ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

静岡県富士宮市、村山「村山浅間神社」です!!

2021-01-31 07:03:00 | 文化財・寺社
村山地区は、富士山の南西面中腹に当たる広い地域です

富士宮市役所の北東約5km程の山の中に村山浅間神社が鎮座します

県道158号から県道397号線そして国道469号線をたどって来ました

MJスポーツパークの所で案内板に従って北へ入ると


駐車場が有ります、南東側の駐車場を利用しました


参道石段です

「富士 根本宮 村山浅間神社」です

古い石柱です「縣社 浅間神社」となっています

世界遺産の説明版です
 世界遺産 富士山
信仰の対象と芸術の源泉
 ”信仰の対象と芸術の源泉”は、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」の世界遺産一覧表に登録されています。
 2013年6月26日登録
 人々は噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として恐れ敬うとともに、美しく雄大な富士山を詩歌や絵画に描いてきました。
 このような「信仰の対象」と「芸術の源泉」としての文化的価値をもつ富士山は、全人類共通の保護すべき宝として、2013年6月26日、世界遺産に登録されました。
 世界遺産として登録された範囲は、山そのものだけではなく、信仰や芸術に関する山麓の神社や湖・湧水地・滝・松原など25ヶ所です。
4/25 村山浅間神社
 富士山における修験道の中心地として19世紀後半までは興法寺(こうほうじ)と呼ばれていました。富士山本宮浅間大社とともに大宮・村山口登山道の起点となりました。古代から近代(現代)に至る山岳信仰のあり方を考える上で重要なことから、八合目以上の山頂部、登山道等とともに史跡に指定されています。

元村山地区の案内板です、南側に国道469号富士南麓道路、神社のすぐ西側が富士登山道村山道です

参道石段を上がります、下の段に手水舎です

境内東側の水垢離場です

説明版です
  水垢離場
 道者(富士登拝者)は、富士登拝の際興法寺(村山)で水垢離をとり、身を清めた。この様子は、室町時代の登山の様子を描いたとされる「絹本著色富士曼荼羅図」に見ることができる。
 この水垢離場へは、社叢裏手の沢に湧く竜頭池から水を引いていたと考えられている。
 石垣の上段中央には、山伏修行のときの主尊とされる不動明王が祀られている。


護摩壇です

説明版です
 護摩は山伏(修験者)の重要な修行の一つであり、ここでは、村山の法印(山伏)が富士山中での修業に入る時や終わった時などに護摩を焚いた。
 現在の護摩壇は、安政4年(1857)に「大棟梁権現社」拝殿跡の上に、法印や村山周辺の信者によって造られたと考えられる。正面には不動明王像が祀られている。
 明治初年に興法寺は廃寺となったが、村山では昭和18年ころまで法印が活動していた。現在では、毎年7月の富士山開山祭と9月の閉山祭の際に護摩壇で護摩がたかれている。

境内東端の宝篋印塔と石仏です

上の境内東側のお堂です

このお堂が興法寺ですね


参道正面に戻って石段を上がりましょう


狛犬です

拝殿です


本殿です

本殿東側には氏神社の参道です

石段を上ると氏神社です

説明版です
  氏神社
 村山修験の開祖「富士上人末代」は、「役ノ行者」修法を継ぎ幾百回の登頂を成し、頂上に大日寺を建て、山岳仏教の基礎を固め、自ら「大棟梁権現」と号し、村山の地にて即身仏となって当山の守護神となった。
 当社はその霊を祭り、氏神社として氏子の信仰厚く、高峰総鎮守と称する。


西側の道路に富士山表口真面之図が有りました、国道1号線吉原から村山浅間神社の道と富士山本宮浅間神社からの道は6合目で一緒になって頂上へ至ります。

では、次は境内の保存樹林と県指定天然記念物の大スギとイチョウ等を見て行きましょう
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静岡県富士宮市、星山「倭文(しどり)神社のスギ」です!!

2021-01-30 06:37:37 | 巨樹・大木
星山地区は、富士宮市役所の南南西約3kmのところ

県道76号富士富士宮由比線を南へ田子の浦港へそそぐ潤井川を渡った先の信号を左へ

潤井川から富士川への分水路である星川放水路沿いを南へ進みます

約2kmで右手の山の斜面に倭文神社が鎮座します

大悟庵墓地の駐車場を利用させて頂きました


大悟庵への参道です

大悟庵境内にはクスノキの大木です


すぐ左側に倭文神社の参道石段です

境内に上がりました、左手に目的のスギが見えています

手水舎です

社殿です

社殿の裏側(西側)一段高くに玉垣です、サカキが植えられています、本殿が在るべき位置ですので、本殿の無い古い形式なのでしょうか



説明版です
  倭文(しどり)神社の由緒
 当神社は延喜式神名帳にある式内社で、又富士郡三座の一つでもあり、日本最古唯一の織物、製紙の神である健羽雷神を奉斎する神社である。
 旧社格は村社であったが、昭和35年10月1日山神社、熊王山神社、第六天神社の三社を合併し宗教法人十三級神社として認証された。
 古代高天原時代、当地に星神として君臨していた香々背男が、貫戸、岩本附近の神々を糾合して、中央政府に反乱を企てたので経津主神と武甕槌命は健羽雷神を遺して之を討滅せしめた。
 以後、健羽雷神は、星山に永住し、織物製紙の業を興したので諸神の崇敬を集め当神社に祀られた。
 元来当地方には、藤、三椏(ミツマタ)、楮(コウゾ)等が山野に自生して居り加えて、清冽なる湧水も豊富であったので、かかる産業が必然的に発達する素地があったと解される。今日富士地方は世界的に有名な紙の産地として知られているが、その起源は茲に在るとされている。

御神木のスギです

案内板が有ります
保存樹 樹種 スギ(すぎ科)
保存指定の概要
 目通りの幹周が5.9mと市内有数の巨木で、倭文神社の御神木として古来から大切に守られてきた。
保存指定番号 第32号
保存指定年月日 平成12年3月27日
所在地 富士宮市星山1番地

*説明版の通り、住所も星山の始まりの地なのですね


北東側から

北側から

西側から

境内に戻って、大悟庵本堂です

境内のクスノキの大木を西側から見ました、サザンカが綺麗に咲いていました

駐車場からすっきりとした富士山が見えました
では、次へ行きましょう
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静岡県富士市、今泉「十王子神社のイチョウとクスノキ」(市指定)です!!

2021-01-29 06:22:14 | 巨樹・大木
今泉地区は、富士市役所の東北東約3kmのところ

県道24号線を北へ上和田信号を東へ進むと吉原第二中学校の東に十王子神社が鎮座します

神社の周りには車を止める所が無かったので、手前のコンビニの駐車場に車を止めさせて頂きました

参道入口の鳥居です

「今泉一之宮 十王子神社」です

前の道路の南側道路脇に一本目の目的の樹木です、西側から参道入口のイチョウを見ました

南西側から

北側から

天然記念物標柱です

案内板です
  富士市指定天然記念物
十王子神社のイチョウ・クス
 (指定 昭和45年12月21日)
イチョウ 樹高 25m、目通り6.02m
〈案内〉相当の老木、樹勢は良好で、枝もよく茂る
クス   樹高 30m、目通り5,45m
〈案内〉社殿北側にあり、樹齢は若く樹勢旺盛、幹は高くまで真直
昭和57年7月1日富士市教育委員会

東側から

信号を渡って十王子神社へお参りに行きましょう

池の真中の赤い橋を渡ります

手水舎です

拝殿です

本殿です


本殿西側から第二目的のクスノキです

市指定天然記念物十王子神社のクスの標柱です

南東側から

東側から

境内社です

では、次へ行きましょう
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静岡県富士市、神谷「神谷神明宮のムクノキ2本」(市指定)です!!

2021-01-28 06:35:48 | 巨樹・大木
神谷地区は、富士市役所の東約6kmのところ

県道22号線根方街道を東へ進むと、須津川の須津橋を越えて、岳南電車かみや駅入口の手前から細い道を北へ入ると、南向きに神明宮が鎮座します

実際は、手前の道路が狭すぎて通れないので、東名高速沿いの側道を回って来ました

神谷神明宮の南側の神谷公会堂の駐車場に車を止めさせて頂きました



参道入口鳥居です

案内板が有ります、富士市の保存樹木第55号指定ムクノキ2本です

手水鉢です

参道右側のムクノキです

拝殿です

本殿覆屋です

境内社が並びます

本殿左後ろのムクノキです、現在はこちらのムクノキが一番大きなものです(数年前までは、本殿後ろにもっと太いムクノキが在ったそうです)

東側から

南西側から

西側から

では、次へ行きましょう
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静岡県沼津市、岡宮「岡宮浅間神社のクスノキ」(県指定)です!!

2021-01-27 06:27:10 | 巨樹・大木
岡宮地区は、沼津市役所の北約3kmのところ

国道1号線の沼津バイパス宮前信号を北へ入った東海道新幹線の高架の先右に岡宮浅間神社が南向参道で鎮座します

少し戻って、新幹線の高架の南側に宮前公園が在ります、宮前公園からの参道東側に駐車場が有ります

参道は南側の公園から始まります

宮前公園です

岡宮浅間神社です、直ぐ先を東海道新幹線の高架が在ります

高架を潜りましょう、境内の真中を線路が通ってます

石段を登ると鳥居です

手水舎です

拝殿です

本殿です

由来碑です





拝殿の東側に目的のクスノキです


西側から

「静岡県指定天然記念物 間宮浅間神社の大クスノ木」の標石です

説明版です
 静岡県指定天然記念物
   間宮浅間神社のクス
指定 昭和44年5月30日
 このクスノキは、この近辺には珍しい巨木で樹齢は千数百年と推定されています。樹勢は旺盛で樹姿も立派です。
 クスノキは本州の関東以西、四国、九州、台湾、中国に分布する常緑高木で、樟脳(防虫剤等)の取れる木として知られています。
開花期  5月~ 6月
熟果期 10月~11月
目通り    8.0m
根まわり  14.1m
高さ 21.0m
枝ぶり  東20.6m
     西12.3m
     南10.4m
     北15.0m
平成6年2月
 静岡県教育委員会
 沼津市教育委員会


 
北側から

東側から

南東側から

参道東側には石が祀られています

では、次へ行きましょう
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静岡県伊豆市、湯ヶ島「天城の太郎杉」(県指定)です!!

2021-01-26 06:19:35 | 巨樹・大木
湯ヶ島は伊豆市役所の南約10kmの湯ヶ島温泉から天城峠までの広い地域です

「天城の太郎杉」が在るのは、伊豆市役所の南南西約15kmの林道の奥です

国道138号線を南へ、青羽根地区の出口信号で国道414号線を南へ天城峠を目指します

湯ヶ島温泉口、浄蓮の滝入口を過ぎ、道の駅天城越えを過ぎて清沢渓谷への林道(国道から西)に入ります


国道から林道への入り口です

踊子歩道です、浄蓮の滝から3.1km、旧天城トンネンルまで4.9km



林道入り口に踊子歩道説明版です
 踊子歩道は、小説「伊豆の踊子」の舞台となった天城路を歩く、「浄蓮の滝」(伊豆市湯ヶ島)から「湯ヶ野」(河津町)までの約18.5kmのコースです。
 東海道三島宿から下田へと続く古くからの伊豆の主要道であった下田街道をたどることができます。今でも小説に描かれた当時を偲ぶ道標や天城隧道(旧天城トンネル)や宗太郎杉並木などの見どころがそのまま残っており、四季折々の自然、温泉、歴史文化を楽しめます。
 踊子歩道は整備された歩道ですが、距離が長いので自分の体力に合った無理のない計画をたてたうえでお楽しみ下さい。

林道を下って滑沢渓谷の本谷を橋で渡ると太郎杉歩道説明版です
  富士箱根伊豆国立公園
   太郎杉歩道
 本コースは踊子歩道から滑沢渓谷を経て太郎杉を結ぶ、約1.3m・所要時間約30分の歩道です。
 滑沢渓谷は安山岩の一枚岩でできており、渓流がまるで白布のごとく流れる様子は、まさに自然が創りだした芸術と言えるでしょう。
 ことに紅葉の頃となれば一層の渓谷美を見せます。
*太郎杉歩道は、車道の林道とかなりの部分が重なっています、車で向かいましょう、最初林道は砂利道ですが本谷を渡るとしばらく舗装道路が続きます


滑床渓谷です

沢伝いに太郎杉まで行けますが、車で行きます

説明版です


砂利道になります、あと800mですね


あと500mです  

道なりにい案内板に従って進みます林道の終点(ここから先は通行止めになっていました)に車を止めてると

右側の山の斜面が南東側に開けて、目的の「天城の太郎杉」が見えています

かなり傷んだ「天然記念物 天城の太郎杉」の標柱です

説明版です
  太郎杉 〈天然記念物〉
 天城山中で一番大きな杉の木で、県の天然記念物に指定されています。
 推定樹齢400年の巨大な雄姿は、「太郎」の名にふさわしく、樹高48m、根周り13.6m、目通り幹周り9.6m。
 多年の風雪に耐え、今なお樹勢は旺盛で、まれに見る巨木です。
!夏はマムシと蜂に気を付けよう・・・だそうですので注意ください


階段を登って来ました、根の周りは広い範囲に高いフェンスが張られています


左側にフェンス際を登って来ました、南側から

更に登って南南西側から

南西側から

西側から、目通り幹囲9.6mをもう少し近くで見たいものですが・・・

北西側に回って来ました

北側から見ました、一回りして来ましたので戻りましょう

では、次へ行きましょう
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静岡県伊豆市、湯ヶ島「天城神社のシイノキ」(市指定)です!!

2021-01-25 07:11:00 | 巨樹・大木
湯ヶ島は伊豆市役所の南約10kmの湯ヶ島温泉から天城峠までの広い地域です

国道138号線を南へ、青羽根地区の出口信号で国道414号線を南へ天城峠方面へ

湯ヶ島宿信号を東に入ります、まもなく南に向かうと伊豆市湯ヶ島支所の前を通り

間も無く左に入ると北西向の参道で天城神社が鎮座します

参道入口にある隣の弘道寺の駐車場を利用させて頂きました


北西向の参道入口です、鳥居の先の樹冠が目的のシイノキのようです

参道右手の忠魂碑の後ろにシイノキの巨木です

回り込んで太い幹を見ました

東側から見上げました



説明版です
  市指定文化財(天然記念物)平成2年9月28日指定
   お宮の椎の木
目通り7.67m、樹高18.0m、推定樹齢800年
 天城神社周辺の椎の群落のうち最大の木。
 ブナ科シイノキ属のシイは、日本列島の中部以南の暖地に産する常緑高木。椎の木は元禄(1688~1703)のころ、湯ヶ島ではじめて椎茸の人工栽培が発明されて以降は、その栽培の原木としても使用されていた。
 このお宮の椎の木は平成2年神社庁より御神木として指定を受けた。
   伊豆市教育委員会

西側の道路から見上げました

南西側から

南側から

では天城神社のお参りしましょう


手水舎です

変わった造形をみせる狛犬です



社殿です

拝殿前からシイノキを見ました

では、次へ行きましょう
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静岡県伊豆の国市、三福「熊野神社のクスノキ」(市指定)です!!

2021-01-24 09:00:59 | 巨樹・大木
三福地区は、伊豆の国市役所の南東約3.5kmのところ

県道19号伊東大仁線の広瀬神社参道入口から南へ進みます

道路左手に旭化成ファーマ大仁地区の大きな工場が有ります、工場の先二つ目の交差点を左(東)へ入ります

坂道を登り切った先の住宅地の中に参道を南向きに熊野神社が鎮座します

少し先の道路脇に車を止めさせて頂きました


参道の入口鳥居です

村社 熊野神社です

境内に入って参道左側のクスノキの大木です

説明版です
 伊豆の国市指定文化財
   熊野神社の杜(森)
 脇田家文書の中に、嘉吉3年(1443)銘の熊野神社棟札の写しが残されており、室町時代すでに神社が存在していた事が分かる。祭神は、熊野速玉神、熊野夫須美神二神であるといわれる。
 山の神・姥の神を合祀し、天神・春日・御嶽・稲荷・白山・琴平・第六天・那智山を合祀している。明治6年(1873)村社となっている。
 例大祭は、毎年10月の第二日曜日に行われ、伊豆の国市指定無形文化財の種蒔三番叟が奉納される。
 狭い境内ながら、植生は比較的よくまとまっており、クスノキ・マキノキ・ムクノキ・ナギノキなどの高木が見られる。とりわけ、本殿真裏にそびえる「大楠」は、樹高が36m以上もあり、当地方の代表的な樹木である。
  伊豆の国市教育委員会


参道右手のクスノキの大木です

手水舎です

ニノ鳥居です

参道右手鳥居先のクスノキの大木です

もう一本先にもクスノキの大木です

北側から

拝殿前から見ました

狛犬です

御神馬像が熊野神社にもあります

拝殿前から参道を見ました

拝殿です

本殿です




本殿裏側に目的の「大楠」です

北北東側から、説明版に有った樹高36mのクスノキです、目通り幹囲は9.5mの巨木です

北北西側から見上げました

祠が並びっます、後ろに旭化成の工場が見えています

境内社です

神楽殿です

熊野神社の大きな石碑です

では、次へ行きましょう
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静岡県伊豆の国市、田京「広瀬神社のクスノキ」(市指定)です!!

2021-01-23 06:31:00 | 巨樹・大木
田京地区は、伊豆の国市役所の南東約3kmのところ

国道136号線から国道414号線へ変わる深沢川北詰を東へ県道19号伊東大仁線です

次の信号の北側に広瀬神社の一ノ鳥居が在ります

信号手前に大仁体育館です、向かい側に参道入口が有ります、脇の駐車場に車を止めさせて頂きました


参道入り口鳥居です

縣社 広瀬神社です

狛犬です


参道が鈎の手に曲がっています、大きな石が並んでいます

説明版です
 伊豆の国市が実施した市道の改良工事により、旧下田街道(明治期以降)に敷設されていた切石(縦横約1尺、長さ5尺)が採取されました。
 上図の中央に見える神社境内への水路を渡る橋として設置されていたものです。
 明治25年の時点では、敷並べただけのものだと思われますが、広瀬神社周辺は大正9年の水害で、大きな被害を受けたとされておりますので、それ以後設置されたものはモルタルで固められておりました。
 明治期の神社前の道路は、神社境内とほぼ同じ高さでありましたが、その後、約2m程盛土された折、水路と切石はそのまま地中に埋められておりました。
 今回の工事で水路の改修が行なわれ、箱型水路を敷設する際に、発見されました。
 広瀬神社の同工事に伴う改修(鳥居・参道)時に、一ノ鳥居の法面下、参道の脇、裏鳥居の階段等に再設置致しました。
  平成19年11月 記
伊豆の国市三福 土屋建設(株)

参道を進みます

参道右手のクスノキです、二ノ鳥居が見えて来ました

ニノ鳥居です

御神馬像です

手水舎です

拝殿です

*本殿の写真が保存されていませんでした

拝殿の西側にソテツの大木です

更に北西側には立派な土俵です

目的のクスノキの御神木です

説明版です
  御神木
   大楠と御田植神事
推定樹齢 2500年
神事 7月15日
 広瀬神社では、古くから御田植の神事(御田植祭り)が行なわれている。
 かつては、氏子一同が太鼓を打ち鳴らしながら、神田尻にある神饌田から早苗を採って来たが現在では当番町の人々により用意される。
 この早苗を一の枝に打ち上げて、より多く枝に掛かった年は豊穣であるといわれる。
*玉垣に保護されて生き続けています、実際に計測することはむりですが、目通り幹囲5.8mの巨木だそうです

説明版です
  伊豆の国市指定文化財
   広瀬神社の杜(森)
 延喜式内社であり、神階帳従一位広瀬の明神という。祭神は、溝樴姫命(みぞくいひめのみこと)外二神。見目神社、龍爪神社、など八社を合祀、祖霊社を祀っている。田方一の大社である。
 社伝によれば、三島大社はその昔下田の白浜からこの地に移り、後に三島に遷祀したという。
 天正18年(1591)豊臣秀吉による韮山城(北条氏)攻めの際兵火に遭い社殿ことごとく焼失している。慶長元年(1596)に再建、江戸時代には深沢明神として崇敬された。明治28年(1895)より広瀬と称える。
 例大祭は、毎年11月3日に行われ、大仁町指定無形文化財の式三番が奉納される。
 境内には、クスノキ・ムクノキ・ケヤキ・カヤノキ・マキノキ・スギなど多くの樹木がある。また、海浜性のヒメユズリハ・モクレイシ・トベラなど注目すべきものである。
   伊豆の国市教育委員会
*2005年(平成17年)伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併し伊豆の国市となりました。


南西側から見ました、幹は大部分が無くなってしまって東西に分離して皮だけの様になっています

本殿北側の祖霊社です

裏参道脇のクスノキです

南側から見ました

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静岡県函南町、大竹「春日神社のクス」(県指定)です!!

2021-01-22 06:29:07 | 巨樹・大木
大竹地区は、函南町役場の北東約4kmのところ、JR東海道線かんなみ駅のすぐ西側になります

町役場から県道141号線を進み、東海道線の高架が見えた信号を右(東)へ行くとかんなみ駅前ですが、真直ぐに進み東海道の高架を潜って更に進みます

東海道新幹線の高架が見えます、潜った直ぐ左側に春日神社が鎮座します、参道脇に目的のクスノキが在ります

東海道新幹線の高架が見えて来ました、効果の向こう側にクスノキの樹冠が見えます

少し先の道路脇に車を止めさせて頂きました


目的のクスノキを新幹線の高架脇から見上げました



南東側から

説明版です
  静岡県指定天然記念物
    春日神社のクス
昭和29年1月30日指定
 春日神社のクスの樹勢は極めて良く、5月の新芽が伸びる頃が最も美しい。
 クスは正しくはクスノキ、関東地方南部以西に自生する常緑高木。
 かっては樟脳(防虫剤等)製造の原料として、造林も各地で行なわれていたが、開発や生活様式の変化により減少し、現在では神社や寺に残るものが目立つ。
1、樹高 17.5m。(以前は20m以上あったが火災や新幹線の工事で枝払いされて)
1、目通幹囲 9.4m
1、根元周囲11.33m
1、枝張り 東西27.0m、南北20.5m
1、推定樹齢 850年
  静岡県教育委員会
  函南町教育委員会




東側から、太い幹に注連縄が巻かれています

春日神社参道です

拝殿です

本殿です

拝殿西側の建物は境内社でしょうか

西側の山の斜面には祠が並んでいます


説明版です
  春日神社
所在 函南町大竹字利谷戸38
ご祭神 建御雷命・経津主命・天津児屋根命
    相殿 大日霊命
ご神体 境外社
祭日 例祭2月1日
氏子 約200戸
創建 弘化2・夏大風・之大・・社・・・慶応3丁卯再建
創建者 田中・太郎、栗田幸右衛門、田中良右エ門
境内・祀 八坂神社・山神社・八幡神社・安房神社
秘宝 ご神木大樟・県指定天然記念物
社地 180坪
  函南町文化財を守る会

*薄くなって一部読めなくなっていました


境内からクスノキを見ました




境内から降りた北東側道路から

東海道新幹線がゴーッと通り過ぎて行きました

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静岡県函南町、間宮「間宮天神社のクスノキ」です!!

2021-01-21 06:46:00 | 巨樹・大木
間宮地区は、函南町役場の西約1kmのところ

伊豆箱根鉄道だいば駅の南側県道141号線を渡った南側住宅地の中に若葉保育園が有ります

保育園の北側に天神社が南向きに鎮座します、小さな社殿の北側にクスノキの巨木が立っています

天神社境内は保育園の園庭のようになっています

天神社ということは、天神様(菅原道真)を祀っているようです

境内西側の道路脇に車を止めさせて頂きました



境内入口です

社殿の後(北側)に目的のクスノキが見えます

社殿の右側(南南東側)から見ました

東側から、目通り幹囲6.6mの巨木です


北側から

西側から見ました

北側には境内社でしょうか

では、次へ行きましょう
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静岡県清水町、長沢「智方神社のクスノキ」(町指定)です!!弑弑

2021-01-20 06:46:00 | 巨樹・大木
 長沢地区は、清水町役場の北西約1kmのところ

 国道1号線の八幡東信号を西へ県道145号線です

 黄瀬川の黄瀬橋の手前右側に参道を南向きに智方神社が鎮座します

 境内に車を止める事が出来ました

参道入口です、両側にイチョウの木が立っています

智方神社です


由緒書きです
  智方神社の由来
昭和35年4月5日神社本庁統理承認
昭和35年4月20日静岡県知事承認
 建武2年7月23日御良親王弑せらし時、御側に待りし宮人南の方(藤原保藤の女)宮の御首を櫃に納め御他界の状況を中央(南朝)に報ぜんがため従者を伴い、足柄道を追手の目を避けて此の地(駿東郡清水町長沢当時は伊豆の国)黄瀬川の渡しに到着せり時に8月1日(八朔)黄瀬   困難なりしかば暫時河岸に休息なされ御櫃     長  中 運び奉る事の困難なる状を拝しやむなく河岸近く古びたる小祠の辺に地を求め宮の御首級を葬り楠の一樹を植え以て墓印となす。時に北条時行は家令畠山国清の手兵併せ五千の兵を挙げ南朝に属せし延元2年まで伊豆の藩主たりし間に御首級墳を石祠となし更に神社となし現在に至る。
 当時足利氏の詮索を避けんがため態と御祭神の名を秘し神前下馬の礼を諷示するため白馬の伝説を後世に伝えしものなり、白馬の伝説を


手水舎です

参道を進みましょう
.
狛犬です


拝殿です

本殿覆い屋です


社殿の東側境内端近くに目的のクスノキです


南側から


西側から

説明版です
  クスノキ
(清水町指定文化財指定番号18)
区分=名勝・天然記念物
 清水町で最も大きい樹木です。目通り7m、樹高28m、根回り18.8mあります。
 足利方に敗れた後醍醐天皇の皇子護良親王は、建武2年(1335)、鎌倉の土牢に幽閉されて殺されました。
 お側に使えていた南の方は、密かにその御首を持ち帰る途中黄瀬川の洪水に遭いやむなくこの地に葬りました。その目印にクスノキを植え、白馬伝説をつけたと伝えられています。
 また有名な小説家井上靖は沼津中学校への通学時にこの樹の下で休憩したともいわれています。
  平成16年8月 
  清水町教育委員会

本殿脇から(北西側)から見ました

護良親王御陵です

境内社です

本殿西側のクスノキです

本殿裏側から


本殿裏側に祠が並びます

末社の名前が分かります

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静岡県長泉町、下土狩「願掛八幡宮のクスノキ」です!!

2021-01-19 06:46:00 | 巨樹・大木
 下土狩地区は、長泉町役場(中戸狩)のすぐ南の地区です

 と言うよりも、JR東海道本線みしま駅のすぐ北西側といった方が分かりやすいかもしれません

 願掛八幡宮は、JR御殿場線しもとがり駅前から東に伸びる「大いちょう通り」沿い南側に南向きに鎮座します

 「下戸狩の大イチョウ」のすぐ東側になります

 願掛八幡神社の南西側入口前に車を止めさせて頂きました


願掛八幡宮です

南側の境内入口です

こちらには村社八幡神社とあります

手水舎です

神社沿革の石碑です
   沿革
祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)
由緒 創建年代はさだかではないが、長泉条里の起点にあるところから、このころの成立ではなかろうか。ちなみにこの条里を建設管理したと思われる伊豆の国造家や、官人を葬る戸狩五百塚が近くに多数見受けられる。
 この神は、灌漑や開拓をつかさどり、現代まで続く農耕技術生みの親でもある。
 建武元年、足利尊氏が戸狩郷の内、田、三町、畑、一町を三島大社に寄進しており、この地が古代より神饌を供えていたことがわかる。
 明治8年2月18日、国の制度として村社に、昭和10年10月1日、長泉町の幣帛共進社になり、下土狩の産土神として近郷近在の尊崇が厚い。
例祭 10月1日であったが、昭和中期に9月23日(彼岸中日)となった、県東部の素人力士が集まり、熱戦を展開した。
 近年は、下土狩各区代表96人の子供たちによる奉納相撲が行なわれている。
信仰 町の近代化にともない、源氏の氏神であることから心願成就のため願を掛ける者が多く、平成2年願掛八幡宮と称されるようになった。
氏子区域 下土狩区内15区(祭典当番順)
 鮎壺、駅上、駅中、駅下、新屋町上、新屋町中、新屋町下、西、原、東、三軒家、薄原上、薄原下、原分、杉原
平成14 壬 午 年2月吉日
  文 宮司 勝又清

*願掛八幡宮と呼ばれ始めてまだ30年程なのですね

拝殿です

本殿は覆屋の中です

拝殿手前参道左のクスノキです

東側から見ました

幹にプレートが有ります
 樟 クスノキ科
クスノキ 暖地に自生する常緑高木。葉をもむと独特の香りがある。新芽が開いてから前年の葉は落ちる。若葉が美しい。
 ふるさとの大きな木 長泉町教育委員会

拝殿東側に立派な土俵です、説明書きの通り子供相撲が行なわれているようです


拝殿西側のクスノキです

西側から


本殿西側のクスノキは合体木の様です

南西側から見ました、目通り幹囲6.7mのクスノキはこちらの合体木の様です

境内には、以上3本の注連縄のまかれたクスノキが在ります、拝殿西のクスノキが一本のクスノキとしては一番太いようです

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静岡県長泉町、下土狩「下土狩のイチョウ」(県指定)です!!

2021-01-18 06:26:41 | 巨樹・大木
 下土狩地区は、長泉町役場(中戸狩)のすぐ南の地区です

 と言うよりも、JR東海道本線みしま駅のすぐ北西側といった方が分かりやすいかもしれません

 また、「下土狩のイチョウ」は、JR御殿場線しもとがり駅前から東に伸びる「大いちょう通り」沿い南側といった方が分かりやすいでしょう

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

下土狩のイチョウです、まだ日昇る前なので暗くなっています


道路を渡って西側から

北側から見上げました

説明版です
  昭和11年10月遣指定
  静岡県指定天然記念物
   下土狩のイチョウ
 このイチョウは、「下土狩の大イチョウ」又、「公孫樹」とも呼ばれて親しまれている。根回りは11m、樹高33
mあまりに及ぶ、樹齢ははっきりしないが、根元から孫が出ているところから二千年を経ているだろうといわれている。
 根元の神社を子安神社といい、産婦が乳が出るように願いをかけ、又、乳房の形を型取ったものを奉納する婦人参詣者が多かったと言うが、ミルクが出回るようになってからは、そんな姿も見られなくなった。
 所有者 渡辺正昭
 静岡県教育委員会
 長泉町教育委員会

注意書きがありますので、くれぐれも注意ください

北西側から

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神奈川県小田原市、早川「紀伊神社のクスノキ」(市指定)です!!

2021-01-17 06:39:20 | 巨樹・大木
 早川地区は、小田原市役所の南西約4kmのところ

 早川のビランジュの在る一夜城の尾根の海側(南側)紀伊神社が鎮座します

 国道135号線を南へ、JR東海道本線はやかわ駅前を過ぎて、国道の二車線が上下線に分かれる手前を戻るように北側の道へ入ると神社参道前に出ます

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

参道入口です

鳥居です

参道脇の住宅前に水盤です

東海道線が通っています

線路の下を潜って石段を上がります

参道右手に鐘楼が有ります側の正蔵寺の物なのでしょうか・・・

境内社です

岩を模ったこれも水盤(手水)だったようです



拝殿です

本殿覆い屋です

神楽殿の様です

説明版です
   紀伊神社
 早川の氏神さまで往古は木宮大権現、のちに紀伊宮大権現と称され、土地の人から「木の宮さん」と呼ばれた。箱根物産木工業の人たちに昔から崇拝されてきた神社である。
 神社縁起によれば、貞観年中(859~876)の創建で、祭神は五十猛命と惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)とか奉祀されている。
 木地挽(轆轤師:ろくろし)の開発者といわれる惟喬親王は定安2年(858)京の都を追われて伊豆(河津)に流罪となったが、途中風にあい国府津海岸につき早川の庄に至りこの地で歿したといわれ、当時親王の付人が木地を挽いて、朝夕の料に当てたといあれている。
 また、この地には「木地挽」と言う字名が現存するが、この字名はその名残りであろう言う。
 なお、紀伊神社の社宝である「木地椀」は、小田原市の重要文化財に、社叢は天然記念物にそれぞれ指定されており、中でも社殿前のクスノキは市内で最大の老木である。

境内西側に目的のクスノキです

北東側から

西側から


境内社です


境内から海を見る事が出来ました

鳥居のそばに水準点が有りました

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