電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

藤沢周平『竹光始末』を読む~8年ぶりの再読

2016年06月11日 06時01分18秒 | -藤沢周平
図書館で、たまたま藤沢周平『竹光始末』の初版本を見つけました。私が読んだのは新潮文庫ですが、オリジナルは1976(昭和51)年に立風書房から発行された単行本です。
本書の構成は、次の通り。

第1話:「竹光始末」
第2話:「恐妻の剣」
第3話:「石を抱く」
第4話:「冬の終わりに」
第5話:「乱心」
第6話:「遠方より来る」

特に印象に残るのは、小黒丹十郎とその妻、二人の子供という一家族が、海坂藩に仕官望みで訪ねてくる、冒頭の一編です。募集はすでに終わっているが、少し探してやろうという言葉を頼りに、安旅籠で胡桃を割って食べることで空腹をしのぐ場面など、いかにも貧しさの中で労わり合う夫婦の情景が切ない。その中で届いた吉報とは、上意討ちの任務でした。この後は、映画「たそがれ清兵衛」の中で描かれたとおりです。
「恐妻の剣」は、中高年世代には思わずウフフと苦笑するところがあります(^o^)/
その一方で、「石を抱く」は不運な男の一途さを描く佳編ですが、石抱きの刑に耐える背景をリアルに描いて、若い男のいちずな主観性と強いコントラストをなしています。
「冬の終わりに」は、賭場を舞台にたまたま勝ってしまった若い男が、闇の世界をのぞく恐怖感を描きます。
「乱心」。新谷弥四郎は、道場仲間の清野民蔵の異常な出来事から、その妻・茅野の不義の噂を思い起こします。新谷弥四郎は清野民蔵と共に江戸に出府することとなりますが、やはり事件が起こります。明らかに精神を病むに至った清野を、弥四郎が討つはめに陥るというものですが、この狂気の描き方はかなりリアルです。もしかして、作家の学友や職場の周辺で、類似のケースを見聞きした経験があったのでしょうか。
「遠方より来る」。これもまた、「竹光始末」と同様に浪人が訪ねてくる話。ただしこちらは迎える側の視点からで、迷惑ではあるが多少の義理はあるし、さてどうしたものか…と悩む話です。このあたりの小市民性が、微苦笑とともに読者の共感を呼ぶ面があるのかもしれません。



再読しても、やっぱりおもしろい。特に、オリジナル初版本での再読は、時代の空気を感じさせます。では、オリジナルの単行本が出版された1976(昭和51)年当時、私は何をしていたのだろう? 軽自動車の規格が360ccから550ccに改正され、ロッキード事件の捜査、南北ベトナム統一、ピンクレディ旋風、アメリカ大統領がジミー・カーターに交代した年。うーむ、あまり思い出すことの少ない時代だなあ(^o^;)>poripori

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