「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「大きく前進」

2021年01月31日 | 地域活動

                                                       
           毎年忘れずに渡って来るジョービタキ (モンツキともいう) 

色々あった1月が早くも往く。そんの1月つごもり、「一歩前進せよ」との激励を頂く仕儀と相成った。
この団地に住み始めて四半世紀以上が過ぎた。その間3度の班長さん、3度のうちの2回目の自治会長のお役目が回ってきたのは昨年4月。役員会で集まる場所も何もないこの団地に、懸案の自治会事務所設置をなんとか実現させようと、年度当初から7人の 役員会の中で合意を得て、一致団結、あれこれ検討を重ねてきた。

具体的な案がまとまったところで提案書を作成。74軒の会員さんに賛成・反対の民意を問う提案書を配布した。昨日が投票締め切りという段取りでおおむね順調に事が運び、今日がその開票当日。結果や如何に?
生意気かも知れないが、正直今回は手応えを感じてはいた。それほどに時間をかけて、その必要性を説き、根回しといえば聞こえはよくないが、賛成票を投ずるべく時代の流れといったものを、多くの人に話しかけてきた。

そして今日午後2時30分。「一歩踏み出しなさい」という圧倒的な賛成票を頂いた。74軒中、賛成66票。反対6票。投票なし2軒。これは意外な結果に少々驚いている。同時に、運用や活用の方法を練り上げる責任の重さを痛感している。これほどに皆さんが「会議の出来るスペース」「自治会用品を定着出来る環境」を望んでいたことを、改めて思い知らされた。

田舎町の小さな団地の小さな自治会で、どれほどのことが出来るのか疑問だらけではあるが、熟年同士の交流促進や、生活弱者に手を差し伸べる方法の検討など、しっかり話し合える場としての活用を願っている。もちろん反対の少数意見も機会があれば聞いてみたい。賛成者の中にも、あれこれ思いがけないような些細な要望も出されている。今までなかったところに何かを作ろうとすると、勢い「あれもやれ、これもやれ」とのたまう。おもろい反面いい気なもんだね~とも。

兎に角、明日から本格的な活動期間に突入。コロナとインフル避けながら。
毎年この場所を忘れずに渡って来るジョービタキの、記憶力のよさには勝てないが、持てる力でボチボチと。

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「二十歳の門出を!」

2021年01月30日 | 家族・孫話

       
       三兄弟、真ん中が二十歳     大好き兄ちゃんのお祝いに焼き鳥を焼く三男君

初孫君がめでたく二十歳、成人の誕生日を迎えた。大学2年生、登校は極めて制限されるコロナ禍ではあるが、リモート学習が続く中での、家族揃ってのバースデーパーティ。ジジ・ババもお呼ばれで、一緒にお祝いをさせてもらった。ご馳走と美味しいビールを少々。豪華なケーキもたらふく。
成人式こそコロナのせいで5月に延期はされたが、両親、兄弟、ジジ・ババ総勢7人で、大人の出発点を祝った。

彼は、ジジ59才誕生日の2日後に産声を上げた。つまり、誕生日が二日しか違わないということ。そして、ジジの60才定年退職2日後に満1才の誕生日を迎えた。当たり前のことではある。
ジジが会社という組織を離れた淋しさを感じるいとまもなく、子守の日々が始まった。朝9時前後にはすぐ近くの娘の家へクルマで迎えに行く。チャイルドシートに埋めてイザ出発。

あっちの公園こっちの公園をはしごする。天気のいい日には、同じく子守で公園に来る若いお母さんと仲良しになったりした。鼻の下を伸ばすひまなどないほどチョロチョロする孫の姿を追いかけ回る日々。寒さに震える日は熱々の焼き芋をフーフーしながら。桜が咲く頃、観光地の公園で遊んでいると急なおむつ交換が必要になった。仕方なし、ベンチにごろんと寝かせて慌てておむつ替え。慌てたせいで手にもちょびり。近くの水道で手を洗うときには、我ながら照れ笑いを隠せないこともあった。

その孫君が二十歳の誕生日とはね~。スキーで鍛え上げた体格はがっしり。確固たる目標に突き進む自信にあふれた風格。我が孫ながら頼もしさを感じさせる。同時に、あのときのあの子が、この手でおむつ替えをした彼が今二十歳。嬉しいよね~。下戸ではあっても一杯のビールが旨いよね~。そして、定年のあの日から19年か、と我に返る。もうしばらく元気で、彼と友に後に続く弟君たちの今後をもうちょっとだけ見守らせて欲しいと欲張ってしまうジジである。

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「薄化粧の朝」

2021年01月29日 | 季節の移ろい・出来事

                
                      畑一面を覆う薄化粧の朝

厳しい冷え込みに、強い北風で海は大荒れとの予報。時折家を揺るがすような突風も感じられた昨夜。
一つ歳を重ねて迎えた朝は、窓がなんとなく白く見える。すぐに窓を開けたら、見渡す限りの銀世界、というほどではないが、少しの気恥ずかしさを秘めたような薄化粧が広がっていた。タマネギ畑もニンジンもその向こうの梅の木の根っこも、うっすら、ほんのり白い。

厚い化粧に憂いを隠し、酒で泪をごまかして・・・・・・などという演歌もあったが、少しだけ素肌が透けて見える程度の薄化粧は、なかなかの風情を感じさせる。
東北・北陸のみなさん、ごめんなさい。白く染まる雪景色に滅多にお目にかかれない地方の人間の戯れ言と、聞き逃してください。

その昔、北海道の知人から「本当の北海道を感じたかったら冬においで」と言われたのを思い出している。
所用で訪れた北海道で、天人峡温泉に行く途中で雪が降り始めた。と思ったら見る見るうちに積もっていく。「乗用車ではもうこれ以上進めない」と、温泉を諦めて早々に旭川のホテルに引き返した。あれは10月半ばであったのに。雪の怖さを知り尽くしている現地の人の知恵というか感覚は、私なんかとは全く違う鋭さを持っていることを改めて知った。若い頃の一コマである。

雪の降り方も、雨の降り方も、風の勢いなども全て、人間に対して優しくない現代社会である。それもこれもオゾン層破壊による地球全体の温暖化などはみな人間がタネを撒いたこと。それに追い打ちを掛けるコロナ禍。どこまでも追求して止まない利便性によって、弱体化していく人間は、これから先どうやって生き延びていくのだろうか。などと考えるとアタマ痛くなるばかり。やめとこ。

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「また一歩」

2021年01月28日 | つれづれ噺

                                 

百聞は一見に如かずという。今日の場合は79回の説明より写真2葉の説得力!といったところか。
早い話がまた一つ年を重ねました。娘や息子、孫たちからお祝いされて、ちょっと照れてみたり、たまには祝われるのも悪かーないねー。などと思ったり。

ただ言えるのは、取り敢えずこの歳を元気に迎えられたことを、感謝したいということ。
誰に感謝しよう。私に関わって頂く全ての人に。そして時代に、背景に、今まで足跡を残してきた森羅万象、世の中の全てに。

午年生れの私にとって「いい飼い葉」を与え続けてくれた山の神という厩舎のお陰は大きい。そこに所属の調教師の手入れによって、大した成績も挙げられなかったが、兎に角レースに出続けることで評価される「無事これ名馬」に仕立て上げられたようだ。

当面次に来る傘寿を目指して、同じく無事これ名馬を目標に、楽しいこと、やりたいことを見つけて生きていけたらいい。そのためには、今を生き切ること。たとえ小さいことでも今を大切にやり通すこと。今が一番脂の乗った美味しい時期だよと、自分に言い聞かせる生き方を求めて。

『我が人生、今が旬』!!これをモットーに、今日からまた一日一日一歩一歩。出来るかな~。出来るよきっと。

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「もう一つのおおつごもり」

2021年01月27日 | つれづれ噺

                 

おおつごもりと言えば、年越しそばに除夜の鐘と、おおよその相場は決まっている。
ここでいう「もう一つのおおつごもり」は、年越しそばも無ければ除夜の鐘も聞こえない。ましてや紅白歌合戦などさらさらない。
そんな無いない尽くしのおおつごもりとは、自分自身にとっての、単にこの1年間の最後の日という意味合いである。な~んだそんなことかぁ、である。

色々なことを経験した。新たな発見も多かった。挫折感も味わった。何かにつけて踏ん張った。そんな思い出をひっくるめて反省したり、少し自分で自分を褒めたり、諸々の感情が行き来する、つまり78歳という年齢を無事に過ごした1年の終いの日。私自身のこの1年のおおつごもりという一区切りである。

78歳という未知の年齢を迎えて3日目。節分前の大寒の中を北陸方面を目指した小さな旅に出た。
すでに中国武漢では「新型コロナウイルス」の大騒ぎが始まっていた。幸いなことに昨年1月末の時点では、日本をはじめ世界全体にまん延するなどの予測はなかった。しかし、観光のメッカである永平寺も雪の白川郷も、金沢兼六園公園も、あの甲高い声で傍若無人に振舞う中国人観光客はホンのわずかしか見られない状態になっていた。お陰で、白川郷などはゆっくり我が物顔の観光ができた。

あの日から今日までの1年間は、まさしく息苦しさと欲求不満が鬱積する日々の連続であった。息苦しさは単にマスク要請のせいだけではなかった。
何をするにも、即、命に関わる感染症に怯えながら、行動の自粛、活動は中止に追い込まれる。そんな実りの少ない1年を過ごした。
その最たるものが、新聞記者もどきのタウンリポーターというお役目が終わりを告げられたこと。これは確かに寂しかった。ま、その分他に楽しみを求めた部分もある。晴耕雨読に精を出したこともその一つ。

そして何より喜ぶべきは、歯医者以外には病院通いもなく、年相応の小さな痛みはあるものの、耐えられないほどでもない健康体。食欲も普通。上手に飼ってもらっている。認知症?あるのかな~ないのかな~。こればかりは自分の判断より周囲の判断に任せる方が確かであろう。兎に角そんなこんなでこの年を終えた。明日からはまた未知の年令域での挑戦が始まる。数字を忘れて、楽しみたいと思う。

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「サービス精神」

2021年01月26日 | ニュース・世相

                  

令和3年の見事なご来光をカメラに収め、ブログや社協HPにアップしたのはついこの前と思っているのに、日にちだけは瞬く間に過ぎていく。
1月もあと5日を残すのみ。特に今年の1月は、個人的に格別な緊張感と忙しさに追いかけられたこともあって、普段の年より早く往ってしもうた。

そんな今朝の新聞には、節分豆まき用の「福豆」が添えられていた。粋な計らいにほっこり。
こんな計らいは、新聞販売店の肝煎りなのか、それとも新聞社の肝煎りで各販売店に提供しているのか、どっちだろう。
どっちにしても、受け取ったこちらは決して悪い気はしないので、このわずかな福豆ではあるがその宣伝効果は少なくないかもしれない。単なる宣伝効果と受け止めるか、サービス精神と受け止めるか。意見は分かれるところか。

そうやって、季節の折々に何らかの宣伝をしなければ、新聞の購読者をつなぎ留められない「新聞」の持つ魅力が失われつつあるようだ。というか、新聞に罪はないのだろうが、PC・タブレット・スマートフォンなどなど、次から次へ出てくる新たなメディアグッズの氾濫で、購読料を払う新聞の家庭配達量は減る一方であると聞く。

そこで、販売店も新聞社も購読者のつなぎ止めに躍起になっている。
この新聞販路拡張競争は今に始まったことではない。私がまだ小学生の頃から盛んに行われていたのを思い出した。それは「映画の夕べ」というちっちゃなチラシで、小学校の講堂に大勢の人を集めて映画会が催されていた。「今夜は〇〇新聞を取っている人は無料」そうでない人は大人20円、子供10円払って、アラカンの「鞍馬天狗」を必死に見た記憶がある。白馬にまたがった鞍馬天狗が登場すると、スクリーンに向かって拍手喝采を送ったものだ。
これも、遠い昭和の佳き思い出の一コマか。

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「カウントダウン!」

2021年01月25日 | 季節の移ろい・出来事

                   

寒い寒い北風に晒される中で、玄関先にある八重の白梅のつぼみが日に日にふくらんでいる。
まさに開花は時間の問題のようで、そろそろカウントダウンを始めてもよさそうな勢いである。それにしても寒さ厳しいなかで頑張るね~。ウメちゃん!

ところでカウントダウンはいくつから始めるのがいいのかな。50?100?それとも1000?
そうだ、5歳のチコちゃんなら知っているかも。でも逆に「カウントダウンて、なに?」って訊かれたらどう答えようか。
まぁ手堅い真面目な話なら、特定の時点までの残り時間を知るため、数を大きな方から小さな数へ、ゼロまで数えること。ということか。

つまり、何かの変わり目が目前に迫って来ていることをいうのだ。
さてこの白梅がほころぶのと、今必死に手がけていることの結果が出るのとどっちが先なのだろう。そういう意味では、今手がけていることこそ賛成か反対か、二つに一つの選択が残っているだけなのだから、これぞ本当のカウントダウンに入ったと言うべきかもしれない。

一度はいきなりのアンケートを出されて、「自治会館建設賛成か反対か」が問われた。即座に反対票が多くて、自治会館建設話はタブーの闇に葬られた。賛成討論も反対討論も一切無し。なんで必要なのかの議論もなければ、不要の議論もないまま「多数決」で「自治会館は必要なしと決定しました」と。

そんな過去を持つ締まりのない自治会で、反対決議された事実を「やっぱりおかしいでしょうが」と改めて「必要論」をぶち上げての今回の自治会事務所設置話。ここは一つ、熟年世代のあふれる田舎の小さな自治会を少しだけ活性させるために、旗揚げした人間が笑い者にならないためにも、賛同者を得て実現させなきゃならないのだ。ちっぽけな夢でも、何人かが喜ぶ遊び場が作れたらそれでいい。カウントダウンのその先に、いい音の鐘が鳴るといいのだが。

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「一人役終えて」

2021年01月23日 | 地域活動

                

延べ5日間にわたって行われた、地元中学3年生の高校入試面接練習の面接官というお役目が終わった。
1日だけお休みをもらって4日間を参加。男女合わせて12人の受験生と向き合った。どこまでお役に立てたかわからないが、たった一人でもいい、たった一問でもいい「あのおじいさんにいい質問してもらった」とか「リラックスさせてもらった」といった評価が聞かれると嬉しいのだが。

彼らが真剣ならこちらも真剣に。独自に準備して臨んだ質問を、相手の表情や緊張の度合いに合わせて、もう一つシビアにしたり、逆に柔らかくして答えやすくアレンジしたり、それなりに気を遣いながら質問をする。「オー、その調子!」・「もう少しうまく答えてよ」。口には出さず気持ちの中でハラハラドキドキ。

おおむね最初の10分間を正式な面接形式で進む。次の5分間はお互いにリラックス。先ほどの10分間の良かった点、改善点などを話し合う。この時は彼も彼女も緊張から解き放たれて素の顔に戻る。
そうなると、ある意味で孫君に話しかける雰囲気になる。少し厳しいことも言えるし、彼らも聞き入れるゆとりを持っている。そこで「この質問だけは即座に答えられる準備をしておくといいね」などと伝えられる。この5分間はまっこと貴重な反省会になる。

ちょうど60年前のこと。就職試験で面接を受けるとき、当時流行の四角い大きなバックルのベルトで臨んだ。面接官はさすがに目ざとく「いいベルトしてますねー、そのバックルにはなんと書いてあるのですか」と来た。内心シメシメ!「これはGoingmywayです」「どういう意味ですか」「私は私の思った通りに突き進むという意味です」みたいなやりとりをしたのだったと記憶する。
最後に「人の言うことに耳を傾けないということですか」と意地悪な質問が来たのを忘れていない。「そんなことはありません、人に流されず自分らしく生きるということです!」みたいことを言ったのだと思う。

そんなこんな思い出に浸りながら、一人役を終えた。彼らの背中に心からのエールを贈りつつ。

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「中間展望」

2021年01月22日 | 地域活動

                
                 こんなユニットハウスが事務所として使える日が 

あれこれ考えに考え、ついに重い腰を上げて我が主張を自治会の皆さんに問う「自治会事務所設置提案」。
「賛成」「反対」の投票用紙を付けた、Aー4版4ページ綴りの提案書を74軒全戸に配布してかれこれ1週間。
提案に対する最終投票日は1月30日としてあるので、結果判明はもう少し先の話である。なのに、仕掛け人としては結果はもちろんであるが、途中経過も大いに気になるところだ。

私を含めて7人の班長さんが、班ごとの投票用紙のとりまとめをすることになっている。どの班長さんに尋ねても、かなりの会員さんが班長さんちに置かれている投票箱に投票されている模様。これは有り難いし、なんとなく先が読めるようなワクワクの予感がする。
全部で74戸ということは、過半数を得るには38票が必要となる。今日の夕方までの報告を受けた感じでは、長年の夢の実現もまんざら夢ばかりではないのかも。

それにしても、公金を使って何かをするということの大変さを改めて思い知らされた。二度とこんなことはやりたくないねー、というのが本音。
但し、お役所を相手にする公共事業のややこしさ難しさ、計画から実現までの時間の長さ等々、我が人生の中では2番目に大きな社会勉強をさせてもらった。これは大いなる収穫である。では1番目は?若干26才で最初の家を建てるとき、住宅金融公庫と銀行ローンを相手の金策。大工さんとの折衝など、胃炎で病院に通うほどの、痛い社会勉強をさせられた。そんなことを今思い出している。

今回の場合、ほんのちっちゃなユニットハウス設置。総工費と電気工事合わせて70万円以下という小規模事業。それでも自治会のお金という公金の扱いは、それはそれは大変なことである。必ず反対者はいるし不要論をぶち上げる人もいる。ま、それが世の中というものではあるのだが。

少しいい感触を得て、少しだけ枕を高くしてもいいのかな。いやいやフタを開けるまでは闇の中。

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「世界が落ち着けるのか」

2021年01月21日 | ビッグニュース

            

ようやっと落ち着いたか。ここ半年間の偽らざる心境である。
バカバカしさにウンザリしていた。こんなことが平然とまかり通る世の中が来たら、待ってましたとばかりに覇権を狙う、日本の大敵勢力が世界を蹂躙することになる。
そんな危惧を抱き、世も末だねぇと嘆かせたハッタリ政治家が(政治家と言っていいのだろうか)、傲慢なワンマン社長が退陣した。

我が国の倫理を代表する格言「立つ鳥後を濁さず」を、去り行く背中に張り付けてみたくなる無様な、未練タラタラの退陣劇。
まさしく『前例なき政権移譲』となった。そんなことを割り引いたとしても、従来の「世界に君臨するアメリカ合衆国」の再来に期待したくなる。
兎にも角にも、アメリカ新大統領に民衆党のバイデン氏が就任した。先ずはこの事実を高く評価したい。

アメリカンファーストっていったい何者? 何でもかんでも自国の有利に、自分の思いのままにすること? 自分の意見に異議を唱える人間は、法律家であろうと、側近と言われた閣僚であろうと、即クビにする横暴が許されるのか。それがアメリカという国の本質なの。地球温暖化のパリ協定・WHO・イラン核合意その他色々。気に染まぬことがあれば徹底して正してウミを出せばいいのに。言いたい放題言っておいて最後は結んでいた条約を破棄し、勝手に脱退して大混乱を招く。
こんな我が儘や筋の通らぬことを言って、汗をかこうとしない御仁が身の回りにもいるよね~。

しかも、北という国に何らかの圧力でも加えるのかと、アメリカンヒーローを少しだけ期待したがまるで腰砕け。相手にいいように利用された感が強く残る。

要するにそういう人が去ったということ。また元のアメリカに戻そうという人がリーダーになったという事実を受け止め、しばらくじっくり観察したい。
株価の乱高下の収束。コロナ禍の終息。異常気象を招く地球温暖化対策。期待したいことはいっぱいあるものだ。

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