「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「もう一つの誕生日!」

2020年04月30日 | 趣味・・エッセイ

                
                    コロナ対策、折り込み広告

木々の柔らかい緑が一斉に吹き出し、やがて山もふもとも若葉に覆われようという季節。
鯉のぼりも何かしら遠慮がちにではあっても、悠然と空を泳ぐ初夏。世はまさにゴールデンウイークの真っ最中。
1年のうちでもこれほど気持ちのいい季節はない。自然に身も心も軽くなり、ちょっとどこかへ・・・と思いたくなる今。
ジッと家に閉じこもり、お出かけ虫と闘いながらひたすらガマンを呼びかけられている。

岩国市発行の「ソーシャルディスタンス」人との間隔を2m開けましょう。離れましょう。という広告が巾を効かせるご時世。
なんともやりきれない空しさもあるけど、今はガマン。人に会うのも、近くでのおしゃべりも、ガマン、がまん、我慢、である。
不要不急の外出を避け、親戚のGW帰省も自粛・遠慮するように呼びかけて欲しいと書かれている。
何を隠そう、隣の県から帰省したくてたまらず、電話の向こうで泪声になる孫姫姉妹を、なんとかガマンさせているのだ。
ガマンさせているのだ、と思うことで、こちらのガマンを紛らわせているのだ。

そんな4月のつごもりは、もう一つの誕生日なのである。何の誕生日??
「それは、ワタシだけが知っている」などともったいぶる話でもないが、実はこの拙い「やぶにらみブログ」開設記念日である。

2008年4月30日。おっかなびっくり、おそるおそるしたためた、ブログ開設のご挨拶。
あれから丸12年。明日から13年目のスタートとなる。ただひたすら、自分の思いを自分のために書き連ねた。
世間は広いもので、物好きと奇特な方が世の中にはおられて、応援もしていただいた。目を通して頂いた。
これこそが、力なき執筆者としての唯一の気持ちの休まりである。

格別足すものもない、格別引くものもない。ただただ年寄りの勝手気ままなボケ防止の妙薬。
そんな拙文に、ホンの一瞬でも寄り添って頂けることは、実に有り難いことで、山口弁で言う「幸せます」である。
書きたい時に書く。面白いと気持ちに引っかかるものがあったら書く。そのスタンスを変えることはないのだろう。
今後とも、ごひいき頂ければ幸いです。

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「花とこたつむり」

2020年04月28日 | ニュース・世相

     
      一歩外に出れば、咲き乱れる花がいっぱい。       自粛を決め込んで、散歩さえ嫌う「こたつむり」

臨時休校中で、我が家にやってくる小5の孫君に「ちょっとどこかに出かけようか」と誘いをかけてみる。
「ダメいね、先生が外に出ないようにって言ったよ」と、にべもない。
こたつに入って暖まりながら好きなことをする状態を、カタツムリに見立てて「こたつむり」というらしい。

一歩外に出てみれば、色んな花が咲き乱れ、暑くもなく寒くもない、それこそ絶好のお散歩季節なのに。
校長先生や担任の先生からしつこく言われているのだろう、あのガチガチの体育会系アウトドア派の孫君がおとなしく「こたつむり」を決め込んでいる。というのは表向きの話。実は・・・。

朝、我が家に来るなり、ソファを背もたれにしてまぁるいこたつに入り込む。ゲーム機を少し操作して「おはよう」とゲーム機に話しかける。
相手の声は聞こえない。ちゃんとイヤホンで音声はキャッチしている。間もなく4人でのゲーム合戦が始まった。
「オレが行くから、後ろから援護してよ」「もちょっとだったのに」「オー、がんばっとるじゃん」。それこそ、大声でしゃべりながら、手にした10インチばかりのゲーム機を、左右の親指を使ってひたすら打ち込んでいる。ときにキャッキャの大笑い。

「おまえさんはよくても、相手はみんな朝から遊んでもいい仲間なのか??」「無理矢理おまえの相手をさせてるんじゃないか??」
ジジとしてはちょっと気になる。「ウウン、大丈夫。ちゃんと昨日約束しておいたから」だと。
こういうことに関しては意外に段取りがいいし、リーダーシップ発揮するんじゃ・・・と、喜んでいいのかどうなのか。

ちょうどそのとき、防災ラジオから「岩国市長の福田です、不要不急の外出は避けてください。ご家族で話しあって、帰省を遠慮してもらってください」という生放送が流れてきた。「ほらね、外に出られんじゃろ」と、こたつむりの正当理由に力を得ている。
それにしても、来る日も来る日もこんな状態でいいのか?苦言を呈してみたくはなるが、コロナ感染即、命の危険を思うとねー。

チームで野球練習出来るわけじゃなし。ジジと出かけたって「人通りの少ない道を選んでばかり」じゃ、ついて来ないよねー。
ここは一番、ジジも泪を飲んで、小言の一つも飲み込んでガマンの一手で耐えている。
人間らしさが失われるここ数ヶ月ではあるが、命を失うよりはまだましか・・・と、こたつむりを横目でみるしかない。

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「隣の芝生は・・・」

2020年04月26日 | つれづれ噺

              
                ご近所の庭に咲く、艶やかな君子蘭。隣の花は赤い。

「隣の花は赤い」といい「隣の芝生は青い」という。
相手のいいところは気付きやすいが、自分のいいところは気付きにくく、褒められることに慣れていない。
これは、日本文化の特徴の一つでもあるという。早い話が、自分に自信が持てない場合、出しゃばらない、出る杭は打たれる、といったことが「奥ゆかしさ」だと教えられて育ってきたような気がしないでもない。

その真逆で、自分の方がいつも優位で、相手のことをどうしても正しく評価出来ないのも困ったものである。
どちらかというと、俗人の中の俗人を標榜する私などは、自分の方が正しい。自分が正解だ、と思いがちだから始末が悪い。
隣の芝生が青く見えるのは、それなりのわけがあるということになかなか思いが至らない。つまり現実だけを見てしまう。これがいけない。

自分が「やれ忙しい」「やれ地域社会の活動だ」とよそを向いている間に、お隣さんは、ちゃんと理にかなった手入れをしているということ。
そんなことにも気付かず、「隣の芝生は青い」などと簡単に言ってのける日本人のなんと多いことか。チコちゃんに叱られるよ!!

我々には全く想像も付かないほどの財産を手にした、あのプロ野球イチロー選手は、「夢や目標を達成するには一つしか方法はない。小さなことを積み重ねること」だと言うのだ。「はじめから今があったわけではない。状況は少しずつ変えていけるものだ」とも言う。
そっかー、人のことをうらやむ前に、己の足元を見直せと。アイタタッ!返す言葉もない。

鉢で育て、年々株を増やして、友達に株分けして喜んでもらっているという君子蘭の赤い花。
自分にはその真似は出来ないが、こうしてカメラに納めて全国ネットで発信し、褒めてあげることは出来る。それもまたヨシかな。
ちなみに、この見事な君子蘭の花言葉は「高貴」「誠実」「情け深い」なのだそうな。
この花言葉も、どうも今の自分にはあまりしっくり来ないねー。いやいや、そうばかりではないかも。ちょっと自身を取り戻してみようか。

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「わずか20日の患いで」

2020年04月23日 | ニュース・世相

                             

またまたコロナ感染による訃報が日本中を駆け巡った。改めてコロナウイルスの恐ろしさを、広く大きく知らしめる結果となった。
素敵な笑顔と飾りっ気のないさっぱり美人の「岡江久美子」さんが、発症からわずか20日の患いで永眠というニュースに接した。
なめたらアカン!、さらに自粛を!、さらに人混みを避けよう!と自らを戒めたというのが正直な気持ちである。

志村けんさんに続く著名人の突然の訃報は、コロナ対策にしっかり気を遣っているつもりでも、「知らないうちに自分も」という不安に陥れられる。そして「さらに気を付けよう」と思う。但し、「これが決めて」という対処方がまだよく分かっていないのが厄介である。

63歳という若さも関係なく襲い来るコロナ。襲われたら行く先は『死』という恐怖。
しかも短期間の患いで、途中からは完全に隔離され、家族も知人も誰一人と言葉を交わすこともない、文字通り孤独の中で、しかも息苦しさに喘ぐ中で人生の全てが終わる。空しさ、悲しさ、驚き、言葉にならない身内の心境が痛いほど伝わる。

手作りのマスクにガーゼの当てを入れて、さらに自分を守ることに徹しよう。毎日やってくる孫君も一緒になって守らねば。
静かにしていよう。人に会わないよう、人いきれのない場所を探して、わずかなウオーキングに励もう。
コロナに怯えすぎて、足越弱らせてはこれまた本末転倒。そうだ、夏野菜の生育見守りに畑でウロウロ。水やりもしっかり。

岡江久美子さんの死を無駄にしないためにも、自粛・自重・自戒、の三自を胸に刻もう。
ご冥福を祈って、合掌。

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「がぶがぶ呑めるね」

2020年04月21日 | 家族・孫話

                                                         

「じいちゃん、今日はガブガブお酒が呑めるね、オレの誕生祝いじゃけぇ」。
5年生に進級した孫君が自分の11才の誕生日を迎えた今日、テンション高く言う。
進級はしたものの、わずか2日間登校しただけで、コロナ臨時休校になった。目下じいちゃん学校に通ってきている。

小5では、まだじいちゃんが下戸であることは理解できていないようで、お祝いならお酒を呑むのはごく自然のこととでも言いたいようだ。
「じんちゃん酒が呑めんのよ」「だったらビールをいっぱい呑めばいいじゃん」。単純明快な会話をしながら夕ご飯を待つ。
まるでご機嫌。それもそのはず、欲しくて欲しくてたまらなかったゲームソフトを、誕生祝いに買わされているのだ。
本来なら、高価なので親からダメ出し。ならばジジと親と折半でという話になるのだが・・・。ま、いいか。

コロナコロナで学校にも行けず、外に出ないよう申し渡されている。もちろん友達とも会えない。大好きな野球の練習も御法度。
彼にとってはそんな八方塞がりの毎日を、午前8時15分には出勤する母親に送ってもらって我が家にやって来る。
誕生日を機に新しいゲームソフトが欲しい、とねだられるとね~。事情が事情だけにジジも弱いんだよね~。

しかも、誕生祝いのパーティまで自宅ではなく、ジジババの家でやりたいと言う。「母さんは帰るのが遅くなるから準備が出来ない」というのがその理由。ま、考えてみれば一理ある。娘に看護師を推奨したのは他でもない父親の私である。
そんな彼女が今、大型介護施設の主任看護師として、「一瞬のスキも許されないんよ」と目の色変えてコロナの侵入防止と闘っている。
介護現場の厳しさもこの目で見てきているだけに、誕生祝いまでウチでやるのか、とは言いにくい。結局孫君の言いなり。

こんな大型臨時休校に遭遇しても、子どもの居場所を心配することなく仕事が出来るのはあたし達夫婦のお陰だよ。なんて口には出さないが、随分助かっているはずである。こちらも、大変だ大変だと言いながら、孫の成長を身近に感じさせてもらっている。
酒豪の父親がお祝いの酒を美味しく呑むのを知っている孫君が、「今日はガブガブ呑めるね」とジジに持ちかけてくれるのも、実生活の中でうまれる「思いやり」なのかな、などと考えると、少し値の張るプレゼント出費も、ガマンの範囲なのかもね~。

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「復活の白い花」

2020年04月19日 | つれづれ噺

    
              どこにでもある、何でもない単なる「平戸ツツジ」なのだが・・・

主に似て、気まぐれというか辛抱が足りないというか、年々思うようにはなかなかきれいな花を見せてくれない我が家のツツジ。
咲いたり咲かなかったり咲かなかったりと、咲かない年の方が多いのに、一旦咲く気になったらこのようにいっぱいの花を付けて、主を驚かせる、ちょっと不思議な花ではある。

かつて、こんなどこにでもある、何でもない平戸ツツジに思いを込めて、大げさにもこのペーにアップしたことがある。
それも、この拙い勝手気ままブログをスタートさせた2008年4月30日から一夜明けた、5月1日第2編目として取り上げた、言うなれば記念すべき「白い花の咲くころ」の復活版みたいなところか。
そのときのURLを記録として残しておきたい。  https://blog.goo.ne.jp/yok1sioka/e/3d2d9ef3515186d907f4159ce30a53e4

世はまさにコロナコロナで八方塞がり。
「外に出るな」「人と会わないように」「県外へ出かけるな」「密室・密閉・密着を避けよ」等々息が詰まりそうな言葉が並ぶ。
でも、そうすることが自分の命を守ることになる、という保証付きなのだから守るしかない。
いま、調子に乗って勝手な振る舞いをすることは、自殺行為であるだけでなく、関係のない赤の他人を巻き込んで死に至らしめることにもなりかねない。

そんな無自覚者や無責任論者と指さされないように、じっとガマンしてヤモリの如く、我が家にへばりつくことが大人の見識というか、人間の見識なのだから、ひたすら守るしかない。小5の孫さえ、ジジと二人きりの山登りさえ「外に出ん方がええじゃろう」と言う。
そんな気持ちを察したわけでもあるまいが、普段あまり咲かないツツジがこれほど見事に咲いたことは、何か佳きことの予兆か・・・?
などと、いい方に解釈してみたくなるような、純白、ところどころ紅色の混じる花である。

古い奴だとお思いでしょうが、「花が咲く」という言葉には否応なしに「幸先よし」と受け止めたがるのである。
やはり、世界中を震え上がらせる現状では、何かにすがってでもいっときも早く、希望の持てる日がくることに全てをかけたい思いがある。

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「耳に心地よい旋律」

2020年04月17日 | つれづれ噺

            

NHKの朝ドラは多くの場合、特に理由もなくついつい引き込まれてしまうことになる。
特に、功成り名を遂げた人物伝などとなるとなおさら。わざわざ放送時間に合わせて他の用事を済ませることだってある。
中には、ちょっとしつこいねー、粘っこすぎるよねーなどと、あくびをするものもあるが、総体的に面白いものが多い。

前作品、女性陶芸家を描いた「スカーレット」のヒロインの朴訥な演技も魅力があった。肩の凝らない展開も面白かった。
それに続く「エール」。まだ始まったばかりでなんとも言えないが、演歌好き、軍歌好き、軽快なマーチ好きと、好きの多い小生
にとっては、なんかしらのめり込みそうな気配である。

文字通り功成り名を遂げた今回のヒーローは、「高原列車は行く」「イヨマンテの夜」など、今も耳に残る作曲家古関裕而物語である。生涯の作曲数は5000を越えるという。
   ♬ みどりの丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台
       鐘がなりますキンコンカーン メーメー子ヤギも鳴いてます ・・・・・・♪
ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」を、ひもじいお腹を押さえながら聞いた遠い昔よみがえる。

そしてあの、ファンファーレを聞いただけで、胸が高鳴り、興奮を予感させる東京オリンピックのスタートに鳴り響いた「オリンピックマーチ」。さらには「NHKスポーツショー行進曲」、高校野球の大会歌「栄冠は君に輝く」等々、胸震わせる曲の数々。
「メロディは頭で考えて書くのではない。詩を見て、情景を思い浮かべれば自然とメロディが浮かぶ」。

そんな作曲に打ち込む姿と、一曲出来上がるまでの苦労話をしっかり見詰めて行きたい。何かのヒントが隠されているかも。

 

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「金芽柘植(つげ)」

2020年04月15日 | 季節の移ろい・出来事

                
                                                          新たに吹き出す芽が金色に輝く「金芽柘植」の宝船

どうせ見果てぬ夢ならデカイ方が楽しみもあろうというもの。
庭師さんに勧められて買った小さな柘植の木。「これは山柘植の仲間じゃけど、金色の芽を吹き出すんよ」と教えられたのは15年も前の話。
その言葉通り、確かに毎年金色の芽を吹き出すので「黄金の宝船」に仕立てようと、剪定・刈り込み、しっかり手をかけてきた。ようやくその形が少し整ってきたように思う。

ただ、今年の芽吹きは別格に思えるほどの多さと濃い金色が、木全体を覆っている。ウーン、やっと思いに近づいてきたな!
世の中の全てが下向きで、八方塞がりというこんな年に、なんでこれほど派手に金芽を吹くの?と聞いて見たくなる。
その理由をこの柘植君は知っているのだ。

冬枯れをやり過ごして春を迎えるころから、降ってわいたような世界を揺るがすコロナ騒動が勃発。
予定していた会合や公式行事が相次いで中止や無期延期に追い込まれた。目下最高の趣味と自認している「タウンリポーター」という、新聞記者の真似事をする仕事も中止命令が出された。つまり行動のほとんどをもぎ取られた。
そこで向かう先は、畑の手入れと庭木の世話と相成った。

玄関前の小さな箱庭も、雑草をむしり水やりも行き届いた。例年にない手の入れようであった。
生き物の仲間である柘植君も、その努力に応えてくれたのだろう。見事な茂りを見せてくれた。世の中皮肉なものである。
これからは、「忙しいから」を言い訳にしておろそかになっていた庭木の手入れにも手を貸そう。植物は素直に応じて応援してくれるのだ。

ガンバロー!ニッポン!! ガンバロー!世界の人類!!

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『再びの休校」

2020年04月14日 | ニュース・世相

           
                 収穫間近のグリーンピースを食い荒らして

人との接触率を70%も80%も下げることが、あのにっくき新型コロナウイルス感染から身を守る大きな手立てと言われている。
それでなくても、不特定多数の見も知らぬ人の中に紛れ込むのは怖い怖い。
知らず知らずのうちに、人との接触を可能な限り避けている。これはコロナウイルス感染対策だけではなく、性格的なものかもね~。
「そんなバカな、あんたに限って・・・」などと反論する人の方が多いとは思うが、実は意外に孤独を愛しているのかも。

接触率を下げながら、孤独を楽しみ、時に笑みさえ浮かべる方法とは一体なんじゃろう?
そう簡単には見つからない。だが待てよ!隣の荒れ地の一角を開墾した家庭菜園とのお付き合い。これがあるではないか!!
このところ足繁く畑に出ては、植え立のスイカ、トマト、キューリ、ピーマンなどに吾輩の足音を聞かせ、声をかけてやる。
もちろん、しっかり実ったタマネギにも、収穫間近なグリーンピースにもお褒めの言葉を投げかけている。
こうしていれば、つい出かけたくなるクルマの運転も、人との接触もかなり抑えられるではないか。

そんな思いを胸に、生い茂るグリーンピースの裏側に回ってみたらなんと、熟れた豆をなに奴かが食い荒らしているではないか。
あんな高いところで小さなオロ木に留まって、青い豆を食い荒らすのは多分ヒヨドリに違いない。
推測で犯人を決めちゃいけないが、あれは確かに確かにあれは、ヒヨの仕業に違いない。敵もさるもの、なかなかやりおるわい。

彼らだって、まん丸く実ったグリーンピースは「初物」であり「旬の食材」なのだ。少しだけ分けてやろうか。多くはダメよ。
などと一人悦に入っていたら、コロナウイルス感染対策のため市内の小中学校は再び臨時休校に入るという情報が。
ようやく始まった新学期もわずか1週間で再びお休み。またまた孫のためのじいちゃん学校開校となる。
となれば、畑でゆっくり夏野菜と会話する時間を削がれる。でもその分、成長著しい小5の孫クンと会話ができるのだ。

どっちにしたって、暗くて気の重い今、気の持ちようを替えて、少しでも楽しい方向に目を向けよう。

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「花を散らす雨が・・・」

2020年04月12日 | 季節の移ろい・出来事

                                                                          花びらに真珠のしずくを宿して        

不急不要の外出は極力避けて、休日は出来るだけ自宅で過ごすよう、厳しくも悲壮な声で来る日も来る日も呼びかけられている。
そんな日曜日、昨夜からの雨は柔らかではあるが音を立てるほどの降りよう。満開を過ぎた桜は、この花を散らす雨に身を任せている。
今満開を誇る遅咲きの花は、この雨を花びらにとどめて、真珠のしずくを宿しているかのようである。

桜はある意味で得な花である。数え切れない花が咲く中でも、俳句で言う季語で「花」と言えば「桜」のことなのである、と知った。
そして「花散らしの雨」とか、花散らしの風、嵐などと言えば、せっかく咲いた桜を散らす憎き仇のイメージがある。
ところが、この「花散らし」を謝って使うと嘲笑を買うことになるから要注意である。
「花散らしの宴」などとくれば、知る人ぞ知る大人の話になる。今さら言うまでもなく、先刻ご承知かもしれないが。

        
                      満開の枝垂れ桜もお見事!               大木の肌にへばりつく花びらも可愛い。 

【 花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。
  雨に対ひて(むかいて)月を恋ひ、垂れこめて春の行方知らぬも、なほあわれに情け深し。
  咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ 】 

桜の花は満開だけを、月は満月だけを見て楽しむべきものだろうか。いや、そうとは限らない。
物事の最盛だけを鑑賞することがすべてではないのだ。たとえば、月を覆い隠している雨に向かって、見えない月を思いこがれ、
あるいは、簾を垂れた部屋に閉じこもり、春が過ぎていく外の様子を目で確かめることもなく想像しながら過ごすのも、やはり、
優れた味わい方であって、心に響くような風流な味わいを感じさせる。とは、兼好法師の「始めと終わりの美学~花は盛りに~の一節。

コロナコロナで外出しないように、自粛して家に閉じこもるように、と繰り返し言われる今こそ、このような見識に触れて、閉じこもり
生活を楽しみに替えるのも風流だな・・・と思いたい。と分かってはいるが・・・・・・。
老夫婦二人きりならいざ知らず、有り余るエネルギー持て余す孫が周りでウロチョロすると、つい、見識もどこかえケシ飛んでしまいそう。

いい加減に下火になってよね、コロナクン。

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