「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

鎌プリ前の坂(七里ガ浜)

2008-10-05 08:17:10 | 環境・土地
我が住宅街に隣接して鎌倉プリンス・ホテルがある。あの映画「失楽園」でも登場して有名になった。西武グループの崩壊後も売却されることはなく今も「プリンス」を名乗っていることからすると、売却された他のプリンス・ホテル群よりは、経営的にも良いのだろう。1枚目の画像はその鎌プリ前の坂道。我が住宅街からクルマに乗って、海岸に降りて鎌倉市街へ向かおうとすると普通のルートは3つしかなく(ちょっと大変でよければ他にも道はあるにはある)、そのひとつがこの坂道だ。



有名な坂道で、テレビドラマやCMにも多用されている。降りて行く時など急角度なため、海に突き刺さるように落ちて行く気分にさせられる。通勤経路でもあり、私も毎朝これを降りる。この坂の途中で小高い所にある鎌プリ正門から、海沿いの国道134号線までだけで標高差はおおよそ40mもある。坂の下は江ノ電の踏み切りで、それを越えればすぐ直角に国道と交差する。鎌プリのずっと上から、その坂全部があろうことか等高線と直角に交わる直線で作られてしまっている。この住宅街内の道路は、悲しいくらいほとんど直線ばかりで構成されているが、特にこの条件でこの直線の坂の設計はひどい。私はこの住宅街のランドスケープ設計者を恨む。おかげで絶景ではあるのだが・・・。



あなたがクルマでこの坂を下る時、ブレーキが故障したら、あなたのクルマはそのまま下の踏み切りに突っ込む。運が悪いと江ノ電にぶつかる。運が良ければ国道わきのコンクリート壁に突入することになる。踏み切りは大破する可能性が高い。だからかどうかは知らないが、踏み切り脇には、予備の踏み切り用の棒が用意されていることを、私は最近知った(2枚目画像)。

否応なしに私はこの坂を毎日使わざるを得ないので、まあそんなことは気にしていられないのだが。



坂を下りて国道を横切れば(あるいは地下道を通る)、すぐに海だ。3枚目の画像は七里ガ浜沖の漁師。最初に網を海中に設置してから、船を動かして、船底をコツコツ棒で叩くか海面を棒で叩いて魚を驚かせ、網の中に魚を追い込んで行く漁法。なかなか見事な手際である。時々七里ガ浜の沖で見られる。



七里ガ浜の海岸でふらふら遊んでいると、すぐ夕方になる。最後の画像は七里ガ浜から望む昨日の夕焼けだ。左上にある太陽の下、遠くに小さく江ノ島が見える。何もない所だが、七里ガ浜もなかなか良い所であると思う。
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建築をめぐる3つの職業(続)

2008-10-04 09:44:56 | 本/音楽/映画


画像は、東京大学建築デザイン研究室編集の「建築家は住宅で何を考えているのか」(PHP新書カラー版)である。高名な建築家の作品たる住宅が数多く紹介されている。編集者の一人、東京大学大学院建築学専攻難波教授は、この本の冒頭で建築家が考える住宅について「・・・クライアント(建主)の要求と同時に・・・さまざまな条件を考慮しながら設計を進める。しかし建築家はそれでけでは満足しない・・・独自のヴィジョンを持ち、それを設計の中に盛り込もうとする・・・ヴィジョンが生み出すテーマは、現在を脱却して未来へ向かおうとして・・・」と書いている。これを読んだだけで、私などは「普通でないなぁ、危ないなぁ」と感じる。やはり高名な建築家になるほど、普通に建てるだけでは満足出来ないようだ。

本の中を見ると、私も好きな「建築探偵」こと藤森先生がつくったニラ・ハウスを除くと、四角いほとんど箱のような家ばかりである。素材もコンクリートや金属や樹脂、ガラスを多用するものが多い。それはそれで美しい。発想もユニークだし、何より深い考察を感じることが出来る。ひとつひとつの家が離れているような辺鄙なところ、あるいは逆にビルも混じるようなところであれば、こうした住宅も良いかと私も思う。

しかし平均的な戸建住宅が立ち並ぶ都市あるいはその郊外の住宅街に、これらの住宅は合うのだろうか。普通の住宅街では家々は小さな土地に目いっぱい広がり、軒を並べている。屋根には角度があり、多くは木造建築である。そこに金属やガラスやコンクリートを主体にした四角い箱のような外観の家がいきなり入り込んだ場合、少なくとも通りの景観のリズムは狂ってしまうだろう。私が以前住んでいた住宅街では法律と同じ効力を持つ地区計画があり、建物の中心から両側に下がる普通に傾斜をもった屋根でないと、建築が許可されないようになっていた。家並みのリズムが重視され、そうした内容の地区計画が制定されたのであろう。

我が住宅街を見渡すと、私の家も含めて、仮に戦前であってもまったく違和感ないであろうと思われるような住宅は皆無である。残念ながら日本では、景観の歴史的連続性という意味での「普通」の基準はもはやないとも言えるのであるが、それにしても、多くの高名な建築家の家は「普通に美しい」とは私には見えないのである。
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