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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山形県戸沢村、古口「幻想の森の大杉」です!!

2021-05-31 18:22:00 | 巨樹・大木
 古口地区は、戸沢村役場の有るところです、「幻想の森」は町役場の西約9kmの土湯山(標高576.6m)の北斜面尾根上です、国道47号線を西へ最上川の左岸を進みます、最上峡の名勝「白糸の滝」の手前に案内板が出ていますので、ここから急な砂利道の林道を進み終点に幻想の森が有ります


幻想の森の入口が有ります

陸羽西線の高架を潜ると林道を登って行きます

切り払われた明るい斜面にでました、スキー場の跡のようです、ヤマザクラの大木が満開です


幻想の森までは、まだ1.6kmです、神代杉(山ノ内杉)の案内柱も建っています

更に林道を登って行きます

目立つ大きな杉が現われました

ニッセイ最上の森の看板があります

道路正面にも変わった杉の大木です

幻想の森入口です、歩道にはウッドチップが蒔かれています

説明版です
幻想の森  
 最上峡一帯に分布している天然杉は、タコ足状に幹が分れた多幹型の老杉が多いことが特徴です。この杉は太平洋側のオモテ杉に対しウラ杉と呼ばれ、地元では地名から山ノ内杉、土湯杉とも呼ばれています。
 ここ最上峡には樹齢1000年を超えると思われる巨大な杉が数多く自生し、太いものは幹周りが15mもあり、枝葉が細いという特徴もあります。オモテ杉の代表として屋久杉が知られていますが、ここ最上峡の天然杉林も京都の芦生杉、富山の立山杉、隣県の秋田杉と並び最大規模と言われています。また、ブナと混交し林床にユキツバキを持つ点でも他に類例の少ない群生地です。



尾根通しの森に入るといたるところに「山ノ内杉・土湯杉」が立っています

特徴的です

歩道の交差点に巨大な杉が表れます

南側から、説明版に有った目通り幹囲15mの神代杉です

西側から

もう少し先へ進みます、まだまだ大木が続きます

根曲りの大木があちこちに見られます

この先にはウッドチップが蒔かれていので戻ることにしました

神代杉から南の尾根筋の巨木です

*このブログ2019年19月16・17日の「富山県魚津市三ケの洞杉群」よりも、林道を車で走る事が出来れば行き易く、一本一本の規模は小さいですが数の多さに驚かされました、また天気の良い時に訪問させて頂きたいと思います

では、次へ行きましょう
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山形県戸沢村、角川「長倉(今熊野神社)の大杉」(県指定)です!!

2021-05-31 06:25:29 | 巨樹・大木
 角川地区は、戸沢村役場の南約7kmのところですが、長倉集落は地区の一番南に当たり、村役場の南約10kmの所です
 (まだ奥約4kmに今神温泉が有りますが休業中のようです、もともと長期の湯治客のみ利用できたそうです)


「道の駅とざわ」の戸沢村観光マップです、右側には「幻想の森」そして右中上には「長倉の大杉」が記されています

村役場前から国道47号線を西へ、角川橋を渡って信号を南に県道57号戸沢大蔵線へ入ります


約7kmの本郷集落で、今神温泉と角川小中学校の案内板に従って右へ入ります

今神温泉の案内板に従って真直ぐですね

今熊野神社と長倉の大杉は、ここは左の道に入ります、雪が残っています営業していなくても今神温泉まで行けるのでしょうか


長倉集落です、三軒の建物が在るようですが二軒は廃屋のようです正面に今熊野神社境内の「長倉の大杉」が見えています

参道入口にはまだまだ雪が残っています


説明版です
  長倉の大杉
 樹齢1200年余、高さ約40m、幹の太さ約12m、縁起書によれば,神亀元年創建されたと言われる今熊野神社の境内に神木として育ち、又、月山登拝道角川口の入り口に立って長い歴史を見つめて来ている老杉である。昭和27年山形県指定天然記念物となる。
 戸沢村文化財保護委員会

参道を登ります

大杉を根元下から見あげました

右へ参道を進みながら見上げました

目通り幹囲12mの巨木です

もうすぐ境内です

鳥居です

社殿です

軒下の額には今熊野神社の文字が見えます

社殿前から

参道を戻って鳥居下から

西側から見あげました


サンカヨウ

フィキノトウ

アズマイチゲなどの春の花が咲いていました

では、次へ行きましょう

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山形県戸沢村、谷津「日本一の大柳」(村指定)です!!

2021-05-30 18:46:18 | 巨樹・大木
谷津地区は、戸沢村役場の東約4kmのところ、日本一の大柳が在るのは、最上川と支流の鮭川の合流点近く、鮭川の蛇行でできた巾着の様な耕地の南東端に在ります、鮭川に掛かる金打坊橋の北詰です

国道47号線から県道34号線が最上川を渡る古口大橋を渡って、JR陸羽西線やつ駅前を通り北東側の踏切り脇に「日本一の大柳」の標柱が建っています、踏切りを渡って南に向き工事中の新道の高架を潜ると広い田圃の先に小さく一本の樹木が見えています、鮭川の堤防沿いを東へ向かって、入り口脇に車を止めさせて頂きました
*新道は古口新庄道の一部です、最上川を渡る古口大橋の北側に新しい橋が架かって自動車専用道路として一部利用できるようになっています



踏切りのところに薄くなってしまっていますが「日本一の大柳」の標柱が建っています、ここから2kmのようです


新道建築現場の出来上がった高架を貫けます

広い田圃の向う(南東側)に見えているのが日本一のヤナギのようです

南に進んで鮭川堤防沿いを東へ進みます

南東側に入口が有ります

大柳です

説明版です
 日本一の大柳
  (戸沢村市定文化財)
和名 シロヤナギ(ヤナギ科)
樹高 22.0m
幹回り 7.7m
樹齢 言い伝えによると石清水集落の祖先の方が江戸末期に植えたとされているがこれだと百数十年程度である。今回の調査で腐蝕した樹木の一部の年輪を見たところ1cmに4本の年輪があったことから400年はゆうに超えることが想定される。
結び 自然遺産として貴重なものであり、この大柳を村人の宝として見て、触れて、護り続けたいものである。
 戸沢村文化財保護委員会

北東側から

北側から

南西側から

南側から

北側に石碑が建っています

説明版です
  ドーアン楯渡場板碑由来書
 板碑は生前に建てられた供養碑であり、弥陀の浄土思想の影響から死者の霊を弔い、浄土安楽を祈ると同時に善行を積み、我が身の安楽をも願うものであり、鎌倉時代から室町時代にかけ盛んに造られたもので、武蔵の国荒川流域がその発祥地とされ、武士の発生と文化の広まりと共に建立されたものである。
 当村の板碑の特徴から鎌倉後期の可能性が高く、最上郡内でも5指に入り良い姿で残っている。とりわけ最上川と鮭川の合流点の交通の要所にあることは文化的価値が高い。
 戸沢地区区画整理工事に伴い、平成26年9月にこの地にい移設された。
  戸沢村文化財保護委員会
*私の住む埼玉県荒川周辺が起源とは驚きましたね~、そういえば以前さいたまテレビで、板碑を紹介する番組がありました

では、次へ行きましょう


帰り際に北東側から見ました






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山形県庄内町、肝煎「肝煎皇大神社の大杉」です!!

2021-05-30 06:17:18 | 巨樹・大木
 肝煎地区は、庄内町役場の南東約15kmのところ

 国道47号線を南東へ狩川地区を過ぎて最上川左岸を進みます、JR陸羽西線きよかわ駅を過ぎて県道46号立川羽黒山線を南へ立谷沢川沿いを約5km進むと県道右手の集落です、集落内の道路に入って西側の河岸段丘斜面に参道を東向きに皇大神社が鎮座します

*羽黒山に至る東側のルートです

 参道入口の青麻神社前公園脇に車を止めさせて頂きました


参道入口です、正面の建物は青麻神社です

村社 皇大神社です


石塔が有ります

本殿の文化財標柱です

右側には石の御神体がたくさん並んでいます

参道を登って行きます

東向きに随身門です

随身門を潜ると広い境内になっています、社殿は南向きです

参道正面に境内社です

拝殿です


本殿です

説明版です
 立川町指定有形文化財
  皇大神社本殿
所有者 山形県東田川郡立川町大字肝煎字裏山50
  皇大神社
指定年月日 昭和43年12月10日
 皇大神社の社殿は、本殿、幣殿、拝殿並びに随身門をそなえ、本殿は一間社流れ造りで、屋根は現在銅板葺きである。
 本殿は、向拝の方柱(四角な柱)その他の比例や向拝正面の蟇股(かえるまた)などから桃山時代の建築様式をそなえ、また、当社は慶長元年(1596年)8月18日に伊勢から勧請したという由緒も伝えられており、時代が一致している。
 桃山時代と推定される建築としては、庄内地方には5指を屈するほどしか残っていないので貴重な建造物である。本殿は拝殿の後側にある建物である。
  昭和54年3月
立川町教育委員会

目的の大杉は社殿正面境内端に立っています、北東側参道から

拝殿前参道から

拝殿脇から

南側から、目通り幹囲5.3mの巨木です

南東側から

では、次へ行きましょう
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山形県庄内町、三ヶ沢「三ヶ沢(霊輝院)の乳イチョウ」(県指定)です!!

2021-05-29 18:33:34 | 巨樹・大木
 三ヶ沢地区は、庄内町役場の南南東約18kmのところ

 国道47号線を南東へ、狩川地区で県道46号線を南へ約4k進むと三ヶ沢地区に入ります

三ヶ沢集落で県道が左カーブした先から戻るように集落内に入ると正面に霊輝院参道が南向きに在ります


参道入口です

天然記念物標柱です、「三ヶ沢の乳イチョウ」です

天然記念物表示です 
  山形県指定天然記念物
 霊輝院の乳いちょう
  曹洞宗 霊輝院
  立川町観光協会
 平成3年11月竣工
*標柱と名前が違っていますね

参道を直角に右へ曲ると石段を登ります

本堂です

参道左手に目的の乳イチョウです

本堂前から見ました

南側から

西側から

山形県緑化推進委員会・山形新聞・山形放送の標柱です、こちらは「霊輝院の乳イチョウ」です

説明版です
 山形県指定記念物 天然記念物
  三ヶ沢の乳イチョウ
 所有者 山形県東田川郡立川町大字三ヶ沢字白山口48番地
  曹洞宗 霊輝院
 指定年月日 昭和27年4月1日
 雄株のイチョウで、50cmほど根上がりになっている。根幹の境の部分がややせばまっているが、根周り6.5m、最も太いところが幹囲7.4mである。地上2mのところで二幹に分れ、北東側のものが主幹となって高さ27mに達する。樹齢350年以上と推定されるが、明らかではない。
 雄株であるが、大小多数の乳柱が垂下し大きなものは地に接している。古くから乳の出を願う人々の信仰をあつめている。
 乳柱は乳状に突起したもので担根体といい、その構造は根と違って軟らかい細胞からできており、多くのでんぷん質を蓄えている。乳白色状の乳と同じような樹液が流出する。
  平成17年5月
 立川町教育委員会


更に西側の墓地前から見ました

では、次へ行きましょう
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山形県庄内町、狩川「熊野神社参道のケヤキと森」(町指定)です!!

2021-05-29 06:24:57 | 巨樹・大木
 狩川地区は、庄内町役場の南東約10kmのところ

 国道47号線を南東へ、国道345号線を過ぎると狩川の町です、陸羽西線かりかわ駅の南側県道46号線を東に進むと、熊野神社の案内板が有ります

 南向きの長い参道です、参道の中ほどを陸羽西線が横断しています(踏切りは無いので渡れません)

 まず参道入口脇の県道脇に車を止めさせて頂きました


熊野神社の案内板が有ります

参道入口です

熊野神社です

由緒書が有ります
  熊野神社御由緒
1、御祭神 伊弉諾命伊弉弸命外三柱
2、御祭日 8月19日
3、御由緒
  嘉祥3年 (西暦850)出羽郡司小野良実水神(熊野権現)を祀る
  文永元年 (1264) 狩川城主斎藤新九郎俊氏(生国紀伊国熊野)紀伊国熊野那智山より熊野権現を勧進し御堂を再建
  元和4年 (1618) 狩川城代北舘大学助利長大堰完成に感謝して社殿を再建し鰐口を奉納
  正保3年 (1642) から嘉永3年(1850)まで7回堰下御開帳を執行
  正徳5年 (1715) 庄内三十三札所創始により7番札所となる
  元文4年 (1740) 東奥野村氏子有志鋳鉄大鉢を奉納
  明治9年 (1876) 神佛分離により熊野神社となる
  昭和12年(1938) 指定村社に昇格
  昭和29年(1951) 氏子総意により社殿再建
  平成2年 (1990) 氏子有志郡智山神石を奉納


立川町指定天然記念物 熊野神社の森の標柱です


参道脇の水準点です

参道左手の祠の影に目的のケヤキです

東側から


北東側から、目通り幹囲5.8mの巨木です


参道を進みます

参道は陸羽西線で分断されてしまっています

車を線路の北側の神社参道に移動します

境内入口です

鳥居です

また熊野神社標柱です

説明版です
 立川町指定天然記念物
   熊野神社の森
所有者 山形県東田川郡立川町大字狩川字堂ノ下36の2熊野神社
面積  14、467.2㎡(4、384坪)
指定塩月日 昭和48年2月7日
 熊野神社の森は、従来からその豊富な植物相で、植物学者のたびたびの調査研究が行なわれて、学界でも貴重な存在として注目を集めていた。
 昭和47年の調査によると、人間の手が入る前の庄内地方平野部の自然の姿を残している現在唯一の場所と考えられることが貴重な場所とされている。
 特に庄内地方平野にもブナが自生していたことを証拠づける貴重な場所であると同時に神社北側中央部のナンジャモンジャの木とよばれるエノキは、県指定のものにも匹敵するものである。ケヤキ、アカマツの巨木もあり、ケンポナシ、トネリコの個体数も多く成育良好である。
 昭和53年3月
  立川町教育委員会
(2005年7月に立川町は、余目町と合併して庄内町となった)


熊野自然植物苑となっています

手水舎です

狛犬です

拝殿です

本殿は覆屋の中です

参道左のイチョウの大木です


この木は自然林としての森とは関係ないものですね

境内社です

境内を出て東へ回るとケヤキの大木です

東側から見ました

北東側から

熊野神社の森を東側から

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山形県庄内町、狩川「狩川八幡神社の大ケヤキ」です!!

2021-05-28 18:23:00 | 巨樹・大木
 狩川地区は、庄内町役場の南東約10kmのところ、県道46号線と県道33号線の交差点が狩川です、交差点を南へ入って次の信号の先に八幡神社が東向き参道で鎮座します

 向かい側の冷岩寺参道脇に車を止めさせて頂きました



参道入口です

郷社 八幡神社です

手水舎です

境内北側のケヤキの大木です

南側の宝物庫の後にもケヤキの大木が見えます

太い幹が見えました


大きな洞の有るケヤキです



境内南側のケヤキです

狛犬です

拝殿です


本殿です




本殿北西側のケヤキが目通り幹囲6.1mの巨木です


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山形県庄内町、廿六木「下塚の松」は、伐られてしまいました!!

2021-05-28 06:29:17 | 巨樹・大木
廿六木地区は、庄内町役場の北東約500mのところ

県道360号線を北へ、羽越本線の踏切りを超えると地区に入ります

地区の北の端、コンビニの手前に「下塚」が有ります

塚脇の道路に車を止めました



南側から


太い松が切られています

幹の中は空洞になっていたようです

切り口の色から、まだ伐られたばかりです

松活性化事業の標柱ですが・・・

説明版です
  上塚・下塚の由来記
 寛永年間(1640年頃)廿六木村に疫病がはやり、村の戸数の三分の一にもあたる十二・三戸が死滅するという悲惨な状態に見舞われた。その時千光院・容海上人という二人の行者が足を止め、村人の難儀を救うべく、早朝から斎戒沐浴をして身を清め、一心に悪病退散のご祈祷をして村を廻った。不思議な霊験があらわれ、やがて一人、二人と病は治り疫病は完治した。
 村人は非常に歓び感謝をこめて、永くこの地に留まるよう願った。千光院は森屋伝兵衛宅に、容海上人は太田利左エ門宅に滞った。二人の行者は約束をして、千光院は村の南入口(上塚)に、容海上人は北の入口(下塚)に葬られて、村に災疫の入らぬよう守ってくれると遺言された。村人により、松の木、榎の木が植えられた。
 毎年4月4日に恩謝と祈願供養のお祭り行事が行われ、その由来を伝承している。
平成16年4月 
廿六木建立



根元には祠があります

東側から

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山形県庄内町、払田「払田の地蔵の松」(県指定)です!!

2021-05-27 18:31:00 | 巨樹・大木
払田地区は、庄内町役場の南約1kmのところ

県道43号線と県道341号線の交差点の南に入った所に案内板が出ています

すぐ先に大きな笠状のクロマツを見る事が出来ます

東側道路脇に車を止めさせて頂きました


案内板です


東側から

天然記念物標柱です

説明版です
 山形県指定天然記念物
昭和33年7月25日指定
 払田の地蔵の松
樹種    くろまつ
根まわり  4.3m
目通り幹囲 3.9m
樹高   10.8m
枝張り 東に8m、西に12m、南に10m、北に9m
樹齢  推定370年
 この松の言い伝え
 備前の国の池田候の一族といわれる人々が、鳥海山の麓に来て、その地を開拓したが、山崩れにあったため、本町福原附近に移住したところ、今度は、洪水にあい田畑を失った。そこで三たび移りこの地を「払田」と名付けた。
 この松はそのころ植えられたといわれる。後に庄内藩主酒井候

西北西側道路から

北西側より幹を見ることが出来ます

西北西側より幹を見上げました

東側の根元のお地蔵様です

文化2年の句碑です

南東側から見上げました

南側から

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山形県庄内町、深川「深川のツキ」(町指定)です!!

2021-05-27 06:22:36 | 巨樹・大木
深川地区は、庄内町役場の西約4kmのところ

県道357号線を西へ、一度酒田市に入って局集落で左へ、また庄内町に戻ると深川字久田の集落です

久田集落の西端(字名沼田)にケヤキの巨木が立っています

ケヤキの北東側に車を止めました


地区西端の地区入口案内板です、ここを南へ入ります

西側道路から見ました

南側から

東南東側から

天然記念物標柱です

説明版です
  深川のツキ
 所有者・・・深川集落〔深川〕
 指定年月日・平成6・4・18余目町指定文化財・・・指定番号54
  ツキは、ケヤキの古名です
 深川の西端にしげる本樹は、むかしから舟つなぎのツキと呼ばれてきました。
 江戸時代、のの付近に、赤沼という大きな沼があったといわれ、また南北にが流れていたともいわれています。そして、漁労舟の休み場であったということから、舟つなぎのツキと称されてきたと推察されています。
 現在もツキを指す一本木下という小字名の近辺に沼田や漕越沼という小字名が残っています。また、川は深い淵になっていたともいわれ、深川という名の由来になったといわれています。
 樹容は、空洞化が著しく、大方表皮肉だけで樹勢を保っています。
●根周り・・・・・6.50m
●目通り幹囲・・・6.15m
●幹高・・・・約23.00m
●枝張り・東西約6.200m、南北約16.10m
●樹齢・・・・450年(推定)
●空洞・縦3.2m、横1.42m(最大)

*ケヤキの漢字表記には、「欅」と「槻」が有ります、槻が「ツキ」と読めますね

北側には大きな洞が出来ています

北東側から


北西側から田圃の先に大きな樹冠を観ました

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山形県遊佐町,上蕨岡「上寺下居堂のトチノキ」(町指定)です!!

2021-05-26 18:37:00 | 巨樹・大木
遊佐町役場の南東約4kmのところ

 国道354号線を南へ、県道373号線を東へ進み、天狗森の上り坂を西から東へ登りヘアピンカーブを東から西へ向きを変えて昇って行くと、上蕨岡(上寺)入口の案内板が有ります(参道が上がってきたところです)



大物忌神社前から北に行った道路からの入口です、「下居堂とトチノキ」案内柱が出ています


坂道を上がって下居堂の入口です

案内板です
 下居堂(磯前神社)とトチノキ
  (遊佐町指定天然記念物)
 下居堂は鳥海修験が盛りの頃、鳥海山頂に祀られていた鳥海山の本地仏薬師如来を冬期間安置したお堂で、明治の神仏分離により磯前神社と称し、薬師如来は龍頭寺に本尊として安置されることになった。
 トチノキは、根回り4.95m、目通り幹囲4.2m、樹高25m。
  平成28年9月 蕨岡まちづくり協会


大きなトチノキが見えて来ました

西側から

北側から

小さな社です

額にはの文字が有ります

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山形県遊佐町、上蕨岡「鳥海山大物忌神社蕨岡口の宮」(国指定史跡)です!!

2021-05-26 06:28:26 | 文化財・寺社
上蕨岡地区は、出羽一之宮の三つある社の一つ、鳥海山大物忌神社蕨岡口の宮のあるところ

 遊佐町役場の南東約4kmのところ

 国道354号線を南へ、県道373号線を東へ進み、天狗森の上り坂を西から東へ登りヘアピンカーブを東から西へ向きを変えて昇って行くと、上蕨岡(上寺)入口の案内板が有ります(参道が上がってきたところです)

もう一段上の鳥海山大物忌神社蕨岡口の宮前の駐車場に入りました


上寺案内図です

由緒書き説明版です
 出羽国一之宮 鳥海山大者忌神社 由緒(略記)
 御祭神 大物忌神((稲倉魂命・豊受姫神と同神)
由緒 社伝によれば、第12代景行天皇の御代当国に現われ、神社の創祀は第29代欽明天皇25年(564)の御代と伝えられている。鳥海山は活火山で、噴火など異変が起こると朝廷から奉幣があり鎮祭が行なわれた。本殿は山頂に鎮座し、麓に「口ノ宮」と呼ばれる里宮が蕨岡と吹浦の二ヶ所に鎮座する。
 大物忌神社は、貞観4年(862)11月官社に列し、延喜式神名帳には名神大社として、吹浦鎮座月山神社と共に収載されている。後に出羽国一之宮となり、朝野の崇敬を集めた。特に歴代天皇の崇敬篤く、八幡太郎義家の戦勝祈願、北畠顕信の土地寄進、鎌倉幕府や庄内藩主の社殿の造修など時々の武将にも篤く崇敬されてきた。
 中世、神仏混清以来、鳥海山大権現として社僧の奉仕するところとなったが、明治3年(1870)神仏分離に際し旧に復して大物忌神社となり、明治4年(1871)5月吹浦口ノ宮が国幣中社に列したが、同13年(1880)7月に山頂本殿を国幣中社に改め、同14年(1881)に蕨岡・吹浦のさy殿を口ノ宮と称えて、隔年の官祭執行の制を定めた。昭和30年(1955)に三社を総称して現社号となる。山頂の御本殿は、伊勢の神宮と同じく20年毎に建て替える式年造営の制となっている、現在の御本殿は平成29年(2017)に造営された。
 平成19年(2007)当神社の社殿及び随身門・神楽殿が国の登録有形文化財に登録され、平成20年(2008)には、山頂本殿から口ノ宮にいたる広範な境内が、国の史跡に指定された。
 主な祭日(蕨岡口ノ宮)
 1月 7日 御種蒔神事
 5月 3日 例大祭 蕨岡延年舞奉納
 6月25日 五穀豊穣祈願祭・稲荷神社祭
10月 2日 荘照居成神社祭
11月12日 新嘗祭
  平成23年3月吉日復元
  鳥海山大物忌神社
  NPO法人遊佐鳥海観光協会
    令和3年1月 一部修正
 

境内入口鳥居です

随身門は国の登録有形文化財です

国幣中社 大物忌神社です

随身門を潜ると説明版があります
 国指定史跡 鳥海山
鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮境内
  平成20年3月28日指定
 鳥海山は、その雄姿と度重なる火山活動から、不安定な治安と相まって古代から神階奉受が繰返され、大物忌神として崇敬されてきた信仰の山である。中世には修験道の霊場としてその地位を確たるものとした。鳥海山を取巻く各地には、修験宗徒がそれぞれ活動拠点を設け、霊峰への登拝口とした。なかでも蕨岡の衆徒は、龍頭寺を学頭として、鳥海山表口、順峯・蕨岡33坊と称して、登拝口の中でも最も強大の勢力を誇った。
 本境内は、「大泉坊長屋門」(国登録有形文化財)など、宿坊集落の面影を残す上蕨岡地区(通称「上寺」)のほぼ中央に位置する。庄内藩主酒井忠器公の寄進による「出羽一之宮」の扁額のかかる随身門(かつての仁王門)を潜ると右手に朱塗りの神楽殿が見えてくる。神楽殿では、5月3日の例大祭 (「大御幣祭」)にあたり、山伏の修行・通過儀礼と一体を成す芸能である「蕨岡延年」(山形県指定無形民俗文化財)が奉納されている。
 さらに、参道を進むと、三の鳥居を経て、広い前庭をおいて、本殿が南面して建っている。かつての蕨岡口の隆盛のありさまが偲ばれる豪壮な社殿である。この他、境内には、酒田の豪商本間光丘寄進の宝篋印塔(遊佐町指定有形文化財)や天保年間の三方領地替騒動に関わる矢部駿河守定謙を祀る末社荘照居成神社(遊佐町指定有形文化財)があるほか、約400段ある石段を上がった、松岳山中腹には、峯中修行の紀念碑である「峯中碑伝」や、海抜150m程の低地に奇跡的に残されたブナ自然林(遊佐町指定天然記念物)がある。本史跡は鳥海山の信仰、文化遺産を代表するものである。
 遊佐町教育委員会
(訪問日は5月2日で例大祭の前日でした)

手水舎です

宝篋印塔です

説明版です



参道を進みます

参道右手に朱塗りの建物が神楽殿です

スギの大木が並びます

三の鳥居です

狛犬です

大きな社殿です


社殿前庭右手に風神社荘照居成神社です

町指定文化財標柱です


さざれ石です

末社火鎮神社です

末社松ヶ岡神社です

末社白山神社です

次は、すぐ西側にトチノキを見に行きます
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山形県遊佐町、上蕨岡「上寺のケヤキ」です!!

2021-05-25 18:31:00 | 巨樹・大木
 上蕨岡地区は、出羽一之宮の三つある社の一つ、鳥海山大物忌神社蕨岡口の宮のあるところ

 遊佐町役場の南東約4kmのところ

 国道354号線を南へ、県道373号線を東へ進み、天狗森の上り坂を西から東へ登りヘアピンカーブを東から西へ向きを変えて昇って行くと、上蕨岡(上寺)入口の案内板が有ります(参道を上がってきたところです)

ここの道路脇にまず車を止めさせて頂きました


上寺案内図です(大物忌神社前に有ります)

一の鳥居から真っ直ぐに上がって行く参道が高度を稼ぐために「くの字」に曲った所にケヤキが在ります

案内板です

坂道の上に目的のケヤキです


道路脇の広場状になった所にケヤキ、目通り幹囲6.5mの巨木です

東側から、太い注連縄が掛けられています

上(南東)側から、根元に洞が出来ています


向かいの石段が神社の参道です

大泉坊長屋門です

説明版です
  大泉坊長屋門
 この長屋門は、天保5年(1834)、当家4代目竈賢翁(1804~1868)が創建した。翁は、夙に京都に在って歌道に精進しその奥義をきわめた。宮廷にも出入して公卿衆に和歌を指導した。皇居の歌会に召されて詠歌することもあった。これらの功により長屋門建設が許された。門は総欅造り、切り妻平棟門で軒の飾り瓦には菊の紋章が施されている。ほかに釘を用いない工法など特技が見られる。 
 元来、長屋門は、国持大名の江戸屋敷の外辺に造られた。国許から出府する家臣や奉公人の住居としたものであった。それぞれ格式により、十万石以上では、左右に唐破風か、切り妻の出番所が付いた門、分家で五万石以上は片出番所と片出格子が付いた門、一万石以上では左右に出格子が付いた門と定められていた。
 この門は、棟までの高さ四間(7.27m)、間口十一間(20m)、奥行二間半(4.55m)、建坪27坪半(90.75㎡)。優に一万石以上の格式に並ぶ構えである。
平成15年4月21日
 大泉坊長屋門保存会
 遊佐町教育委員会
 


長屋門前からケヤキを見下ろしました

神社に向かいましょう
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山形県遊佐町、野沢「御嶽神社のスギ」です!!

2021-05-25 06:21:01 | 巨樹・大木
野沢地区は、遊佐町役場の北東約3kmのところ

県道60号線を東へ月光川を渡って県道60号線は東へ向かいますが、真直ぐ北へ庄内こばえちゃラインを進みます、田圃の中右手にJA庄内みどりのカントリーエレベータが見えて来ます、高瀬川の手前の十字路を東へ野沢集落です、高瀬川の支流の橋を渡ってすぐ川の右岸沿いに細い道を進みます、坂道を登って集落東端に出ました右手に赤い鳥居が見えます、御嶽神社の一の鳥居(南向きに建っています)のようです。

道路脇に車を止めて写真を撮りました



川に掛かる赤い橋と鳥居が有ります

郷社 御嶽神社です

祭神事歴が彫られています



更に車で道路を進みます

西向きに参道入口です

杉並木の長い参道です

左に平行する車道を進みます

車道を進むと、右手参道側に御嶽神社境内手前の顕著なスギの幹が見えて来ます

目的のスギです、目通り幹囲6.2mの巨木です

西側車道から見あげました


北東側から

参道は歩かれていませんね

鳥居です三の鳥居のようです

鳥居脇のスギの大木です

鳥居を潜って左に曲ると手水舎です

手水舎前から右に曲って石段を登ると社殿です

軒下の額です「龍澤宮」となっています


境内社の「火伏神社」です


新しく作られている駐車場から見ました

では、次へ行きましょう
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山形県遊佐町、直世「永泉寺のスギ・イチョウ・トラノオモミ(県指定)」です!!

2021-05-24 18:25:00 | 巨樹・大木
直世仲道地区は、遊佐町役場の北約6kmのところ

国道345号線を北へ月光橋を渡って羽越本線の手前で県道371号線を北へ更に進みます、三上神社の先を右に入って升川郵便局前の道を北へ一番奥の山際の集落内に永泉寺が有ります

参道前の道路脇に車を止めさせて頂きました



参道入口です、目的のスギが参道左に、イチョウが右に見えています

曹洞宗 大本山直末 剱龍山 永泉寺です

庄内平和観音第27番・庄内梅花観音第10番霊場です

狐像です

大正11年の聖徳太子1300年記念と観音霊場準礼縁由の石碑です

西国霊場の石碑です



まずは参道(北東側)からスギです

北北東側から目通り幹囲6.1mの巨木です

参道(南西側)からイチョウです

北側から見ました、主幹は伐られてしまっていますが、目通り幹囲7.3mの巨木です

永泉寺境内へ入る道路は、この参道の東側に階段の参道と寺関係者用の車で上がる道路がありますので、現在は使われていませんが参道は続きます、先に山門が見えています

仁王門です

仁王門を潜ると正面に本堂です、本堂の屋根の右肩に目的のトラノオモミが見えます

境内の地蔵堂には子育地蔵尊が祀られています

桜の前を本堂西側の通路を本堂裏に行きましょう

南西側から

天然記念物標柱です

南東側から、目通り幹囲6.2mの巨木です


通路から西へ墓地の中に石造九重層塔が有りますので行って見ましょう

墓地の中を登ります

石塔や石仏が並びます

石造九重層塔です

説明版です
有形文化財建造物
 石造九重層塔
昭和28年8月31日指定
 永泉寺境内にある石造多層塔で、東禅寺3万石の城主、志村伊豆守光安公(最上家の臣で1601年初代城主となる。のち東禅寺改め亀ヶ崎と呼ぶ)の供養塔。1611年(慶長16年)家臣によって建立されたものである。
 塔の四方には、四智四仏の尊像が刻まれ、正面に前豆州大守為天皇良清公大禅門菩提云々とあるが、三百数十年の間風雪にさらされ、家臣21名の刻名もともに磨滅して明らかでない。
 昭和28年貴重な石造建造物として県の指定を受けている。
総高2.62m
 昭和46年3月1日
  遊佐町教育委員会
(説明版は参道入口の建っています)

では、次へ行きましょう
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