ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山梨県上野原市、棡原「山ノ神の大モミ」(市指定)です!!

2024-01-31 20:05:31 | 巨樹・大木
 ここからは、2024年1月31日取材分です

 棡原地区は、上野原市役所の北約5kmのところ

 国道20号線の「上野原市役所前」信号から東京方面へ進みます

 約1.3kmの「上野原工業団地入口」信号を左(北)へ、県道521号線です

 約2.2kmで左(北北西)へ、県道522号線です

 急な坂道を上って行きます、約2.8kmで、斜め右の旧道に入りますが、駐車するところが有りませんので

 新道に出た所に車を止めさせて頂きました

 旧道に「山の神の大モミ」の案内板が有ります

 この先を斜め上に20mで右です

 道成りに上って行きます

 住宅の前庭に案内板が有ります

 矢印に従って進みます

 笹の中の通路を進みます

 笹の道を抜けると、大きな幹が見えて来ました

 目的の「山の神の大モミ」です

 説明版です
   上野原市指定天然記念物
     山ノ神の大モミ
       指定  平成14年3月14日
       所在地 上野原市棡原3819番地
 モミはマツ科の針葉樹で、常緑大高木です。本州以南の山地、低山に生えます。
 幹の高さは30m~50mに直立で達し、枝は水平に伸びます。樹皮は暗灰色で、鱗状にはげます。葉は枝に羽状に並び線形で、若木では先端が二裂する特徴があります。
 地元では、本樹をご神木として祀り、正月17日には山ノ神祭りが行われています。
 樹下には、2,5mの高さにわたって土がえぐり取られています。この土は、壁土や道路のぬかるみ防止に使用されたようです。
 目通り幹囲は空洞もありますが、樹勢も旺盛で、山梨県下有数の大木です。
   樹高         35m
   目通り(目の高さの幹周)5.15m
   根周り         7.10m
   推定樹齢       300年以上
  平成29年3月    上野原市教育委員会
 
  説明版に有ったように、根元がえぐられています

 説明版脇から見上げました

 南側から

 南東側から見上げました

 では、次へ行きましょう
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再考「アルミ缶アルコールストーブ改良版」です!!

2024-01-30 17:57:41 | DIY
 1月2日に投稿させて頂いた、アルコールストーブの改良をしてみました

 前回の投稿では、コカ・コーラのミニ缶を使いましたが、今回は・・・

 チューハイの空き缶を2本使用しました、以前作ったことのあるサイズです

 片方の肩(ひっくり返した)の部分にマスキングテープを貼って円周をとります

 マスキングテープに16カ所の穴あけの位置を

 マーキングして空き缶に写します(今回は一番高い位置の窪みの部分に穴を開けます、火力調整用の部品を使うため)

 マーキングの位置にキリで目印の凹みを付けました

 マークをドリルで2.5mの穴を開けました

 底の中央に直径35mの穴をあけるためにコンパスで円を描きます

 カッターの刃を少しづつ押し込むようにして、丸く切り抜きました

 カッターの刃を台にねじで固定して、缶をくるくる回して傷を付けます(空き缶二本共)

 カッターの刃を押し当てるようにして切り取りました

 そこの部分を切り取った余りから、一枚の板を切り取って、直径約4cmの筒に成る様にホチキスで止めました

 底になる缶をラジオペンチで少しずつひねる様に上の部分をツボメて、筒は上の部分にハサミで切り込みをたくさん入れて外側に折っておきます(そこの部分にもアルコールが通る切り込みをいれました)

 アルコールを長持ちさせる(一気に火力が上がらないようにする)ために、スチールウールを使いました

 スチールウールを長く引っ張ります

 スチルウールを底の部品と、筒の部品の間に押し込みました

 上側の部品を押し込んで完成です

 消毒用のアルコールで燃焼実験です

 回りに引火しないように注意しましょう、ステンレスの皿を敷きました

 判りづらいですが、本燃焼しています、スチールウール無しの場合より本燃焼まで約2倍の時間が掛かりました

 前に作っていた、燃焼調整のリング(こちらもアルミ空き缶のそこの部分です)を載せました、脇から炎は漏れません

 ジャムビンの蓋を載せて消火出来ました、予想通りに上手く出来ました

 燃焼時間も約倍の30分燃焼しました

 くれぐれも火事に注意のうえ、自己責任でお願いいたしますね

 
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東京都青梅市、塩船「塩船観音の大スギ2本」(都指定)です!!

2024-01-29 18:04:29 | 巨樹・大木
 塩船地区は、青梅市役所の北北東約2kmのところ

 「青梅市役所前」信号から都道29号線を北西へ、約500mの歯科医院前の信号を右(北)へ

 約100mでJR青梅線の踏切を渡って更に北へ都道28号線です

 約400mで「青梅4小前」信号を右(東)へ都道194号線です

 約600mの「東青梅6丁目」信号を左(北東)へ、約800mで左手に塩舟観音の案内板が有りますが直ぐ先の信号を左(北)へ

 吹上中学校前を過ぎて、右からの道路に合流すると間も無く右側に「塩舟観音寺」の駐車場があります


 駐車場の北西側に、塩舟観音寺の参道が南東向きに開いています

 参道入口左手に境内案内図です

 別格本山 塩船観音です

 仁王門(山門)は国指定重要文化財です

 説明版です

 仁王門を潜って進むと、こちらも国指定重要文化財の阿弥陀堂です

 説明版です


 阿弥陀堂を左側から進むと、参道の両側に目的の大スギ2本です

 天然記念物標柱です

 説明版です
   東京都指定天然記念物
     塩船観音の大スギ
       所在地 青梅市塩船194
       指定  昭和28年11月10日
 観音堂へ登る道の両側にあるため、「塩船観音の夫婦杉」と呼ばれています。
 左右いずれも巨木で風格があり、スギ、クスノキを中心とする境内樹叢の中心的存在になっています。
 左側のスギは幹囲約5.7m、樹高約43m、右側のスギは幹囲約6.6m、樹高約40mです。
 「高尾山の飯盛スギ」、「奥多摩の氷川三本スギ」(どちらも都指定天然記念物)と並ぶ都内有数の巨木です。
 スギはまっすぐに高くそびえ立つ木であることから、神を祀る神聖な木とされ、古くから日本各地の社寺境内に植えられ、大切にされてきました。
 そのため多くの巨樹銘木や古い林が残っており、天然記念物に指定されているものも少なくありません。
 また、「過ぎてよし」の語呂合わせから流行病などの時に、スギとヨシの小枝を戸口につるしたりする風習もあり、古より人々の生活に馴染みの深い樹木の一つです。
    平成23年3月 建設  東京都教育委員会

 参道左手の大スギです

 参道右側の大スギです

 左側の大スギを北側から

 右側の大スギを西側から見上げました

 本堂へ行きましょう


 参道右手に手水舎です
 
 正面に薬師堂です

 説明版です

 手前右側の石段の上に観音寺本堂が見えます

 本堂です、本堂も国指定重要文化財です


 説明版です

 では、次へ行きましょう
 
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東京都港区、白金台5丁目「国立科学博物館 自然教育園のムクノキ」です!!

2024-01-28 18:06:27 | 巨樹・大木
 「水鳥の沼」から出口へ向かいます


 コナラの林に説明版です
   コナラ林
 昔から詩や歌によまれ人々に親しまれてきた雑木林(コナラ・クヌギ林など)は、薪や炭に利用するため下刈り・落ち葉かき・伐採などつねに人間の手が加えられてきました。
 しかし、放置すると目の前に見られるような樹齢約100年の大きなコナラになります。
 林の下にはコナラの若木や芽生えが見当たりません。光不足のため芽生えが育つことができないのです。
 このコナラ林もやがてはシイ・カシなどの常緑樹林へと移り変わっていく運命にあります。

 コナラの大木が林の奥にも見えました

 館跡です、説明版には
   館跡(やかたあと)
 自然教育園は、室町時代には「白金長者」の屋敷があった所と伝えられており、史跡に指定されています。
 園内には、周囲を囲むように土塁が残っており、当時の屋敷の面影をとどめています。
 この前方・左右には、n型の土塁がみられますが、この土塁は周囲を囲む土塁とは趣が異なり、この附近に白金長者の住んだ館があったものと思われます。
 左の場所は、土塁を切り開いて道がつくられました。ここでは土塁の断面を見る事ができます。 

 *南北朝末―室町時代初頭の応永年間(1394年-1428年)に南朝方の雑色であった柳下上総介(やなぎしたかずさのすけ)なる人物がこの地に館を構え、大量の銀(シロカネ)を保有していたため「白金長者」と呼ばれるようになったとする伝承を伝えている。

 南へ進みます

 右手の林にの中にスダジイの大木です


 南東側から見ました、目通り幹囲3mほどでしょうか


 先へ進むと間も無く遊歩道脇に大木が見えて来ました

 ムクノキの大木です、目通り幹囲3mは越えているようです

 南西側から見ました

 更に先へ進みます

 ひょうたん池の南側(物語の松)の分岐へ戻りました

 自然教育園管理棟が見えて来ました

 展示物を鑑賞して、埼玉へ帰ることにします

 地下鉄 東京メトロ南北線白金台駅から王子駅を経由して、JR京浜東北線で帰りました
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東京都港区、白金台5丁目「 自然教育園の大蛇の松は倒れてしまいました」!!

2024-01-27 18:38:23 | 巨樹・大木
 「物語の松」から、ひょうたん池へ進みます

 左手にひょうたん池が見えます

 池にはカルガモが眠っています

 帰依の周りにはカメラマンが集まっていました、カワセミが見られるようですが・・・

 生きもののつながりの説明版です
   生きもののつながり
 植物は太陽の光などを利用して、葉で光合成をおこなって栄養分を作り、成長しています。しかし、動物は自分で栄養分を作ることができません。
 そこで、チョウやガの幼虫のように植物の葉を食べたり、カマキリやクモのようにほかの小動物を食べたりしています。
 また、これらの小動物はカエルやヘビに食べられ、さらには、野鳥やヘビをねらうタカのなかっもいます。
 このような”食う・食われる”というつながりを食物連鎖といいます。
 

 北へ進みましょう

 分かれ道です、まだ谷戸が北へ続いていますが

 ここで池を廻って戻ることにしました

 左へ行きます

 遊歩道にハトの羽根が散らばっています、ハヤブサなどの猛禽類萎に襲われたのでしょうか

 大きな根株が倒れています

 遊歩道の方(西側)でなく池の方(東側)に倒れています

 目的の「大蛇(おろち)の松」です

 説明版です
   「おろちの松」の歴史
 「おろち(大蛇)の松」は江戸時代から生育するとされ、、「物語の松」とともに園内で見られる古いクロマツです。
 樹高や約33mもあり、山手線の車窓からもよく見えました。その太い幹が上空へと伸びる姿は、まさに「大蛇」を想像するものでした。
 しかし、1979年10月19日台風20号の落雷の被害を受け、幹は上から約8mが折れました。
 その後も生育を続け、自然教育園の名所として親しまれてきました。
   倒れた「おろちの松」
 2019年10月16日、台風19号で「おろちの松」が根ごと倒れているのが発見されました。
 前日まで特に異常はなく、突然の出来事でした。
 現在は、立派な太い幹や根のようすなどを見ていただけるよう、そのままの形で残し、展示しています。
   未来へ続け!「おろちの松」
 倒れた後、「おろちの松」のマツボックリからタネがとれました。タネを鉢にまくと、翌年の春には芽が出てきました。
 もの芽生えは「おろちの松」の子孫として大切に育て、今後園内に植栽する予定です。
   「おろちの松」基礎データ
 ・高さ:25m ・幹周: 4m ・樹齢:約350年(推定) *高さと幹周り長さは、2010年時点のデータ
 

 先へ進みましょう

 こちらの池にもナラの木が倒れています

 水鳥の沼です

 ここにもカルガモがいました

 園内の案内板のキャラクターは「スダ爺」と「めばえん」です、園内に多く見られるシダジイの大木や種のゆるキャラですね

 出口へ向かいましょう、階段を上っていきます
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東京都港区、白金台5丁目「国立科学博物館 自然教育園の物語の松」です!!

2024-01-26 18:00:20 | 巨樹・大木
 「スダジイの巨木」を見て更に北へ進みます

 まもなく右は広場になっていて、ベンチや水飲み場となっています

 林の移り変わり説明版です
   林の移り変わり
 この林は、1950年頃にはまだ若いマツ林でした。しかし自然教育園になって、下刈りなど手入れをやめるとウワミズザクラ・イイギリ・ミズキなどの落葉樹やスダジイ・タブノキなど常緑樹はマツ林の下に育ってきました。
 1963年頃には、マツは下から育ってきた落葉樹の高木に光をうばわれて枯れ始めました。
 今ではその落葉樹も、成長が遅かった常緑樹が高くなるにつれて下枝などが枯れ始めています。やがてこの林は、長い年月の間には、スダジイなどの常緑樹林へと変わっていきます。
 このように、林が時間とともに変化していくことを遷移といい、遷移が進んだ変化の少ない安定した林を極相林と言います。

 自然の中のそうじ屋さんの説明版です
   自然の中のそうじ屋さん
 落ち葉の下にはササラダニやトビムシ・ミミズ・ダンゴムシなどたくさんの小さな生きものがいます。
 落ち葉はこれらの生きものに食べられ細かくされます。そして、バクテリアなどの微生物の働きによって、ついには土にとけて植物の栄養分に成るのです。
 また、動物の死がいもシデムシやアオオサムシなどによって食べられてなくなってしまいます。
 林の中が落ち葉や動物の死がいでうもれてしまわないのは、このような自然の中のそうじ屋さんたちが働いているからです。

 分かれ道です

 右(ひょうたん池方向)へ行きます

 ビューポイントです、モミジの新緑・紅葉が見られると所ですが・・・

 まだ少しだけ、紅葉が残っていました
 
 さらに進みます

 左手に大きな松の幹が見えて来ました

 目的の「物語の松」です

 南東側から

 説明版です
   物語の松
 この老松は江戸時代松平讃岐守の下屋敷の面影を伝えるものです。
 近くのひょうたん池などとともに、回遊式庭園であったと思われます。

 北東側から

 北側から見ました

 先へ進みましょう
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東京都港区、白金台5丁目「国立科学博物館 自然教育園のスダジイの巨木」です!!

2024-01-25 17:50:37 | 巨樹・大木
 「旧細川邸のシイ」を見たあと、白金高輪駅から一駅目の白金台駅まで地下鉄東京メトロ南北線で移動するのも面倒なので

 約1.4kmの距離を歩いて行くことにしました

 港区 高輪地区総合支所を出て国道1号線を南西へ直ぐの信号を西へ渡ります

 国道1号線を南西へ約200mで斜め右の都道312号線へ西南西へ進みます

 約700mで白金台駅入口が見えてきます、更に500m足らずで

 「国立科学博物館 付属 自然教育園」の入り口です

 園内案内板です
  国立科学博物館 付属
    自然教育園
   歴史と自然
 自然教育園は、室町時代に白金長者とよばれる豪族が館を構えていたといわれています。
 江戸時代は高松藩主松平讃岐守の下屋敷、明治時代は海軍省・陸軍省の火薬庫、大正時代は白金御料地と移り変わり、昭和24年に国の「天然記念物及び史跡」に指定されるとともに、国立自然教育園として一般に公開されるようになりました。
 大都市"東京”の中心部にあって、今なお豊かな生物相をとどめている貴重な森です。
 この森にはシイ・マツなどの常緑樹やコナラ・ケヤキなどの落葉樹に広く覆われているほか、池や小川、湿地・草原などがあります。
 カタクリ・ニリンソウ・ヤマユリ・ノギクの仲間など四季おりおりに咲く野草類が、私たちの心をなごませてくれます。
 また、すでに東京都区内では見る事が少なくなってしまったホタル・トンボ・メダカ・ヘビまど、多くの動物が生き続けていることが自然の豊かさを物語っています。

 自動券売機で入園料(320円)を支払って園内に入ります

 路傍植物園沿いを北西へ進みましょう

 センリョウ(千両)です

 こちらはマンリョウ(万両)ですね

 イヌザクラの倒木です

 土塁です

 案内板です
   土塁
 前に見られる土盛りが土塁です。
 この土塁は、今から400~500年前、白金長者とよばれる豪族によって、外敵や野火を防ぐために築かれたと考えられています。
 土塁は、園の周辺や館のまわりに築かれ、その上にシイの木を植えたといわれています。
 自然教育園の池や沢の水は、北側にある土塁の下を通って外へ流れていますが、この出口を閉じると上流部が大きな池になるように作られています。


 左手に「天然記念物及び史跡 旧白金御料地」の標柱です

 向かい側すぐ先に目的のスダジイの巨木です

 西側から

 北西側から見ました

 では、次は「物語の松」行きましょう
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東京都港区、高輪1丁目「旧細川邸のシイ(スダジイ)」(都指定)です!!

2024-01-24 18:10:51 | 巨樹・大木
 赤坂氷川神社でイチョウを見たあと、地下鉄ー東京メトロ南北線の六本木一丁目駅へ戻ります

 ここから2駅南へ移動して「白金高輪」駅で降りました

 魚籃坂下への出口を出ました、「港区 高輪地区総合支所(高輪コミュニティープラザ)」への出口を出たかったのですが・・・

 で、歩道橋を渡って、国道1号線を南西へ進んで港区 高輪地区総合支所へ入ります

 南への通路です、階段を上がります(ここでもエレベーターで5階へ行けると良かったのですが・・・)

 案内図です

 まだ2階分階段を上がります

 *赤穂事件の原因となった江戸城松の廊下で刃傷沙汰をおこし、即日切腹となった浅野内匠頭長矩の墓のある泉岳寺の北側の丘の上です

 ようやく登り切って右手に目的のスダジイです

 北東側から

 北西側から

 東側から

 説明版です
   東京都指定天然記念物
 旧細川邸のシイ
     所在地 港区高輪1丁目16番25号 高輪支所内
     指定  昭和36年1月30日
 高輪支所の丘陵上に独立する単木で、樹高10.8m、幹囲り8.13m、枝張りは東に6.7m、西に2.7m、南に5.6m、北に5.8mを測る巨木である。
 幹の下部に大きな空洞があったため、昭和56年には大規模な外科手術を実施した。
 スダジイは、別名イタジイともナガジイとも呼ばれ、本州の福島県・新潟県以南、四国、九州、沖縄に分布するブナ科の常緑高木である。
 葉は長楕円形で先は尖り大きな鋸歯がある。果実は先の尖った卵円形で2年目に熟し食用になる。古くは材は建築や家具用に使われていた。
 旧細川邸とは、肥後熊本藩細川家の下屋敷のことであり、元禄16年(1703)2月4日、赤穂事件の大石内蔵助良雄・吉田忠左衛門兼亮・小野寺十内秀和・原惣右衛門元辰ら17人が切腹を命じられたところとして、屋敷跡は東京都指定史跡に指定されている。
    平成7年3月31日 建設
      東京都教育委員会
 *ここから約200m南へ進んだ右奥(西側)には、東京都指定旧跡「大石良雄外十六人忠烈の跡」があります
 
 *赤坂氷川神社の地が、江戸城松の廊下で刃傷に及んだ浅野内匠頭長矩の正室遙泉院の実家三次藩浅野家の下屋敷だったことを考えると、ここの場所とも因縁がありそうです。
     
 南東側から

 南西側から、太い幹を見ました 

 では、次は「国立科学博物館附属 自然教育園」へ行きます
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東京都港区、赤坂6丁目「氷川神社の大銀杏」(区指定)です!!

2024-01-23 18:27:04 | 巨樹・大木
 氷川神社の「御神木銀杏」の東側に区指定天然記念物の「大銀杏」です

 六本木グランドタワーから「なだれ坂」へ出ます

 都道412号線を「六本木ながれ坂」信号を北西へ渡って突き当りを左(南西)へ

 すぐに右(北西)へ坂道を上っていきます、右手はアメリカ大使館員の宿舎のようです、また突き当りを右(北東)へ

 参道入口です

 ここから参道脇の「御神木銀杏」の続きです

 もう一本の大銀杏は、御神木銀杏の東側です

 南側から

 東側から、東京大空襲による焼損部が見えます

 南西側から見ました、こちら側は綺麗ですね

 説明版です
   大銀杏 おおいちょう【港区天然記念物】
 当社の大銀杏は推定樹齢450年、御社殿が遷座する以前よりこの地に生育していたと考えられ、江戸時の代初期から歴史の変遷を見守った当社のシンボルといえます。
 昭和20年(1945年)の東京大空襲による焼損を目にすることができます。
 しかし、毎年11月下旬に色鮮やかに黄葉し、生命力の強さと神秘さを感じさせます。

 氷川神社にお参りしましょう

 説明版です
   氷川神社〈赤坂氷川神社〉
 御祭神  素戔嗚尊  すさのおのみこと
      奇稲田姫命 くしいなだひめのみこと
      大己貴命  おおなむちのみこと
 主祭神の素戔嗚尊は、勇猛果敢な神様であり、八岐の大蛇を退治されたことから、悪しきもの「厄」を祓う力がお強い神様です。また、その際に得た、神剣・天叢雲剣は、三種の神器のひとつ「草薙の剣」と伝えられております
 二柱目の奇稲田姫命は、素戔嗚尊が八岐の大蛇を退治されたときに救いだされました。のちに二柱の神様はご結婚されたことから、夫婦神としてお祀りしております。
 三柱目の大己貴命は、またの名を大国主命といい、あらゆる縁えお結ぶことから、古より全国で縁結びの神様として崇敬されております。
 この三柱の神様をお祀りしていることから、特に厄除と良縁(縁結び)の御神徳が強い神社とされてきました。
   起源
 天暦5年(951年)蓮林僧正が一ッ木村(現赤坂4丁目付近)で一夜を明かすと夢中で御祭神のお告げがあり、この地に氷川明神の社殿を建てお祀りをしたことにはじまります。
 創祀からおよそ百年後の治暦2年(1066年)関東で大きな旱魃があり、苦しむ村人たちが社に雨乞いの祈願をするとたちまち雨が降りました。以来よく神事が執り行われるようになります。
 江戸中期の享保元年(1716年)、旧徳川家出身の吉宗公が8代将軍職を継ぐにあたり、紀州藩の中屋敷が赤坂にあったことから、幕府の氷川明神への尊信は高まり、同14年(1729年)吉宗公は老中水野忠之を総責任者に命じて現在地に社殿を造営しました。
 翼15年(1730年)4月26日に一ッ木村から現在地への遷座が行われ、28日には吉宗公直々のご参拝がありました。以後14代将軍家茂公までの歴代将軍の朱印状が下付されました。
 明治元年、明治天皇より東京の鎮護と万民の安泰を祈る「准勅祭社」に定められ、現在では「東京十社」の一社に数えられております。
   浅野土佐守邸跡  あさのとさのかみていあと
 御社殿が建立する以前、この地には浅野内匠頭長矩の正室瑶泉院のご実家である三次藩浅野家の下屋敷がありました。
 元禄14年(1701年)3月14日、長矩が江戸城内の「松之廊下」で吉良上野介義央と刃傷沙汰に及び、即日切腹を命じられると瑶泉院は生家である下屋敷に引き取られたと伝えられています。
 歌舞伎「忠臣蔵」で、吉良邸討ち入り直前の大石蔵之助と瑶泉院の別れの場面を描いた「南部坂雪の別れ」の舞台でもあります。
 その後、浅野家は世継ぎに恵まれず享保3年(1718年)断絶となり、領地は広島藩へ還付されました。享保15年(1730年)、現在の赤坂4丁目からこの地へ赤坂氷川神社が遷座され、今日に至ります。
   社殿・境内
 総欅造り銅葺朱塗にして、丹青荘重の一間社流造の現社殿は、安政の大地震、関東大震災、東京大空襲等の被災を奇跡的に免れ、建立当時ののままの姿を残し、東京都有形文化財にも指定されています。
 昭和4年に遷座200年を祝し、拝殿格子天井には、長華崖による「花鳥」が、壁間には宮部衆芳による「鳳凰」は描かれています。
 境内には江戸の年号が刻まれた鳥居・灯籠・狛犬が多数あり、都内では江戸の情景がそのまま残る珍し神社の一つとなっています。
 また、秋には鮮やかな紅(黄)葉に染まる天然記念物の大銀杏(樹齢400年)がある他、幕末の志士勝海舟が名付けた「四郷稲荷」もお祀りされています。
   狛犬・灯籠
 境内には七対もの狛犬がおり、狛犬の宝庫と言われております。それらの多くが祭礼や式典に合わせて奉納されたものであり、当社が地域内の深い信仰を集めてきたことを物語っています。
 中門両脇の狛犬は、御社殿が建立されるより前の延宝3年(1675年)の銘があり、都内神社に現存する「石像狛犬」の中では最も古いものとされます。
 また、石燈籠も狛犬と同じく7対境内に奉納されております。明かりを灯すことで邪鬼を祓い、御祭神の加護を願うためのものです。
 中門前の灯籠は、御社殿の遷座を担当した老中水野忠之は、御社殿の完成記念に奉納したもので、港区有形文化財に指定されています。
   祭礼
 例祭日  毎年9月15日
 神幸祭は例祭に近い日曜日に行われます。
 最盛期であった江戸時代には幕府の監督下のもと、宮神輿2基と江戸型山車13本のほか、さまざまな附け祭りが氏子地域を巡行し江戸で3番目に位置付けるほどの規模でした。
 現在の神幸祭では、吉宗公将軍就任300年を機に、平成28年に新調した宮神輿をはじめ氏子町会の神輿や江戸から奇跡的に残存している江戸型山車が連合巡行し、都心の高層ビルを背景に江戸絵巻が繰り広げられています。
 

 「東京十社めぐり」の案内板です



 三ノ鳥居です

 手水舎です

 中門(楼門)です

 拝殿です

 本殿は拝殿の屋根の後ろに見る事が出来ました

 では、次は「旧細川邸のシイ」を見に行きましょう

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東京都港区、赤坂6丁目「氷川神社の御神木銀杏」です!!

2024-01-22 18:34:22 | 巨樹・大木
 善光寺坂のムクノキ見て、地下鉄ー東京メトロ南北線の「後楽園」駅へ

 後楽園駅から7駅南へ移動して「六本木一丁目」駅で降りました

 六本木グランドタワーから「なだれ坂」へ出ます

 都道412号線を「六本木ながれ坂」信号で北西へ渡って突き当りを左(南西)へ

 すぐに右(北西)へ坂道を上っていきます、右手はアメリカ大使館員の宿舎のようです

 また突き当りを右(北東)へ

 坂道を登り切った所に南東向き参道で氷川神社が鎮座します

 北側の境内にイチョウの木(目通り幹囲3m(目測)の大木)が見えますが、目的の「御神木銀杏」ではありません

 社號標です

 説明版です
   赤坂氷川神社 〈例祭日〉9月15日
     氏子区域  元赤坂1・2丁目、赤坂1~9丁目、六本木1・2・4丁目、虎ノ門1丁目
 御祭神  素戔嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命(大国主命)
 創始   天歴5年(村上天皇951年)武州豊島郡
      一次ヶ原(赤坂4丁目一ツ木台地)に創祀
 遷座   徳川8代吉宗公が将軍職を継ぐに至り、享保15年(1730年)老中水野忠之に命じ造営
 年中行事 ◎月次祭 毎月1日
       1月 元旦ー歳旦祭    上旬―成人祭
       2月 3日ー節分祭   11日―紀元祭  17日―祈年祭
       4月15日ー四合稲荷祭  下旬ー末廣稲荷祭
       5月 5日ー子供の日の祭 下旬ー西行稲荷祭
       6月30日ー夏越の大祓(茅ノ輪くぐり)
       9月14日ー前日祭   15日ー例大祭(隔年神幸祭)
      10月 上旬ー包丁塚祭
      11月15日ー七五三祝祭 23日ー新嘗祭
      12月23日ー天長祭   31日―年越の大祓


 境内南西端には、港区文化財の力石( 131.25kg)です

 一ノ鳥居(南側)です、境内北東(氷川坂)側の石段前にニノ鳥居と、こちらにも石段下に一ノ鳥居が有ります

 参道右手に注連縄を巻かれた「イチョウ」です

 南東側から見上げました、一つ目の目的の「御神木銀杏」です


 南西側から、後方に港区指定天然記念物の「氷川神社の大銀杏」が見えています

 北西側から、目通り幹囲訳5m(目測)の巨木です

 北東側から見ました

 続いて、港区指定天然記念物の「氷川神社の大銀杏」です

 
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東京都文京区、小石川3丁目「善光寺坂のムクノキ」(区指定)です!!

2024-01-21 17:53:37 | 巨樹・大木
 栄松院のスダジイを見てから、前の道路を西南西へ進んで、「向丘二丁目」信号を西へ都道452号線を進みます

 次の信号が「白山上」です、南南西へすぐの「都営三田線」の「白山」駅から地下鉄に乗ろうと思いましたが

 一駅乗っても戻る様な位置なので、そのまま歩いて行くことにしました

 都営三田線白山駅前から都道301号線を南へ約1kmのクイーンズ伊勢丹の南側を右(西)へ

 突き当りを左(南)へすぐに都道436号線の信号を渡ります西南西へ進むと間も無く善光寺坂下です

 善光寺坂を上って行きます、右手にイチョウの木が見えています

 澤蔵司稲荷 慈眼院参道石段です、見えていたイチョウは境内にあるようです

 すぐ上側に目的のムクノキが見えました

 歩道の幅が広がった所にムクノキです

 北東側から、根元にはたくさんのワイヤーロープが張られています

 説明版です
 

 北側から

 北西側から
 
 西側から

 南側から見上げました

 では、次へ行きましょう
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東京都文京区、向丘2丁目「栄松院のスダジイ」(区指定)です!!

2024-01-20 18:08:47 | 巨樹・大木
 2024年1月18日取材分です

 埼玉からJR京浜東北線で王子駅まで、地下鉄東京メトロ南北線に乗り換えて三駅目、本駒込駅で降りました

 都道455線(本郷通り)西側に出ます、右(南)へすぐの「向丘二丁目」信号を東北東へ渡ります

 約100m左手、道路北側に南向きに栄松院が有ります

 山門前の説明版です
  薩雲や初代松本幸四郎の墓が有るようです

 山門を入って本堂前左手にお美津地蔵です


 本堂です

 目的のスダジイは本堂裏側の墓地の中の様なので、本堂西側(左手)から本堂裏側へ廻って見ました

 墓地の一番奥に大きなスダジイが見えました

 南側の墓地通路の先に目的のスダジイです

 「天然記念物 栄松院ノ椎」の標柱です

 南南東側から見上げました

 東側から

 南西側から

 説明版です
   文京区保護樹木
 樹種   スダジイ
 指定番号 06-13
 指定年月 昭和50年11月
 これは区民の皆さんと区とが協力して緑を守るため「みどりの保護条例」にもとづいて保護指定した樹木です。
 区は指定にともない一定の保護措置を講ずる一方、所有者等はみだりに伐採、移植することが禁止されています。
   所有者又は管理者 城英倫

 西側から見ました

 では、次へ行きましょう
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茨城県水戸市、常磐町1丁目「偕楽園のハリエンジュ3本」は、伐られてしまいました!!

2024-01-19 17:35:03 | 巨樹・大木
 「常盤神社のクスノキ」の続きです

 常磐町1丁目は、水戸市役所の西北西約1.5kmのところ
 
 「偕楽園桜山第二駐車場」(無料)に車を止めさせて頂きましたと

 表門から入って、太郎杉・好文亭・偕楽園の木々を見て東入口から出て常盤神社でクスノキを見ました

 また、東門に戻りますが・・・ここにあったハリエンジュの大木3本は伐られてしまっています

 南東側から、伐られてまだ間がないようです

 説明版が残っています
   ニセアカシア(ハリエンジュ)
 北米産の樹で、一般に「アカシア」の名で親しまれています。
 大正13年(1924年)当時は日本最大(幹の周囲2m、高さ27m)と紹介されていました。
 しかし、折損のおそれがあり、平成9年(1997年)幹の途中で切除されています。

 *グーグルマップのストリートビューで2016年11月の映像を見る事が出来ます、また一番太い北側の幹周囲が3.6mとの記事が散見されます

 ・・・残念です

 偕楽園を西へ進みます(東門では、表門で支払った時の入場券で再入園が可能です)

 東門を入ってすぐに「烈公梅」です

 二季咲桜です

 説明版です
   二季咲桜(にきざきざくら)
 シキザクラ(和名)の仲間で、秋から冬にかけと春の年二回咲く一重咲の桜です。
 初代の二季咲桜は、水戸藩士久米某氏邸にあったものを移し替えたと伝えられています。
 好文亭中庭と東門付近にもあります。

 南側から

 小さな花がたくさん咲いています

 北側にも臥した二季咲桜です

 芝前門手前のボダイジュです

 東側から

 ボダイジュのプレートです

 中門から西へ出て、ここは左へ進みます

 好文亭

 好文亭の西側から南へ下って来ました

 観梅碑です

 説明版です
   観梅碑(かんばいひ)
 梅の季節の偕楽園を詠んだ永坂周(ながさかしゅう:幕末から大正時代の医者であり書家)の作ならびに書です。
   雨歇林猶涇 煙遮湖半明
   梅花香満地 春水緑通城
   百里賢侯躅 千秋志士名
   亭台依爽塏延眺不勝情

   雨やんで林なおうるおい
   煙は遮って湖なかば明かなり
   梅花の香地に満ち
   春水の緑は城に通ず
   百里賢侯のあと千秋志士の名
   亭台爽塏に依り延眺情にたえず



 太郎杉前の門(出口専用)へ進みます


 かわいい鳥がいます

 ジョウビタキですね



 先へ進みます 

 出口専用の門から出ました、ヤナギの芽はまだまだ堅いようです

 では、次へ行きましょう
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茨城県水戸市、常磐町1丁目「常磐神社のクスノキ」(保存樹)です!!

2024-01-18 18:37:16 | 文化財・樹木
 常磐町1丁目は、水戸市役所の西北西約1.5kmのところ

 水戸市役所の西側の市役所通りを北へ出ます

 桜川を美都里橋で渡て直ぐの信号を左(西)へ、千波大橋の下を潜って信号を左へ更に西へ進みます

 (この道路は、合流分流が有りますので間違えると変な方向に行きそうなので注意しましょう)

 で、常磐神社からは離れていますが、今回の目的を考慮して「偕楽園桜山第二駐車場」(無料)に車を止めさせて頂きました
 (常磐神社参道東側に有料駐車場は30分間は無料だそうですが、東門から偕楽園や太郎杉も見ると・・・30分では無理ですね)

 偕楽園北西端の好文亭表門から入って偕楽園の中を通って東門から出ます

 JR常磐線に面した常盤神社参道入口まで下りて参道を見ました

 社號標です

 説明版です
   常盤神社(ときわじんじゃ) 旧社格は別格官幣社です
      偕楽園に入る前にまず常盤神社におまいりしましょう
 🔷御祭神 二柱
  高譲味道根命 (たかゆずるうましみちねのみこと) 徳川光圀公 諡=義公  大日本史編纂の祖
  押建男圀御楯命(おしたけおくにのみたてのみこと) 徳川斉昭公 諡=烈公  偕楽園開園の祖
 〇右二柱を御祭神として、明治7年5月12日に現在地に鎮座されました。
  これ以前には、偕楽園内の祠堂に祀られており、明治6年に明治天皇より勅旨を以て「常盤神社」の社号を賜り県社に列格。
  明治16年には別格官幣社に昇格しました。
 〇光圀公はテレビドラマ等で、「水戸黄門」として有名です。
  「大日本史」の編纂を始め、水戸学を興しました。
 〇斉昭公は最後の将軍「徳川慶喜公」の父君です。
  藩校【弘道館】を創設し、【偕楽園】を開園しました。
 🔷境内にある歴史博物館【義烈館】には、「大日本史」・「陣太鼓」・大砲「太極」等、たくさんの遺品・遺墨・水戸学問係史収蔵展示されており、一見の価値があります。ぜひご覧ください。

 *義烈館は令和4年6月1日から休館中です、開館は未定のようですが10名以上のグループ・団体での拝観希望があれば、事前の申込みにより開館するそうです

 石段を上がります

 大鳥居を潜って更に石段をのぼります

 参道を進みます

 手水舎です
 
 ニノ鳥居です

 拝殿です

 ニノ鳥居の右手に目的のクスノキです、南側から見上げました

 保存樹標識です
   指定保存樹
 樹種 クスノキ
 推定樹齢 160年
 指定番号 2-52-133


 南東側から

 北西側から、目通り幹囲約5m(目測)の巨木です

 *拝殿の東側(常盤稲荷神社鳥居脇)に有った樹齢150年の「楠」は2020年に幹の空洞化のため伐られてしまいました

 北側の「能楽堂」です

 クスノキの東側(義烈館前)には、溶解炉です

 *水戸9代藩主徳川斉昭(烈公)が市内神崎に大砲製造所を設け、太田村の鋳物師を招じて、大砲を鋳造した際使用したもの。
 
 火薬壺です

 この辺で、続きにします 
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茨城県水戸市、常磐町1丁目「偕楽園の竹や木々と好文亭」です!!

2024-01-17 18:01:16 | 文化財・樹木
 「偕楽園の太郎杉」の続きです

 常磐町1丁目は、水戸市役所の西北西約1.5kmのところ
 
 「偕楽園桜山第二駐車場」(無料)に車を止めさせて頂きました

 南門が閉まっていたので、好文亭表門から入ってまずは「吐玉泉」「太郎杉」と「次郎杉の切株」等を見ました

 案内板です、好文亭へ行きましょう

 階段を上って、表門と好文亭を結ぶ道へ戻ります

 好文亭方向(東)へ進みます

 ここは左です、直進すると好文亭南側から南門方面へ下れます(帰りに利用しました)

 まもなくです

 好文亭中門です

 好文亭入口料金所です(中には入りませんでした)

 説明版です
   好文亭(こうぶんてい)
 好文亭は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)が、詩歌・管弦の催しなどをして家中の人々とともに心身の休養をはかるために、天保13年(1842年)に建てたものです。
 好文というのは梅の異名で、「学問に親しめば梅が開き、学問を廃すれば梅の花が開かなかった」という中国の故事にもとづいて名付られました。
 建物は木造二層三階建ての好文亭本体と北につながる奥御殿(平屋造り)からなり、全体を総称して好文亭と呼んでいます。斉昭はその位置から建築意匠まで自ら定めたといわれています。
 奥御殿を設けた理由は、万一城中に出火などあった場合の立ち退き場所として備えられたためと、当時藩内では管弦禁制であったので、城中の婦人達のため遊息の場所としたという配慮があったようです。
 昭和20年(1945年)8月2日未明の空襲で全焼しましたが、昭和30年(1955年)から3年をかけて復元されました。昭和44年(1069年)9月奥御殿と橋廊下は焼失しましたが、昭和47年(1972年)2月に復元されました。
 平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災では壁の崩落など大きな被害を受け閉館を余儀なくされましたが、平成24年(2012年)2月に復旧しました。
 
 *何回も火事に遭っているのですね~

 東側へ「芝前門」を出ます

 ここにも竹種の「寒竹」(かんちく)が植えられています

 *秋にタケノコが出て食用になり、観賞用や生垣としても利用されているようです。

 直ぐ北側には梅林が広がっています

 「遺徳之碑」です

 説明版です
   遺徳之碑
 故茨城県参事関君遺徳之碑
 茨城県第6代参事関新平(旧佐賀藩士)が、明治6年から同8年まで、茨城県の参事(知事)を務め、しの間仁政を布き人徳を残して去ったことに対して、多数の旧水戸藩士がその遺徳を偲び明治30年(1897)に建碑しました。
 関新平は、江藤新平・木下民平(喬任)とともに「肥前の三平」と呼ばれた逸材です。
 

 南西へ進むと「偕楽園記碑」の大きな石碑です

 説明版です
   偕楽園記碑
 偕楽園の名前の由来や創設した理由、利用の心得などが、斉昭の直筆で記されています。
 碑には、斉昭の宇宙観や人間観、藩主としての姿勢、偕楽園が弘道館と一対の施設として構想されていたことが記されています。
 また、この公園は自分ひとりのものではなく、領内の人々が学問や武芸を学んだあとで余暇を利用して休息し、心身を養うところであることを明らかにしています。
 偕楽園の名前は、「多くの人々と楽しみをともにしたい」との思いから名づけられました。
 碑の裏には斉昭の定めた園内での禁止事項(六ケ条)が刻まれています。その内容は今日の公園管理の先駆をなすものといえます。

 井戸です、水があるのかどうかは分かりませでした


 好文亭東側のサルスベリです

 説明版です
    百日紅(さるすべり)
         推定樹齢300年
 中国南部の原産のミソハギ科の落葉樹です。
 8月頃に紅の濃淡又は白色の花が咲きます。

 南側から

 東側から三階建ての「好文亭」を見ました、庭のマツの整備をしていました

 北側の平屋部分が「奥御殿」です 

 南側端の「仙奕台」です、南東に千波湖を見ました

 *仙奕台(せんえきだい)
 千波湖をはじめ周囲の景観が一望できるこの突き出して台地を仙奕台と称します。
 「奕」は囲碁を意味し、四方を眺め湖上から吹き上げる涼風を受けながら碁や将棋などを楽しんだところです。
 石でできた碁盤や将棋盤・琴石・卓石は当時のものです。


 北側に在った「左近桜」は枯れてしまって二代目が植えられています

 東へ進みます「見晴らし広場」から好文亭を見ました


 東門近くの「二季咲桜(にきざきざくら)」が咲いています

 この辺で、続きにさせて頂きます、次は「常磐神社」です 
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