「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「三週間の移ろい」

2011年04月30日 | 季節の移ろい・出来事

 
         4月9日 桜満開の錦帯橋周辺

 
         4月29日 錦帯橋祭りの行われた錦帯橋周辺

世の中は 三日見ぬ間の 桜かな・・・時の移ろいの速さを言っている。
あれほど待ちに待った桜の開花。ほんの束の間の華やかさを残して、ものの見事に散っていった。

満開の桜に酔ったあの日から、三週間が過ぎた昨日。例年の通り錦帯橋祭りが行われた。
錦帯橋の下から眺める対岸も、川面に浮かぶ遊覧船も、真っ白を誇った桜から、柔らかな葉緑に衣替えした。
そこにはたった三週間という季節の移ろいがあるだけである。
それでも季節は、人間の感覚より遙かに鋭く自然の移り変わりをキャッチしている。

今、東北・北陸が、あの満開の桜に包まれているという。嬉しいことだ。
震災の大きな傷が癒えるのはいつになるか分からない。が今、目の前で例年通り桜が咲き、季節は確実に巡っていることを実感出来たら、少しは気持ちの切り替えに役立つのではなかろうか・・・と、はなはだ勝手ながら思う。
それだけに、一日も早い桜前線の北上が今年ほど待たれたことはない。

昨日は、震災後初めて、中国からの団体観光客も日本にやって来たと報じられた。
一つずつながら確実に元に戻っていく事柄もある。
遠い険しい復旧への道のりであるが、みんなが声を上げて、被災者を応援している日々であることは間違いない。

明日から5月。何かを期待しながらちょっと胸を張ってみよう!

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「三年が・・・」

2011年04月29日 | 趣味・・エッセイ

        
      
『ブログ開設から1095日』 と編集画面に記されている。
ということは、ブログを始めて今日で丸三年が過ぎたことになる。
改めて月日の過ぎゆく速さに驚いている。

拙ブログ。多くは個人的な日記であり、心の憂さの捨て所であったりする。
ときに、何か目標に向かうときの自分を叱咤激励するムチであったり、ときにやり切れない思いをここにぶつけたりする。
成長する孫の様子や、日々移り行く季節の色や香り、身のまわりの様子など、まさに、心に移り行くよしなしごとをそこはかとなく書き綴ってきた。

独断と偏見大いにあり。
それこそがタイトルにあるとおり『世の中ちょっと“やぶにらみ・・・” 』。
勝手な視点で勝手な言い分。不勉強を棚に上げて小理屈もこねてきた。
「なんのこっちゃ・・・」「ようわからん・・・」と笑われたり叱られたりする部分も、承知の上であったりなかったり、取り敢えず三年続いた。

お陰様で、見知らぬお方とのブログつながりもできた。ちっぽけなわが人生ではあるが、とても豊かにして頂き、世間を広くしてもらっている。そのことが、ブログを続けてみようと考える上で、何物にも代え難いエネルギーでありバイタリティになっている。

東日本大震災で寸断された東北新幹線も今日全線がつながった。
被災された多くの方からも、「またこれで日本列島が一つになった」という喜びの声が聞かれた。人と人とのつながりこそが勇気を与えられたり与えたり・・・。

そんな生意気なことを思いながら、明日から4年目。
これ以上の多くを望まず、これ以下もない、身分相応の思考を巡らすとしよう。
今後とも、よしなにお付き合い頂けることを切にお願いする次第です。

             ( 写真 : ブログ開設時のテンプレート )

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「香水瓶の世界」

2011年04月27日 | 旅行・レジャー

山の中腹にそびえる美術館 

美術館から見下ろす宮島全景

国道2号線を広島に向かって40分も走ると、左手山の中腹に、御殿を思わせる立派な建物が見えてくる。なんじゃろうあれは・・・と思いながら数年を経た。
美術館を併設していることは知っていた。春の陽気に誘われ、この建物で開かれている“きらめく装いの美・香水瓶の世界”という特別展を見学した。

お揃いのスーツを着て、あっちこっちに立っている駐車場案内のお兄さんに、建物の由来・目的など軽く尋ねてみた。
仏教を基盤とした新興宗教総本山の位置づけであるような話を手短にしてくれた。不得要領、もう少し聞きたかったが、先方も詳しく説明したがらない様子も見えた。それ以上掘り下げるのも憚られ、曖昧のまま駐車と本館を結ぶ送迎バスに乗った。

まさに一つの山を好きなように手を加え、豊かな自然を取り入れて豪快に開発した御殿そのものの雰囲気がある。瀬戸内海に浮かぶ安芸の宮島が、朱の鳥居を含めて一望に見渡せる贅沢なロケーション。見応えはある。

今回の目的は、飽くまでも「海の見える杜美術館」としての訪問であった。
古代より香水は神と人間、そして男女を結びつける役割を持っていたと言われる。宗教儀式では、神に芳香を煙として手向け、その煙に願いを込めたという。

それほどの貴重品・高級品を保管する容器である香水瓶にも、格別な思い入れがあって、金銀ダイヤオパールなど、最高級の装飾が施されているのだ。
それにしてもフランス王侯貴族などという人達は、遙か高いところで雲の上の生活をむさぼり、その下に何千万人という庶民が細々と生活していたのかと思うとちょっと切なさが頭をよぎる。 

どうしても庶民の悲哀のほうに目がいってしまうようだ。
 

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「近くて遠きもの」

2011年04月26日 | 岩国検定

 
          子どもの頃の餅つき道具

      
 幕末、長州藩遊撃隊詰め所跡(通化寺)    欽明天皇が休憩された古刹、欽明寺 

お待たせ致しました! 久々、岩国検定ブログ登場!! 
今年は、岩国検定試験そのものは見送ることとなった。
その分、目下全精力を注ぎ込んで検定用テキストブックの原案作りにいそしんでいる。

昨年の秋実施した、第1回岩国検定試験。そのとき「テキストはないの?」「何を勉強したらいいの?」という問い合わせや意見が多く聞かれた。
そこで今年は、受験者のためにも、地元の「岩国を知りたい」という人にも、ひいては観光客の方々、さらには中学・高校のふるさと研究の副読本に使われるような、中味の濃いテキスト作成を目指して、静かに汗を流している。

百聞は一見にしかず、と言う。
色んな文献や郷土史をひもとく中で、市内各地に点在する民俗資料館を訪ねたり、秘められた歴史を証明する古刹や記念碑を、仲間と共に訪ねてみた。

大きな歴史の舞台となったその場に立つと、いつしか気持ちはその当時の一人になっているよな錯覚さえおぼえる。
明治維新を目前に闘った長州藩。その先頭に立って遊撃隊として幕府軍を迎え討った高杉晋作の「七言絶句」が残されている周東町「通化寺(つうけいじ)」

1500年も前の欽明天皇が、周防の国を通りがかった際、当時の山陽道であった玖珂町のお寺で石に腰を下ろして休憩された。その石が今も残されている。お寺の名前も「欽明寺」「欽明天皇腰掛け石」とある。

なんかしらロマンを感じさせる。身近にあるのに遠い存在のような歴史ではある。
まだまだ多くをこの足で踏みしめながら、よりよいテキスト作りを目指したい。
仕上げをご覧じろ・・・と言うことにしておこう。

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「いとこ会」

2011年04月24日 | 宴会・会食

        

20数年前、近くに住む母方のいとこ数人が、我が家に集まったのを憶えている。
それ以来の「いとこ会」。 懐かしい顔ぶれが揃い、とってもいい時間が流れた。

母方のいとこは14人が元気に成人した。そのうち既に3人が逝き今では11人。
その全員が集まった。夫婦同伴が4組。
そして、母の兄妹4人の中で、唯一元気にしている99歳・白寿の叔母さんを招いて、総勢16人の楽しい語らいとなった。

これまでもいとこが顔を合わせる機会は何度もあった。多くの場合、黒いネクタイを締め、華やかに語る場面もない不祝儀の集まりがほとんどであった。
今回のように、思い思いのオシャレや派手なネクタイで、しかもいとこ全員が一堂に集まるのは今回初めて。

最年少が61歳。最年長は78歳。年の差はあるが似たような境遇を生きた、血のつながる者同志の久しぶりの顔合わせ。時間はいくらあっても足りそうにない。
そんな中で、元気に集まった人だけの話にとどまらず、早く逝ったいとこへの追慕や思い出話が実に興味深い。
さらに、伯父さん叔母さんとの関わりや感謝の念が、飾りっ気なくごく自然に語られるのも、いとこ同志ならではの楽しい部分である。少しの切なさも伴う。

思い出話から現在の生き方など、意外に知らない新発見もある。
その人なりの物語を秘めながら、精一杯今を生きている。こぼれる笑顔が嬉しい。
何とも心地よい命の洗濯をした晩春の一日。

         ( 写真: 「いとこ会」 開会前のひととき )

 

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「つつましく」

2011年04月23日 | 趣味・・エッセイ

        
          避難を余儀なくされた人たち


 一瞬にしてすべてを奪ったあの大震災。
避難生活の不自由さや苦しさを目にする時、我が家の生活もすべての面で細かく見直しをしていることに気付く。

多くを買い込んで冷蔵庫をフル稼働させる電力の無駄遣いをやめた。
ガソリンは満タンをやめ、車を軽くする。
出かける回数も極力減らし、一度により多くの用件を済ませる。

これまで特に気にしなかったこんなささいなことが、我が国再生や復興の原動力につながると思えば長続きがする。
忘れかけていた「つつましく生きる」という生活。
気持ちまでまろやかにしてくれる。

         
            ( 2011.4.22 毎日新聞 「はがき随筆」 掲載 ) 

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「悠雅君、2歳」

2011年04月22日 | 家族・孫話

       
          悠雅君、2歳の誕生日祝い。 指の形は2歳のしるし

身近に幼い子どもがいる生活。実に有り難いものだと思うようになった。
やんちゃな三兄弟が賑やかに騒いだり、好き勝手な振る舞いをすると、煩わしさを感じたり静寂を求めたりすることもある。
ところが、求めた静寂が実際に三日も続くともう大変。「元気にしとるじゃろうか・・・」「たまには来りゃいいのに・・・」などと、口には出さないが心の中で待っている。
なんかしら、ままならぬ恋しい人を想い煩った遠い昔がよみがえる。   

4月21日。5年生と3年生の兄ちゃんを持つ三男坊悠雅君が満2歳の誕生日を迎えた。
自分が年を重ねるのはあまり意識しないが、幼子が成長する速さは驚くばかり。
ウン、イヤイヤ、は首を振るゼスチャーで表現。誰彼構わず全てがアーちゃんだった。

2月後半頃だったろうか、言葉がどんどん増え始めた。一旦増え始めると日替わりで新しい言葉が飛び出る。
トットちゃん、アヤ、ミーちゃんなど友達の名前も言える。しぇんしぇい(先生) アーさん(母さん)などまだ通訳はいるが、バーちゃん・ジイちゃんははっきり言える。      

何故かお神楽ビデオが殊の外お気に入りの2歳児。座敷中を踊り廻る。
お囃子の太鼓のつもりで、紙を丸めたバチでテーブルを叩く。短い足をしっかり踏ん張り、左右上手にドンドコドン!

自分の家では、バケツの水を庭に流して池を作る。糸を付けた棒切れで魚釣りをするという。明らかに兄ちゃん達の薫陶を受けたアウトドア行動派である。

     

お祝いのパーティは、誕生日の昨日を予定していたのだ。
ところが昨日夕方、魚釣りの水を運ぶ途中転倒。おでこをものの見事に旗本退屈男。
大泣きの挙げ句早々にご就寝。可哀想なのは兄ちゃん達。バースデーケーキは本日に延期。一日は待たされたものの、テーブルはケーキのかけらが散乱。
2歳児が食べるは食べるは。 ア~~ア!賑やかなのもいいが、やっぱり静寂が恋しい。

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「ホンモノの輝き」

2011年04月20日 | つれづれ噺

      

四国讃岐の金比羅さんにお詣りした帰り道。
バスの窓から、どことなく富士山に似た山を見つけた。角度によっては如何にもそれらしい。四国の中でも有名な「讃岐富士」と呼ばれる飯野山だと教えられた。そう言えば新婚旅行先では開聞岳を薩摩富士と言っていた。北海道を旅したときは、蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山が地元の人たちの自慢でもあったようだ。

北は北海道、南は九州沖縄まで、全国各地の「OO富士」に興味をおぼえた。
なんとあるはあるは、中部地方の28を筆頭に、ざっと数えただけで大小合わせて160に及ぶ富士山がある。さらに海外にもオレゴン富士など幾つかの富士山がある。

津軽富士・岩木山・青森県。 出羽富士・鳥海山・秋田県。 会津富士・磐梯山・福島県
榛名富士・榛名山・群馬県。 八丈富士・八丈島・東京都。 加賀富士・白山 ・石川県
都 富士 ・比叡山・京都。  伯耆富士・大山 ・鳥取県。周防の富士・氷室岳・岩国市

独断と偏見で並べてみたが、かくの如く、地元を表す代名詞的役割を担っている。
いずれも遠目にはそれらしく見えるのであろうが、あの秀麗なホンモノの富士のお山には到底及ぶべきもない。がそこはそれ、本物に逆らうわけでもなく、地元の自慢の一つとして、気持ちに安らぎを与えられるだけで、その効果は充分である。

多くの観光地を訪ねたとき、地元を代表する絵はがきに出会う。
たいていの場合、本物より絵はがきの方が立派で、色合いもよくできている。
そこへ行くと富士山だけは、いくら逆力になってどんな絵はがきを作っても、本物の輝きには遠く及ばないことを知っていた。

我が身に照らして、それらしい写真を撮ったり、それらしく文章をひねったりしてみるが、所詮本物の輝きには遠く及ばないことに気が付いてはいる。
それでも、我が身は我が身なりに、楽しさを求めて、今日も明日も挑戦し続けるのだ。

           ( 写真: 車窓から見た讃岐富士。 飯野山 )

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「こんぴらさん」

2011年04月18日 | 旅行・レジャー

        
                 金刀比羅宮 本宮拝殿         

    
           石段の途中あれこれ             大門

正式の名前を金刀平宮(ことひらぐう)。通称金比羅さんへお詣りしてきた。
四国香川県琴平町の象頭山(ぞうずさん)中腹に鎮座する神社。
長く続く参道の石段が有名で、奥の院(奥社)まで登ると1368段にもなるという。
通常お詣りする本宮拝殿は、「上がろうか止めとこうか・・・」ナヤム786段の石段を登ったところにある。

海上交通の守り神として古くから信仰されていて、現在も漁師さんや船員さんなど海事関係者の崇敬を集めていると言われている。
想像を遙かに超える海の魔力に翻弄された大津波被害。再び繰り返すことのなきよう、海の神にお願いを込めた静かな祈りを捧げたい気持ちも多分にあった。

3月11日以来どうしてもふさぎ勝ちになる気持ちを、何とか奮い立たせたい、しかも被災された方々の霊も慰めたい・・・という気持ちもあって、かの有名な石段制覇を試みたかった。また最近、時々ではあるが膝が痛むことがある。無理をしない程度に鍛えてはいるのだが、兎に角挑戦してみたかった。

いざというときのために膝用サポーターをバッグに忍ばせ、霊験あらたかな足腰お守りをポッケに、淡々と挑んだ。
意外や意外、294段目の石塔も難なくクリアー。大門で記念撮影のひと休み。さらに心地よく上った。肌寒かった上り初めがウソのように汗が流れ始める。

       
     見上げる本宮    幸せのお守り    帰り道下をのぞめば

途中ただ一箇所下りの一段を入れて786段、見事予定の時間で上りきった。本宮拝殿に、諸々の思いをお預けして、ここでしか手に入らない幸せの黄色いお守りをゲット。
どこからか笑い声が聞こえる。耳を澄ますとなんと両膝はケタケタ笑っていた(??)。

見下ろせば気が遠くなるような急な石段。幸せのお守りを手に勇躍下っていった。

この急な石段を上ることに悩み、思い切ってチャレンジする。汗をかく。ここに金比羅さん詣での御利益があるとみた。
祈りを捧げた下り道。黒板塀の中から聞こえる三味線・太鼓にあわせて♪ こんぴらふねふね おいてにほかけてシュラシュシュウシュ・・・♪の歌声が何とも心地よい金比羅詣でとなった。

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「ヤブの中の・・・」

2011年04月17日 | 季節の移ろい・出来事

        
           コンニャク芋を茹でる、皮を剥く、芽を取り除く

         
 ミキシングでお粥状に。 固めてダンゴを作り、2時間ばかり茹で上げる

4月半ば、恒例の「ヤブの中のクラス会」。
高校時代の仲間男女8人が、町はずれの山の持ち主A君のところに集合。
ふんだんな山水を引き込み、炊事場の設営からBBQセット、ありとあらゆる場面を想定した準備を整えて歓迎してくれる。
もちろんお手洗いまで完全な手作りで、不都合がないよう気配りを見せてくれる。

お目当ては例年通りタケノコ掘り。それにともなうBBQほか宴会である。
今年は、昨夏からの異常気象でタケノコがほとんど出ない。その上、食べ物の不足を補おうとするイノシシ君たちも、畑の柵を越える危険を冒してでも、整地され肥やしもやって作られたヤブに平気で入って食い荒らす。土の中で芽を出しかけたタケノコさえ根こそぎさらっていく。お陰で人間様の口には届かない。

A君は気の毒がって、タケノコに代わるコンニャク作りを提供してくれた。
里芋の親玉に似たコンニャク芋を茹でる。皮を剥く。水と共にミキシング。お粥状の中に炭酸ナトリウムを添加。凝固させる。
散々こね回してダンゴを作る。
大きな平釜で茹で上げること2時間。直ちに冷水に浸す。

見事手作り、混じりっけなしの純粋なコンニャクの出来上がり。
まだ熱さの残るコンニャクを刺身にして更に一献。これがまたたまらなくうまい。
みんなが初めて挑戦するコンニャク作り。
おじさん・おばさんが嬉々として手も動かすが口も動かす。

今では炭酸ナトリウムという凝固剤が簡単に手に入る。そんなものがなかった昔、どうやって凝固させる方法や凝固剤を考え出したのだろう。
コンニャク作りに秘められた物語や、最初に食べた人の勇気もを探ってみたくなる。
 

 

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