趣味と健康日記

清野明子(民謡歌手)の応援、登山、スポーツなど趣味と日々の健康を記す日記です。

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民謡の話 Vol.55 「田原坂」

2008-07-22 00:41:39 | 民謡の話

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 北海道は「江差追分」から一気に九州熊本に跳び、「田原坂」(たばるざかです。田原坂は薩摩軍と官軍が戦った古戦場です。今でも土手などを掘ると鉄砲の弾が出るほどの激戦が行われました。
 発端は明治新政府内で大陸に新天地を求めようとする勢力(西郷派)とそれに反対する新勢力(大久保派)の確執を決する様な戦いでもありました。
 大河ドラマ「篤姫」でもそのあたりの一端を見せていました。西郷が江戸に向けて薩摩を発つ際に、「細川家の家老と大事な話をするので大久保も同席させよう」と言われ、大久保は勇んで同道したが、いざ会談の場になると席を外させられ、大久保としては大変悔しい思いをしたようです。このあたりから二人の確執が始まったものと考えられます。その後明治政府部内ではヨーロッパ視察を経験した大久保の意見が通るようになり、守旧派の西郷は薩摩で兵を挙げ「田原坂」で雌雄を決する事になるわけです。西南戦争と言われ、薩摩軍に反感を持つ会津兵が活躍した戦争でもありました。

 

 写真左が熊本県植木町です。 左側上部の丸印が沢山ある場所が田原坂です。写真右が田原坂で加藤清正が作った道路です。凹型になっているが土手に隠れて迎え撃つように考えられた戦術道路です。

雨は降る降る 人馬はぬれる
     越すに越されぬ 田原坂

田原坂なら 昔が恋し
     男同士の 夢の跡

春は桜よ 秋なら紅葉
     夢も田原の 草枕

田原思えば 照る日も曇る
     今宵忍は 恋じゃない

阿蘇の御神火 心に抱いて
     九州男児の 血は熱い

退くに退かれぬ 田原のけんは
     男涙の 小夜嵐

心濡らすな 虫の音しぐれ
     ここは田原の 古戦場

 明治20年代に唄われたものであり、作詞は岡本源次説と八江白峰説があります。

  

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