「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「旅立ちの黄色い車」

2024年05月14日 | 家族・孫話

 
             

「僕は将来サッカーの選手になりたい」「優しい看護師さんになりたい」「周りから尊敬される人になりたい」などなど、景気のいい将来の夢を語る中学2年生の立志式で、あまり大きな声でもなく「僕はまだやりたいことが決まっていません、これから探したいです」と。うつむき加減に夢らしい夢を語らなかった、孫三兄弟の次男君。長男君より2学年下。中学生になったころから、パソコンでごちゃごちゃ調べるのを趣味とするようになった。特に電車のメカニズムは、何を聞いても明快な答えを出してくれるようになった。

高校に入ってやがてクルマのメカ、さらに戦闘機から旅客機までの航空機メカまで探求していたと聞いた。
カーキチでもあった叔父さんである私の倅と夜の明けるまでも話し込むほどクルマの魅力にのめり込んだ。クルマの歴史にも話が及びクルマの進歩の過程などに加えてクラシックカーの魅力にまで話は及んだらしい。

そんな高校時代に意を決したのか、進学は神戸トヨタ自動車大学校。整備士と板金塗装工程を学んで、山口県内に就職。当面実家から通勤する範囲の整備工場、いわゆるディーラーに落ち着いた。
そこで手にしたいのは通勤に使うマイカー。
叔父さんともいろいろ話をしたうえで、古い古いホンダビートという、一世を風靡したホンダの若者向け二人乗りのオープンカー。

青春だね~、古いミッション車でも自ら整備できる優位性を考えての選択。色々やってみなはれ!!
ただ、じいちゃん乗せてどこかに行こうかと誘われても、2・3回乗り降りを繰り返したら腰が痛くなりそう。そのくらい車高が低く、お年寄り向きではないので、ノーサンキューを伝えた。
若い彼には魅力いっぱいの5月。旅立ちの黄色いクルマである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「旅立ちの春」

2024年05月13日 | 家族・孫話

               
             手前から、クローバー・ゼラニウム・松、それぞれの花

やっぱり5月はいいね~。やさしい緑に差し込む爽やかなお日さま。色とりどりの花がそこここに咲き匂う。
普段はどこにもはびこって、除草に苦労するあのクローバーが気持ちをくすぐるような涼やかな花を見せてくれる。ゼラニウムは冬のあいだ葉っぱを最小限に小さく丸まっていた。それが赤やピンクをあしらった見事な花を。それらを覆うように守っている五葉の松は、松の花を咲かせて新たな芽を伸ばす。
こんな小さな花壇に三層の花を咲かせる。何とはなしに活力をもらって元気が出てくる5月である。

そんな5月なのに一方では「五月病」と呼ばれて、新入児童生徒や新入社員を悩ませる病気がある。
幸か不幸か無頓着なのか、私自身五月病を経験したことがない。唯一、岩国の片田舎から東京のど真ん中に単身赴任したときは、気持ちの中に多少それらしいものを感じたが、色んな先輩や同僚が5月連休明けから食事や軽い飲み会に誘って、東京の夜を紹介してくれたことで吹っ飛んだような気がした。

我が家の孫三兄弟の動向も気になる5月ではある。
長男君は、ひとつの夢を描いて4年制大学に進学した。大学生活の中で「自分の本当にやりたいことは何か」を考えるようになった。その後は本人の本当にやりたかったことに向かって出発した。親としては、大学4年間は何だったの?と言いたいと思うが、人間の一生で無駄な時間などと言うものはない、と爺は思っている。孫君のいい意味での心変わりにやっぱり新たな声援をおくりたい。価値観の相違などと軽く言ってはいるが、自分に合ったものが何か、生涯をかけて探し続けるものなのではないか。
人の一生、ベターやベストを目指して、回り道をしたり近道をしたり、そんな繰り返しの中で終わるのだと思う。思いっきりやってみなはれ。結果はついてくるよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「最後のお遊戯会」

2024年02月18日 | 家族・孫話

5人いる孫の上から3人が娘の方で男ばかり。一番下とその上の子は倅の方で女ばかり。もっとうまく混ざり合うといいのにね~と密かに思うがこれはどうにもならない。ただジジババにとっては男の子女の子両方の成長をじっくり見せてもらって大喜び。応援に疲れたなどとは言わせない楽しみを次々に持って来てくれる。

昨日は最後の孫が幼稚園最年長として最後のお遊戯会という。しかも長い長いセリフを完全暗唱して、オープニングのステージに立つという。何日も前からプレッシャーと闘いながら練習に明け暮れた次女。朝早くに美容院で髪のセットに連れていかれ、段々時間が迫る中でジジババに甘えることも控えて、家から会場までのクルマの中でもブツブツ最後の練習。そして本番へ。ものの見事に練習成果を発揮。無事に終わって「最後まで見てね!」のセリフにやっと笑顔に。抜け落ちた前歯を隠そうともせず、ようやった、ジジバカ丸出し。

    
   オープニングの挨拶と展開状況の説明    締めくくりはちょっとおちゃめに「最後まで見てね」 
      
      大役を果たしてダンスに大はしゃぎ「さくら フルオブカラーズ」 右から3人目 
      
              さくら組 幼稚園最後の熱演 「かわいい 京人形」  
      

華やかさと言う点では姫孫のものだね、艶やかさも見せてくれる。ゴツゴツ孫君は男の子ならではの可能性を見せてくれる。みんな違ってみんないい。朝早く起きて早い電車に乗って出かけたが、芯から楽しめる一日をくれた。
今日の主役の姫孫の独り言「本当はね、運動会の時にお話ししたかったのに、○○ちゃんが代わってくれと言われて、今日お話しすることになったんよ」だって。大きくなったら、上出来だったと伝えよう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「立志式に臨んで」

2024年02月02日 | 家族・孫話

すぐ近くに住む孫三兄弟の三男坊がついに立志式を迎えることと相成った。
中学二年生の三学期、昔でいう元服で、一人前の男として認められる儀式を模した、現代版元服の式典。
中学校区の連合自治会が生徒の健全育成を願って、毎年この季節に中学2年生を対象に行っている。市教育委員会や地域のお偉方も参列し、国歌斉唱から始まる。ただ今年は能登半島地震犠牲者への黙とうからスタートした。咳をするのも憚られるようなガチガチの儀式である。ジジも一応保護者の端くれとして出席した。
 
     中学校区の自治会連合会の主催で執り行われる「立志式」 
     全員が、立志にちなんだ決意を表明する。次の出番が孫君

最大のお目当ては、生徒全員が立志式に臨んで決意の一端を述べる「決意表明」である。孫君がどんな態度でどんな決意を表明するのか見ておきたかった。頭上の大きなスクリーンに、決意のタイトルが映し出される中で、「私は将来みんなが憧れるようなプロ野球選手になりたいです」と淀みなく大きな声で叫んだ。
ジジが会場にいることも大切な母親が聞いてくれていることもちゃんと頭に入っていたのかな。
 
     私は、プロ野球選手を目指します!! 決意表明する孫君

    全員が決意表明を終え、保護者や来賓・地域の人に感謝の合唱を贈る  

それぞれに思いの丈を述べて、最後は感謝の合唱「空は今」を朗々と歌い上げた。なんて言うのはジジのひいき目かもしれない。それにしても、おなじ野球部として白球を追うのなら、このくらいの目標を持ってくれるのは嬉しい。なんせ、3歳になったころからボールを投げ、バットを振らせたジジの目には素質があると、応援し続けている。この上ないジジバカチャンリンである。が、これからも誰にも負けない応援団長である。                        

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「暮れの海の公園」

2023年12月27日 | 家族・孫話

お父さんに連れてきてもらった冬休み中の孫姉妹、親から離れて三日目となる今日は幸か不幸かじいちゃんが二人のお守を託された。さてどうする?
二人の希望を訊いたら文句なし「海の公園」と口をそろえる。もちろん、出がけに近くのお店でいくつかの欲しいものゲットと言うおまけつき。
夏場のお出かけバージョンをしっかり覚えている。取り敢えず行先は決まった。午前中で帰りお昼ご飯は家で食べる約束。
今日はクルマが使えないので全てをウオーキングバージョン。海の公園の遥か手前から海岸に降りて、波打ち際を歩いていつもの砂浜へ到着。
冷たい海をカモの群れが羽を休めているのか、海面に群がっている。寒そうなのに、いいお天気と無風状態でそれなりの温かさがある。子守としては有難い!

 
 
    散々海で遊んで公園に上がり枯葉の山の中でまたひと遊び

 

夜に入れば今年最後の満月という。しかも1年で13回目の満月と言う召すらしい状況なので、これはこれでパチリ。
要するにことほど左様に年末の寒い時期に、海の公園を選ぶ孫姉妹の遊び根性に尻尾を巻く。いつもの砂浜の遥か手前の海岸に到着。さらさらの砂や大きな護岸石の上をピョンピョン飛ぶように歩く。ジジには応える。汗が出るほどに。

人が見たら笑いそうだが当人たちは大真面目。ロングパンツをたくし上げ海水へと入っていく。冷たかったのは最初だけ。あとはもうへっちゃら、姉妹できゃあきゃあ叫びながら遊んでいる。師走27日などの感覚は全くない。砂を盛ってお城を作るのも真夏と一緒。
温かい年末を喜ぶのは子守爺だけかもしれないが、こんな年末も、へんてこりんな世の中の一端を表しているのかも。孫もジジもいい一日だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「癒しの一日」

2023年10月14日 | 家族・孫話

倅夫婦の二人の女の子、妹の方が幼稚園最後の運動会という。「見にきてね」と耳元で囁いて帰ったのは2か月前。早くからカレンダー予定欄に書き込んでいた。
朝6時出発という早い時間からの行動。しかも本気でカメラを抱えて、ちょっと痛む胸を押さえながら・・・

  
                 組体操の倒立とブリッジ、ほかにも色んな種目を必死でこなす。

年長さんの入場行進はバトントワラー。音楽に合わせてリズムよくバトンを操り、円を描いたり前後入れ替わったりの動きを見せる。相当の練習を重ねたのであろう、小さい指先にバトンを必死に絡ませて、くるくる回し踊り跳ねる。
そして組体操では、中学・高校と同じようにホイッスル一つでテキパキと次々行動に移る。倒立・ブリッジ・ピラミッド・スカイツリーなどなど。

お父さんお母さんに肩車されて、敵軍の帽子を奪い合う「騎馬戦」も面白い。
かけっこも障害物競争も、リレーもおぼつかない中、必死の形相で前に出ようとする姿がいい。幼いがゆえに必死さが浮き立って見える。


 

演技の合間に、やっとじいちゃんのカメラに気づいてVサインをくれた。一生懸命、教えられたことの全てを出し切っての、幼稚園最後の運動会。
終わった後のご褒美が何よりのおたのしみ。そしてじいちゃんばあちゃんとおててつないで、近くのスーパーで好きなものを買ってもらえるのもお楽しみの一つ。決してお安くない木戸銭を払っての運動会応援であるが、なんとも言えない癒しの一日になった。少しだけ頭をスっからにして拍手を送った。いい時間であった。

追っかけを自認する中学校野球の孫君の試合も重なったが、今日ばかりは「幼稚園最後の運動会」という節目もあって、追っかけをあきらめた。
そんな日に限って、孫君が野手に投手に活躍して二試合とも勝って、決勝戦に進むのだという報告を娘から聞かされた。
それはそれで、応援には行かれなかったが、兎に角活躍してくれりゃそれが一番。

病気などしているヒマはないと改めて思う。だから一日も早く復活して、心置きなく両方の孫たちの応援をしたい。マゴマゴするよね~。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「1日遅れの笑顔」

2023年09月19日 | 家族・孫話

                  

働き方改革の一つなのか、ワークシェアリングの一環なのか、この頃は郵便配達が1日・2日遅れるのは当たり前のような時代になった。
他のメディアや通信技術の飛躍的進歩に押されて、文字による互いの意思の伝達という『郵便配達』のお世話になる郵便量そのものが、極端に減って来た。従来の郵便配達労働力の確保など出来るわけがない、というのが日本郵便の言い分であろう。理解できる。自らを振り返っても、便箋に手書きを認めて切手を貼り、遠くまで出かけて投函するエネルギーをほとんど使わなくなった。但し、葉書となると自慢じゃないが、趣味の延長で年賀はがき以外に大量の日本郵便貢献をしているつもりである。

そんなことはともかく、昨日の敬老に日は郵便配達が来なかった。従って1日遅れとはなったが幼い孫からジジババを喜ばせる手紙が届けられた。
私たちにとって最後の孫である年長さんの姫孫から、たどたどしいゆえに笑える一生懸命の「初手紙」をもらった。嫁さんの努力が見えて微笑ましい。
メインは、10月14に行われる幼稚園最後の運動会を見に来てね、というお願いであった。

そういえば彼女にとっての過去3年間は、コロナコロナに圧し潰されて幼稚園運動会が1度も満足に行われなかった。この幼子にして世界の大きな波にのまれて、可愛い盛りの運動会写真がほんのわずかしか残されていない。ジジが直接現場に出向き腰を据えてカメラを構えてきた他の子のようなアルバムに比べると、どうしてもやや貧弱なものでしかない。
幼稚園最後となる今年の運動会、時間が許す限り応援しよう、カメラのシャッターを切ろう。

ただし、肝心な我が身の健康に神経を使うようじゃ、いいアルバムも作ってやれない。先ずは帯状疱疹の完治。それに続く問題としっかり向き合って、担当医師をはじめ周囲の多くの人達の温かい応援と手助けを頼りに、もうしばらく元気でいたい。孫たちの応援団長でいたい。敬老の日の雑感としておこう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「他愛ない一日」

2023年08月12日 | 家族・孫話

昨日から本格的にセガレ家族が里帰りするという。
植木などに巣をかける蜘蛛を悲鳴を上げて怖がる姫孫のために、竹ぼうきを振るって蜘蛛の巣を完全に取り除いて、帰ってくるのを待つ。
そこで、取るに足らない川柳がふと頭をよぎる。

   ❝ 孫嫌う 蜘蛛の巣払い 帰省待つ ❞ 

帰ってきたら一目散に冷蔵庫から冷えたスイカを取り出し「あまい!」と歓声を上げながらぱくつく。
一夜明けたら「じいちゃんスイカ割がしたい」という。5kgも6kgもある大玉を使われてはたまったもんじゃない。畑に残しておいた裏なりの発育不全をもぎ取って、形ばかりのスイカ割り。

  
4年生の姉は姉なりに勘を働かせて、ちっちゃなスイカを細い棒で探り当てる。年長さんはスイカが本当に割れてはいけないのでヘッピリ腰。

  
目隠しを取って気持ちよく割らせると、それはそれで大喜び。都会のマンション住まいではできない小さな夏休み体験をさせてやる。
年長さんのお手手はまさにモミジがふくらんだような柔らかさで、スイカを叩く力も加減する。そこへ行くと姉ちゃんはもういっぱしのおんなを思わせる大きな手に力強さが備わっている。

そこでまたお粗末川柳が浮かんだ。

   ❝ 孫の手も 賞味期限が あるんだね ❞ 

そんな他愛もない一日を里帰りの姫孫と過ごした。ジジにとっても、頭の中を空っぽに出来る有難い一日であったのかもしれない。
あれこれ神経使わない時間の浪費は老体にとっては大切である。といいつつ、孫の喜ぶ顔を見たさに、やっぱり色んな工夫をしてはいるもんだねー。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「真夏の球宴」

2023年07月23日 | 家族・孫話

                  
                   「お願いしま~~す」 元気にあいさつ。さー試合開始!!

今日は24節気の一つ「大暑」。それこそ1年中で最も暑いと嘆かせる日々が続く。まさに念力でもかけなければ生き延びれないのではないか。
そんなギラギラ太陽の下、孫君の所属する中学校野球部は、山口県中学校軟式野球選手権大会の真っ最中。予選を勝ち抜いて岩国市の第1位として決勝トーナメントへ。自称追っかけ応援団長のジジも約50kmをクルマで試合会場へ。
それにしても暑い。さまざまな暑さ対策、熱中症対策を施して必死の応援。麦わら帽子に日傘代わりの雨傘差して。

                   
               この夏、身長がかなり伸びて身体も気持ちも落ち着きを見せるようになった。

レギュラーメンバーは3年生が7人、2年生が2人でおおむね固まっている。もっともこの夏で部活最後となる3年生の部員も試合に出させて上げたい気持ちも理解するが、県大会決勝トーナメントベスト8を狙うチームとしてはやはり勝つこと、必死に練習して来た部員全員に勝ちをプレゼントするのも指導者の役割だと思う。そんな思いの中でチームは9点を上げ、相手チームを5点に抑えて、ベスト8の座を獲得した。
明後日は、下関市まで応援に行かせてもらう。暑い中ではあるが、もう一試合応援させてもらえることに感謝するべきかも。その後は勝てば翌日に準決勝、決勝へと進む。そこまではね~。先ずは明後日の一勝に夢を託して。

               
               戦いを終えて「ありがとうございました!」あいさつを終え、満面の笑顔で凱旋

勝っても負けても生涯一回こっきりの中学校野球部生活。いい思い出を残せるよう精一杯の声援を送ろう。熱中症などの心配を掛けないように心して。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「無念の50回忌」

2023年06月06日 | 家族・孫話

                    

長女、長男、二人の子供に恵まれ5人の孫に囲まれるいま、家族と言う点においては何不自由なく暮らしている私たち夫婦だが。
気持ちの奥深くに遺された一つの痛恨は、消えることなく鮮明な思い出の中に確かに息づいている。手応えのある今の生き方の原点にあるのは、あの時失った小さな命のお陰の上にあるような気がしてならない。

たら・ればの話になるので一笑に付されるかもしれないが。私たちにとっては生涯忘れ得ない大きな節目となった出来事でもある。
本来なら長女と長男の間に今一人の男の子が誕生するはずであった。妊娠9カ月目に入って間もないある日の夕方「急にお腹が痛くなった」とうずくまる妻の背を撫でながら「お産は病気じゃないから」と強気に言う彼女の言葉を信じてしばらく様子を見た。痛みはひどくなるばかり、異常と気付いてとっさにかかりつけの大病院の産科に駆け込んだ。それが49年前の6月7日、夕食後の出来事である。

分娩室に続く薄暗い廊下を隔てた部屋で、まんじりともせず数時間を待たされた。いくら耳を澄ませても産声らしい声は聞こえてこない。医師からも看護師さんも何も言って来ない。「おかしいな」という感覚に捉われた後はもう負の連想ばかり。ろくなことは頭に浮かばない。
深夜1時を回ったころやっと看護師さんの声が聞こえた。それは無表情で押し殺した声で「残念でした、男のお子さんでした」と、手のひらにのるほどの小さな肉体を抱かせてもらった。すでに呼吸はない。「手を尽くしましたが30分のお命でした」と。

待たされる時間の長さと音も沙汰もない空しさに、ある程度の覚悟はできていたのかも。「妻の様子は?」「分娩室のベッドでお休みです。奥様に報告するのはお父さん、あなたの役目です」。淡々とした看護師さんの言葉に少しカッときながらも、全く初めての大役。何と言葉をかけるのか、これには迷った。計り知れない辛い思いをしたのは妻である。慰める言葉が見つからない。全てを承知している彼女はただただ涙に暮れて横たわっていた。薄暗い部屋に二人、何をつぶやいたか思い出せない。震える背中を撫でるのが精一杯。せめて窓から差し込む6月の早い夜明けを待った。電灯の灯りではなく太陽の明るさがほしかった。これだけは鮮明な記憶として今も残っている。

そうしてこうして、産後の入院を余儀なくされた彼女の思いを一身に受けて、戒名ではなく菩提寺から頂いた法名で葬儀一式を済ませた。小さなお骨は我が家のお墓に収まっている。法的にも生存ではなく戸籍もないまま仏となってお浄土に召された。その祥月命日を明日に控えた昨日、50回忌法要のお勤めを執り行った。
その後に無事に生まれた男の子が実質的に我が家の長男であり、二人の孫をプレゼントしてくれて間もなく48才を迎えようとしている。

わずか81歳の生涯の中でもこんな経験をしたというお話。忘備録として改めてここに記しておきたい。色んな事があるから人生は愉しいということか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい