「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

小鳥の羽もゆるんで、

2022年02月28日 | カープ一喜一憂

  
 ヒヨの眼下、地面でエサをついばむツグミ   仲間の一羽がエサをついばむ間、お連れが監視する

茶色く疲れたような荒れ地が隣に広がる。せっせと種を蒔いたのが勝手に芽を出して数年になる梅の若木。その数本が昨年春から本格的に花を付け始めた。それも小さな木を、華やかな白梅が覆いかくすほどに咲いている。香りがいい。花季が長く、咲き始めてから随分の日数を楽しませてくれている。

峠を越した感のある冬が、エサを求めて集まる多くの野鳥の羽も緩めているのか、気ままにエサをついばむ姿が広がる。
見るともなしに見ていたら、そこにはのんびりばかりではない、野鳥同士の激しい縄張り争いが繰り広げられる実態がある。のどかな野鳥の楽園か、と思いきや、そこは生き物の集まる場所、そんなに甘くはない。常に声も大きい、図体も大きいヒヨが主導権を握っているようだ。

ヒヨは、地面に広がる白菜やキャベツの葉っぱを好んで食べる以外は、滅多に地面には降りてこない。少し高いクロガネモチや南天の木の上で熟れた赤い実を欲しいままにしながら、地面の様子を窺っている。そこへ地面を這うようにエサを求めるツグミがやってくる。そしたら木の上から急降下しながら、けたたましい鳴き声と共にツグミを追い払う。追われるツグミも慣れた様子で飛んで逃げるが、着地するのは元の場所から少し離れたところ。ヒヨも取り敢えず追い払えばいいだけで、それ以上のバトルも血を見る争いもない。ツグミが降りた地面近くの梅の小枝でひと休みしている。

追いかけるヒヨも、追われるツグミも、後期高齢者同士なのか、飛距離に無理をする様子も見られない。見ているこちらも、またトレーニングしているな、と安心していられる。そんな様子をボーっと見ているアンタモお暇ね。という声が聞こえるが、それも朝の8時過ぎから9時そこそこの時間限定のパフォーマンス。しかも温みが差して、地面でエサをついばみやすくなったという、春の訪れの前触れである。どうせお家籠りが正解な日々。窓の外に広がる自然界の営みはそれなりに面白いですぞ~。やっぱりヒマなんよね~。今日で如月も逃げていく。時の流れが実に早い。 

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「ゆっくりと春が・・・」

2022年02月27日 | 季節の移ろい・出来事

                                       
                               満開の梅に遊ぶジョービタキ 

           
          ゆっくりとした春の訪れを感じて、ジャガイモの植え付け 

思わず上着を一枚脱ぎたくなるような日差しがまばゆい。
満開の梅の木に遊ぶジョジョービタキに誘われるように、春を感じてジャガイモの植え付けをした。
左肩に負担をかけないよう、軽量の家庭用耕運機を駆使して先ずは固くなった土を耕す。溝を掘りタネイモを置いて両サイドに肥やしを入れてから軽く土を被せる。

それほど難しい作業でもなく、なんとかリハビリ中の身にもやれた。早く植えなければ時季を逸するという気がかりを引きずるよりは、案ずるより植えるが易し。済ませてしまえばひと安心。タマネギは昨年11月、入院する前に植えておいたので、取り敢えずはタマネギとジャガイモという、食材の王様の二つは、およそ半年間自家製でまかなえる。

その時季が来ても、寒さに震えさせられるとなかなかやる気が起こらない。
そんな意味でも今日は、我が家の周りに、ゆっくりと春が訪れた気分である。

こんな季節を迎えるところもあれば、まだまだ除雪車に跳ねられて高く積み上げた雪の山に難儀をされる地方もある。一様の春の訪れが待たれるが、今しばらく時間はかかりそう。北陸、東北、北海道方面の方には、今も大雪見舞いを申し上げたくなる。

もっとひどいのは、砲声や爆発音に怯えながら自宅のシェルターに潜んで、命を守る危険に晒されて人々がいるという現実。人間の業などと簡単には言えないが、戦争とはこの上ない罪作りである。この地方にこそ一日も早い春の訪れが待たれる。他人事ではない恐ろしさを感じている。     

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「春隣り」

2022年02月26日 | 季節の移ろい・出来事

                                          

ヒヨ・メジロ・ジョービタキ・ツグミ・キジバト・スズメそして時々モズ。隣の空き地にエサを求める小鳥たち。
ほどほどにお腹がくちたとき、いずれの小鳥も必ず喉を潤しにやってくる。いつも満々の水をたたえて待っている水飲み場。
今朝は、この冬の最後を予感させる薄氷が、頼りなげに光を反射させている。か~るく指で押せば氷は割れて、小鳥たちの喉を潤す水飲み場になる。

昔は、家族が集まる居間のど真ん中にデンと座って、小さな手大きな手、白い息を吹きかけ揉みながらかざす指。分け隔てなくどの手も一様に温めた。家族を一つにまとめ、同じようにぬくもりを分ける父親の存在に重なる大火鉢。遠い昭和の名残をそのままに、今はテラス屋根の雨だれ受けとして、ひっそり植え込みの陰で小鳥や小動物のオアシスになっている。

昨年のこの頃だったろうか。もっともっと冷え込みの厳しい朝、大火鉢の氷が厚くて水飲み場の役を果たさなかった。特にそれにも気付かず、畑に植えたグリンピースに水やりをしていた。思いもかけぬメジロがジョーロの先の水を求めて手許に降りてきたのを改めて思い出した。
喉が渇き命をつなぎ止めるためなら、人間の手許近くという危険を冒してでも水を求める、野生の生命力に驚かされる。
「窮鳥懐に入らずんば漁師これを撃たず」

これで水飲み場の水が凍る寒さは峠を越すのだろうと思いたい。
一枚脱いで気持ちも身体もリフレッシュ! 春は目の前に!!

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「名刺!」

2022年02月25日 | つれづれ噺

                 

久しぶりに自分の名刺なるものを作った。別に新たな仕事を始めたり、新たな役職についたりしたというような大げさなものではない。
今まで長い間続けてきた事柄なのに、自らを端的に相手に知らしめる行為を、少しおろそかにしてきたのではないか、という後ろめたさを感じていたり、実際に少し古びてきていたのを更新したというの正直なところか。

初対面の人に「取り敢えず私はこういう者です」と、自分を認識してもらうには誠に重宝な一枚の紙切れであり、仕事の成果を上げる効果的な慣習であると思っている。自分が年を重ねて来たという少しの不安みたいなものを、払拭する効果もある新しい名刺ではある。
遠く振り返ると、我が生涯にはいったい何枚の名刺が活動し、どのように使い分けて生きて来たのだろか考えてしまうう。生涯に使った全ての種類の名刺を1枚だけでいいから残しておきたかったね~。

会社のロゴマーク入りの名刺だけでも、何枚か変わっていった。一番最初に手にしたのは、作業ヘルメットに1本の青い線が入れられた時だった。また本社勤務の間は、同じ会社のロゴ入りながら、まるで特殊の肩書の入った名刺を持たされた。「こんな大層な名刺を振りかざしてええんじゃろうか」と思いつつ、印刷会社大手の大日本印刷・凸版印刷の各工場や共同印刷・東京書籍などを巡った昔もある。まさに名刺を水先案内にして仕事をさせてもらった。

会社に勤めるかたわらで、独自の高価な名刺をオーダーメードして頑張った一時期もあった。
会社を定年退職したら、名刺の数が一気に増えた。趣味の会やボランティア活動の名刺などで友達を増えていった。一時期大いに流行ったご当地検定の実行委員という名刺をひけらかして、受験者を開拓するといった、一見無謀と思えるようなことも、その道の達人的な友に誘われて積極的取り組んだ。そこには定年後の憂き目や手持無沙汰など一切感じるヒマもなく走り回った。

趣味と実益の一石二鳥で楽しませてもらったタウンリポーターは忘れ得ない楽しさをくれた。新聞社の名前が入った名刺を出すと、こちらの実力以上に相手が反応してくれて、取材活動の大きな手助けになった。手慣れた感じで気安く差し出す名刺。名前を刺す鋭さを持っている。大切に使いたいものだ。

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[Xデー!ついに!!」

2022年02月24日 | ビッグニュース

               
                    ウクライナ情勢(イメージ図)

自国が恐怖に晒されているわけでもないのに、『自国の安全保障のために』という、世界が認めていない大義名分を打ち立てて、我が意に従わない隣接する国を武力で抑え込もうとする。従わなければ有無を言わせず軍事制圧してでも、我が意を通すプーチン大統領。世界中を暗い気持ちにさせる、ロシア軍によるウクライナへの武力進行、xデーが今日になってしまった。

こんな理不尽な宣戦布告が現代社会にまかり通るのだろうか。もしも今回のロシア論理がまかり通ってロシアが勝利者にでもなれば、それこそ世の平和は終わりを告げるのではないかとさえ思う。武力と財力で世界の秩序を無視して世界の覇者たらん地位を狙う、近くて遠き国などは勇気凛々、世界中の海を我が国の海と言いだすかもしれない。自国の意に従わなければ排斥する。これは空恐ろしい論理である。

そんなことにならないよう、世界中の国が紛争を起こさないように、世界の国々が連携して監視監督することで秩序を守り守らせる。そのためにあるべきはずの国連が機能していない頼りなさ。大国が武力を振りかざせばなんでもできる。無理が通れば道理が引っ込む世界に今私たちは生きていることになるのだ。傲慢な人間の存在によって、どれほど多くの人が塗炭の苦しみに追いやられることか、他人事ではない。

傲慢 嫉妬 憤怒 怠惰 強欲 暴食 色欲 これがキリスト教では7つの大罪と教えられている。

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「にゃんにゃんの日」

2022年02月22日 | 季節の移ろい・出来事

              

2022年2月22日の今日は、誰が言ったか「にゃんにゃんの日」つまり猫の日だというらしい。
せっかく耕運機をかけてきれいに仕上げた畑に、「ここぞ!」とばかり集団でやってくるノラ軍団がまき散らすあの強烈な臭いの排泄物。
柔らかくほぐした土に、買ってきた苗を植付けたら、すぐその横にコンモリ盛り上げた上に周囲の泥をかき集めて隠そうと努力する。その努力が植えたばかりの苗を掘り起こすことになり、苗が枯れてしまう。まさに実害の被害者なのよ。

あれさえなければ敵対視もしないし、水が欲しければ雨だれを貯め込んだ火鉢の水を存分に提供してあげる。この、悪臭と泥起こしには何度も何年も泣かされてきたので、姿を見ればつい、シッシッと唇を尖らせてしまうのよ。だから今日のように、にゃんにゃんの日などと口で言って楽しむ分には何の文句もないのだ。ただね、追われた時に一目散に逃げるふりをして、少し離れたら立ち止まって「まだ追いかける馬力ある??」みたいな顔してジローっと振り返る仕草が、なんとも好きになれないな~。

2並びがにゃんにゃんなら、1並びはワンワンか。ワンワンとくれば犬だよね~。どうせ並びの数字なら2より1の方が、パチンコファンには喜ばれるのはご承知の通り。しかし1月1日とくれば、お正月元旦で、なにかとお祝い気分に追われて、犬の日などと言ってるヒマがなさそうで、犬にはちょっと気の毒だね~。などと他愛もないことを考えるほどオヒマでもないのだが、ま、ここまできたついでに、世の中の「ねこ派」と「いぬ派」について、ネットをひもといてみた。

日本で飼われている数値は僅差ではあるが猫の方が多いと言われている。但し猫は一人で何匹も飼っている人がい多いので、飼っている人の数値で言うと、犬を飼っている人の方が多いということになるのだそうな。では飼い方という点でみると、犬の方が難しいといわれる。だからいぬ派ではあっても、飼いたいけど飼えない人もあって、総合評価をするとねこ派もいぬ派もさほど大きな差はないようである。

そう言えば今ふと思い出したことがある。10数年前に、フランス・ドイツ・スイスを旅したとき、あのフランスで犬の飼い方の貧困さに驚いた。それこそ散歩させる犬の落とし物は全て路上放置。
バスから降りてホテルに入るまでの近距離に何カ所も犬の落とし物。フン害に憤慨する。カートを転がすのにフンをよけながら、用心に用心を重ねないと、カートがホテルに持ち込めない憂き目にあう。その点、日本は天国だ。中には垂れ流しお構いなしの人もたまにあるが。

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「一つが終わり・・・」

2022年02月21日 | ニュース・世相

                                                 
                   北京オリンピック 閉会式

あっという間に通り過ぎた感じの北京冬季オリンピック。「とうきオリンピック」と入力したら何度も「投棄オリンピック」と変換される。
なんじゃこりゃ。パソコンまでが、今回のオリンピックのゴタゴタや政治介入の不純さを感知しているわけでもあるまいに、なんでこうなるの? 

なんだかんだ言いながら、少なくとも私個人は大いに楽しませてもらったのだから、有難い17日間ではあった。何か得体のしれない空しさみたいな、ある種の陰を感じながらではあっても楽しんだ。世界中の多くの人が楽しんだ。そこには、それぞれの種目で国家の代表として出場した、選りすぐりのアスリート達が、普段の鍛錬以上のものを求めてしのぎを削る。大成功もある反面大失敗に終わる場面もある。これほどに面白い人間ドラマが、いつもかつも見られるわけではない。

これほどに最高のステージを構え、最高の演者を集め、最大の観客にアピールする一大イベントを政争の具に悪用したり、我欲の隠れ蓑にすり替えるのは、ホンの一握りの為政者である。あいつとこいつとそしてこいつとあいつ。彼らがみんないなくなったら世の中がよくなるか。答えはノーである。また新たな、あいつやこいつが顔を出すから不思議である。

そんなオリンピックの陰でふと気が付いたら、今年は我が家の冬の花「寒アヤメ」が咲いていないのに今頃になって気が付いた。オリンピックにのぼせたり寒さに震えたりして、日課の如く庭に出るのを控えたために、寒アヤメが主の足音を聞くこともなく、目覚めが遅れたのだろうか。それとも、体調不良に喘ぐ主を気遣って、華やかさを表に出さないまま静かに付き合ってくれたのか。
主が万全でないこんな時こそ、厳寒に向かって凜と咲く健気さを見せて欲しい、とも思うが、どっちにしても、ここ十数年の間咲かない年はなかったのに。なんでじゃろう、少し寂しい。

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「アイス・リーディング!」

2022年02月19日 | スポーツ・観戦

                 

はじける笑顔と、クシャクシャの涙に暮れる。女子カーリングの日本代表チーム「ロコ・ソラーレ」。
来る試合も来る試合も、最後の一投か最終前の一投で勝敗が大きく別れる。スキップと言う名の一チーム4人の4番目の投者。
我々素人が考えるほど重苦しい役割ではないのかもしれないが、相当タフな精神力の持ち主であり、緻密な勇気も度胸も判断力も要求され続ける。

前回オリンピックで銅メダルという実績はあるものの、今回はどうなんだろうと、正直なところ半信半疑あった。もちろん応援はしていた。
今回の第一試合のスエーデン戦。最後の一投で同点に追い付けるか手に汗を握った。ホンのわずかなショットのズレが、同点チャンスを3点差に、5対8で敗れた。あの一戦を見て「こりゃうかうかしちゃおれん、応援しなけりゃ・・・」と必死に応援した。その甲斐あって3連勝。俄然応援にも力がはいる。

そんな中でも勝敗のカギを握るのは、氷の状況を見極める眼力であるという。氷の状況を見る、つまりアイス・リーディング。
このように、何につけても「極意の一手」と言われる、平面だけでは分からない一歩掘り下げた奥を覗く、裏側に思いを馳せる。そんな深読みが、特に勝敗の機微にかかる本質を見極めておくのも、勝負師のこだわりと心意気なのかもしれない。なんて勝手に思いながら、明日も応援したい。

今大会の氷は滑りやすさや曲がる幅が刻一刻と変わる上、氷を掃くスイープがストーンの動き方に与える影響も大きいという。やはり時と場所、氷によって色んな条件が変わる。それらを読みながら、4人が気持ちを一つにして、氷と戦いながら、相手チームの頭脳や戦略と戦い続ける。

明日の決勝戦。ここまで来たらもう失うものはない。アイス・リーディング、氷を読み研ぎ澄ませた自らの頭脳を信じて、精一杯戦って欲しい。 

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「一番寒い日」

2022年02月17日 | 季節の移ろい・出来事

      
       二階の窓から遠く海を臨む、まだら雪景色            普段は茶色の枯れ草地面を、白塗りの化粧で模様替え
日本列島を襲う寒波は、日本海側を中心に大雪の恐れがあり、車の立ち往生など物流を妨げる大渋滞に声を大きくして警戒が呼びかけられた。
まさに予報通り、というか比較的暖かいこちらでは想像以上の冷え込みに怯えた。道路に5cmも雪が積もれば、1日中交通マヒを起こしかねないノンビリ地方。「この冬一番の体感寒さ」と言えそうな、さっむ~~い朝を迎えた。

こんなのは雪なんていわないよ、とお叱りの声も聞こえそうだが、日本列島の形状、存在する緯度・経度などによって、これほどまでの違いがあることに驚くのは私たち自身であり、雪国の皆さんのご苦労に心からのお見舞いを申し上げる次第です。
そして、1年に2回か3回しかお目にかかれない、白く化粧した朝の珍しさについ興奮を覚えてしまう。写真も撮って残したくなる。この不謹慎をお許しあれ。

             

              
                   玄関わきの小さな植え込み。ばらまいたような雪がお似合い

寒さとコロナに恐れをなして、お家籠りを続けてばかりはいられないこの身。リハビリを兼ねて足腰鍛錬は続けなければ、と気持ちでは焦っているのに、現実は「風邪でも引いたら怖いよね」などと、不要不急の外出も必要最小限のリハビリ外出も一緒くたにして、控え過ぎているようだ。
そうして家の中でパソコンに向かえば、ここんところ不調を来しているパソコン相手に、肩がこるのも忘れて向き合ってしまう。

昨夜はと言えば、世界を相手に堂々と渡り合う女子カーリングの対アメリカ戦を夜遅くまで応援。目覚めが良くないかなと思ったところを、窓の向こうに広がる見渡す限りの銀世界。気持ちよく行動に移り、パソコン修繕にも気持ちよく取り組んだ。延べ何日間かけてあずりまわったのか。やりゃー出来るのだ。お昼の防災無線が鳴るころには完全解決して自由に使えるようになったではないか。よくやった。普通なら何人かの友を尋ねたり、長電話で迷惑かけたりするところを、コロナ自粛と寒さが「本気でやってみなはれ」と背中を押した。

結果的に言えば「なんだそれしきのことか」という程度のレベルかもしれないが、本人にとってはそこから前に進めない相手をどうやって動かすか。
パソコンに限らず、こっちの思い通りに動いてくれるほど甘い世界ではない。先ずは気をよくして、また明日から。

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「北京を吹く風」

2022年02月15日 | ニュース・世相

                                    

2月4日に開幕し、17日間の熱戦を展開している「冬季オリンピックin北京」。
どっちを向いても目が離せな接戦に次ぐ接戦。まさにどちらが金メダルをとってもおかしくない実力伯仲の世界である。
それだけに、判定によって決着する競技のジャッジには注目が集まる。どうしても大国のエゴが勝敗の行くへに陰をおとしていないか、気に掛かる。

『そんなことはない』と思いたい。飽くまでも神聖な闘いの場で、神聖な判定がなされていると思いたい。そんなところへドーピングの問題が再び持ち上がる。それも、かつて国家を上げてドーピングを推奨した国に所属する、まだ14歳の少女に対してである。どう考えても本人が意識して違反薬品を服用していたとは、我々日本人の常識では考えにくい。指導者や取り巻く環境の中に、違反薬品を使用してでも勝たせなきゃならないドロドロした風が吹いているのかなーと思うと空恐ろしくなる。

そういった中では、今日のスピードスケート女子団体パシュートは惜しかった。完全な早さを競う競技で、判定ではなく明らかに数値が結果を決める。ゴール寸前まで明らかにリードしていた。金メダルに手が届くところまで来ていた。それが、思いもよらぬ転倒による逆転劇で幕を閉じた。それでも栄えある銀メダルである。3人がそれぞれに力を出し切る団体競技。駆け抜けるリンクにはとても爽やかな風が吹き抜けていたように思う。

残り日数も少ないオリンピック。もちろんメダルに手が届けば言うことなし。たとえそうならなくても、手に汗を握って応援したくなる熱戦を見せてくれたら有り難い。真っ白い雪の上、真っ白い氷の上での競技である。真っ白い気持ちで応援するし、真っ白い心で判定して、真の大国の威厳ある柔らかな風を政界に送り届けることにはならないものかね~。

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