ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

お盆

2009-08-14 22:44:58 | つぶやき
お盆の時期になった。
この時期にしなくてはいけないのがお墓参り。

実家では、お盆前に墓掃除を済ませ、お盆の時期はお墓がきれいになっていた。
それが普通だと思っていたが、お盆の時期に家族でお墓参りに来て、掃除をする家もある。
前夫の家はそうである。
まあ、お義母さんも80歳になり、隣の市からわざわざ来ないだろうし、妹も旦那さんの方のお墓があるから、後回しになってしまうのだろうけど、14日のお昼近くになっても掃除が出来ていないのは、なんとなく悲しい。
毎度のことだけど、お墓の掃除をしてお線香をあげた。

実家のお墓に行くと、きれいに掃除され、お花が飾られていた。
親戚の人がお参りに来たのか、お線香がまだ燃えていた。
我が家のお墓には2つの墓石と2つの石仏と4つの墓石らしきものと霊標がある。
墓石の1つは、先祖代々と言っても、私で5代目の墓石。
もうひとつは戦争でなくなった、祖父の弟のもの。
あとの2つの石仏と、4つの墓石らしいものは、父が幼い頃に住んでいた家の敷地内にあったもので、区画整理のときに隣の家に入ってしまい、とっても気になった父がわざわざ我が家のお墓に移動してきたものだ。
それがいったい誰のか、また何かさえもわからない。

3箇所にお線香をあげ、手を合わす。
霊標を見ながら気がついた。
私の祖父がなくなったのが、昭和42年9月29日。
私が生まれたのは、昭和40年10月11日。
私が2歳になる前のことである。

祖父は女の子供がいなかったので、初孫で女の子だった私をとても可愛がってくれた。
それは、まわりのみんなが話をするから記憶として残っているものだと思っていた。
なぜなら、2歳にもならないときの記憶があるはずがないからだ。
でも、私は祖父の膝の上にいた記憶も、一緒に食事をした記憶もあるのだ。

お盆休みに入る前、同僚からメールが入ってきた。
「今日、無くなった母が遊びに来ていたらしいの。主人と息子が教えてくれた。彼らは見えるらしいのよ」
そういう感覚を持った人は世の中にはいる。
特に子供は、その感覚が鋭いらしく、大人になるとなくなる場合がある。

これだ。
きっと幼い時、私は祖父が見えたに違いない。
だから、記憶として残っているのだ。
そう思ったら嬉しくなってきた。

日本には何回か、祖先を思いおこす時期がある。
この時間は、とても大切な時間である。



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2009-08-12 23:28:37 | つぶやき
お昼休み、会社の売店でブドウと桃の販売をしていた。
3個で500円の桃を買って帰宅。

私にとって、桃の香りはお盆の香り。
お盆になると、仏壇にスイカ、ブドウ、桃が並ぶ。
日に日に熟していく桃の香りが、お線香と供に漂う。
それがお盆の香り。

キッチンに置いた桃の香りが漂ってくる。
そういえば、今朝の夢は前夫が登場。
ふたりで食べ物やさんに入って「トイレに行ってくるから選んでおきな」と言われ、私はわけがわからず選んだ。
「それカモミール」
そこで起きた。

カモミールには何の意味があるのだろう。
カモミールの属名「マトリカリア」子宮を意味するらしい。
子宮の病気に気をつけろ?

花言葉は「あなたを癒す」「逆境に耐える」「親交」
何だろうな?

お盆も近づいて、あの世も忙しくなっているようだ。
お墓参りに行かなくちゃ。


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静岡沖地震

2009-08-12 06:17:14 | 出来事
11日の5時7分におきた地震。

5時にめざましが鳴り、布団の中でうとうとしているときにぐらっときた。
家具は地震対策をしてあるが、倒れても安全な方に移動。
「ガシャン」何かが落ちている。

揺れがおさまり、避難経路の確保。
玄関のジグソーパズルが落下していた。
服を着替えて、荷物をまとめる。
とりあえず通帳。

外では、カミナリがなっている。
地震・カミナリ・・・火事に気をつけなくては。
ガス栓を確認。
水が出るから、水の確保。

途中で断念した富士登山。
準備した食料がそのままある。
食料をバッグにつめる。

テレビをつけて情報収集。
震度4。
彼に「無事」のメールを入れる。
会社は大丈夫だろうか?

書棚を見ると、猫たちが落下している。
しかし、被害はそれだけのようだ。

朝の出来事。
彼に「非難生活ですか」と言われたが、私は今の地震が余震で絶対に次にもう一度大きいのが来ると思っていた。

ゆれは大きいと思った。
引っ越したアパートが2階でよく揺れるからだろうか。
しかし、被害を考えるとそんなにゆれてはいない。

私が小学校の時から言われている「東海地震」
これで力が逃げて、ゆれないことを祈る。




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2009年 富士登山

2009-08-11 00:14:42 | 旅行記
今年も富士登山に行った。
メンバーは、毎年一緒に行っている友人と、その友達。それから夜のバイトで一緒だった60代のおじさんの4人。
ルートは富士吉田口。6合目以上ならご来光確実なので、ここに決めた。

9日19時45分河口湖五合目到着。
1時間ほど食事をしたり、着替えをしたりして、体を慣らした。
20時45分出発。
ガスが出ていたが、河口湖や吉田の町の夜景が見えていた。

歩くこと30分。やはり去年より辛くなっている。
いつもは私が先頭を歩くのだが、今年はおじさんが歩く。
そういえば、男性が参加したのは今回が初めて。
富士山安全指導センターで「風が強いので注意してください」と言われた。

だんだん夜景が見えなくなり、雨が降ってきた。
下は雨でも頂上は・・・と登っていった。

7合目の山小屋の前で休憩していると山小屋の人がポツリと言った。
「まだ山を登るんだ、山を知らないなぁ」
このときは、この意味がよくわからなかった。

また、頂上を目指して歩いていいると、下山する人にすれ違った。
ここには、下山道があるので、すれ違うことはないはず。
話を聞くと「台風9号が発生して、こちらに向かっているらしい。雨、風が強くなる前に下山した方が良い。と言われた。」とのこと。
どうするか悩んだが、7合目から8合目は両手を使ってはいのぼる様な場所。
ここを、雨の中下山するのは非常に危険。
とりあえず、8合目の山小屋まで向かった。

ひとりの体調が悪くなったため、下山することに決定。
しかし、この暴雨風の中下山するのは危険と判断し、明るくなるのを待つことにした。
ただいまの時間10日の1時30分。

山小屋のトイレで雨宿り。壁には「雨宿りはしないでください」と書いてあった。
しかし、ここには8パーティ25人がいた。
内、海外の方が3パーティ13人。
どのパーティも体調の悪い人間を抱えていた。
女性の二人連れ。ひとりが「寒い」と震えていたので、もうひとりが服を脱いで渡していたり、海外の親子は中学生くらいの息子が高山病なのか真っ青な顔して気持ち悪そうだった。父親はカッパを購入し、体をさすりながら、応援していた。
別の若い女性のパーティでは、外国人の女性が高山病で倒れてしまった。
友人の友達も、顔色が悪く、横になっていた。
山のトイレでにおいもきついが、雨がしのげれば、体力の消耗にはならない。

3時になった。日の出まであと1時間半。
自然と周りの人と会話がでる。
和歌山から来ているというご年配の家族。
20代のカップル。みんなで「明るくなったら下山しましょう」と話をした。

ところが、この時間になると山小屋に泊まっていた人たちが起きだしてトイレにやってきた。
もちろん私達がいると邪魔になる。
出来るだけ通路をつくり、邪魔にならないようにしていたが、中には「私はトイレに行きたいのよ」と怒る人や、「どいてくれない」と言うひとがいた。
その中に「大変だったわね。大丈夫?」と声を掛けてくれた年配の女性がいた。私は、こんな人になりたいと思った。

その後、山小屋の人がやってきた。日の出まであと1時間。
「これから、ここに泊まっている人が300人ぐらいトイレを使います。出て行ってください。ここにいても雨はひどくなるばかりです。今来た道を降りていった方がいいです。出て行ってください」
確かに商売の妨害をしているのは私達だから仕方ない。隣のカップルに聞いたら「小屋で休ませてくれないか」と聞いたら、「満員だからダメだ」と言われてここにいた。と話してくれた。

軒のないところで、雨の中1時間を待つのは辛いことである。
山小屋の人に聞いた「ここから下山道に通じる道がありますよね。わかりますか?」
「わかりますよ、でも日が出てからにしてください」

トイレにいた面々はそれぞれに散っていった。
和歌山の家族と、カップルと明るくなるのを待って、一緒に下山しようと話していたが、カップルは我慢できなかったのか、手を振りながら登山道を降りていった。

もうすぐ日の出と言う時間に、泊まっていたツアーが下山道を下山するという。
これについていけば、道も間違えず下山が出来る。
ツアーの後ろについて下山を始める。
雨も風も強く、雨が下から降ってきた。顔につき刺さる。
ゴアテックの靴なのに、雨が入り靴の中に水溜りがある。
新しい靴でサイズが合わなかったのか、親指が痛い。爪が死んでしまう。
カミナリが鳴り出す。稲光は見えない。早く下山しなくては。

緊急避難所で休憩。最後の私達が1段上がろうとした瞬間、何かに足をとられそうになった。
下山道が川になっていく。水の前に泥が土石流となって流れてきた。
その勢いはすごいものだった。
無事に下山できるのか?

時々流れてくる土石流に気をつけながら、無事に下山。
五合目に戻ってきたのは7時近かった。
あまりにも雨がひどく、レインウェアーが役にたたず、下までびしょびしょに濡れている。
携帯も見事に水没。

頂上にはたどり着けなかったけど、いろいろな事を学んだ富士登山になりました。
今年は日程的に無理ですが、来年はまた頂上でご来光を見たいと思います。



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