友人の結婚式があり、二泊で南相馬に行ってきました。
美しい音楽家の花嫁さんと、ふるさと南相馬を愛する詩人の花婿さん。
お二人の未来が幸せであることを心から願っています。
一日目は、宮城の白石市まで行き、鎌先温泉に宿泊。
朝、南相馬に向かいました。
田植えが終わり、一面の水田は青々としていました。
日本は美しい国だと、この頃よく思います。
5月に蓼科に行ったときも、車窓の富士山、南アルプス、八ヶ岳、
そして、日本人が作り上げてきた里山の景色に、感激して涙が出てしまいました。
白石市から南下して南相馬に入ると、里山風景が変わります。
田や畑は手を付けられずに、うち捨てられているようでした。
地震、津波、原発事故の3つが重なっている町です。
今回の結婚式は新郎のお母様のご実家の神社で執り行われました。
神社は、正しい気に満ちていると感じました。
神社はどこも高台に建てられているようです。
ここは津波の被害はありませんでしたが、、参列のご年配の男性から、
すぐ下の谷が津波にのまれたことを伺いました。
結婚式、披露宴、二次会に出席させていただき、幸せそうなお二人を
見ているとこちらも幸せな気分になります。
翌日は、新郎のHさんが相馬の町をご案内くださいました。
ご両家のお身内の方々に混ぜていただき、同行しました。
有名な野馬追祭が執り行われる広々とした馬場。
こちらは観客席。
高さが15メートル以上の木は、除染のためか高いところを切られて
しまったそうです。
その野馬追の祭りをする相馬太田神社。
大きな立派なお社です。
参拝してから、今度は海岸へ。
海岸に近づくと、がれきの山や痛ましい建物があちらこちらに。
こちらは、放射能のことがあり、がれき処理はどこよりも難しいのです。
Hさんの案内で高台に歩いて向かいました。
登りきって拓けたところに小さなお社があります。
ここまで波は押し寄せて、土台が傷んでいるそうです。
つっかい棒がしてあります。
そこから見た海岸。
かつては松林があったところも。
はるか向こうの高台も、波に削られています。
お社のすぐ下も削りとられています。
ここは、参道だったところ。
お社に人が集まっているのを見て、年配の男性が上がってきました。
お社を改修してくれるのかと思ったと。
この方は、すぐ下で農業をされていて被災。今は仮設住宅にお住まいですが、
かつての畑でかぼちゃを作りに通っておられるのです。
津波で命からがら逃げたことを話してくださいました。
ご家族とはばらばら。2年ほどしたら、一緒に暮らせるようになるかもしれないと。
早くそうなりますように。
海岸を後にして、今度はHさんのご実家へ。
立派なお屋敷ですが、地震の被害にあわれていて、家を修復されたそうです。
緊急時避難準備区域のため、日中に在宅することは認められいますが、寝泊まりは
できません。
こちらで、お食事をいただき、皆さんと記念撮影をし、お互いの健康を祈り、
お別れとなりました。
私達は、披露宴会場のホテルまで戻り帰途につきます。
ホテルの真向かいは、常磐線、原ノ町駅。
今では、3駅先の相馬までしか電車は動いていません。
原ノ町から広野駅は運転をしていません。
原発直近の駅があるのです。
再開は望めないのでしょう。
駅構内には上野行きの列車が置き去りにされています。
こういうことを日本はしてしまった。
置き去りにし、忘れ去ろうとしています。
飯舘村を通って。
全村避難の除染作業者だけが見える村。
のどかで自然豊かな所だったのに。
福島から東北自動車道に乗り、私達は東京に帰ります。
南相馬で会えた皆さん、Hさんのふるさとへの思いとメッセージを忘れることはしません。