沿って県道589号線進み、小千谷市との境の信号を左(東)へ入ります

 JR上越線の下を潜って国道291号線を東へ、しばらく小千谷市内です

 朝日川に沿って上って行きます、東側の山の上はかつての山古志村です

 山古志に入って、駐在所先で国道を右に分けて県道24号線を直進します

 長岡市役所山古志支所前を過ぎて羽黒山トンネルを貫けると芋川沿いを北へ

 芋川を渡り二つ目右への道路を南へ、左側に指定史跡中野愛宕庵の樹叢が見えました

 前の道路脇に車を止めさせていただきました

 中野愛宕庵参道です

 中野愛宕庵です

 市の文化財です


 境内入口のスギの大木です

 境内南西側のスギです

 道路側のスギの大木です

 三本のスギの合体牧ですが目的のスギではありません

 目的のスギは中野庵の東側です

 南東側から、目通り幹囲5.9mの巨木です

 南側から見上げました


石仏が並びます

樹叢を南側道路から見上げました

では、次へ行きましょう
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新潟県南魚沼市、小栗山「松尾神社跡のスギ」です!!

2022-06-27 19:15:41 | 巨樹・大木
 小栗山地区は、南魚沼市役所の西約1kmのところ

 市役所の南側の道路を西へ、JR上越線の下を潜って

 新しく出来た六日町バイパスを渡り、関越自動車道を潜ると

 小栗山第二区集会所のまえで県道124号線を右(北)へ

 左側三つ目の細い道路を左へ入ります、坂道を上り始めて間もなく

 道路左手に松尾神社の参道が有ります


 道路左手に参道入り口です

 参道の標柱が建っています

 参道を進むのを止めて、車道を裏参道まで登りました

 裏参道入り口です

 こちらにも松尾神社入り口の標柱が立っています

 参道入り口に車を止めさせて頂きました

 裏参道を進みます

 境内に入りました、目的のスギが左奥に診えました

 松尾神社の社殿があったところです

 狛犬です

 大きな松尾神社の石碑です

 目的のスギを石碑の前から見ました

 北側からは解かりずらいですね~

 東側から太い幹が見えました、目通り幹囲5.0mの巨木です

 二本並んでいます

 境内から六日町の眺めです

 魚野川対岸(東)には坂戸城跡の坂戸山です

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新潟県南魚沼市、早川「早川のスギ」です!!

2022-06-27 06:35:30 | 巨樹・大木
 早川地区は、南魚沼市役所の南約5kmのところ

 国道251号線を南へ、魚野川を旭橋で右岸側へ渡ります

 国道251号線と県道28号塩沢大和線との交差点が早川信号です

 信号を右(西)に県道28号線へ、すぐの右手倉庫先を右(北)へ農道(砂利道)を入ります

 木立の上に目的のスギの樹冠?が見えます、周りは地区の墓地になっています

 北側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北側から

 東側から、幹の先だけに枝葉を残し幹の枝は切られてしまっています

 南東側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

 南側から

 西側から

 北西側から

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群馬県川場村、谷地「桂昌寺のスギ」です!!

2022-06-26 19:37:02 | 巨樹・大木
谷地地区は、川場村役場の北約1kmのところ

県道64号線平川横塚線を北へ進むと間もなく桂昌寺の案内板が有ります

西へ道なりに進むと右手に山門が見えて来ます

参道を入って山門の西側の駐車場に入ることが出来ました


西へ入ります

地区の案内板が有ります


参道入り口です

桂昌寺です

山門です

山門前に説明版です
  萬松山 桂昌寺
   建長寺を本山とする臨済宗の寺
 その昔この地を治めていた領主大友氏は鎌倉時代には、源頼朝から地頭を命じられていた、大友氏が新田氏に滅ぼされた(南北朝時代)後大友氏の墓を守るために館跡に桂昌寺が建てられた。 応永3年(1398)

 脇には「かるた」ですね、「と」土塁は残る大友館、「ろ」老僧開く桂昌寺

 鐘楼です

 本堂です

 目的のスギは本堂の北西側境内端に在ります

南側から見上げました、目通り幹囲5.0mの巨木です

西側から

境内外側の北西側から見ました


墓地西側にも土塁の跡が見えました

では、次へ行きましょう
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群馬県沼田市、白沢町下古語父「くるま屋の欅」(市指定)です!!

2022-06-26 06:53:51 | 巨樹・大木
*ここからは、2022年6月17日の取材分です

 下古語父地区は、沼田市役所の東北東約8kmのところ

 国道120号線を東へ、関越高速道路沼田インターチェンジを過ぎて間もなく下久屋町信号を左へ

 県道64号平山横塚線を川場村方面へ向かいます

 道の駅田園プラザの田圃をへだてた東側の地区です

 道の駅の手前を右(東)へ広い田圃の中へ入ります、約300mを左(北)へ進みます

 集落の中程から集落の家々の屋根を覆い隠すように木々の樹冠が見えて来ます

 カーブミラーを左(西)に入ります手前の道路脇に車を止めさせていただきました

 住宅の前に水車が有ります


 更に西へ進むと大きな幹が見えて来ました(南東側から)

 南側から、しめ縄が巻かれています

 南西側から

 西側から

 北西側から

天然記念物標柱です

説明版です
 沼田市指定天然記念物
   くるま屋の欅
 指定年月日 平成8年2月28日
 所在地 沼田市白沢町下古語父
  目通周囲 7.5m
  樹高 32m
  枝張南北 22~25m
 白沢地区最大の欅で、江戸時代この地は「けやき名所」と称し、その中にくるま屋の欅があったと言い伝えられている。
 欅はニレ科の落葉高木。東南アジアの一部と日本に分布。日本では、本州、四国、九州に分布し、暖地では、丘陵部~山地、寒冷地では平地なで自生する。
 ツキ(槻)ともいう
 葉の鋸歯は曲線的に葉先に向かう特徴的な形であり、鋸葉の先端は尖る。雌雄同株で、雌雄異花である。花は4~5月頃、葉が出る前に開花しる。
   平成22年3月
   沼田市指教育委員会

南西側から離れて樹冠を見上げました

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群馬県藤岡市、坂原高瀬「菅原神社のケヤキとムクノキ」です!!

2022-06-25 08:41:24 | 巨樹・大木
坂原高瀬地区は、藤岡市役所の西南西約16kmのところ

*藤岡市の南端にある神流湖は下久保ダム昭和44年(1964)の完成によって出来たダム湖です、目的地はダム湖畔に建つ菅原神社です、湖底になってしまった旧集落への参道はダム湖へ向いています

県道13号前橋長瀞線を神流川に沿って南へ

浄法寺信号で国道462号線と一緒になり更に南へ

諏訪信号で斜め右の国道462号線へ

道の駅上州おにしを過ぎると国道は西へ向きを変えていきます

左手に下久保ダムが見えて来ます、珍しいL字形の堰堤頂の長さは605mで全国一だそうです

トンネルを三ケ所過ぎて間もなく、カーブナンバー42の所が現在の参道入り口です


道路脇に車を止めさせて頂きました

道路を入って住宅の前を右へ下ります

境内が見えて来ました

狛犬です

社殿です


目的の二本は旧参道の鳥居の両側に在ります

西側のムクノキです

東側のケヤキです


鳥居です

鳥居下からムクノキを見上げました、根張りの大きさが特徴的です

鳥居下から斜めになって湖面に枝を伸ばすケヤキです

旧参道からムクノキ、社殿側の計測位置が一番細くても、目通り幹囲5.0mの巨木です

ケヤキは、斜めになった大枝二本の合計値で、目通り幹囲6.2mの巨木となっています

では、次へ行きましょう





*帰り際に、少し南側から境内を見下ろしました
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群馬県富岡市、神成「宇芸神社のムクロジ」(市指定)です!!

2022-06-24 19:13:37 | 巨樹・大木
 神成地区は、富岡市役所の西南西約5kmのところ

 国道254号線を西へ上信電鉄に沿うように踏切を2度渡ります

 神農原信号を過ぎて右側に宇芸神社の案内板が出ています

 国道に面して参道が開いています

 宇芸神社です

 鳥居です、すぐ先には上信電鉄の踏切が参道を横切っています、長い参道を進みます


 神社は北側の山裾ですので、案内板には100mと書かれています

 もうすぐです境内です、入り口に鳥居が有りませんが、正面に花を咲かせた目的のムクロジが見えています


 天然記念物標柱です

説明版です
  富岡市指定天然記念物
   宇芸神社のムクロジ(うけじんじゃ)
  平成22年4月28日指定
 樹高14m、目通り周は3.95mの大木で、幹は根元から1mを越えた所で二本に分かれており、樹齢は300年余りと推定されます。
 ムクロジは、温暖な地域に分布する落葉高木で、6月に多くの花をつけます。実の皮には多量のサポニンを含み、水を泡立てる働きがあるため明治時代頃までは洗濯などに広く利用されました。また、黒い種子は堅く良く弾むため、羽根突きの羽根のおもりとして利用されています。
 宇芸神社は、「延喜式神名帳」(927年)に記録があり、平安時代には官社として認定されていた由緒ある神社です。しかし、江戸時代の天明年間(1781~1789年)に、火災のために古記録その他が焼失し、いつどのような理由でこの地にムクロジが植えられたかは明らかではありません。
 県内における他のムクロジと比較しても劣ることはなく、神社の歴史とともに歩み続けてきた貴重な名木です。
   富岡市教育委員会

*サポニンを含む植物としては、巨木として良く紹介されるサイカチがあります。実(鞘)にサポニンを含み、同じように洗濯に利用されたようです 

 南東側から、説明版通りに枝先に細い房状の花をつけています


 東側から

北側から


神社の案内板です
  宇芸神社
 927年に延喜式という法典がつくられました。その中の延喜式神名帳に記載された神社をを延喜式内社と言います。
 平安時代に官社として認められた由緒ある神社です。群馬県には12社あり、その一つがここ宇芸神社です。創立は天武天皇の時代(672~686)と伝えられています。ここは倉稲魂神(うかのみたまのかみ)が祭られています。
   環境省・群馬県

 お参りしに行きましょう 

 石段の中段からムクロジを見ました

 最初の石段約20段を上ると手水舎です

 もう一段上ります、赤い鳥居が見えています

 約30段を上って来ました、ここには神楽殿が有ります

 更に約60段の石段を上ります

 拝殿です


 本殿です、立派な彫刻を見ることが出来ました

 社殿の西側には境内社が並びます、一部に祠には狐の置物が並べられています

 社殿東側には二つの境内社が有ります

 では、次へ行きましょう
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群馬県富岡市、富岡「龍光寺のイチョウ」(市指定)です!!

2022-06-24 07:41:31 | 巨樹・大木
 富岡地区は、富岡市の中心部ですユネスコの産業遺産富岡製糸場も有ります

 富岡市役所の南西約200m、国道254号線に面して龍光寺があります

 山門西側の駐車場(参拝者・幼稚園利用者用)が有りますので利用させていただきました


 案内板が出ています、境内には富岡製糸場で亡くなった女工さんたちの墓もあります


 参道入り口です


 浄土宗(宮崎山 宝国院)龍光寺です


 昔から大きなお寺だったようです、宮崎山宝国院龍光寺の明治4年の絵図です

 本尊阿弥陀如来
 当寺は上野国綾目荘宮崎村管領奥平美作守龍光公の開基なり。故に龍光寺と名す。
 初め貞誉一凝上人  を此地に留め、有縁の地を撰んで堂宇を営む、道俗を教化せり、依て貞誉上人を開山そ崇む。時に文明2年10月15日、今を去る433年なり。本尊は聖徳太子の御作にして開基龍光の寄附なり、後の住職寂誉上人富岡の里に下向して道帶を教化せり、遂に録熟して茲に一宇を建立す。此際海保庄兵衛中野七蔵寺大に力て霊せり。後徳川右府大 院殿の帰向に依り、御朱印26石を賜はしり。
 寛文4年春堂宇焼失せり。此年同郡七日市城主前田右近大夫利豊公の帰依に依り、堂宇を再建立す。時に総本山大僧正玄誉智鑑上人、当寺の住職となりしが、檀徒の帰依深く浄教を弘通せり。明治23年5月13日祝醜の災ありて、堂宇再び灰燼に帰しぬ。故に古記録及び什宝物等を亦焼失せり。後て現住職建誉祖霊、檀徒と謀り苦心経営して堂宇を再建せり。
  宝物
 黒本無量寿如来 壱躯 上宮太子一夜の彫刻宇多布の秘蔵仏にして有縁地なる茲に安置す。
  明治34年4月刻
 



 山門です

 参道を進みます


 参道右手には、呑龍上人の御堂のようです

 本堂です

 本堂手前の右側に目的のイチョウです(南側から)

 南西側から


 西側から

 天然記念物標柱です

説明版です
 富岡市指定天然記念物
  龍光寺の大イチョウ
   平成19年2月2日指定
 イチョウは、イチョウ科の落葉高木です。
 この大イチョウは、樹高25m、目通し周は5m、根回りは9.5mの雌株です。
 根元から4~5mの高さから枝を張り、枝張りは東西15m、南北14mに及びます。東の幹が主幹となり樹幹を形成しており、枝のもとには多数の気根が見られます。
 樹齢は380年以上と推定でき、今なお生育を続けるイチョウとしては市内でも有数の巨木です。
 龍光寺は、長禄年間(1457~1460)奥平氏により宮崎村(現富岡市宮崎)に創建され、慶長17年(1612)から元和3年(1617)にかけて富岡町(現富岡市富岡)が創設された際に、宮崎から現在地に移転しました。
 このイチョウには、龍光寺が富岡に移って際に宮崎から移植されたという伝承もあります。
 市街地の屋根越しに各所から望むことができる大イチョウは、龍光寺を訪れる子供たちや参拝者にも親しまれています。
  富岡市教育委員会

 こんな、頑張りをくれる一文もありました


 北西側本堂前から

 北側から

 北東側から

 南東側鐘楼前から

 鐘楼です

 文化財に指定されている梵鐘です

説明版です
 群馬県指定重要文化財
   梵鐘
 この梵鐘は、口径65.1cm、総高112.1cmの規模をもち、鐘身はやや細身である。撞座は径15cmで、他に類例のない16弁の菊座である。
 無銘ではあるが、龍頭・鐘身・草の間の唐草模様・乳の配列(四行四列)等から室町期の鋳造と考えられる。このため、太平洋戦争中にこの梵鐘が金属供出の対象となった際、鋳造期が古く、すぐれたものであったので、その対象からはずされた経緯がある。このいわれが鐘身に追刻されている。
 この梵鐘とまったく同型のものが長学寺(市内小野)にも存在しており、同じく群馬県指定重要文化財となっている。
 群馬県内には、室町期の鋳造が少ないだけに、この期の梵鐘が市内に二つも存在することは、地域的な特性を示すと同時に貴重なものであるということができる。
  昭和53年5月
  富岡市教育委員会


 西側には観音堂です

 無縁墓です


 本堂西側には、群馬県指定重要文化財の板碑です

説明版です
  群馬県指定重要文化財
    板碑
  昭和26年10月5日指定
 この板碑は、供養塔の一種で、高さ139.4cm、幅45.5cmの規模で武蔵型板碑である。
 中央部の図様は、胎蔵界大日如来の真言の梵字ア・ビ・ラ・ウン・ケンを下から上に、言い換えると上からケンを一字、ウン・ラ・ビ・アを相向かいに二文字ずつ五輪塔型に組み合わせて図案化したものである。その上に瓔珞をつけた天蓋、五輪塔の下に蓮台を刻し、蓮台下に「貞治三年甲辰卯月日」と刻まれている。その左右に「逆修」「聖書」、外側には梵字で光明真言を四行刻み、左右に花瓶を付刻している。さらに周囲には三条線の区画内にア・ビ・ラ・ウン・ケンの梵字を配している。
 造立者は不明であるが、逆修の文字のあることから生前供養として建立されたものである。なお龍光寺開山の祖である「貞誉上人」が刻んであるのは追刻である。
 紀年銘は北朝年号の貞治三年(1364)であるが、薬研彫の刻法からも鎌倉時代の様式を十分に表現している。他に類例のない秀作である。
   富岡市教育委員会


 墓地の中に、富岡製糸場の工女等の墓が有ります

 案内図です、個人名も書かれています

 ぐんま絹遺産です

説明版です
 富岡市指定史跡
  富岡製糸場工女等の墓(龍光寺)
    平成16年1月9日指定
 明治5年(1872)、殖産興業政策の一環として明治政府により設立された富岡製糸場は、器機製糸技術の導入により、製糸業の近代化を図るための模範工場でもありました。
 このため、北海道から九州まで日本各地から工女が集まり、製糸技術を修得し、帰郷後は指導者として活躍した工女が数多くいました。
 模範工場の名にふさわしく、施設や勤務条件は良好でしたが、不幸にして病に倒れ、異郷の地で若い命を落とした工女も存在しました。明治6年から民営化後の明治34年も間に60人の工女たちが亡くなり、その墓が龍光寺と海源寺にあります。
 龍光寺には30基の墓石があり、同僚の工女たちが建立した例や、明治26年の民間払下げに際して、当時の所長が建立いた連名の墓石もみられます。埋葬者は工女だけではなく、製糸場の役人や、三井時代の工女たちもいあます。
 国の繁栄のために役立とうと、希望に燃えて遠い富岡の地におもむいた工女たちの姿がしのばれます。
   富岡市教育委員会

 墓地の入り口には、六地蔵様が二組並んでいます

 案内板に従って進むと

 
 工女等の墓が並んでいます

 では、次へ行きましょう
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群馬県高崎市、倉渕町川浦「浅間神社のカエデ」(市指定)です!!

2022-06-23 07:17:10 | 巨樹・大木
 倉渕町川浦地区は、高崎市役所の北西約25kmのところ

 榛名山南西側、かつての倉渕村(2006年1月23日に高崎市に合併)です

 烏川右岸に沿って国道406号線を進みます

 室田地区で烏川を渡るとここからは烏川の左岸に沿って進みます

 湯殿山トンネルを貫けると間もなく倉渕町です、道の駅くらぶち小栗の里を過ぎて

 小栗上野介の墓のある東善寺のところを左へ、県道33号線で烏川を渡り返します

 案内板が有ります、右へ


 分かりずらいですが南向きに鎮座する浅間神社入り口です

駐車スペースは少し先の道路右側です

 すぐ先に見えるカエデが目的のカエデです

 東側から、新緑が綺麗ですんね~

 天然記念物標柱です

説明版です
  高崎市指定天然記念物
    浅間神社の大カエデ
  指定 昭和57年4月1日
  所在地 高崎市倉渕町川浦字富士山丙3083
 目通り3.1m、高さ10
 樹齢は境内にある杉の大木が370~80年くらいのものが多いので、当時に植えられたものとすれば、少なくとも350年はたっていると思われる。
 大カエデは由緒ある浅間神社の境内の入り口にあり。地上130cmのところで三枝に分かれ、バランスよく枝を広げている。古木の持つ自然に備わった風格より見ても、この種のもの(山モミジ)としては、まれに見る名木である。
  根元まわり  3.2m
  枝はり 東西 9.5m
      南北12.1m
  平成8年3月
     高崎市教育委員会

境内入り口から

境内北西側から

ここから参道でしょうか

境内の石碑です、浅間神社境内地無償提供記念碑ですが苔で読めませんね~


社號碑には、村社 浅間神社です


説明版です
 宗教法人 浅間神社 由来
1、祭神 
 木花開耶姫命・磐長姫命
1、境内祭神
  諏訪社・白山社・東照宮・北野社・稲荷社・八幡宮・琴平宮・大山祇社・菊紋碑・日月祭神
1、社殿 
 住昔は宏社な社殿なりしが明治15年12月祝 の災に罹り翌年仮宮を再建し奉り大正5年4月拝殿を改築し奉る境内は18800㎡の広哀を極む。
1.本社縁起
 当社は今を過ぎる460年前大永年間川浦桑元の富士山山頂に浅間宮を奉祀し給いしが老若女童の参詣に難儀のため現在に浄池をえらび元和10年奥の宮を鎮座し寛永7年(353年前)社殿を建立し遷宮奉り川浦岩水の氏子並に信者の鎮守として尊崇せらる。
1、本社祭典
 1月1日(交通安全初詣)、4月3日 春祭、7月農休み日 みそぎ祭、11月23日 秋祭、
    祭主宮司 竹林文彦

赤い一の鳥居と石造りの二の鳥居と続きます

参道右手のスギの大木です、実測はしていませんが目通り約4m程です

石段の先に社殿が見えて来ました

拝殿です


本殿です


境内西側の石碑は昭和54年7月の御屋根替等記念碑です

屋根のかかった場所は何なのでしょうか、井戸のようですが・・・右の柱の文字は「沼河毘」のようです

では、次へ行きましょう

*神社回りを掃き掃除されている方がいらっしゃいましたので、お話を伺いました、ほぼ毎日されているそうです、境内が綺麗に保たれているのは、こういった方々(氏子とは限りません)の努力が有るようです
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群馬県東吾妻町、五町田「平五良観音の大杉」(町指定)です!!

2022-06-17 06:33:26 | 巨樹・大木
 五町田地区は、東吾妻町役場の東南東約8kmのところ

 国道145号線沿の町役場から南へJR吾妻線ぐんまはらまち駅南側の県道28号高崎東吾妻線を東へ

 「原町の大ケヤキ」の立つ槻木信号を右斜めへ県道35号渋川東吾妻線を東に吾妻川右岸へ渡って道なりに渋川方面へ進みます

 東吾妻村東支所のすぐ先、奥田信号を右(南)へ榛名山北麓へ登って行きます

 信号から約2km登って来ました、道路の左手に高い杉が目に入って来ます

 道路脇に車を止めさせて頂きました


 西側道路から見上げました


 観音堂の広場への入り口です

 南側から見ました

 観音堂です

 境内には石仏や石塔が並んでいます

 観音堂前(南東側)から

天然記念物標柱です

 東村名木十選の標柱です、こちらの名前表示は「平五郎観音のスギ」となっています
 *吾妻郡東村は、2006年3月27日吾妻町と合併して東吾妻町となりました


 南西側から

 北西側から

説明版です
  平五良観音の大杉
 (町天然記念物 昭和48年3月23日指定)
 観音堂の庭にひときわ高くそびえる巨木で、東地区の名木十選の一つでもある。
 この杉は目通り約5m、高さ約30mを計り樹齢400年と言われ、町内の杉の中でもその大きさ、美しさからひときわ目立つ樹木であるといえる。
 以前の大杉はその根元から二本に分かれ仲良く夫婦杉の様相を呈していたが、大正時代の落雷により一本の杉の根元が痛み、傾きかけて近隣の民家に危害が及ぶおそれがあったことから、残念ながらその一本は伐採されたという。
 残った一本は樹勢も盛んで枝振りも良く、現在も落雷の痕を少しずつ表皮がおおって成長している。

では、次へ行きましょう
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