「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「春呼ぶ香り」

2021年03月04日 | アーカイブ(蔵出し)随筆

    

なんだかんだと忙しさにかまけていたら、春ジャガ植え付けや夏野菜用の畑作りがすっかり後手に回ってしまった。畑の入り口にある沈丁花も、大方で盛りを過ぎそうな勢いで咲いている。部分的につぼみの集団を見つけて「無沙汰をしたね、まだ間に合ったね」とぺこり。

沈丁花の咲く頃の大きな思い出といえば、44年前に認めた「やぶにらみ随筆その1」なるものがある。久しぶりに振り返って、蔵出ししてみたくなった。
 『春の断面』
 厳しい寒さが峠を越し、女性の白粉を思わせる沈丁花の香りに載って、ようやく春が姿を見せようとしている。長い冬眠から醒めようとする虫や動物たちに代わって、今度は我々人間様がなかなか目を覚ましにくい季節になってくる。
 子を持つ親にしてみれば、入園、入学、進学、就職・・・・・・なんとなく落ち着かないのもこの季節の特色でもある。
 ある者は、合格発表の校庭に土下座して感謝感激を身体いっぱいに表し、またある者はグッと下唇を噛みしめ、次の機会へ、あるいは他方へ夢を馳せ、静かに校庭に背を向ける。悲喜こもごも、まさに春のひとつの断面を見る。
 しかしながら、いずれにせよ両者とも本領を発揮するのはこれからであり、結果をみるのはまだまだ先のことである。人生模様にどのような色を添えるかと言うことの方がはるかに大切になってくる。
 我々はいま、その絵筆を握っている最中である。
 情報過多と言われ、綿密な管理体制の中ではあるが、菜の花に舞う蝶を愛で、四季折々に移り変わる花を愛する気持ちのゆとりを忘れず、一歩一歩を確かな足取りで生きていきたいと思う。

44年前、若干35歳。目的はきちっとしたものがあって、それを少し柔らかく相手に伝えたくて、回りくどくなったのかもねー、などと苦笑いしている。若かったんだねー。こんな時もあったのだ。

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「シーズン到来」

2011年05月24日 | アーカイブ(蔵出し)随筆

        

ビールのおいしい季節がやってきた。
ひと汗かいた後や、夕勤帰りの風呂上がり、プシュッ!喉を突き刺すあのうまさ。
特に最初の一杯は、単にうまいと言うより快感みたいな物さえ感じる。

えらそうなことを言っても、この味・この心地よさを体得したのは近頃のことである。
最初の一杯がおいしく呑めるようになったからといって、アルコールに強くなったわけではない。高いところに上がって、夜風に吹かれながら呑むあの屋上ビアガーデンのムードが、なんとも言えないほど好きなだけである。

デンと目の前に据えられた大ジョッキの、見るからに重そうな量感に圧倒されそうである。
時間がたって、みんなのジョッキが空になり始める、お代わりに立っていく。こちらはお代わりどころかまだ半分以上残っている。
なんとかペースを合わせようとしてはみるが、ここで無理をすると、楽しみな二次会三次会で、こめかみあたりがズキンズキンと音を立てるほど頭が痛くなる。

一次会を抑えめに。そして今はやりにはやっているカラオケバーへ。
思いっきりエコーを効かせてもらって、如何にもうまそうに聞こえるように、8トラテープに合わせて声を張り上げる。カウンターの向こうから「おじょうずね」などと社交辞令の決まり文句を受けながら、マイクを握りしめる手にジットリ汗をかいている。(後略)

1979年に、大真面目でこのようなことを書いている。
各段に進歩したのはカラオケ設備などであって、呑めないこと、その割りにカラオケマイク握ったら思いっきりはしゃぐことなど、30年以上前とほとんど変わっていないことに愕然。
というか、今のほうがあの頃よりもっと気楽に芯から楽しんでいる気がしないでもない。

まあいいか、人生短いのだ。進歩があろうとなかろうと、あの時はあの時、今は今。
ひとには分かるまいが、自分がほんの少しでも進歩していると思えばそれでいいか・・・。

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「正月雑感」

2010年01月04日 | アーカイブ(蔵出し)随筆
1978年(午年)。32年前のお正月。会社機関誌に随筆なるものを書き始めて10ヶ月。
若かりしあの頃、いったい何を思っていたのだろう。ちょっと振り返ってみたい。


『「ああも言い こうも言いつつ 一年過ぎて 振り向き見れば 夢のまた夢」
正月元旦を迎えると誰しも、長い人生の一里塚として、心あらたまる思いがする。
毎年年頭に当たって、今年こそあれだけはやろう…これだけはモノにしよう…と指を折ってみる。
しかし、実際に身に付いたものと言えば意外に少ない。それでも一年一年を重ねる毎に、新しい場所へ新しい足跡を残し、新しい知識を吸収することで、楽しみ苦しみ喜びそして悲しみを体験し、人間としての幅を広げて行くのだろう。

「自慢は知恵の行き止まり」と昔から言われる。
反省のないところに進歩はあり得ない。謙虚におのれの歩いた足跡を振り返ってみるのも面白い。
そこには、赤面することもあるだろう、その足跡を土台に更に飛躍を誓うこともあるだろう。いずれにせよ、足跡を残したのは自分自身なのだ。責任を取るのも自分しかいない。

そんな意味からも、お正月とは人生のひと区切りとして、ジックリ振り返り、その上で新しい目標を立てる絶好のチャンスである。呑んで食って遊び呆ける為だけのお正月ではいささか物足りなさを感じる。

筆者も今年は午年当たり年。衆目を集め、ファンファーレに乗ってゲートインするサラブレットにはなれなかったし、今更なり得べくもない。が、たとえ農耕馬だろうと雪深い山から木を切り出す木こり馬だろうと、馬に変わりがあるものか。
あの長い顔の鼻先から白い息を吐きながらでも、与えられた今を全うすべく精一杯生きたいと思う。
人生を豊かに、幅広い人間になるよう、この正月をひと区切りに向こう一年、がんばってみたい。』


思えば30才半ばでこんなことを考えていたようだ。ちょっと夢に欠けるし、今もってあの頃と大きく変わっていないことに気付かされる。進歩してないよな~~。



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「年賀状」

2008年12月09日 | アーカイブ(蔵出し)随筆
今から31年前の12月、こんなことを考えていたのか…という、おはなし。

月日のたつのは早いもので、ついこのあいだ、旧知の友や過去お世話になって最近無沙汰がちの先輩諸兄に、暑中見舞いを出したと思ったら、もう年賀状をそろそろ書き始めなければならない季節になった。

暑中見舞や年賀状を書くシーズンが来るといつも思う。
これは虚礼なのだろうか、信義ある良俗なのだろうか……と。
特に年賀状の場合、350億円という気が遠くなるほどの大金が、ハガキ代として消費されることなどを耳にすると益々迷ってしまう。

省資源とか節約ムードが叫ばれる昨今では、確かに馬鹿げているかも知れない。が、紙・パルプ産業に従事する一員としては、双手を上げて反対もしないし、必要以上に奨励もしないというところか。

いずれにせよ筆者自身は、新年の慶びを素直に表したい。それには本来ならハガキに意を託すのではなく、直接相手を訪問し、手の一つも握って、祝詞と今年もよろしくといった挨拶を述べたいのだが、現実的にはそうも行かない。 責めて相手に気持ちを伝えるという意味で、毎年せっせと年賀状をしたためている。

我々一般人には年賀ハガキの一枚によって、自己PRしたり印象づけたりする必要はさらさらないわけである。ごく自然に・素朴にこちらの意を汲んでもらえればそれで事足りる。

日頃手紙もロクロク書かず、音信途絶えがちな友人・知人・親戚に、責めて年の初めにこと寄せて、挨拶をする一枚のハガキに価値はあると思っている。
また受け取る立場になると、思わぬ相手からもらったり、オヤッと思う人から届いた黒々とした墨跡に接すると一段と心が洗われる思いがする。

要は、出す人・受け取る人の気持ちの持ち方一つで、虚礼になったり信義の良俗になったりするのだと思う。
この暮れも単なる虚礼に終わらせないよう、精一杯年賀状を書いてみようと思っている。
    
     (1977年12月1日発行 工場機関誌掲載「やぶにらみ随筆」)

 
 今年は、年賀状の代わりに喪中ハガキを出した。年賀状の届かない、ある意味寂しい年始を迎える。
        ( 写真:今年届いた年賀状 )
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アーカイブ随筆 4

2008年08月18日 | アーカイブ(蔵出し)随筆
1977年 8月 工場ニュース掲載 「やぶにらみ随筆」

春夏秋冬、女性も男性もその服装・オシャレが大変うまくなり、着こなしもスマートなら変身ぶりもまた見事である。それも、時と場所・状況にマッチした装いであれば、尚一段と美しく見えるものだ。

皆が皆いつもいつもそうであって欲しいが、中には突拍子もない服装を個性あるオシャレと勘違いして、全く場違いな出で立ちで闊歩する姿に出くわすと、一片の同情と冷ややかな憐れみを投げかけたくなる。

たとえば、結婚祝賀パーティーで、新郎新婦がタキシードとドレスで盛装している会場で、たとえ「私服でお越し下さい」という案内があったとしても、Gパン・Tシャツおまけにサングラスでドッカリ座る非常識には問題がある。

某大学の講師みたいに、Gパンを嫌っているわけではないし、カジュアルルックが嫌いとも悪いとも決して思わない。しかし、時と場所と状況に合わせる神経を持つことも、相手に対する思いやりであり現代人のエチケットであろう。

会社に通勤する場合も似たようなもので、安キャバレーのホステスさんよりもっと際どい厚化粧、恥じらいもない奇抜な装いでタイムカードを押す姿を見ると、親の顔が見たくなる。さらに、海水浴かキャンプの途中「ちょっと会社へ行ってくるよ…」みたいなTシャツ・バミューダー・突っかけサンダルetcあまり感心できない姿をチョイチョイ見かける。

会社に出勤するのは、家で植木いじりや花木に水を遣るのとはわけが違う。ましてや海水浴やキャンプに行くのとは自ずと違うはずである。

園児や学生にはそれぞれの制服で通園・通学させることを要求する親や姉弟が、暑さを乗り越え、きちんとした態度で手本を示すところから、世間の常識やマナーが育っていくものと思っている。

 注:この後間もなく、突っかけサンダルでの出退勤は禁止とされた。
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「若き日の願望」

2008年07月15日 | アーカイブ(蔵出し)随筆
1977年 7月 工場機関誌投稿

七夕を迎え、今年前半の結婚式シーズンもひとまず終了したようである。
正面、金屏風を背にかしこまっている、やや緊張した中にも嬉しさと照れくささを満面に浮かべ、上気した視線のやり場に困っている、新郎・新婦の初々しい姿。
いつ見ても微笑ましく、自然に拍手を送りたくなる光景である。

友人、同僚、先輩、色んな立場で披露宴に招待されたり、司会を頼まれたりする。
そんなとき、ごく自然な形で両家の家風とでもいうか、家庭の雰囲気をほんの少しのぞき見ることになる。

それぞれの家庭で、事情に応じた様々な形みたいなものがありそれは千差万別。参考になるし面白い。
新郎・新婦いずれの側も、母親の考え方が、家庭の雰囲気作りに大きく影響していることを改めて知らされた。

「女は弱し、なれど母は強し」という。
しかし、一家の中心は主人であり男性である。とは言いながら、世の中の主人全てが深慮遠謀をめぐらす、涼しい頭脳の持ち主であるとは思っていない。
そこで、主人の手綱を如何に上手にさばくかが、妻であり母である女性の腕と知恵の見せ所である。

男は、一家の中心たり得る判断力・透視力を日頃から養い、女性は、手綱さばきの腕と知恵を磨く。そしてお互い寄り添い信頼しあえる家庭から、新郎や新婦を世に送り出したいものである。



結婚して数年。二人の子供がまだ幼かったあの頃から、「形だけでもいい、お父さんを一家の中心に据えて、後はお前さんが上手に手綱を操ってくれ……」という情けないお願いを、理屈っぽく随筆に書いていたのだなーと反省する。
また、30年という歳月は、結婚という生涯の一大イベントの常識を、名実共に根底から変えてしまったことに、時の流れの速さを感じる。
と同時に、人間の気持ちと世の中の移り変わりを、どのように考えるのか、いささか迷う。
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「アーカイブ随筆2」

2008年06月24日 | アーカイブ(蔵出し)随筆
最近、手紙を書かなくなった。電話という文明の利器が、あまりにも幅を利かせる昨今。手っ取り早くしかも確実に、自分の意志を相手に伝え、直接返答を得られる電話に、ついついお世話になってしまう。

頭の中でモヤモヤしていること、自分の気持ちにあることを、文字で手紙として表すのはなかなか骨が折れる。しかも手紙は、相手に伝えたい表情やニュアンスなどが加味されない。そのものズバリ、そこに並べてある文字のみで一方的に理解してもらわなければならない。いわゆる融通性に欠け、ごまかしがきかないのも功罪取り混ぜた手紙というものの特色であろう。

誰しもが経験する、メンメンたる恋心を相手に伝える最初の手段は、なりふり構わず思いの丈を書きつづる「ラブレター」に勝るものはない。
友達のラブレターを一手に引き受け、半ば無責任に、半ば自分自身の練習のつもりで、精出して代筆した高校時代が懐かしい。

近頃の人達はラブレターさえもあまり書かない、イヤ書けないのかも知れない。
いきなり電話や直接対面で、恋心を打ち明ける。それだけ初恋もラフになり、恋することの妙味など感じない世の中になったのだろう。

「一筆啓上、火の用心、お仙病ますな馬肥やせ」戦国時代の武将が、戦場から国許の妻に宛てた、短い手紙の傑作として後世に残されたものである。

手紙にはエチケットもあれば、マナーも常識もある。しかし、必ずしも既成の枠にとらわれない、多少の型破りがあったとしても、その人の持ち味・個性として受け止められる現代の風潮を活用したい。そして自由に、思うがままを素直に文章にすれば事足りると思っている。

後世に残るような傑作は出来ないが、実りないラブレターをネジリハチマキで書いた昔を思い出し、旧知の友や遠い親戚に、一服の清涼剤となる手紙を書いてみよう。

1977年 7月号 工場機関誌掲載 やぶにらみ随筆。
30年余を経た今でも、結構通用する内容のようである。世の中の動きは速いが、人間の思いはさほど早く動いてはいないのかな。
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アーカイブ随筆1

2008年05月28日 | アーカイブ(蔵出し)随筆
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。……夏目漱石「草枕」の冒頭である。
角を立てず、情にも流されないように、その上意地も引っ込め、八方丸く収めようとするにはなかなか骨が折れる。

今の世の中、右を見ても左を見ても、PR・CMが氾濫し己を売り出すことに夢中である。不言実行と言われた日本人の美徳はすでに過去のものとなったのか。
とってかわって、自己の主張を先ず前面に出してから行動する有言実行型が現代風とされている。

自己主張・有言実行、大いに結構。しかし、多角的なものの見方や捉え方をすることは必要である。半歩退いて他人や周囲の意見に耳を傾ける謙虚さも忘れてはならない。ましてや、言うことだけは言っておいて行動が伴わないのは考え物である。それでも、言いもしないが行動もしないというよりはましである。

我々が作り出している我々の職場や周囲の雰囲気を、明るくするも暗くするも、楽しくするも堅苦しくするも、全て我々自身なのである。

智に働くのも程々に、情に棹さすのも程々に、バランスを考えながら昨日より今日を、今日より明日を楽しく面白く生きて行けたらいいなと思う。

(岩国工場機関誌 1977年5月号「やぶにらみ随筆」)
4月の人事異動で配属された監督職が、自分の考えを一方的に述べて、それまで培ってきた職場のムードを否定するような言動に対して、一矢報いたかったのかな。
それにしても、人を押しのけてでも自分を売り込もうとする自己主張の動きは、30年を経た今でもあまり変わらないなー。人間の本能的なものかも知れない。
      (写真:大正元年撮影、夏目漱石と31年前の機関誌)

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