「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「しばしの小休止を」

2013年01月31日 | 趣味・・エッセイ

つたないブログにもかかわらず、熱心なお付き合い、暖かい応援、沢山のコメントをお寄せ下さいまして誠に有難うございます。心から感謝申しあげます。

はなはだ勝手な言い分ではありますが『しばしの小休止』を頂いて、充電し、出直したいと考えます。
どこかの国の、新型ジャンボ旅客機バッテリーの如く、過電流や、負荷超過によると思われる、焼けただれや、黒焦げとまでは行っていないと思いたい我がバッテリ-。

充電にどの程度時間を要するか定かではありませんが、老朽化という経年劣化を認めた上で、許容の充電を試みて、再び皆様の前に顔を出せる日を待ちたいと思います。 
またいつの日か、お会い出来ることを期待して、小休止のご挨拶と致します。

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「ささやかに・・・」

2013年01月29日 | つれづれ噺

            

1月28日といえば、さて何の日だったかなぁ・・・。と、昨日のことを振り返ってみる。
そうだ、第183通常国会が召集され、安倍晋三首相が衆参両院本会議で、再登板後初めての所信表明演説を行った記念すべき日である。

おっと、もう一つの大切な記念日、忘れてもらっちゃ困るかな?
いやもそろそろ忘れてもらってもいい記念日になったと言えそうである。
昨年の、大きな節目としての華々しさから考えると、まさに地味も地味、ホンのささやかに・・・。一応そらしいワンセットを揃え、少し呑んで、食べる方が遥かに多い、我が家定番のお祝い行事。早い話が古稀プラス1つのバースデー。

幸いなことに、特にどこといって悪いところもなく、先ずは元気でこの年を迎えらたことを良しとしよう。そして向こう一年、何をやりたいのか、ちょっとだけ考えてみよう。
ただこのところ、腹の底から湧き上がる何かが足りない気がしてならない。
逆に考えれば、それほど力まず、なりゆきに任せてゆったり流れてみるのもいいのかな、とも思えるようになった。

そんな気持ちの片方では、『大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の「3本の矢」でデフレ脱却に取り組む』という力強いの持論を展開しする総理大臣の言葉が耳を刺す。
「必ずや『強い経済』を取り戻す」と強気な弁が心地よく耳に入ると、やっぱりぼや~っとしてはいられない、発展する経済についていって、何かいいことにあやかりたいなどと単純にそう思ってしまう。

あまりギラギラしなくてもいい、渋い光沢のいぶし銀を心がけてみようか。

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「霜柱」

2013年01月27日 | 季節の移ろい・出来事

      
           岩国城ロープウエー、山頂駅近くの見事な霜柱

三日連続大寒の快晴がまばゆい。
そうはいっても、一歩外に出ると北風ピューピュー、切れるような冷たさが顔を刺す。
「小寒が寒過ぎたので、大寒に入ったら寒さが和らいだね・・・」という声も聞かれたが、ここにきてやはり大寒は大寒らしく、連日のように日差しの中を雪が舞う厳しい寒さ。

昨日はスキーの試合に出かけた孫兄弟が今日は家にいるという。
二人を誘って久しぶりに城山に挑戦することにした。なんのことはない、ジジの運動不足解消の片棒を担がせたわけである。
こんな寒い日に城山とは物好きな・・・と思いながらのスタートであったが、なんのなんの、同じような物好きの多いこと多いこと。大勢の見も知らぬ人と挨拶を交わした。

ジャンパーの襟を立て、マスクに手袋の防寒重装備。行けども行けども温まらない。結局マスクも手袋も外せないままロープウエー山頂駅近くに着いた。
ふと足許に目をやると、何と見事な霜柱。薄紫の水晶を思わせる細い柱の林立。
割り箸ほどの太さ、長さは5センチは優にある。こんな自然の風物が出迎えてくれた。
家の中で寒さに縮こまってばかりいたのでは出会えない光景に感動ひとしお。

子どもの頃には、霜柱を踏んで学校に行く。あのサクサク感がたまらなく心地よくて、つい遠回りをしたり、丹誠込めた畑まで踏み荒らして叱られたものだ。
一歩玄関を出るとたちまちアスファルト。霜柱などとは縁のない今の子ども達とはえらい違いだ。“これがしもばしらっていうんよ。これはね・・・”などと教えることさえ億劫になるが、一通り教えておかなければジジの役目が終わらない。

そうこうして、帰りは遊歩道を外れて、昔ながらのけものみちを下ることに。
二人が競争でおりる。とても追いつけない。それどころか慣れない急坂、膝が笑い始める。「オーイ、そこで止まれ、ジイちゃんを待て!」と大声で叫ぶ。

挙げ句は、「もう食べられん」というほどの昼ご飯を接待。大赤字、トホホホ。

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「春、甲子園へ」

2013年01月26日 | ニュース・世相

         

野球ファンが待っている春。
岩国商業高校がセンバツ高校野球甲子園切符を手にした。祝!初出場!!
振り返れば、2000年の岩国高校以来地元からのセンバツ甲子園出場である。

昨年12月の、岩国錦帯橋空港開港の祝賀ムードに続くお祝いニュース。
こいつぁ春から縁起がいいわい・・・とばかりに、市民感情の活性化につながれば幸いである。大いに声援を贈りたいと思う。

岩国商業高校は、夏の甲子園は過去3度経験している。が、1・2年生の新メンバーに入れ替わる、秋期の県大会や中国大会を経て春の甲子園出場は初めてである。
選手はもとより、監督・コーチ、学校関係者、保護者の喜びは如何ばかりか、想像にあまりある。思う存分、培った力を発揮して欲しいものだ。

彼らの後ろには、山口県下だけでも59校、2000を優に超える野球部員がいる。
そんな多くの中から勝ち上がり、選ばれて手にした甲子園切符。
あの真新しい錦帯橋空港から大空に飛び立つ翼のように、風を受け目標に向かって突き進んでくれることを願いたい。

このブログを始めて、地元の高校が甲子園に出るのは今回が初めて。
さてどんな戦い、どんな感想が記されるのやら、我ながら楽しみである。

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「点滴の一滴」

2013年01月25日 | おせっかい

          

ブログを書くに当たって先ずは内容を吟味する。次にタイトルを考える。
内容の吟味より前にタイトルが決まっていることもある。そういった場合比較的スムースにペンが進む。書き上げる手間も割りとはぶけるように思う。

今夜の場合、タイトルの選定に手間がかかった。
「友の病」どうもイマイチ。「暇人」ちょっと失礼かな。「病室のクラス会」なんか不謹慎な後ろめたさがある。「天敵」怖さを感じさせるものがある。そうだ同じテンテキでもこちらの「点滴」は、まさに彼の治療そのものだ。その中でおもろい話を取り上げるなら「点滴の一滴」としよう。うまくまとまった。自画自賛。

緊急入院した同級生を見舞いに行く。「話ができるんじゃろうか」「どう言って慰めようか」「エエイ!ままよ、いつもの漫才でもやってみるか」心配がいつの間にか開き直りに変わり病室へ。案ずるよりなんとやら、大笑いしながら馬鹿話が出来るではないか。大いに安心。早速いつもの仲間何人かに電話して、連れだって改めて見舞いに行った。

いくら何でも病室で声高な話もならず、三階踊り場の面談用ソファーへ移動。
「みんなに心配かけたくなかったのに、こいつはおしゃべりじゃから・・・」と人の顔を見る。「こうやってみんなが心配してくれることを感謝して早くよくなれ」とハッパをかける。
そんな話し声は、一階まで筒抜けであったと、知人が教えてくれた。

そんな彼の「暇つぶし」ではない、自称リハビリで撮影したのがこの写真である。
『言っておきますがアタシの腕ではありません。プロの写真技術のパクリです』
かくの如く、今、自分の体内に入らんとする点滴の一滴を、あの4cmくらい落下する瞬間で捉え、見事に一滴を停止させ浮き上がらせているのである。

器械による強制落下なので、一滴垂れる間合いが早かったり遅かったり極めて不規則となる。それらを計算ずくでシャッターを切る腕前。「アーター本当に病気か・・・」と聞いてみたくなる。そこは自他共に認めるプロフェッショナル。マジに入院中のリハビリに格好の標的を見つけた思いだったのだろう。

「お陰で無事退院したよ」と連絡をもらった。やっぱり友は元気でいてくれないと。

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「免許証更新」

2013年01月24日 | つれづれ噺

          

自動車運転免許証を更新した。
1961年(昭和36年)10月、最初に免許証を手にしたのは、原動機付き二輪車。125ccまでの限定が付けられていた。
2年後には、自動車学校に通って普通車運転免許証を取得。同時に、二輪車の限定が外され、大型自動二輪が運転可能となり、二輪車は全て乗れるようになった。
免許取得から51年余。いったい何回目の免許証更新になるのだろう。

その間、人身事故加害(軽傷)1件。ねずみ取り被害?6キロ8キロオーバーの罰金刑2件。追突被害(物損)1件。まあこの程度で、大過なく今日まで来た。
それら加害も被害も行政処分で一件落着。しかも遠い過去の出来事であり、もはや時効による前科消滅。そんなお陰もあって、今や優良運転者である。

などと自慢することなど一つもない。むしろ、あの時の人身事故の記憶は、大いなる反省として今もって忘れ得ぬ出来事である。軽傷で済んだとは言え、大型バスの陰から飛び出した自転車に接触した瞬間の、こちらの胸の痛み、恐怖を忘れることは出来ない。不幸中の幸いで、軽傷で済んだ。その時の安堵の胸を撫で下ろす心境を、二度と味合わないために、自転車・歩行者の安全確保には人一倍神経を使っていると自負している。

先般の高齢者講習では、まるっきり年寄り扱いされるのにいささか血が上りかけたが、確かに言われても仕方のない一面もあると、ぐっとがまんの受講であった。
が、本番の更新手続きで警察署に出向き、講習修了書を提出するや、視力検査と顔写真撮影だけで、あっという間に手続き完了。真新しい免許証、「優良運転者」のケースが添えられた。今回の免許証から本籍が消えた。代わりに暗証番号は2種類必要というややこしさが特徴である。何のための暗証番号か、聞き忘れた。

驚いたことに、メガネ使用の視力1.5。「裸眼でも運転に差し支えのない視力がありますね」と言われ、「顔写真はメガネありなしどちらでもいいですよ」とのこと。
やっぱりね、他はともかく、目だけはいいのだと納得。

さてこの先、いったい幾つまで運転し、免許証更新を何回するのだろうか。
その前に、如何に他人に迷惑を掛けない、自らの防衛運転に心せねばなるまい。

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「101歳を生きて」

2013年01月22日 | つれづれ噺

          

92歳で新聞の投稿欄に詩を送り始めたという柴田トヨさん。
101歳を一期に黄泉の国へ旅立たれた。
手作りのそれと分かる、毛糸の帽子に毛糸のマフラーをした穏やかな笑顔は、同じ101歳でこの世を去った母の横顔に重なる。

5年の投稿活動を経て、97歳で飾り気のない平易な言葉で日常をつづった詩集「くじけないで」を自費出版。翌年に本格的な出版となり、前向きな作風が中高年女性らの共感を呼び、詩集では異例の150万部突破のベストセラーとなった。さらに、100歳を迎えたときには「百歳」を出版。両作品で200万部を超えた、と報道されている。

また、あの2011年3月の東日本大震災で被災して絶望感に苦しむ人々を癒やし、元気づける存在となり「あと10年は生きられる自信がわいてきました」「心の教科書にしたい」など、読者の感謝の手紙は6カ月間で1万件に達した、とも報じられている。

詩集「くじけないで」の冒頭に掲載された一編を敢えてなぞってみたい。
 
  母     亡くなった母とおなじ 九十二歳をむかえた今 
                      母のことを思う
       老人ホームに 母をたずねるたび その帰りは辛かった
               私をいつまでも見送る 母
          どんよりとした空 風にゆれるコスモス
                       今もはっきりと覚えている

もしもこの先20年あまりを生きていたとして、92歳になった私にこれほどの感性が残されているのだろうか想像してみる。恐らく無理だろう。
どうすれば、年齢に比例しない意欲や心の感度を維持できるのだろうか。
神のみぞ知る我が寿命ではあるが、命果てるまで背負い続ける課題なのだろう。

今こうして、たとえ自分流の拙い文章ではあっても、何かを書き残すという行為をしている以上、文学的値打ちなどないとしても、単なる作文や思い付きだけに終わることのないよう心したいと改めて思わされる。もう一つ言えば、書き残したものへの責任はあるのだから、正確を期すことも忘れてはならない要件であろう。

ちなみに柴田トヨさんの葬儀喪主は長男「健一(けんいち)」さんだそうな。
なにかと親しみをおぼえる詩集「くじけないで」を今改めてひもといている。

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「緊張感の欠落」

2013年01月21日 | ニュース・世相

         

「このたびは、このような事案を発生致しまして誠に申し訳ありません」
印でついたような言葉を並べ慇懃に頭を下げる姿、この頃では見飽きる光景となった。

「このたび」とは、大学入試センター試験の試験会場から、途中退席した女子受験生が、試験問題用紙を持ち出し、それがこともあろうに、予備校関係者の手に渡っていたという、呆れかえるお粗末騒動である。

単なる緊張感の欠如などという話で片付けてはいけない気がする。
世の中の万民がそう思っているようなこと、敢えてブログネタとして取り上げるのはどうかと思いつつ、世の中のルール無視、モラルの低下、何でもありの「自由」という美名に隠れた横暴、破綻した信頼関係などなど、問題提起しておかなければ、なんともやり切れない想いから、少しだけ触れておきたいと思っている。

そもそも試験会場からの途中退出が認められているのか?病気など特別な事情に限る。ならば病気かどうか誰が判断するのか?病気で途中退出する受験生の介助・付き添いは要らないのか?試験問題用紙まで持ち出していないか確認もしないのか?

ごく普通の常識として考えても、ざっとこの程度の問題点はすぐに浮かび上がる。同時に、試験官と名乗る大人が会場に陣取っていて、これほどの重複ミスを犯してしまうのはいったい何のだろう。日本人の「人間力」の欠落なのだろうか。

忘れもしない昨年12月2日。岩国検定試験の会場係を仰せつかった。
何が何でも無事に終了させること。どんなことがあっても代表や委員が世間にお詫びをするようなことはしない。と肝に銘じて、会場心得を考え、実行し、受験者にお願いしてきた。会場に配置した2名と、スペアー1名、計4名の会場係が緊密なアイコンタクトで緊張の90分を無事乗り切った記憶も新しい。

たかが任意のご当地検定でさえ、一応試験と名の付く会場での振る舞いは、受験者・会場係双方の紳士協定が成立する努力をしたのだと思っている。
今回のような、必死に目標に向かおうとする真面目な受験生に混じる「何をするか分からない相手」には、それなりの緊張感を持った対応は欠かせないのだろう。

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「気をつけよう・・と言われても」

2013年01月18日 | つれづれ噺

       

元気で愉快な仲間、それが取り柄の同級生の遊び友達。
ここんところ、何人かが病に冒される現実に直面している。
「アンタはいつまでも元気でいてくれよ・・・」などと無責任に言われても、出来ればそうありたいと願ってはいるが、保証の限りではない。いつずっこけるか自分でも分からない。

同級生から「S君らしき男を病院で見かけたがが入院しているのではないか」と問い合わせが来た。そういえば、暮れから正月にかけてちょっとの間顔を合わせていないことにふと気がついた。早速彼の経営するスタジオに出向き、奥方に詳細を尋ねた。やっぱりね、地元最大手の医療センターに「軽い◇◇ということで入院しているんです」と病名も症状も聞かせてもらった。

我々完全リタイヤ組と違って、彼は未だカメラとパソコンを駆使して、世のため人のために貢献している現役バリバリのプロフェッショナルオーナーである。
普段にはないちょっと褒めすぎだが、入院中の彼にせめてもの見舞いの気持ちを込めて、ここでは持ち上げておこう。病室で顔を合わせたときは、若い女性の看護士さんが吹き出すほどの毒舌で元気づけてきたのだ。

何故か泪もろくなる病気のようである。一気に弱気になるのだろうか。
小生に出来る最大の見舞いは、そんな弱気になったり、ともすれば泪がこぼれそうになったりする彼を精一杯の言葉で励ますことである、と信じている。
たとえば、「世の中には、アータを必要とする奇特な人がまだ何人かおると思うよ。その人達に報いるためにももうちょっとだけ元気で行こうよ」とか言って勇気づけることである。
なになに?あまり励ましになっていない??そーかねー???
ま、これは二人にしか理解できない阿吽の呼吸かもね。

そんな彼が入院に至った原因は「なんかしら身体の動きにキレがなくなって、右手からペンがコロッと落ちたりするんよ」という症状にいち早く気付いたことである。
その日のうちに、かかりつけ医から医療センターへ、そのまま着の身着のままで入院となった。この早期発見・早期対処が、大事に至らずに済んだと聞かされた。

平生往生、普段の自分の有り様をしっかり把握しておき、異常をいち早くキャッチできるセンサーを磨き上げておかなければならないようだ。
ただ気を付けようね・・・と言われてもね~~

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「運転免許、講習会」

2013年01月17日 | つれづれ噺

     

自動車運転免許証の更新に欠かせない、高齢者講習。
受講通知書を受けてから待つこと3ヶ月。今日その講習を受けてきた。

わずか6人の受講者が、一見素人さんのような、ゆったり進める講師のゆったり説明を聞きながら、3時間あまり。静止視力や動体視力、視野の範囲などの検査。
走行シミュレーションによる反応検査。そして実際に自動車学校のコースを使った実技指導。文字通り、微に入り細に亘る講習とご指導を仰ぐ。

まだまだこちとらは「腕におぼえあり」!!講習を受けなければ免許更新させないというから、百歩譲って?仕方なく受けているつもりでいる。
それなのに、「あんたがた高齢者は・・・」「反応が低下している・・・」「若い人の半分以下・・・」などという講師の一言一言に、なんとも言えぬ違和感をおぼえながら・・・。

実技となって自動車学校教習コースへ出る。
普段乗ったこともない前後の長いクルマに乗らされて、そこを右、それを左、ハイ車庫入れ、故障車をよけて・・・と細かな注文。ここでも「高齢者は右折左折がどうしてもふくらんで、バイクを巻き込むように運転する」と決めつける。そうじゃないんよ、慣れない大きなクルマで、脱輪させちゃ悪いと思って安全運転のつもりが少しふくらむんよ・・・との言い訳を飲み込んで、兎に角受講終了。

“ ・・・ ・・・ 年寄り笑うな行く道じゃもの ” 講師に向かって喉まで出掛かったが、まあ悪気のある講師ではなかったので、いつも通り静かに紳士で引き上げた。
早速免許証更新手続きに入らなければ。寒い中を3時間あまり我慢した甲斐が無い。
いずれにしても『defensive driving 』我が身のために心がけよう。
間違っても『offensive driving』カミカゼドライブ、NGですぞ~~。

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