京王線の芦花公園医にある世田谷文学館で「会ってみたかった。幸田文」展をやっていたので、観にきました。
世田谷文学館は駅からも近く、周りは閑静な住宅街。とてもいいところにあります。
文学館の入口の前で。
さすがにきもの人口、多かったです
幸田文さんについてはブログでも何度も書かせていただいていますが、とにかく若い頃からの大ファン。
「明治三十七年九月一日、嵐のさなかに私が生まれたという。命名の書にはただ文とだけ。~~男子を待ち望んだ心には当外れの淋しさがあったのだろう」(「みそっかす」(岩波文庫)
あの歯切れのいい文章と納得のいかないことにはどんなことにも立ち向かっていく性格に惹かれて夢中で読んだものです。
病気になって心弱ったときには「闘」(新潮文庫)。これは肺病などで入院している人たちをオムニバス形式で描いています。
あまり何度も読んだので、今回の展示会ももう行かなくてもいいかな、などと考えたのは不遜でした。
もう忘れている言葉を思い出したり、こんなこと言ってらしたねと再確認したり~。
なによりの収穫は、彼女の着ていたきものの現物を実際に目にできたことでした。
「粋」という言葉がぴったりの幸田さまですが、帯には菊や牡丹など花の模様が結構多いんですね。
「幸田格子」という彼女の好きな格子のきものと型染の帯は、かの浦野理一さんのもの。浦野さんのきものは映画「東京物語」などで名高い小津安二郎監督の作品では欠かせないものだそうです。
刺繍でも帯でも自分でまかなっていたそうです。
「幸田文」(新潮日本文学アルバム)より。
展示されていたきものは、婚礼衣装、普段のきものなど雑誌うや単行本(「箪笥の引き出し」)などでおなじみのものですが、中に紺色のお召で「振り」の部分だけ紅絹を使っているきものがありました。八掛も袖口も地味な色、「振り」だけが紅絹!
この場所は、襦袢が見えるとことですが、実際に着用したときには襦袢の色と重なりあって、あるいは彼女のことですから地味な色の襦袢に見え隠れする紅絹の色が、そこはかとない色気を出していたのではないでしょうか。
これも「新潮文学アルバム」より。
戦後始めて自分で買ったお召、とありますから、40歳を越えていた頃です。
写真だけでは「フリ」の部分はわかりませんでした。
これはなるほどと新鮮でした。
ある程度年をいっても、どこかに華やかさが欲しい、でも八掛では気が引ける、そんなときに応用できるなと。
戦後初めて購入したきものに、四〇代の女盛りの心が隠れているような気がします。
父露伴から徹底して家事を教わってきた少女時代(「この世学問」「幸田文台所帖」などなど)
「~主婦としての仕事はいやなことの一つだったが、一番嫌なことは、もっとも自分が望んでいることではないか」という意味深い言葉。
そんなこんなで自分のきものを紹介するのは気が引けるのですが、一応~。
格子の好きな幸田様に合わせて?、格子を着用してみました。
格子の単小紋にすすきの帯。
帯の色に合わせて臙脂の帯揚げ。
ベージュ・緑ふちの帯締め。
帯周りです。
臙脂がもう少し欲しくて紅葉の帯留を付けました。
襦袢は山吹。
台所という細かい仕事を徹底して身につけた感受性。それを武器に自分の世界をどんどん広げていき(「崩れ」(講談社文芸文庫)等々)、いつしか自然や宇宙という大きなものとつながっていく。
それを実践した稀な人として、彼女の存在はいまでも大きいと思います。
応援ありがとうございます。
家事、明日からはちゃんとしようかな