ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

市街へ帰る

2011-04-04 05:00:00 | 
清涼寺を後にして、彦根の市街地へと戻ることにしましたが、いくらなんでも今まで辿ってきた道を引き返すのは無駄足みたいに思えるので、そのまま南へと下ります。

途中山手に『佐和山城跡』という看板が見えましたが、そちらへ寄っている時間はありません。どうやら龍潭寺の脇を通り抜けるハイキングコースが出来ているようです。

             

清涼寺の入口に設置されたお地蔵さん、バックに煙が見えますが、遠くから眺めた時は地蔵さんから煙が出ているように見え、ビックリしました。


             

清涼寺を過ぎて振り返ります。弁財天の看板まで一直線に道が整備されています。この道の右側にお寺と神社が並んでいます。左の塀は清涼寺の生垣、中は墓地でした。

                  

佐和山城跡への道のり、Aコースが3.2km、Bコースが4.6kmと記されているものの片道なのか、往復なのかが解りません。この位置から清涼寺まで120m、清涼寺kら龍潭寺までが80m、龍潭寺から井伊神社までが30m、井伊神社から大洞弁才天までが330mですが、この330mはずっと登り道ですからチョットエライですね。

             

こんな立て札も見られて楽しいです。三成に過ぎたもののもう一つは何なんでしょう?

                  

彦根から歩いてきて最初に見つけた龍潭寺の看板の際にこのような道標がありました。この道標を見ていたらこちらのコースを歩いたかも知れません。来た時は気付かなかったのです。でもその方が良かったと思っています、このコースを選ぶと弁財天の石段を下ってこちらへ帰って来ることなど思いもよらなかったと思います。

             

彦根の街並に戻って、この日の宴会場『彦根勤労福祉会館』を探しながら歩いていると、旧家風の建物に出会い、そこには『建部伝内墨縁之家』と彫られた碑を発見。如何にも城下町といった風情です。

                  

でも建部伝内って誰?調べてみてもよく分りません。秀吉右筆の書家だったらしいことだけは分りました。

             

続いて『中村商家保存館』の立て札、お酒を造っていた家らしいです。

             

この中村商家と建部云々の家とは、中はどうなってるのか知りませんが、一体の物でした。

                  

調べてみたいと思っても、この日は閉館になっていました。金曜日の昼過ぎだったのにね。

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