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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「よろしく、アクセラ」

2008年10月31日 | つれづれ噺
10年間乗り続けた愛車に、ちょっと切ない別れ。そして新たに購入する新車との出会いが始まる日。
新規購入のクルマ「アクセラ」がやってきた。前車と同様ステーションワゴン・スポーツタイプ。

ちょっと気恥ずかしい晴れがましさを感じながら試乗。前車よりグレードも落としたし、少しコンパクト車種を選んだ。
年相応に、身分相応に、というところか。ただ、コンパクトながら、走行性・機敏性など前車の比ではない。申し分ない。
さてこれから何年乗り続けられるのだろう。

運転席周辺には、年齢不相応なややこしい装備がズラリ。一通りの説明はセールスの方から教わる。そして手渡されたのが車検証と共に、暑さ16㍉もある取扱書と、5㍉のメインテナンスノート。2冊の本を手にしただけで目まいがしそう。

取りあえず、事故を起こさないよう、他人に迷惑を掛けないよう走行することだけ心がけてハンドルを握ることに決めた。
装備の使いこなしは、必要になったときに取扱書をひもとこう。でなきゃあせっかく手にした新車に乗るのがおっくうになりそうだ。

それにしても、やっぱり新しいモノはいいなー。新車も新畳も独特の匂いがあって鼻をくすぐる。
だからといって、己を棚に上げて何もかも新しけりゃいいってもんじゃないことは百も承知だ。
古いからこそ値打ちがあるものは世の中にあふれている。身のまわりにもある。

新しさに賞賛を贈るのと同じくらいに、古きよきものを大切にする心構えを忘れてはならない。と、肝に銘じて、明日から新車を駆って古い二人が、たまにはドライブを楽しむことにしよう。

         ( 写真:よろしく、アクセラスポーツ )
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「コスモス」

2008年10月30日 | 趣味・・エッセイ
毎日新聞、はがき随筆はお馴染みの方も多いと思う。
その中で、春夏秋冬四季を通じた四季特集が組まれ、テーマが設定される。
今回は秋、テーマは「涙」であった。

嬉しい涙・悲しい涙・ほぞを噛むなみだ・雪辱を誓う涙。人は色んな場面で色んな涙を流す。
時は秋、母を見舞う切ない気持ちの一端を250字にまとめて投稿した。

 
  病床に伏す母を見舞う。「来たよー」の声にわずかに反応する。
 
  温めたタオルで目元、口元をゆっくり蒸す。
  二筋三筋、乾いた涙の跡が目尻に光る。
 
  言いたいこと、頼みたいことがいっぱいあるのだろうか。
  言葉にならない、伝えられないもどかしさが枕をぬらすのか。
  それとも住みなれた自分の部屋が恋しくて涙になるのか。
 
  顔をふくたび心が痛む。
 
  気を取り直し「べっぴんさんになったよ」。 耳元でささやくと、ほのかに顔がゆるむ。
 
  「一人にさせてごめんね……」
  か細いコスモスが風に吹かれ、右に左に揺れている。

  
  (2008.10.30(木) 毎日新聞はがき随筆 四季特集「涙」掲載)

       ( 写真:風に吹かれ、右に左に揺れるか細いコスモス )
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「有り難う。カペラ」

2008年10月29日 | つれづれ噺
10年間、我が身を・家族を・多くの人を無事に運び続けてきた愛車「カペラワゴン」。
いよいよお別れの時が来た。走行距離85000㎞。まだまだ乗って乗れない状態ではない。
しかし、諸般の事情で更新することになり、今日が最後の乗車となった。

会社の現役バリバリの時で、「ひょっとしたら新車購入はこれで最後になるかも…」と思って、少し気張って大きめのステーションワゴンを選んだ。あれから10年。唯一、アクセルとブレーキを踏み間違えた70歳近い女性に追突され、物損でカタの付いた、もらい事故1件のみ。それ以外はパーフェクトだった。

今や、地方都市においては、社会構造そのものがクルマのない生活は考えにくくなってきている。
そんな中で、やがては自ら免許証返納を考慮に入れ、それまでの間、どうせなら快適に過ごそう。そのためには、車体を少し小さくして、可能な限りハンドル操作を楽にしたい、などなど色んなことが頭をよぎる。

いよいよ明日、新車がやってくる。 車幅はほんの少し広いが長さは短い。
新車に対してワクワクする気持ちはもちろんである。が、今夜は、別れ行く「カペラワゴン」に、もう少し付き合って上げたいな、有り難うな…という気持ちがどうしても強くなる。2~3日で忘れてしまって、新車の乗り心地に酔うのであろうが、今は間違いなくそう思う。有り難うカペラって。

25年の長きを付き合った前の家から、荷物の全てを運び出した後で、部屋という部屋をきれいに掃除した。各部屋の4角に塩を撒いて最後に家を出るときも、今回と同じように、新居への夢はもちろんある。が、それ以上に、出て行く古い家への愛着はもっと強かった14年前をふと思い出した。

いくら感謝の気持ちは強くても、クルマに塩や御神酒を奉じるわけにも行くまい。
単なる未練と叱られるかも知れないが、この際思いっきり未練に浸って別れよう。そして、明日から気持ちを切り替え新車と仲良くしよう。
自分史の一つとして敢えてここに記録をとどめる次第である。読者の皆さん、ごめんなさい。

       ( 写真: 10年、85000㎞走った カペラワゴン )



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「闘将逝く」

2008年10月28日 | 思い出話
我が愛する広島東洋カープ。その歴史に大きく名を刻んだ闘将「ルーツ監督」が83歳の生涯を閉じられた。
まさにカープ黄金時代のルーツでもある。

我が家に長男誕生という最高に嬉しい出来事から5日後、球団創立26年目にして初めて勝ち取ったリーグ優勝。その大きな大きな悲願とも言える歓喜を与えてくれた基礎の基礎を築いた人である。

アメリカ大リーグの選手やコーチを経て、初優勝前年にカープのコーチとして入団した。わずか1年のコーチ経験で翌年監督に就任。その間、我々の目に見えない部分で、選手を激励・闘志を植え付ける・勝つ味を覚えさせるなどなど、文字通り闘う集団としての意識改革がなされていたようである。

残念ながら、監督就任は公式戦15試合の指揮を執っただけに終わった。その時点では6勝8敗1分け。しかし、判定に対する抗議は半端なものではなかった。それが全て良しとは云わないが、抗議の裏にある選手を守るという監督の信念は選手全員に間違いなく浸透していったのだろう。

後を引き継いだ古葉コーチによって見事に花開き、古葉監督誕生となり、その後10年余、カープの黄金時代が続くのである。

もちろん監督1人の功績ではない、その時代の球界を代表する選手がカープに沢山いたという時代背景は当然ある。しかし、持てる力を最大限発揮させるのは監督・コーチの役割である。

会社の中では若手から中堅になりかかった頃だった。ルーツ野球を仕事に置き換えて、兎に角結果を出すためのチームワークの必要性や意識改革ということを、おぼろげながら目標に掲げて、額に汗したあの頃をふと思い出した。

やっぱり強いカープであって欲しい。外人監督4年目、さて来年は……。

          ( 写真: 審判の判定に激しく抗議する、当時のルーツ監督 )
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「生涯ミーハー」

2008年10月27日 | つれづれ噺
昨日京都競馬場で行われた、優勝賞金1億1200万円という重賞競馬。いわゆるGー1レース第69回「菊花賞」をテレビ桟敷でじっくり見た。
3歳馬、3冠レースの最終戦ということもあって白熱のレースであった…と新聞に書いてある。

“ウマで金儲けした奴はないよ、分かっちゃいるけど……”と歌われる通り、金儲けしようなどとは思いもしていない。
只、あれほどバカ騒ぎされると、ついついミーハー根性が頭をもたげる。

競馬のことは何にも知らない…ではいけない。やはり、ひとレースに十数万人が競馬場を訪れ、全国では数十億の金が動く一大イベントを、知らずにやり過ごすのも芸がない…という理屈をこねてみたくなる。

1年半にもなろうか、インターネットで馬券が買えて居ながらにして遊べるんよ、という悪友の言葉に乗って、桜花賞・天皇賞・日本ダービー・菊花賞・有馬記念などなどの重賞レースに限って、ホンの少し枠番連勝で遊んでいる。
勝敗?それはオリンピック精神で、参加することに意義を求めている。だから言わない。言えない。

兎に角、人の集まるところには、取りあえず参加してみたくなる。そこで多くの人は何を見るのか、何を感じているのか、そして自分は何をどのように感じるのかを確かめてみたい。まるで若いエネルギーにあふれるミーハーそのものである。

それってやっぱり辞められない面白さ楽しさがあるんよねー。
たとえそれが不真面目な領域であっても、真面目に覗いてみたくなる…。それがおいらの生き方ならそれも仕方ないよねー。
生涯ミーハー族で行くぞー。

         ( 写真: 菊花賞テレビ画面の合成写真 )
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「歓声」

2008年10月26日 | ニュース・世相
6月、雨の合間に植え付けたサツマイモ。5ヶ月たった。どれほどの成長を見せるのか期待を込めて芋掘りをした。孫2人は大きな歓声を上げて、芋づるを引き抜く。中には1人では抜けないほど根が張ったものもある。たいていは兄の掛け声に弟が同調して力を合わせる。結局つるが千切れて地面から芋が顔を出す。そこからはライバル意識丸出しの取り合いとなる。

この歓声を聞きたくて、このいさかいの仲裁役をやりたくて、サツマイモを1年間買って食べる値段以上の苗代を払って、200本も植え付けたのである。
今年は、肝心な芋が育つ時季にほとんど雨が降らず、水道の水遣りが必要な夏だった。
9月も半ばを過ぎてかなりの雨が降ったために、芋掘り直前で茎が青々と勢いを増したが、時すでに遅し、芋の根っこが太るには至らず、茎の生い茂った割には収穫そのものは不作の年になった。

ただ、出来不出来に関係なく孫達の歓声は響き渡るのがせめてもの慰みである。
このように農作物は、天候に大きく左右される。サツマイモは不作だが、特産岩国レンコンは豊作であった。

ところが、天から降って湧いたような話で、豊作の岩国レンコンが泣いている。産地偽装問題である。
毎年、お歳暮には岩国レンコンを贈ってきた。しかも今回偽装発覚のお店から、発送伝票1枚の信用取引でお願いしてきた。但し、今回の偽装発覚は、加工場で細かく切ってパック詰めなどにした加工品に中国産を混ぜた、ということで、お歳暮に使用した節の連なった長い物は大丈夫だという説明にひと安堵している。

おまけにテレビで「申し訳ない…」と頭を下げる社長とは浅からぬ知り合い。
周囲では、生産農家が集まって、岩国レンコンのブランド化を推進しようと言う動きの中でのこの不始末。
全国数カ所に発送し、岩国特産を自慢してきたこの立場をどうしてくれるの??

こうなったら、ハス田の1枚も借り入れて、サツマイモ同様レンコン作りに挑戦するか。オット…レンコン作りはそれほど甘くない。なめちゃーいけないよ。土の中から真っ黒い長いレンコンを取り上げて、孫が歓声を上げる前に、ジジが悲鳴を上げるだろう。アーア、今年のお歳暮は何に???

         ( 写真: 手作りの安心・安全の芋掘りに興じる孫兄弟 )

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「渋柿や…」

2008年10月25日 | 思い出話
今年は珍しく、台風が一度も襲って来なかった。田や畑の作物に影響を与える大風も吹かなかった。お陰で、お米もレンコンも柿・栗・ミカンなど一様に豊作の当たり年となっている。
ちょっと田舎道を走ると、至る所に、たわわに実った柿の木が見られる。

桃栗3年、柿8年 という言葉がある。
ご承知の通り、小さな苗を植えてから実がなり始めるまでの期間のことで、桃や栗は割と早くから実を付けるが、柿はなかなか手間がかかる、という意味である。

それに続いて「渋柿や 丸8年の 恩知らず」という狂歌が頭に浮かぶ。
自分の中では、「桃栗3年 柿8年」と「渋柿や……」がセットになっているようだ。

子供の頃、本気ではなかったのかも知れないが、親父さんから「お前は渋柿じゃったのー」と言われた言葉を思い出す。
兄弟同じように手塩にかけたのに、兄貴は甘い富有柿。それに比べて、走るのは遅い・相撲は弱い・字も絵もうまくない……全ての面でハズレの私は、親父さんの期待を大きく裏切ったのに違いない。

でもね、渋柿だってね……と、いつも思っていた。
早くに木からもぎ取るから渋いんよ、もうちょっとそのままおいてくれたら、美味しい熟柿になれるかも知れん。
たとえ早くもいだ渋柿でも、皮をむいて太陽に当てるとか、お風呂の残り湯に一晩漬けてみるとか…、ひと手加えてやれば、渋柿ではなくなり、どんな甘い富有柿より美味しく食べられるのに……などと反発することも忘れなかったのだろう。
特別な商品価値はないとしても、今こうして普通に生きている。

子供の頃から、短距離走は得意でなかったが、長距離走はなんとか人並みに粘ってゴールを目指した。今も止まらず、なんとか走り続けている。
木に残った熟柿をカラスが突っつきにきたり、軒先に干し柿が吊される季節になると、決まったように「渋柿や 丸8年の 恩知らず」を思い出す。 秋ってやっぱり切ないなー…。

         ( 写真: たわわに実った 渋柿 )
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「蛇の目傘」

2008年10月23日 | 季節の移ろい・出来事
しぐれが音もなく降り続いている。時雨と書く。秋から冬にかけて、降ったり止んだりする雨で、間もなく冬の訪れを告げる季節の便りでもある。俳句の世界では、冬の季語となっている。

外国の人からみれば、日本語は難しいと思われるだろうなと思う理由の一つに、雨一つをとっても季節や時季によって色々呼び名がある。
それらを全て、解釈・理解しようとすれば無理があるだろう。「雨が降る」の一言で片付けられないわけではない。

ただ、我々日本人の心の中には、やはり先人の知恵や伝統を重んじる心意気がある。それが、たかが雨一つと言えども呼び方を大切にし、しかも季節感を言い表す端的な方法として重宝している。

今降る雨を しぐれ もう少し先で雪交じりの雨を 氷雨 と言う。年が明けて梅をほころばせ、桜のつぼみをふくらます雨を 春雨 次に菜種梅雨 そして さみだれ 梅雨 夕立 秋雨・・・と続いて一年を巡る。

細かく分類すればもっと増える。それぞれの呼び方によって、雨の降り方が微妙に異なることを、なんとなく身につけて知っている。それが、短歌や俳句などの季語として、また詠まれる内容としても大事に扱われている。

短歌や俳句をたしなまない私のような凡人には、しぐれと言えばその昔、NHKのど自慢で、参加者の3分の1が歌ったと言われるほど、空前のヒット曲となった ♪ 旅の落ち葉は しぐれに濡れて 流れ果てない ギター弾き 望みも夢も はかなく消えて~~…♪と歌われた、「落ち葉しぐれ」を思い出す。

この歌のように、しぐれは、どちらかと言えば、暗い背中を物語る世界へ引き込まれる。
もう一つ言えば、しぐれは和傘の蛇の目がお似合いである。
小さなこうもり傘で肩を寄せ合うのもいいが、やはり蛇の目傘の竹の柄にそーっと手と手を添える風情はもっといい。
そんな夢でもみて、早く寝ようっと……。

         ( 写真: 独断と偏見の犠牲になった 蛇の目傘 )
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「しらたまの…」

2008年10月22日 | 季節の移ろい・出来事
「 しらたまの 歯にしみ通る 秋の夜の 酒は静かに 呑むべかりけり 」
なかなか味のある、風流を思い起こさせる三十一文字(みそひともじ)である。
但し、かなりいける口の人が云うと絵になるが、下戸が云ったのでは説得力に欠けるなー。

それにしても、汗をかく量がすっかり少なくなって、たまに手を出す夕食前のイッパイもビールより日本酒が恋しくなる季節となった。

お酒のみから言わせると、そのくらいは呑んだ内に入らないよ…と云われるくらいの量を呑むのさえ、ふんだんの当てが要る。その当てのお陰でお腹が太ってしまって夕ご飯が普段の半分に減るという、ていたらく。

それでも、最近は回数的には以前より遙かに多くなっている。
真っ赤っかな顔でソファーに横になってテレビを…のつもりがすぐに白河夜船。わずか15分くらいの意識不明なのに就寝に影響するほどの覚醒作用をもたらす。

お酒の量とは関係なしに、そこらじゅうにある夕ご飯用のお惣菜を、当て代わりにする。
が、中でも最も美味しい当ては、2人の孫の動作や語録を聞くことである。
今日も弟のかー君は、ばあちゃんと耳鼻科に行った。「毎回ジュースは買わんのよ」というと「分かった!今日は買わんでもいいよ、ボク、喉が乾いたらツバを呑んでおくけー……」仕方なし、急いで自販機に走った…というような他愛ない話ながら、一気にお酒も五臓六腑に染み渡るし、大笑いという当てで気持ちが満たされる。

やはり、下戸には下戸の酒の楽しみ方というのはあるものなんだなー。アー秋深し……。

            ( 写真: ちょこっと呑むお猪口 )




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「異国情緒」

2008年10月21日 | つれづれ噺
子供の頃から、家のすぐ近くにインド兵の兵舎が建ち並び、すぐそばの小高い山の上に、兵士のお祈りする場所があった。夕方になると、大声で「アラーの神」を呼ばわる声が響き渡っていた記憶がある。また当時は韓国も北朝鮮も区別がつかず、ひっくるめて朝鮮人のというものがあちこちにあった。

そして良きに付け悪しきに付け、我が町岩国は米軍海兵隊の基地がある。小さいころからアメリカ人は周囲にあふれていた。
そう言う意味では、異国情緒という感覚には敏感であり、受け入れる気持ちの寛さも十分に植え付けられて成長してきたように思う。

青春の真っ只中、外人さんとの付き合いのエピソードは数多い。
高校時代、ホンの少し英語が理解できたからという理由で、基地内での交流会に招かれて、数人で英語劇「桃太郎」を演じたこともある。ただ出来映えはよくなくて、意味が通じなかったらしく、キョトンとした観客の顔が今でも目に浮かぶ。

今は基地の諸問題を含め、政治がらみで色々取り沙汰されている。
個人の見解を述べれば、朝までかかっても書き尽くせないかも知れないので、それは非公開の自分の日記にゆっくりしたためることにしよう。

アメリカさんが一段上という感覚が強かった子供時代に比べ、大人になるに連れて徐々にそのコンプレックスが薄れ、いつしか対等な立場に変わって行く様子を、肌で感じて来たものである。

今や基地との民間交流も華やかで、日本の伝統文化に積極的に参加されている。
いわくに祭りにおいても、基地内の奥さんや子供さんが、大正ロマンと呼ばれ歴史を感じさせる着物を着て、メイン通りを練り歩く姿も見られた。それも年々着こなしが板に付いてきた感じさえある。

このような異国情緒を味わう感覚が上辺だけのものではなく、芯からお互いを尊重し合い、利己主義を捨てて真の友好的な関係を築きたいものである。
アメリカも韓国も中国もロシアも、そして北朝鮮も仲間に入ってくればなー……。

       ( 写真: いわくに祭りの、大正ロマン姿のアメリカ女性 )
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