青木玉さんの「幸田文の箪笥の引き出し」(新潮社)という書籍.
ご存じのように玉さんの母堂である文さんのきものについて書かれた一冊です。
一番最初に「赤姫」という玉さんの婚礼衣装についての一章があります。
娘の婚礼衣装に赤を選んだ文さんは、式場に下見に行ったときに、披露宴の明かりが気にいらず、
「この明りの色、何とかなりませんか」と係りの人に言います。
「私の目のせいでしょうか。赤い色が汚く見えるんです」と、
「滅多に見せない粘り腰」で、白色系のライトを運んでこさせてしまった。
「式当日、ライトと赤の色の照り返しで、普段血色の乏しい私の顔は生気を帯びていたという」
蛍光灯の光が流行り出したころ、一世一代の式で、せっかくの衣裳がきれいに見えないと判断、それを変えるように主張。
式場でも話題になったといいますが、そりゃそうでしょう。
文さんの先見の明というか、感受性の鋭さ、ここぞと思ったときには、断固主張する強さを表したエピソードです。
そう、確かに、照明は人の顔色や表情などを左右する大きな要素です。
私がきものを着るようになって、注意を払うようになったものの一つに、この照明と光があります。
同じきもので、違う照明。
照明によって、元気にも病的にも、若くも年老いても見えます。
「ねえ、あの鏡、実物以上にきれいに見えるんだけど」
と私たち仕事仲間の女性たちに評判なのは、銀座のあるバーのトイレの鏡です。
やはり、気を遣ってますよね、こういう場所では。
照明だけではなく、お天気も大きな要素です。
前日の置きコーディをしたものの、天気の具合によっては、まったく似合わなかったりします。
これも、電灯の光と太陽の光、あの量が違うからではないでしょうか。
きものを着るようになって、その日のお天気、おおいに気になるようになりました。
マイカラーも、お天気によって微妙に変わるように思います。
この日にテンション上がらなかったのは、曇っていたのに、ボケた色のきものを選んだボケた選択、そのせいで手までボケた?せいだとも思っています。
神戸のあえて白色電灯を使った、温かみのある光。
六本木の110万本ものLEDを使ったイルミネーション。
かつての行燈の明かりの下でのきもと現代のLEDの下でのきもの。
わが家では白色LEDを使っていますが、世の中がどんどんLEDに変わっていくなかで、きものの色、似合う色なども微妙に変わっていくのかもしれません。
マイカラー、ならぬきれいに見えるマイライト、携帯で、誰か作ってくれないものかしらん。
関連記事
励みになります。
応援ポチ嬉しいです。