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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県阿智村、駒場「安布知神社の大杉とサカキ・ヒイラギ(村指定)」です!!

2020-09-30 06:26:58 | 巨樹・大木
*安布知神社について紹介させて頂きました、続いて大杉とサカキとヒイラギ(村指定天然記念物)を紹介していきます


駒場地区は、阿智村役場の地区です

国道153号線駒場東一つ飯田市よりの変則交差点を北西側に入ると、南東向きの参道で安布知神社が鎮座します

鳥居脇から参道沿いの車道を進んで境内手水舎そばの駐車スペースを利用させて頂きました



参道入口です

郷社安布知神社です


手水舎です

石段を上がります、拝殿が見えています

石段上部右側に目的のスギが見えて来ます

根元から見上げました

境内に上がって来ました、拝殿前から


拝殿脇からスギを見ました

境内のサカキです


サカキ説明版です
阿智村天然記念物 安布知神社のさかき
  駒場 木戸脇 所在
  昭和43年9月1日 指定
 このサカキは村内最大であり、村天然記念物に指定されています。推定樹齢150年とされています。
 サカキ(榊)はモッコク科サカキ属で、一年中緑で、ソヨゴとともに祭りや神事に使われることが多い木です。
 本州関東南部以西に自生する常緑高木で、県内では木曾・下伊那南部に自生しています。花は1~3個集まって下向きに白く開き、果実は約4mの球形で黒く熟します。
【本樹の大きさ】
高さ約11m、目通りの径67cm、枝張り東西8m、南北6,6m
   阿智村教育委員会
 


標柱です

境内のヒイラギです

天然記念物標柱です

ヒイラギ説明版です
阿智村天然記念物 安布知神社のひいらぎ
  駒場 木戸脇 所在
  昭和43年9月1日 指定
 このヒイラギは、推定樹齢300年とされ、雄のヒイラギとして村内最大であり、村天然記念物に指定されています。葉に堅い鋸歯があり、樹勢は衰えていません。
 ヒイラギ(柊)は、ヒイラギ科モクセイ属、本州関東以西・九州・四国の山地に、県内では木曾・下伊那南部に自生します。花は雄花と雌花が別の木に咲き(雌雄異株)、常緑小高木で、若木の葉は先が刺になった歯牙が2~5対あり、老木になると刺がなくなります(全緑)。
 10~11月、葉の脇に白色の小花が集まって咲き、強い香りがあります。雌花は、翌年の初夏に1,2cm~1,5cmの楕円形の実が熟して、黒褐色になります。
【本樹の大きさ】
樹高約5m、根元径156cm
   阿智村教育委員会




南側から見ました

武田信玄の火葬塚が近くに在るようですが、次の機会にしましょう

では、次へ行きましょう
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長野県阿智村、駒場「安布知神社」(村指定文化財)です!!

2020-09-29 06:32:00 | 文化財・寺社
駒場地区は、阿智村役場の地区です

国道153号線駒場東一つ飯田市よりの変則交差点を北西側に入ると、南東向きの参道で安布知神社が鎮座します

鳥居脇から参道沿いの車道を進んで境内手水舎そばの駐車スペースを利用させて頂きました



参道入口です

郷社安布知神社です




説明版です
 安布知神社
祭神
 天思兼命(あめのおもいかねのみこと)
 須佐之男命(すさのおのみこと)
 誉田別尊(ほんだわけのみこと)
  由緒
 社伝によれば、人皇16代仁徳天皇56年、この地の地主神が明灯山に夜光となって現れ、山の枯木の元を掘れとのお告げにより堀ったところ、八花鏡を見いだし、この鏡を御霊代として祠を建てて祀ったのが当神社の創建といわれている。
 天思兼命は、高天原で最も知慮の優れた神として、古事記、日本書紀に記されているが、平安時代の史書「先代旧事本紀」(せんだいくじほんぎ)に、天思兼命とその子天表春命(あめのうわはるのみこと)は共に信濃国に天降り、阿智祝部(あちのはふりべ=阿智の神事を掌る神主)等の祖となったと記され、古代の伊那谷西南部一帯を開拓した天孫系の神で、昼神に鎮座する阿智神社の御祭神と同一で両社は古くより密接な関係があり、北信の戸隠神社とも因縁が深い。
 またこの地は、古代東山道の阿智駅(あちのうまや)がおかれたところで、駅馬30頭をおいて剣難な神坂峠に備えた阿智駅の守護神として、当社は重要な位置を占めている。
 慶雲3年(706)八幡大神を勧請して相殿に祭り、また天正元年(1573)松尾城主小笠原信貴は甲斐源氏の遠祖にゆかりの新羅明神を近江国三井寺から勧請して、三間社流れ造り、間口18尺、奥行9尺の善美を尽くした社殿を造営し、天思兼命を主神に、八万神・新羅明神を相殿に奉祭し、日之御子大明神を明灯山に勧請した。
 その後寛文11年(1671)駒場上町の領主宮崎太郎左衛門公重により規模様式共に天正のままの社殿を再建したのが現存する本殿で、正面の金柱、欄間の彩色等に造営当時の華麗さを偲ぶことができる。なお拝殿は延宝3年(1675)神主林杢大夫の建立で、境内のヒイラギ・サカキと共に村の文化財である。
 また江戸時代は徳川幕府から朱印領十石が寄進され、慶安2年(1649)徳川家光以来幕末まで9通の朱印状が現存する。
   主な恒例祭典
元旦祭 1月1日午前6時
厄除・交通安全祈願祭・勤学祭 1月第二日曜日
入学祭 4月3日
風祭  8月29日
例祭  4月16日(祈年祭)、10月8日
新嘗祭 11月25日
大祓 6月30日、12月27日
除夜祭 12月31日



手水舎です

石段を上がります、拝殿が見えています

狛犬です(猿のようですが・・・)



拝殿です

本殿は覆屋の中です

安布知神社本殿は文化財になっています

説明版です
 阿智村有形文化財
  安布知神社本殿・拝殿
 古代東山道阿智駅跡とされる関田の平坦地を一望におさめる丘陵の中腹、清坂の地に鎮座した本社は、「信濃国に天降りたまい、阿智の祝部等が祖(先代旧事本紀)」とされる天恩兼命を主神に祀る古社で、須佐之男命、誉田別尊を合殿とする。
 現存する本殿は、寛文11年(1671)駒場村上町の領主宮崎太郎左衛門公重の造営で、三間社流造、こけら葺、二重垂木、組物は母屋が出組、向拝は連三斗を用い、内陣の間口5,4m、奥行2,4m、飯伊地域でも大規模な社殿に属する。正面階段には各柱ぎとに昇降欄を備え、組物・長押等には極彩色が施され、正面4本の内陣柱は金箔装とし、中、奥は設束を用い、右から唐獅子、波に紅葉、鳩の彩色画が有って、いずれも龍戸の内にあるため退色が少なく、造営当時の美しさがしのばれる。向拝部の蟇股の意匠は、右に唐獅子、左に鳩を透彫りとし、中央は井桁紋(領主宮崎氏の紋章)で、頭貫の左右の木鼻には象頭の彫刻があり、これ等には室町末期の様式の影響が見られる。
 拝殿は間口柱間三間、奥行二間、入母屋造妻入で、延宝3年(1675)当社の神主林氏が造営した。周囲は格子造で、軒は一軒疎垂木とし、内部は格天井で格間には彩色画が描かれているがほとんど退色しはげ落ちが多い。
   阿智村教育委員会



境内社です

裏参道側には沢山の石塔が並んでいます


では、次は境内の大杉と村天然記念物に指定されているサカキとヒイラギです
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長野県阿智村、春日「中関の大杉(宮崎氏館跡)」(村指定)です!!

2020-09-28 06:37:55 | 巨樹・大木
春日地区は、阿智村役場のすぐ東側の地区です

阿智村役場の北側道路で東側の沢を越えます

正面の台地の上に宮崎氏館跡の公園が有ります

公園の東側道路脇に車を止めさせて頂きました

公園と言っても広い芝生が拡がるだけです

西側に大杉が立っています


北側道路(北東側)から見ました

公園の中を近付きます

阿智村天然記念物中関の大杉の標柱です

説明版です
阿智村天然記念物 中関の大杉
  春日 中関下 所在
  昭和43年9月1日 指定
 この杉は旧宮崎邸隣にあって、旗本宮崎康景の流れをくむ宮崎家の御神木として保護されてきました。
植物学者八木貞助の調査により、「長野県史跡名勝・天然記念物報告書」に記載され、昭和14年(1939)に県天然記念物として指定を受けましたが、昭和41年(1966)に指定解除されました。
 推定樹齢1000年といわれ、飯田下伊那では、月瀬の大杉(根羽村・国天然記念物)、立石の雄杉・雌杉(飯田市・県天然記念物)、本村神坂神社の日本杉(村天然記念物)等に次ぐ規模のものといえます。
 以前は男杉といわれ、阿智高校近くに女杉(昭和20年4月に軍需物資として伐採)があり、この二本で夫婦杉とよばれていました。
 杉はヒノキ科スギ亜科スギ属の常緑針葉樹であり、日本固有種です。
【本樹の大きさ】樹高約40m(近年の再計測)目通り径6,5m 枝張り東西23m 南北25m
    阿智村教育委員会
*説明文に出てくる、月瀬の大杉や日本杉、雄杉に雌杉も見ていく予定です




南側から、目通り幹囲6、5mの巨木です

南西側から、綺麗に枝打ちされているので、説明版の数値の枝張りはないようです

北西側から

北側から、回りに大きな高い木々がないので、落雷が心配ですね

宮崎氏館跡の碑です

宮崎氏は長く自治にかかわっていたようです

屋敷跡の歌碑です

では、次へ行きましょう
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長野県駒ケ根市、中沢「上の森のコナラ」(市指定)です!!

2020-09-27 06:27:10 | 巨樹・大木
中沢地区は、駒ケ根市役所の東南東約5kmのところ

県道49号駒ケ根長谷線を東へ、天竜大橋で天竜川を渡ります

道なりに東へ、落合で県道210号線を北へ、1,5km程で東の山裾へ入ります

戸倉キャンプ場への案内板が有ります、キャンプ場受付方向へ進みます

キャンプ場受付の案内板を過ぎると間も無く戸倉山上の森コースの案内板が有りました

本村集落の奥です、住所は駒ケ根市中沢8076番地です、ヤフー地図アプリでは隣の番地までしか出ませんでしたが・・・

戸倉山登山口です、この手前で右を見ると大きな幹を確認できます

竹林の中に大きな幹が見えます

藤の蔓が巻き付いています

沢側から

目通り幹囲 の巨木です


アカマツの大木です

ヒノキの大木です

では、次へ行きましょう
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長野県伊那市、長谷溝口「溝口のカラカサ松」(市指定)です!!

2020-09-26 06:32:24 | 巨樹・大木
溝口地区は、伊那市役所の東南東約12kmのところ

国道361号線で高遠へ、高遠城跡公園の手前を国道152号線で南へ

美和湖の東岸を進むと、間もなく長谷の中心部溝口です

国道沿いの郵便局手前から、かつての長谷村役場(現市役所総合支所)の前を登って行きます

東側の山の上に鹿嶺高原が有ります、キャンプ場などの野外活動の出来るところです

カラカサ松は標高約1300mのところです



熱田神社を過ぎて200mで鹿嶺高原への道に入ります、鹿嶺高原までは12kmの距離です

延々と登りつづけて約6km過ぎたころ、カラカサ松の案内板が有ります

案内板を入ると直ぐに重機が道路整備をしている様です、重機の先にカラカサ松が見えています、手前の広い所に車を止めさせて頂きました

カラカサ松です

東側から見上げました

説明版です.
  溝口のカラカサ松
指定 伊那市文化財(天然記念物)
 平成9年6月25日
 所在地 伊那市長谷溝口
 この土地の人たちは、この松を「カラカサ松」と呼んでいる。いつのころからそのように呼ばれるようになったものであろうか。
 樹齢は約400年余と推定される。これは長野県が調査している森林調査簿という山林台帳に載っている林齢である。
 この場所から尾根筋をたどって下っていくと溝口集落に着く。この松の根元に山の神を祀ってある。石碑に刻まれている「中山、中島村」というのは、溝口の中の小集落であり、この附近の山林所有者もこの集落の人たちが多い。
 現在は車道があいて、この場所に容易に来ることができるが、以前は山道を歩いて山仕事をしてきた。この松の下で一休みした場所でもあった。
 ここから上の方へ道をたどると、途中で非持(溝口の北側の集落)からの道と合流し「空峠」から戸台(南アルプス林道西側入り口)方面へ、また、鹿嶺高原へ向かうことができた。
 さて、このような特異な姿をした松がこの場所に育ってきたことを不思議に思うところである。ある日突然に大きくなったものではない。この場所が歴史上で何らかの因縁があって残されてきたものであろうか。遠い昔に想いをめぐらすところである。
   伊那市教育委員会



南東側の幹を見上げました

幹の根元に「大山祗神」の石碑です

西側から

北側から、目通り幹囲5,5mの巨木です

北東側から見上げました

では、次へ行きましょう
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長野県伊那市、長谷溝口「溝口熱田神社本殿」(国重要文化財)です!!

2020-09-25 06:30:00 | 文化財・寺社
溝口地区は、伊那市役所の東南東約12kmのところ

国道361号線で高遠へ、高遠城跡公園の手前を国道152号線で南へ

美和湖の東岸を進むと、間もなく長谷の中心部溝口です

国道沿いの郵便局手前から、かつての長谷村役場(現市役所総合支所)の前を登って行きます

間もなく左手に熱田神社が西向きに鎮座します

前の駐車スペースの車を止めさせて頂きました

神社入口です、二本並んだ杉の大木は共に雷が落ちた跡が残り幹の上の方が切られてしまっています

邨社 熱田神社です(邨は村のことですので村社?)

手水舎です

大きな国指定重要文化財の石碑です

説明之石碑です
 熱田神社(重要文化財)
  信濃なる伊那てう里の片辺にも 恵み熱田の神の御柱
 遠い昔の先祖たちが 日れ式寄を信仰し、尾張の国 熱田神宮の形影(三方三つ辻)をお迎えし産土神として祀ったのが当社のはじまりである。
 現在の本殿は宝暦12年(1762)溝口村百数十戸の氏子が300両という大金を出しあって建築したものである。
 この建築には宮大工であった当溝口村高見善八が棟梁となり 多くの職人とともに精魂こめて仕上げたもので 規模といい 遺綃といい近隣に比類ない豪丯なものである。
 特に彫刻師は上州(現群馬県)勢多郡の河口文治郎 彩色は武州(現埼玉県)熊谷在の森口清吉である。竜・象・唐獅子・花鳥などの彫刻は実に巧妙華麗でみあきることがない、それで名声が響きわたり「伊那日光」と呼ばれるようになった。
  たとの本殿を風雨から防ぐため 明治21年(1888)大覆(かやぶき屋根)を再建し、以後幾たびかの屋根替えが行なわれ現在に至っている。
文化財指定の経緯
 昭和47年8月25日 長谷村文化財指定
 平成元年8月14日  長野県県宝指定
 平成5年12月9日  重要文化財指定
    長谷村教育委員会

拝殿です

本殿は大覆の中です、玉垣が細かいので全体を見る事はできませんでしたが、大覆の中には大きな本殿と、本殿の左右に祠が有ります


本殿軒下の彫刻です

本殿両側の背板の老人の彫刻です


本殿裾回りの唐子と龍の彫刻です

拝殿の北側には龗神社です

境内左手には、舞宮です

説明版です
 熱田神社の舞宮
指定 伊那市文化財(有形文化財)
平成元年5月22日
所在地 伊那市長谷溝口
 この舞宮は以前、熱田神社拝殿の前にあったため「前宮」とも呼ばれていた。記録によると「神楽殿」となっている。昭和11年に活用するのに便利な場所へと現在地に移転したものである。屋根は茅葺であったが平成元年に鉄板ぶき屋根に改修された。舞宮の文字が意味しているように、神前において踊りや芝居などの芸能を神様に奉納するための舞台として使用されてきた。
 当時、娯楽・芸能は自分達が作り演じてきた。いわば村人の文化創造活動の本拠となっていたのがこの舞宮である。
   伊那市教育委員会

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長野県伊那市、長谷溝口「溝口熱田神社のケヤキ」です!!

2020-09-24 06:21:00 | 巨樹・大木
溝口地区は、伊那市役所の東南東約12kmのところ

国道361号線で高遠へ、高遠城跡公園の手前を国道152号線で南へ

美和湖の東岸を進むと、間もなく長谷の中心部溝口です

国道沿いの郵便局手前から、かつての長谷村役場(現市役所総合支所)の前を登って行きます

間もなく左手に熱田神社が西向きに鎮座します

前の駐車スペースの車を止めさせて頂きました

神社入口です、二本並んだ杉の大木は共に雷が落ちた跡が残り幹の上の方が切られてしまっています

邨社 熱田神社です

手水舎です

鳥居の左に目的のケヤキです

西側から

北側から、目通り幹囲5,2mの巨木です

東側から

南側から見ました

社殿北側のサワラも御神木の様です

夫婦椹です

拝殿です

本殿は大覆の中です

拝殿の北側には龗神社です

境内左手には、舞宮です

では、重要文化財の熱田神社本殿ほかを見て行きましょう
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長野県伊那市、伊那「内の萱のカツラ」です!!

2020-09-23 08:05:00 | 巨樹・大木
内の萱地区は、伊那市役所の西約7kmのところ

木曽駒ヶ岳の前衛峰将棋頭山に源流を持つ小黒川に沿って県道202号線を登って行きます

目印は小黒川渓谷キャンプ場です

キャンプ場から約1kmで今まで小黒川左岸を進んできた道路が一度右岸に渡ってまた左岸に戻った所です


左岸に戻ります

橋の名前は「桂小場橋」です

橋を渡ると右にカツラの大木がありますが、こちらのカツラではありません

目的の正面の斜面に大きな幹が見えています

手前の左手に駐車スペースが有ります

道路(南東側)から見上げました、中央アルプス駒ヶ岳「聖職の碑」コース案内図の後です。(「聖職の碑」は、日本百名山で知られる深田久弥の著書、木曽駒ヶ岳への学校登山の悲劇を描いた小説の題名ですね)

東側から

根元には大山祗神の祠です

北東側から、主幹の残ったカツラの巨木です

北西側から、ヒコバエの見られないのは、伐られてしまっているのでしょうか

南西側から

南側から、目通り幹囲9,2mの巨木です

最初のカツラはヒコバエに囲まれています

では、次へ行きましょう
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新潟県十日町市、松之山天水島「天水島熊野神社のコナラは伐られてしまった?」です!!

2020-09-22 06:34:00 | 巨樹・大木
松之山天水島地区は、十日町市役所の南西約15kmのところ

松之山温泉スキー場の東側のところです

国道253号線を西(上越市方面)へ

松代地区を過ぎて池尻信号を南へ

松の山信号を県道80号線へ進むと松之山温泉です

温泉入口を過ぎて間もなく国道406号線を東へ登って行くと

集落の上、国道脇右に熊野神社が鎮座します

神社参道石段前に車を止めさせて頂きました



参道入口です

参道石段の両側には白萩が咲き始めて秋の雰囲気になって来ました

水盤です、出ている水は湧水のようですが、蛇口の札には水質検査していないとのことが書かれています

鳥居です

狛犬です

社殿です(境内に止まっている軽トラックは、この日は地区の草刈の日だったようで、国道と県道の交差点近くに大勢の方々が集まっていました、その内の二台が神社に到着したところでした)

かなり前に伐られた切株が有ります

下側の道路から見ました、かつては目通り4,9mのコナラが立っていたそうです

では、次へ行きましょう
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新潟県十日町市、松之山湯本「湯本諏訪社のケヤキ」です!!

2020-09-21 10:55:00 | 巨樹・大木
松之山湯本地区は、十日町市役所の南西約15kmのところ

国道253号線を西(上越市方面)へ

松代地区を過ぎて池尻信号を南へ

松の山信号を県道80号線へ進むと松之山温泉です

温泉入口を温泉街に入ります

温泉街を抜けて急な坂道を登り左からの道と合流します

大きなカーブ二つ過ぎた次カーブ手前右上に神社の幟支柱が見えました

道路脇に車を止めさせて頂きました

地区の案内マップです、現在地点の左の諏訪神社が目的のケヤキの在る神社です


カーブの外側に神社の幟の支柱が見えます

細い参道を上ります

立派な鳥居が有ります

狛犬です

社殿です

境内の祠に石碑です、芽だった大木が見当たりませんね~

社殿を左から回り込みました、社殿の裏側に目的のケヤキが在りました

社殿の右から回って見上げました、枝に新しく折れた痕が多数あります

社殿裏側の道路から見上げました

ケヤキは斜めに立っています北西側から見上げると綺麗にみえますね

南西側から、目通り幹囲5,9mの巨木です

南側から

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新潟県十日町市、浦田「北浦田諏訪社の大杉」です!!

2020-09-20 06:47:00 | 巨樹・大木
北浦田地区は、十日町市役所の南西約17kmのところ

国道253号線を西(上越市方面)へ

松代地区を過ぎて室屋で県道243号線を南へ

渋海川に沿って道なりに進んで

浦田小学校跡の先を右へ渋海川左岸に渡ります

間も無く右手上に諏訪社が東向きに鎮座します

前の道路脇に車を止めさせて頂きました


まもなく神社入口です

参道です

参道入口にあるスギとケヤキの合体木です


石段上側から見ました、ケヤキの上に杉の合体木が載っています

自然石(丸石)の敷かれた参道の上に幟用の支柱が見えました

境内に上がると、大杉の根が境内中央に伸びています


北東側から

境内南端から見あげました

北側から、目通り幹囲7,0mの巨木です

社殿です

古い狛犬が有ります

水盤も特異な形をしています

社殿前から見上げました

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新潟県十日町市、奈良立「奈良立八幡社のスギ」です!!

2020-09-19 06:23:00 | 巨樹・大木
奈良立地区は、十日町市役所の西南西約16kmのところ

国道253号線を西(上越市方面)へ

松代地区を過ぎて室屋で県道243号線を南へ

渋海川に沿って道なりに進んで間もなく

渋海川を渡る橋の手前を右(西)に入ると

左手に奈良立八幡社が鎮座します

前の道路脇に車を止めさせて頂きました

神社の屋根が見えて来ます

参道入口です、石段の両側にスギの大木が在ります

石段手前左に二十三夜塔です


右側に目的のスギです、目通り幹囲5,1mの巨木です


左側のスギです

石段を上がりましょう

石段中段から右のスギです



石段中段から左側のスギを見ました



社殿です

軒下の額です

社殿前から参道を見ましたが巨木の方は良く見えませんでした

車を置いた前の道路脇には、道祖神や石灯篭・石仏が並んでいました

では、次へ行きましょう
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新潟県十日町市、田野倉「田野倉十二社のスギ」です!!

2020-09-18 06:25:00 | 巨樹・大木
田野倉地区は、十日町市役所の西約15kmのところ

国道253号線を西へ、松代地区に入り松代高校前を右斜めに入り

道なりに県道426号線へ進みます,田野倉の案内板に従って行きます

田野倉集落に入って間もなく右側に田野倉十二社が鎮座します

前の道路脇に車を止めさせて頂きました

神社参道入口です

参道石段と鳥居です、両側には門杉の様なスギの大木が並びます

社殿です

社殿の左手に目的のスギが在ります

社殿前から見上げました

左手側から、目通り幹囲5,3mの巨木です


社殿の右手側から見ました、ケヤキの大木の上に乗るように成長しています

では、次へ行きましょう
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新潟県十日町市、藤沢「藤沢熊野神社の二本スギ」(市指定)二度目の訪問です!!

2020-09-17 06:47:00 | 巨樹・大木
藤沢地区は、十日町市役所の北西約8kmのところ

国道253号線で信濃川左岸へ渡り

吉田トンネル手前から県道75号十日町川西線へ

山を越えて室島に入り、室島橋東詰で国道403号線を北へ

相国寺入口を過ぎてすぐに右(東)へ入る道が有ります

道なりに登って行くと熊野神社前に出ました

神社脇に車を止めさせて頂きました


熊野神社入口です

狛犬です

社殿です


境内には石碑や石仏が並びます

閉村記念碑です

 元和元年海野藤五郎改め(重野)による藤井の里の開村以来四百余年、
一時期には五十二戸と栄えたが今日閉村のやむなきに至る。
 祖先に対し申訳ないが歴史の流れに伏すしかない。
 民の今後の幸せを祈り耕地を守ることを誓いながらそして集落の存在を後世に示すため
紀念碑を建立し今後の心の支えとする。
 昭和59年9月

一部休耕になっているところもありますが、耕地(田圃)は碑文の通り守り継がれているようです

頭を垂れた稲が実りの時期を迎えていました

目的の二本スギは社殿の後側の山の斜面に並んで立っています

左のスギです、目通り幹囲5,4mの巨木です

北東側から

右のスギです、目通り幹囲4,9mです

北東側から

天然記念物標柱です

では、次へ行きましょう

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新潟県十日町市、室島「相国寺のスギ」です!!

2020-09-16 06:46:00 | 巨樹・大木
室島地区は、十日町市役所の北西約9kmのところ

国道253号線で信濃川左岸へ渡り

吉田トンネル手前から県道75号十日町川西線へ

山を越えて室島に入り、室島橋東詰で国道403号線を北へ

間も無く左に相国寺入口です

曹洞宗 松林山 相国寺です

真っ直ぐに入って直角に右に曲がります

境内は広い駐車場になっていますので利用させて頂きました

参道から南向きの本堂屋根と手前に目的のスギを見ました

参道脇のお地蔵様です

参道右手のスギです

境内側から見ると合体木の様です、目通り幹囲6,1mの巨木です

参道左手のスギです

こちらも合体木ですね、目通り幹囲5mほどありそうです

本堂です


境内から二本の巨木を左右から見ました

では、次へ行きましょう

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