電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

窓に激突し羽根を痛めたヤマドリに社会保障制度の歴史を思う

2013年02月03日 06時03分37秒 | 健康
過日、某所の窓ガラスに激突し、羽根を痛めたヤマドリの写真を掲載しましたが、その後どうなったのだろうかと、気になっておりました。先日、再び某所で「あのヤマドリは、その後どうなりましたか」と尋ねたところ、その後は意識を回復したらしく、雪の中を歩いていったらしい足跡が、山の方へ向かって続いていたとのことでした。ふーむ、まずは息を吹き返したようで良かったけれど、その様子では、大自然の厳しい寒さの中で、生き延びるのは難しいのではないか。少なくとも、痛めた羽根が回復し、自力で飛んで外敵から身を守り、餌をとることができるようになるまでの期間は、誰かの世話にならなければいけないのではないか。

そういえば、病気や怪我をした動物で、生き長らえることができるのは、人間だけだと聞いたことがあります。群れを作り、一定の社会生活を営む野生動物も、病み傷ついた同類を助ける社会制度を持つものはいないのではないか。人間の場合だけが、病み傷ついた同類を助け、回復するのを待つ習性や慣習がある、ということでしょう。映画「レ・ミゼラブル」に描かれたような貧困や苛政の時代から、少しずつ積み重ねられてきたであろう社会保障制度の歩みに、思わず歴史を感じたことでした。

先天的な障がいを持って生まれたり、後から傷病により心身に障がいを持つことになった人々を助け支援する制度の存在は、本人や家族にとっては実に大切なものであり、本来「社会はあなたのことを思っていますよ」というメッセージでもあるはず。たしか、難病に苦しんだ分子生物学者、柳澤桂子さんの本ではなかったかと思いますが、ヒトが障がいを持つようになるのは、必ずしも本人の責任ではない。だとしたら、それは社会全体で支えることが大切だろう、という趣旨でした。この一節は、著者の本などを参考にしつつ分子生物学を学んだ理系人間にとって、目からウロコが落ちる思いでした。私自身が、社会保障というものの本質を理解した一瞬です。ずいぶん遅いといえば遅い、うかつといえばうかつな話です。それでも、遅すぎることはないでしょう。理解した内容は、実に大切なことでした。

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