「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「夕立の巧名」

2008年07月31日 | 家族・孫話
「夕立は馬の背を分ける」と言われている。
積乱雲の通過する狭い地域で、局所的に降らす雨のことで、馬の背中の右半分は濡れても左半分は濡れない。夕立という雨の降り方の片寄を言い表したのだろう。

山間部は夕立の回数が割と多い。なのに瀬戸内海沿線の我が家の周辺はなかなか降らない。
今日も出先で大雨に見舞われた。この調子なら今日は畑の水遣りから解放されることを期待して、雨の様子を聞くために我が家に電話を入れた。

慌ただしい声でカミサンが電話口に。「今帰ったところよ」と言う。
はて?どこへ行くと言ってたかいな? 思い出せない。
しばらく間をおく。「そっちはどんな?」と聞いてみた。

「小さな陰はあるけど問題はないみたいよ……エコー検査を増やすそうよ」
アッ思い出した。婦人科疾患で先日受けた、MRIなどの精密検査結果を病院に聞きに行く日だった。

検査の結果を心配して電話してきたと思い込んでもらえたお陰で、こちらのあいまいな聞き方に対して、全てまっとうな返答が返ってきた。
当然のことながら、「そりゃーよかったよかった」を連発。
最後にちょこっと雨の様子を聞いた。案の定その時は我が家の周りは降っていなかった。

畑の水遣り作業を出来ればサボりたい気持ちで、出先から電話したことによって、忘れていたカミサンの一大事を思い出した。面目躍如!!

馬の背を分ける夕立に遭わなかったら、電話もしなかったろう。家に帰ってもカミサンが言い出すまで気付かなかったに違いない。
えらい違いである。まさに ”けがの功名” いや ”夕立の巧妙”と言うべきか。

         ( 写真: お馬の親子 )


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「よくぞ男に…」

2008年07月29日 | 季節の移ろい・出来事
 この暑さ、なんとか凌ごうと思ってはみるが、所詮どうにもなりゃしない。
 責めて、節水情報が発令されるまで、遠慮なく庭に打ち水でもして、ステテコ・薄い肌着を引っかけて、椅子を持ち出し足投げ出して、缶ビールのイッパイもやってみたくなる。
 そこで ”夕涼み、よくぞ男に 生まれけり ” がよみがえる。
 とは言うものの、最近ステテコは見なくなったなー。

 子供の頃は、日が暮れてしばらくすると、あっちの家もこっちの家も、大勢の老若男女がウチワ片手に縁台に集まり、世間話という貴重な情報交換の場があった。

 中でも、ステテコに上半身裸、肩にタオルが1本といういでたち。
 見えにくいほどのわずかな灯りの下で、将棋盤を挟んでかがみ込む。
 そのうち、将棋盤は多くの人に囲まれる、最初は2本だった手が5本にも6本にもなって、誰と誰が指していたのか分からなくなるありさま。
 そんな中で、子供達は大人の会話を耳にしたり、駒の動かし方を覚えたりしてきたものだ。

 残念ながら今はない。ステテコもなければ、男に生まれた甲斐もない。男の半ズボンより女性のスカートの方が短くなってしまった。アーァ。
 それに、隣近所が集まって縁台将棋するなどは歴史物語になりつつある。

 産地偽装でも中国産でもいい、口に入れない花火なら値段の安い方がいい。
安い花火を買い込んで、華やかに火花を散らせば、たとえその瞬間でも近所の子供くらい集まって来るかな、それを突破口にあれこれ自治会活動を……

 いやいや「アンタも好きじゃねー」とたしなめられる声が聞こえてきそう。

           (写真:夕涼み定番グッズ)



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「生存競争」

2008年07月28日 | 季節の移ろい・出来事
西日差す夕方5時過ぎ。よその多くのお家では犬の散歩に余念がない。
我が家は犬の散歩の代わりに、大事な可愛い宝物ペットが、否応なしに散歩をねだる。

暑くても、くたびれていても1時間ばかりは付き合うことになる。
あの身体中に目が付いているのでは…?と思わせる鋭い目で、じいちゃんに色んなものを見せてくれる。

「レンコンの葉っぱがね、指輪を作って花を咲かせて上げとるんよ」と言いながら手を引っ張って案内してくれる。
これは珍しい。花が、先輩の葉っぱを突き破って伸びている。

なるほど… レンコンの世界も人間の世界も似たようなものだ、生き延びるためには邪魔なものは押しのける。押しのけられなければ強行突破も辞さない強い意志をレンコンの葉っぱから感じ取った。

花を突き通させた葉っぱが「指輪を作って…」とは、なかなかの感性である。
こいつらに追い越されるのは時間の問題だなと思いながら、シメシメ今日のブログネタが出来たわい。と一人悦にいる。
これぞまさに「孫と歩けば、ブログネタに当たる」 という有り難いお話。

暑くて、くたびれた身体に鞭打ってでも、カメラをポッケに忍ばせ二人の後を追っかけなくっちゃー。 「今日はメダカを4匹ゲットしたんよ」と自慢げに母親に報告するところをみれば、明日はもっと長いメダカすくいになりそうだ。アーァ。
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「盆おどり」

2008年07月27日 | ニュース・世相
 昨夕、孫が幼稚園最後の盆踊りというので、小銭をポケット、ウチワ片手にカメラを忘れず出かけた。
 幼稚園の先生や育友会役員さんのご尽力で、立派なササの葉デコレーションで、雰囲気が盛り上げられていた。 幼稚園の盆踊り話はここまで。

 若かりし頃、40数年前の話になろうか。この時季になると、各地域の自治会や婦人会・青年団が中心になって、あちこちで盛大な盆踊りが催されたものである。

 一つは戦没者の霊を慰めるという大きな目的意識があって、地域の全員が寄付を出し合い、協力し、子供や青年団が踊り子を務める「手作り盆踊り」が盛んであった。かく言う私なども、30人近い青年男女が、お揃いの浴衣で、それはそれは見応えのある踊りを披露したものである。

 いつしか、戦没者慰霊が陰を潜め、その地域で過去1年間に亡くなられた人の慰霊に変わっていった。そして、青年団という団体がほとんど機能しなくなり、子供の数の減少と共に、盆踊りそのものがほとんど見られなくなった。

 岩国音頭という伝統的な音頭、太鼓に合わせて大きな円を描いて夜中まで踊る。
周囲には出店がところ狭しと並ぶ賑わいで、夏の夜の風物詩であった。
 若い男女が揃いの浴衣で踊りを競う、自転車相乗りであちこち遠征する。そこには当然恋も芽生える。ああしてこうすりゃこうなったカップルもいくつも見てきた。

 残念ながら、少子・高齢化が進む現在では、このような穏やかな触れ合いの場となる盆踊りさえ希少価値となってしまったようだ。

 幼稚園の盆踊りでは、アンパンマン・ドラエモンが主役で、岩国音頭など流れるはずもないが、ちっちゃい子供らが浴衣の帯を引きずりながら飛び跳ねるのを見ると、遠い昔が偲ばれてつい身体が反応する。 やっぱりこんな雰囲気、嫌いじゃないんだよねー。

 遠い昔が鮮明によみがえるなど、連日の暑さによる脳の軟化現象か、いや、やはり○○のせいかな……??
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「勘違い」

2008年07月26日 | 趣味・・エッセイ
 2007年度、文化庁の国語に関する世論調査で、敬語などの言葉遣いを中心に「今の国語は乱れていると思う」と答えた人が8割を占めた。と新聞報道された。
 更に、意味を取り違えたり、誤った使われ方をする言葉が並べられている。

 たとえば、「ぶぜん」とは、失望してぼんやりしていること。なのに、納得いかないことがあって腹を立てている様子、と言う誤用回答が7割強。
 同じく「げきを飛ばす」も、元気のない人に刺激を与えて活気づけること、という誤った解答が73% 正答の、自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求めること、と答えられるのは19%なのだそうだ。

 このように見てくると、自分の中でも意味を取り違えたり、勘違いしたりして、誤った使い方をしていることが、数多くあることに改めて気付かされる。

 自分以外には見せることのない日記ならともかく、こうしてブログという形になれば、内容は個人的日記風文章ながら、インターネット上に公開しているわけだから、不特定多数の人が目にすることだってある。

 個人的見解を主張するあまりに、言葉の使い方や言葉の持つ意味までが無責任に扱われてはいけないのだろう。
 使用する言葉をよく吟味して、正しい意味を理解した上で、正しく使わなければならないことを、書く者のせめてものエチケットとして肝に銘じたい。

 それらを飲み込んだ上で、敢えてジョーク混じりの勝手気ままを書くのはこれはこれで許されるのだろう。

 たかがブログ・されどブログ。多くの人に不快な思いや、誤った情報伝達をしないためにも、辞書は手放せないのかなー…。
 国語の授業をもう少し真面目に受けておけばよかったなー…。

        (写真:同じ模様で、仲間内と勘違いしている、ウサギと猫)
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「おせっかい 2」

2008年07月25日 | おせっかい
「言うまいと 思えど今日の 暑さかな」
 二階の南に向いた掃き出しにへばりついているのに、キーボードを叩くだけで脇の下を流れ落ちる汗。兎に角暑い。
 この暑さに誘われて、私のおせっかい虫が躍動を始めた。

 こんな時はやはり暑気払いが必要である。
暑気払いの定番と言えば、ビルの屋上で夜風に吹かれながらのビアガーデン。定額料金で、バイキング料理と飲み物自由が気楽である。
 
 ひとつは、中学校の同窓会幹事仲間に連絡。20数人のいつもの、一声で集まるメンバーに呼びかける依頼発信。
 会場設定から値段交渉・座席の交渉などの全てはこちらのお役目。
 
 今ひとつは、高校のクラスメート10人ばかりの、こちらもある程度固定された常連仲間を集めての飲み会。当然会場設定などの交渉がついて回る。

 でもこの時期はビアガーデンという、手っ取り早い場所があり、参加人数も、お座敷の予約ほど過不足にうるさくないので、幹事としては助かる。
 この年になっても、連絡なしのドタキャンという不届き者や、約束日を間違える奴もたまにある。

 あちこち電話しまくって、ようやく人数を集め、さあ飲むぞーという段階になったら、ジョッキ2杯も飲めば、そこいら中のお酒を一人で飲んだような顔色をしてテンションだけは上がりっぱなし。
 安上がりな奴だなーと思いながら、仲間内の元気な笑顔をつまみにチビリチビリ。

 随分長いことこの役目をやっているなーと思う。最初はあきれ顔だった山の神を、ついにあきらめさせ、こちらのペースに引き込んだ。今では、亭主の好きな何とやら…。積極的な協力者に仕立て上げた。
 オットット・・好きでやってるわけじゃない。誰かがやらなきゃ始まらないから、時節やタイミングを計りながら、スタートの旗振りをやってるだけなんだ。それがやっぱりおせっかいなんだよねー。

 せめてもの慰みは、多くの仲間が喜んで集まり、楽しんでくれることである。
  
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「自前のスイカ」

2008年07月24日 | 晴耕雨読
  なった なった スイカがなった

      孫より大きい スイカがなった

    よとう虫にも ダニにも負けず

      抱えるほどの スイカがなった

  さん・サン・SUN ふりそそぐ太陽 甘味に換えて

    真っ赤な美味しい スイカがなった

   一番なり 二人のお腹に 収まった
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「食後のひとやすみ」

2008年07月23日 | 季節の移ろい・出来事
地球に優しく人間にも優しい無農薬野菜が脚光を浴びて久しい。
本当に農薬を一切使わなくて商品価値の高い野菜が大量に収穫できるとは、にわかには信じがたい。実際に、農薬を全く使わない我が家の菜園での収穫は、商品としての価値は低く、見栄えも間違いなく値切られるであろう物が多い。

そんな疑問に一定の答えを出してくれる光景に出会った。
今を盛りの成長期にあるハス田で、縦横無尽に走り回り、雑草も害虫も食いつぶしてくれる重宝な鳥「あいがも」親子の休憩時間にめぐりあえた。

夕方5時半、西日はまだ威力を保っている。
ひるから中働き詰めに働いて、お腹は満腹、ねぐらに帰るには少し早い。「ちょっとみんなでひとやすみよー」という親の掛け声で、田んぼの脇の草むらに上がってきたのに違いない。

2週間ばかり前に、ハスの茎の間をネズミが走っているのかと見間違えるほど小さかったのに、今日見たら、もう親に近づくほどに大きくなっている。
それほど餌が豊富なのだろう。と言うことは、あいがもがこれほど雑草や害虫を食べてくれたことになる。いやはや驚きである。

ちなみに、アイガモは「合鴨」と書く。マガモとアヒルを掛け合わせた雑種で、アヒルに鴨の野生を注入し、狩猟性と旺盛な食欲を引き出したと言われている。
やがて成鳥となってご用が終われば、食肉となるのだそうな。

こんな光景に出会えるのも、西日差す暑さにもめげず、孫に引っ張られて散歩に出るお陰である。
また孫かー……。


(写真: 一羽の親に八羽の子、ひとやすみ中のアイガモ親子)

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「花すだれ」

2008年07月22日 | 季節の移ろい・出来事
今日、7月22日は二十四節気の一つ「大暑」だそうである。
二十四節気という区分や、大暑・立秋・処暑という呼び方などの専門的解説は、インターネットにゆだねるとして、兎に角今日から「立秋」の8月7日頃までが最も暑いとされる大暑なのである。

こまめな水分補給はもとより、滅入りがちな気持ちを奮い立たせる動機付けを探して、暑さを迎え撃つメリハリのある生活を心がけたい。と、思ってはみるがこの暑さは閉口ものである。

昨年の春、鉢植えの苗を買ってきて試しにプランターに植えた琉球朝顔(オーシャンブルー・宿根朝顔とも言う)が見事に生い茂った。
そのまま冬を越させた今年の3月、土の入れ替えなど宿根を痛めないよう植え替えをしたら、今年も見事に生い茂り日陰は作ってくれる、花は楽しめる、大儲けをした気分で、例の水遣りパイプで朝夕水を遣っている。

「朝顔に つるべ取られて もらい水」などという風流な感じではない。しかしこの暑さに負けず、小さな根っこから高さは優に2m縦横無尽に枝葉をひろげ、その上花は毎日20も30も咲かせる。この努力に報いるのは、責めて朝晩の水遣りとわずかな化学肥料である。

地球温暖化対策の一つに貢献していると自負しながら、西日除けの緑のカーテン「花すだれ」に鼻を高くし、すだれ越しに吹き込む風の心地よさを満喫している。
一方で、6個のプランターに朝夕水遣りをすることは、地球をいじめることになってはいないだろうか気に掛かる。

近いうちに、この周辺にある4つのダム巡りをして貯水量をチェックして歩こう。
オーシャンブルーへの水遣りや、孫のプールの水も心配しなくていいのかどうか……
寒すぎるのも身体にこたえるが、暑すぎるのも何かと気を遣うものだなー。

       (写真:見事に咲いた「花すだれ」)
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「長寿姉妹」

2008年07月21日 | 家族・孫話
暑い中を、近くに住む叔母に声を掛けたら、母の見舞い同行に気持ちよく賛同してもらった。
叔母、大正元年生まれ96才、独り暮らし。

母は4人兄妹の二番目で、明治41年生まれ100才。その下がこの叔母である。
長兄も末っ子の弟もとうに他界、残されたのは姉妹二人である。

病院に着くと看護士さん達から「まあ、そっくり…」叔母の手を取り、抱き抱えるように迎えてくれる。

叔母には男1人・女3人の子供がいるが、それぞれ独立しており、実家を独り住まいで守っている。
週に二日のデーサービスと、後は畑作りに精を出し、腰は曲がっているものの草取りが趣味というだけあって、元気そのもの。
もちろん認知症は見られない。

母も叔母の年には元気そのもので、二人揃って妙見様や御大師様にお参りしていた。かつて名古屋の「金さん・銀さん」が大ブレークしたのにちなんで、岩国の金さん銀さんと、冷やかされたり励まされたりしたものだ。

後期高齢者制度が現代の姥捨て山だと言われようが、制度の見直しで若干の修正をされようがされまいが、現実に身近なところで二人の高齢者を見守っている。
出来るなら、長年社会に貢献してきたこのお年寄りたちに、もっと優しい世の中になってくれることを願っている。

しかしまあ、何があろうが叔母には元気に暮らして欲しいし、母には与えられた天寿を全うして欲しいと、改めて実感した暑い夏の日の母見舞いである。

       (写真:100才を見舞う96才の長寿姉妹。5月撮影)

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